相棒 ーー杉下右京に憧れた転生者がキヴォトスで刑事になる話ーー 作:ほくほく亭ともを
トリニティとゲヘナの自治区を分かつ、中立地帯の無人駅。
夕日に赤く染まる空の下、古びたプラットホームには、秋の冷たい風だけが吹き抜けていた。
ベンチに深く腰掛け、項垂れているのは、かつてゲヘナの裏社会を恐怖で支配した「雷帝」___雷坂ルシアであった。
その傍らにあった覇気は見る影もなく、ただ己の無力さと罪の重さに押し潰された、一人の傷ついた少女の姿がそこにあった。
カツ、カツ、カツ……。
静寂を破るように、ホームの端からリズミカルな足音が響く。
ルシアが力なく視線を上げると、夕日を背にして歩いてくる小柄なシルエットがあった。ツイードのスリーピースに、見慣れたキャスケット。
「……何の用だ、サキョウさん。私を連行しに来たのか?それとも、敗者を嘲笑いに?」
ルシアの掠れた声に、杉下サキョウは静かに首を振った。
そして、ルシアの隣に、事も無げに腰を下ろす。
「いいえ。ただ、少しばかり電車を待ちながら、あなたとお話をしようかと思いましてねぇ」
サキョウは懐中時計を取り出し、秒針の動きを見つめた。
「……ルシアさん。あなたは、このキヴォトスという世界が、少し歪んでいると感じたことはありませんか?」
「歪んでいる……?何の話だ」
「私がレッドウィンターの最高議長に就任し、あなたが雷帝としてゲヘナの暗部を支配し、トリニティが内部分裂の危機に瀕している。……実はこれ、本来あるべき歴史の姿ではないのですよ」
サキョウはパチン、と懐中時計を閉じ、静かにルシアの目を真っ直ぐに見つめた。
「信じられないかもしれませんが、私は別の世界線から来た存在なのです。」
ルシアの目が微かに見開かれた。
「別の世界線……?あんたが?」
「ええ。本来の史実におけるキヴォトスは、このような血で血を洗う陰謀劇が蔓延る場所ではありません。もっと馬鹿馬鹿しくて、騒がしくて、けれど明日への希望に満ちた、透き通るような青春の世界です。……アマネさんも、あんな悲惨な目に遭う運命にはなかった」
アマネの名前が出た瞬間、ルシアの肩がビクッと跳ねた。
「私の存在という特異点が介入したことで、歴史の歯車が狂い、この世界線は本来のルートから大きく逸脱してしまった。あなたが雷帝という十字架を背負ったのも、シスター・イノリが地下にエデンの心臓を封印せざるを得なかったのも、すべては歪んだ歴史のバグに過ぎないのです」
サキョウは、傍らに置いていた小さなトランクケースに手を置いた。
その中からは、微かに黄金色の脈動が漏れ出している。
「ですから、私はこれを___エデンの心臓を使って、この世界を史実通りの正しい形へと修復します。」
「修復……そんなことができるのか?」
「エデンの心臓は、原初のエネルギー・コア。キヴォトス全土のヘイローと共鳴し、生徒たちの記憶と認識、そして事象そのものを書き換える力を持っています。これを正しく起動すれば、私が介入したことによって生じた悲劇はすべて無かったことになり、キヴォトスは本来の歴史のレールへと戻るでしょう」
その言葉の意味を理解したルシアは、ハッと息を呑んだ。
「……それなら、アマネも……!?」
「ええ。彼女も本来の歴史通り、元気な姿でゲヘナの校舎を歩いているはずです」
一瞬、ルシアの顔に希望の光が差した。しかし、それはすぐに深い暗い影へと変わった。彼女は強く拳を握り締め、サキョウに向き直った。
「……わかった。だが、サキョウさん。一つだけ条件がある」
「条件、ですか?」
「私の記憶だけは、そのまま残してくれ。」
ルシアの瞳には、かつての雷帝としての悲痛な覚悟が宿っていた。
「私がアマネを救うために手を染めた罪。傭兵を雇い、他者の命を奪おうとし、トリニティにミサイルを撃ち込もうとした事実。……世界が書き換わっても、私という人間の本質が犯した罪は消えない。だから、私だけは全てを覚え、一人でその罰を受け続ける。私が全ての責任を……!」
「それはなりません。」
サキョウの言葉は、静かだが、鋼のように固く、一切の反論を許さない響きを持っていた。
「ルシアさん。あなたは自分が悪役を引き受ければ、それで丸く収まると思っているようですが……それはただの自己満足です。それに、キヴォトスに刻まれた雷帝という存在の質量は、単に無かったことにして消し去るにはあまりにも大きすぎる。無理に消去すれば、世界の因果が崩壊します」
「因果が崩壊する……?では、どうするというんだ」
「歴史を調整するのです」
サキョウは夕日を見つめながら、静かに語った。
「あなたが造り上げた兵器や施設は、過去の時代の遺産として世界にそのまま残します。そして、人々の記憶には『かつてゲヘナには雷帝という名の恐ろしい暴君がおり、数々の危険な遺産を残したが……打倒された』という、仮初の歴史を植え付けるのです」
「私ではない、幻影の雷帝を仕立て上げるということか……?」
「ええ。そうすれば、遺産が存在する理由も、ゲヘナに残る爪痕の理由も辻褄が合う。そして、ルシアさん。あなたは雷帝としての記憶を失い、その幻影が残した遺産に振り回される、ただの普通の生徒に戻るのです。ティーパーティーも、連邦生徒会も、シスターフッドも、皆同じように」
サキョウは優しく、ルシアの震える手に自らの手を重ねた。
「私も、レッドウィンターの最高議長などという大層な肩書きは捨てます。歴史の修復後は、このキヴォトスの片隅で、ただの平凡な生徒として静かに過ごすつもりです。……史実に干渉せず、ただ彼女たちの眩しい青春を、特等席で眺めるだけの観客としてねぇ」
「サキョウさん……あんたは、それでいいのか?自分の手で成し遂げたことすら、すべて無かったことになるんだぞ」
「刑事にとって、事件が未然に防がれ、誰も涙を流さない世界こそが、最高の手柄ですからねぇ」
サキョウは柔らかく微笑んだ。
その笑顔は、今までルシアが見てきたどの探偵の顔よりも、温かく、そして純粋だった。
カンカンカンカン……。
踏切の音が鳴り響き、遠くから列車のヘッドライトがプラットホームを照らし出す。
それは、別の世界線へと向かう運命の列車のようでもあった。
サキョウはトランクケースの留め金を外し、ゆっくりと蓋を開いた。
中から溢れ出す圧倒的な黄金の光___エデンの心臓の輝きが、夕闇に包まれた駅のホームを、白夜のように眩く照らし出す。
「さあ、ルシアさん。重いコートはここに置いていきなさい。これからは、ただの不良少女として、親友と一緒に笑い合うのです」
光が世界を包み込んでいく。
ルシアの目から、今度こそ温かい涙が止めどなく溢れ出した。
「……ああ。ありがとう、サキョウさん……私の、最高の恩人……」
黄金の光が臨界点に達し、すべてが白く染まる。
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エピローグ:透き通るような世界
光が収まった後、プラットホームには誰もいなかった。
置き去りにされた黒いマントも、レッドウィンターの議長の証である腕章も、そこにはない。
キヴォトスの空は、どこまでも青く、澄み渡っていた。
ゲヘナ学園、とある教室。
「……でさー、聞いてよルシア!昨日万魔殿の連中が、また旧校舎の地下で雷帝の遺産とかいう変なガラクタを見つけて大騒ぎしてたんだって!」
窓際でポテトチップスを頬張りながら、アマネがケラケラと笑う。
「雷帝の遺産?あー、ゲヘナを牛耳ってたっていう暴君の?……そんな昔の幽霊にビビってないで、今日のサボりのルートでも考えようぜ、アマネ」
ルシアは呆れたように肩をすくめ、親友の持っていたポテトチップスを一枚横取りして口に放り込んだ。
彼女の顔に、かつての暗い影はない。ただの、少し口の悪いゲヘナの不良少女の笑顔がそこにあった。
「誰が倒したのか知らないけど、その雷帝をぶっ飛ばしてくれた奴らには感謝だな。おかげで私たちは、こうして平和(?)にサボれるわけだし!」
「違いない」
二人の笑い声が、平和なゲヘナの校舎に響き渡る。
一方、トリニティ総合学園では、西園寺ルリと桐藤ナギサが優雅なティータイムを楽しみ、シスターフッドではサクラコやミネ、ヒナタが穏やかな祈りの時間を過ごしている。
彼女たちの記憶の中にも、打倒された雷帝という歴史だけが、無害な知識として刻まれていた。
一方、トリニティ総合学園の自治区。
美しい並木道に暖かな木漏れ日が降り注ぐ中、シスターフッドのサクラコとミネが、他愛のない談笑を交わしながら歩いていた。
「……そうですか、ヒナタはまた大聖堂の備品を壊してしまったのですね」
「ええ。悪気はないのは分かっているのですが、あの怪力はどうにかならないものかと……ん?」
ふと、ミネが言葉を切った。
前方の雑踏の中から、一人の小柄な少女が歩いてくる。
ツイードのスリーピースに身を包み、目深に被ったキャスケット。彼女はすれ違いざまに、カチン、と手に持っていた懐中時計の蓋を閉じた。
ただの、見知らぬ他校の生徒。
ほんの一瞬、肩が触れ合うほどの距離ですれ違っただけ。
しかし、その少女が通り過ぎた瞬間、サクラコとミネの胸の奥に、言葉にできない温かい感情と、どうしようもないほどの深い安堵感がふわりと広がった。
まるで、絶対的な信頼を寄せていた誰かに、背中を優しく叩かれたかのような___。
二人は示し合わせたかのように、同時にピタリと足を止めた。
「今の……」
「ええ。なんだか、とても……」
振り返る。
しかし、行き交う生徒たちの波に紛れ、その小柄な背中はすでにどこにも見当たらなかった。
「あれ?」
サクラコが、不思議そうに首を傾げる。
ミネもまた、狐につままれたような顔で、誰もいない並木道の先を見つめていた。
記憶にはない。記録にも残っていない。
けれど、彼女たちが今この平和な陽だまりの中を歩けるのは、間違いなく誰かのおかげなのだと、魂の奥底だけが微かに覚えていた。
「どうしたのですか、お二人とも?」
後ろから駆け寄ってきたヒナタの明るい声に、二人はハッと我に返り、そして顔を見合わせて優しく微笑んだ。
「……いいえ、なんでもありません。さあ、大聖堂に戻りましょうか」
透き通るような青空の下。
歴史の歯車は正しく回り始め、少女たちの眩しい青春の物語が、今日もまた続いていく。
相棒 ーー杉下右京に憧れた転生者がキヴォトスで刑事になる話ーー
_________終__
これまでありがとうございました。これでこの物語はひとまず終りを迎えることになります。共同で考えてくれた我が友、そして読者様。ひとえに皆様のおかげです。
もし、読みたいシチュエーションなどがありましたら感想欄に送っていただけると幸いです。
それでは、春というにはもう暑くなってきますが、体調にお気をつけてお過ごしください。