冥様の為なら死ねる 作:ミズアメ
冥様の美しい髪に、丁寧に
普段からよく手入れされているのだろう。手触りは絹糸よりも滑らかで柔らかく、櫛に引っ掛かることもなく、もちろん枝毛もない。そしてほのかに良い匂いがする。
放課後、こうして冥様の髪のお手入れを任せて頂く――私にとって至福の時間だ。
髪を丁寧に編み込んでいると、されるがままになっていた冥様が不意に口を開いた。
「―――そうだ。
「週末ですか? 特に任務もなくて暇ですけど……」
「それはよかった。なら、ちょっとデートに行かないかい? どうかな?」
「―――絶対行きます! 行かせて下さいッ!」
一も二もなく頷く。首がもげそうなくらい激しく頷く。
そんな私の様子を歌姫と悟が呆れた様子で見ているが、知ったことじゃない。あの冥様から直々にデートに誘われたのだ。こんなに嬉しいことはない。それこそ死んでもいいってくらいだ。
「フフフ。可愛いね、君は。日程は追って連絡しよう」
「はいっ! 楽しみにしてますっ! あ、髪のセットも終わりました。どうですか?」
「ありがとう。相変わらず甚弥の仕事は丁寧だね。文句の付け所もない。今のところ、私が髪を預けられるのは君だけだ。誇っていいよ」
「……! 恐縮ですっ! ありがとうございます!」
お手入れさせて頂くだけでも恐れ多いというのに、こんなお褒めの言葉を賜ってしまうとは……!
あまりの嬉しさで昇天しそう!
……そんなこちらの様子を、少し離れた所で観察している同級生一名と部外者一名。二人は半眼で、心底呆れた、という風にこそこそと囁き合っている。
「……あ~あ、みっともない。甘ったる過ぎて見てらんないわ」
「アレを見てるとつくづく思うよ。『愛ほど歪んだ呪いはない』ってさ」
うるせぇぞ聞こえてんだよほっとけ!
っていうか普段は険悪な癖に、こういう時は仲良いのね君達!
いや、一方的に歌姫が悟を嫌っているだけだけど。どっちかっていうとトムとジェリーの類だよね。仲良く喧嘩しろ。今すぐ喧嘩しろ。
「まったく、うるさいってのよお前等。―――そもそも五条悟。お前、なんでここにいるの」
ここは東京都立呪術高等専門学校。その敷地内にある寮のテラスだ。
もう放課後とはいえ、14歳の中学生がいていい場所ではない。
それが
しかし当の悟は全く気にした様子もなく。ヘラヘラと、軽薄に肩を竦めて見せる。
「そりゃもちろん、俺も高専に入る予定だから。入学する学校の下見なんて、学生なら当然でしょ。ってか、このやり取り何回目だよ。歌姫といい甚弥といい、どうでもいいことに拘んだね」
「―――おいゴルァ! 呼び捨てにすんな中坊! 敬語使え敬語ッ!」
「お~コワ。いきなりキレんなよ歌姫。ヒスはモテないよ?」
食って掛からんばかりに掴みかかる歌姫を、ひょいと軽く躱す悟。やっぱりトムとジェリーだ。仲良く喧嘩しな。
……それにしても分からない。
現代最強の呪術師と呼び声が高い五条家当主様が、わざわざ呪術高専なんぞに入り浸っている理由。私みたいに家に嫌気が差して逃げ出したとか、何かしら事情があるなら分かるけれど――今のところ、彼の周りでそんな話を聞いた覚えはない。
なんでこんな所で油売ってるんだか。
普通に五条家で呪術師をやっていれば安泰だろうに。
……まあ、呪術界の古い家なんてどこもクソだし。家より外の方が居心地がいい、というのは理解できるけど。
私は呪術界御三家の一角――禪院家の生まれだ。
名前は
あの日、あの瞬間のことは今でも鮮明に思い出せる。
二つ学年が上の先輩――冥冥様。
女性らしくもユニセックスな雰囲気の香る佇まい。
上等な絹を
奈落みたいに吸い込まれてしまいそうな――紫色がかった、ミステリアスな黒い瞳。
薄くも艶やかな麗しい唇。
そして
彼女は私にとって偶像に等しい。推しに推せる崇拝の対象だ。あの人の為なら火の中だろうが水の中だろうが、呪霊の群れの中だろうが躊躇いなく突っ込める。お金だって幾らでも貢げる。というか貢いでる。
年中投げ銭しまくってて金欠気味だけど、後悔はしていない。
―――冥様の為なら死ねる。
私の好意を知った上で、容赦なく金を絞れるだけ絞る魔性の女・冥様。そんな所が素敵。一生推せる。尊過ぎてほんと無理。しかもそんな彼女とデートできるだなんて……! 生きててよかった! 私はもう死んでもいい! いややっぱりデートが終わるまで生かして下さいお願い神様―――!
「……またトんでるわね、この馬鹿」
「甚弥の冥さん好きも筋金入りだよね、ホント。冥さん的にはどうなの? ぶっちゃけ引かない? アレ」
「フフフ。引くだなんてとんでもない。甚弥は可愛い後輩だよ」
「―――FOOOOOOOOOO!」
「「うるせぇ!!」」
思わぬご褒美を貰ってしまい、奇声を上げる私。
歌姫と悟に割と本気めに怒鳴られるけど、知ったことじゃなかった。
ああ、気持ちがそわそわして落ち着かない。時間の経過が早いような、物凄く遅いような。奇妙な感覚に襲われる。天にも昇る心地ってこんな感じかな。
そのまま何日か経過して―――
―――至る現在。デート当日ッッッッッ!
羽田空港で待っていると、冥様がやって来た。
喪服めいた、見慣れた呪術高専の制服姿だった。
今日も冥様は美しい。きっと明日も美しいぞ!
「おや。早いね、甚弥。待たせてしまったかな?」
「いえいえ、そんなことないですよ! 私もついさっき着いた所なので!」
本当は午前五時から空港の前でスタンバイしてました。眠れなくて。だけどここは言わぬが華である。
「あ、荷物持ちますね」
「フフッ、ありがとう」
紫のスーツケースと、布で包まれた物体を受け取る。
この謎の物体の全長は人の背丈くらいあった。重量もある。これ空港の荷物検査通るかな……と少し不安になった。
「さて、それじゃあ行こうか。愛媛県の御山まで観光がてらハイキングだ。事前に連絡した通り、場合によっては何日か向こうに泊まることになると思うけど……構わないね?」
「もっちろんでっす!」
むしろ望む所であった。
―――で。
数時間のフライトを経て、愛媛県は松山空港に到着。そこから電車やら新幹線やらバスやらを駆使して、
ここに来るまでに冥様とのキャッキャウフフな甘酸っぱい出来事が色々あったりなかったりしたのだけれど、それは私だけの秘密である。大切な思い出として、胸の裡にそっと仕舞っておくのだ。誰にも見せないよ!
「ここが石鎚山。西日本最大の霊峰だよ。流石は『伊予の高嶺』。ここからでも素晴らしい眺めだ。心が洗われるようだね」
「おー! ほんとに凄いですねー!」
素直に感嘆の声を漏らす。
見ているこっちが圧倒されるほどの大自然だ。
巨大な山脈が見渡す限りどこまでも続いていて、山の上の方ですら端から端まで見通すのは無理そうである。野鳥の鳴き声も聞こえたりして、なんだか長閑だった。癒される。
―――カァ、カァ、カァ
聞き慣れた
あと人通りも少ない。というかマジで誰もいない。
平日とはいえ、ここは観光名所の筈。流石に不自然な気がするけれど――まあ、いいか! 今日は冥様とのデートなのだ。全人類が気を利かせて登山を自粛してくれたに違いない! うん、きっとそうだ!
兎にも角にも。
私は京都生まれ京都育ちなので、都会よりもこういう場所の方が馴染み易い。空気も美味しいしね。
「それじゃあ早速、登ろうか。頂上の天狗岳は標高にして1982メートル。この土小屋から山頂まで片道4.6キロメートルもある。通常の登山コースなら二時間程度で終わるけれど、今回は色々と見て回りながらになるからね。のんびりしていてはあっという間に日が落ちてしまう。急ぐよ」
「了解です!」
御山に向かって悠然と歩きだす冥様。
その後を追う。
荷物は宿に置いてきているので、私自身も今は身軽だ。精々が背中に背負っている布の包みくらいのものである。
我ながら、かなり舐めた登山客だと思う。
二人とも学生服だし。
まあ私も冥様も、仕事柄山登りには慣れている。問題はない。
「……いま訊くことじゃないとは思うんですけど」
辺りの景色を見やりつつ、口を開く。
「冥様。前の連絡で言ってましたけど……今回の旅費とか宿代とか、諸々の費用は冥様持ちで、私は支払わなくていいって話でしたが……本当にいいんですか? 率直に言って、なんか怖いんですけど」
おそるおそる訪ねてみる。
信じられないことに、冥様は「うん」と頷いた。
「普段の私の振る舞いを知っていれば、怖がってしまうのも無理はないね。だけど、君には日頃から
「そんなことないです! 光栄です! ありがとうございますッ!」
「フフフ、それはよかった。甚弥のそういう素直なところ、私は好きだよ。まあ、これは私から君への投資だと思ってくれればいいよ。……で、他にも訊きたいことがあるんじゃないかい? そんな顔をしているように見えるけど?」
立ち止まり、冥様がこちらへ手を伸ばした。
細く
冥様はスッと顔を寄せて、私の目を覗き込んでくる。
彼女の一挙手一投足、全ての仕草にドキリとする。
「あー……じゃあ、訊いちゃいますけど。今日この山に来た目的ってなんですか?」
「もちろん
ククッ、と。明らかに含みを持たせた言い方をする冥様。
ただのデートではないってことか。分かってはいたけど。
私が運んでる包み、どう考えても斧だしねコレ。
絶対、呪い絡みの案件だ。
「呪術総監から依頼があってね。なんでもこの御山の山頂付近で呪胎の出現が確認されたらしい。呪胎が変態を遂げた場合、少なく見積もっても準1級以上の呪霊に成ると推測される。そこで準1級術師である私に白羽の矢が立った訳だけれど――流石に不安でね。特別1級呪術師である君を誘うことにしたんだよ」
「……今はただの4級術師ですよ」
「おっと、そうだったね」
くつくつと、楽し気に笑い、おどけたように軽く肩を竦める冥様。
なんてチャーミングなんだ。実に可愛らしい。
―――さて。
黒鳥操術――それが冥様の生得術式だ。
名前の通り
そして呪術師の身体能力も呪力による肉体強化も、鍛えていれば永遠に向上し続ける――なんて都合のいい代物ではない。努力が報われるとは限らないし、誰だって必ず壁にぶち当たる。今以上は強くなれないという限界に。
彼女自身が口にした通り、現在の冥様の等級は準1級。
その辺りで頭打ちになる術師は多い。
一方で、それ以上の力を持つ術師も当然いる。その筆頭が五条悟だ。下を見たって
1級呪術師とは、他の術師――延いては呪術界を牽引していく存在。
要はエリート中のエリートだ。
彼等が負い、また得られる危険・機密・俸給。どれを取っても、準1級以下とは比べ物にならない。
そして呪術師という稼業においては、あらゆる意味で強いに越したことがない――というのが、純然たる事実であり。決して揺らぎようのない現実だった。
呪術師は簡単に死ぬ。
相手が呪霊であれ、呪詛師であれ。戦う以上、弱ければ死ぬのだ。
術式が弱いというのは、それ自体が凄まじいハンディキャップであると言える。
……まあ、私も人のことは言えないんだけどね。
私の術式は禪院家相伝の術式の一つだけど、端的に言って『ハズレ』の部類だ。使い辛い上にクソ弱い三流術式。実際、私と同じ術式持ちの術師が当主になったことは一度もなかった。
それは兎も角。
「……さっき、費用は冥様が負担するって言ってた意味が分かりましたよ」
つまり経費で落とす訳だ。
ちょっと拗ねた私に対し、冥様は悪戯っぽく微笑む。
「もちろん、君とのデートも楽しんでいるよ。むしろ私としてはそちらが本命のつもりだ。さっきも言った通り、任務はついでだよ、ついで」
「え~、ほんとですか~?」
「本当だよ。これもさっき言ったけれど、私はこれを投資だと考えている。私を慕う君をより虜にできたのなら、そこから得られる利益は大きなものになるだろうからね。私は君を買っているんだよ―――元特別1級呪術師の、禪院甚弥?」
「……いやいや、ですから今はただの4級術師ですって」
「謙遜するじゃないか。君は本当に可愛いね、甚弥」
くつくつと、楽し気に笑う冥様。可愛らしい。
冥様にとって命の価値とは、用益潜在力――財産価値がなくとも収益が期待できる能力のことである。そういう意味においては、先程の彼女の言葉は最大の賛辞であると言っていい。
嬉しい。
あまりの嬉しさでトびそうだった。
それから一時間と五十分くらい経った。
談笑を交えつつ、風景や鳥を観察しながら楽しく山登りをしていたところで。
「―――着いたようだね。監視をしていた補助監督の“帳”だ」
冥様が、目の前に出現した黒いドームを見上げて呟く。
それは山の頂きよりも更に高い青空から広がって、山の一部をすっぽりと飲み込んでいた。
ドロドロとした液体のような見た目。触れると、やはり液体に手を浸したような感触と音がする。薄い膜上に広がった呪力の結界を、私と冥様は静かに素早く潜り抜けた。
途端に周囲が暗くなる。
昼間だというのに、夜になっている。
これこそが“帳”。呪いを人目から隠し、呪霊を表へ
⦅―――あのぅ、道、みちみち⦆
早速出て来た。
呪霊の気配だ。
「甚弥―――」
「―――はい。どうぞ」
背負っていた布の包み。その覆いを外し、中の大斧を冥様に差し出す。重量にして三十キロを優に超えるだろうソレを、冥様は軽々と片手で受け取った。
斧を構える冥様の姿は凛々しく、美しい。
「来るよ。準備はいいかい、甚弥」
「押忍! いつでもいけますっ!」
斧を構える冥様とは反対に、私は丸腰だ。しかし何の問題もない。元より私は戦闘で得物を使わないからだ。
鍛え上げた肉体と呪力こそが、私が持つ最大の武器である。
―――気配の源は、山道から外れた森の中。
木々を圧し折り、押し倒しながら――呪いが、現れる。
⦅道、みちをぉ、お聞きしたいんですけどぉどどどど!⦆
それは、あまりにも巨大だった。
全高は目測で十メートルくらい。全長となればその倍はあるだろうか。六本足の獣の姿をした青黒い化け物で、両の口元には龍の
大きさと呪力量からして、2級呪霊ってところかな。
そしてそいつの周りには、3級以下の雑魚が左右に五体ずつ――合計で十体ほど群がっている。
「デカいのは私がやります!」
「ふむ。それなら私は、取り巻きの方を片付けるとしようか」
宣言と同時に駆け出す。
⦅おおおぉぉおおおおおおおおお!⦆
近付くこちらの先手を打ち、呪霊が前肢を振り上げた。
大木ほどの太さと大きさを持つ腕が、振り下ろされる。
私は横に跳んでそれを回避。
当然、それで終わりなんてことはない。呪霊は横に逃げた私に合わせて、地面に叩き付けた腕を使い、横薙ぎの一撃を放った。
だが、鈍い。
上へ跳躍して避ける。そして呪霊の腕に着地。そのまま腕を道代わりに駆け上がって接近し、その間抜けな横面に拳を叩き込む。
⦅をををッ!⦆
「一発じゃ祓えないか。思ったより頑丈なやつ―――!」
鋭く言葉を切り、再び跳躍。私を捕らえようとした呪霊の腕を躱す。
見た目に違わず随分とタフネスな奴だ。それでもこの手応えからして、あと何発か入れれば祓えるだろう。術式を使うまでもない。
しかし、それはスマートじゃないよね。
冥様の前なのだ。できれば格好付けたい。ここは速攻で仕留めよう。
もちろん、術式は使わないけど。
私は空中で一転し、呪霊の頭に片腕で着地する。そして呪力を練り上げた。
負のエネルギーである呪力と呪力を己の中で掛け合わせ、正のエネルギーを生み出す。その力を、呪霊の頭部へと直接ブチ込んだ。
―――ザフッ
断末魔を上げる暇すら与えない。呪霊は、その巨体が嘘であったかのように、呆気なく祓われた。後には消失反応の塵が残るのみで、それも間もなく消える。
難なく着地する。
辺りを見回すと、既に事は済んでいた。
十体の呪霊をほぼ同時に祓ったのだろう。十体分の消失反応が目視で確認できる。冥様の活躍を見逃してしまった……己の不甲斐なさに涙が出そうだった。
「反転術式――相変わらず、凄い威力だね。対呪霊戦において、君の右に出る者はいないだろう。流石は特別1級術師だ」
「だから今は4級術師ですってば」
間違いなく
自慢ではないのだけれど――反転術式が使える術師というのは貴重だ。更にそれをアウトプットできる者となるともっと少なくなる。少なくとも私の知る範囲では、これができるのは私と硝子くらいのものだった。
ちなみに、私が冥様に重宝され可愛がられているのもこの辺りが理由だったりする。
使えて良かった、反転術式!
「さて――行こうか。走るから遅れないようにね」
「はい!」
斧を担ぎ、冥様が駆け出す。私はその後を追った。