この世界は、ゲームだと思う。
それは
パンクロード——銀狼が生まれ育った星。データとコードで編まれたような、ネオンとスクラップの惑星。
そこに住むハッカーたちは現実を壮大なゲームとみなし、あらゆるシステムの「クリア」を求めて生きている。
銀狼はそこで、誰に教わるでもなく、ハッキングを覚えた。
たとえば街の監視システム。何重にも暗号化されたファイアウォール、多要素認証、侵入検知AI——大人たちが「絶対に破れない」と胸を張るセキュリティの数々は、銀狼の指先にかかれば数分で沈黙した。ものによっては分まで至らず秒で済んでしまう。
どれもこれも簡単すぎて、あくびが出る。
じゃあ、と、
金融機関のデータベース。軍のネットワーク。惑星間通信の中継衛星。スターピースカンパニー——対象を変えれば、相手を大きくすれば、何か変わるかもしれない。そんな期待もあったが、
結局、同じだった。
根本的な所は何も変わらない。鍵がかかっているなら開ければいい。壁があるなら越えればいい。越えられないのであれば——、壁ごと消してしまえばいい。
とにかく退屈だった。
全部クリアしてしまえば、次のステージに進むだけ。難易度が上がったところで、やることは変わらない。
——で、電子の世界を制覇して、それで終わりかと思った。
けど。
終わらなかった。
エンディングの代わりに、
だがその前に、もう少し巻き戻しボタンを押してみよう。
——銀狼の人生は、最初から真っ暗な画面みたいなものだった。
親によって与えられた名前がない。身分を示すIDもない。あるのは、ファーストフード店の女主人がつけてくれたあだ名だけ。
要するに、捨て子だった。
パンクロードの裏路地でたまたま拾われて、奇特な女主人が1人で切り盛りする小さな店の奥に転がり込めて、運良く死ななかっただけ。
そこがスタート画面だった。
そのファーストフード店も店主がそうだからなのか随分とヘンだった、店員は女主人だけだし、客は近所のハッカーくずれと、酔っ払いと、行くあてのない連中というはたして本当に支払い能力があるのか疑わしいやつらばっかだった。
おまけに地下室に、ゲームセンターがあった。
カウンターをくぐり、薄暗い階段を降りた先に、数台の古いゲーム
壁は
そこが銀狼の幼少期におけるマップのすべてだった。
学校には行っていない。IDがないから行けない。代わりにその地下室の
ある日、
理由はわからない。だけど、面白かった。
それが始まりだった。ハードウェアの仕組みを手探りで覚えて、そこからソフトウェアの存在に気づいて、コードという概念に辿り着いた頃には、地下室の
では2nd Stageに戻ろう。
パンクロードのハッカーたちが使う「エーテルカセット」というチップがある。
エーテル——それは現実に物理的に存在するものではない。現実の裏側に流れている、万物の情報を記録し伝える仮想的な媒体だ。あらゆるモノの性質、状態、記憶。そういったデータがエーテルの揺らぎとして刻まれている。
平たく言ってしまえば——この宇宙のソースコードだ。
エーテルカセットを介してそのコードに
それが——「エーテル編集」。
普通のハッカーはカセットを外付けデバイスとして扱う。端末に差し込んで、画面越しにコードをせっせと入力し、やっと小さな書き換えができる程度だ。それでも大したものだと称賛される。
だが外付けの場合、アクセス経路は「人間⇒端末⇒カセット⇒エーテル」。間にキーボードや画面も挟まっている。コードを打ち、結果を確認し、また入力。人間と世界に
これを嫌う頭のおかしいハッカーのことを、パンクロードでは”
では、何故、”
それは、危険を度外視で、
外付けではなく、埋め込みの場合、カセットが直接身体の神経系に接触する。アクセス経路は「人間(カセット)⇒エーテル」となる。隔たりがない。自分の身体のエーテル情報とカセットがつながり、考えるだけでコードが見えて、思うだけで書き換わる。
——要するに、外付けはマウスとキーボードで操作するゲーム。埋め込みはフルダイブ型VR。同じゲームをやるにしても、没入度と反応速度が雲泥の差だった。
そして銀狼はどうだったのかというと——彼女は
しかも、とびきりの。
左の手首の内側。右の手首の内側。うなじ。
1つで頭おかしい認定されるシロモノが——合計3つも体内に埋まっていた。
最初の1つは、女主人の店に出入りしていた頭のおかしいハッカーくずれの女が、地下室で、度数の高い酒で拭いただけというはたしてほんとに消毒できているのか怪しい手で、うなじに埋め込んでくれた。麻酔はなかった。めちゃくちゃ痛かった。
——でも、その日から世界が変わった。
2つ目と3つ目は、自分でやった。
鏡と、盗んできた医療用メスと、一応ちゃんと用意したエタノールと、ぼろ切れに対して歯を食いしばる根性だけで。
もちろんその後はちゃんと高熱にうなされたし、水も飲めないくらい吐いたし、くだした。
それでも、銀狼は生き残った。
結果として得たのだ。
端末も画面もいらない。指先で触れるだけで、対象のエーテル情報が読める。考えるだけで、コードが書き換わる。呼吸するように、世界の裏側に手が届く。
硬いものを脆くする。速いものを遅くする。強い敵のステータスを、こっそり引き下げてしまう。画面の中のデータをいじるのと、やっていることは何も変わらない。
——だって、本当に同じことなのだ。
電子のデータも、現実のエーテルも、どちらも「情報」にすぎない。違いは、書き換えた結果が画面に出るか、目の前の世界に出るか、それだけに過ぎない。
とどのつまり、現実すら、彼女はハッキングできる。
その瞬間——文字通り、銀狼にとってこの宇宙は、プレイヤー1人に対して難易度設定が壊れたゲームになった。
電子の世界も、物理の世界も、どちらも銀狼の指先ひとつで書き換わる。
開かない鍵はないし、壊せない壁もない。
クリアすれば次のステージ。次もクリアすればその次。
誰にも教わらず、誰の力も借りず——この宇宙のどこまで行っても、銀狼の手の中に収まった。
はじめは楽しかったはずだ。
最初のファイアウォールを突破した時の、心臓がばくばくする感じ。越えちゃ行けないラインを越えてしまったというスリル。エーテルに初めて触れた時の、世界の裏側が透けて見えたような興奮。
たまらなく、楽しかったはずなのに。
いつからだろう。それが消えたのは。
たぶん——「勝てない相手」がいなくなった頃だ。
画面の向こうにも、こちら側にも、もう銀狼を止められるものがなくなった頃だ。
全部のステージをクリアしてしまったゲームを、誰が続けるだろう。歯ごたえのない雑魚キャラばっか相手するのも楽しいけど、作業ゲーと化してしまうと、飽きるのは早い。
——なんとも、つまらなかった。
そんなわけで、銀狼には友達がいた試しがない。
別に、いじめられていたわけじゃないし嫌われていたわけでもないというのに。ただ幸か不幸か——銀狼と比較してしまうと、あまりにも周りの人間が、遅すぎた。話が合わない。考えるスピードが違う。相手が1を理解する間に銀狼は10まで行ってしまう。待てない。待つのが面倒。だったら1人でやった方が早い。
そうやって、ずっと1人だった。
画面の向こう側でも、こちら側でも。
1人で何でもできることは、1人でいる理由にもなる。誰かと一緒にいなくても困らない。困らないから、必要としない。必要としないから、近づかない。
それが銀狼の世界だった。退屈で、完全で、誰もいない世界。
だから、何の気なしに始めたオンラインゲームで——あのチームに引きずり込まれた時は、少しだけ驚いた。
まさしく引きずり込まれた、が正しい。自分から入ったわけじゃない。
アネモネという男がいやがったのだ。
ヘイトコントローラー——敵の注意を一身に引き受けて味方を守る壁役。
声がデカくて、テンションが高くて、やかましくて、
なんでもパーティを組む相手を探していたらしく、銀狼のソロプレイを見かけてフレンド申請を飛ばしてきたらしい。こっちが無視してたら、勝手に事情をべらべら語り出す。「——かわいそうだろ俺たち。とにかくアタッカーいないと話になんねーんだよ、頼む! お願いお願いお願い」と。
気づけば、チームに入れられていた。
別に、仲間にしてくれなんて言ってない。成り行きだ。
そこにはもう1人、”いあいあ”というデバッファーがいた。
状態異常で敵を弱らせるサポート役なはずなのだが、不器用なのか意図的なスキルの選択肢がやけに狭くて、まったくチームプレイを考慮してないような
なのに、本人自体は育ちの良さが伝わってくるお
そうして集まった3人。
紙装甲スピードアタッカーと、不器用デバッファーと、ヘイトコントローラータンク。回復手段はアイテム頼み。ひたすら銀狼が突っ込んで、いあいあがデバフかけて、アネモネがヘイト集めて耐えるだけの、安定感もへったくれもないチーム。
はたから見れば、
——で、そこにしばらくして、救世主であるシングが加わった。
アネモネが異常なログイン率を見つけて勧誘したという待望のヒーラーだった。おっとりしてるくせに妙なところで芯が強い子で、ボイチャの声が歌みたいにきれいだった。
4人揃って強くなったかといえば——相変わらず、弱かった。
たぶん1人で全部やった方がよっぽど早く進められたと銀狼は思う。今までどんなゲームだろうとそうやってきたのだ。なのに。
なのに——とてつもなく、面白かった。
銀狼が無茶な突撃をかます。いあいあが状態異常を叩き込んで敵の足を止める。アネモネが前に出てヘイトを集めて、シングが走り回りながら全員を回復する。誰か1人が崩れたら全員で立て直す。
1人じゃ絶対に生まれない状況が、4人だと生まれる。
予測できないことが起きる。
予測できないことが——何より楽しい。
チームルームに集まって、くだらない話をして、次のクエストやレイドの作戦を立てて、失敗して、笑って、もう1回やって。銀狼がまた突っ込んで死んで、アネモネが「だーからヘイト取る前に行くなっつってんだろ!」と怒鳴って、いあいあが「まぁまぁ」ととりなして、シングが「次はアネモネさんがまず1人でヘイトを取るとこから始めましょ? 得意だから」とにこやかにぶっ込んで、アネモネが「え……あの、シングさん……?」と引きつる。で、それを尻目にこっそりリスポーン地点のコードを書き換えて、みんなの目の前に涼しい顔で復活して驚かせたりして、
1人だったら無茶はできない。
みんなといるから無茶ができて、無茶ができたからこそ怒られるのが、なんというか——また、楽しかった。
銀狼の日々に、初めて「退屈じゃない時間」が生まれた。
自分で作ったんじゃない、自分の予測を超えてくる、生身の——仲間。
——だから、それが終わった時のことなんて、考えていなかった。
考える必要がなかった。だってゲームはずっと続くし、チームルームは明日も明後日もあるし、ログインすればみんないる。
そう思っていた。
最初にいなくなったのは、アネモネだった。
前々から相談はあった。
ある日突然ログインしなくなった。
はたして上手くやれたのかと気になったが待つことにした。
——すぐ戻ってくるだろう、と思っていた。あの馬鹿のことだ、またふらっと現れて「ようシルヴァ、地獄の底から帰ってきたぜ」とか言うに決まっている。
——なのにいくら待っても、戻ってこなかった。
だからこっちから網を張って、アネモネ——ゼインの
——4人が3人になった時は、まだ平気だった。
次は、いあいあ。彼女もまたリアルの環境の変化に伴う形で去って行った。
——3人が2人になった時は、チームルームがかなり広く感じた。
そして、最後、シングすらも抜けた。
——2人が1人になった時——銀狼は、自分が前と同じ場所に戻ったことに気づいた。
1人。
また、1人だ。
退屈で、完全で、誰もいない世界。あの4人と過ごす前の、あの場所。
何も変わっていない——はずなのに、前とは決定的に違ってしまったことがひとつだけあった。
前は、1人でも平気だった。
今は——1人が、どういうことなのか、知ってしまった。
たった1人でチームルームにいたところで、フレンドリストのアイコンは全部グレーだ。誰もオンラインにいない。
この世界はゲームだ。
ゲームなら、クリアすれば次に進める。壁があるなら壊せばいい。鍵がかかっているなら開ければいい。現実の壁だって、エーテルを書き換えてしまえばいい。銀狼の指先にかかれば、この宇宙のどんなものだって——
でも——
ログインしなくなった人間のエーテルを、書き換えることはできない。
どんなにコードを書いても、グレーのアイコンは光らない。
そういうバグには、修正パッチが存在しない。
だから銀狼は、待った。
チームルームの鍵を開けたまま、ずっと。
ゲームは退屈だ。世界は退屈だ。でもここだけは——ここで待っている時だけは、退屈とは違う何かが胸の奥で小さく脈打っていた。
それが何なのか、銀狼には名前がつけられなかった。
さびしい、なんて陳腐な言葉は知っている。でも口にしたことはないし、するつもりもない。
退屈だ、と言う方がずっと楽だ。退屈なら——自分のせいじゃないから。
「あーあー、つまんないの」
声は溶けていく。
* * *
カウントダウンが動き始めた瞬間から、銀狼はパンクロードの全てを掌握していた。
監視カメラ、1,247台。ドローン、386機。電光掲示板、無数。交通管制システム、通信回線、自動販売機に至るまで——この街で電気が通っているもので銀狼の手が届かないものはない。
街そのものが、もはや銀狼の目であり耳であり手足と化していた。
——
そのほとんどであらゆる角度から星核ハンター・鬼チームの4人が映っていた。
「さぁて、お手並み拝見かな」
カウントダウン開始直後、4人はすぐには散らなかった。
少しだけ意外に思う。てっきりバラバラに走り出すかと思ったのに、カフカと呼ばれた女が片手を上げて全員を止めている。
「——待って。
カフカの声がカメラのマイクに拾われる。銀狼は音声をブーストして聞き取った。
「相手はこの街のインフラを全部握ってる。つまり、私たちの居場所は向こうに丸見え。この会話も筒抜け。なのに向こうの居場所はわからない。——この構造を崩さない限り、永遠に見つからないわよ」
ふぅん。てっきり頭に血でも
「カフカ、何か考えがあるのですか」
あのグラモスで見かけた
「考えることは2つね。1つ目——相手の目を潰すか、混乱させるか。監視カメラやドローンが使えなくなれば、こちらの位置情報を追えなくなる。
2つ目——物理的に足で稼ぐだけじゃなく、相手が隠れていそうな場所を絞り込む。この街の地の利を得ているのは向こう。でもポチくんは相手を知ってる。唯一の突破口となるとしたら、そこかしら」
カフカがゼインに目を向けた。
「銀狼の性格から、隠れそうな場所に心当たりは?」
「……正直、ゲームの中でしか知らないんで。リアルの行動パターンはわかんねーです。ただ——あいつ、退屈が嫌いなんで。こっちが面白い動きをしないと、ひたすら邪魔立てしてきて時間切れになると思います。
あとはアンフェアなこともしてこないはず、完全にノーヒントで見つけろなんてのはゲームとして破綻して面白くない。ある程度、こっちがたどり着けるよう考慮してるはずだと思います……なんでそこは……俺が考えます」
銀狼はその言葉を聞いて思わず鼻で笑った。
相変わらずほんとにこの男は
「そう、力押しじゃダメってことね」
「ですね。あいつが『おっ』と思うような——」
「——わかったわ」
カフカは一度
「じゃあ、こうしましょう。SAM——君は正面から暴れなさい。相手の目を潰すの。カメラもドローンも、片っ端から壊して
——は? それスーパー
と思ったら、ゼインも全く同じ顔をしていた。
「ちょーーちょっちょちょ、か、カフカさん!? いきなりフルスロットルなとこもステキなんですけど、マジで言ってます?」
「目を潰されたエリアで相手がどう出るかはわからないけれど。
でも、こっちの目は増やせるわ——なら、私は糸を張って回る。通りや路地に横断させておけば、何かが通過した瞬間に振動でわかる。人間か機械かも振動の質で区別できるわ。
触れなければ、そこには誰もいなかったということ。触れたら——それは不幸な事故よ。そうやってエリアをひとつずつ消していけば、隠れていられる場所は減っていく——しょうがないわよね。見て、あのカウントダウン。とにかく時間がないんだもの」
人差し指を口元に当てて、しれっと言い切った。ゼインは口をあんぐり開けたまま、しっかり鼻の下は伸びている。——どうせ、かわよとか思ってる。うわキツでしょ。イラつく。
——いったん深呼吸をする。
カフカの発言を簡略化するのだとしたら——SAMがこちらの目を焼き、カフカはレーザー探知みたく網で範囲を絞り込む。その際に、糸はレーザー探知と違って、獲物を食ってしまう可能性がある、と、そんな所だろうか。
訂正。頭に血は上ってないかもしれないが、頭自体はトんでるらしい。周囲の被害とかまるで考慮していない。
「と、とはいえですね。ほら、たとえば、その、カフカさんの例のアレ使うとか」
——例のアレ? 何を言ってる? と銀狼が眉根を寄せるも、
「
「さいですか……」
すごすごと引き下がったゼインの横で、SAMが——確かに頷いた。
「了解」
「
「ゼイン——わたしからはなれるなよ」
「逆な逆」
「それじゃ、ポチくん、そっちは任せるわ」
「……了解っす」
「あと」
カフカが不意に、ある監視カメラを真っ直ぐに見上げた。
「——聞いてるんでしょう、おチビちゃん。トイレは
「かくれんぼね! かくれんぼ!!」
横でわめいているゼインをよそに、モニターの青白い光に照らされ、銀狼のこめかみに
面白い。この女——ずっと見られていることを前提に喋っている。そもそも公開作戦会議そのものが、銀狼に対する——挑発だ。
それにしても、頭を抱えているバカの姿が目に入って仕方ない。まったく自分たちよりもそっちを選んでおきながら……そっちの方が楽しそうに見えるのが実にムカついた。
「フン、それなら——」
こんなこともあろうかと、これまでの会話ログデータから切り貼り編集で音声コラージュを作っておいたのだ。
——せいぜい八つ裂きにされればいい。
銀狼の指先が動き、音量MAX、おまけにエコーもかけて、
鬼チーム目がけてその音声ファイルを投下する。
『銀狼——俺は、——お前が
——大好き!』
存在しないはずの記憶に、
——向こうの空気が凍り切っているのがモニター越しでもわかった。
執筆時BGM:「Play No Games」Henry Young/Ashley Alisha
あれ、サクッと終わるはずが……