ルキンフォー・エム   作:來馬らんぶ

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#55 "その日、彼女は運命に出逢う"

 

 

 

 

 

 あたしは火が苦手だ。

 

 

 

 尻尾と耳それぞれの付け根にまで毛がぎっしり生えている狐族(こぞく)として生まれた以上、こればかりは仕方がない。任務の前には、必ず火除けの油膏(ゆこう)を吹き付ける。それが習慣で、儀式で、生命線でもある。

 

 だから、仙舟(せんしゅう)朱明(しゅめい)」の名を聞いた瞬間、あたしの肩には、ずん、と重さが乗った。

 

 工造の聖地。話に聞く限り、あちこちに鍛造炉(たんぞうろ)が燃えていて、空気の代わりに火花が舞っているような場所——お世辞にも、尻尾にも耳にも優しいとはいえないだろう。

 

 とはいえ、肩が重い理由はそれだけではない。

 

 軍務庁から命を受けたとき、あたしは二度、頭を下げた。

 

 こうしている今も、曜青(ようせい)の「鶴羽衛(かくうえい)」が敵の主力を抑え、豊穣の民とは膠着状態(こうちゃくじょうたい)にある。

 

 その天秤(てんびん)をこちらに傾けるためにも、援軍と軍資の要請に当たる——それが最初の点頭(てんとう)だった。

 

 問題は二度目の——、

 

 

 そこでにわかに明るくなった舷窓の外を、あたしは何度か瞬いて見直す。

 

 

 

 黄金の蓮。

 

 

 

 巨大な葉が、円錐形の天城を囲むように、宇宙の暗がりに開いていた。青い恒星の光に淡く照らされて、その姿は穏やかで、静かで、火花の気配なんてどこにもない。

 

「これも、——仙舟なのね」

 

 隣の席で、同行者が呟いた。

 

 今回の交渉にあたる総勢12名の使節団の一員で、たしか……博識学会から来たという女性、名はイネス。

 

 黒い眼鏡の奥の目は、いつも何かを測っているような知性を感じさせた。

 

 あたしは少し首を傾げて、

 

「イネスさんは、仙舟『朱明』へはたびたび?」

 

「いいえ。私、朱明は初めてです」

 

 にっこりと笑みを浮かべ、

 

「学会の記録に残っているような『天上の楼船』とは、ずいぶん違いますね。ですが、これは……、いえ、これほどまでに美しいとは」

 

 感慨深いのか目を細めていた。

 

「ええ。私もそう思います」

 

 あたしは穏やかに答えながら、頭の片隅で、ひいおばあちゃんの口癖を思い出していた。

 

 

 ——人の一生、朱明の火を見ずに、星海を遍く飛んでも徒然(とぜん)である。

 

 

 ひいおばあちゃんが褒め称えた場所には、たいてい絶景があった。あたしはこれまで、その口癖を半分くらい疑って生きてきたけれど、この景色を前にすると、もう全部信じる方に倒したくなる。そう、

 

 火花、なんて、どこにもなかった。

 

 あったのは、七千年の歳月を抱いた巨大な船と、その住民たちが技術の粋を集め、育ててきた、巨大な蓮だけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 星槎*港(せいさこう)光明天(こうみょうてん)」に降り立った瞬間、あたしは思わず息を吸い込んだ。 *星槎:宇宙船または宇宙艇をさす

 

 

 涼しい。

 

 

 池の水に浸かったような肌触りの冷たさが、ふわりと耳元を撫でていく。火を恐れて強張っていた身体が、ゆっくりとほどけていく、そんな感覚があった。

 

 光は濾過(ろか)されたような蜂蜜色で、巨大な渡航場の壁面はどこを見ても月長石(げっちょうせき)のようにきめ細かく光っている。

 

 何より目を引いたのは、(はり)(けた)の組み方だ。あたしはそこまで学があるわけじゃないけれど、これは、人が組んだというより、自然に育った金属の脈に近い気がする。

 

 ただきっと、それもわざとなんだろう。

 

 外来者の先入観をひっくり返すために、わざわざこう見せている。

 

 仙舟「朱明」、技術自慢に余念がない、と内心でつぶやく。

 

 

 使節団の誰もが眼前の光景に圧倒され、しばらく足を止めていた。

 

 無理もない。あたしだって、つい天井を見上げてしまっていたのだから。

 

 そのせいで、後ろからきた脚夫(きゃくふ)の荷が、軽くイネスさんの肩に触れた。

 

「あ、失礼」

 

「いいえ」

 

 イネスさんは穏やかに答えながら、半歩だけ横へずれた。

 

 その靴先が、足下を走る細い銀線に乗りかける。

 

 次の瞬間、彼女はほんのわずかに息を止め、足を引いた。

 

 すぐに何事もなかったような顔に戻ったので、誰も気づかなかったと思う。

 

 あたしも、その時は、模様を踏むのが嫌なのかな、くらいにしか思わなかった。

 

 

 と、そこで気づく。

 

 

 使節団のあたしたちを迎える列の先頭に、十代くらいの白髪の少年が(こうべ)を垂れて待っていた。

 

 

「か、懐炎(かいえん)先生に、ここで皆さんをお迎えするよう、遣わされました……」

 

 

 声が震えていた。

 

 顔色も少し青い。耳は尖っていないし、明らかに、成長の遅い持明族(じみょうぞく)の大子供でもない。

 

 ……もしかしたら、懐炎様の私淑(ししゅく)弟子だろうか。

 

 あの方が、こんな小さな子をどこから見つけてきたのか、急に、興味が湧いた。

 

朱明工造司(しゅめいこうぞうし)の職人、応星(おうせい)と申します。使節団の皆さん、仙舟『朱明』へ、ようこそお越しくださいました」

 

 応星、と名乗ったその子は、丁寧に頭を下げた。

 

「か、懐炎先生は軍備のご整備で、お忙しいので、私が代わりに参りました。実は、私もたくさんの仕事を抱えておりまして……皆様のように長くは生きられず、時は貴重です。早く、引き継ぎを済ませてしまいましょう」

 

 その一言で、ようやく分かった。

 

 短命種、ということか。

 

 仙舟人ではない。長く生きられない種族の少年が、工造司の名のもとに、ここで丁稚(でっち)をしている。

 

 あたしは隣のイネスと目を合わせる。同じことを思っていそうな顔だった。

 

「ご丁寧にありがとうございます、応星さん」

 

 声を、できるだけ柔らかくして言う。

 

「私、曜青は軍務庁より参りました、白珠(はくじゅ)と申します。よろしくお願いしますね!」

 

「あ、はい、こ、こちらこそ……」

 

 一礼し、応星は丸めた背を向けて、案内を始めた。

 

 歩き出した直後、足元の銀線が淡く光る。

 

 小さな荷役台(にやくだい)が、音もなくその線の上を無人で滑っていく。人の足首ほどの高さしかない台で、上には工具箱や用途のわからない機材が載っていた。

 

「あ、すみません。光明天では、自動の搬送路がありますので……」

 

 応星さんが慌てて言った。

 

「踏んでも大丈夫ですか?」

 

「大丈夫ですが……でも、荷役の方に怒られます」

 

 それは困る。

 

 あたしは、足元にも気をつけることにした。

 

 

 

 先頭を行くその小さい背中をしばし観察した後、

 

 あたしは少し歩調を合わせて、応星の隣に並ぶ。

 

 道中、何のことはない天気や朱明の風景をとっかかりにして、次第に話を広げ、彼の素性を聞くに至った。

 

 何故、この地で暮らしているのか。

 

 ——歩離人(ほりじん)の艦隊が、故郷を兵器の牧場に変えてしまったのですと彼は答えた。

 

 その結果……彼の家族や同胞が迎えた悲劇のこと。

 

 最後まで聞かずとも、肉塊や器獣の養分にされたことは想像に(かた)くなかった。

 

 あたしはこれまでに何度か、そういう星を見てきた。

 

 あれを……、あんな鬼畜の所業を平然とこなす人間——いや()(もの)が、この宇宙には本当にいる。それが、いちばん許せない。

 

 あたしはこの矮躯(わいく)に降りかかった豊穣の魔手(ましゅ)を呪わざるを得なかった。

 

 ただ、運良く……といっていいのかはわからないけど、幼少の折にその惨劇から間一髪故郷を脱出できた応星は、朱明にたどりつき、以来、雲騎(うんき)の武器の製造方法を学ぶために工造司として日々邁進(まいしん)しているのだという。

 

 一念。

 

 それを語るときの彼の眼差しに、迷いはなかった。いずれ、親兄弟同胞の仇を討つ、という目的が彼の身体の芯を支えているんだろう。

 

 だけど、歩を進めるうちに、揺るぎない口調は尻すぼみになっていく。

 

「……ですが、司部の仙人の先生たちは、まだ及ばぬと言っています」

 

 まるで血でも吐くかのように、

 

「努力が足りないわけでも、才能が足りないわけでも、ないようなのですけれど……」

 

 まだ子供だというのに、

 

「……私は、皆様や、彼らのように長くは生きられないので、学べる知識や経験には、どうしても限界があるんです……」

 

 言葉の端々に諦念(ていねん)が覗いていた。

 

「もしかしたら、……父と母の仇を討つ日を、私は迎えられないのかもしれません」

 

 目線を落として、弱々しくそれでもどうにか気丈に振る舞おうとして、口端をゆがめた彼は静かにそう言うと、それきり口を閉じた。

 

 

 

 ——胸の奥が、痛んだ。

 

 

 

 あたしは、すこしだけ、声の調子を変える。

 

「老いぼれたちの戯言(ざれごと)なんて、聞く必要ありませんよ。それに、あの方たちは仙人じゃないです。きっと、……そう、ただ、応星さんに嫉妬しているだけです」

 

 職人と名乗ったということは、半人前ではない。この(よわい)で一人前であると認められているということだ。

 

 それはすなわち、門外のあたしから見ても、天賦の才の持ち主なのではないだろうかと思えるほどだ。その道の人間ならば、内心どのような醜い情を抱くのだろうか。

 

 なのでどうにか励ましたくて、

 

「たった数十年で亡くなった絶世の天才なんて、天才クラブにもたくさんいますから。でも、彼らの成果が全宇宙を震撼(しんかん)させているのは、誰もが認めるところでしょう?」

 

 伝え聞くところによる話でも、記憶の片隅から引っ張り出していく。

 

「それに——長く生きられるかどうかと、その人の功績って、関係ないと思いますよ」

 

 しまいには、まくしたてるように早口になってしまった。

 

 あたしは、こういうところで黙っていられない性分なのだ。だから、考えなしでしゃべり出してしまうのだけど……。

 

「応星さんは、自分のやりたいことに専念すれば、それでいいんです。成功するも、しないも、——天意ですからね!」

 

 ぽかんとしていた応星の表情が、朱明の明かりに照らされて、瞳が揺れる。

 

 

 ほんの少しは、明るく——

 

 

 でも、すぐに彼は首を横に振った。

 

「ありがとうございます。で、ですが、老いぼればかりでも、戯言ばかりでも、ないです。懐炎先生は……あの方は、私を尊重してくださいます。先生からは、たくさんのことを、学びました。私が及ばないのは事実です……」

 

 ああ。

 

 あたしは、思わず、手を伸ばして、彼の頭を撫でていた。

 

 ふわり、と、髪の柔らかさが指に伝わる。煙の匂い。鍛冶場の匂い。

 

 応星はびっくりしたように顔を上げて、それから、ふっと目を伏せて——

 

 彼の小さな手が、あたしの手の上に、重ねられた。

 

 軽く、軽く、慰めるように、彼はあたしの手を、叩く。

 

 ……いやいや。

 

 あなたが慰める側じゃないでしょう、応星さん。

 

 胸の奥が、また、痛んだ。今度は、別の理由で。

 

 応星はその瞬間、不意に、自分の責務を思い出したように、ぱっと姿勢を正した。

 

「ええと、まずは、皆さんを焔輪鋳煉宮(えんりんちゅうれんぐう)にご案内するよう、先生に申し付けられております」

 

「事の流れを考えれば、まずは援軍と軍資について話し合うべきじゃないか?」

 

 同行者のひとりが尋ねたが、

 

「も、申し訳ありません。わ……私は、懐炎先生に言われた通りに、しているだけ、なので……」

 

 応星はオドオドと答えるだけだった。

 

 無理を言わせてはいけませんよと、あたしは取りなし、彼に微笑む。

 

 

 

 

 

 

 星槎渡航場を出て、あたしたちは石畳の通りを歩く。

 

 通りの両側には、工造の街らしく、武具屋や金属の卸店が並んでいる。

 

 鎚を打つ音が、そこかしこから、規則的に響いていた。

 

 その時だった。

 

 反対側から、三人連れの一団が歩いてきた。先頭の男は仙舟人で、煤けた前掛けに、筋肉隆々たる職人の風体だった。

 

 あたしはちらりと見た限りで、この人物が応星と同じ朱明工造司の職人だと察した。

 

 すれ違いざま、男の口元が歪んだ。

 

「短命の小僧が、また、大事を任されたものだな」

 

 響くような、低い声。

 

 先頭の応星の足が、止まる。丸めた背はさらに小さくなる。

 

「懐炎様も、今度ばかりは人選を誤った。曜青の使節を案内するのに、百年も生きられぬような寿命の小僧を寄越すとは、皮肉のつもりか?」

 

 男の連れの二人が、含み笑いを漏らす。

 

「それともお前——懐炎師のお名前を借りているうちは、街でも一目置かれるからな。あの方の温情が切れた時、お前に何が残る?」

 

「真面目に取り組むのは結構だが、短命種の身であと何本仕上げられるか、勘定はしているのか、坊主」

 

 応星は、唇を噛みしめたまま、何も答えない。

 

 短命種——殊俗(しゅぞく)の民とも呼ばれる彼ら彼女らは仙舟において少数であり、かつその生命の長さは他の仙舟の民と比較にすら値しないと軽んじられがちだ。

 

 おそらく……応星も日頃からこの人達のような人間からいびられているんだろう。

 

 ましてや懐炎様の遣いを任されるような扱いだ。(ねた)(そね)みといった針のむしろの上で日常を送っているのだと察せられてしまう。

 

 俯いたまま、応星の身体は消え入りそうなほど儚かった。握りしめた指先が、白い。

 

 あたしは息を吸って、心の内を整えた。

 

 使節団の身として、ここで買い言葉を発するのはまずい。

 

 他人様の勢力圏で、まして相手はこれから頭を下げにいく、朱明工造司の人間だ。

 

 下手に口を出せば、援軍と兵器の交渉そのものに障りかねない。

 

 ひいおばあちゃんが言っていた。

 

 ——他人様の勢力圏では、不満があっても口に出してはいけない。

 

 あたしは、口を引き結ぶ。

 

 それに、ここであたしが立場を破り前に出れば、使節団の中で「目立つ」ことになる。それはできれば避けたい。

 

 

 

 でも、応星の肩が、震えていた。

 

 

 

 

 あたしは、自分の手が彼に伸びそうになっているのを、無理やり押さえる。

 

 

 

 動けない。

 

 

 

 動け。

 

 

 

 動けない。

 

 

 

 動け。

 

 

 

 動け——

 

 

 

 その時——

 

 

 

 

 

 

「あー、ちょいちょいちょい、おっさん」

 

 

 

 

 

 

 通りの脇から、声がした。

 

 明らかに品性に欠ける口調だった。

 

 商店の影から、男が一人、倒れ込むようにしてふらりと出てきた。

 

 出で立ちは、黒と赤を基調にした道袍(どうほう)、その下に白い中衣(ちゅうい)——流浪者か、流れの剣客か。少なくとも、職人ではなさそうだった。

 

 背は高く、燃えるような赤橙色(せきとうしょく)の髪は非常に目を引いた。

 

 そして、その髪の下の顔は————あ、

 

 

 

 

「道のド真ん中でクソ邪魔なんだけど」

 

 

 

 

 男はあくびでも噛み殺すような口調で、ずかずかと近づいてきた。

 

 

「いい歳こいてガキンチョに対して、ネチネチ言ってんじゃねーよ……ったくよぉ、こっちがイライラしてっ時に」

 

 長命の職人の眉が、ぐっと寄る。

 

「貴様、何者だ」

 

「うるせぇ……もうそういうのいいから……あーマジでうぜぇ、……お前も厄介なおっさんに目つけられたな」

 

 男は応星をちらっと見て、それから、職人の方に視線を戻した。

 

「おいハゲ、ちったぁ肩の力ぬいて丸くなれよ、その頭みてーによ。なんのためのハゲだよ」

 

 

 職人の頭頂部はたしかに、()()だった。

 

 

 思わずあたしが吹き出しそうになった瞬間、

 

 言葉を続けようとしていた、その男の口が、止まる。

 

 いや、止まったというより、ぐらり、と男自身がよろめいた。

 

 え、あ、とあたしは思わず手を伸ばしかけた。

 

 男はすぐに体勢を立て直したけれど、額に汗が浮かんでいる。

 

 よく見れば、頬もこけかけていて、(くま)もひどく、何より顔色が、青いを通り越してもはや黒い。

 

 ……あれ?

 

 長命の職人の口元が、にやり、と動いた。

 

「貴様も、化外民(けがいみん)か」

 

「あー……? んだよ、毛がない民って、自己紹介か——」

 

「朱明の路上で、職人に喧嘩を売る代償は、安くないぞ」

 

 怒髪(ないけど)天を()く勢いで長命の職人が一歩踏み出して、男の胸ぐらを、掴んだ。

 

 あ。

 

 あたしの口から、声が出かけた。

 

 男は避けようとした。手が動いた。けれど、その動きが、明らかに(にぶ)い。

 

 そして、胸ぐらを掴まれたまま、あっけなく引きずり倒される。四肢が石畳に叩きつけられる音が周囲に響き渡る。

 

 長命の職人が、軽く嘲笑した。

 

「口ほどにもない男だな」

 

 蹴りが男の鳩尾(みぞおち)に突き刺さり、苦悶の声を上げて、身体がくの字に折れる。

 

 

 さらにもう一発、職人の足が振り上げられた。

 

 

 応星が、はっと怯えた顔を上げる。

 

 

 

 

 あたしの足は、もう、動いていた。

 

 

 

 二人の間に身体を割り込ませる。

 

 

 

 

 ——限界だ。もう知ったことか!

 

 

 

 

 使節団の証——曜青の紋章入りの披帛(ひはく)の裾を、相手の視線に入る位置に(ひるが)して、姿勢を正した。

 

 

「失礼いたします」

 

 

 声を、低く、整える。

 

「私、曜青は軍務庁より派遣されました、使節団の白珠と申します」

 

「…………」

 

「ここでこれ以上の騒ぎを望むならば、これより懐炎様のお耳に入れざるを得ません。さすれば朱明の名にもかかわります。お互いに、ここはお収めいただいた方が、賢明かと存じますが」

 

 長命の職人の眉が、ぴくり、と動いた。

 

 彼の連れの二人が、おそるおそる視線を交わす。

 

 立場というのは好きじゃないけれど、こういう時にこそ役に立つ。

 

 あたし自身ではなく、あたしの背負っている立場の重みが相手を縛る。

 

 ……こうやってこの職人を黙らせるくらいなら、最初から、応星のために使えばよかったのだ。

 

 

 ごめんなさいと、胸の奥が、ちり、と痛んだ。

 

 

「……ふん」

 

 職人は鼻を鳴らして、男の胸ぐらから手を離した。

 

「使節団のお墨付きに守られるとは、運のいい男だ」

 

 そう吐き捨てて、職人は連れと共に、通りの向こうへ歩き去った。

 

 修羅場に張り詰めていた通りの空気が、少しだけ弛緩する。

 

 

 あたしは大きく息を吐いて——

 

 倒れたままの男に、屈み込んで声をかける。

 

 

「大丈夫ですか?」

 

 

 男は、苦笑いのような顔で、片手を上げる。

 

 

「いでぇ……わりぃな……たすかった」

 

 

 その声は死霊の呼び声一歩手前かと思われるほどで、

 

「いえ、それは構わないんですが——どこかお怪我でも」

 

 あたしの言葉に、彼は深く息を吐いて、

 

 

 

 

 

「……はら、へった」

 

 

 

 

 

「……は、はい?」

 

「はらァ、へってて……もう、うごけない」

 

 ……はい?

 

 あたしは二度ほど瞬く。

 

 応星も駆け寄ってきて、おずおずと男を覗き込んだ。

 

 男は石畳に仰臥(ぎょうが)したまま、天を見上げて、長く息を吐く。

 

「どこ、ここ……どうして……こうなった……スタペイ使えない、なんてきいてない、……現金のみきらい……あるわけないじゃん……ここの今の金なんて……ってかもうみんなきらい……まるごとブネネになっちゃえ……でも、カフ……すわん……」

 

 熱にうなされているような声の小ささなのに、言葉が途切れない。

 

 あたしは何を言っているのかわからず、呆気に取られて聞いていた。

 

 応星も目を白黒させて、

 

「あの、お、お兄さん、その……」

 

 焦点が合っていなかった目が正しい位置に戻る。

 

「お前さぁ……ちったぁ言い返せよな……相手が……ハゲの時は……初手ハゲいじりだろ……」

 

 男は応星を見て、軽くその足を手の甲で叩く。

 

「ま、つぎだな。今度は……ゆうき……だせ……」

 

 その一言で、応星の表情がふっと緩んだ。

 

 他方、あたしはといえば——自分の旅嚢(りょのう)を開けていた。

 

 中から、携行食を取り出す。狐族の飛行士が任務に出る時に必ず持つ、保存の利く軽食だ。

 

 火を通さなくても食べられて、遭難時を想定して滋養がある。手を擦り合わせながら、その包みをほどく。

 

「これ、よかったら」

 

 男の目の前に、あたしはそれを差し出した。

 

「……いい、の?」

 

「はい。いいから、食べてください。お腹減ってるんですよね」

 

 男は少しだけ眉を上げて、驚いたような顔をして、それから小さく頭を下げて、口を開けた。

 

 どうやらもう顔を起こすこともできないらしく、あたしはためらいつつもその口内へと携行食を差し出した。

 

 ぎゅっと噛む。

 

 嚥下(えんげ)する。咀嚼(そしゃく)する。嚥下する。

 

 そして、口を開けて、一言。

 

 

 

「……もっと……」

 

 

 

 困った。そうくるか。

 

 携行食はもうない。

 

 仕方ないかと思って、自分で小腹が空いたときにでも食べようと思っていた桃饅頭(ももまんじゅう)も旅囊から取り出しかけて——逡巡(しゅんじゅん)する。

 

 でもこれ、自分で食べようと思っていたから少し不格好かもしれないしどうしよう……と、

 

「……〜〜〜!!!」

 

 大口を開けたまま、あたしの手元を目玉が飛び出そうなほど凝視している男の迫力におされて、観念して口内に詰め込んであげた。

 

 半分くらい飲み込んだあたりで、彼は目をカッと見開いた。

 

 

「うっま!!」

 

 

 そしてそのまま、ボロボロと涙をこぼし、ズビズビと鼻水をこぼし始めた。

 

 

面目(めんぼく)ねェ……面目(めんぼく)ねェ……!! も”う”()ぬがどお”ぼっだ……!! ごんだにうめ”ェ饅頭(ま”んじゅう)初めて()っだ……ッ」

 

 

「そ、そんな大げさですよ……!」

 

 出し惜しみしかけた自分が馬鹿みたいだった。

 

 男はひと息に残りの半分を食べて、なおもうめぇうめぇと連呼し、食べ終えた後で、しばし余韻にひたっているようだった。

 

 彼の顔は、まだ青いところもあったけれど、次第に血色が戻っていくのが面白いくらいにわかった。

 

 

 やがて、身を起こした男は深々と頭を下げて、

 

「本当、ありがとう……マジ助かった。あんた命の恩人だ……」

 

 両手を合わせて拝まれる。

 

「あはは、よかったですね……」

 

 あたしは頬をかいて苦笑しながら、ようやく自分が任の途中であったことを思い出す。

 

 それは応星も同じだったようで、ちらちらと他の使節団の面を気まずそうに見ていた。

 

 慌てて頭を周囲に下げ、

 

「申し訳ありません! 先を急ぎましょう」

 

「あ、待ってくれよ。あんた名前は?」

 

 男に尋ねられるが、あたしは、

 

「名乗るほどの者ではないので。これからは行き倒れないよう気をつけてくださいね。天佑(てんゆう)があらんことを」

 

 軽く頭を下げて、背を向けた。

 

 ……残念だけど。きっとこれきりの縁なんだろう。こんな時機でもなければ、な。

 

 あたしが目でうながすと応星も男に一礼をし、再び先頭に立って歩き始めた。あたしも彼に従う。

 

 ……でも、

 

 歩きながら、

 

 振り返りたくなる衝動を、何度か呑み下した。

 

 あれだけの空腹、携行食と桃饅頭程度で本当に足りたのだろうか。

 

 あの後、また倒れ込んでいたら——いや、それは、もう、あたしの管轄ではない。

 

 ……管轄ではない、はずなんだけどなぁ。

 

 あたしは、自分にそう言い聞かせて、どうにか足を動かし続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 焔輪鋳煉宮(えんりんちゅうれんぐう)、と応星が呼んだその場所は、街の喧騒から離れた先にあった。

 

 あたしたちが案内されたのは、薄暗い円形の大殿の入り口だ。

 

 応星はそこで紙を一枚取り出して、慣れた手つきで小さな鳥の形に折る。

 

 手のひらの上の紙鳥に向かって、彼は何かを小声で呟いた。

 

 次の瞬間、紙鳥は素早く羽ばたいて、薄闇の奥へ飛んでいく。

 

 ……これも、奇技(きぎ)なんだろう。

 

 仙舟「朱明」。四隅(しぐう)に至るまで、あたしじゃ理解出来ないほどに発達した物凄い機巧(きこう)を誇っている。

 

 だからこそ……その力を是が非でも借りたい。

 

 数刻も経たないうちに、どこかの機構が命令を受け取ったのか、大殿の周囲が山崩れのような揺れを起こし始めた。

 

 円形の壁が分離して、収縮していく。気づけばあたしたちの足元の基座だけが残っていて、どこから差し込んだのか分からない光が、空間全体を、照らした。

 

 使節団の面々が、驚きのあまり互いに抱き合うようにして固まっている。

 

 あたしも、ぎゅっと隣の手すりを掴んだ。

 

 ふわり、と、足元の感覚が、抜ける。

 

 あたしたちのいる殿堂が、見えない軌道の上に浮いていることに気づくまで、しばらくかかった。

 

 足下に恒星のような輝きを放つ光体がある。

 

 

 ——「太陽」。

 

 

 いや、太陽ではないのだ、と本能で察した。

 

 あれは、何か、もっと、違うものだ。

 

 その光は、絶えることなく、律動して、変化していく。まるで、言葉を喋る心臓のように。

 

 

 光が躍り、激しく流れる。

 

 

 あたしの意識の中に、何かが、ずるりと、入り込んでくる。

 

 

 ——天から垂れ下がる、果ての見えない樹の枝。

 

 

 ——真空の中、太陽と月の光を帯びた船艦が、火を追う蛍のように変幻する血肉に大挙する。

 

 

 ——雲車(うんしゃ)と星槎が、墜落する直前の叫び声。

 

 

 ——上空ではまばゆく輝く戦士たちが、灼熱の死を放つ(げき)と弓を手に、暗闇に向かって突撃していく。

 

 

 誰かの声が、耳の奥で響く。

 

 

 ——この誓いを結び、守り抜かん!

 

 

 誰かが、誰かに、誓っている。

 

 あたしはその誓いの内容を知らないのに、血が沸き立つような高ぶりを覚える。

 

 そして、心の奥のもっと奥、誰にも見せたことのない場所に、別の声が、ふっと紛れ込む。

 

 

 

 

 

 

 ——俺は、どっちを選びゃあいい?

 

 

 

 

 

 

 ……え?

 

 なに——今のは?

 

 

 あたしは、自分の意識を、ぎゅっと、握り直す。

 

 

 

 

「皆の者!しっかり意識を保つがよい、『火皇(かこう)』を直視してはならん!」

 

 

 雷のように精悍(せいかん)な声が、大殿の上で、響いた。

 

 誰かが杖で地面を打つ。鈍重な金属の音がして、見えない障壁が上がったかのように、光と幻覚が遮断された。

 

 大殿は、ふっと、最初の幽邃(ゆうすい)たる状態に戻る。

 

 

 全員が、夢魔(むま)から目覚めたように、息をついていた。

 

 

 光が引いた先に、一人の老翁(ろうおう)が、立っていた。

 

 穏やかに、しかし揺るがない足取りで、宙に現れる階段を上がってくる。仙舟一の長寿の人——匠の中の匠——百冶——燭淵将軍(しょくえんしょうぐん)——

 

 挙げ連ねる称号は数知れない、

 

 

 

 懐炎様(かいえんさま)が、ようやく、姿を現した。

 

 

 

「弟子に頼んで皆をここに案内してもらい、兵器と援軍の件について話そうと思っていたのだが……よもや『偽陽(ぎよう)』を遮ることを忘れるとは、思わなんだ。危うく衆心(しゅうしん)を惑わしてしまうところであった。これは、わしの過怠(かたい)だ。詫びる他ない」

 

 懐炎様が頭を下げ、あたしたちも口々に頭をお上げくださいと発する。

 

 応星が、後ろで(のみ)もかくやと思うほど身を縮めていた。

 

 だけど、懐炎様は山岳のような穏やかさで、あたしたち使節団の前に進み出た。

 

青瑛舵取(せいえいだしゅ)の要請は、受領した。曜青が不利な状況にあるならば、朱明も傍観しているわけにはいかん——」

 

 言葉が続く。

 

 仙舟は各艦が裁量権を持つ。今回のような支援要請も場合によっては拒否されることもある。

 

 ……もしそうなれば、昼夜を通す長い交渉の始まりとなる。

 

 あたしはその覚悟を決めようとして、

 

 だが、

 

「——朱明には掃いて捨てられるほど十分な数の兵器がある。青瑛の要請通り、戦闘艦三百隻、雷弩(らいど)二万本、陣刀(じんとう)二万柄を提供しよう。だが——朱明にも払穢(ふつわい)の重責がある」

 

 あたしの隣で、博識学会の女がわずかに息を吐いた。

 

 その息の質を、あたしは、聞き分けた。

 

 ——安堵、ではない。

 

 もっと、何か——別の質感の息だった。

 

 

「増援については、貴殿ら使節団と同じ人数の援軍を送ろう!」

 

 

 懐炎様の声が、響く。

 

 使節団の他の面々が、拱手(きょうしゅ)し、深く頭を下げた。

 

 あたしもそれに倣う。

 

 でも。

 

 深く下げた視界の隅で、あたしは、彼女の口端がわずかに上がっているのを見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 鋳煉宮を辞して、あたしたちは星槎港「光明天」へ戻る道を歩いていた。

 

 応星は案内という役目の終わりが近づき、別れの言葉を述べ始めているところだった。

 

「皆様、及ばぬ身ですがお役に立てたのなら、よかったです……恐らく、このあと折檻ですが」

 

 先ほどの偽陽の件だろう。とても気の毒ではあるが、それでも、声は小さかったけれど行きの道中よりは、彼の目に光が戻っていた。

 

 あたしは少しだけ笑って、彼の肩に手を置く。

 

「お疲れさまでした、応星さん。本当にありがとうございました」

 

「い、いえ……あの……その……私、がんばります」

 

 応星は照れたように何度も頭を下げる。

 

 ——この子は、大丈夫だ。きっと、これから先も、何度も心が折れかけることだろう。ひょっとしたら折れてしまうかもしれない。

 

 ……根拠なんかないけど、

 

 それでも、彼はきっと折れた剣を鍛え直すように、何度でも立ち上がっていく、そんな気がしてならなかった。

 

 何より、あたしは男の子はそうあるべきだと思うし、そういう男の子の方が——

 

 

 ……何を考えてるんだろう。

 

 

 いけないいけないと、あたしは使節団に向き直り、そして悟った。

 

 

 ——やっぱり。

 

 

 この場の使節団の数はあたしを入れて、

 

 

 1()1()()()

 

 

 あたしは、使節団の中ひとりに小声で尋ねた。

 

「あの、イネスさんは……」

 

「イネスさん? あの方なら、つい先ほど、ここまで来た記念に、ぜひ見ておきたい鋳造の資料があるとおっしゃって、おひとりで街の方へ。あとで合流すると」

 

「……そうですか」

 

 声が、一段低くなったのを、自分で感じた。

 

 ……懐炎様が援軍と兵器の数量を告げた、その直後。

 

 別行動。

 

 間違いない。

 

「で——え、は、白珠さん!? どちらへ!」

 

「すみません、事情があり! 応星さん! 負けちゃダメですよ、天意、ですからねっ!」

 

 振り返って一番伝えたいことだけ伝え、イネスさんが向かったらしい方角へ、走る。

 

 途中、曜青へ気になることに対する問合せを行い——確信を得るに至った。

 

 石畳の通りを視線を配りながら駆け抜けながら、高所を目指す。

 

 周囲で頭ひとつ抜けていた建造物の屋上にのぼり目を凝らす。

 

 そして、思考を展開する。

 

 

 自分ならば、どうするか。

 

 

 まずは、離脱経路の確保だ。情報を抱えた以上、星槎をどこかに用意しておく。

 

 星槎港に堂々と置くわけにはいかないから、目立たないけれど発進可能などこか。倉庫街か、工造の卸店の裏手か、廃艦置き場あたり。

 

 次に、接触相手との合流。情報を一人で運ぶより、仲間に渡す方が確実性は高い。

 

 ……豊穣側の協力者は、必ず朱明のどこかにいる。

 

 合流点は、大通りではない。武具屋の裏路地、廃倉庫、運河沿い——人の目から外れた、奥まった場所。

 

 

 あたしは屋上の(へり)から街を見下ろす。

 

 

 光明天の北寄り、工造司とは反対の側、卸店の屋根が低く密に並んでいる一帯。

 

 

 ……あそこのどこかだ。

 

 

 さらに目を凝らす。

 

 

 ——これでも飛行士だ。その視力をなめないでほしい。

 

 

 路地の入口の影に——はたして、

 

 

 

 ——いた。

 

 

 黒い眼鏡の女性。イネスさんだ。

 

 立ち止まり、看板を見上げている所作をとりつつ、左右をさりげなく確認している。

 

 あたしは屋上の縁より身を引いて、隣の屋根へ移った。

 

 屋根伝いに駆け抜けていき、彼女の動線の少し先まで回り込んでいく。

 

 飛行士の心得として、地上での尾行は本職じゃない。けれど要点は空と同じだ。近づきすぎず。離れすぎず。周囲の景色と同化する。

 

 イネスさんはゆっくり街の奥へ歩いていく。

 

 あたしの読みが当たっているなら、彼女は接触相手との合流点へ向かっている。

 

 ふいに、彼女の足が止まった。

 

 路地の入口で、彼女はあたりを軽く見回した。あたしは屋根の影に身を伏せる。

 

 誰もいないと確認したように、彼女は路地の奥へ入っていく。

 

 あたしは屋根から今度は雨樋(あまどい)を伝って距離を詰め、どうにか路地を見下ろせる位置に身を寄せた。

 

 

 そこには——もう一つ人影があった。

 

 

 仙舟人ではない。淡い緑の衣を纏った人物だった。

 

 ……豊穣(ほうじょう)。豊穣の民、特有の衣だ。

 

 イネスさんがその人物に小さな包みを手渡している。あたしは目を凝らす。距離があって包みの中身は分からなかったけれど、彼女の唇が動くのが見えた。

 

「戦闘艦三百隻……雷弩二万……派兵時期は……」

 

 ごくり、とあたしの喉が鳴った。

 

 ……間違いない。

 

 博識学会、というのは表向きの肩書きで、中身は豊穣側に通じている。

 

 曜青と朱明の間で今回援軍と兵器の取引が成立した、その情報を向こうへ流そうとしている。

 

 あの数字に、彼女は食いついた。

 

 でも、その瞬間、イネスさんがこちらを振り返った。

 

 目が合った。

 

 ……気づかれた。

 

 彼女の表情が一変する。眼鏡の奥の目が鋭く細まる。

 

 瞬間、あたしは身を起こして、屋根づたいに路地の入口まで降りた。最後の数尺は、軽く跳んで、石畳に着地する。

 

 二人と向かい合う形で、距離を詰めた。

 

「——白珠さん」

 

 彼女の声は低く整っていた。

 

「ここまで、追ってきましたか」

 

 あたしは一瞬で懐から節のついた円筒と弦を組み合わせ——携帯式弓矢を構えた。

 

「……追ってきた、ではありません」

 

 深く息を吸う。

 

「軍務庁からあたしが受けた命は二つ。ひとつは、あなたも聞いた支援要請、そして、二つ目は」

 

 イネスさんの眉がぴくり、と動く。

 

「使節団の中に必ずひとり、豊穣の密通者(みっつうしゃ)がいる——炙り出すように、と」

 

 彼女はふっと笑った。眼鏡の奥の目に、薄い氷のようなものが浮かぶ。

 

「……ああ、なるほど。あなた方は、そういう動きまでするのね」

 

「あなた個人を疑っていたわけではありません。そのひとりが誰かを見極めねばなりませんでした」

 

「では、私の何が決め手に?」

 

「光明天の床です」

 

 イネスさんの眉が、ほんの少し動いた。

 

「あなたは朱明が初めてだと言いました。でも、港に降りた時、押されて床の銀線を踏みかけた瞬間、反射で足を引きましたよね」

 

「…………」

 

「あれが荷役台の搬送路だと、私はその後で応星さんに聞くまで知りませんでした。初めて来た人なら、踏んだあとに驚く。けれどあなたは、通る前に避けた」

 

 彼女の表情から笑みが消えた。

 

「……あれだけで、ですか」

 

「あれだけで疑ったわけではありません。ただ、あなたを候補として見ることに決めました」

 

 あたしは矢筒から一本引き抜いて、弦につがえた。

 

「一番の決め手の前に、——ひとつ、お伝えしておきます」

 

 声を低くする。

 

 

 

 

「懐炎様が口にした数字、あれは、全て、偽りです」

 

 

 

 

 彼女の目が見開かれた。

 

「……は?」

 

「曜青と朱明で既に密議をしていました。使節団に密通者がいる可能性が高い以上、本物の援軍と兵器の規模は口頭では出さない。代わりに、餌としての数字を撒く——それを持ち帰ろうとする者が、密通者であると」

 

「そんな……」

 

「考えれば、わかるはずでしょう。戦闘艦三百隻、雷弩二万本、陣刀二万柄、なのに援軍は我々使節団と同人数——懐炎様はお戯れが好きと聞きますが、その規模で、鶴羽衛が戦線を支えられるとお思いですか?

 

 ——()()()()()()()()()()()()()()

 

 頭脳明晰と名高い博識学会の人間がその程度のこと見破れぬはずがありません」

 

 唾を飲み込み、

 

「裏で曜青に問合せましたが、本物のイネスさんは……ご遺体で見つかったそうです」

 

 彼女の唇が震えていた。

 

「つまり、あなたが豊穣側に持ち帰る予定だったその数字は、ぜんぶ嘘です。届いた瞬間、あなたは向こうでも信用を失うでしょう」

 

 ()()()()()()()()()()()は何も答えない。

 

 あたしが矢を放った、その瞬間、

 

 かたわらにいた豊穣の民のひとりが彼女の腕を引いた。

 

 矢は彼女の頬をかすめたものの、仕留めるに至らない。

 

 次矢をつがえるより先に、ふたりが走り出す。

 

 ……速い。

 

 駆け込んだ先の路地の奥で聞き慣れた推進炉の音が低く鳴り始める。

 

「くっ!」

 

 やはり星槎を用意していたんだ。そうだとしたら——、

 

 

 あたしは駆け出した。

 

 路地を抜ける。

 

 通りに飛び出して空を見上げる。

 

 淡い緑の機影が朱明の空に上がっていく。

 

 あたしは自分の腕珂(わんか)——曜青の飛行士に支給される通信装置——を握っていた。

 

 

「『鸞影(らんえい)』、緊急発進。座標、現在地点、上空。すぐに来てください!」

 

 

 通信を切り、ほどなくして、あたしの視界の上の方、雲を裂いて白い機影が降りてきた。

 

 あたしの愛機。

 

 曜青の青色を底に纏った、軽量級の星槎——『鸞影(らんえい)』。

 

 その機体があたしの目の前で、ふわりと足元を浮かせて止まる。艙口(そうこう)が開く。

 

 あたしはためらわず飛び込んだ。

 

 艙口が閉じる。操縦席に滑り込んで、両手で計器盤を撫で必要な按鈕(あんちゅう)を押し込んでいく。

 

 

 ——行こう。

 

 

 操縦桿を握る。重力がふわりと抜ける。窓の外で朱明の大地が急速に遠のいていく。

 

 

 ここから先は、

 

 ——あたしの、空だ。

 

 

 今は亡き先代の『鸞玉(らんぎょく)』、先々代の『鸞羽(らんう)』もきっと星の果てで見ていてくれるはず。

 

 

 まったくもって自慢じゃないけれど、誰か失礼な人がつけた、あたしの異名は、「星槎殺し」

 

 ……いや、甚だ、不本意なんだけど。

 

 たしかに撃墜数だけ見れば、飛行士の中でも上位に座っている。

 

 けれどその異名の由来は、どっちかといえば——あたしの機体が、毎回、満身創痍で戻ってくるからだ。

 

 戦闘そのものに勝っても、機体が犠牲になる。

 

 だから整備の老師たちには、その度に頭を下げる。「次は、もう少しまともな状態でお持ち帰りください」と言う。

 

 ……努力はしている。

 

 結果が伴わないだけで。

 

 ……鸞玉(らんぎょく)は、三年前にライバハル近辺の前哨戦で、左翼を半分失って、不時着して二度と飛べなかった。

 

 鸞羽(らんう)は、もっと前。あたしが飛行士になって最初の年、初陣で——機体丸ごと撒き散らしながら、それでも敵艦を仕留めて帰ってきた……穴だらけで。

 

 でも、鸞玉も、鸞羽も、あたしを生かしてくれた。

 

 今は、鸞影がその役を務めてくれている。

 

 ……できればあの子たちより、ちょっとだけ長く付き合ってほしいと祈り、

 

 

 

 操縦桿を、傾ける。

 

 鸞影が応えて、空を斜めに切った。

 

 眼下の朱明の街並みが流れていく。

 

 光明天の渡航場、工造司の塔、武具屋の通り——応星のいたあたりは、もう視界の隅。

 

 腕珂の感応に、緑色の点が捕えられた。

 

 北東、およそ三里、上昇中。

 

 ……いた。

 

 あたしは出力を押し上げて、鸞影を加速させる。

 

 空気を斬り裂く音が耳朶(じだ)に届き、座席に押しつけられる重みが、(ろく)に染みた。

 

 緑色の機影が、こちらの接近に気づいた。回避機動。右へ大きく舵を切って、雲の塊の中へ逃げ込もうとする。

 

 ……読みは外れない。

 

 あたしは雲の出口側へ先回りする。鸞影(らんえい)の小さな機体は、軽量級ならではの旋回性で、雲の縁を(こす)るように回り込んだ。

 

 出口で待ち構える形。

 

 雲を抜けてきた緑色の機影が、あたしの鸞影を見て、わずかに止まった。

 

 その一瞬を、あたしは逃さない。

 

 操縦桿を倒して、機首から斬り込む。すれ違いざま、左舷の燧発筒(すいはつとう)が短く吼えた。

 

 短光矢が連射されて、緑色の機影の右翼を()ぐ。

 

 あちらの機体が傾くが……まだ。

 

 見積もって、あと二回。

 

 あと二回、こうやって翼を削ぎ落とせれば、あの星槎は撃墜できる。

 

 あたしは大きく旋回して、もう一度、敵機の死角へ回り込もうとした。

 

 

 その時——

 

 緑色の機影が、空中で、何かを放った。

 

 爆発、ではない。

 

 散布だ。

 

 淡い、青紫色の(かすみ)のようなもの。それが空気に触れた瞬間——

 

 

「……まずい!」

 

 

 噛みしめた奥歯が軋む。

 

 

 

 

 おそらくあれは——豊穣の力。

 

 

 

 

 理屈はわからないけど、霞は空気に触れた瞬間、芽のようなものを(ほころ)ばせ始めた。

 

 そして空中で、爆発的に、伸びる。

 

 

 赤紫の(つる)が、鸞影の左翼に絡みついた。

 

 

 ……っ!

 

 

 操縦桿が、ぐっと、重くなる。鸞影が左へ大きく傾く。あたしは反対側に舵を切って、無理やり機体を立て直そうとした。

 

 

 でも、(つる)は、蔓を呼ぶ。

 

 

 最初の一筋が翼を絡めると、その蔓から、また別の蔓が芽吹いて、艦体の各所に絡みついていく。完全に、意志ある植物だ。

 

 

 しかも——

 

 

 あたしの背筋に、悪寒が走った。

 

 

 霞は空中だけじゃない。眼下の朱明の街並みにも降り注いでいる。

 

 

 風防越しに見える地上では、武具屋の屋根、卸店の壁、石畳——どこにでも、赤紫の芽が暴れ始めていた。

 

 住民たちが叫び、空を見上げる。

 

 地上と同じ蔓と、それに引きずられる鸞影を。

 

 

 ……ああ、巻き込んでしまった。

 

 

 密偵を炙り出した代償が、朱明の住民の頭の上に降ってくる。

 

 あたしの失態だ……。

 

 悔やんでも悔やみきれないほどに唇を噛みしめる。

 

 でも、……いまは、それに構ってる場合じゃない。

 

 鸞影の機体が、ぎしり、と軋んだ。

 

 蔓が機体を縛り上げる力は、止まる気配がない。

 

 出力を上げれば翼が()がれるし、かといって出力を絞れば揚力を失ってしまう。

 

 

 操縦桿が、生き物のように暴れ始めた。

 

 

 ……いまここで、墜ちるわけには、いかない。

 

 

 まだ、敵を倒してない。

 

 ここであたしが取り逃がそうものなら、曜青は終生の笑い物にされてしまう。

 

 ましてや、いつか彼岸を渡っても一族郎党が優しく迎え入れてくれることなどないだろう。それこそ、ひいおばあちゃんは蹴りを入れられてしまうかもしれない。

 

 

 

 ——刺し違えてでも、止める。

 

 

 

 あたしは(ほぞ)を固め、操縦桿に体重を乗せた。

 

 でも、機体は、確実に、高度を落としていく。

 

 左翼を絡め取った蔓の重みが、鸞影を地上へ引きずり下ろそうとしている。

 

 眼下の街並みが、思っていたより、近い。

 

 武具屋の通り、工造司の塔——そして、ひときわ高く伸びた、円錐形の鐘楼が、視界の右下を流れていく。

 

 焔輪鋳煉宮の、鐘楼(しょうろう)

 

 ……朱明で一番高い建造物の塔頂と、いまのあたしの高度が、同じくらいまで来ている。

 

 

 いけない。このまま墜ちるわけにはいか

 

 

 

 

 その時——、

 

 あたしは信じられないものを見た。

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 その人影はまるでこっちこっちと言わんばかりに両手を振っていて、

 

 

 

 目を疑った次の瞬間、屋根を駆け下りてきて、

 

 

 

 

 跳んだ。

 

 

 

 

 

 機体の右側で、ドンッ、という衝撃が走った。

 

「!?」

 

 右翼に、ガキッ、と金属が食い込む音。

 

 続けて、ぎっ、と何かが張り詰める音。

 

 

 ——(さく)だった。

 

 

 誰かが、機体に、鈎索(こうさく)を引っ掛けた。

 

 ……まさか。

 

 空中の鸞影に、地上から、誰かが飛びついてきたの?

 

 

「う、嘘……?」

 

 

 機体が、ぐらり、と揺れる。

 

 あたしは反射的に操縦桿を立て直しながら、風防の右側に視線を走らせた。

 

 右翼の外側、機体の後方へ——太い索が、ピンと張りつめて伸びていた。

 

 その先で、まるで冗談のように、人影が、風に(なび)いている。

 

 

 目に入ったのは、

 

 

 ——燃えるような赤橙色の髪。

 

 

 あの男の人だ。

 

 彼は索を腰に巻いていた。

 

 索の一端は機体に食い込んだ鈎で固定され、彼の身体は機体の推進力で後方へ引かれている。

 

 風圧で、ほぼ水平に、靡いている状態だ。

 

 彼は両腕で索を握り、力を込めて、機体側へ、にじり寄っていく。凄まじい風圧と戦いながら、ひと握りずつ、機体に近づいていく。

 

 なんか聞こえてきた。

 

 

「あばばばばばばばばばばばばばばばば」

 

 

 あたしは前方とそちらを交互に見ながら、息を呑むしかできなかった。

 

 彼の手が、翼の縁に届く。

 

 ぐっ、と腕で身体を引き寄せて、彼は翼の縁をついに掴んだ。

 

 凄まじい逆風のなか、彼は索の張力を頼りにして、翼の上にへばりつく。

 

 

 そして、彼が、風防越しに、こちらを見る。

 

 

 目が合う。

 

 

 翼の上で、彼は叫びながら身を伏せていた。

 

 今度は聞き取れなかった。

 

 しかし、その姿勢のまま、彼は空いた手で、何かの棒を取り出し、そこから光刃が伸びる。

 

 半身を起こすと同時に、機体に絡みついていた蔓を、片手で一閃。

 

 赤紫の蔓が、ザクッ、と切り払われる。

 

 その拍子に彼はバランスを崩しかけて、

 

「危ない!!」

 

「ぬおっだだ!?」

 

 つい叫んでしまった。

 

 だがすぐに、彼は身を伏せ直した。心臓に悪すぎる。

 

 彼が風防越しにこちらを見た。

 

 

 

 また目が合った。

 

 

 

「な、何してるんですか!!」

 

「桃マンのお礼に、草刈りに来た!」

 

 風で半分以上は飛ばされたけれど、口の動きで、それだけは読み取れた。

 

 桃マン……桃饅頭?

 

 そんなことのために?

 

 こんなどんな命知らずの白痴でもやらないような曲芸の真似事を?

 

 あたしは、操縦桿を握ったまま、絶句する。

 

 彼はもう一本の剣も腰から抜いた。二刀の柄を合わせる。

 

 すると何かの機構なのか、二刀がカチッと結合して、太い大剣の形になる。

 

 翼の縁に脚を絡めて、彼は両手で大剣を構えると——機体の上に絡みついた蔓を、大きな弧で切り裂いた。

 

 切れた断面から、樹液のような液が散って、風に流される。

 

 あたしは目を疑った。

 

 あの蔓は、豊穣の力で生まれている。

 

 普通の刃では、切れないはずだ。それを彼は、平然と——いや、平然ではない、彼の額にも汗は浮いている。風に煽られて、何度も体勢を崩しかけている。

 

 それでも、確実に、切っている。

 

 でも、蔓は増え続けている。

 

 一本切れば、三本生える。

 

 大剣だけでは、追いつかない。

 

 彼が舌打ちをする。

 

 風で声は届かないけれど、その動きは見えた。

 

 次の瞬間、彼は剣を分割し、一刀を腰に戻した。代わりに、腰から、もう一つ、別の何かを引き抜く。

 

 長銃のような形。

 

 けれど、銃身が淡く光っていて、あたしが見たことのない様式だ。

 

 彼は片膝を翼の溝に押しつけた姿勢で、銃を構えた。銃口に、淡い、赤い光が灯る。

 

 次の瞬間——

 

 炎の弾丸が、襲いかかる蔓を、一気に焼き払った。

 

 赤紫の蔓が、青白い炎に包まれて、ぱちぱちと音を立てて崩れていく。

 

 煙が機体の周囲を流れていく。

 

 あたしは、息を呑んだ。

 

 ……何、あれは。

 

 火薬では、ない。

 

 弾丸自体が、まるで炎の塊のようだった。

 

 あの人の武器は——いったい、何の系譜なんだろう。

 

 仙舟の工造司も、こんな機巧をもった武器は見たことがないときっと目を剥いて言うんじゃないだろうか。

 

 またなんか叫んでいる。

 

 

「————様、天才万歳いいいいいいいいい!!

 

 

 彼が銃を構えながら、風防越しに、こちらを見る。

 

 唇が、動いた。

 

「とっとと、しまいにしてくれよ!」

 

 風の中、断片的にしか聞こえない。けれど、意味は伝わった。

 

 

 あたしは自分の頬を張った。

 

 

 ……たしかに、その通りです。

 

 

 操縦桿を握り直す。鸞影の機体が、ぎしぎし軋みながらも、まだ応えてくれる。

 

 

「いきます! しっかり、掴まっててください!」

 

 

 風防越しに叫ぶ。届いたかは、分からない。けれど、彼は片手を上げた。

 

 

 了解、の合図のつもりだろう。

 

 

 あたしは出力を一気に押し上げた。

 

 鸞影が、空を斬り裂いて加速する。

 

 燃え尽きた蔓の残骸を振り切って、緑色の敵機を、追う。

 

 彼は翼に身を伏せたまま、銃身を機体の周りに振っていた。新しく芽吹こうとする蔓を、片端から、炎で焼く。

 

 その姿を、横目で追ってしまう。

 

 

 ……普通じゃ、ない。

 

 

 あの人の動き、あの武器、あの判断の早さ。ただの食い詰め者では、絶対にない。

 

 でも、それを、いま追及している暇も余裕も時間もない。

 

 

 あたしは緑色の機影に、急角度で迫った。

 

 

 向こうも、もう逃げ場がないと悟ったらしい。

 

 機首を回して、こちらに対峙するように方向転換してくる。

 

 ……ぶつけてくる気か。

 

 いや。

 

 機影の側面、懸架(けんか)部の付近で、何かが、開いた。

 

 

 ——まただ!

 

 

 あの霞を、また、撒く気だ。

 

 あたしは舵を、深く、切り込んだ。

 

 鸞影が、悲鳴を上げながら、無茶な角度で旋回する。

 

 散布が始まった。

 

 淡い、青紫色の霞が、こちらに向けて、放たれる。

 

 ぎりぎり——機動の縁で、霞の大半は躱せた。

 

 ただ、

 

 至近距離。

 

 散布の縁の一部が、あたしの鸞影に、直接、降ってくる。

 

 ……っ!

 

 風防に、霞が押し寄せた瞬間——

 

 翼の上で、彼が動いた。

 

 先端を片手で掴み、機体の揺れに合わせて勢いをつけて、風防の上へ身体を引き上げる。

 

 あたしの目線の真上、風防のすぐ向こう側に、彼が、四つん這いの姿勢で、貼り付いた。

 

 そして、

 

「——俺のこと信じるか!?」

 

「は、はひっ!」

 

 その剣幕にドキッとしつつ、つい反応してしまう。

 

「じゃ、俺もお前を信じる。ぜってー揺らすなよ!! 絶対だぞ!」

 

 風防の縁に片手と辛うじて足をひっかけて、彼は中腰になり、片手だけで銃を構え直した。

 

 

「——届け!!

 あんたの心、撃ち抜いてやらああああああああああああああああ!!」

 

 

 銃口の赤い光が、霞を焼き払う。風防越しの視界に、青白い炎の幕が広がる。

 

 そして、すぐさま懐に手を突っ込み、

 

 

「ラスト——猟犬ちゃんヨロシクゥ!」

 

 

 何かを装填するような仕草と共に、

 

 

 軽く引き金を引いた。

 

 

 銃口から放たれた弾は、これまでの炎弾とは違う色だった。鈍い金色の光を帯びている。

 

 

 しかも、まっすぐ飛ばない。

 

 

「……え!?」

 

 

 弾は、空中で、ぐにゃり、と軌道を曲げた。

 

 敵機が、最後の悪あがきで、急上昇に転じる。雲を縫って、逃げ切ろうとする。

 

 

 でも、その弾は、逃がさない。

 

 

 空中で、二度、三度、軌道を曲げて、艦影を追っていく。雲を貫き、雲の向こうに消えても、なお、追う。

 

 

 ……あれは、誘導弾?

 

 

 いや、違う。

 

 

 軍務庁の最新の研究でも、ここまで自由に軌道を曲げる弾なんて、聞いたことがない。

 

 本当に、獲物を追う猟犬のように——

 

 雲の向こうから、

 

 ぼうっ、と、低い破裂音が、響いた。

 

 雲の中で、金色の閃光が、一瞬、滲み、

 

 

 

 

 盛大に爆発した。

 

 

 

 

 四散した敵機の破片が落下していく様を呆気に取られながら見つめる。ちょうど光明天の外縁へ出ていたから、あそこなら、破片は防護網の外へ落ちるはず。よかった、と、——我に返る。

 

 

 ——あの人は!?

 

 

 既に左翼に移動していて、機体に残った霞の中から芽吹こうとする蔓を、片端から剣で払い炎弾で焼却していく。

 

 

 あたしは、操縦桿を握ったまま、その姿を見ていた。

 

 

 こんな人……いるんだ。

 

 

 これでも狐族のはしくれだから、200年近く生きているんだけど。

 

 

 こんな人、——生まれて初めて見た。

 

 

 おそらく……自信はないけど……短命種のはずなのに。

 

 自分の命の危険を考えていない。

 

 なんでだろう。

 

 どうしてだろう。

 

 疑念が尽きない。

 

 ……?

 

 

 ——もっと知りたいなんて思うのは、

 

 

 ああ。

 

 

 ああ、そうか。

 

 

 そういう、ことか。

 

 

 一目見た時からそんなことない、そんなことないと思ったけど、思おうとしたけど——

 

 

 蔓を払い終えて彼が、こちらに振り返った。

 

 彼は笑って指鉄砲(ゆびでっぽう)を作って、

 

 あたしを撃ち抜いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 あたしは操縦桿に、もう一度、体重を乗せて、機体を緩やかに立て直す。

 

 鸞影はボロボロだった。

 

 左翼は半分以上穴だらけ。機体には、蔓に絡まれた跡が深く残っていた。風防にも、うっすらひびが入っている。

 

 ……いつも通り、と言えば、いつも通り。

 

 飛んでいるのが不思議なくらい。

 

 生きているのも、不思議なくらい。

 

 あたしは、肺の中の息を全て絞り出す。

 

 風防越しのあの人が、何か騒いでいる。

 

 たぶん、はやく下ろしてくれ、だ。

 

「了解です」

 

 口元が、自然と笑みを形作る。

 

 それからどうにか無事着陸して、あたしは操縦桿から両手を離す。

 

 おかしいな。膝が笑っている。手汗もひどい。

 

 でも、深く息を吐いて、整える。

 

 艙口の鎖を解除した。艙口がゆっくり外へ開く。

 

 戦闘中の風の音は、もうない。

 

 地上の静けさが操舵席に入り込んできた。

 

 彼も腰の鈎索(こうさく)を片手で軽く外し、機体の脇へ地に足をつけるや否や、大地に抱きつくように伏せていた。

 

 あんなことをしていれば当然だろうけど、なんかかわいらしくて、自然と顔がほころんでしまう。

 

 あたしも操舵席から機体の外へ降りる。

 

 

 彼は機体の脇で横たわり、ボロボロになった鸞影の左翼を見上げて、軽く口笛を吹いた。

 

 

「あー、信じらんねぇ、生きてるわ俺。マジで。地べたくん、もう俺を二度と離さないでね」

 

「——あの飛び降り、よく無事でしたね」

 

「もう二度とやんねー……」

 

 彼は片手で後頭部を軽く掻く。

 

 

 戦闘の興奮が引いている。

 

 空気が静かだ。

 

 

「なんで……、あんなことを?」

 

「そりゃ、あの坊主が血相変えて走ってたから、どしたんだって聞いたら、ハクジュさんが大変で助けてくださいって土下座すんだもん。知らんけどあんたのこと追っかけてたらしいぜ?」

 

「そう……だったんですか……」

 

 応星が……おそらく、彼と別れた後、あたしのただならぬ様子を心配して追ってきていたのかもしれない。

 

 後で、お礼を言わないと……い、いえ、今はそれよりも、

 

「怒らねーでやってくれよ。相当に勇気だしたみてーだし。まぁ空中戦やってっから、高ぇところ教えろっつったら、あんなとこまで上らされてよぉ、おまけに綱渡されて、結果ロケットダイブだもんな」

 

 首を鳴らしながら、ため息をつきつつ、

 

「まぁ、あと……アレだな、桃マンが美味かったから? また食えなくなんのやだなぁとか思ったり?」

 

 彼は埃を払ってようやく立ち上がる。

 

「…………」

 

 あたしは彼の方へ一歩近づいた。

 

「あの……」

 

「あん?」

 

 もう一歩近づく。

 

 

 

 

 

 

 

「——ま、毎日、作ればいいですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 心臓がうるさい。

 

 彼の正面に立つ。

 

 距離はもう、伸ばした手が届くくらい。

 

 戦闘中、風防越しに見ていた存在が、いま目の前にある。

 

 あたしは彼の目を見上げた。

 

 

「白珠、です。先ほどは名乗らずごめんなさい」

 

 

 初めて、自分の口で名乗る。

 

 

「え、あ、おう……はい」

 

生業(なりわい)は、曜青で飛行士をしてます」

 

「はぁ……まぁ飛ばしてたしな、あの宇宙艇」

 

 ゆ、勇気を振り絞れ、白珠。

 

 

「お、お、お名前を、教えていただけませんか」

 

 

 彼は怪訝そうな顔をして、口を閉じた。

 

 でも、あたしの目は、彼の目を捉えて離れない。

 

 その時——

 

 彼の懐から、ぼうっ、と低く、機械的な音声が響いた。

 

 

 

『——警告。収束圧(しゅうそくあつ)、基準値を上回りました』

 

 

 

「!?」

 

 彼はその声に、固まり、

 

 

 

『被験者ゼイン。観測ログを——』

 

「おい、バカ、ちょおま、いま、空気——」

 

 彼が慌てて懐から何かを取り出した。

 

 銀色の懐中時計のような、見たことのない造作の道具。彼は両手でそれを掴んで、何度か軽く叩く。

 

 でも、

 

 あたしの耳にはもう残っていた。

 

 ……被験者、ゼイン?

 

 あたしはもう一歩、彼に近づく。

 

 

「ゼイン……さん、というんですか?」

 

 

 彼の手が止まる。

 

 目が、明らかに泳いだ。

 

 

「あ、いや、その」

 

 

 口をパクパクさせ、

 

 

「あ……ち、違……」

 

 

 彼の視線はもう、空に逃げていた。

 

 あたしはさらに一歩近づく。

 

 もう距離はほとんどない。

 

 

 

「そうです、

 

 

 ——ぜ、是印(ぜいん)でーす

 

 

「どういう字ですか? こんな字ですか?」

 

 あたしは、懐から筆と紙片を取り出し、書いてみせる。

 

「え、あ、はい、それでいいや」

 

 彼は観念したように視線を下ろしていた。

 

 

 

 是印(ぜいん)

 

 

 

 あたしは口の中で繰り返した。なんでだろう。なんで何度も口にしたくなるんだろう。

 

 あたしはもう一度、是印さんの目を見つめた。

 

「是印さんっ、是印さんっ」

 

「な、なんだよ……」

 

 

 

 

 ——朱明の空は、思ったより涼しい。

 

 なのに、この胸は、頬は熱くてたまらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「白珠、

 あなたに惚れてしまった

 みたいです!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう伝えた、あたしの心を撃ち抜いた()()()()は、しばらく硬直していて、

 

 

 

 

 天を仰ぎ、

 

 

 

 ——「え、これ、どうすればいいの?」とでも言うかのような顔をしていた。

 

 

 

 

 




執筆時BGM:「ときめきの導火線」今野友加里



この話を書きとうて、書きとうて……仕方がなかった。
だって、タイムトラベルときたら、ねぇ……?













うっふぅ〜〜〜〜〜ん♡ ここはァ、TSのメッカ、ハメルンよぉ〜〜ん♡♡
だからルキンフォー・エムはSF少年バトルノベルから
異世界中華ファンタジー少女ノベルにジャンルをTSしちゃ〜〜〜〜〜う♡


冗談サ
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