失敗した。
将来において、最もマシな選択をしたつもりであったが。
残念ながら、決闘の神は卑怯未練な選択を許そうとしなかった。
「死んだことにしてくれないか? 負けを呑んでほしい。肥沃な土地からの収穫を収奪し、配給せよと、国民の声をもはや抑えきれなくなったのだ」
そう口にしたのは、獅子紋章を掲げた主君であり。
その王はすでに食料庫を民に開け放っており、自分が贅を尽くすためでなく、ただどうにもならぬ苦境に陥っての悲痛な要求であった。
「得られる糧の幾ばくかは渡す。貴殿の領地における不作問題も解決することだろう。それで堪忍してくれ」
もう一人の主君も、そう口にした。
お互いに、戦争をする余裕すらないのだ。
どうしようもなかった、後は弱者に苦境を押しつけるしかない。
結局は力関係からくる搾取である。
主従関係による封建的な契約といえば聞こえはいいが、実際のところは残酷だ。
断れば、獅子紋章の主君に預けている妻子に命の危険が及ぶ上に。
猫の額ほどの土地しかない領地だが、そこには確かに領民数百名が生活していて、あいにくその年は不作で領民から餓死者すら出そうな時勢であった。
どうしても糧が欲しい。
差し出されたのが悪魔の手でも、領主としては応じるしかなかったのだ。
そうだ、売った。
あのとき、どうにもならなくて、一時しのぎのために。
二人の主君はプライドを。
その騎士である私も、確かに自分のプライドを売り飛ばしたのだ。
手を組んで、死を偽装した。
決闘裁判における虚偽を呑んだ。
わかっていた。
決闘の神はこのような不正を許さないと。
たとえ民に隠すことができようとも、決闘裁判における不正は許されることではないのだ。
神の裁きは下った。
預けた妻子の生家が火に包まれ、我が子をまだ腹に抱えたままの妻が焼け出されるような。
敗北したことを我が子アルベールがなじられ、それこそ成人になるまでの侮辱を受けたことは容易に想像がつくのだ。
仕方ない。
誠に正々堂々とした決闘裁判のもとに倒れたならば、妻子を庇ってくれる正義の騎士もいたであろうが。
それなりの地位にいるものは、皆が知っている。
このセドリックが主君の命令とは言え、決闘裁判における不正を働いたことは知っている。
擁護はされなかった。
獅子紋章の主君も、庇うのには限界というものがあったのであろう。
恨んではいない。
おそらく、主君の命令で誰かが墓を荒らしたふりをしたことも。
何もかもを隠蔽するために、存在しない遺骸が持ち去られた振りをしたことも。
その命令を受けたであろう騎士も、私のような境遇であることは容易に想像が付く。
だから、誰も恨んではいけないのだ。
逆だ。
私が恨まれてもしかたのない立場であった。
誰に?
妻子にだ。
領主として責任はちゃんと民に果たした。
騎士としての契約もちゃんと果たした。
だが、男として家庭を守るという役目は何も果たしていなかった。
方法を考えた。
手立てはいくつか思いついた。
領地は誰かに委ねることにして、代わりに、妻子を取り戻そうと。
かつての相棒であった勇者グランに打ち明けて、救出を懇願することは可能だった。
奴とて、事情を知れば快く応じてくれただろう。
その確信はあった。
事実、そうしようとは何度も考えた。
すぐに領地を飛び出し、馬を走らせて、グランの王国を訪ねれば。
それだけで何事も解決するかもしれなかった。
だが、全ては仮定にすぎぬ。
その後どうする、と。
愚かな私は決断が出来なかったのだ。
グランに頭を下げ、その騎士として新たに仕えることは出来よう。
だが、妻子はどうだろうか、それで許してくれるのだろうか。
真実をすぐさま明らかにするのは問題だった。
それこそ、不正が民に知られれば主君の名誉も、私の名誉も、傷つくことは間違いない。
いや、プライドを捨てているのだから、私個人の名誉など今更だが。
私が軽蔑されるだけなら良い。
だが、主君から妻子を取り戻したところで、その二人からの信用が回復されるわけではないのだ。
この罪を赦してくれるとはとても思えなかった。
それに領民がいた。
私の足枷であり、同時に領主として自分の命に代えても庇護せねばならぬ存在がいた。
誰かに全てを安心して委ねることが出来るならば、手放すことは惜しくもない。
なれど、二つの主君との契約を裏切りて、そして代々の領主として生きてきた自分が手放して。
汚名を背負った貧しい領地が、はたして今後もやっていけるかどうか。
悩んだ。
悩んで悩んで、結論を出した。
妻子を見捨てるという結論だ。
これは何を口にしても誤魔化せる物ではない、ただの事実だ。
結局、私は臆病者だった。
あと一歩勇気を踏み出して、妻子に許しを請い、主君との契約を放棄し、領民を見捨てる。
それが出来ない臆病者だった。
どうしても、何かやったところで全ての顛末が上手く運ぶだなんて予想はできなかった。
時が過ぎた。
やがて、獅子紋章の主君が死んだ。
もう一つの主君も死んだ。
主君は代替わりをした。
だが、秘密保持の契約は続いている。
どうしても両王国は、時が経過したところで民に汚点を口にすることを嫌がった。
何もかも時勢が悪かったと、あの時代は仕方なかったと。
真実を明らかにするまでの時間が必要だと。
それには、先王が亡くなっただけではまだ足らぬ。
時が過ぎた。
獅子紋章の君主からは年に一度、手紙が届く。
真実を隠している事への謝罪と、アルベールが育っていることについて。
戦争が終わり、国が豊かになるにつれて、我が妻子への侮蔑も少なくなったことに。
結局は生け贄であったのだ。
不満のはけ口に過ぎず、時が経てば収まっていくものだった。
だが、ああ、恨んでいただろう。
我が妻は深く恨んでいたのだろう。
『どうして私たちを連れて、何処かに逃げてくれなかったのか』と。
それだけだ。
私は妻子を見捨てた。
その真実の剣を突きつけられたならば、私は受け止めねばならぬ。
この心の臓に深く刃を埋められねばならぬのだ。
時は来た。
我が息子アルベールが出奔したと。
自らの足で、愛馬も財産も全てを置いて行方を眩ませたと。
獅子紋章の君主から、何よりも早い王国一の早馬で、我が元へ騎士が訪れた。
騎士はどうするかと問うた。
私は答えた。
支払ってくれと。
獅子紋章の主君も、もう一人の主君も。
何もかもの代金を支払ってくれとお願いをした。
私は死ぬ。
おそらくは、怒り狂った息子ではなく、ある程度の事情を知り得たアルベールの剣に打ち据えられるだろう。
そうして、心の臓を抉られるだろう。
それでよい。
私の罪にたいする代価を支払おう。
それは構わないが、問題はその後の事だ。
アルベールが私に果たし合いを望み、その結果として責められるのは嫌だった。
国家間の取り決めを破っての決闘だ。
当然、その責任を問わねばならんのだが。
それを止めて貰うことにした。
それが代金だ。
私が契約した二人の主君に望む報酬だった。
そして、その望みは叶った。
何も責めないと。
アルベールが何を選択しようと罪には問わぬ。
去る者は追わず、追いかけはしない。
来る者は拒まず、たとえどの道を選択しようとも。
獅子紋章の国に仕え続けようとも。
もう一つの国に仕えることになろうとも。
あるいは全ての真実を知り、私の所有する領地を引き継ごうとも。
いや、どれもこれもを拒み、一人の放浪騎士として旅立とうとも。
どれも、何一つ構いはしない。
主君として契約しようと。
その保証を得た。
そうして、時は来た。
「全部、覚悟していたことだ」
私は全てを口にしている。
この決闘とも呼べぬ、それどころか果たし合いとすら呼べぬ。
ただの罪に対する処刑とも呼ぶべきであった、事の顛末に対して全てを告白している。
何も喋らぬはずだった。
全てを隠し通すはずだった。
なれど、口からは全ての事情が明かされた。
顔を上げる。
昼は過ぎ、すでに夕陽が上がっている。
そして、その中に光り輝く杖が見えた。
ファウルハウト――その名を怠惰に隠した、エルフの姫君の杖だった。
まじないが、私にかけられていた。
「自白の魔法か」
全て隠し通すはずだった。
明らかにするのは、このセドリックが死んでからでよかった。
アルベールは。
我が息子は、地面に両手をついたまま、項垂れた様子で全ての告白を聞いていた。