ルキンフォー・エム   作:來馬らんぶ

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#43 "Aphelion"

 

 

 

 

 ——×64。

 

 あの数字が賽子(ダイス)に刻まれた瞬間から、俺の中で答えは定まりつつあった。

 

 星嘯(せいしょう)が、こちらを見ている。

 

 金爪の先端を失った右腕をだらりと下げて、崩れた地下聖堂の残骸を背に、ただ——立っている。

 

 エレーナも言わずとも、任せてくれるらしい。背後からついてくるような気配はない。以心伝心(いしんでんしん)助かるぅ。

 

 一歩、また一歩と、間合いが詰まっていき——五歩で間合いに入る距離になると同時に俺は床を蹴った。

 

 黄泉(よみ)のねーちんの奮闘により、幾分(いくぶん)か、かわいらしくなった金爪が(またた)き、俺は左手を盾にする。切り落とされはしなかったが、三枚(さんまい)()ろされかける。

 

 星嘯(せいしょう)に返ったのは——×1。

 

 痛みにおかしくなりつつも、奥歯を噛みしめ、右の拳を握り、どストレートを——顔面に叩き込む。

 

 賽子(ダイス)が回る。——×2。

 

 手応(てごた)え。星嘯(せいしょう)(ほお)を確かに(とら)えている。同時に(ひじ)から先がビキッと(きし)んだ。倍の衝撃が骨を伝って肩まで侵攻してくる。——折れちゃいない。まだいける。

 

 星嘯(せいしょう)の首が、わずかに揺れ、音を鳴らす。口は笑みをたたえる。クソが。

 

 

 

 そう、

 

 ——黄泉のねーちんの力を借りず、俺ひとりの火力で、こいつを削り続ける。

 

 そのためにはもう、回避を捨てるしかねぇ。

 

 

 正面。

 

 星嘯(せいしょう)の金爪が横に薙いだ。先端が欠けていても風圧(ふうあつ)だけで身体が浮きかける。地面を蹴って(もぐ)り込む。皮膚(ひふ)()り付いたばかりの左手で、左のボディに叩き込む。賽子(ダイス)——×1。等倍。腹にくぐもった痛みがお返しとしてやってくる。短く連続で息を吐き出して、どうにかごまかす。

 

 星嘯(せいしょう)の顔色が落ち着いてきている。だが、俺の拳に合わせて半歩ずらしたり、金爪の角度を変えたりと反応はある。無視できるほど、効いてないわけじゃないってことだろう。

 

 ——アベンチュリンの×32でひびが入った身体。そこにひたすら拳を重ねていけば、確実にたどり着く先がある。

 

 問題は、削り切る前にこっちが先に潰れるかどうかってだけの話で——

 

 

 

「——この銀河は、間違っていると思いませんか」

 

 

 唐突に、星嘯(せいしょう)が口を開いた。

 

 金爪を振り下ろしながら。こっちが死に物狂いで避けてる最中(さいちゅう)に、まるで窓の外の天気に文句でもつけるみたいに聞いてきた。

 

 口調が——戻りかけている。

 

 さっきバグりかけてたはずなのに。ただ、まだ違和感がある。きれいに揃えようとして、逆に微妙にずれている。そんな不安定さが(ただよ)っている。

 

 

「それとも争いが絶えず、弱者は踏みにじられ、祈りは届かない。——それを"仕方がない"と受け入れることを、あなたたちは"正しい"と呼ぶのですか」

 

 

 金爪が(せま)る。身体を沈めて(かわ)した。頭の上を通り過ぎた風が、散乱した瓦礫の破片を巻き上げていく。倒れたアベンチュリンの近くまで地面がめくれ上がった。——頼むぞ、こっち必死こいてんだから、なんとしても気合いでフィールド維持してくれッ。

 

 体勢を立て直しながら、息の合間から声を押し出す。

 

 

「いやめっちゃそう思うよ——俺も」

 

 

 星嘯(せいしょう)の金爪が、ほんの一拍、遅れた。

 

 

「——争いばっかだし、小難しい言葉ばっか使うクソ運命に星神(アイオーン)信仰? どうかしてるわ。おかしい。全部おかしいよ、この銀河」

 

 

 嘘はついてねーぞ。シロッカどころかこっちの世界で生きてきて見てきたもの全部がそう言ってる。だいたい、マジで難しすぎる。俺聞いたことない言葉ばっか使うもん。”壊滅(かいめつ)”、”虚無(きょむ)”、”終焉(しゅうえん)”、”巡狩(じゅんしゅ)”、”繁殖(はんしょく)”、”貪欲(どんよく)”、”愉悦(ゆえつ)”とかどれもこれも物騒でロクでもねーのばっかだし。もっとゆるくてポップでキュートなのねーのかよ。”昼寝(ひるね)”とか”道草(みちくさ)”とか”満腹(まんぷく)”とか、そういうの。

 

 

 同意されると思ってなかったのか。星嘯(せいしょう)の動きに、ほんのわずかな隙間(すきま)が生まれていく。それを、

 

 見逃さない。

 

 左足で地面を割って()んだ。低く、鋭く。星嘯(せいしょう)(ふところ)に潜り込んで、右の拳をアッパーに切り替える。下から(あご)を突き上げた。

 

 ——×2。

 

 衝撃が星嘯(せいしょう)の頭を()ね上がらせる。同時に、手首がバキッとイヤな音を立てる。——折れてる。2秒で元に戻り始める。骨があるべき位置に収まる。

 

 着地。息が荒い。汗が目に入る。腕は動く。まだやれる。

 

 

「——であれば」

 

 

 顎を突き上げられた姿勢のまま、星嘯が言った。首を戻しながら。殴られた跡を気にする素振りすらなく。

 

「なおのこと——”壊滅(リセット)”が必要なのです」

 

 さっきまでの不安定さが消えて、まるで教壇(きょうだん)にでも立ったような声に変わる。

 

「壊して、作り直す。それ以外に、この銀河が救われる道はありません」

 

 星嘯(せいしょう)の目がこちらを射抜く。

 

 金爪を構え直してくる。

 

 身構え、呼吸を整えてから、

 

 俺は口を開いた。

 

 

 

 

 

「——それはないない」

 

 

 

 

 

 星嘯(せいしょう)が、止まった。

 

「同意したでしょう、この銀河は間違っていると」

 

「したよ。——でも、だからってブッ壊すのは(ちげ)ぇって言ってんだ」

 

 金爪が横に()いだ。(かが)んで避ける。風圧が背中を叩いて、近くの岩柱(いわばしら)に割れ目ができる。

 

 その軌跡を潜り抜けながら、左の拳で脇腹を打った。——×1。浅い。返ってくる痛みも弱い。

 

 

「おかしいのは認める。でも全部ぶっ壊してチャラにすりゃ解決なんて——乱暴すぎんだろ。こっわ」

 

 

 星嘯の目が、すっと細まった。

 

「……乱暴、ですか」

 

 声のトーンが更に変わり、教壇の声が失せた。もっと奥にあるもの——より核に近い何かが、()き出しになりかけている。

 

 

「では聞きましょう」

 

 

 金爪が止まった。——攻撃をやめたわけじゃない。構えたまま、こちらを見据えている。次の一撃のために溜めているのか、それとも。

 

 

「あなたは——壊さずに、どうやって救うのですか」

 

 

 その問いは——すぐに答えられなかった。

 

 口を開こうとした。何か気の利いた、軽くて鋭い一言を。それが出てこない。喉の奥で言葉が絡まって、(つば)と一緒に飲み込むしかなかった。

 

 沈黙を埋めるように、拳を振った。右ストレート。——×1。星嘯(せいしょう)の胸に浅く入る。返ってくる反動で、余計なことを考えなくて済む——わけがねぇ。頭の中がうるさい。

 

「……同志は」

 

 星嘯の声が、どんどん変わっていく。

 

 さっきまでの教壇の声でも、窓の外の天気の声でも、核に近い声でもなくなる。冷え切っていたそれに、体温が帰ってきたような声。

 

 

「——同志は、姉を救いたかっただけです」

 

 

 同志——ビョルン。

 

「幼き頃から理想を胸に抱き、二人で旅をして、”調和”を広めようとした。正しいことを実行した。それなのに——姉は壊され、声を奪われ、心を踏みにじられた」

 

 金爪が振られる。避けた。避けたものの、さっきより俺の動きが(にぶ)い。自分だからこそわかる。

 

「同志は姉を取り戻すために、自分の身体を切り売りした。目を。皮膚を。臓器を。——それでも足りなかった」

 

 知ってる。……全部聞いたよ。ビョルンの口から。

 

 拳を握り直す。踏み込む。左のフック。——×2。星嘯(せいしょう)側頭部(そくとうぶ)にクリーンヒットする。が、反動で左手の指の付け根の骨が潰れる。痛みが走って——気のせいかと思う速度で固まる。

 

 でも——

 

「”調和”を信じて、正しいことをして、それでも救えなかった人間に、あなたは何と言うのですか」

 

 ——即座に切って捨てることもできたろう。

 

 だが、それはダメだ。3()()の生き方を全否定することになる。俺はそんなことがしたいわけじゃない。

 

 ビョルンの顔が浮かぶ。「もう何もかもが遅い」と言ったあの目。エレーナが「お姉さんが本当に望んでいると思うの」と叫んで、ビョルンは——答えなかった。

 

 

「彼は——間違っていたのでしょうか」

 

 

 星嘯の声が、揺れた。

 

 ——人称が、ずれた。「同志」から「彼」に変わった。ほんの小さなずれだ。でもそこに、亀裂(きれつ)みたいなものが見えた気がした。

 

「姉を救いたかった。壊された世界を許せなかった。それは——間違いだったと?」

 

 拳が、止まる。

 

 いつの間にか殴るのをやめていた。身体が動かないんじゃない。動かせない、のとも違う。

 

 ——動かす理由を、一瞬見失った。

 

 

 一理ある、と思った。

 

 

 思ってしまった。

 

 

 ビョルンのやったことは許せねぇ。延々裏で各勢力を操り、子どもたちを利用して、シロッカ全体を争いの終わらない星に変えた。そしてそれをもって”壊滅”を推し進めようとした。

 

 でも——その出発点にあったものは。姉を救いたかった。たったそれだけのことだった。そのたったそれだけのことが、この銀河のどこにも届かなかった。

 

 

 その絶望の末に至った運命を——「間違いだ」と切り捨てられるほど、俺は何かを持っているのか。

 

 

「私は——」

 

 

 星嘯(せいしょう)が続けた。

 

 

 ——私は。

 

 

 「彼は」じゃない。

 「同志は」でもない。

 

 ——「私は」。

 

 

「私は、ただ——救いたくて、救われたかった」

 

 

 それは誰の言葉なんだろうか。

 

 ビョルンの言葉なのか、星嘯(せいしょう)の言葉なのか、もうわからない。融合した2つの意識の境界が溶けあって、どの声なのかもどの考えなのかも判別できない。

 

 ——いや。これが、融合(ゆうごう)ってことなんだろう。

 

 ビョルンの痛みを星嘯(せいしょう)が飲み込んで、”壊滅こそが救済”という星嘯(せいしょう)論理(ロジック)をビョルンが受け入れて、2つがひとつになった結果が……これだ。

 

 

 星嘯の目が、こちらを据えたまま、そらされることはない。

 

 

 次の言葉が来る。わかっていた。

 

 

「——あそこで声も出せずに立っている彼女(レディ)も、そうだ」

 

 

 視線が、俺を通り過ぎて——後方へ向いた。

 

 

 ロビンの、いる方向。

 

 

「奪われ、壊され、それでも何も変わらない。彼女(レディ)もまた——この銀河の犠牲者だ」

 

 

 一瞬。

 

 ——沸点(ふってん)()えそうになった。

 

 でもそれを抱きかかえ、落ち着かせるように——白い空間で聞いた小鳥の声がした、気がした。

 

 小鳥。あの青い小鳥。白い圧に押し戻されそうになりながら、必死に翼をばたつかせていた。排除されかけても、あの空間から出ていかなかった。

 

 鳥かごと、空と、どっちが正解だったのか。

 

 ——「いつか答えを聞かせてね」とあいつが聞いてきた問い。

 

 ずっと、答えが出なかった。

 

 

 

 

 

 

 ——あ〜〜〜、

 

 ——やめだやめだ、頭を使うのは、

 

 ——俺らしく、ねぇや。

 

 ——なんに縛られるでもなく、

 

 ——ただ、心の、魂が(おもむ)(ほう)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——わりっ、わかんねぇわ」

 

 

 声は(かす)れていた。息も足りてない。

 

 

「正解なんてわからねぇ。ビョルンが間違ってたかどうかも、この銀河がどうすりゃ直んのかも——俺にはわかんねぇよ」

 

 星嘯(せいしょう)が、じっとこちらを見ている。金爪は静止したまま。

 

 

「けどな——」

 

 

 息を吸う。肺が(きし)む。殴り合いのダメージが全身に溜まっている。指の骨が()まり直した右手も、三枚に下ろされかけた左手も、全部が全部痛い。

 

 

 でも——口は動く。

 

 徐々(じょじょ)に腹に力を入れて、言葉に想いを乗せる。

 

 

 

「正解とか間違いとかの話じゃねぇだろ」

 

 

 

 星嘯の目が、わずかに見開かれた。

 

 

「鳥かごにいた方がよかったか、外にいた方がよかったか、どっちが正解か間違いかなんて誰にもわかんねぇ」

 

 あの小鳥を思い出す。白い空間で、圧に押し潰されそうになりながら、それでも飛んでいた。弱々しくて、ふらふらで、とても空を渡れるような翼じゃなくて。

 

 それでも——飛ぶのをやめなかった。

 

 

 

「どんなに(ツラ)い目にあったって、全部投げ出して諦めないで、何かひとつでもできることをやろうって前を向くヤツがいるんだよ」

 

 

 

 声が大きくなっていく。自分で制御できない。

 

 

 

「声を奪われて、歌を奪われて、——それでもそいつは立ってる。明日に向かって、前に進もうとしてる」

 

 

 

 名前は出さない。出さなくていい。

 

 

 

「そんなヤツをひとり、俺はよぉーうく知ってんだよ」

 

 

 届くように、声を張り上げりゃあ、

 

 

 それでいい。

 

 

「年下だけど、スゲぇそいつが前を向いてんのに、

 年上の俺がブン投げて諦めんの、

 認めるわけにはいかねぇだろ」

 

 

 

 息を吸い、

 

 

 

「せいぜい勝手に”運命”ってレッテル()って(えつ)()ってろよ。どっちかが正解だったら、もう片方は不正解確定か? かわいそうじゃねーか。そんなの」

 

 

 

 ハッキリと、

 

 

 

「正解か不正解なんて二択は意味ねぇんだよ。

 

 んなことよりも……、

 たとえ”不正解”だったとしても、

 自分が選んだことを必死こいて、

 ”正解”にしてくんだよ。

 

 それが”運命”なんて適当に()いた軌跡(レール)じゃねぇ、

 てめーの”命の運び方”ってもんだろうが。

 

 そんな——傷だらけの美しさを認めず、

 勝手にみんなの人生終了させようとすんじゃねぇ。

 

 ブワァ()ーーーーカ!!」

 

 

 

 俺は叫んでやった。

 

 

 

 

 

 その瞬間、星嘯の身体が——ブレた。

 

 

 

 

 ×32の時と同じだ。輪郭(りんかく)がぐちゃっと乱れて、シルエットが二つに分かれかける。今度はさっきより長い。二人、重なり合うような影が——

 

 

 星嘯(せいしょう)の口が開き。すぐ閉じた。何かを言おうとして、それでも言葉は(つむ)がれない。

 

 

 おそらく融合(ゆうごう)が、ほころびてきている。

 

 

 その予想が合っていて、融合の接着剤が()がれかけているとするなら。もう一押し。もう一段上の衝撃を叩き込めば、完全に引き剥がせるかもしれない。

 

 

 ——×64。

 

 残りの面の中に、あの数字が眠っている。

 

 ただし——問題がある。賽子(ダイス)に残っている面は、明暗の割合的に半分、ざっと50。×64が出る確率は50分の1。2%。普通に殴って当たりを引く確率じゃない。

 

 

 じゃあどうする。

 

 

 アベンチュリンは幸運か何かで最高倍率を引き寄せた。

 

 

 それが真似出来るか? ……これまでのギャンブルの負け分考えるとちょっち不安が過ぎる。

 

 

 

 俺は——俺のやり方でやるしかねぇ。

 

 

 

 5()0()()()()()()()

 

 

 

 空振りでも賽子(ダイス)は回る。面が消費される。1面消費するごとに×64の出る確率は上がっていく。

 

 50分の1が、49分の1になり、48分の1になり——20面まで削れば5%。10面なら10%。面を減らせば減らすほど、×64に近づく。

 

 当然、空振りでも反動は返ってくる。殴った分の衝撃が、自分の身体に。当たってもいないのに。30回以上、それを食らい続けることになる。

 

 それだけじゃない。——削ってる最中に偶然×64の目が出ることだってあり得る。当たってねーのに×64の反動だけ食らって、しかも×64の面が消える。最悪の幕引きだ。考えたくもねぇ。

 

 

 

 けど、それを怖がってたら一生面は減らない。

 

 

 

 普通の身体なら、どんくらいだ? せいぜい2,3回で限界ってとこか。

 

 ——あいにく、俺の身体は普通じゃなくなってんのよ。

 

 ルアン姉ちゃんが勝手に仕込んだであろう、このイカれた再建能力が続く限り——何度でも、賽子(ダイス)を振れる。

 

 これは俺にしかできない。

 

 拳を握った。右。左。どっちも動くな、よし、まだ動く。

 

 星嘯に向かって——踏み出す。

 

 一発目。

 

 右ストレート。全力。星嘯(せいしょう)の顔面を狙って——空を切った。金爪で弾かれたんじゃない。こっちの拳が届く前に、星嘯が半歩引いた。

 

 賽子(ダイス)が回る。——×1。

 

 当たってないのに、右拳にどすんと衝撃が返る。まるで壁を殴ったみたいだ。指の関節が文句をブー()れまくってる。1面消費。残り49。

 

 二発目。

 

 左フック。星嘯の耳を狙う。——また外れた。今度は金爪が割り込んで弾かれる。

 

 賽子——×1。左手全体に鈍い痛み。砕けたなこりゃ。1面。残り48。

 

 三発目。

 

 右のボディ。身を低くし腹を狙う。星嘯(せいしょう)は身をひねり、拳が空を叩いた。

 

 ——×2。倍の衝撃が右腕限定の暴風雨と化す。もう骨も筋も半狂乱だろう。1面。残り47。

 

 外す。食らう。治る。

 

 四発目、五発目。連続で振る。どっちも空を切る。賽子(ダイス)は×1と×1。右手の皮が裂けて、塞がって、また裂けた。

 

 残り45。

 

「——何を、して——!?」

 

 後ろからエレーナの声が飛んできた。黙ってられなかったんだろう。

 

 振り返らず代わりに、左手を後ろに向けて、制する。

 

 

 ——黙って見とけ。

 

 エレーナの声が途切れた。

 

 六発目。

 

 右のアッパー。下から突き上げる。星嘯(せいしょう)の顎をかすめた——だけ。ほぼ空振り。

 

 ——×2。顎から脳に衝撃が突き抜けるような反動。一瞬、視界が白く飛ぶ。1面。残り44。

 

 頭を振って視界を取り戻す。

 

 七発目。空振り。×1。痛ぇ。

 八発目。空振り。×1。痛ぇ。

 九発目。かすった。×2。ひたすらに痛ぇ。

 

 残り41。

 

 十発目。空振り。

 

 この辺から、記憶が怪しくなってくる。

 

 十一。十二。十三。殴って、外して、食らって、治って。繰り返す。また繰り返す。身体が覚えたルーティンを、頭を使わずにこなしていく。単純作業。拳を振る。当たらない。痛みが来る。骨が軋む。肉が裂ける。数秒で元通り。また振る。

 

 星嘯(せいしょう)は——避けている。あるいは、弾いている。こっちの拳が本気であることはわかっているはずだ。でもまともに受ける気はない。×64が出たら終わりだと、あいつもわかってる。だから当てさせない。

 

 どっかで冷静な自分もまたいて、暴発すらしねーのかよ。笑えるな。みんな俺のこと運が良いとか言ってくるけど、これ見てそれでも言えんのか? とか考えている。

 

 ——十五発。

 

 残り35面。

 

 腕の感覚がなくなり始めた。痛みはある。あるけど、遠い。身体の奥で誰か別の人間が殴られているみたいだ。身体の修復が追いついているのか追いついていないのか、もうわからない。

 

 十八発。残り32。

 

 空振り。空振り。かすった。空振り。

 

 膝が笑い始めた。踏み込む力が弱くなっている。自分でわかる。拳を振る動作も雑になってきた。最初は顔面やボディを狙い分けていたのが、今はただ——前に突き出すだけ。

 

 二十一発。残り29。

 

 視界がぼやけてきた。汗なのか血なのか、わからないものが目に入る。(ぬぐ)う余裕がない。拳を振る。外す。食らう。振る。外す。食らう。

 

 二十五発。残り25。

 

 よう、やく——半分だ。

 

 ここまで来た。来ちまった。

 

 息が荒い。荒いなんてもんじゃない。喉から音が出てる。ひゅう、ひゅう、って。肺が潰れてるのか穴が開いてるのか、どっちでもおかしくない。

 

 二十七発。まだ。空振り。×2。反動で右腕の肘がぽきっと折れた。声にならない声が漏れる。腕がだらんと垂れる。4秒。さっきより遅い。修復が——遅くなってる。いくらなんでも限界が近い。(ひじ)が治るまでの4秒間、左手だけで振った。

 

 二十九発。残り21。まだ。

 

 

 

 

 三十発。空振り。残り20。

 

 

 ——ここだ。

 

 

 50面中の×64を引く確率は2%だった。今、20面。5%。まだ低い。でも——2%の頃よりはマシだ。分の悪い賭けには違いないけど、さっきよりはほんの少しだけ、光が見える。

 

 膝が折れかけた。

 

 踏みとどまる。歯を食いしばって——いや、奥歯がひび割れてるのがわかる。食いしばるたびにじゃりじゃりと砂利(じゃり)を噛むような感触がする。からからな喉は、鉄の味しかしない。

 

 

「——それで? 終わりですか?」

 

 

 もう何発振ったか数えてない。三十何発目かの拳を前に突き出そうとしたとき——

 

 

 

 

 ふっ、と。

 

 

 何かが、背中に触れた。

 

 

 風みたいに、ふわっと背中を撫でて通り過ぎた。

 

 

 あたた、かい。

 

 

 この感覚は——知っている。

 

 

 白い空間で感じたのと同じだ。あのとき頬に落ちてきた、湿った、あたたかさ。

 

 あいつの涙が届けてくれたもの。

 

 振り返りたかった。振り返って後ろを見たかった。でも身体が動かない。首を回す余裕すらない。

 

 代わりに——聞こえてくるのは、

 

 

 何かのメロディ。

 

 耳からじゃなく、身体の内側に直接流れ込んでくる。カタチのはっきりしない、でも確かに音楽と呼べるもの。

 

 遠くて、

 

 近くて、

 

 やわらかくて、

 

 芯がある。

 

 何の曲なのかわからない。声なのか、楽器なのかすら判別できない。

 

 ただ——それが誰から届けられているのかがわかり、身体の隅々まで()み渡っていく感覚だけが、確かにある。

 

 痛みが引いてくれたわけじゃない。痛みはある。全身のどこもかしこも壊れかけている。でも、その痛みの奥に、もうひとつ別の想いが流れ込んでくる。

 

 

 

 ()()()()()()()と、

 

 

 俺は1人じゃないと寄り添うように、

 

 

 

 見なくても、わかる。

 

 

 

 きっと、その行為を形容していいのなら。

 

 

 

 

 ——祈り。

 

 

 

 

 

「それが——お前にしかできねぇことってワケかよ。サンキュ」

 

 

 

 

 翼の生えた希望のように——、

 

 腕が、軽くなった。さっきまで鉛みたいだった右腕が、嘘みたいに上がる。修復が追いついたのか、それとも——。

 

 

 理屈はわかんねぇ、

 

 

 でも——いける。

 

 根拠はない。脳は「無理だ」と言っている。身体の信号は全部赤信号だ。

 

 それなのに、胸の奥の——白い空間から持ち帰った何かが、静かに、でもはっきりと言っている。

 

 

 

 ——いける。と。

 

 

 

 拳を握り直した。

 

 右。左。どっちも動く。どっちも握れる。

 

 星嘯(せいしょう)が、こちらを見ている。さっきまでとは目が違う。何かを感じ取っている。こちらの変化に——気づいている。

 

 賽子(ダイス)が、ゆっくりと回っている。残り20面。そのうちの1面に、×64が刻まれている。

 

 

 右手を突き出し、——構えた。

 

 

 頭ん中に去来したのは、あの白い空間。

 あの一人ぼっちの背中。

 俺を見つめた、砂嵐の向こう側——

 

 

 

「何をす——」

 

「——力貸せぇぇッ!

 引きこもり!!!」

 

 

 踏み込んだ。

 

 残り20面。その中のどれかに×64がいる。当たるかどうかはわからない。

 

 わからないけど——さっきまでと、何かが違う。

 

 背中にあるあたたかさ。身体の内側を流れるメロディ。それが拳の先まで届いている気がする。

 

 けど、拳を握った手が震えていない。ここまで三十発以上振って壊れ続けた手に——力が満ち満ちている。

 

 右足で地面を蹴った。

 

 脳内に言葉が流れ込んでくる。それをそのまま吐き出す。

 

 

 

「星は遠く 命を運び」

 

 

 全力。出し惜しみなし。持ってるもの全部を右の拳に乗せて、星嘯の——金爪の、その奥を狙う。

 

 

 

「歩みは軽く 旅は続く」

 

 

 ”させません”——星嘯(せいしょう)が動いた。金爪が迎撃に来る。

 

 

「それは()の願い ()の約束」

 

 

 

 当然だ。ここまで三十発、一度もまともに当てさせなかった相手が、最後の一発だけ素通りさせるわけがない——。

 

 

 

(くさび)を砕き (くびき)を断ち——」

 

 

 金爪と拳が、正面からぶつかる——

 

 

 賽子(ダイス)が、回る。

 

 

 世界が、止まった。——ように感じた。

 

 賽子(ダイス)の面がゆっくりと回転していくのが見える。さっきまで一瞬で結果が出ていたのに、今だけ時間が引き延ばされている。

 

 面がひとつずつめくれていく。×1でも×2でもない。数字が流れて、流れて——

 

 

 止まった。

 

 刻まれていた数字を見て、呼吸を忘れた。

 

 

 

 ×64。

 

 

 ——出た。

 

 

 拳が、光りを放つ。

 

 

 嘘だろ。比喩じゃない。右の拳が琥珀色に光っている。賽子(ダイス)の倍率が目に見える形で拳に宿っている。

 

 

 ×64は——この拳に今、全部が凝縮された。

 

 

 ならやることは、ただ、ひとつ——!

 

 

(とら)われしすべてのものに 終着(しゅうちゃく)のその向こう側を」

 

 

 

 金爪が、目の前にある。

 

 

 

 ぶつ、

 

 かる。

 

 

 

 

 拳と金爪が激突した瞬間——音が消えた。

 

 衝撃波でも轟音(ごうおん)でもない。逆だ。すべての音が吸い込まれるように消えて、

 

 無音の中で、

 

 

 

 金爪に亀裂が走るのが見えた。

 

 

 

 黄泉(よみ)のねーちんが先端を斬ったとき入った傷が——起点になっている。亀裂がそこから枝分かれして、根元に向かって一気に広がっていき、

 

 

 ついに、

 

 

 限界を迎え、

 

 

 

 

 

 金爪が——砕けた。

 

 

 

 

 

 破片が琥珀色の空間に飛び散る。スローモーションみたいにきらきら光りながら散っていくのが、場違いなくらい、やけに綺麗だった。

 

 

 そして——金爪の奥に、あったもの。

 

 

 今は暗い光を放つ球体。脈打つように明滅している。見覚えがある。

 

 

 ——星核。

 

 

 こいつが、全部の中心にあったもの。ビョルンとソニアを飲み込んで、星嘯の分体を作り上げて、シロッカを地獄に至らせる元凶。

 

 

 拳が——止まらない。

 

 

 金爪を砕いた勢いのまま、右手が星核に向かって伸びている。止める理由がない。ここまで来るために三十発以上空振りして、身体を壊し続けた。

 

 指先が、星核に触れた。

 

 掴んだ瞬間——胸の奥で、何かが応える。

 

 指先から星核に、何かが流れ込んでいくのがわかる。俺の意志じゃない。身体が勝手にやっている。

 

 

 

 「■■」の力が、星核を通じて、その中に閉じ込められたものに——届こうとしている。

 

 

 

 ——ビョルン。ソニア。

 

 

 ——待ってろ、自由にしてやる。

 

 

 

 

 

最果ては(ソル)--解き放たれた君の星(アフィリオン)

 

 

 

 

 声が出ているのかどうかもわからない。口が動いて、言葉が出て、でもそれが自分の声なのか、もっと別のどこかから来ているのか——

 

 

 視界が、光で白く染まっていく。

 

 

 琥珀色の賭場(フィールド)が遠のいて、星嘯(せいしょう)の身体が遠のいて、後ろにいるはずのエレーナもロビンも見えなくなって——

 

 

 

 白。

 

 

 

 

 全部が白に塗り潰されて、

 

 

 

 

 

 ——気がついたら、

 

 ——俺はまた、あの場所に立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 






■執筆時BGM
「翼の生えた希望」ロビン
 ⇒タイミングはお任せします。ぜひ流してみてください。
「Starrrrrr」[Alexandros]
 ⇒詠唱シーンはずっとかけてた 



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