幼女になったオッサンがお家に帰る方法を探す話 作:ほほげるもわ
ゆーらゆーらと、地面が揺れている気がする。
地震かな?随分と揺れが長い。
乗ったことは余りないけれど、船ならこんな感じに揺れるんだろうな…。
気になるが揺れは弱い。明日の仕事のために寝なくてはならないので、睡眠を続行する。
急に違和感が膨れ上がった。床下から大量の水が流れる音がする!
寝ぼけた頭のまま反射的に、枕元の定位置にあるスマホに手を伸ばしたが。
スマホは見つからずに、ペタペタと湿った板の手触り。
俺は布団ではなく、木の板の上に寝ていたらしい。
見回しても我が家の柔らかいお布団は見当たらず、自分が居るのは板張りの小部屋と…
やたらと段差の大きい上り階段が見える向かいの大部屋には、頑丈そうなロープで厳重に固定された巨大な樽や袋が、沢山積み重なっているばかり。
光源は階段の上からのみで周りは暗く、青空がちょっとだけ見えた。
漂う磯臭さに気付いて、ざざーんと水音が聞こえた辺りで…これは海の波音だと理解できた。
俺は多分、木造船の船倉に居る。
冷静に…眠っている間に誘拐された可能性を考えて、静かに耳をすます。
船倉には誰も居ないらしいが、沢山の人間が甲板で作業をしている音が聞こえる。
時々男の話し声らしい物も聞こえてくるが、聞いた事のない言語で内容はさっぱり分からない。
「へくちっ!」
思わず可愛い声のくしゃみが出てしまう。…声がおかしい。
空気が冷たく湿っていて、さっきから体が凄い冷えるのだ。
…うん、そうだね。
やけに樽が大きいな~とか、上に続く階段の段差がでかいな~とか。
小さな違和感は積み重なっていた。
自身の体をまさぐる事少々。
ようやく俺の体が、小柄な子供になっている事実を受け入れたのだ。
上階…多分、甲板の話し声の雰囲気から、怒りや緊張は感じられない…。
俺の状態に気付いているのか分からないが、普段通りに陽気なお仕事中という感じだ。
くしゃみ位なら波音で上に聞こえる訳もない。
…たぶん大丈夫。すぐには何かされる状態ではない。
まず状況把握をしよう。樽の陰に身を隠して考える。
手近で明らかな異常…自分の体について。
外見年齢は10歳前後。暗くて分かり難かったが、背中まで伸びた長いストレートな黒髪。
怪我は…多分なし。体の線は細いが一応健康体っぽい。
被せられていた汚れた麻の絨毯のような物の他は、下着も何もなく全裸だ。
持ち物は何も無し。
ち〇こも無し。
…えぇ…?
体が少女化したのは勿論ショックだが、後に続いた別の事態がショックを上書きした。
記憶が欠けていることに気付いたのだ。
この体格だと小学生くらいの年齢かな?と考えた時だ。
小学生という言葉は覚えているのだが、それが何なのか全く分からなかったのだ。
小学生…小学生と心の中で繰り返しながら、記憶の糸を手繰り寄せようとしたが、糸の先に目的の記憶は見つからず。
その言葉の先に、唐突に…異質な記憶が存在することに気付いた。
例えるのが難しいが…ネットで言葉の意味を検索したら、リンク先が不気味な絵だったような不条理な帰結。
「小学生…」
言葉を発すると呼応するように、身を隠していた巨大な樽が小刻みに振動を始めた。
すぐに耳を突くような高周波を発し始める。
「こ、これ危なくないか…?」
思わず耳を塞ぎ、樽から離れて後ずさるがちょっと遅かった。
樽はすぐに強度の臨界を迎えて、ドォンと轟音と共に木片をまき散らしながら破裂した。
「うあぁ!あ゛ッ!」
逃げる間もなく、樽の大きな木片は俺を軽々と跳ね飛ばし、頭から船倉の壁に激突した。
視界がくるくると激しく回り、トントンと軽い音を立てながら床を転がる。
パラパラと細かい木片が辺りに落ちて、今は船体を撫でる波音だけが聞こえる。
「…痛ッ……あっ。」
口の中で血の味がする。
頭を強く打ったせいか、視界が揺れる中で体を起こそうと、手で体を支えた所で再度転がってしまう。
ぐちゃりと温かく湿った中に、俺は倒れこんだ。
「あー……あぁー!!」
それもそのはずだ、付こうとした側の腕は樽の木片に切り裂かれて、遠くに転がっていたのだから。
「ひっ!ひっ!…血が!血を止めないと!」
言葉にならない奇声を出しながら呆然と、転がるそれを暫く見ていたが、かろうじて止血が必要な事に思い至り、無くなった腕の付け根を手で抑えた。
「ある…?腕がある!」
傷を手で押さえつけたつもりだった…だが、無くなっていたはずの腕が付いている。分からない。
何が起きたのか、俺には全く分からなかった。
混乱と衝撃で立ち上がる事も考えられず、この混乱から離れたい一心でばたばたと空しくもがく。
そのとき階段を駆け下りてきた男が、床に転がって暴れる俺をなだめて抱え起こした。
弱り声を出しながら、俺の体に怪我が無い事を確認出来ると…安堵した人の良さそうなオッサンの表情に気が付いて。
誘拐の疑惑や何やらは、緊張の糸と一緒に全て吹き飛んでしまい。
俺はただ震えながら、その男の顔を見つめる事しかできなくなっていた。
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しばらく体の震えが酷くて、何も出来なかった。
小さくなってしまった体を抱えて蹲っていると、その間に他の船員とオッサンが、船倉に散らばる樽の破片を片付け、荷物の固定を確認していた。
なんとなく察していた通り言葉は通じなかった。
ある程度落ち着くと、おっさんとの身振りと手振りを交えた意思の疎通が始まった。
それによると樽の壊れる音を聞いて、俺がその下敷きになったのかと心配で降りて来たらしい。
俺の切り落とされた腕は見つからなかった。
体に傷もなく床には血痕すら見当たらない。彼らの中では運よく危機をまのがれた、という認識で落ち着いたようだった。
口の中に残る血の味の記憶と、船室の寒さが混ざり合って、体が小さく震える。
俺がくしゃみをすると、船倉の荷物の袋からもう一枚、俺が着せられていた物と同じ麻の絨毯を取り出して、
「■■■、■■■■■■。」
昔何かのテレビで見たような古代ローマのトーガ、とか言うやつみたいな感じで、説明しながらだろう…着せてくれた。
そしてもう一枚を上着のように羽織らせ、紐でトーガに固定してくれた。
少しチクチクするが、今は温かさが嬉しい。
おっさんは船員ではなく乗客のようで、商人さんという立場なんだろうか?
片づけに参加していた他のガチムチな男達とは、ちょっと体格と服の雰囲気が違う。
身綺麗で…うん、中年に良くある軽肥満だね。
「ありがとう御座います…。」
雰囲気からお礼の言葉は通じたのだろうか…人の良い顔でにっこりと微笑んでくれた。
他の船員さんとは違って、商人さんには時間がたっぷりあるようで、暇つぶしにもなったのだろう。
俺が言葉を理解できないと把握してからは、人の良さそうな印象の通り、まるで小さな子供に接するように、身振りと手振りを交えて優しく俺との会話に付き合ってくれた。
…いや、小さな子供だったわ俺。
どうも俺は漂流物にしがみ付いた状態で、プカプカと沿岸を漂っていたらしい。
それを船員が発見して救い上げ、商人さんの麻絨毯にくるまれて寝かされていたようだ。
この船は余り大きくはない。確かに意識のない子供にとって、今いる船倉の小部屋は安全な場所に思える。
甲板に子供を転がして置くのは危ないよな。
「■■■…■■■?」
ある程度のやり取りが済んでひと段落した辺りで、商人さんは自分を指しながら同じ言葉を話し出した。
多分、商人さんの名前だろうか?
「あ…ルゥ?」
発音が難しい…これじゃ話すというより、ただ同じ音階で声を出しているだけだ。
これまでの出来事から察するに、外国人に誘拐されたとかそんな物ではない、俺はもっと大規模な異常事態に巻き込まれたようだ。
…このまま言葉が分からないのは、ちょっと良くない気がする。
「■■■…■■■」
「ア~…ルぅ?」
うーん、ダメっぽい。
商人さんも苦笑いしている。
まぁ…言葉については追々頑張るとして。
名乗られたのだ、俺も返さねば。
そこで、ふと気づいた。名前…自分の名前って何だっけ?
商人さんとの会話のお蔭で、少しだけ温まっていた意識が、すっと冷える。
これも…さっきの「小学生」と同じだと気付いた。
唐突に目の前に顔を出した恐怖に、取り戻しかけた心の余裕は一瞬で吹き飛ばされてしまい。
俺は再び体が震えだすのを止められなかった。
ひとつだけじゃなかった…多分他にも沢山、俺の記憶の中に「アレ」が有る。
自分の名前までもが、得体の知れない何かと入れ替わっている。
まるで…記憶の中に地雷原があるみたいだ。
「■■■■?■■■。■■■。」
俺の異変に気付いた商人さんは、俺の頭を撫でながら優し気に語り掛け、会話を切り上げて甲板の方に戻って行った。
休みなさいという事だろう。
俺は自分の名前を思い出す気になんて全くならず、ただ膝を抱えて体の震えがおさまるのを待ち続けた。
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救助されてから七日経った。
今も航海の真っ最中。帆船は沿岸をゆっくり進んでいる。
「アリガ!■■■!」
「はーい!アリガですよ。」
ガチムチ船員さんに呼ばれている。
冷たい船倉で震えているだけなのも辛かったので、事件の暫く後に何か出来そうなことは無いか船員に申し出てみたのだ。
言葉は通じないが、身振りの意思疎通は成功したようで、お仕事をもらえるようになった。
小さな子供でも出来る小間使いは結構あるようで、意外とお声がかかるから役に立てている。と思いたい。
こっそり念動でズルもしているし、まぁ…邪魔にはなっていないだろ。
念動…ある程度間を置いた今でも、思い出すと胃がキュッとなるのだが、あの体験の代わりに得られた力は相当に役立つ物だった。
物体を思う通りに動かす力だ。いわゆる超能力という物だと思う。
小学生という言葉の先に、不正に存在した力の使い方が、事件で暴発した後で俺の脳内のあるべき場所に定着し、それによって俺の制御通りに現象を発生させることが出来る状態になった。
…うん。言語化は難しいいが、そういう感じになった。
とにかく暴発ではない。ちゃんと自分の思う通りに制御出来るようになったのだ。
そして、アリガは俺の呼び名らしい。
使っても安全と確信できる言葉は「ありがとう」と、商人さんとの会話で受け答えに使っていた相槌くらいしか無かった。
使うシーンが多い「ありがとう」を良く話していたからだろうか。
いつの間にか俺は、アリガと呼ばれるようになっていた。
自分の名前は分からなくなってしまったし、丁度良いかと直ぐに受け入れた。
アリガはこちらに来て与えられた、今のところ一番安心できる言葉だ。
…こちらに来たのだ。前に居た地球ではない。
可能性としては違う太陽系か…超能力とか変な法則がある位だし、並行する別の宇宙、異世界だったりするのかもしれない。
びっくりしたよ。空にでっかい土星があるんだもの。
いま俺が居るこの星は、土星のように環を持つ惑星の衛星らしい。
夕方なのに大小様々な月がクッキリ見える。あの月々も土星モドキの衛星なのだろう。
この空にある土星モドキの色は、昔に写真で見たようなお馴染の物ではない。
海とは違う青黒く均一な色合いで、そして余りにも巨大で圧倒される…ずっと眺めていると、俺がそこに落ちて行きそうに錯覚して…少し怖い。
他の皆は特に気にする様子もないし、こちらでは普通の状態なのだろう。慣れるしか無い。
「アリガ、■■■■?」
「あールゥ。ありがとう御座います。」
夕焼けの空に顔を出し始めたグロい土星さんを甲板で眺めていたら、商人さん…アールゥが船倉から呼びに来てくれた。この声の音階はご飯の時間かな?
相変わらず言葉が上手く聞き取れないが、音階と声の調子で何を言っているのか、雰囲気で察せるようになった気がする。
…犬や猫もそんな感じで、ご飯や散歩の時間を察するのだろうね。
動物か俺は…。
発音はまだ音が外れている自覚があるが…覚えたこちらの世界の言葉は、積極的に使うようにしている。
多分それが言語習得の近道だろうから。
…何より…こっちで覚えた言葉の方が危なく無いし。
ご飯を食べたら、もう少しだけ仕事をして、暗くなったら眠るだけだ。
夜警は船員さんが交代でやっているが、流石に俺はそれに参加できないようだ。
航海はもう暫く続くらしいが。
目的地に到着すれば、そこで彼らとはお別れになるだろう。
俺はこれからどうするのか?
彼らに助けられたお蔭で、決断までの猶予と選択肢を与えて貰えたのだ。
この世界の事を可能な限り知って、これからの事を決めなくてはいけない。