ウルベルトの悪魔は、白夜に堕ちる   作:an-ryuka

5 / 7
5.

アベリオン丘陵の空気は、ナザリックのそれとはまるで別物だった。

 

 湿り気を含んだ土の匂い。風に混じる、鉄さびみたいな血の臭い。ところどころで焼け焦げた皮膚の匂いが、鼻の奥を刺す。

 一定の間隔で聞こえてくる悲鳴。

 遠くのどこかでは誰かが泣き叫び、別の場所からは喉を潰したようなかすれたうめき声。

 

 どう聞いても、健全なお散歩コースじゃない。

 

 私は、白いワンピースの裾を指でつまんで、足元を見た。

 白い肌。赤い瞳。金色の髪。

 色の組み合わせは、元の白夜嬢のまま。

 違うのは形だけだ。天使の胎児ではなく、人間の女の形。

 

 指を絡めて、背筋をゆっくり反らす。

 骨に肉がついて、皮膚が風に撫でられていく感覚。

 血が流れているのが分かる。肺が膨らみ、空気が出入りしているのも分かる。

 

 さっき田中に姿を見せた時、固まっていたのを思い出して、少し笑った。

 

 ――主は、どんな姿でも、主に変わりありません。

 

 うん。そう、私は私だ。

 

 視線を正面に向ける。

 赤いストライプのスーツを着た悪魔が、丘陵の縁に立っていた。

 デミウルゴス。

 周囲に控える悪魔たちに、何やら命令を出している。声の抑揚からして、機嫌は良さそうだ。

 

 私は、あえて足で地面を踏んだ。

 飛ばない。浮かない。歩く。

 土を踏む音を、聞かせるように。

 

「楽しそうだね?」

 

 わざと軽い調子で声をかける。

 

 デミウルゴスの肩が、ぴくりと跳ねた。

 振り向いた彼は、一瞬だけ時間が止まったみたいに硬直して――

 すぐに、眉をかすかに寄せた。

 

「……白夜嬢様?」

 

「そう。やっぱり分かるんだね」

 

 私はその場でくるりと一回転してみせる。

 白い布がふわっと傘みたいに広がり、足首あたりでひらりと落ちる。

 

「似合う?」

 

 デミウルゴスは、ほんの一瞬、完全に悪魔の顔を忘れた。

 

「……っ」

 

 視線が、顔から、首筋、肩、胸元、腰、足首へと、無意識に滑っていく。

 そのことに本人が気づいた瞬間、慌てて視線を顔へ戻した。

 

 女性として認識した。

 番になり得る存在として、余計な条件が全部削ぎ落とされたのを自覚した顔。

 

 そのすぐ近くで、彼の思考が急旋回しているのが分かる。

 

 ――異種族間の妊娠の研究。悪魔と人間の成功例。

 ――自分は悪の魔王として創造された存在。知略と残酷さの象徴。

 ――そこに誰でもない、自分としての視点が、割り込もうとしている。

 

 私は、その混乱が手に取るように分かって、ちょっとだけ愉快になった。

 口角が自然と上がる。

 

「デミウルゴス?」

 

 わざと一歩、近づく。

 人間の足音が、草を踏む音を連れて、彼の足元まで入り込む。

 

「この実験場の話、聞かせてくれる?」

 

 彼は息を整えるみたいに一度目を伏せ、それから視線を丘陵全体へ滑らせた。

 

「……主目的は、スクロールの研究です」

 

 声が、研究者モードに戻る。

 

「ユグドラシルでは、魔法の力を一度巻物に封じることで、MPの消費タイミングをずらしたり、非魔法職にも使用可能にすることが出来ました」

 

「ええ、知ってる」

 

「ですが、この世界のスクロールは質が悪く、低レベルの魔法しか込められません」

 

 デミウルゴスは、離れた場所に隔離された人間たちを、手で示す。

 拘束された人間。血まみれの布。皮膚が剥がれかけた手足。

 

「Lvが存在する生きた器から皮を剥ぎ、その素材を抽出してスクロールにする。

 そうすることで、より高位の魔法を込められる媒体になるのでは、と」

 

 淡々と、でも、楽しそうに。

 

「人間以外にも、魔力の強い亜種族、その混血。

 それらを素材にすれば、さらに質の高いスクロールを作成できるかもしれません」

 

「後は?」

 

「……悪魔たちの娯楽も兼ねています」

 

 ここで、少し口元が吊り上がった。

 

「人間の悲鳴を好物とする者も多いので」

 

 さすが、カルマ値極悪のセリフ。

 私は小さく肩を上げる。

 

「楽しそうだね」

 

「え?」

 

「デミウルゴスが、ね」

 

 そう言うと、彼は一瞬だけ言葉を失った。

 

 私は、軽く息を吐く。

 

「ここ、あの子の理想の一つだったんだろうなって思ってさ」

 

 ウルベルト。

 悪役を徹底することに愛を注いでいた、ひねくれた人間。

 

「カルマ値マイナス五百。悪行の塊。

 ……ただ欲のために搾取する、崇高な悪魔」

 

 彼自身は多分、そこまで徹底できなかった。

 だから、デミウルゴスを作った。

 

 ……何か?

 

 と問うように、デミウルゴスがこちらを見る。

 

 私は、少しだけ空を見上げてから、話題を滑らせるように切り出した。

 

「ウルベルトの話、してもいい?」

 

「……!」

 

 宝石の瞳が、煌めくように開かれる。

 

 私は、丘陵の向こう――かつての世界で見た灰色の空を、重ねるように眺めながら言葉を継いだ。

 

「ウルベルトは人間だった。私も、人間だった」

 

 遠くの悲鳴と、昔聞いた怒号が、どこかで重なる。

 

「ウルベルトは、富裕層に切り捨てられる貧困層が、嫌いだった」

 

 一本、指を立てる。

 

「何をしても変わらない前提で、下から這い上がろうとするレジスタンスも、嫌いだった」

 

 もう一本。

 

「でも一番嫌いだったのは、何も感じない上の人間だったと思う」

 

 ガラスで出来た高層階層と、その下で腐っていく街。

 

「彼は、貧困層出身」

 

 私は、自分の胸を指先でコツコツと叩く。

 

「私は、富裕層出身」

 

 生まれも階層も、真逆。

 でも、そのうち、ウルベルトはこう言った。

 

 ――富裕層も貧困層も、なんか変わんねぇな。

 

 あの、どうしようもない疲れた笑い方で。

 

「レジスタンスを起こす人間たちの気持ちも、私は分かる」

 

「何も変わらないまま死んでいくのも、知ってる」

 

 世界は、そう簡単には変わらない。

 

「だから、ウルベルトは選んだ。

 自分で火をつけて、自分で燃え尽きる道を」

 

 レジスタンスの蜂起。

 彼はそこに自分の人生を全部突っ込んだ。

 

「こういう搾取、嫌いだったのよ。あの人」

 

 私は、人体実験に使われている人たちを一瞥した。

 目を合わせてはいない。ただ、存在を認識しただけ。

 

 デミウルゴスは、完全に固まっていた。

 

 宝石の瞳が、大きく震える。

 

「……ウルベルト様は、そのような……」

 

 彼の頭の中で、

 悪の大魔王として設計された自分と、

 人間としてのウルベルトの像が、派手にぶつかっている。

 

「ウルベルト様の、意にそぐわないことをしている私に……生きている意味など……」

 

 視線が、自分の手の血に、足元の実験台に、遠くのナザリックに滑っていく。

 

「己の罪深さを鑑みれば、この身など――」

 

「デミウルゴス」

 

 私は、その自己否定の流れを、真ん中で叩き切った。

 

 歩み寄る。

 今度は、本当に、距離を詰める。

 

 そして――そのまま、ふわりと抱きしめた。

 

「……っ!?」

 

 デミウルゴスの身体が、文字通り固まる。

 

 硬質な悪魔の肉体。

 それに、細い人間の腕。

 

 アンバランスそのものなのに、抱きしめるという行為自体は、妙にしっくり来ていた。

 

 彼の胸元で、何かがトクトクと脈打っているのを感じる。

 これは、彼のか。私のか。

 それとも、両方か。

 

「私は、今のデミウルゴス、好きだけどね」

 

 彼の肩越しに、くすんだ空を見ながら言う。

 

「ウルベルトは、きっと」

「自分が作った悪魔が、自分の知らないところで、自分なりの倫理と矛盾を抱えて悩んでるって知ったらさ」

 

 私は小さく笑う。

 

「……たぶん、すっっごい嬉しそうな顔するよ」

 

 あいつは、そういうところでいちいち喜ぶタイプだった。

 

 デミウルゴスの頭の中で、歯車がとんでもない速度で回っている。

 理解。罪悪感。忠誠。理屈。

 そして、名前のない感情。

 

 それをどう整理するかは、彼次第だ。

 私はそこまで面倒見るつもりはない。

 

 腕を離す。

 

「……」

 

 デミウルゴスは、何かを言おうとして、言葉を失っていた。

 私は、その沈黙をあえてぶった切る。

 

「で」

 

 くるっと一歩下がり、スカートの裾をつまむ。

 

「私のこの姿、どう?」

 

「……」

 

 喉が、ごくりと鳴った。

 

「これなら、子ども作れるね?」

 

 からかい半分、本音半分。

 完全に遊んでいる。

 

 デミウルゴスは、言葉の出し方を忘れたみたいに押し黙った。

 

「……っ」

 

「綺麗だ」と言えば、ほぼ告白。

「似合っている」と言えば、期待を孕む。

「番にふさわしい」と言えば、忠誠の枠を越える。

 

 どの選択肢も、彼の中では全部重すぎる。

 

 だから、呼吸ひとつすら、どうついたらいいか迷っている。

 

 私は、その様子を見て、心底楽しそうに笑った。

 

 今、この瞬間がちゃんと楽しい、と。

 そう思った。

 

 そこへ、デミウルゴスのこめかみがぴくりと動いた。《メッセージ》だ。

 

《……デミウルゴスか? モモンガだ》

 

 頭の中に、骸骨の声が響く。

 

《白夜嬢さんがそっちに行ってると聞いたんだが》

 

 デミウルゴスは、ようやく再起動したみたいに、口を開く。

 

《……ええ。いらっしゃってます》

 

《ならいいんだ。白夜嬢さんは弱いからな。一人で行動させないように。頼んだぞ》

 

 デミウルゴスは、一瞬だけ横目で私を見てから、真面目な声で答えた。

 

《……承知いたしました》

 

「モモンガさん、なんて?」

 

 聞くと、デミウルゴスは微妙に言いにくそうな顔をしながらも、隠さず答える。

 

「白夜嬢様を、おひとりで行動させないように、とのことです」

 

「過保護だなぁ」

 

 私は肩を竦めた。

 

「こういうところだけ、ギルマス権限」

 

 そう言った瞬間、ふと別の記憶が頭をよぎる。

 

◆ ◆ ◆

 

 

 数日前。

 守護者たちの前で、「番」とか「子ども」とかの話が盛大に話題になった。

 

 いつまでたっても煮え切らないモモンガさんに私はイラついて、言葉をかけた。

 

「私が率先して誰かと子供を作ろうとすれば、モモンガさんもアルベド抱くのに抵抗なくなる?」

 

 そう言った途端、耳をそばだてていた守護者たちが、一斉に反応した。

 

 アルベドは、ギュッと拳を握り――

 

「っしゃああああああああああああああああ!!!!」

 

 と、謎の雄叫びを上げ、

 シャルティアはその場で膝から崩れ落ちて「負けた……」みたいな顔をした。

 

「ま、待て! 違っ、アルベド!? 落ち着け落ち着け落ち着け!」

 

 モモンガは、鎮静系のスキルを連発しながら半泣きだった。

 

「白夜嬢さん……あの、お願いですから、これ以上アルベドを焚きつけないで……!」

 

「自分でいじったNPC設定の責任は、自分でとるべきだと思うんですよねー」

 

 私は視線を逸らしながら、さらっと言った。

 視界の端で、デミウルゴスがじっとこちらを見ていた。

 目が合った。数秒。

 先に逸らしたのは、私の方。

 

 コキュートスがそこで、淡々と確認する。

「モモンガ様ハアルベド。デハ、白夜嬢様ハ?」

 

モモンガさんは話に被せるように

「そうですよ!俺はアンデッドなんだから、子どもを作るなら白夜嬢さんの方が!」

 

 話をすり替えようとしてきた。

 いい加減認めればいいのに、何が気に入らないんだか。

 

「えー……私、モモンガさんと違って、別にそういう好かれ方してないし」

 

 私が投げると、モモンガさんはNPCたちの方へ振り向いて、

 

「田中とかデミウルゴスがいるじゃないですか。なぁ?」

 

 田中は、いつもの中二テンションを完全にどこかに落としてきたようで、

 

「えっ……あっ、いや、その……」

 

「主は純白で神聖で……そのような欲など向けることすら……」

 ストールを顔の半分まで引き上げ、ハムちゃんずが「キュッ」と鳴いていた。

 

 デミウルゴスは、一瞬田中を睨むみたいに見るが、結局何も言わなかった。

 ただ、無言で、こちらを見ていた。

 

◆ ◆ ◆

 

 

「……デミウルゴスはどう思った?」

 

 私はアベリオンの風に戻りながら、目の前の悪魔に問いかける。

 

 デミウルゴスは、少し長く黙った。

 風が、血の匂いと焦げた匂いを運んで通り過ぎていく。

 

「……私は、ウルベルト様の理想から外れた存在、なのかもしれません」

 

 やがて、慎重に言葉を紡ぎ始める。

 

「ですが――ウルベルト様が、最後に私に残してくださった言葉があります」

 

 視線が、私の肩口あたりで止まる。

 

「……『白夜嬢――セレスのこと、よろしく頼む。俺には出来なかった。完璧なお前なら、きっと全部うまくやっちまうんだろうな』と」

 

 肺の空気が、一瞬だけ止まった。

 

 セレス。

 

 現実世界でしか呼ばれなかった名前。

 ウルベルトが、最期に誰かに託したとしても、おかしくないもの。

 

「詳しい事情は、存じ上げません」

 

 デミウルゴスは、胸に手を当てた。

 

「本来、知るべきかどうかも分かりません」

 

「ですが、頼んだと」

 

「ならば、私は――」

 

 そこで一度言葉を飲み込み、顔を上げる。

 

「今の私の在り方を、ウルベルト様に恥じぬよう、全うするだけです」

 

 ほんと、真面目すぎる悪魔だ。

 

 その笑みの端に、ウルベルトの影が少し混じった気がした。

 

 私は少し笑った後、くるりと踵を返す。

 

「……さて。そろそろ戻ろうかな」

 

 ナザリックへ。

 モモンガのところへ。

 田中とハムちゃんずが待っている場所へ。

 

 転移のために魔力を練り上げようとした、その時。

 

「セレス様」

 

 名前に、足が止まる。

 

 振り返ると、デミウルゴスがそこに立っていた。

 膝もつかず、頭も垂れず。

 ただ、まっすぐに。

 

「今の白夜嬢様も。

 ウルベルト様の話をする白夜嬢様も。

 実験を面白がる白夜嬢様も」

 

 一つ一つ、噛みしめるように。

 

「……私は、お慕いしております」

 

 アベリオンの風が、二人の間を抜けていく。

 悲鳴が、さっきより少し遠くに感じた。

 

「そう」

 

 私は、短くそれだけ返してから、口元だけで笑った。

 

「じゃ、またね」

 

 転移の光が、視界を白く塗りつぶす直前。

 さっきより、少しだけ肩の力の抜けた顔で立つデミウルゴスの姿が、ほんの一瞬見えた。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。