「——無事、というわけではなさそうだな」
最初こそ困ったような笑みを浮かべていたものの、俺を見るなり、眉をひそめ、痛ましそうな顔へと
それよか困ったような笑み——って、困ってんのはこっちなんですけどぉ?
なになになんなの、
俺は一目散に駆けだし、
「ねーちん、こんな地獄まで、何しにきたんすか!?」
「あ、ああ……どうやら少し寝て、体調も戻ったようだから、あなたを探していたんだ」
「なんでなんで!?」
俺の勢いに少しだけ
「——そういえば、連絡先を、聞き忘れてたと思ったんだ……迷惑だったら、すまない」
「え、すき……」
え、すき……、やべ、声出ちゃった。てか声が先に出た。
ダメだ、やっぱ俺が守らなきゃ。俺はねーちんを守って、胸を張って消し炭になろうと思う。
なんかアベンチュリンのスマホから、「は?」って声が聞こえた気がするけど、気にしない方向でいくぞ。
じゃねーわ!
「むちゃくちゃ、くちゃくちゃ、嬉しいんですけど。——今ちょっと、ばりヤバなんで、逃げてください! コンマ数秒くらいは時間稼ぎます。俺があなたをまも——」
血の涙を流しながらも、連絡先よりねーちんの命を優先する。
「——心配してくれるのはありがたいが、状況は上のエレーナという女性から聞いている。昼間のお礼をさせてくれ」
ねーちんの目が、俺を通り越して
正確には——
「……なるほど」
ため息みたいな、小さな呟きとともに、
——空気が変わった。
黄泉のねーちんの目が、底が抜けたみたいに深く、暗くなっていく。
一見、何も”見ていない”かのようで、何かを”見ている”目。
でも、たしかに、わかるんだ。
ねーちんは、今、
——
「おかしな話だ。あなたはここにいるのに——ここにはいない」
独り言のように、哲学的な言の葉が舞う。
「……
「とぼけなくていい。ここにいる、あなたの身体は"
——はい?
なんで一目でわかるんだ? 俺とアベンチュリンが死にかけながら何十回も突撃して、ようやく
「……随分と、眼が良いのですね」
「それは、褒め言葉ではない。——見えなくていいものばかり見える
俺たちが指摘したときとは反応が全く異なる。さっきまで
しかし、ねーちんがこの場に
「反論があるならば、どうぞしてくれ」
「……さて。どうでしょうね」
もしかして、距離を取ろうとしてんのか——?
「あなたのその爪だけが実体で、その中では”星核”の力が
黄泉のねーちんが、腰の刀に手をかけた。
——それを見た瞬間、空気がもう一段、塗り変わっていく。
ねーちんの周囲の空気が、じわりと重くなる。近くにいる俺も
「なら——その金爪と本体の間にある
…………ほ、ほう。
うん? え……ど、どゆこと……? と目でアベンチュリンに助けを求めると、あごに手を当てつつ、
「例えるなら、……あの爪はネットワークにつながった
アベンチュリンの説明だと、金爪が星核を電源とする
そして、その投影された映像こそ、すなわち爪を除いた目の前の
だがそれだけではなく、
それを何らかの——ねーちんはつながりと言っていたが、ネットワーク回線のようなものを通じてダウンロードし、星核に渡しているのではないか、と。
「な、なるへそ……」
俺は
たぶん、すんげー乱暴に言えば、『定額見放題サブスクで見たい映画『
いや、そうならそうと言ってくれ、途中から俺だけ置いてけぼりにされたかと思ったぞ。
さておき、
それを
いや、まぁ一応、理屈はわかる、わかったけども、
それを——どうやって?
見えない回線を、どうやって斬るんだ?
「…………」
いつしか微笑みも消えていた。
初めて見る表情——否、「表情の不在」だった。あの静かな笑みが口元に張り付いていた顔が、今はまっさらに
「——さて。何を
「
黄泉のねーちんの声もまた
だが、その身体は一歩ずつ、前へ進んでいく。
そして、その手は、ほんのわずかに——刀を引き出していた。
そこから、見たことのない——色。
色、というのもはたして正しい表現なのかわからない。光でも闇でもない。「何もない」が漏れ出しているような、奇妙な感覚を表現のしようがない。
アベンチュリンが、俺の肩を軽く叩いた。
「——下がろう、マイフレンド」
「え?」
「僕の勘は
その声に、いつもの軽さがない。
「……おい、チュリ
「いいや、わからない。わからないからこそ恐いのさ、よく言うだろう、
冗談めかして言うが、目は笑っていなかった。
——いや、刀持ってるだろ。という言葉を飲み込み、
若干というか、かなり
「……貴方は」
「実に——
ねーちんは答えず、
代わりに——刀を、抜いた。
瞬間。
世界が、塗り替わった。
壁も天井も床もない。
目の前に広がっていたのは、
果ての見えない、
足元にはどこまでも水面が広がっている。薄い水の膜が鏡のように空を映し、水と空が溶け合って境界がわからない。地平線の果てまでずっと、ずっと——途切れることなく。
まるで、そう。
世界そのものが
そして空に浮かんでいるのは——太陽、だろうか。
黒い。
漆黒の太陽が、地平線に沈もうとしている。
光を放っているんじゃない。光を呑み込んでいる。周囲の白すら引きずり込むような、圧倒的な「無」。
じっと見つめていると、自分の中の何かまで吸い取られそうになる。
……何だよ、ここは。
何だよ、この景色は。
——綺麗だ、と思った。
でも、同時に、恐ろしい。
こんな、何もない場所を。
何もかも失われた場所を。
綺麗だと感じてしまう自分が、怖い。
水面に映る人影がひとつ。
黄泉のねーちんが、そこに立っていた。
——変わっていた。
藍色だった長い髪が、白い。
右腕が——鮮血を塗りたくったような
右目も——鮮血を見過ぎたかのように
……もし、ためらわず表現することが許されるのなら、
その姿は——鬼だ。
さっきまで困ったような笑みを浮かべていた俺の守りたくなる対象の
これが——この人の、本当の姿なんだろうか。
いや——本当の、姿だったんだろうか。
唇が動く。
声が、
低く、静かで、でも地平線の果てまで届くような声。
「——
歌じゃない。祈りでもない。
言葉そのものが、力。
一音ごとに、
「……
一筋の
——泣いている?
悲しいから? 本当に?
——あ、れ。
気づけば、
俺もまた泣いていた。
涙が出ていた。涙腺がバグったみてーに。なんで。痛くもないし、悲しくもないのに。ただ——この人を見ていたら、勝手に。
何なんだよこの人は。何なんだよこの景色は。何なんだよ——この涙は。
なんで、この人はこんなにも
白黒の世界が、割れる。
ガラスにヒビが入るみたいに、白と黒の境界が裂けて——現実が戻ってきた。
黄泉のねーちんの刀が、鞘に収まっていた。
音はなかった。
衝撃もなかった。
光も、なかった。
ただ——断った。
何かが。
目に見えないけれど確かにそこにあった何かを。
ぷつり、と。
ねーちんの
その
まばゆい光に照らされながら、俺はいつの間にか
何が起きたのか処理しきれない顔をしている。
——おそらく俺も全く同じ顔をしているだろう。
「——なに、が」
状況が追いつくより先に、確認しなければいけないことに気づく。はたして——
——
白いボディスーツ、
まだ、ダメなのか——と思った瞬間。
気づいた。
星嘯の頬に、
スッと線が入り、
血がにじみ。
溜まった、それは頬を
たった、それだけのことだ。
たったそれだけの瞬間を、どれだけ待ったことか。
何十回と、パルサーエッジを振った。ノヴァイレイザーを撃ち込んだ。アベンチュリンがコインをぶつけた。
なのに、あの身体は実に綺麗なままで、シワの1つも、ホコリの1つも乗らなかった。
それが——汚れた。
決して
「……お見事です。あと一歩でした」
静かに、
「やはり——”虚無”の力は、
「言葉を返そう……”調和”で
その口ぶりの意図するところが掴めず、俺は——、
「仕留め切れなかった、……みたいだね」
「——は? いや、でも、傷が通るようになったんだぞ」
先に口を開いたアベンチュリンが
「……違うよ。傷が通るのがおかしいんだ。本当なら、……消滅していないとおかしい」
すぐさま、肯定の言葉が続く。
「——ああ、ゼイン、すまない。そこの彼の言う通りだ」
振り返らず、ねーちんは、
「私は
「…………へ、へー、ふーん」
またはてなマークで、頭ん中がびっしり埋まる。ちょっと整理してもらえないとわからないよボク。誰か、誰か。もう一人のボクでもいいから。
「……えー、あのぅ、えっと、つまりぃ」
「話だけしか聞こえないけど、つまり、
「——やってくれるぜ。つまり、
まだ電話をつなぎっぱだったらしいアベンチュリンのスマホから、エレーナの解説が届いたんで丸パクリしておく。もうやだ、この宇宙。賢いヤツばっかいるもん。
「……ああ、そういうことだ」
黄泉のねーちんだけがツッコまずに俺を受け入れてくれる。やっぱり俺が守らなきゃ……ッ。なんかスマホの向こうからガミガミ言ってるのなんて聞こえないもん。ぷいっ。
とにかく、ようやく理解が追いついたぜ。
「要するにだ、今のお前は実体……っていうとややこしいから、分身として再現されたってことだろ」
さしずめ、
どうであれ、ダメージが通るようになった。それさえわかればいい。
もうロクな武器もねぇが、こうなったらその辺の石ころ握ってでも倒す。まだこの場には、俺が、アベンチュリンが、黄泉のねーちんが、立って——
「——1つ、あなたは勘違いをしています」
星嘯の口調は
その右手の金爪が——ゆっくりと持ち上がった。
「たしかに認めましょう。あなた方は
金爪が宙を撫でる。指揮者がタクトを構えるように、ゆるやかに。
「——なので、順番を変えましょう」
は? 天井? なんで天井を——
理解するより早く、
「——聴け。
思わず、うめき声が漏れた。
完全に俺の脳に焼き付けられている、その仕草は——、
「
星嘯の
素顔があらわになっていく。
星嘯の
「——星よ満たせ、運命よ閉ざせ、万象はただ”滅び”を唱和せよ——」
左手の先に
「
直後——地下区間全体に、光が生まれた。
いや、光じゃない。
あれは、——
明かりが
「——
空間のそこかしこに、巨大な星図が広がっていた。
音が聞こえる。かすかな——、
星図の世界にあって、幻聴のようにどこからともなく、あの共鳴が響いてくる。
ビョルンの儀式で蓄積された祈りが、本来は子どもたちの純粋な願いだったものが——”壊滅”の
正直、吐きそうだ。
隣で、黄泉のねーちんが刀の
——あの目は「まだ来る」って読んでる顔だ。
一変した世界で、
——結論から言えば、反応できなかった。
発生したのは——予想を裏切らない、天罰レーザーと同じ光の柱で、
光の柱が着弾した場所が、円形にブチ抜かれた。
だが、アレとは違う。規模が違う。
地環から放たれた光の柱は、天環を通ることで何十倍もの極太のレーザーと化す。
それが星図に反射され、いかようにも軌道が変わる。
——それはまるで
金爪が次の一拍を刻む。2本目のレーザーが、さっきとは別の軌道を描き、同じ場所に打たれ。3本目。4本目。間隔がどんどん短くなっていく。
まるで——合唱の拍だ。
最初はゆっくりとした前奏。それが加速し、主題に入り、展開部に差しかかる。金爪が
オーケストラだ。破壊のオーケストラを、
そして、なんで、反応出来なかったのか。
それは、
その矛先が——俺たちじゃなく、
レーザーが天井を撃ち抜いていく。
5本目、6本目——構造体が限界を超えたのかとうとう、天井の一角を破壊する。
だが、悪夢はまだ終わらない。
アベンチュリンのスマホから聞こえた悲鳴——で俺は心臓が凍る。
——まさ、か。
「——てめぇ星嘯!!! ”順番を変える”って、そういうことか……ッ!!」
こいつは俺たちを相手にするのを後回しにして、先に——上にいるヤツらを狙う気だ……ッ。
上には何がある? 礼拝ホール。地上聖堂。コンソナンス。
狙っているということは——そこにはまだいる——エレーナ。ロビン。子どもたち。
「やめろォォォッ!!」
叫んで走る。
だが、レーザーの雨が行く手を阻む。天井を狙いつつも、俺の行く手を阻むように前方にも降ってくる。こっちに当てる気はない——ただ邪魔をしているだけだ。近づけさせない。
「——そこでしばらく観覧しているといいでしょう」
金爪が次の一拍を刻む。
ついに天井が——崩れ始めた。
天井の約3分の1が跡形もなくなっていく。まともに立っていられないほどの震動と、
視界が白く染まって、何も見えない。
けほっ、と咳き込みながら顔を上げると——
空が、見えた。
正確には空じゃない。礼拝ホールの天井だ。地下儀式場の天井が崩落したことで、地上階の床がごっそり抜けている。
もはや穴と呼べない、破壊の跡の向こうに、ホールの薄暗い照明がぼんやり見える。
そして——人影が見えた。
崩れた床の
足元が崩れかけていて、必死にしがみついている。
数は——少なくとも4人の子どもが、今にも落ちそうな状態で泣き叫びながらぶら下がっていた。
その中のひとりを——誰かが引き上げようとしている。
崩れた縁にうつ伏せのまま身を乗り出し、片手で子どもの腕を掴み、もう片方の手でどうにか自分の身体を支えている。その、顔は、
——ロビン。
アリアである眼鏡はすでになく。乱れた髪、シスター服の裾が突き出した破片にひっかかって破れている。声が出ないから、叫ぶこともできない。
ただ無言で、歯を食いしばって、子どもの腕を離すまいとしている。
こっちから十数メートル上。手が届く訳もない。
何もできねぇ——、
「——ロビン!!」
そこにエレーナの叫びがここまで届く。崩れた縁の反対側から駆けてきて、腹ばいになり、ロビンが掴んでいる子どもに手を伸ばす。
「カブ!! お願い!!」
ロビンが子どもをエレーナの方に震える手で持ち上げ、さらに飛び込んで来たカブが子供を下から押し上げようとする。エレーナが両腕で受け取り、後ろに引きずりあげる。子ども一人、確保。次は、
金爪が——動く。
放たれた一条の光は、あざ笑うかのようにロビンのすぐ脇の床へ穴を開ける。走るヒビは止まらない。
ロビンのいた床がへし折れていく。
バランスが崩れる。
身体が傾く。
エレーナが手を伸ばす。
でも——間に合わない。
「ロビン——ッ!!」
エレーナの悲鳴が、地下まで響いた。
ロビンの手が、縁から離れた。
落ちる。
声もなく——落ちてくる。
シスター服の裾がはためく。瓦礫の中を、人形みたいに。
一瞬だった。
思考より先に、身体が動いていた。
黄泉のねーちんの方を見る。まだ縁にしがみついている子どもたちが三人いる。
「——ねーちん、子どもたち、頼む!」
一言。それだけ。
黄泉のねーちんは何も聞き返さなかった。ただ頷いて、跳んだ。地下から十数メートルの高さを、信じられない跳躍力で駆け上がっていく。
それを横目に俺は走った。
瓦礫を踏み越え、粉塵の中を。
ロビンが落ちてくる場所を目測する。遠い。間に合うか。間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え、
邪魔をするように光の柱。
——避けてたら間に合わない。
「があああああ——ああ——あああ————ッ」
光の中、全身の皮膚が焼けただれていく。でも止まらない。止まるな。止まったらあいつが地面に叩きつけられる。
エレーナが。ロビンが。アベンチュリンが、黄泉のねーちんが、
全員が、自分にできることをやっている。
なら俺にできることは——
走って、走って、
ロビンの身体を、受け止めた。
……間に合った。
腕の中に、小さい身体がある。ロビンの身体は軽い。軽すぎる。ちゃんと食べてんのか。
こんな軽い身体なのに、あんな高さにぶら下がって、子どもを引き上げようとしてたのかよ。
衝撃で膝がガクッと折れる。両膝をついた格好で、ロビンを抱えたまま、動けなくなった。
腕の中のロビンが、ぎゅっとつむっていた目を開く。
「——よぉ、ロビン。……こ、ん、どは、まにあった、ろ? たすけんの」
声がかすれる。
——そんな、泣きそうな顔、しないでくれよ。
ロビンの唇が動いた。声は出ない。
でも、口の形で——何か伝えようとしている。
ごめん、もう腕も足も感覚ないし、頭グラグラしてんだ……ちょっと、待っててくれな。
頭上で、黄泉のねーちんが子どもたちを引き上げているのが見えた。
黄泉のねーちんが最後の1人を引き上げ終えた後、一瞬だけ——こちらを見た。
目が合った。
何かを叫んでいる。
——え、なに、うし、ろ?
「————ッ」
「——かばわれて、ばっかじゃ、カッコ、つか——」
最後まで言う前に血がこみ上げてきて言葉にならなかった。あれ……なんで、胸から金爪生えてんだよ。冗談キツ————
「——だから言ったでしょう。あなたは1つ勘違いしていると」
耳元で聞こえた
俺の聞いた最後の声だった。
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