冥様の為なら死ねる 作:ミズアメ
石鎚山―――
日本七霊山の一つとして数えられる神聖な御山であり、修験道における山岳信仰の崇拝対象でもある。
また天狗の伝説や、山そのものを神体とし神格化した石鎚大神など、数多くの逸話と伝承を持つ。特に奈良時代には修行道場としてその存在が知れ渡っており、彼の空海や役小角などの高名な呪術師がこの地で修業を行ったと言い伝えられていた。
その性質から霊峰石鎚山とも呼ばれ、古代から現代にかけて、呪術界はもとより、一般人達の間でも登山やパワースポットの名所として知られ親しまれている地である。
その石鎚山が――今日、惨劇の舞台となる。
「……呪胎に変化は無し、か」
山頂よりも更に高く。青空を背景に浮かぶ呪霊を、2級呪術師の男が見上げている。
呪胎。
その名の通り、呪霊の幼体である。外観は鳥の卵に似ていて、内部で三つ目の黒い鳥の雛のような姿をした呪霊が、胎児を思わせる格好で身体を丸めていた。
この場には彼を含め、五人の人間がいた。
いずれも呪術高専の関係者である。発生した呪胎の監視が任務だ。呪術師は彼だけで、残りは補佐や外部との連絡を行う補助監督である。
2級呪術師である彼の仕事は、呪胎を刺激せず、低級呪霊から補助監督達を護ること。そして――万一の事態が発生した場合、命を賭してでも呪霊を祓除することである。
「―――はい。はい。分かりました」
無線機で外部と連絡を取っていた補助監督の一人が、呪術師の下へ駆け寄る。
「
「了解した。……はぁ、早く来てくれ……」
「お疲れ様です」
ぼやくと、傍にいた補助監督の女性が労いの言葉を掛けた。
「私達の為に、お手数を掛けて済みません。この仕事が終わったら、皆で一緒に食事にでも行きましょう」
「はは、ありがとう。楽しみにしてるよ」
呪術師は軽く愛想笑いで応じる。
緊張は全く癒えない。腰に差した刀――呪具を握る手は、万力の如く鞘を締め上げていた。背筋は氷柱を突き刺されたかのように冷たく、しかし全身から汗が噴き出している。呼吸が苦しいのは、決して標高1000メートル以上の高山にいることが原因ではない。
呪胎が変態を遂げた場合、その等級は低く見積もっても準1級以上。
2級呪術師である彼には手に余る相手だ。かと言って、迂闊に攻撃を仕掛ければどうなるか分からない。もしも仕留め切れなかった場合、その場で呪胎が成体になる可能性が高いのだ。
彼は生得術式を持たない、基礎的な呪力操作とシン・陰流のみで戦う呪術師だ。
そんな彼に――確実に、一撃で呪胎を祓うことが出来るのか。答えは否だと、彼自身が理解している。だから余計な手出しはせず、時折現れる低級呪霊の祓除のみに努めていた。
(もう一踏ん張りだ。頼むから成体にはならないでくれよ……―――ん?)
不意に、山頂へ向かってくる気配を感じて、呪術師は身構える。
昇って来る呪力の気配は、一つ。
一つ、というのが気に掛かった。
「……なあ、補助監督さん。引き継ぎ相手は二人だったよな?」
「そ、その筈ですが……」
「……嫌な予感がする。アンタ達は後ろに退がっててくれ」
数歩前に出てから腰を落とし、片足を半歩後退。右手を柄に据える。
居合い腰の構え。
シン・陰流の戦形だ。練り上げた呪力を鞘の中で巡らせて、いつでも『抜刀』出来るように構えている。
果たして――現れたのは、二人の男だった。
どちらも登山の観光客には見えない。無論、呪術高専に所属する生徒でもない。
一人は洒脱な白のダブルスーツに革靴という、登山には到底適していない格好をしている。もう一人はよれた黒いスウェットシャツに同色のズボンという、自宅からそのまま散歩しに来たかのような、あまりにもラフな服装だった。
対照的な印象の二人。
二人は人相もまた異なる。どちらも顔立ちは端整だが、白いスーツの方は仏像を思わせる虚無的な笑みを顔に張り付けているのに対して、黒い男はどうでもよさそうにぼうっと景色を眺めている。
方や、糸のように細い目が孕む感情の色は、侮蔑。
方や、切れ長の鋭い目付きが宿す感情は、無関心。
二人は何やら、話をしているようだった。
「―――アレが目標の呪胎です。呪力の無い猿に視えるものではありませんが、貴方は天与呪縛で呪いに耐性を得た世にも珍しい猿だと聞いています。どうですか? 視えますか?」
「うるせぇなぁ……アレを殺して、核になってる呪物を回収すんだろ? さっさと済ませろよ」
「……それは貴方の仕事ですよ。何の為に高い報酬を払っていると思っているのです」
「ハッ、お前ら
「…………」
「分かったらお前がやれよ。俺は適当にその辺で時間潰してるわ」
「チッ……」
ひらりと片手を振って、山頂の景色を一通り眺めてから、黒い男は踵を返して険しい岩山を降りて行く。
その足取りは公園の遊具で遊ぶ子供よりも軽やかだ。登山用に整備されたルートを外れ、歩行が困難な場所を歩いているのだが、速度は完全に一定。宣言通りに、本当に標高1982メートルの御山を散策している。
「まったく――仕方がない……」
男は、傍らの虚空へと声を投げた。
―――否。虚空ではない。
いつの間にか、呪力で形成された鬼神――式神が姿を現している。
ソレは、犬の形をしていた。
白い毛並みに、赤い目玉模様が斑に入った姿。手足はなく、首から下は鬼火を思わせる霊的な形状をしている。
犬は赤い目を嬉しそうに細めて、主の命令を待っている。
「―――――さて。呪術高専所属の呪術師の皆様、御機嫌よう。出会ったばかりで誠に申し訳ないのすが……貴方方には、ここで死んで頂きます。―――『
如何にも優し気な声音で、最悪の命令を告げる。
斑尾と呼ばれた呪いの犬は、とても嬉しそうに一鳴きして。そして――その本性を露わにした。
強大な呪いを前にして、呪術師は―――
(あーあ、こんな仕事引き受けるんじゃなかった)
絶対に敵わない敵。
それに遭遇した己の不運を嘆き、その負の感情を呪力に変えて。呪術師として、呪詛師を討つべく果敢に戦ったのだった。
* * *
「おっと――そろそろだね」
山を駆け上がりながら、冥冥が言う。
石鎚山は非常に険しいことで有名であり、コースにもよるが、基本的に中級者から上級者の登山客向きであるといわれている。しかし冥冥と甚弥の両名は息すら乱れていない。
呪霊を祓いながらの強行軍だというのに、話すほどの余裕があった。
二人は石鎚山山頂に辿り着いた。
険しく急勾配を描く岩場の斜面と、それを覆う緑。二人は使用しなかったものの――参道には鎖が掛けられており、余程登山に熟練しているか、あるいはそれこそ修験者でもなければ登るのは困難である。
頂には石鎚神社奥宮・頂上社が鎮座していた。
絶景だ。
標高1982メートル。どこまでも続く緑と、澄み渡る青空を一望できる。石鎚大神が御降臨する磐境。まさしく神聖にして荘厳なる聖地だった。
その聖地が――人の血によって穢されている。
「―――クソッ!」
強く歯噛みして、甚弥が毒吐く。
明らかに致死量と分かる凄まじい量の血糊が、至る所に飛び散っている。恐らくは五人分。残穢からして、この場で戦闘があったことと、その人物が既に死んでいることは間違いない。
だが、犠牲者の遺体はどこにもなかった。
その代わり、惨劇の中心に――ひとりの男が立っていた。
洒脱な白いスーツを着た、高身長の男。
整った顔立ちの、如何にも優男風といった出で立ちをしているが、その全身から立ち昇る呪力はあまりにも凶悪で禍々しい。その男の性根を、実に端的に表していた。
間違いなく、呪詛師。
それも準1級以上の。
「おや? 高専の応援ですか。だとすれば遅かったですね」
慇懃に挨拶する男。
敵意は感じられないが、その一挙手一投足に目が離せなかった。
「これをやったのはお前か」
怒気を剝き出しに――しかし、決して呪力を無駄に漏出することなく――甚弥が男に問いを投げる。
男は、鼻で笑った。
あまりにも青いと、侮蔑している。
「その通りです。邪魔でしたので、片付けさせて頂きました。コイツにはどんな食事でも残さず食べるよう教育しているのでね。奇麗なものでしょう?」
答えて、男は傍らに座した犬の頭を撫でる。
異常に巨大な犬だった。
軽く見積もっても二メートルはある。白い毛並みには、赤い目玉紋様が斑に入っていた。四肢は太く強靭で、大木であろうと容易に圧し折ってしまえるだろうことは想像に難くない。
式神――『斑尾』の戦闘形態だった。
禍々しい光を宿した赤い目玉が、冥冥と甚弥を
「ほう、犬神とは珍しい。良い術式を持っているじゃないか。羨ましいね」
「知っているのですか。これはこれは、随分と博識なお嬢さんですね」
男は言葉遣いこそ丁寧だが、心根で相手を馬鹿にしているのが見えて透けている。慇懃無礼を地で行く性質のようだった。
―――
名前の通り、犬を用いて実行される呪いである。
生きた犬を材料として造り上げた呪物を使い、敵の財産を奪い呪い殺す。蠱毒と呼ばれる呪いの一種であり、平安時代には広くその存在が知られていた。
「申し遅れました。私の名は
「フン、呪詛師の知り合いなんていらないね」
顔を
彼女は呪術師にしては珍しく根明で人懐っこい性格をしているが、その分、何の罪もない人々を傷つける者を嫌悪する。その被害者が呪術高専に所属する仲間ともなれば尚のこと。
正義感の強い、真っ直ぐとした少女だ。
本当ならば直ぐにでも叩き伏せたいところだが―――
「……冥様」
「ああ。呪胎の姿が視えないね。残穢からして、あの呪詛師が祓ったようだ。高専の術師を殺したついでに祓った――とは流石に考え難い。そもそも何故、呪詛師が『このタイミング』で『こんなところにいるのか』が疑問だ。向こうにも何か目的があってここを訪れたと考えるべきだろうね」
「つまり――まずは思いっ切りぶん殴って、情報を吐かせる、ですね?」
「その通り」
にっこりと笑って――大斧を後方に流した脇構えの戦形を取りつつ、冥冥が
合わせて、甚弥も左手を構えた。
前方へ掌を向けて、五指を地面に垂らす――与願印の相。
掌印を起点として呪力が膨らむ。甚弥の掌から黒い球体が生え、それはみるみる大きくなっていき――人の頭ほどの大きさになったところで、ポンッ、と妙に間抜けな音を立てて掌から飛んだ。
禪院甚弥の式神――名を『
真っ黒な球体に、後ろから三鈷剣を突き刺したような姿の異形。
鯰面と牛面を足して戯画化したかのような、間の抜けた醜い顔。点みたいに小さい赤い瞳を中心に収めた大きな丸い眼球は、半ば飛び出している。またとんでもなく大きな口を持ち、その比率といえば、優に体の半分以上を占めているほどだ。
口内には、鋭い牙がズラリと並んでいる。
下面には突起状の短い脚が四本あり、頭の両側面には牛の角、後ろには爬虫類に似た形の短い尻尾が生えていた。
それが追加で二体、召喚される。
(不細工な式神ですね)
(相変わらず不細工な式神だね)
人知れず、呪詛師と呪術師の思考が一致する。
甚弥が戦闘態勢を整えたのを見計らって、冥冥は改めて口を開いた。
「手早く片付けよう。甚弥、君は術師の相手を。式神は私が受け持とう」
「押忍ッ!」
甚弥の威勢の良い応答を合図として、二人同時に駆け出す。
戦いの火蓋が、切って落とされた。