相棒 ーー杉下右京に憧れた転生者がキヴォトスで刑事になる話ーー   作:ほくほく亭ともを

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孤立無援の聖域

シスターフッド自治区に足を踏み入れたのは、重武装のヴァルキューレ警察学校・公安局の面々であった。

秋晴れの澄み切った空とは対照的に、彼女たちの纏う空気は鉛のように重く、そして冷たかった。

 

先頭を歩くのは、公安局長である尾刃カンナ。

二年前、あの地下トンネルの事件でサキョウと決別し、「本部」の人間としてシスターフッドの暗部を握りつぶす側へと回った彼女の顔には、かつての純粋な正義感の代わりに、深い疲労と組織の犬としての諦観が張り付いていた。

その後ろには、中本フブキと根本キリノの姿もある。キリノは緊張でガチガチに強張り、フブキは面倒くさそうにドーナツの袋を弄っていたが、それでも周囲への警戒は怠っていなかった。

 

「ここが大聖堂……。いつ来ても息が詰まる場所っすね、局長」

 

フブキがため息混じりにぼやいた。

 

「無駄口を叩くな、フブキ。我々は連邦生徒会の要請、並びにトリニティ当局の『許可』を得てここに来ている。あくまで公式な捜査だ」

 

カンナは低く凄みのある声で返し、大聖堂の重厚な扉の前に立った。

ノックをしようと手を挙げた瞬間、扉は内側から静かに開かれた。

 

「___お待ちしておりました。ヴァルキューレの皆様」

 

ルビー色の双眸を静かに細め、シスター・サクラコが立っていた。その後ろには、大きなカバンを抱えておろおろとするヒナタと、あからさまに敵意を剥き出しにしてシールドを構える蒼森ミネが控えている。

 

「シスターフッド副代表、歌住サクラコだな。公安局長の尾刃カンナだ。連邦生徒会からの特命により、昨今頻発しているゲヘナ学園による領域侵犯事件の捜査、並びに……シスターフッド自治区内における非合法な武力拠点の隠匿の疑いについて、立ち入り調査を実施する」

 

カンナは冷徹に令状を突きつけた。

 

ミネが一歩前に出ようとするのを、サクラコが手で制する。

 

「非合法な武力拠点、ですか。随分と物騒な疑いをかけられたものです。我々シスターフッドは、祈りと奉仕を旨とする組織。そのようなものが存在するはずがありません」

 

「それは中を改めさせてもらえば分かることだ。それとも、何か見られたくないものでもあるのか?」

 

カンナの目が鋭くサクラコを射抜く。二年前、白峰イノリを捕縛したあの凄惨な夜の記憶が、両者の間に火花のように散った。

 

「……どうぞ。我々に隠し立てすることなど、何一つありません」

 

サクラコが道を開けようとした、その時だった。

 

 

「おや、随分と性急ですねぇ。もう少しお茶でも飲んでからになさってはいかがですか?」

 

 

大聖堂の奥、ステンドグラスから差し込む光のシャワーの中から、コツ、コツと革靴の音が響いた。

ツイードのスリーピースに身を包み、キャスケットを目深に被った小柄な影。

その手には、大聖堂には似つかわしくない、使い込まれた懐中時計が握られていた。

 

「……なっ」

 

カンナの表情が、驚愕で凍りついた。キリノが「ひっ」と短い悲鳴を上げ、フブキでさえ咥えていたドーナツを落としそうになる。

 

「ご無沙汰しております、カンナさん。二年ぶり……いや、あの忌まわしい地下室での決別以来ですから、正確には二年と少し、でしょうか」

 

杉下サキョウは、まるで昨日も会っていたかのような穏やかな笑みを浮かべ、カンナの目の前まで歩み寄った。

 

「サ、サキョウ……?お前、なぜここに……!お前はレッドウィンターに左遷されたはずじゃ……!」

 

カンナの声が微かに震えている。

 

「ええ、極寒の地でそれはもう、色々とありましてねぇ。現在はレッドウィンター連邦学園・人民議会最高議長という、柄にもない役職を拝命しております」

 

サキョウは懐中時計をパチンと閉じた。

 

「さて、公安局長殿。レッドウィンター最高議長としての権限において、一つお尋ねしたい。他学園の外交トップが滞在しているこの大聖堂において、いかなる理由で強制捜査を強行しようとなさっているのか」

 

「が、外交トップだと……?」

 

カンナは歯噛みした。

ヴァルキューレの捜査権は強力だが、それはキヴォトス全土に及ぶわけではない。特にレッドウィンターの実質的トップが滞在しているとなれば、これは単なる自治区の捜査ではなく、国際問題(学園間問題)に発展しかねない。

 

「サキョウ、お前は部外者だ。これはトリニティと連邦生徒会の問題……」

 

「部外者?それはおかしいですねぇ」

 

サキョウはピシャリとカンナの言葉を遮った。

 

「私はシスターフッド副代表より、公式に特別顧問としての招待を受けてここに滞在しているのですよ。ねぇ、サクラコさん?」

 

サクラコは一瞬目を丸くしたが、即座に話を合わせた。

「え、ええ。その通りです。杉下議長には、我が自治区の防犯体制に関するご意見を伺っておりました」

 

「ということだそうです」

 

サキョウはフフッと笑うと、カンナが握りしめている令状をひったくるように手に取った。

 

「ふむ。発行元は連邦生徒会防衛室。……そして承認印は、トリニティ総合学園ティーパーティー……なるほど、なるほど」

 

サキョウの目が、獲物を見つけた鷹のように細められた。

 

「カンナさん、一つだけ細かいところが気になってしまうのが私の悪い癖なのですがねぇ。この令状、手続き上は完璧ですが、事実関係において重大な矛盾を孕んでいます」

 

「矛盾、だと?」

 

「ええ。あなた方はゲヘナによる領域侵犯とシスターフッドの武力隠匿を理由に挙げています。ですが、もしシスターフッドが密かに武力を蓄えているのなら、なぜゲヘナの雷帝はこれほどやすやすと領域侵犯を繰り返せるのです?武力があるなら、自衛しているはずでしょう?」

 

「それは……シスターフッドがわざとゲヘナを引き入れ、何かを企んでいるからだという推測が……」

 

「推測、ですか」

 

サキョウの冷ややかな声が大聖堂に響き渡った。

 

「推測だけで、他学園の要人が滞在する聖域に土足で踏み込む。随分とヴァルキューレも野蛮になったものです。……それとも、そうしなければならない理由を、連邦生徒会かティーパーティーから押し付けられたのですか?」

 

カンナの肩がビクッと跳ねた。図星だった。

 

「図星のようですねぇ」

 

サキョウは令状をカンナの胸に押し返した。

 

「出直してきなさい、局長。明確な証拠、あるいはレッドウィンターを納得させるだけの法的な大義名分を持って。……ああ、それから」

 

サキョウはカンナの耳元に顔を寄せ、囁いた。

 

「二年前、あなたが選んだ組織の論理が正しかったのかどうか。……この事件で、たっぷりと答え合わせをさせてもらいますよ」

 

カンナは唇を噛み締め、深く息を吐いた。

「……撤収だ。一度本部に戻り、状況を再整理する」

 

「きょ、局長!?でも令状が……!」キリノが慌てる。

 

「レッドウィンターのトップが絡んでいる以上、この令状だけでは押し通せない。行くぞ!」

 

カンナは踵を返し、足早に大聖堂を去っていった。

その後ろ姿を見送るサキョウの目は、決して笑っていなかった。

 

____________________________________________

 

「……助かりました、サキョウさん。まさかレッドウィンターの議長という立場をああも鮮やかに使われるとは」

 

サクラコが深く頭を下げる。

ミネは「ふんっ、あんな犬ども、私が叩き出してやったのに」と鼻息を荒くしていたが、サキョウの巧みな交渉術には舌を巻いているようだった。

 

「喜ぶのは早いですよ、サクラコさん」

 

サキョウは再び懐中時計を取り出し、時間を確認した。

 

「ヴァルキューレの動きは一時的に止めましたが、問題は本丸です。あの令状に承認印を押した存在……トリニティの支配者たちですよ」

 

「ティーパーティー……」サクラコが沈痛な面持ちで呟く。

 

「ええ。彼女たちは明らかに、シスターフッドを見捨てようとしています。ゲヘナの侵攻を口実に、連邦生徒会とヴァルキューレの力を借りて、トリニティ内部の不確定要素であるシスターフッドを解体する。それが彼女たちの描いたシナリオでしょう」

 

「なんという卑劣な……!同じトリニティの生徒だというのに!」ミネが激昂し、シールドを床に叩きつけた。

 

「政治とはそういうものです、ミネさん」

 

サキョウは帽子を深く被り直した。

 

「さて、私はこれから少し、お茶会にお呼ばれしてこようと思います。美味しいロールケーキが出ると良いのですがねぇ」

 

「サキョウさん、まさかティーパーティーの元へ!?危険です、今のあなたはトリニティにとって……」

 

「ご心配なく、サクラコさん。私は外交使節団のトップです。彼女たちも、無碍には扱えませんよ。それに……」

 

サキョウは不敵な笑みを浮かべた。

 

「炭鉱のカナリアは、すでに放ってありますから」

 

____________________________________________

 

 

 

 

トリニティ総合学園、本校舎・特別迎賓室。

 

そこは、トリニティの実質的支配者であるティーパーティーが、特別な客人をもてなすために用意する豪奢な空間だった。

純白のテーブルクロスの上には、最高級のダージリンの香りが漂い、幾重にも重なるケーキスタンドには色とりどりの菓子が並べられている。

 

上座の豪奢なチェアに腰掛けているのは、現在のティーパーティーのホストを務める三年生、西園寺ルリであった。

プラチナブロンドの髪を美しく結い上げ、傲慢なほどに整った顔立ちには、他者を見下すような冷たい微笑が張り付いている。

 

そしてその後ろに控え、音もなく新しいティーポットの準備をしているのは、次期ホスト候補であり、情報収集や実務の多くを担う一年生___桐藤ナギサであった。彼女の瞳は常に周囲を観察し、一切の油断を見せない。

 

「……まさか、極北のレッドウィンターの最高議長殿が、このような辺境の学園に何の用ですの?それに、ずいぶんと……可愛らしい議長殿ですこと」

 

ルリはティーカップを優雅に傾けながら、目の前に座る小柄な「議長」に嘲笑とも取れる微笑みを見せた。

 

「ええ、どうしても西園寺ホストとお話がしたくなりましてねぇ。極北の地では、このような素晴らしい紅茶は手に入りませんので」

 

サキョウはルリの嫌味をどこ吹く風と受け流し、紅茶を一口啜った。

 

「素晴らしい香りだ。……ですが、少し苦味が強いですねぇ」

 

「あら、お口に合いませんでしたか?ナギサ、淹れ直しを」

 

ルリが顎でしゃくると、背後のナギサが静かに頭を下げた。

 

「いえいえ、お構いなく。ただ、淹れる者の焦りが茶葉に伝わってしまったのかな、と」

 

ピキッ、とナギサの肩がわずかにこわばり、ルリの眉間が不快そうに歪んだ。

 

「焦り、ですって?」

 

「ええ。例えば……シスターフッドという目障りな組織を、自分の手を汚さずに他者の力で排除しようという焦りが」

 

サキョウはティーカップをソーサーに置き、真っ直ぐにルリを見据えた。

 

「単刀直入に申し上げましょう、西園寺ホスト。ヴァルキューレの強制捜査に承認印を出したのはあなたですね?ゲヘナの雷帝がシスターフッド自治区を荒らし回っているのを知りながら、あえて放置した。そして、連邦生徒会が疑念を抱くよう誘導し、ヴァルキューレに踏み込ませる。シスターフッドがゲヘナと通じている、あるいは、地下に不穏なものを隠しているという名目で解体するために」

 

ルリはフッと鼻で笑った。

 

「証拠のない作り話を、他学園のトップが公式の場で口にするのは、外交問題になりかねませんわよ、杉下議長。それに、あの陰気なシスターどもが何を隠しているかなど、我々が知る由もありません」

 

「証拠ならありますよ」

 

サキョウは懐から、一枚の紙片を取り出した。

 

「これは、先ほどヴァルキューレのカンナ局長が持っていた令状のコピーです。承認印の横に、小さく特例事案につき、事後報告を可とするというティーパーティーの追記がある。通常、他機関がトリニティ内部を捜査する際、ティーパーティーは徹底的な事前審査を行うはずです。それが事後報告で良い?……これは、あなたが何をでっち上げても構わないから、早くシスターフッドを潰せとヴァルキューレに丸投げした証左に他なりません」

 

ルリの表情から余裕が消えかけた。その後ろで、ナギサの目が鋭くサキョウの持つ紙片を分析している。

 

「……それがどうしたというのです?シスターフッドは、かつてのアリウス派の残滓を隠し持ち、自らの手を血で染めてきた。そんな不純物は、今の美しきトリニティには必要ないのです。少し荒療治が必要なだけですわ」

 

ルリは冷酷に言い放った。

 

「不純物、ですか」

 

サキョウは冷ややかに笑った。

 

「自らの手を汚さず、他者を利用して同胞を切り捨てる。その行為のほうが、よほど不純に思えますがねぇ」

 

「なんですって……!」ルリが立ち上がりかけたのを、ナギサが「ホスト、お気を確かに」と小声で制した。

 

「それに、西園寺ホスト。そして……そちらの優秀な補佐役、桐藤ナギサさん」

 

サキョウの視線が、ルリからその後ろに立つナギサへと移った。ナギサは一瞬、息を呑んだ。

 

「あなた方は一つ、致命的な計算違いをしている」

 

サキョウは二人を交互に指差した。

 

「シスターフッドを潰せば、すべてが丸く収まると思っているようですが……ゲヘナの雷帝が、なぜあれほど執拗にシスターフッド自治区を狙うのか、本当にご存知ですか?」

 

「それは……シスターフッドの地下にある、アリウスの遺物を狙って……」ルリが口ごもる。

 

「違いますよ」

 

サキョウの声が、一段と低くなった。

 

「雷帝が狙っているのは、遺物などではない。二年前、シスター・イノリが守ろうとし、そして隠蔽した『設計図』……。その設計図の一部は、すでに雷帝の手に渡っています。彼女は今、ゲヘナの奥深くで『それ』を完成させようとしている。もしシスターフッドが解体され、地下の封印が完全に解かれれば、雷帝は残りのパーツを手に入れることになる」

 

ルリの顔が蒼白になった。「設計図……?何の話ですの、それは……」

 

ナギサが一歩前に出た。その顔には、隠しきれない焦燥感が浮かんでいる。

「杉下議長、お待ちください。その情報、我々の情報部では一切把握しておりません。出所はどこですか」

 

「おや、ご自分の情報網には自信がおありのようですねぇ、ナギサさん。ですが、あなたの放った犬たちは、ずいぶんと耳が偏っているようだ」

 

サキョウは悪戯っぽく片目を瞑った。

 

「最近、私の周囲で妙な噂が流れているようでしてねぇ。私がシスターフッドの副代表と、ヨハネの騎士と、三角関係にあるとかないとか」

 

ナギサの顔がサッと赤くなり、すぐに青ざめた。

 

「あなた方は、私が大聖堂に滞在している本当の理由を、そんな下世話な噂だと信じ込み、杉下は骨抜きにされているから脅威ではないと報告を上げたのでしょう?マジェスティ・テーラーの毅堂キツハからの定期連絡が途絶えたことにも気づかず……おかげで、私はこうして堂々とあなた方に会いに来ることができた」

 

「キツハが……まさか、あなたが……!?」ナギサが震える声で呟く。

 

「マリーさんの純粋な勘違いが、まさかティーパーティーの目眩ましに使えるとは。……やはり、細かいところは気にしておくものですねぇ」

 

サキョウは立ち上がり、帽子を被った。

 

「連邦生徒会、ヴァルキューレ、そしてティーパーティー。あなた方は、自分の足元で爆弾の導火線が燃え進んでいることにも気づかず、つまらない政治闘争に興じている。……実に滑稽ですねぇ。このままでは、トリニティはゲヘナの新たな力によって灰燼に帰すことになりますよ」

 

「待ちなさい!杉下議長!その設計図とは一体……!」ルリがヒステリックな声を上げる。

 

「これ以上は、ご自分でお調べなさい。あなた方はトリニティの支配者なのでしょう?」

 

サキョウは背を向け、扉へと歩き出す。

 

パタン、と扉が閉まる。

残されたルリは恐怖で肩を震わせ、ナギサは己の情報の甘さを呪うように、強く拳を握りしめていた。

彼女の心の中に、他者を決して信じない疑心暗鬼の種が、深く根を下ろした瞬間であった。

 

____________________________________________

 

 

同じ頃、ゲヘナ学園の深部、救急医学部の秘密病室。

 

生命維持装置の無機質な電子音だけが響く中、雷帝___雷坂ルシアは、眠り続ける友人の手を強く握りしめていた。

 

その後ろには、氷室セナが静かに立っている。

 

「……閣下。万魔殿の地下施設から報告がありました。『アトラ・ハシースの模倣品』、第一段階の起動テスト、成功したとのことです」

 

セナの報告に、ルシアはゆっくりと立ち上がった。

その瞳には、かつての純粋な不良少女の面影はなく、ただ冷酷な帝王の光だけが宿っている。

 

「そうか。……サキョウさんがトリニティに戻ったと聞いた。あの人は必ず、シスターフッドの秘密にたどり着く。その前に、残りのパーツを手に入れなければならない」

 

ルシアは己の手首の傷をなぞりながら、窓の外、遠く離れたトリニティの空を睨みつけた。

 

「サキョウさん……あんたは私の恩人だ。だけど、この子を救うためなら、私はあんたとも戦う」

 

ゲヘナの空に、黒い雨雲が立ち込めていた。

 

キヴォトス全土を巻き込む、巨大な嵐の前の静けさ。

杉下サキョウの推理は、まだ始まったばかりであった。

 

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