雨が降る。
どうすればよかったのか。
いつだって、取り返しがつかなくなってから、わかる。
*
——他愛もないステージだった。
いや、ステージと呼ぶことすらおこがましいような、
周りには、枯れ木も山の
そんな、お手製の、
手には砂糖菓子の入っていたプラスティックのマイクを模した容器。
伴奏もなしのアカペラ。
一生懸命角度を調整したであろうデスクライトをスポットライトに。
そんな2人だけのコンサート。
兄は言ってくれた。お歌の先生には、何度も「向いていない」と言われたけれど。
「ボクはロビン、キミの歌が大好きなんだ。だから、先生に怒られたくらいで諦めないで!」
不思議だった。
「――絶対、ロビンの夢は叶うよ。こんな……お粗末なステージなんかじゃなくて、銀河中の人々に”調和”を、平和の大切さを伝える。そんなステージにキミなら立てる。ボクはそう信じてる!」
指は
だから、なろうと決めた。
あの日の兄が自慢できるような、
銀河で1番の存在に。
——きっとあそこが原点なのだと、ロビンは思う。
映像が乱れるようにセピア色の思い出から切り替わる。
――聞いてる? ロビン。
――……ごめんなさい。もう1度お願い。
専属のアーティストにヘアセットとメイクをしてもらいながら、メイク室に備え付けの鏡越しにマネージャーが呆れたように嘆息して、本日のスケジュールを繰り返す。
――もう。今日は忙しいわよ。新曲”Sign”のプロモでこれから歌番組の収録。終わったらラジオのゲスト。そこからレコードショップで発売イベント。合間合間でライターさんと女性誌の編集者さんがインタビュー。あとはランキング入り間違いなしだから、嬉しいリアクションコメントも撮影しないと。それが終わったら、プレゼント企画用のレコードとポスターに直筆サインを書く生配信。
――……あの件はどう?
――あの件? あーなんか探している人がいるって話ね。このプロモーション期間が落ち着いたらちゃんとそういう専門のとこに依頼してみるから、今はこっちに集中して。
――……はい。
――しっかりしてよね、
——あなたは銀河の歌姫、ロビンなんだから。
街を歩けば、至る所に自分の顔の映った広告が貼られ、
子どもたちが鼻歌で自分の歌のメロディをなぞり、振り付けをマネをしている。
銀河で最も
そのステージの上から見渡した、この世とは思えない光景は脳裏に焼き付いている。
鳴り止まない、万雷の拍手。
今、この奇跡に居合わせることのできた感謝が笑顔から伝わってくる。
ファンたちはペンライトをかざし、口々に自分の名前を叫ぶ。
ありがとうと、結婚してくれと、明日もがんばるよと、めいめいが思いの丈を添える。
疑う余地はなかった。
全身の総毛が立った。
――ああ、
やっぱり、確かに、
希望には羽があり、世界に光はあるんだと思わせてくれた。
「最後に聴いてください。
――”傷つく誰かの心を守ることができたなら”」
――きっとあそこが到達点だったと、ロビンは思う。
そうして、夢は叶った、はずなのに。
めでたしめでたしで話は終わらず、現実は続く。
相も変わらず、戦争も紛争も
なぜよぎるのだろう。
これでよかったのだろうか、
このままでよいのだろうか、
本当に、って。
――過労ですな。
清潔なベッドの上で目を覚まして、白いもじゃもじゃのヒゲが顔の下半分を侵食している医者が端的にそう述べた。
その横で頭を何度も下げて、神妙な顔をしているマネージャーがいる。
――おまけに声帯を酷使しすぎですな。炎症が常態化しかけている。しばらく休養なされよ。
――そん、な……なんとか、なりませんか、先生⁉
――無理でしょう。ワシは神でもなければ、
――い、今は、だ、大事な時期で……。
――手遅れになってからでは遅い。未来を惜しむのなら、再度申しましょう。しばらく休養なされよ。
去って行くその医者の背中を見送りながら、
自分が最後の仕事を終えて、帰りの支度をしようとしているときに、身体に力が入らなくなって、
それで、意識が遠のいていったことをロビンはようやく思い出した。
*
――歌がうたえない。
端的に言えば、それだけなのに。
色を失うとはこういうことかと痛感した。世界がモノクロになった気がした。
あれほど矢のように過ぎ去っていた1日という時間を持て余すようになった。
鍵盤を
部屋を出ようにも、『活動休止』を発表して以降、家の近くではパパラッチたちが目を光らせている。変装でどうにかごまかせても、短時間の外出が限界で、1日中たとえば行ってみたかったおしゃれなカフェや美術展などに足を運ぼうものなら格好の
兄とも出来ることなら、たまに送りあっている手紙ではなく、生の声が聞きたかった。だけど、それはあの日家を出るとき、自分に誓った約束を破ることになってしまう。それだけはできない。
理由は他にもいくらでも思い浮かぶ。
今の自分の本当の状況を知ったら、あの優しすぎる兄のことだから心配の余り倒れてしまうかもしれない。まして、今や”ファミリー”の若き当主として、5大クランを率いる立場となったばかりだ。その重責は察して余りあるべきで、これ以上あの
結果として、
誰ともコミュニケーションを取らず、ソファの上で膝を抱えて過ごす日々。
自分が、翼の折れてしまった鳥のように思えた。
――空を飛べない鳥に意味はあるのだろうか。
今日もまた気づけば、陽が落ちてしまった。
ほどなくすれば今日という
触らず、机に置いていたスマホが目に入る。
そうだ。
しばらく、あまりに忙しすぎて考える暇などなかったけれど。とロビンはバッテリーの切れていたスマホに慌てて充電ケーブルを差し込んで、電源を入れ直してから、あるゲームを立ち上げる。
ログインすれば、見慣れたチームルームの光景が目に飛び込んで来る。
誰か。
お願い、誰か。
――そんなかすかな望みは、
届かなかった。
静まり返っているチームルームに立ち尽くす。
——当たり前、よね。と思った。
そう都合よくは何事もいかない。本当に当たり前のこと。勝手に自分が期待しただけ。すがりたかっただけ。
寂しげな笑みを浮かべて、気づけば足は室内を1周するように歩み始めていた。
目に入るこのチーム各人の個性が表れたオブジェクトの数々。1人去り、2人去ってしまった
——友達ってなんだろう。思い返してみればそんな疑問がまず浮かぶ。
”
全てが崩壊せんとする景色の中で、幼い兄と自分を守ろうとしてくれた母は記憶域の渦に飲み込まれ、……姿を消した。
たった2人きりで世界へ放り出された自分たちに手を差し伸べてくれたのが、養父であるゴフェルさんで、図らずもただの孤児から、
途方もない不幸の次にやってきた途方もない幸運に、見下げる存在が見上げざるを得ない存在へなってしまった。
だから、友達なんていなかった。
兄は大切な家族だ。どこまでいっても友達ではない。消えない血のつながりがある。
そうじゃなくて、まったくの他人が何かをきっかけに知り合い、一緒に遊んだり、時にはケンカしたり、贈り物をしたり、悲しい顔をしていたら慰めたり、困っていたら力になったり、
そういうのが友達っていうのだ。
本や映画の中で見たことがあるから、知っているのだ。
大学に入学しても変わらなかった。どこから噂が広まったのかはわからない。でも、そこでも自分を見る目は家にいたときと同じだった。
自分は音楽が学びたかったからこそ、この大学に入ったんだ、それ以外は必要ないんだと自分をどうにか納得させた。人一倍学問にも実技にも励んだ。結果として、主席で卒業できたし、弾ける楽器は10を超えた。いつか世に出そうと思って詞も曲も作り続けた。
夕日差すピアノ室でひとり練習をしていたとき、窓の外では中庭に寝転がって騒いでいるクラスメイトたちの姿が見えたって、もちろんさびしくはなかった。うらやましくなどなかったのだ。
きっかけはそう。
無事、卒業が決まり、周りが旅行だのなんだの残り少ないモラトリアムを最後まで味わいつくすための悪あがきに興じているときのことだ。
誰かが口にしていたのか、たまたま広告が目に入ったのか、それとも今では考えられないが暇を持て余してしまったのか、いずれにしてもこれまでやったことのなかったスマホゲームをロビンはダウンロードしていた。
スターピースカンパニー傘下のスターピースゲームス——通称スタゲが手がけたというそれは、世間では相当に評価が高いらしく、オンラインで銀河中のユーザーたちとチームを組んで、神話や昔話に出てくるような巨人やドラゴン、天使、悪魔といったようなモンスターを協力しながら倒していくというのが趣旨、と初心者向け解説サイトにはそうあった。
本当に未経験者の自分にできるのかと思ったが、ユーザーはそれこそ年齢1桁から高齢者まで幅広くいると聞いて、それならとプレイを開始した。
——今まで知らない世界がそこにはあった。
たとえるならそう、故郷のように、もう1つの夢境といってもいいかもしれない世界が広がっていた。
架空の世界といえど、ユーザーもNPCもみんなモンスターという厄災と戦いながら、一生懸命、今を生きていた。
たかがゲームなんて甘く見ていた考えなんて吹き飛んだ。
すぐにのめり込んでしまった。
レベルアップが、素材集めが、ダンジョン
——みんなと、出会った。
フレンド申請がメッセージボックスにいくつか届いていて、深く考えずに全部許可したら、すぐに飛んできたのが、
——許可ざっす! お姉さん、お姉さん、最近よく近場でレベリングしてるなと思ってたんすけど。年上ヒーラーですか? 年下ヒーラーすか?
そんなボイスチャットで。
目を
いあいあ『まーたビョーキはじまったよー』
シルヴァ『まぁそういう意味でもヒーラー必須なんじゃない? まず脳を治してもらわないと。それでダメなら解けない呪いとかの恒常バステでしょもう……アネモネ、お前はクビだ』
いあいあ『貴方みたいな年上好きは私たちのチームに必要ないのよ!』
アネモネ『待てやコラ、勝手に追放モノ始めないでくれる? 全部このチームのロール構成が
シルヴァ『はぁ? 自分で集めてそれ言う? バカの自己申告されても困るんだけど。第一、私、仲間にしてくれなんて言ってないし、成り行きだし』
アネモネ『あんだと! シルヴァてめ、いつかベソかきながらやっぱ仲間にして〜なんて言ってきてもしてやんねー』
いあいあ『まぁまぁ2人とも。シングさん、引いちゃってるから』
そりゃあもう、
むちゃくちゃわちゃわちゃしてたのだ。
今振り返ってみても、思い出し笑いが漏れてしまう。
どっからどう見たって仲良くケンカしているような、うらやましいにも程がある輪の中に、自分が加わることになるなんて夢にも思っていなかったから。
話を詳しく聞けば、そのチームは自分のようなヒーラーがいないせいで、基本回復はアイテム頼り、ひたすらデバフしてヘイト集めて殴るだけの簡単なお仕事をしているはずなのに、安定感に欠けすぎている――さもありなんな課題に苦しんでいると打ち明けられた。
そこで目をつけたのが当時廃ゲーマーになりかけて、ログイン率が非常に高いかつ、まだチームに入っていなかった自分だったのだと、アネモネというらしい男は続けた。
結局、
よせばいいのに高難易度で有名な古龍にいきなり突っ込んでいって、連携も何もかもがグダグダだったけど……、
あんなに楽しかったクエストは後にも先にもない。
そう断言できる。
1人1人が自分に出来るベストを尽くして、それでも届かなくて、こっちのEPが尽きてもう自分の役割である回復が出来ないから諦めそうになって、
——あとちょっとなんだよッ。回復できねぇからで諦めんな、シング! 他に出来ることぜってぇある! 最後まで考えろ!
そんな声に突き動かされて、
——そう、だった。
まだ、この世界には奈落の底で絶望にあえぐ人がいる。
歌でそんな人々を勇気づけられたらと思っていた。
でも、歌がないなら諦めるのだろうか。
他に出来ることはないのだろうか。
——違う。
それは絶対に、違う。
だって、
だって、歌も元々下手くそだったんだから。
こんな歌で誰も勇気づけることはできないと、泣いた夜なんて数え切れないくらいあったんだから。
忘れていた。
最初は”思い”だけだった。
そこに”歌”が加わったんだ。
もし”歌”がいなくなったとしても、
——”思い”まで、なくなったりはしてない。
だから、最後まで考えて、
自分にできることをやらないと。
絶対、あるはずだから。
別に何が変わったわけでもないのに、チームルームが澄み切って見えて、
そんなタイミングで、
声が聞こえた。
「——あれ、シングじゃん。久し振りだねインしてるの」
*
ボランティアから始めようと思った。
家に引きこもっているのではなく、身体を動かして、間接的じゃなく、直接自分が誰もが平和を
問題はここまで高まってしまった自分の知名度が足かせとなってしまうことだった。可能なら顔を隠したまま、偽名で活動できることが望ましい。
そうして、探し続けるなか、
見つけた星の名は——
環境破壊により大気が汚染され、紛争が長く続く星で、マスクが必須。
――あとは断続的な場面しか覚えていない。
シロッカで一番助けが必要なのは”清浄エリア”であるゲートの内側ではないと思った。
外側の大気汚染のひどい区域で生活を送らざるを得ない人々へ、危険を承知で救援物資を運んだ。
その先で目にしたのは、
栄養ブロックバー1箱で親子から泣くほど感謝された。明らかに持ってきた物資では足りなかったから、それだけしか渡せなかったのに。
そこかしこで、うめき声があがるその惨状に無力さを痛感した。
なぜそのような場所にみな集まっていたのか。すぐにわかった。
その場所を訪れてほどなくして、降り始めた――雨。
恵みの雨などという言葉をせせら笑うほどに、大気の有害物質をたっぷり含んで降ってくる雨は"悪魔の泣き笑い"などとそこでは言われていた。
そんな雨の中で
空気が
それを開始の合図に影は一気に数を増やし、洞窟内へと侵入してきた。
阿鼻叫喚の地獄絵図。
一変した眼前が信じられず、呆然と顔を動かすことしかできず、
気づいた時。
ついさっき泣くほど感謝してくれた親子がいて、その前には影――アーマードスーツが母親に対し、銃を突きつけていた。
震える声で、「この子だけは……! この子だけは……!」と振り絞っていて、その子どもを抱きかかえる姿が、
いつかの自分と兄と母が重なった。
――身体は勝手に動く。
壁にもう一輪の赤い花が咲いた。
雨が降る。
雨が、降っていた。
執筆時BGM:「雨が降る」坂本真綾