アリアが合流したのは、エレーナと作戦会議を始めて30分ほど経った頃だった。
まず反応したのはカブで、「キューウ!」と動物的な勘で気づいたのか、足下から
コンテナの影から顔を出すと、こちらへ向かってフルフェイスマスクのシスターが小走りに駆けてくる。
聖堂の外はマスク必須だから当然なんだが、あの
子どもたちの練習を終えてきたらしく、マスクの下で息が
「おつかれ。子どもたちとターニャ、どうだった」
呼吸を整えつつ、アリアがスマホを打つ。
「――うん。相変わらずみんな元気。ターニャも、検査の後戻ってきたけど、普通にしてたわ」
普通にしてた、か。知らないことは救いでもあるが、同時に腐った大人の手の上で踊らされているということでもある。
「アリアさん、ちょうどいいタイミングでした。今、段取りを詰めてたんだけど」
いったん話の続きを俺に任せるように片手を向ける。
――ああ。
エレーナとも相談したが、もはや隠すのは不可能だし、俺たちの事情含めて正直に伝えたほうがいいだろうと腹を決めた。
紛争続くこのシロッカの不正を調査するなかでコンソナンスとその長であるビョルンに怪しい疑惑が出てきたこと。その証拠として付き合ってもらった名簿探しをしたこと。結果として、子どもたちの適性検査の真意や計上されていない子どもたちの存在など、疑惑はほぼ確信となっている。そして夜な夜な聖堂の下で行われているはずの
そういったことをかいつまんで伝える。
「……大丈夫か?」
黙して語らないアリアの反応を窺う。やがて、スマホを入力しだし、
「……何も気づけなかった」
「待て待て、お前のせいじゃねーよ。俺たちは第三者だから視点が違ったし、手元にあるデータとかも揃ってた」
気休めかも知れないが、それは事実だ。どんなに気をつけて客観を意識していても、当事者であればあるほどあらゆる要素が
とどのつまり人は見たいモノしか見ていない。
「ごめんなさい。自分の愚かさが、憎い」
うつむいてしまうアリアに、いくつか考えていた次なる気休めの言葉を口にしようとして、
「――でも、 」
アリアの指が動き始め、俺はすんでのところで止める。
「それが本当なら――止めないと」
頭が上がる。
……どうやら。
間違っていたのは俺の方みてーだ。
ひょっとして、耐えきれないんじゃないか。
そんな知らず
何度、世界を呪いたくなるような試練が襲ってきて、選択を間違い、諦め、くじけそうになり、涙をこぼすことがあろうとも、必ず立ち上がる。
そんな誰しもがまぶしく思うような、
在り方が有り得るのなら。
それこそが、闇を照らす光なんだろう。
今、宇宙で1番多くの人々を魅了する、
――”歌姫 ロビン”という名の。
俺は頷き、エレーナにマイクを戻す。
「今夜、聖堂の地下を調べようと計画してます。でも問題がひとつあって」
エレーナが端末を操作して、コンソナンスの施設図面を表示してみせる。……どっから引っ張ってきたんだその図面。いや聞くまでもねぇか、カンパニー様に愚問を投げるのはやめよう。ケサナイデ……タスケテ……。
「――ゲート?」
「はい。聖堂のゲートは夜間にロックがかかるんですよね? だから外からは開けられない」
「ええ。……ごめんなさい。わたくしもそこは開けられない……」
ですよねとアリアに首肯し、構造図をなぞりながら、エレーナが続ける。
「大丈夫です。想定の範囲内ですから。ロックは外側からかかるだけ。内側からは——」
「開けられるはずだわな」
「うん。普通そうなってるはず。火災とか緊急時に中に閉じ込められたら困るからね。逆に言えば、夜のロック前に聖堂の中に入り込んでいれば、内側から開けて外の人間を招き入れられる」
つまり、誰かが先に聖堂の中に潜伏する必要がある。
「……」
「……」
「……」
3人の視線がマスク越しに交わった。
ここは
「さーいしょはァ——」
「はい、やりたい人手出して」
「——パーッ!!」
「よろしく〜」
ハ、ハメられた……?
俺は突き出した手の平を呆然と見つめていた。視界がぐにゃあ〜とゆがんでいく。お、俺の完璧な先手必勝計画がパーに……。
じゃねーわ、いやこれ、誰が残るかなんて最初から決まってんだろ。アリアは手荒いことに発展しうる可能性も考えるとすまんが論外。エレーナはまだ聖堂に入ったことすらない。とくれば、出来レースだ、出来レース、胴元出てこいや。
ため息しか出ねーぞ。
「へぇへぇ……俺がやりゃあいいんでしょ」
「うんうん。話が早い優秀なインターンを持てて嬉しいよ」
しみじみ言うな、こんにゃろ……カンパニーのハラスメントセンターにパワハラとセクハラされたってあることないこと訴えてやる……。
そんなやりとりの中、アリアがスマホを打つ。
「たぶん。楽器庫なら夜は誰も来ない。隠れるなら、あそこがいいと思うわ」
「まーたあそこの部屋か……まぁたしかに、いくらでも隠れられそうな感じだったけどよ」
「――夕方、わたくしが最後に片付けをして出るから。その前にこっそり入れる」
まったく、こうなりゃ、なるようになれだ。
「問題は……ビョルンだな」
エレーナが構造図の「代表室」を指で叩きながら、
「アリアさん、夜間、ビョルンはどこにいるんですか? 代表室に泊まってる? それとも施設の別の場所にも部屋があるとか?」
アリアが少し考えてから、スマホを打つ。
「――実はあまりよく知らなくて。ただ、さっき代表室に簡易ベッドがあったから。たぶん、あそこで寝泊まりしてると思う。少なくとも夕方以降にビョルンさんが聖堂を出ていくのを見たことはないわ」
構造図とさっきの記憶を照らし合わせるが、っつーことは、代表室と楽器庫は同じ小部屋エリアの目と鼻の先の距離ってわけだ。
ビョルンがひょっとしたら壁越しに「( ˘ω˘ ) スヤァ…」とか顔に浮かべて寝てるかもしれない場所に俺が潜伏する。
えー……なんかヤなんだけど。きんもーっ☆って言っていい?
「楽器庫と代表室は近いけど」
とエレーナが構造図を見ながら、
「でも楽器庫はそこそこ壁も厚そうだし、中でじっとしてれば気づかれる可能性は低い。問題は廊下に出る時だね……わかってる?」
「いやいくら俺でも鉄琴でぬこふんじゃったとか披露しないんで」
「今そういうのいいから。とにかくビョルンが夜にトイレとか巡回に行く可能性もあるから、廊下に出るタイミングはとにかく慎重に」
連れションするわけにもいかねーしなぁ。万一、鉢合わせしたら終わりだ。人間である以上は生理現象からは逃れられないだろうし、可能性としては捨てきれない。てかあの
「まぁ、とにかく最大限気をつけりゃいいんでしょ。余裕っすよヨユー」
段取りが固まっていく。
整理するとこうだ。
まず俺が聖堂に戻って、アリアの案内で楽器庫に身を潜める。その後、アリアは聖堂を出る。エレーナは施設の外でさりげなく動き、何かあればフォローに入る。
夜、ゲートがロックされたら、俺が内側からゲートを開ける。そこでアリアとエレーナが合流。あとは3人で地下へと至るルートを調べる。
「ビョルンの動きは読めねーすけど、さすがに深夜帯に堂々とうろついてりゃバレるだろうから、ゲートのロック後に少し時間を置いてからのほうがいいんじゃないすか」
「うん。電力ログが
「うい、了解っす」
エレーナがアリアに向き直る。
「アリアさんは聖堂のゲートの外の中庭付近で私と合流してください。22時まで待機します」
アリアが了解とばかりに首を縦に振る。
「よし、——じゃあ決行は今夜で。各自気を抜かないで頑張りましょう。特に、」
なんか俺の方へ顔を向けてくるんすけど、このエレーナとか言う人。
「待ってる間、寝たりしないでよ?」
鼻で笑っちまうわ。これだからリスペクト精神に欠ける年下は困る。
「――こんな状況下で寝るヤツなんていねーでしょ」
さて、俺が聖堂に戻ったのは夕方頃だった。
アリアが先に入り、安全を確認してから、俺がその後を追う。礼拝ホールを横切り、小部屋エリアの廊下へ。
検査室の扉は閉まっている。代表室も。ビョルンの気配は——わからん。中にいるかもしれないし、いないかもしれない。シュレディンガーのビョルンだ。
とにかく足音を殺して通り過ぎる。
楽器庫の扉を開けて、するりと中に滑り込む。
「ここなら大丈夫」
「頼りになるわ、アリアパイセン」
「……先輩じゃなくて、先生」
スマホを持ち替えて、俺の
あっぶねーッ! 不覚にも
「じゃあ、戻るわ。片付けが終わったら出るから」
「おう。……気ぃつけてな」
「そっちも気をつけて。寝落ちしたりしないでね」
「や、だから寝ねーって」
ったく、どいつもこいつも。これはゲームでもなけりゃ遊びでもねーんだから。って天才クラブのバーカヤ・アキヒコがゆってた。
アリアが楽器庫を出ていく。扉が閉まり、足音が遠ざかる。
――ひとりになった。
壁に背中を預けて、座り込む。楽器のケースが影のように並んでいる。大小様々な楽器が、薄暗い中でぼんやりとした
……静かだ。
まだ何もわかってない。全部エレーナの仮説だ。地下に行ったら電力を馬鹿みたいに使って野菜育ててましたってオチだって、ないとは言えない。
——だけど、そうじゃなかったとき。
いったい何が待っているんだろうな。
時間は、恐ろしくゆっくりと過ぎていく。長男の俺じゃなきゃ我慢できなかったね。
推測でしかないが、アリアも片付けを終えて既に出て行った頃合だろう。
次第に聖堂の中は完全な静寂に包まれていった。空調の低い
窓のない楽器庫は、照明を点けなければ真っ暗だ。視界が閉ざされると、代わりに聴覚が妙に鋭くなる。空調の音に加えて——時折、廊下の向こうから聞こえる、かすかな物音。
あれは代表室の方からか。ビョルンが中にいるんだろう。
スマホの画面を最低輝度にして、時刻を確認する。
<19時12分>
げー……まだ2時間近くある。
……長ぇ。映画1本見れんじゃんか。
<19時34分>
……暇オブ暇。
左の人差し指と右の人差し指でバトルしてるのも10秒で飽きた。
酸素薄いのか、あくびも出てくる。
<19時51分>
エレーナから動く前に何かあったら連絡してと言われていたが、何もない。
静かすぎてむしろ不安に……なる……ふぁ……、
<20時08分>
…………。
<20時——
どこまでも白。
上も下も右も左も。
またいつもの白い空間。
体育座りの姿勢は変わりなく。
「いい加減——」
——ッ!?
がくん、と首が落ちた衝撃で意識が戻った。
やべ。寝……時空がゆがんだわ。
慌ててスマホを確認する。
<20時41分>
ほっ……30分くらいゆがめてたか。ほれみろ、感覚で遅刻を確信しかけたが大丈夫だ、まだゲートロック前。セーフ。超セーフ。何事もなかったように背筋を正して……って誰に見栄張ってんだ俺。
だってだって! そりゃもう休みなしでハードだったんだもん!
そこで超重大でクリティカルで身の毛もよだつことに気づく。気づいてしまう。
——あ、れ……そういや、まだねーちんと俺って連絡先交換してなくない?
全身から力が抜けていく。
お、終わった。寝てるとか言ってたけどもう出てっちまったかなぁ……おのれビョルン……くぅ……俺としたことが。
もうやる気出ない。
少し泣く。
<20時56分>
<21時00分>
遠く——入り口の方から、
ここからさらにまた約1時間……耐え
久し振りに夢の年上パラダイスでも妄想するか……。はーいこちらのアトラクションがイッツ・ア・スモールボーイワールドになります。存在しないはずの記憶の中でおねーさんたちと雪だるまつくーじゃなくゆきずりの(思い出)つくーろ〜!
<21時03分>
<21時09分>
<21時17分>
冷静にこれ拷問の1種なんじゃねーのと思っていた頃、
——ふと。
廊下から物音がした。
瞬間。息を飲み、耳を澄ませる。
空調の音とは明らかに違う。人の気配だ。
足、音……?
聖堂内にいるのは俺とビョルンだけのはずだ。だとすれば——代表室から出てきたのか?
足音が近づいてくる。楽器庫の扉の前を通過する——はずだ。通り過ぎてくれ。
こつ、こつ、こつ。
規則正しい足音。
やはりおかしい。ビョルンなら車椅子のはずだ。足音ってことは歩いているわけで、
足音が楽器庫の扉の前で——
止まった。
待て待て待て、嘘だろおい――呼吸を完全に止める。
全身の筋肉を固めて、壁際に張り付くように動かない。暗闇の中、スマホの光もない。楽器庫の中は完全な闇でそれに同化する。
確実に。
扉の向こうに、誰かがいる。
5秒。
10秒。
15秒。
永遠のように長い沈黙。
そして——足音が、再び動き出した。こつ、こつ、こつ、と廊下の奥へ遠ざかっていく。礼拝ホールの方へ。
……行った。
ぷっはぁと慌てて呼吸を再開する。酸欠になるかと思ったつーの。
安堵と共に全身からどっと汗が噴き出ていたことを悟る。背中がべったりと濡れてシャツが貼りつき気持ち悪かった。
……今の、誰だったんだ。幽霊? 歩いてたけど。
あーマジで心臓飛び出るかと思ったわ。勘弁してくれよな。とにかくバレなくてよかったぁ……。
早鐘を打つ鼓動が元に戻るまで、しばらくかかった。
<21時38分>
<21時52分>
もう寝落ちする心配はない。さっきの足音のせいでアドレナリンが出すぎて目がバキバキで困ってます。
あとやっぱ短時間の時空をゆがめるのが結局1番眠気を解消することがわかりました。
<22時00分>
つ、ついに。
時間だ——、
立ち上がり、脚の
代表室の扉を確認——閉まっている。物音もない。
踏み出した廊下は真っ暗だった。
さっきの"歩く誰かさん"も、もういない。
目はとっくに暗闇に慣れているが、それでもコケかねないので、手で光量を調節しつつスマホのライトで照らす。
小部屋エリアから廊下を抜け、礼拝ホールへ。
昼間に子どもたちの歌声で満たされていた空間が、今は無人の闇だ。天井の高さのせいか、自分の足音がやけに響いて、慌てて忍び足に切り替える。慎重に歩幅を狭めて、祭壇を大きく迂回しながらゲートに向かう。
二重扉の前に立つ。内側のロック機構を確認する。ともかく内側から開けられるようにはなっていた。
レバーをゆっくり引く。いくら気をつけていても、金属の
内扉を押し開けると、前室。そして、
外扉を開けた瞬間、冷たい空気が流れ込んできた。
マスクなしでもわかる——いや、聖堂内は清浄だからマスクはしてねーんだった。お鼻むずむずしてきた!
慌てて口元を袖で覆ってハーフマスクを装着する。
暗がりの中から、2つの人影がぬっと出てくる。
エレーナと——アリアだ。エレーナの胸元で、カブが抱かれている。いくらメスといえどその位置はよくない、コンプラ違反だろ。
「おお、時間通りだ」
エレーナが小声で言う。疑ってやがったな。
「信用しろって。これでも
「目やについてるよ」
「え、嘘、マジ?」
「うん、嘘だけど?」
こ、こいつ……カフカさんでもねーのに俺を
俺が脳内で
「――寝落ちしないでって、言ったのに」
「寝てないもんっ。時空がゆがんだだけだもんっ」
小声で器用に叫ばざるを得ない。……ちくしょう、こいつら。2人がかりで追い詰めてきやがる。
なんかいつもこんな感じで年下女子どもに囲まれ、わいわいやってたゲーム時代を思い出してきた。アリアも心なしか楽しそうな気配をかもしだしているし。
気を取り直して、声を落とす。
「いいから。とっとと中に入ってくださいよ」
「はいはい——」
「あ、あと——さっきなんすけど、幽霊いたかも」
ピタとエレーナの足が止まり。すっと俺の脇を通り過ぎたのにそのままバックしてくる。
「何やってんすか?」
そして無言でカブ越しに俺を押して、先頭にさせてくる。いやカブも状況わかってて、声をあげないよう我慢してっけど、俺の方が悲鳴出そうなんすけど。
はっはーん。
さてはこの女、幽霊苦手系女子とみた。
クソほどいじり倒してやりたいところだがこんなとこで立ち止まってるわけにもいかない、我が名はフード……キサマ……命拾いしたな……。
「まぁまぁビビらんでも。たしかにここ出そうっすけど、その幽霊は足があるっぽいんで」
「……どういうこと?」
「さっき待ってるとき、……廊下で何かが歩いてた音を聞いたんすよ」
「歩いてた?」
エレーナの眉が上がった。
「ビョルンって車椅子なんでしょ?」
「そうなんすよねぇ……そこがおかしくて、足音だったんで」
エレーナが一瞬考え込むような顔をしたが、今は先に進むべきだと判断したらしく、小さく頷いた。
「……わかった。頭に入れておく。はい、じゃ早く行って」
結局俺が先頭かよ……とまぁ文句をぶーたれても仕方ない。
3人とカブ1匹で前室を抜け、聖堂の中に入る。
ゲートの内扉を閉め直す。ロックは——解除したままでいっか。万が一の退路を確保しておかねーと。
礼拝ホールを進みつつ、エレーナが端末を開いて、明るさを低くした画面で構造図を表示する。
「電力に動きが出だすのはそろそろ。もうすぐ何かが動き始めるはず。まずは——」
言いかけたところで、エレーナの手が止まった。
俺も聞こえた。
また足音だ。
さっきとは違って複数の。
礼拝ホールの奥——祭壇裏から通路で繋がっている小部屋エリアの方向から、こちらに向かってくる。
「——隠れろ」
小声で
足音が近づいてくる。1、2、3——いや、もっと多い。ぺたぺたという裸足に近い軽い音。
暗闇の中、それぞれが手に持つ
先頭にいるのは——
黒いフルフェイスマスク。
ビョルン。今度は俺の知っている車椅子だ。車輪が石の床の上をすべるように、静かに進んでいく。
——混乱する。
さっき廊下を歩いていたのがビョルンなら、今は車椅子に乗っていて。逆に、車椅子のビョルンがずっと代表室にいたなら、さっき歩いていたのは——
考える暇はなかった。エレーナが俺の腕をぐっと掴んだ。"動くな"と。わかってる。
車椅子のビョルンが子どもたちを引き連れて、礼拝ホールを横切っていく。
列の中に、ターニャの姿が見えた。他の子どもたちと同じようにパジャマ姿で、ぼんやりとした足取りで歩いている。
——寝ぼけて……いや、違う。全員がそうだ。子どもたちの目は開いているが、どこか
夢遊病のような、異様な行列。
アリアの手が、俺の腕を掴んでいた。
あの子たちはアリアの教え子だ。そんな子たちが、夜中に虚ろな目で恩人であるはずのビョルンに連れられている——それを目の前でまざまざと見せつけられている。
列は礼拝ホールの前方に向かう。ビョルンの車椅子がステージの前で止まり、片手を上げた。
——直後、ゴゴゴゴ、という
長椅子の影からわずかに顔を出して見る。
祭壇が、動いていた。
昼間子どもたちが手前で歌を練習していた石造りの祭壇が、ゆっくりと横にスライドしている。その下から現れたのは——地面にぽっかりと口を開けた、階段だった。
ビョルンが車椅子のまま先に降りていく。スロープでも用意されているのか、車輪はそのまま滑り込んでいった。子どもたちが1人ずつ後に続いて階段を降りる。小さな影が、順番に消えていく。
最後の1人が階段の下に消えたのを見届けてから、俺はエレーナとアリアに目配せした。
——追いかけよう。
エレーナが頷く。アリアも、唇を結んだまま、頷いた。
3人とカブで長椅子の影から出て、静かに祭壇に近づく。
開いた床の下から、かすかに光が漏れている。
階段を覗き込む。石段が
エレーナが端末で何かを確認してから、小声で言う。
「……電力、上がっているね。今、まさに」
俺が先頭。エレーナとカブが続き、アリアが
そんな形で音を殺して降りていく。
地下に行くにつれて、空気が変わった。温度が下がり、妙に澄んだ空気になる。聖堂と同じ空調システムで繋がっているはずだが、ここには聖堂にあった
代わりに——歌声が聞こえ出す。
おそらく、さっきまで虚ろな目をしていたはずの子どもたちが、歌っている。遠く、かすかだが、確かに歌声が反響してくる。
美しい。
なんだろう。1人1人が同じ声を持っている訳ないのに、まるで1人の声のように錯覚する。
「綺麗、だね……」
偽らざる感想をエレーナがこぼす。アリアも
だがしかし、——それは同時に恐ろしさを伴っていた。
催眠状態の子どもたちが歌う声がここまで重なり、ともすれば涙さえ落ちそうな程、
生命の神秘が
――完全なる”調和”。
もはや自然な歌声じゃない。得体の知れない何かに引き出されている。
階段を降りきると、短い通路があり、その先に空間が開けていた。
そっと、壁に身を寄せながら様子を窺えば。
——息が止まった。
地下は、目を見張る大空間だった。
いやもはや上の聖堂——とは比べものにならない。さながら大地下神殿と称しても過言じゃない。
構造は似ている。だが、天井はホールよりさらに高く、壁は
そして色彩が完全に反転していた。
聖堂がまだ暖色の光に満ちた空間というなら、ここは白の世界だ。壁も天井も床も白い。いや、青白い。冷たい光が全体を照らし、
教会の地下に、教会より大きな祈りの場が埋まっていた。
なんつう冗談だ——いや、むしろこっちが本堂なのか。上の聖堂のほうがサブに過ぎなかったってことか。
その中央には、1段高く位置する台座がある。それを囲むように、――11人の子どもたちが円形に座っていた。パジャマ姿ではなく、白と青のガウンに身を包んでいる。
他の子どもたちはそのさらに外でやはり円を描き座り、パジャマ姿のまま、目を閉じて歌っている。あの虚ろだった表情が、今は穏やかな——いや、穏やかすぎる顔になっている。完全に催眠状態にある。
ビョルンの車椅子は、台座の前で背中をこちらに向ける形で停まっていた。その姿は、神父が祈りを導くようでもあり、あるいは——指揮者がオーケストラを統べるようでもあった。
そして。
円の中心となる台座に——ターニャがいた。
他の子どもたちと明らかに扱いが違う。
ターニャだけが台座の上で、ひとり椅子に座らされている。
目を閉じて、口が小さく動いている。歌っているのか、それとも何かを唱えているのか。
そして、そのかたわらには——何かが浮いている。
――ああ、そう来るのかよ。
——出発前に言えよな。
つくづく、俺もそういう”運命”にあるのかと呪いたくなる。
「ね、ねぇ……あれって、まさか……」
「——ああ、ありゃ」
——星核だった。