ルキンフォー・エム   作:來馬らんぶ

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#52 "イケナイ対応はノーフューチャー"

 

 

 

 

 

 研究棟の最深部は一般スタッフの立ち入りが許可されていないセクションだった。

 

 アーランの先導で幾重(いくえ)ものセキュリティゲートを抜け、ひっきりなしに行き交っていたスタッフや外部の人間たちがどんどん姿を消していく。

 

 宇宙だし実際には地下というワケじゃないが、下へ下へと降りていく度、どういうわけか照明まで暗くなっていき、怪しげなデータやら奇物(きぶつ)の展示がそこかしこにあるわで、なんかマッドサイエンティストの居城(きょじょう)に来てしまった感じがすげーなーと俺が思い始めた頃、

 

 

 突き当たりの分厚い扉が開き——

 

 

 呆気(あっけ)に取られた。

 

 

 果てが闇しかないほどに天井が高く、壁面をびっしりと埋めるディスプレイには計算式やら星図やらがひっきりなしに流れている。中央には大きなテーブル。少しだけグラモスを思い出した。

 

 ルアン姉ちゃんはすでにいて、軽く頭を下げ、こちらを迎えてくれる。

 

 ヘルタ様はテーブルの上座(かみざ)に腰かけ、頬杖をついたまま、こちらを一瞥(いちべつ)もしない。すいませーん、目線もらえますかー!

 

 しかし卓上にもあるホログラフィックディスプレイに目を落としたまま、難しい顔をしているので、声をかけるのがためらわれた。

 

 そして、その場にはもう一人いることに気づく。

 

 桃色のサイドテールに、疲れの滲んだ目元。

 

 小柄だが背筋はぴんと伸びていて、脇の見えるどこぞの巫女みたいなフリル付きの制服の上でタブレットを抱えて立っている。年齢は……まぁどう見ても下だな。有能そうな雰囲気と、どこかしら張り詰めたような表情が同居している印象の女子だった。

 

「ミス・ヘルタ、ミス・ルアン・メェイ、お嬢様、ミスター・ゼインをご案内しました」

 

「ようこそ。はじめまして、この宇宙ステーション『ヘルタ』の所長、アスターです」

 

 こちらが何かを言う前に、その桃髪女子はいかにもビジネスライクな笑みを顔に貼り付けて、丁寧な挨拶をよこしてくる。

 

 おーこの子がアーランの言っていた所長お嬢様か。

 

 へーまさかここで会えるとは思わんかった……ん? なんかどっかで聞き覚えのあるような……ないような声と頭の中で検索をかけながら、俺もとりあえず返しておく。

 

「あ、ども、ヘルタ様の宇宙でイチバンの下僕(げぼく)であり、ルアン姉ちゃんの最高傑作をやらしてもらってるゼインっす」

 

 ピシッと貼り付いていた笑顔が凍っていた。

 

 その隣を見れば、アーランもこいつ正気か????という顔をしていた。

 

 なんて失礼なヤツらだ、まかり間違って天下のお尋ね者である星核ハンターどぅうぇ~す(横ピース付)なんて言うわけねーだろうが、どう考えてもこっちの()えある肩書きを名乗るに決まってんだろ。

 

「気にしないで、通常運転みたいだから、——それ」

 

「お待たせしました、ヘルタ様。あなたの下僕サンプル・ゼイン、総勢1名で馳せ参じました」

 

 ようやく存在を認識してくれたみたいなので、とりあえず駆け寄って隣にひざまずく。手の甲にキスしようと思ったら光の速さで手を引かれてしまった。もー、ヘルタ様ってば速度200かよ。

 

 

「はいはい、いいから。とりあえず座って」

 

「はい、膝上(ひざうえ)、失礼します」

 

「アスター、やっぱり、これダストシュートから宇宙生ゴミに出しといて」

 

「あーん、冗談ですってばー!」

 

 

 

 ちっ、流れでいけるかと思ったがダメだった。俺は迷った末にルアン姉ちゃんの隣に着席する——と、アーランの襟をつかんでブンブン前後に揺さぶってるアスターの姿が視界の端に入った。

 

 何やってんだ……あいつら、遊びに来たんじゃねーんだぞ……。

 

 なんか「言ってたのと逆じゃない!!!」「もももも、申し訳ありませんッお嬢様!!」とか叫んでるし。かーっ、これだから年下は困る。

 

「…………黒髪なら」

 

 俺がうんざりとした顔でいると、そんなささやき声が耳に入る。

 

 今度はルアン姉ちゃんが口元に手を当ててこちらをジッと見ていた。血走っているとかじゃ全くないんだけど、地味にバッキバキの目をしていたので、俺は内心ビビりつつ、

 

「ど、どうしました?」

 

「ゼインさん、その格好は」

 

「あー、なんか、ここ来る前にうちのボスから、これ着てけって渡されまして」

 

 そう、ルアン姉ちゃんの疑問もむべなるかな。

 

 いつもの黒と黄のローブに白ワイシャツではなく、黒と赤で構成され、なおかつ龍の紋様やらでデコられたなにやら中華チックな印象のローブ+白チャイナシャツに見た目(スキン)を変更していたのである。まぁこっちで中華にチャイナって言っても伝わらんだろうから難しいし、何よりエリオのことだから、どうせまたこれを着てることで——

 

「お似合い……ですね。すごく」

 

 生きてて良かったと思いました。やっぱボス、一生ついていきます。

 

「ありがとうございます!」

 

 立ち上がって、ルアン姉ちゃんに最敬礼をしているところに。

 

 

 ヘルタ様がパチと両手を鳴らす。

 

 

 

「——もういいよ。始めるから」

 

 

 

 おみ足を組み直し、俺に問うてくる。

 

「下僕サンプル。あなた、前にルアン・メェイのラボで見たデータチップの中身、覚えてる?」

 

 お、覚えてるわけねーってばよ……と喉元まで出かかったのを飲み込んだ。

 

 しかし、ここで覚えてなかったらヘルタ様に呆れられてしまう。どうしようと子犬の顔をしていたところ、くいくいと(そで)を引かれ——ルアン姉ちゃんに耳打ちされる。

 

「——トキハ・ムロゾノの光円錐回帰理論(こうえんすいかいきりろん)です」

 

 ただでさえウィスパー気味なのに、耳元で囁かれると腰のあたりがゾクゾクする。すみませーん、この『ボクを改造したい天才クーデレ科学者おねーさん~添い寝・耳かき・快眠ASMR~』ってやつがほしいんですけど。クーポン使えますか?

 

 おほん。話が()れたが、

 

「もちろんです。トキハ・ムロゾノの光円錐回帰理論(こうえんすいかいきりろん)でしたね」

 

 俺は録音再生装置と化して、ヘルタ様に返答すると、

 

「私は何を見せられてるの……?」

 

 こめかみを押さえて、ヘルタ様はため息をこぼす。だが、すぐに、

 

「そう。あれの解読に成功したの」

 

「ほんとですか、おめでとうございます!」

 

 1ミリもタイトルから中身の想像できねーけど、俺はこのために用意しておいた「流石(SASUGA)」と書いた扇子(せんす)を広げ、立ち上がって近寄るとお手製の紙吹雪をヘルタ様の周りに舞わせた。

 

 そして、ぽかんと突っ立っていたアスターとアーランを叱責(しっせき)する。

 

「ほら、そこのキミタチも、偉大なるヘルタ様を(たた)えないか!」

 

「え、あ、私……?」

 

「そうだよ、そこのキミだよ。全く困ったもんスよね、最近の若いのは、ね、ヘルタ様?」

 

 どさくさに紛れて、背後に立ち、ついに肩をお揉みすることに成功する。や、やった! 手の甲はNGだけど肩はOKなの……? どういう線引き?

 

 ちなみにヘルタ様はご自分の美貌(びぼう)をわきまえておられるので、露出(ろしゅつ)も辞さない。オフショルだ。ということは……わかるな? ってか(かって)ぇなおい。めちゃくちゃ()ってるわ。

 

「んっ……心がけだけは認めてあげる。その調子で私のために過去の世界でもしっかり働いてきて頂戴」

 

「そうだぞ、ヘルタ様のために過去の世界でもしっかり働くん、だ、ぞ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 止まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ん?

 

 

 

 

 

 

 んんん?

 

 

 

 

 

 

「——今、なんと」

 

「聞こえなかった?」

 

 ヘルタ様は涼しい顔で、

 

あなたを過去の世界に送るから。しっかり働いてきて」

 

 

 

 

 ——え?

 

 

 

 

 過去に送っちゃうの? タイムトラベルってこと? どゆことマジで。

 

「今から説明するから、黙って聞いてて。あ、肩もみだけは続けていいよ、——アスター」

 

「はい、承知しました」

 

 アスターがタブレットを操作すると、テーブル上の空間にホログラフィックディスプレイが追加で展開される。

 

 そこに投影されたのは——古い画像だった。

 

 紙焼きを取り込んだような荒い画質。にも関わらずわかるほどの病的な白い肌。前髪ぱっつんの長い黒髪。眼鏡の奥の神経質そうな目が虚ろで、どこか遠くを見ている女性。羽織った白衣の胸元にはIDらしきものがぶら下がっているが、画質のせいで読めない。

 

「天才クラブ 会員番号#75 トキハ・ムロゾノ。——彼女は、光円錐を使って過去に行く方法を考え出したの」

 

 ヘルタ様がその写真をあごで示してから、指を鳴らし、

 

「それが、光円錐回帰理論(こうえんすいかいきりろん)。その要諦(ようてい)は、」

 

 ヘルタ様が人差し指をディスプレイに向けて、概略図を呼び出す。

 

 

 

 

「——()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 ほ、ほへー、……いや、わかるようで、全然わからんですたい。俺はすかさず挙手し、

 

「あのぉ〜、ヘルタ様ぁ」

 

「なに」

 

「つまりどういう——」

 

「なに、今のでわからないの?」

 

「しょ、少々お待ちください」

 

 タイムを申請し、助けてールアンねーちゃーんと目で訴えると、

 

 ルアン姉ちゃんが静かに口を開く。翻訳の時間でーす、助かりまーす。

 

「”光円錐”は、記憶の断片を形あるものとして保存したものです。そのため、映像や音声だけでなく、その人が得た経験、感情、状態といったものが格納されています——ここまでは、いいですか」

 

「はい」

 

 このいわば記憶の結晶化って、たしかガーデン・オブ・リコレクションが一手に(にな)っていて、理屈云々はブラックボックスにしてるんだっけか? 

 

 まぁこんな金のにおいがプンプンする謎技術、カンパニーが黙っているはずもなく、流通とかにしゃしゃってどうにか一枚噛むことが出来てるとか聞いたことがある。

 

「かつてムロゾノさんが着目したのは、そのもうひとつの性質です。記憶というのは、『いつ・どこで生まれたか』という情報を必ず含んでいます」

 

「ん〜、アレすか? たとえばこないだのお茶会みたいでたとえるなら、『1週間ちょい前に・ルアン姉ちゃんのラボで』みたいに、時間と空間が紐づいてる、ってことすか」

 

 

「はい。ムロゾノさんはそれを時空座標(じくうざひょう)と定義しました」

 

 

 ルアン姉ちゃんがディスプレイ上の概略図を指でなぞると、光円錐の模式図(モデル)の中に、点がいくつも灯る。一つ一つが記憶を示しているらしく、それぞれに時間軸上の位置が紐づいている。

 

 

「光円錐の中の記憶に刻まれた時空座標をたどれば、その記憶が生まれた時間そのものに回帰(かいき)できる。——それが、ムロゾノさんの理論の骨子(こっし)です」

 

 

 腕を組む。もう少しだけ噛み砕いてみる。

 

「えー、……要するに、光円錐の中身を地図代わりにすれば、そこの記憶が生まれた時代に飛べる、ってことすかね」

「ええ、そういうことです」

 

 ルアン姉ちゃんが微笑む。やべ、軽率に『いっぱいちゅき♡』って口にしちゃうとこだった。

 

 いかんいかん、こういうのはちゃんと正直かつストレートに伝えないといけないと自戒しつつ、親指がつきとめたヘルタ様の肩に埋まる()りの本丸(ほんまる)をほぐしていく。

 

「そ。思ったより飲み込みが早いじゃない。やっぱり期待値がゼロ以下だと得ね」

 

「でへへ、それほどでもございません」

 

「んっ……、あっ……そこそこ」

 

 ヘルタ様にお褒めの言葉をいただいてしまった。今日この日を俺は一生忘れないことだろう。てか肩もみでヘルタ様ちょっと悩ましい声出すのやめてもらえませんか。俺のパルサーエッジがノヴァイレイザーしそうなんですけど。

 

 地味に前屈(まえかが)みモードに移行していると、アスターがアーランに「……あの人、さっきから鼻の下伸ばしっぱなしなんだけど」と面白くなさそうに(ささや)いているのが聞こえた。ほっとけ。こんなんどこまででも鼻の下伸びるわ。もっと伸ばしたろか。ゴムゴムのォ——

 

 

「で、今回の実証実験にあたり、どの光円錐を使うかだけど」

 

 と、ヘルタ様がディスプレイを切り替える。

 

「下僕サンプルのボスが、光円錐のアテがあるって言ってきたの。だからそれ待ちね。ただ私たちとしての要望はひとつ出した——星神(アイオーン)の力が活発だった時代のものにして頂戴、ってね」

 

星神(アイオーン)の力が活発だった時代……?」

 

 エリオのヤツ、何が光円錐のアテがあるだ。酒のつまみじゃねーんだぞ。えーボクやだー、(やく)いニオイしかしねーんだけど。

 

「そ。私の研究テーマの1つなの。『星神(アイオーン)はどうやって作られたのか、なぜ作られたのか、何のために作られたのか』」

 

 よどみない口調でヘルタ様は語っていく。

 

「けど行き詰まっててね。そこにこないだのチップの件があった。だから、いい機会でしょ。星神(アイオーン)の力がどう発動し、空間に何を引き起こし、運命にどんな干渉をしたか。それを数値で測った人間は歴史上まだ一人もいないんだから。そのデータが取れそうな時代に観測者を送り込んでみるの。うん、我ながら大胆な発想だね」

 

 なんか興が乗ってるけど、無茶苦茶言ってることしかわからん。天才ってほんとついてけませんわ……ってか、そのための光円錐って、もしかしてエリオが(せい)たちに任せた別任務とやら……まさか、あれか? 人狩り(マンハント)とか言ってたけど、どっかの誰かさんをとっ捕まえてどうするんだか。

 

 あ、頭痛ぇし、胃が重くなってくるわ。

 

「……い、色々言いたいことはあるっすけど、つか、飛んで、観測って何をするんですか?」

 

「いい質問じゃない」

 

 ヘルタ様の目が光り、

 

「やることは2つあるわ」

 

 瞑目したまま、指を立てていき、

 

「ひとつは、ムロゾノの理論が本当に過去と現在を往復できるのかを実証すること。まずはそこだね」

 

「まずは、ってことは」

 

「そ。もうひとつが本題」

 

 ヘルタ様の目が、冷たく光る。

 

「私が欲しいのは、星神(アイオーン)由来の力が発動した瞬間の生データ。記録文でも残骸でもない。発動の瞬間に、空間へ何を起こし、運命へどんな干渉をしたか。その値を、現地で収集し、持ち帰るの」

 

 待ったをかけた。

 

「……それ、今ある記録とか探るんじゃ駄目なんすか?」

 

「ダメ。遅いもの」

 

「遅い?」

 

「歴史に残るのは、だいたい全部“起きたあと”じゃない。残骸、戦闘記録、証言、伝承。どれも結果であって、発動の瞬間そのものじゃないでしょ」

 

 とはいうが、

 

「でも、あとから調べれば、ある程度はわかるんじゃ」

 

「破壊規模ぐらいはね。でも私が欲しいのはそこじゃない。発動の前後で空間の値がどう跳ねたか、運命への干渉がどこから立ち上がったか、その連続した変化よ」

 

「……連続した変化」

 

「焼け跡を見て、炎がどの順番で走ったかを1つ残らず復元できる?」

 

「それは……無理そうっすね」

 

 ぐぬぬぬレスバも無理だわ。百万回やっても俺のオツムでヘルタ様に勝てる気しねーわ。もっとフリースタイル悪口バトルとかじゃないと。

 

「そういうこと。しかも星神(アイオーン)由来の現象は、終わったあとには整った結果しか残さない。肝心の途中式が消える、厄介なんだよ」

 

 ルアン姉ちゃんが静かに引き継ぐ。

 

「ですから必要なのは、現地での連続観測です。発動前、発動中、発動後を、同じ装置で取り続ける必要があります」

 

 なおも俺は食い下がり、

 

「じゃ、じゃあ、今の時代で待ち構えるのは?」

 

「もっとダメ」

 

 ぴしゃりと、ヘルタ様に切って捨てられる。

 

「いつ、どこで、どの規模で起きるか読める? この宇宙は広大で、星神(アイオーン)はそこまで親切じゃないでしょ」

 

「はい。ですが、光円錐は違います」

 

 ルアン姉ちゃんが模式図を指でなぞり、

 

「その記憶には、現象が起きた時間と場所が刻まれています」

 

「そ。つまり過去へ行けば、“いつか起きるかもしれない現象”を待つ必要がない。“起きるとわかっている瞬間”に観測機を持ち込める。——だから過去なの

 

 俺は降参ですとばかりに肩もみを一時停止して両手を挙げた。

 

 つまらなそうに鼻を鳴らし、ヘルタ様が指を動かすと、ディスプレイの概略図が更新された。

 

 光円錐の模式図の中に、行きと帰りの矢印が表示される。

 

「ここまでの話は、『行き』。他者の光円錐の記憶をたどって、その時代に飛ぶ。——じゃあ、帰りはどうするか」

 

 そりゃそうだ。行く方法はわかった。でも帰ってこなきゃ意味がない。

 

「どうするんですか」

 

「帰りの原理も土台は同じ。自分の光円錐に刻まれた現代の記憶をたどる。——ただし、それだけじゃ足りない」

 

「足りない?」

 

「過去にいる状態からは、帰還先を固定する目印がいるんだよ。ムロゾノに欠けていたのはそこだね。だから、行きはよかったものの帰れなかった」

 

 ルアン姉ちゃんが静かに補足した。

 

「目印がないことを、たとえるなら——海に潜ったはいいけれど、水面がどちらかわからなくなるような状態です」

 

 その例えは、わかりやすくて、こえー。

 

「ま、当然そんなことムロゾノはわかってたんだろうけど」

 

 ヘルタ様が、ディスプレイの中の黒髪の女性にちらと目をやった。

 

「帰る手段がないことを承知の上で、飛んだ。論文の余白に残されていた走り書きには『時間の始まりと終わりが見たい』とあった。そして、理論だけを残し、自分で飛んで——そして帰ってこなかった」

 

 沈黙。

 

 研究室のディスプレイが、さっきと同じ計算式を流し続けている。時間だけが変わらず進む。

 

 

「早い話が自殺でしょ。そんなの」

 

 

 ヘルタ様の声に、感傷はなかった。

 

 でも——わかるのか、わからないのか。天才が天才に向ける眼差しというのは、俺には読み取れなかった。

 

 つうか理解できんわ。帰る手段がないと知っていて、それでも飛んだってのかよ。俺には到底む……おねーさんのためなら……いや……うーん、できちゃうかもしんねー。

 

「……すげぇ人だったんですね」

 

「すごいだけの馬鹿よ。死んだらおしまいでしょ」

 

 そう言ったヘルタ様の声は、さっきまでの同じ天才に対する称賛や敬意と少しだけ違うものが紛れているように思えた。

 

「——で、ここからが肝心。ムロゾノの理論は言ってしまえば本人が帰還しないまま最後の部分が未完成だったんだけど。あのチップにあった理論は完成していた。ムロゾノの理論の不足部分——帰還の仕組みが追記されていたの」

 

「帰還の仕組み?」

 

「こっち——現代側に、帰還アンカーを残す

 

 ディスプレイに新たな図が投影される。行きと帰りの矢印のうち、帰りの側に「帰還アンカー」と記された点が追加された。

 

「海に潜る前に、水面にブイを浮かべておく——ようなものと言えばわかりやすいですか」

 

 間髪なくルアン姉ちゃんの翻訳が挟まる。

 

「帰り道の目印を現代側に打っておく。過去に飛んだ被験者は、その帰還アンカーをたどって現代に戻れる。行きの原理と帰りのアンカーが揃って初めて、『行って帰ってこられる時間航行』が成立する」

 

 そこまで言って、ヘルタ様がアーランにあごで指示し、部屋の端っこにあった小さい合金製のアタッシュケースを持ってこさせる。

 

 その間にアスターが口を開き、

 

「ミス・ヘルタ、グノモンの初期パラメータはこちらで調整済みです。生体登録は被験者の手で」

 

「そ、ありがと」

 

 戻ってきたアーランによって、卓上に置かれたそれのロックを解除し、何かを取り出した。

 

 

 

 ——銀色の懐中時計だった。

 

 

 

 手のひらに収まるサイズ。古めかしい外見だが、表面に微細な回路の紋様が走っている。金属の質感なのに、どこか有機的な気配がする。

 

「開けて」

 

 手渡される。思ったより、重い。体温が伝わった瞬間、わずかに——振動した。

 

 蓋を開ける。

 

 文字盤はなかった。代わりに淡い光が灯って——

 

『生体情報を取得しました。被験者登録を開始します』

 

 丁寧で、静かな、たとえるなら紳士のような男の声。

 

『登録完了。本機はグノモン。被験者ゼイン、よろしくお願いいたします』

 

 ピコピコと明滅しながら、手の中の懐中時計が喋っている。

 

「……えっ、なに、こいつ喋るんすか?」

 

「擬似人格だけどね。データ収集と帰還に向けた時空管理を担うAIを搭載したデバイス——それがグノモン。下僕サンプルは知らないと思うけど、この手の専門家である天才クラブ会員番号#76のスクリューガムの設計をベースにしてて、——まぁ、余計な愛想は削ったけど。観測には不要だし」

 

 スクリューガム——という名前にはピンとこなかったが、銀狼とか、ガム好きだしなんか仲良くなれそう。俺は手にした銀時計を見つめ、

 

 

「Hey、グノモン。今日の天気を教えて」

 

 

 とりあえず声をかけてみた。

 

 少しの間。

 

『……ご挨拶をいただきましたので、記録いたします。挨拶への応答は本機の業務範囲外ですが、ただ被験者ゼインの頭は晴れと推測します』

 

 なんだこいつ。無茶苦茶流暢(むちゃくちゃりゅうちょう)に喋りやがって。ノー天気って言いたいのか。危うく投げ捨てるところだったぞ。

 

「やっぱ愛想追加しません? 属性のリクエストとか可能すか? 金髪ロングで切れ長の目をしていて、ミステリアスな——」

 

「余計なことを吹き込まないで。観測精度に影響が出るから」

 

 アスターがアーランに小声で「これ冷静に見ると、懐中時計と会話してるヤバい人だよね」と(ささや)いている。アーランが「お嬢様、あまり見ない方がよいかと頭に毒です」と答えてる。ねぇ怒っていい?

 

「グノモンの役割は大きく4つ」

 

 ヘルタ様が指を一本ずつ立てていく。

 

「ひとつ。時空座標の測定・移動処理。これは一言でまとめるならタイムマシン」

 

 2本目。

 

「ふたつ。星神(アイオーン)由来現象の記録。星神の力が行使された瞬間のデータを、映像や音声じゃなく、運命の干渉として測定する。これがメインの観測装置」

 

 3本目。

 

「みっつ。収束圧の測定。あなたが過去で歴史に触れたとき、世界がどれくらい元の流れに戻ろうとしているかを数値化する。耳なじみが良さそうな言葉に置き換えるなら、歴史の修正力って言ってもいいかな」

 

 なんぞそれというのが顔に出てたのだろう。ルアン姉ちゃんが噛み砕いてくれる。

 

「過去に介入しすぎると、歴史のほうが大いなる流れに沿って帳尻を合わせようとします。そのプレッシャーを測る機能です」

 

「ま、変なことしなければいいだけの話だよ」

 

 釘を刺すようにヘルタ様が言いつつ、4本目。

 

「そしてよっつめが、今言ったように現代側に残した帰還アンカーの維持。正確には帰還アンカー本体はこの宇宙ステーションに残す。グノモンは、そのアンカーと同期する端末ってこと。過去に飛んだあなたが、アンカー本体を見失わないように接続を維持する」

 

 ルアン姉ちゃんの言っていた海面に浮かぶブイのことだ。ないと帰れなくなる。ぶっちゃけ最重要機能な気がする……じゃねーわ! 

 

 つい流れで俺の目線で語っちゃってたわ。あぶねーあぶねー。

 

「お待ちくださいヘルタ様、なして俺がやる前提なんでしょうか!」

 

 俺の発言とほぼ同時のタイミングでグノモンが震えて、

 

『被験者ゼイン、補足申し上げます。本機にはもうひとつ——』

「余計なコト言わなくていいの。じゃ次ね、被験者の話」

 

 ヘルタ様はぴしゃりと遮って、話を続けてしまう。やーん誰か止めてー。

 

「過去に飛んで活動するには、それに耐えられる身体が要る」

 

「耐えられるって……、なんか負荷かかるんですか?」

 

「光円錐の記憶次第だけど、短ければ拍子抜けするくらい早く終わる可能性もある。けど、目的の現象がどのタイミングで起きるかによって、長ければ——数十年。運が悪ければ、百年を超えるかもね」

 

 

 ヒョ?

 

 

「……ひゃ、ひゃくねん?」

 

 嘘でしょ。

 

「光円錐には持ち主の記憶が格納されてるって説明したでしょ。その記憶の時代が長ければ、その分滞在も長くなるの。向こうでの体感時間はそのまま経過するんだよ」

 

 百年。一瞬冗談かと思ったが、ヘルタ様の顔は至って真面目だった。

 

「ですが、」

 

 ルアン姉ちゃんが補足に入る。

 

「光円錐の記憶には、情報量——感情の濃い時期と薄い時期があります。感情の密度が薄い時期は座標が安定しないので、ゼインさんはそこに留まれません。次の『記憶が濃い時期』に引き寄せられる——時間が飛ぶような形になります」

 

「スキップする、ってことすか」

 

「はい。ですから実際の体感はもう少し短くなるはずですが……それでも、時間経過は発生します。なので通常の人間の寿命では足りない可能性があります」

 

 数十年。下手したら百年。スキップがあるとはいえ、過去の世界で何十年も過ごすことになるかもしれないってことぉ?

 

 普通の人間なら、向こうで老いて死ぬじゃん……あー、……なるほど。

 

 

 

 

「——そこで、A.R.P.ってわけすか」

 

 

 

 

 ルアン姉ちゃんが頷いた。

 

「ええ。あなたのA.R.P.による長寿命化があるからこそ、長期滞在の被験者が成立します」

 

 こちらにおわすルアン姉ちゃん様のおかげで、俺の身体は老化が極端に遅くなり、そのせいで寿命が通常の人間より大幅に延びているっつー話だったけど。

 

 ——エリオのことだ。どうせ最初からこうなることを見据えて、ルアン姉ちゃんをそれとなく誘導させたんだろうな。

 

 ちゅーか、ヘタすりゃ数十年から百年って……ま、マジ?

 

 ここにいるみんなの顔を見る。ヘルタ様、ルアン姉ちゃん、アスター、アーラン。

 

 現代(こっち)では一瞬かもしれない。でも俺にとっては、何十年もこいつらに会えないってことだ。

 

 何より——カフカさんにも。星にも。ホタルにも。銀狼にも。

 

 

「一応聞いてあげるね。——やるの?」

 

 ヘルタ様が俺を見た。

 

 足を組んだまま、肩越しに振り返って、こちらを見上げている。

 

 文字通り、この実験をやるかやらないかの最終確認。

 

 

 ——過去に飛ぶ。

 

 

 何が待ってるかわからない。どんな時代に放り込まれるかもまだわからない。んでもって、無事に帰ってこられる保証もまたない。

 

 ないない尽くしの中で、グノモンとかいう可愛げのない懐中時計を相棒に、星神(アイオーン)の力を観測して、データを持ち帰る?

 

 俺はグノモンを握ったまま、膝を曲げ、至近距離でヘルタ様を見つめ、

 

 

「ち、ちなみにやらないって選択肢は?」

 

「あると思う? ——と言いたいところだけど、ま、安全は保証できないしね」

 

 

 ヘルタ様が珍しく、ほんの少しだけ柔らかい声で、

 

 

 

 

「無理強いはしないよ。被験者が嫌がってるのに送り込んだって、ロクなデータは取れないんだから」

 

 

 

 

 ずっりぃーよマジで。そこで優しい態度取んないでくれ、つべこべいわず行けって女王様ムーブされるかと思ったのに。

 

 うわ、どうすんよ、いきなり辞令出されて見知らぬ世界に単身赴任(たんしんふにん)って感じじゃんか。しかも期間未定で、行ったきりの可能性もありまーす。

 

 だけどなぁ——エリオは出発前に言っていた。これは”脚本”に関することだと。

 

 だとすりゃ、ここまでお膳立てされてて、実質的に拒否という選択肢はないはずだ。けどけどけどさすがにいやこれはダメじゃね無理キツいでしょ、ここはうん、もうなんも関係ねぇわ、男らしく断

 

 

 

 

「でも、そうね、無事帰ってきたら——ご褒美あげる、よ」

 

 

 

 ヘルタ様は俺の唇をなまめかしく人差し指で撫でる。

 

 

 

「そ、それって、……ちゅ、チューとか?」

 

「ふーん——それだけでいいんだ?」

 

 

 そ、その先……も……だと……。Aの先はB、そしてBの先は——Cだぞ。

 

 

 と、

 

 

「——あはは、割れちゃった」

 

 不意に音がして、足下に飛び散ったタブレットの画面の破片を集めるアスターがいた。え、それって割れるの? なんか板状だったはずが、への字になってっけどそうなるもんだっけ? あとあと隣のアーランの口がめっちゃ引きつってるけど。

 

 

 ま、まぁいい、それぐらいで惑わされる俺じゃない、どんな色仕掛けをされようと、男ゼイン、ぜったい負けないもん!

 

 

 

 

 

 

「ヘルタ様の頼みを断る下僕がいると思いますか。

 ——やらせていただきます」

 

 

 

 

 即落ち2コマだった。

 

 

 くっ、殺せ。と内心つぶやく俺に、

 

 ヘルタ様は、この世の男全員を恋に落とすような笑みを見せ、今度は自分の唇に指を当てると、

 

 

 

 

 

「そうこなくっちゃ。——被験者、決定」

 

 

 

 

 ウィンクしてみせた。

 

 

 

 

 

 

 




執筆時BGM:「イケナイ太陽」ORANGE RANGE




"SF" 少年バトルノベルなんでぇ……
ええ、はい、4章はそういうことです。



▼おまけ▼
ヘルタ様の内心↓


『ふふん、所詮、チョロガキね。まぁでも肩もみはまたさせてもいいかも』



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