ルキンフォー・エム   作:來馬らんぶ

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#44 "AFTERGLOW"

 

 

 

 

 

 白い空間。

 

 

 

 ……戻ってきてしまったんですねぇ。

 

 

 

 意味深につぶやいて眼鏡(めがね)クイッとしたいところだが、そういうおふざけの出来ない場所。

 

 上も下も右も左もない。地面を踏んでいる感触もあやふやで、それもそのはず、足元を見ても白しかない。天井もなければ壁もない。どこまでも続く白。

 

 ただ、2つ言えることがあるとすれば、まず今回は何かが違う。

 

 前に来たとき、ここには何の音もなかった。自分の呼吸すら聞こえるか怪しいくらいの、完全な静謐(せいひつ)。身体が溶けていくような、ぼんやりとした無だった。

 

 今は言うなれば、……空気が動いている。

 

 (かす)かだけど、肌に触れる何かがある。温かくも冷たくもない。

 

 でも、確かに「在る」。

 

 それと——余韻(よいん)、だろうか。

 

 最後の一撃を放つ直前、背中に重なった祈りの残滓(ざんし)が、この空間にまだ(ただよ)っている気がした。

 

 さしずめ「全部を手放す場所」であるはずのこの白の空間。何も入れない、何も留めない、ことが浸透(しんとう)している場所。

 

 それが今は——少しだけ、ゆるんでいるように感じる。

 

 理屈はわからん。わかるのは、とにかく前回とは空気が違うってことだけだ。

 

 そして2つ目。ここの(ヌシ)なのかは知らんけど、体育座りマン——は、どこにいる?

 

 前は少し離れた場所に座っていたが、今は——

 

 あいつの姿がない。

 

 見渡しても白だけだ。あの背中がどこにも見えない。消えた? まさか。それとも、この空間そのものが前回と構造が変わってん……のか?

 

 (あせ)るな。落ち着け。何か、他に、

 

 

 

 ——そこで、気づいた。

 

 

 

 十数歩先に、誰かが立っている。

 

 

 最初、体育座りマンかと思った。だがすぐに違うことを悟る。白い空間の中に、白に近い色の何かが——立っている。背筋を伸ばして、こっちを向いて。

 

 

 女——おねーさんだ。

 

 

 長い髪。白い空間の中で、淡い、なんだろう、水色のような、銀のような色が見える。次第にはっきりしたラインが浮かび上がる。顔立ちがわかり、目が合った。

 

 知らない顔だ。

 

 いや……知らない、よな?  けど既視感(デジャヴ)っての? どっかで見た気もちょっとすんだよな。見たことがあるような、ないようなシルエット——あ、

 

 地下聖堂でビョルンの前に立ちはだかったあの背格好。そして頭に乗っかっていた黒真珠(くろしんじゅ)マスク。

 

 でも、あのときの空虚な操り人形じゃない。

 

 マスクはなく、静かな目がこっちを見ている。瞳に光がある。意志が宿(やど)っている。

 

 

 ——ソニア?

 

 

 声に出したのかどうか、自分でもわからなかった。

 

 女性が小さく頷いた。

 

「はい」

 

 (おだ)やかな声。ちゃんと芯があって、ちゃんと息を吸って、ちゃんと喉を震わせている。

 

 

「ソニアです。——あなたが、ゼインさんね」

 

 

 (あやつ)られていた状態しか見ていなかったから、正気(しょうき)のソニアが目の前に立っているという事実が、脳の処理に少し時間がかかった。

 

「あの……あんた、話せるんすか?」

 

 馬鹿みたいな第一声。だが、ロビンと同じく、声を失ったと聞いていたから、まずその戸惑いが先に来た。

 

「——私もよくわからないけど……ここは不思議な場所ね。話している感覚がないようでいて、声は届いていて……」

 

 自分自身もよくわからないとソニアは言う。

 

 まぁ一応何度か来ているはずである俺ですらほとんどわかっていないここを、おそらく初回のソニアがわかるはずもないだろう。

 

「私は、少し前に……目が覚めたの。あなたが来る前に」

 

「目が覚めた——って、つかあの、大丈夫すか? 心というか、その」

 

「はい。メロディと光の手が——届いたの。温かいものがふたつ、ここまで流れてきて。それで、あの子の声も……聞こえた」

 

 あの子——ビョルンのことかと俺は察する。

 

 ソニアが目を閉じた。長い睫毛(まつげ)が伏せられて、数秒、沈黙が落ちた後に、

 

「ごめんなさい……ずっと見ていたんです」

 

 静かに口を開いた。

 

「——はい?」

 

(あやつ)られている間も。意識の全部が消えたわけじゃなかった。奈落(ならく)の底のような場所から、ずっと……見ていました。自分の身体が何をしているか。あの子が何をしようとしていたか。あの方——星嘯(せいしょう)が、あの子を使って何を(くわだ)てていたかも」

 

 声に震えはない。でも、淡々としているわけでもない。ひとつひとつの言葉を、確かめるように口にしていた。

 

 忘れないために、わざわざ己に噛んで含めるように。

 

「止めたかった。何度も。内側から叫んで、手を伸ばそうとして——でも、(とら)われてた私は、指一本動かせなかった」

 

 ソニアの瞳がこっちを(とら)える。

 

「ようやく動けたのは、最後の……一瞬」

 

 ……別に完璧に理解したわけじゃない。

 

 それでも壊れた心の……奥底からソニアは全てを見ていたのだろう。手を伸ばし、弟を助けようとしていたのだろう。

 

 それが本当に届いたのは、あの最後にビョルンをパルサーエッジから守ったあの瞬間。

 

「……その後の、私たちとあなたたちの戦いも見ていました。アベンチュリンさんが賭場(フィールド)を展開したことも。あの子と——ゼインさんが、向き合ったことも」

 

 そこでいったん言葉を止めて、

 

「——弟を、止めてくれて、ありがとうございます」

 

 深く、頭を下げた。

 

 白い空間に、その所作(しょさ)がやけに鮮明に映る。長い髪が垂れる。ここに重力があるのかも怪しいのに、丁寧に、深く。

 

「…………」

 

 俺は——何も言えなかった。

 

 止めた、のか?

 

 俺がやったことは——まぁ死ぬほど身体張(からだは)ったくらいだ。そこに至るまでにアベンチュリンが命を削って賭場(フィールド)を維持して、ロビンの勇気ある祈りが、黄泉のねーちんの攻撃の積み重ねが、エレーナの臨機応変(りんきおうへん)な対応が。

 

 何ひとつ、誰ひとり、欠けてはならなかった。

 

 だから、俺ひとりで成し遂げたことなんか、何もない。

 

 そして、何より、俺は……きっとこの人たちを助けられてはいないと思う。

 

「……礼を言われるに(あたい)するようなことは——できてねぇっすよ」

 

 ソニアが顔を上げた。否定も肯定も、しなかった。

 

 ただ、少しだけ——笑ったように見えた。

 

「……あなたは、正直なひとなのね」

 

「正直っつうか、事実を言ってるだけで」

 

「それが正直ということですよ」

 

 かなわねーなぁ。この穏やかさの中で(しん)を食う言い方に反論する(すべ)が見つからない。なんなんだ、”調和(ちょうわ)”の派閥(はばつ)ってのは、こういう人間を育てんのか?

 

 沈黙が数秒。

 

 ソニアが横を向いた。白い空間の奥——何もないはずの方向に、視線を送っている。

 

「あの子に、会ってくれますか」

 

「……ビョルンに?」

 

「はい。——あの子は、まだ自分を許せていないから」

 

 ソニアの声に、ほんの少しだけ震えが混じった。今までで初めてだった。

 

「おねーさんは……許してるのか」

 

 ()いてからしまったと思った。踏み込みすぎだ。

 

 でもソニアは怒らなかった。

 

「許すも何も。……あの子がしたことはすべて私のためにしたこと。ならばその責任は私がすべて背負います」

 

 断言だった。迷いのかけらもない。

 

「”壊滅(かいめつ)”に取り込まれ、利用されて、それでも姉を、私を守ろうとした。なのに、あの子が抱えていた苦しみを、私は——助けてあげられなかった。姉失格よ……でも、だからこそ」

 

 ソニアが、もう一度こっちを見た。

 

「願わくば、我が弟に幸福を与えん。——ゼインさん。あの子のところに、行ってあげてください」

 

 

 

 

 

 

 

 ソニアが視線を向けた方向に、足を踏み出す。

 

 白い空間に距離の概念(がいねん)があるのかわからない。前に来たときも距離感は狂っていた。

 

 だから、歩くというより、ただ向かっているというのが正しいかもしれない。

 

 ソニアに案内されるままに、段々と空間がまた少し印象を変えていく。 

 

 白の濃度が少しだけ落ちたような、さっきまでの均一な白に、影が混じっている。

 

 

 そして——見えた。

 

 

 ()()()は、ぼうと彼方(かなた)を見つめたまま突っ立っていた。

 

 フルフェイスマスクも、車椅子(くるまいす)もない。()()しの、ビョルンそのものだった。だが、マスクを外したとき見えた、男の顔の上にあった痛々しい片目の(くぼ)み、火傷痕(やけどあと)(ゆが)んだ口元はなくなっている。

 

 敵として向き合っていた時は、ソニアを操り、音を武器にし、聖堂の全部を支配して、俺たちをねじ伏せようとしていた。でっかい存在だったが、

 

 

 今は小さく——まるでただの少年のように見える。

 

 

「——よぉ」

 

 

 声をかけた。

 

 ビョルンの肩が、びくりと動いた。

 

 振り返り、俺たちを認識し、

 

 

「……あなた、は」

 

 

 声が出ている。おそらく、元々のビョルンの声だ。

 

 

「ゼインだよ。——覚えてるだろ」

 

「あ、ああ……覚えて、る」

 

 さんざバトったんだ。忘れてもらっちゃ困る。

 

「……ここは……なんなんですか」

 

「俺が聞きてぇよ、そんなん。なんなんだろな、ここは……」

 

 肩をすくめて信じられないように俺を見つめた後、黙って、それから——

 

「……僕は、どうなるのですか……」

 

「——さぁ、な」

 

 冷たいかもしれないが事実だ。自分でもよくわかっていなかった。我を忘れる勢いで、ここに至る前に「自由にしてやる」って思ったけども、その先のことは何も考えていなかった。

 

「姉様は——」

 

 俺は無言で道をゆずるべく、横にずれる。

 

 ビョルンの目が、俺の後ろに向いた。

 

 

 そして——見開く。

 

 

 丸めていた背中が強張(こわば)る。唇が開いている。

 

「——ね、え」

 

 喉から、壊れた楽器みたいな音が漏れた。

 

「ねえ、さま——?」

 

 ソニアが、そこに立っていた。

 

 柔らかく、微笑んで。

 

 泣いてはいない。目が少し赤いけど、泣いてはいない。ただ、まっすぐに弟を見ている。

 

 

「ビョルン」

 

 名前を呼んだだけだ。それだけ。

 

 ビョルンの身体が——(くず)れた。

 

 

 力なく(ひざ)から崩れ落ちて、白い地面に手をついた。

 

 

「ねえさ——ぁ」

 

 声にならない声。手をついたまま顔が上がらない。

 

 ソニアが、静かに歩み寄った。

 

 膝をついて、弟の目線まで合わせる。

 

 その手が、ビョルンの頭に置かれた。

 

 

「——よく、頑張ったね」

 

 

 ビョルンの肩がはねた。

 

 

「ずっと、守ってくれてありがとう」

 

 

 言葉が降るたびに、ビョルンの身体から力が抜けていく。自分を罰し続けていた何かが、姉の手のひらの下で溶けていくのが見える。

 

 

「あなたは私の宇宙で1番——自慢の弟よ」

 

 

 ビョルンが顔を上げた。顔の全部で泣いていた。

 

 

「——ごめん、ね。ごめん……ごめんなさい。僕、姉様をまもれ——」

 

「何も謝ることはないの」

 

「でも僕が——僕のせいで——あん、あんな——」

 

 ソニアはゆっくり首を横に振る。

 

「あなたのせいじゃない。あなたはただ、私を助けたかっただけでしょう?」

 

「こん……どこそ、まもれるって……ぇ……っ」

 

「私にはわかるのよ。ずっと見ていたから」

 

 

 俺は——少し離れた場所に立ったまま、黙って見ていた。

 

 口を(はさ)余地(よち)がない。(はさ)()もない。

 

 ビョルンがソニアにすがって、ソニアがその頭を()でている。白い空間の中で、二人だけが色を持っている。

 

 世界から切り離された場所で、最後に残った二人。

 

 

 どれだけ願っていたのだろう。

 

 

 ——ずっと、こうしたかったんだろうなと思う。

 

 

 ビョルンは姉を(すく)わなかった全てを呪い、”壊滅”の手を借りた。だが本当にそれだけなんだろうか。確かに何もかもを壊そうとしたが、その(かたわ)らに置き続けたのは他ならぬソニアだ。

 

 これは、……俺の仮説に過ぎない。

 

 目の前の2人の今のやりとりを見て、(ほだ)されてしまっただけの妄想なのかもしれない。

 

 だけど、思うんだ。

 

 もしかしたら、ビョルンは……姉を、ソニアを今度こそ守るために……何もかもを壊そうとしたのではないかと。

 

 2人が傷つけられた星と同じような状況を持つこのシロッカで、復讐(ふくしゅう)のように泥沼(どろぬま)の状況を作り上げ、そしてそれを(こわ)すことによって、

 

 ——もう誰にも、何にも(おか)されることのない2人だけの世界にしたかったんじゃないのだろうかと。

 

 

 

 ビョルンの泣き声だけが響いている。

 

 それをソニアはただ受け止める。

 

 

 

 ……ソニアはビョルンを止められなかった。お互いがお互いを守りたかったのに。その願いは叶うことなく、2人とも壊れて、他人まで巻き込んで——でも、始まりにあったのは、(かか)げた理想という夢よりも、もっと、もっと、先の、はじまりにあったのは、こんな、ごく単純な感情だ。

 

 

 

 

 ——2人で幸せになりたかった。

 

 

 

 

 それだけだ。

 

 

 

 俺が言える言葉なんか、何もない。見ていることしかできない。

 

 でも——見ていなきゃいけない気がした。目を()らしちゃいけない気がした。

 

 

 

 

 

 それから……どれくらい経ったのか、わからない。

 

 

 

 

 ソニアが顔を上げた。弟の頭を撫でていた手はそのままで、遠くを見るような目をした。

 

「——もう、充分(じゅうぶん)

 

 誰に言ったのかわからなかった。俺にか、ビョルンになのか、……それとも、この空間そのものに?

 

 

「ありがとう。私はもう行かないと」

 

 

 行く。それはたぶん——消える、ということだ。

 

 ビョルンが顔を上げた。姉を見上げて、固まる。ようやく絞り出したのは、

 

「……どういうこと、です」

 

「この全ての騒動の責任を取りに行かないと——ゼインさん」

 

 不意に名を呼ばれ、ビョルンに背を向けたソニアに、それでいいのかと俺が口にするより早く、

 

「イヤです。責任を()うというのならば僕も背負います……っ」

 

「……それはダメよ。全部私のためにやったことなんだから……だから」

 

「いつも、……いつもそうじゃないですか!!!」

 

 それは、地を()うほどの、懇願(こんがん)

 

「いつも、いつもいつも……姉様は先に行ってしまう……僕は、僕はそれを追いかけるだけだ。お願いします……どうか……もう……僕は、姉様を……ぉ……

 

 

 ——失いたくない……っ!!

 

 

 横目に、何かを(ぬぐ)仕草(しぐさ)がチラッと入ってしまったので俺は明後日(あさって)の方向を向く。

 

 無粋(ぶすい)なことは重々(じゅうじゅう)わかってる、それでも、この不器用な2人にはきっかけが必要だと思った。

 

 

 誰に言うでもなく、風に乗せるように、

 

 

「聞くところによるとさ、——風向(かざむ)きってのは、必ず変わるらしいぜ?」

 

「——ッ、……ごめんなさいッ」

 

 振り返り、姉は弟を抱きしめる。

 

 答えなど、それだけで十分だった。

 

 

 

 

 

 

 

 やがて、ビョルンがゆっくりと立ち上がる。姉の手を借りて、よろけながら。ソニアが支える。ようやく2人が並んで立つ。

 

 身長はビョルンの方がほんの少し高い。でも、並んで立つ姿を見ると——不思議と弟のほうが小さく見える。

 

「……行っちまうのか」

 

「ええ、私たちは既に”星核”に取り込まれ、同化(どうか)しています。この場で会えたのはつかの間の奇跡のようなもの……あなたの力で引き()がすことは出来るかもしれませんが、それは私たちの望むことではありません」

 

 揺るぎない覚悟のように、語調はストレートだった。

 

 そして、黙っていたビョルンが姉の発言を引き継ぐ。俺に向けて、

 

「——星核はあの方たちによって、反自滅因子(アンチアポトーシス)で汚染されています。それは本来の在り方ではない」

 

 聞いたことのない単語に面食らう。

 

「……な、なにそのアポなんちゃらって。それに”本来の在り方”って、どういうことだよ……俺の知ってる星核ってのは、なんつうか、願いをほぼ確実に最悪のカタチで叶える願望器(がんぼうき)って理解なんだけど」

 

「ええ……その在り方が間違っているのです。”星核”とはすなわち”星の核”。とどのつまり、莫大(ばくだい)虚数(きょすう)エネルギーが”調和”によって編まれた結晶体です。本来は——星を壊すものではない」

 

「えぇー……ごめん、ここに来てなんだけど、もう少しわかりやすく」

 

 本格的に汗が出てきそうだったところに、ソニアが見かねた様子で助け船を出してくれる。

 

「ビョルンはいつも小難しいの。ごめんなさい。もう少し簡単に言えば、星核とは”星の命”そのもの。星が生きるために必要な、正常な細胞のようなモノなの」

 

「細胞?」

 

「ええ。役目を終えたら、自分から静かに消えていく。そうやって星の中で生まれては消えて、(めぐ)っていくのが本来の在り方。——でもそれを、あの方たち、”壊滅(かいめつ)”が埋め込んだ——その、記憶(プログラム)こそが反自滅因子(アンチアポトーシス)

 

「埋め込んだって……」

 

「死ねなくしたの。消えるはずの細胞が消えることができなくなる。そうなると一方的に増え続けて、周りを壊し始める……そして気づいたときにはもう、星の内側から食い(つぶ)している」

 

 

 知らなかったなんてもんじゃない。そんなの、まるで、

 

 

「——それじゃ、()()()()()()()()()()()

 

「ええ、まさに」

 

 皮肉げに言って、ソニアは眉尻(まゆじり)を下げる。

 

 星核とは通称”万界(ばんかい)(ガン)”——この通称はその性質をずばり言い表していたワケだ。誰だよ、マジで最初に言い出したやつ。そいつがルパンだよ。

 

 もう一つ気になるのは、

 

「”本来の在り方”ってのはわかったけどさ……いや、本当はよくわかってねーけど……願いが叶えられるのはなんでだ?」

 

「星核は本来、その星に生きる人たちの願いを受け取って、星の(めぐ)りに(かえ)す器でもあったの。願いもまたエネルギーの一種だから」

 

 願いを受け取る……か。

 

「でもガンになった星核は、受け取るだけ受け取って、そのエネルギーを正しく(かえ)せなくなっている。吸い上げた願いが、”記憶”(プログラム)によって固定された”壊す”方向にしか出ていかない」

 

「——だから、最悪のカタチで叶うのか」

 

「そう。そして最悪の結果は、もっと強い絶望を生む。絶望はもっと強い願いとなって、また星核に吸い上げられる」

 

 それはなんつうか、最悪って言葉じゃ足りないくらい最悪で、終わりのない循環(ループ)

 

「その通り。ガンが身体の栄養を奪って大きくなるのと同じように、星核は人々の願いを食べて膨れ続ける」

 

 ビョルンとソニアがきっと”壊滅”側の視点に立って見たからこそ知ったであろうその説明の数々に……俺は言葉を返せなかった。

 

 頭の中を色んな言葉がよぎっては消えていく。星核(せいかく)壊滅(かいめつ)記憶(プログラム)運命(うんめい)解放(かいほう)終焉(しゅうえん)、エリオ——そして、星核ハンター。

 

 

 なんだか途方もない(うず)の中に気づけば落とされていたような、そんな感覚。

 

 

「……わかんねぇことだらけだ。俺はどうすりゃいい……俺に、何ができる?」

 

「——あなたが言ったんじゃないですか」

 

 ビョルンが俺の目の前に立ち、

 

 

 

「——もしクソみてぇな”運命”にとらわれて、それで苦しんで、もがいてるヤツらがいんならさ、

 

 

 

 ——俺がそんな”運命”から”解放”してやりてぇんだ。と

 

 

 言葉の平手打ちを食らいながらも、

 

 よくもまぁ、大層なことを吹いたもんだなぁと思う。

 

 少し笑えたが、

 

 

「”解放(かいほう)”——できっかな? 俺」

 

「さぁ? ですが、聞いたところによると、……自分で選んだことを必死こいて”正解”にしていくもんらしいですよ

 

 ……この野郎。さっきのソニアに対する意趣返(いしゅがえ)しのつもりか? シスコンめ。

 

 

 ため息をつかざるを得ない。

 

 

 あーもう、いいや。どのみち前に進むしかねぇんだ。

 

 と、ビョルンのその言葉を機に、二人の身体が薄れ始めた。

 

 足元から透けていく。白い空間に溶けていくように、少しずつ。痛みがあるわけでも、苦しそうというわけでもない。

 

 ただ、静かに、輪郭(りんかく)が白に馴染(なじ)んでいく。

 

 ソニアが目を閉じて、弟の手を握った。ビョルンもそれに応えるように握り返して——

 

 

 ——ビョルンが、もう一度、こっちを見た。

 

 

 消えかけの身体で。透けていく指先で。

 

 目だけはっきりさせたまま。さっきまでの泣き崩れた少年の目つきじゃない。

 

 どこか落ち着いた——何かを受け入れた後の、静かな目。

 

 

「ゼインさん」

 

 

 改めて、まっすぐに名前を口にする。

 

 

「もし、本当にあなたが人々を運命から"解放"することができるのなら——」

 

 消えかけているというのに、その声は優しかった。

 

 

「——それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 心臓を掴まれた感覚がした。比喩(ひゆ)じゃなく——胸の奥の、一番柔らかいところを、言葉が直接えぐった。

 

 解放が正しいかどうかじゃない。解放された側にとって、それが何になるのか。

 

 ”救い”か、”呪い”か。

 

 答えを出す側じゃなく、答えを受ける側の問い。

 

 まだよくわかっていない。いなさすぎる俺の力は——運命を「解放」する。

 

 そうだとしたら。

 

 でも、その先は?

 

 ”解放”された先に何があるのか。鳥かごから出た小鳥は自由になる。でも自由の中で——生きていける保証は、どこにもない。もがいて正解にする生き方を俺が示したとしても。

 

 

 ビョルンとソニアの場合、”解放”の先にあるのは——”消滅”だ。

 

 それは「救い」なのか。

 

 それとも——

 

 

 

 

「ただ……忘れないでください。

 

 ——私たちはあなたの”解放”によって、救われた。

 ——ありがとう

 

 

 

 

 ビョルンが微笑んだ。消えかけの顔が、してやったりとばかりに笑っていた。

 

 答えを求めていない。わからないと言った上で、それでも”救われた”と。

 

 ”呪い”になり得るかもしれないものを、それでも信じると。

 

 ——救われたのはどっちだよ……。

 

 胸の奥に、杭が打ち込まれた。抜けない。抜く気もない。この問いは、俺がこの先ずっと——

 

 

 2人の影はもう、ほとんど消えていた。

 

 手を繋いだまま。姉弟(きょうだい)のまま。

 

 最後に見えたのは——ソニアの唇が何かを言っている形。声は聞こえなかった。でも、たぶん——

 

 

 ——ビョルン、最後にあの子の願いを叶えてあげましょう。

 

 ——ええ、姉様。……あの子には悪いことをしましたから。せめて。

 

 

 そして、

 

 白い空間に、まばゆい黄金色の光が満ち満ちて、その向こうに2人は消えていった。

 

 そして、()()だけが残った。

 

 俺ひとりが立っている状況で、残ったそれを手に取る。

 

 

 

 手のひらの中で、それ——星核の明滅(めいめつ)が止まっていた。

 

 さっきまで脈打っていた光が、今はただの石みたいに沈黙している。

 

 中身が——なくなったんだろう。

 

 ビョルンもソニアも、もう、ここにはいない。

 

 星核を握る指に力を入れた。入れたけど、何も返ってこない。

 

 温度も脈動も。ただの空っぽの器となった。

 

 

 

 ——白い空間が、揺れた。

 

 

 

 足元にヒビが走る。前にも見た光景だ。白い世界が割れて、隙間から琥珀色の光が漏れる。

 

 

 現実が呼んでいる。

 

 

 もう何も残っていないから、この空間が自然に——閉じていく。

 

 

 最後に引きこもりマンがいないかを見回すも、やはりその姿はなくて、

 

 

 白が割れて、光が(あふ)れて、

 

 

 

 

 ——視界が、色を取り戻していく。

 

 

 

 

 灰色の天井。ひび割れたコンクリート。瓦礫(がれき)山々(やまやま)。地下聖堂の、もはや見慣れてしまった景色。

 

 空気のにおいがする。(ほこり)っぽくて、少し()(くさ)い。白い空間にはなかった、ちゃんとした「場所」のにおい。

 

 身体がある。重さがある。足が地面を踏んでいる感触が戻ってきている。

 

 そして——右腕が、前に突き出されたまま。

 

 拳が何かを握っている。

 

 最後の一撃を星嘯(せいしょう)に叩き込んだ、あんときの姿勢のまんまだ。どれくらいこうしてたのか知らんけど、腕がガチガチに固まっている。

 

 ゆっくりと、指を開く。

 

 (てのひら)の中に——何かがある。拳大(こぶし)の暗い石。光を失った、ただの鉱物。おそらく——さっきまで脈打っていた星核の残骸(ざんがい)。ビョルンとソニアがいなくなった後に残された、空っぽの器。

 

 ……白い空間で見たのと同じだ。

 

 ポケットに入れる。『核函(かくかん)』でなくてもいいだろう。どっからどう見ても、もはやただの石ころだ。

 

 

 ——で。

 

 ——ですねぇ…………、

 

 

 次に来るのは、

 

 

 ——×64の反動。

 

 

 アベンチュリンの賭場(フィールド)のルールは単純にして残酷だ。与えた倍率と同じだけの反動が自分に返ってくる。×64をぶち込んだなら、×64分の(むく)いが俺の身体に降りかかる。

 

 それがどれほどの痛みなのか、想像もつかねーわ、ミンチになっちゃうのかな。それとももっとひどい何かか? ウンチになっちゃうとか?

 

 もっかい死ぬ、かもしれない。いや、死ぬだろ普通に。たしか高速治癒(こうそくちゆ)処理落(しょりお)気味(ぎみ)になってなかったっけか。

 

 もう知らん来るなら——来いや。

 

 歯を食いしばった。全身に力を入れた。

 

 内臓が裏返しになるような痛みが来ると覚悟して、奥歯をかみ締めて、目をぎゅっと閉じて、

 

 

 

 

 ……。

 

 

 

 

 

 …………。

 

 

 

 

 

 

 

 ………………来ない。

 

 

 

 

 

 あるぇ~?

 

 来ない。来ないんだけど。

 

 え、ウソ、時間差? ()めてる? ねぇ、まだ? 今? いつ来んの? いきなりドンはなしだよ?

 

 

 

 ……来ない。

 

 

 

 五秒。十秒。何も起きない。

 

 腕は痛ぇし、身体中が痛ぇ。ただ、それは空振(からぶ)り三十何発分に限らない、この激戦の蓄積(ちくせき)であって、×64の反動じゃない。

 

 新しい痛みが、追加で、来ない。

 

 

 恐る恐る——目を開ける。

 

 

 

 

 琥珀色(こはくしょく)が、消えていた。

 

 

 

 

 足元にあったはずの賭場(フィールド)の光がない。中央で(たたず)んでいたはずの百面賽子(ひゃくめんダイス)がない。空間を包んでいた琥珀と青緑の膜がない。

 

 そして、何より星嘯(せいしょう)の姿も、ない。

 

 

 全部——消えている。

 

 

 地下聖堂の、見るも無惨な、瓦礫(がれき)だらけの空間が広がっている。

 

 いつの間に……? ×64を放つ直前までは確かにあった。アベンチュリンが歯を食いしばって維持(いじ)していたはずの、あの賭場(フィールド)が——あ、

 

 

 

 瓦礫(がれき)の上に、アベンチュリンが倒れていた。

 

 

 

 ファー付きのジャケットはボロボロ。金髪が(ほこり)と血で汚れて、顔は横向きで地面に転がっている。仮面は残骸すら見当たらない。

 

 

 動かない。

 

 

 ——おい。

 

 

 やめろ。嘘だろ。おい、チュリ()。お前、まさか、

 

 

 

 叫ぼうとした矢先、

 

 

 

 

 ——その指が、震えながら動いていく。

 

 

 倒れたまま。顔も上げれず。身体も起こせず。

 

 なのに、

 

 

 右手だけが——ゆっくりと持ち上がって。

 

 

 

 

 ——親指を、立てた。

 

 

 

 

 それだけ。たった、それだけ。

 

 台詞(せりふ)なし。笑みもなし。虹色の目は開かれてすらいない。

 

 ただ親指一本が、瓦礫の上で突き立てられている。

 

 

 

 ——計算通りってやつだよ、マイフレンド。

 

 

 

 声は聞こえない。なのに親指一本で全部伝わっちまった。

 

 

 ……あー、もう。(しん)なる(とも)じゃんこんなの。

 

 

 

「チュ、チュリ()ぉ~~~~~~~~~」

 

 

 なんなんだよ、お前は。

 

 死にかけてんのに。全身ボロッボロなのに。賭場(フィールド)維持するだけで限界だったくせに、最後の最後で賭場(フィールド)を解除してくれたってのか。そんで法則(ルール)はなくなり、間一髪俺を守って、自分は地面に転がって、最後に意地の——親指一本。

 

 

 格好つけすぎだろ。惚れちゃう!! イケメンかよ。……イケメンだったわ。

 

 

 足が動いた。勝手に。チュリ男のところに行かなきゃいけない。はよ手当てしねーと、こいつマジで死ぬんじゃねぇの。っていうか息してんの? おい、親指立てたら、溶鉱炉に沈まないといけねぇんだよ。じゃねーわ、ちゃんと息してろよ今——

 

 二歩目で、かくんと膝が折れた。

 

 あ、やべ。

 

 三歩目はなかった。地面が急に近づいてくる。

 

 

 ——ここに来て、身体の限界か。

 

 

 そりゃそうですわ。むしろよくここまで()ったほうだ。

 

 地面が目の前に迫る。

 

 ぼんやりと、背後から足音が聞こえた。一つはブーツの堅い音。もう一つは柔らかい足音。エレーナとロビン。

 

 二人がこっちに走ってきている気配がする。

 

 ——ああ、なんだよ。

 

 ちゃんと、いてくれたんだな。

 

 俺がめちゃくちゃやってる間も、白い空間で姉弟(きょうだい)の最後を見届けてる間も、ずっとここで。

 

 なら、あとは任せていいか。チュリ男も黄泉(よみ)のねーちんもだいぶヤバいからさ。頼めるか。んで、俺は、少しだけ——少しだけ休ませて。

 

 (まぶた)が重てぇ。

 

 最後に振り返ったときに、見えたのは、駆け寄ってくる二つの影——おまけにその向こうじゃ、いやあの、なんか色んな人が降りてきてんですけど、なになに、なんかやったんかエレーナ。その中のカウボーイハットかぶった誰かが叫んでるし、「義によって、悪をぶっ倒しに来たぜ、ベイビー!!!」。まーたなんかキャラ()ゆそうなヤツ増えてるし……、いや、おせーよ、来んの、

 

 

 もう、いいわ、とにかく、

 

 

 

 ——お疲れ、俺。

 

 

 ——よくやったって……言ってくれますかね……カフカ、さ……

 

 

 

 

 

 

 視界が暗転する。

 

 

 

 

 

 

 限界。

 

 

 

 

 

 

 




次話からエピローグ

■執筆時BGM
「Into the Sky」 from 澤野弘之 "SCENE"
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