ルキンフォー・エム   作:來馬らんぶ

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#60 "Brothers"

 

 

 

 

 

 踏み固めた土に、ひとり立つ。

 

 ここは羅浮(らふ)の隅の、誰も寄りつかない一角。空も雲も風も、洞天(どうてん)の技で作られた偽物だが、頬を打つ風だけは妙に本物くさかった。

 

 その風に向かって、景元は今日も今日とて木剣を振り下ろす。何百回目かは数えていない。数えるのをやめたのは、数えていると虚しくなると気づいたからだった。

 

 

 

 木剣を向ける相手はいない。

 

 

 

 いたためしがない、と言ったほうが正しい。

 

 景元の生まれは、羅浮では知られた家だ。雲騎軍に入ると決めた折も半ば監禁に近い形で家人からは制止された。結果あらゆる手段を行使せざるを得ず、最終的には家出同然の状態で出てきた。

 

 

 許せなかったのだ。

 

 

 言ってみれば、両親の庇護(ひご)のもとでのうのうと暮らすかたわらで、日々豊穣(ほうじょう)()(もの)どもと争い、命を落としていく兵たちがいる。そんな者達を乗せて飛び立つ星槎の数々を、豪奢で快適な屋敷より覗く己が恥ずかしくて仕方なかった。

 

 

 ——だが覚悟を決め、家を捨てて飛び込んだ軍にも、景元の居場所はなかった。

 

 

 名家の出というだけで、古参の兵は遠巻きにする。少し剣の覚えがいいと言われれば嫉まれ、口が回ると言われれば疎まれた。

 

 上官の指図に筋が通らないとき、通っていないと言ってやれば、生意気な小僧と睨まれる。間違ったことは言っていない。言っていないが、正しさは人を遠ざける。

 

 そのことを、景元は雲騎軍へ入り、嫌というほど思い知った。

 

 

 

 だから一人で振る。相手がいないなら、風を相手にすればいい。

 

 そう思って、ずっとそうしてきた。

 

 

 ――ついこの間までは。

 

 

 その日も、いつもの調子で振っていた。

 

 背後の気配に気づいたのは、突きを放つべく踏み込もうとした拍子だった。

 

 

「よーす、今日も今日とて精が出るじゃんかよ、景元」

 

 

 振り返らなくても、声の主はわかった。

 

 あの男だ。

 

 名は是印。化外民といえど、態度や思考や物言いがとてもじゃないが年長者に見えない。

 

 赤橙色の髪と黒地に赤の派手な道袍(どうほう)を着崩して、いかにも柄が悪いですと主張している。

 

 

「……また来たのか、おっさん」

 

 

 わざわざ語尾を強調して、景元はようやく振り返った。

 

「あーん? またグリグリされてぇのか?」

 

 トラウマと化しているため、反射的にこめかみを押さえた景元は、

 

「飯場はどうしたんだよ」

 

「死ぬほど芋の皮むきしてきたわ。っつーことで、暇なんだよ」

 

 

 言うが早いか、是印は片手に持っていた木剣を肩に乗せる。

 

 

「続きやろうぜ。相手してやる」

 

 

 昨日。

 

 そう、昨日もこの男は来た。一昨日(おととい)も来たし、なんなら一昨昨日(さきおととい)も。

 

 最初は追い払おうとした。鬱陶しかったから。そしたら勝手に殴りかかってきて、へとへとになるまで打ち合って、「やべっ晩飯の時間じゃんかよ!!」と走り去っていく背中に「もう来るな!」と投げかけたのに、次の日になると記憶でも失ったのかと思うほど、変わらぬ態度でまた来た。そして、同じように木剣を構え始める。

 

 

 手加減、そんなものなかった。

 

 

 それが――業腹(ごうはら)で、だけどなんというか……不思議な感覚だった。

 

 

 本気で打ち合ってくれる相手は、軍に来てから一人もいなかった。組み手の相手なら、毎日の訓練でいくらでもつく。だが、みな同じだった。名家の子と当たれば、不興を買うまいと手心を加える者か、逆に小僧の鼻をへし折ろうと無闇に力む者か。

 

 どちらも、剣を交わしている気がしなかった。

 

 だけどこの男は違った。立場も家柄も気にしない。化外民だから、軍の面倒な縛りの外にいる。

 

 景元が名家の子だろうが家を捨てた小僧だろうが、この男にはどうでもいいとばかりに、本気でかかってくる。

 

 

「……今日こそ叩きのめしてやる」

 

 口ではそう言って、構えた。胸の奥のあたたかいものには、気づかないふりをして。

 

 

 

 

 

 

 

 打ち合いは、いつも通り噛み合わなかった。

 

 景元の剣には、型がある。家で、軍で、叩き込まれた型。そして自分で組み直した型。一振り一振りに理由がある。

 

 どこに踏み込めば崩れるか、どう受ければ流せるか、全部頭に入っている。同年代はおろか大人だろうと誰にも負けない自負がある。それだけの数、剣というものを振ってきた。

 

 なのに是印の剣は、その型をことごとくすり抜ける。

 

 来るはずのない角度から来る。受けようとした瞬間に消える。普通はこうしたらああなるという理屈がない。なので読めない。

 

 型がないどころか、剣の理から外れている気すらする。一昨日だかに、いきなり木剣を投げてきて、しれっと二本目の木剣を取りだしてきたときなんかは度肝を抜かれた。

 

 

 

「毎度なんなんだよ、その剣は……!」

 

 木剣を弾かれて、景元は思わず吐き捨てた。正面の是印はけろりとしている。

 

「なんだって言われてもよ。来た球を打ち返してるだけだぞ」

 

「来た球じゃない! あんたのそれは、剣の動きじゃ――」

 

 最後まで言う前に、踏み込まれた。咄嗟に半身をひねってかわす。木剣の先が、さっきまで喉があった場所を通り過ぎていく。

 

 

 背筋が冷えた。同時に、悔しさが腹の底で焼けた。

 

 

 この男の過去など知らない。

 

 だけど、自分の方が絶対、絶対に、遙かに多く剣を振ってきたと思う。だってずっと考えてきたのだ。型も、理も、全部この男より知っている。それなのに、届かない。剣を交えるたび、何か根本のところで及ばないものを突きつけられる。

 

 生まれ持ったもの、と呼ぶしかないようなものを。

 

 その正体を口にするのは、まだ怖かった。だから景元は、悔しさを奥歯で噛み潰して、もう一度構え直す。

 

 

 

 ——と、

 

 

 

「兄さーん!」

 

 間延びした声が、広場に転がり込んできた。

 

 声の主は、応星だった。朱明・工造司の少年。背中に布包みの工具を背負って、息を切らして駆けてくる。

 

「兄さん、また景元と打ち合ってるんですか。私は止めましたよね、危ないからって」

 

 兄さん、ときたものだ。

 

 応星は是印を「兄さん」と呼ぶ。べたべたに懐いている。最初にその姿を見たときは、なぜこんな飯炊き男にそこまで、と思った。今でもその気持ちは変わっていない。

 

「おー、応星。ちょうどいいとこに来た。この木剣、握りのあたりがささくれてんだけど。どうにかしてくんね?」

 

「貸してください。……ああ、ここですね。手の皮が裂けますよ、こんなの。削ってならしておきます」

 

 是印が差し出した木剣を、応星は手のひらでくるりと回して仔細に(あらた)める。工造司の手つきだ。金属に限らず、木剣相手にも妥協がない。

 

「だいたい、いつまでも木剣でしのがないでください。言ってくだされば、刃引きをすぐ用意しますから。私が打ったものを」

 

「いやいや、稽古に真剣もどきはやりすぎだろ」

 

「やりすぎなものですか。兄さんの手は、剣を選びますから。ありあわせの木剣なんかじゃもったいないです」

 

 言い切る応星に、是印は苦笑いしている。それが景元は面白くない。

 

 なんだその、私が打ったものを、というのは。さも自分だけが是印の特別であるかのような言い方をするな。

 

「おい工造司。お前の出る幕じゃない。今は俺と稽古中なんだ」

 

「私は兄さんの武器を見てるだけです。景元こそ、稽古ばかりで剣を傷めるでしょう。(いたわ)ってあげてください」

 

「労るのはお前の仕事だろ。俺は振るう側だ」

 

 応星と景元のあいだで、ばちばちと火花が散る。是印を真ん中に置いて、右から応星が、左から景元が引っ張り合う。綱引きの綱役である是印はなんだこいつら……と言わんばかりにうざったそうな顔を浮かべている。

 

「兄さんの手を離してください!」

 

「離すのはお前だ!」

 

 

 

 

 そこへ、別の声が割り込んだ。

 

 

 

 

「そこの工造司。応星、だったな」

 

 通りすがりの軍人が、応星に声をかけた。朱明の使節がらみで顔を見知っているらしい。

 

 途端、応星の背筋が、しゃきっと伸びた。

 

「は、はい。私が応星です。何か御用でしょうか」

 

 私が、応星です。

 

 その声色が、さっきまでと違った。緊張のにじむ、よそ行きの声だった。

 

 軍人が二言三言かけて去っていくと、応星は小さく息をついた。張りつめていた全身から、力が抜ける。

 

「……兄さん。私、ちゃんとした受け答え、できてましたか」

 

「できてたけど、お前さ、その肩にめちゃくちゃ力入んのなんとかなんねーの?」

 

「それは……外では、なめられたら終わりですから。特に……短命種の、孤児の工造司なんて。背筋伸ばして、私、って言ってないと」

 

 応星の顔が、沈鬱に染まっていく。

 

 景元は黙って聞いていた。

 

 短命種だの孤児だの、自分には縁のない言葉だ。だが、なめられたら終わり、という感覚だけは、なぜか胸に刺さった。

 

 名家というだけで遠巻きにされ、(ねた)まれ、一人で剣を振ってきた景元にも、覚えのある痛みだった。

 

 生まれは正反対のはずなのに、その痛みだけは、よく似ている気がした。

 

 

「無理すんなって」

 

 

 是印は、あっさり言った。

 

 

「仕事ん時はともかく、俺と……あーまぁ白珠あたりか。の前ん時ぐらい、背伸びすんな。その年で、私、なんてかしこまらなくていい。僕でも俺でも、好きに言えよ。そのほうがホントのお前らしいだろ」

 

 応星が、目を見開いた。

 

「ぼ、僕……ですか」

 

 試すように、一度。それから恥ずかしくなったのか、応星はうつむいて口ごもった。耳の先が赤い。

 

「……まだ、慣れません」

 

「別に今すぐじゃなくていいっての」

 

 景元は、横目でそれを見ていた。

 

 胸の奥が、妙にざわついた。羨ましい、というのとも違う。ただ――自分には、そんなふうに肩の力を抜ける相手が、いたためしがなかった。

 

 家にいた頃も、軍に来てからも。一人でいる癖がこびりついてしまった景元には、背伸びをやめる、というやり方が、そもそもわからない。

 

 

 本当に目の前の、この男はなんなのだろう。

 

 

 

 人が触れられたくないところを、こともなげに見抜いて、グリグリと遠慮なく触ってしまう。剣の理からも人の常識からも外れているくせに、なんで——

 

 

 

 その気配に気づいたのは、応星でも是印でもなく、景元が先だった。

 

 

 広場の端、石畳の道が靄に消えるあたりに、人が立っていた。

 

 

 銀の髪を高く結い、浅葱色の羽織を肩に流した、長身の影。腕を組み、こちらを静かに見据えている。いつからそこにいたのか、まるでわからなかった。

 

 今度は景元が全身を強張らせる番だった。

 

 

「……剣首様」

 

 

 景元の喉から、掠れた声が漏れる。

 

 鏡流。羅浮の剣の頂点。景元のような少年兵にとっては、雲の上の人物に等しい。同じ場の空気を吸っていることすら、畏れ多い。一緒に龍尊のもとへ交渉に行ったことすら夢物語であったかと思うほどに。

 

 

 だが——だが、である。

 

 

 是印だけが、応星と景元を押しのけて、光と見まごうほどの速度で距離を詰めて、(ひざまず)いていた。

 

 差し出された両手の上には何かが載せられている。

 

 

「先生、本日の昼餉(ひるげ)焼餅(やきもち)肉挟(にくばさ)みでございます」

 

 

 ……どうやら、弁当らしかった。

 

 景元は、自分の目を疑った。

 

 

 羅浮の剣の頂点が、跪く化外の民から、焼餅を受け取ろうとしている。

 

 

 しかし、指先一つ分まで近づいた手は、そこでぴたと止まり、

 

 

「……お前」

 

 鏡流の声には、感情というものが綺麗に抜け落ちていた。それがかえって恐ろしい。

 

 

「我は、弟子に取った覚えはない。何度言えば伝わる」

 

 

「まーたまた、照れちゃってー。もーほら、冷めないうちにどうぞ。今日のは肉の脂が乗ってて宇宙一かわいい弟子の自信作っす」

 

「弟子に取った、覚えは、ない!」

 

「ええ……はぁ……じゃあ折角ですがこの焼餅は処」

 

「…………」

 

 

 鏡流は、焼餅を掴んでいた。

 

 

 その顔には、だが焼餅に罪はないとでかでかと書いてあった。

 

 

 景元は、呆気に取られ、声も出せずにその一部始終を見届けた。隣で応星が、感心したように小さく唸っている。「兄さんは、剣首様の胃袋まで握っているんですね……」と、的外れなのか核心なのかわからないことを呟いて。

 

 鏡流は丁寧に包まれていた油紙を開き、焼餅を一口かじった。その間も、是印を見下ろす目は冷たいままだ。だが、二口目は、少し早かった。

 

 

「……是印(へいん)

 

 

 ぜいん、ではなかった。咀嚼(そしゃく)しながらのため、へいん、になっていた。

 

「はい」

 

 ごっくんと飲み込むと、

 

「その構えはなんだ」

 

 跪いていた是印が、立ち上がりがてら木剣を拾う。

 

「構えですか?  ふつうに構えてるだけっすけど」

 

「腰が高い。肩に力が入りすぎだ。それでは一振りで息が上がる。手の内も締まっておらん。剣に振り回され、見るに堪えん」

 

「いやまぁ、でもこれまでこんな感じでやってきたんで……そんなダメですか?」

 

「駄目だ」

 

 言うなり、焼餅を片手に持ったまま、鏡流のもう一方の手が伸びた。是印の手首をつかみ、握りの角度を直す。肘の位置を押し下げ、腰を落とさせる。片手間のはずなのに、淀みのない手つきだった。

 

「踏み込みは、ここからだ。腕で振るな。地を蹴った力を、足から腰、腰から肩へ通す。剣は、最後についてくるだけだ」

 

「……お、おお?」

 

「もう一度」

 

「ええ、これって――」

 

「もう一度、と言った」

 

 景元は、眼前の光景が信じられないとばかりに口を開けて固まっていた。

 

 あの剣首様が。羅浮の剣の頂点が。焼餅を片手に、よりにもよってこの軽薄な飯炊きに、手取り足取り、剣を教えている。

 

 言われたとおりに振り直した是印の一振りは、さっきまでとは別物だった。

 

 地から伝わった力が、剣の先で唸る。空気の鳴る音が、明確に変わった。

 

 

「……む」

 

 

 鏡流が、低く呟いた。焼餅を咀嚼するあごが、ふと止まる。是印を見る目に、ほんのわずか、何か別の色が差した。それは苛立ちでも、呆れでもなかった。

 

「型は言うに及ばん。理も、頭も、なし。にも関わらず――」

 

「あのー、頭って入れる必要ありました?」

 

 

 言いかけて、鏡流は一度その先を、飲み込んだ。焼餅と一緒に。

 

 瞑目したまま、逡巡(しゅんじゅん)する素振りを見せ、

 

 

 ようやくこう言った。

 

 

 

「——勘だけは、ある。剣士の勘ではない。が、な」

 

 

 

 その一言が、なぜか、景元の胸を(えぐ)った。

 

 勘だけは、ある。

 

 

 

 ——やっぱり。

 

 

 

 正直、そんな感慨が最初に湧く。

 

 自分には、勘がない。あるのは、つぎ込んだ時間と、考え抜いた型と、組み直した理だけだ。

 

 生まれ持った勘なんてものは、どこを探してもありはしない。

 

 是印と打ち合うたびに、思い知らされてきた。だがそれでもまだ、そんなことはない、そんなことはないと頭で必死に否定してきた、目を背けてきた。

 

 なのに、たった今、剣首様の吐いた言葉は、それを確固たるものへしてしまった。

 

 

 景元は奥歯を噛んだ。悔しさを、誰にも見せないように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 稽古は、それから半時ばかり続いた。鏡流の手元にも、焼餅はとうになくなっている。

 

 是印は、覚えが早いくせに、すぐに調子に乗る。少し褒められると、教わってもいない無茶な踏み込みを試して、見事に体勢を崩す。鏡流もまた木剣でもって是印のその背中や尻を容赦なく打擲(ちょうちゃく)し、修正。だが、是印はまた崩す。打擲。修正。また崩す。これの繰り返しだった。

 

 

「やー、でもこっちのほうが格好いいじゃないすか」

 

「格好で剣を振るなと言っている」

 

「えー」

 

「えー、ではない! 口答えをするな!」

 

 応星は応星で、稽古の合間に是印の木剣をかすめ取っては、難しい顔で検めている。

 

 一度は、是印の無茶な打ち込みのあとに、刀身を陽にかざして眉をひそめた。「兄さん、ここ。ひびが入りかけてます。こんな振り方を続けたら、次の一撃で折れますよ」と、半ば本気で青ざめて。かと思えば次の合間には、握りを布でせっせと拭ってやっている。「手汗で滑ってるじゃないですか。これで取り落としたら危ないんですから」と、今度はぶつぶつ世話を焼きながら。

 

 是印が振るたびに取り上げ、検め、拭い、また握らせる。忠犬か何かのように、ぴたりと張りついて離れない。

 

 そして、何度目かの無茶を、是印がまた性懲りもなく繰り出したとき。

 

 

 

 鏡流の堪忍袋の緒が、ブチッと音を立てて切れた。

 

 

 

「この馬鹿が! 何度言えばわかる、この馬鹿、大馬鹿者がっ!」

 

 もう完全に頭に血が上ってまくしたてる鏡流に対し、是印は絶妙にうざい顔で、

 

「えー先生、そんな馬鹿馬鹿言わないでくださいよォ~」

 

「抜かせ、何度でも言ってやるわ! 馬鹿は馬鹿だ。どこからどう見ても救いようのない大馬鹿者が!」

 

「いやー、すんません先生。俺、物覚えが悪くて」

 

「わかっておるなら直さんか! まったく、どこの馬鹿なんだ、お前は!」

 

「先生んとこの馬鹿弟子です」

 

「ほぉ、そうか! 我のとこの馬鹿弟子――」

 

 

 腕を組み、あたりに響き渡るほど力強く言い切ってから。

 

 

 

 

 ——鏡流は、石になった。

 

 

 

 

 間。

 

 たっぷり三つ数えるほどの、間。

 

 是印の顔が、ゆっくりと、にやりと崩れていく。

 

「先生」

 

「……言っておらん」

 

「弟子って、言いましたよね、今」

 

「言っておらん」

 

「いやー、しっかり聞いちゃったなあ。応星、聞いたよな?」

 

「ええっ!? わ、私ですか、えっと……」

 

「おい応星、お前、誰の弟だコラ」

 

「は、はい……聞きましたばっちり」

 

「ほらー!!!」

 

「貴様ら、揃って黙れ! 黙らねば我が首から上を()ねるッ!」

 

 鏡流の白い頬に、ほのかに朱がさしていた。剣首ともあろう御方が、わかりやすく狼狽している。

 

 だがこの命知らずは、引かなかった。

 

()ねられちゃう前に、先生、俺、たしかに剣も物覚えも悪いっす。でも――稽古はやめませんよ。何度馬鹿って言われても」

 

 

 ぴたり、と。

 

 鏡流が剣を抜こうとした手が、止まった。

 

「先生が手ずから直してくれた一振り、さっきので、わかったんすよ。今までの俺のやり方が、全部デタラメだったって。誰かにちゃんと見てもらえるってのが、こんなに違うもんだって」

 

 

 軽薄な声から、ふっと軽さが抜けた。

 

 

「だから――頼みます。馬鹿弟子で、いいんで」

 

 

 鏡流は、しばらく無言のまま是印を見つめていた。やがて、深く、ながい息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 ——観念の息だった。

 

 

 

 

 

 

「……勝手にしろ」

 

 そっぽを向いて、

 

「稽古をつけてやる。だが勘違いするな。貴様の剣は、放っておくと早死にしかねん。それが目障りなだけだ。我は、貴様を弟子と認めたわけでは――」

 

「おーし、応星、景元、お前らよく聞け。俺が『鏡流先生んとこのー!』って言うから、そしたら『宇宙一かわいいよっ!』って返せ、いいな? したら、『馬鹿弟子どうもありがと!』って俺返すから。『うおおおお!』、って、心一つにして魂込めて叫べ——いだだだだだ、やめてお尻の穴が一つ増えちゃう!!!」

 

「お前が一番人の話を聞け!」

 

 思いっきり木剣をケツに刺されていた。

 

 なし崩しだった。無理くりというか、どうしてこうなったというか、誰か強く頬をつねってくれと景元は思う。

 

 だが結果として、是印は今、剣首・鏡流の弟子になってしまった。あの剣首様の。雲の上の人物の。

 

 その光景を見ているうちに、景元の中で、何かがゆっくりと冷えていった。

 

 

 ――ああ。

 

 行ってしまうのだ。

 

 

 剣首様の弟子になったなら、もうこんな隅の土の上で景元と木剣を打ち合う必要などない。剣首様が直々に見てくれるのだ。景元なんかよりずっと、まともな相手と、まともな場所で。

 

 

 また、一人に戻る。

 

 

 ちょっと前まで、それが当たり前だった。一人で振って、風を相手にして。だから、戻るだけだ。元に戻るだけ。なのに、なぜだろう。たった数日、誰かと打ち合っただけで、その「元に戻る」が、ひどく重たく感じられた。

 

 知らなければよかった、とすら思う。誰かと剣を交える楽しさなど、知らないままなら、こんなに寂しくなることもなかったのに。

 

 

「……ふん。よかったじゃん」

 

 

 景元は、わざと素っ気なく言った。

 

「剣首様に拾ってもらえて。せいぜい励めよ。俺は俺で、勝手にやる」

 

 

 背を向けて、木剣を構え直す。

 

 また一人で振る。それだけのことだ。覚悟を決めろ。もともと、一人だった。別に群れるために雲騎軍に入ったわけじゃない。わかっていたことだ。

 

 そう、自分に言い聞かせた、その時だった。

 

 

 

「あ、先生」

 

 

 是印の声が、すぐ後ろからした。

 

 振り返ると、是印が鏡流に向き直っていた。そして、思いがけないことに――頭を下げた。

 

 

 

「お願いします。ついでに、こいつも一緒に見てやってくれませんか?」

 

 

 

 ——は?

 

 

 景元は、息を呑んだ。

 

 

「俺だけ教わるってのは、なんか違う気がするんすよ。こいつ、俺なんかよりずっと努力してるし。なのに本気で打ち合ってくれる相手がいなくて、ずっと一人で振ってんすよ。もったくないすか、そんなの。とにかくやる気だけはバチくそあるんですよ」

 

 

 是印の頭は、下がったままだった。化外の民が、剣首様に向かって、別に大した(ゆかり)もない子供のために、頭を下げている。

 

 

 

「お願いします。どうか。こいつも、弟子に」

 

 

 

 景元は、何も言えなかった。

 

 覚悟したばかりだった。また一人に戻ると。知らなければよかったと。そう思って、背を向けて、奥歯を噛んだばかりだった。

 

 

 ——なんで。

 

 

 胸の奥で、何かが決壊した。

 

 家を出るとき、誰にも頼るまいと固めた壁が、音を立てて崩れていく。喉がつまって、視界の端が滲みそうになって、景元は慌ててそれを堪えた。泣くものか。なんで。こんなところで。鼻の奥がツンとして、

 

 是印が、頭を上げて、こっちを見て、一瞬、目を丸くして――それから、にっと笑った。

 

 何も言わなかった。

 

 言わずに、ただ笑った。それで全部伝わってしまった気がして、景元はますます顔が熱くなった。だからどうしても、憎まれ口がこぼれてしまう。

 

 

「か、勝手に決めるな。俺は、別に、頼んでなんか」

 

「当たり前だろ。頼まれてねぇよ」

 

「だったら!」

 

「勝手にやってんだよ。文句言われる筋合いはねぇ」

 

 無茶苦茶だった。

 

 応星が、横で何か言いたげに口をとがらせていた。だが今は、それどころではなかった。

 

 

 

 鏡流は、しばらく二人を、黙って見比べていた。

 

 

 

 それから、ふっと息を吐いた。呆れたような、けれど、どこか柔らかい吐息だった。

 

 

「……景元、といったな」

 

「は、はい」

 

「お前の剣は見ていた。以前から時折な」

 

 景元の心臓が、跳ねた。

 

 

「我はごまかすのが嫌いだ。はっきり言う。

 

 お前に生まれ持った剣才は――ない」

 

 

 ない。

 

 

 心の臓に杭を打ち込むがごとく、はっきりと言われた。剣首様の目は、己の非才をとうに見抜いている。

 

 

「だが——たとえ才が(とぼ)しかろうとも、ここまで埋めてきた執念は、買ってやる」

 

 

 なのに。

 

 それを承知の上で、執念は買う、と言ってくれた。

 

 不思議と、悔しくはなかった。

 

 さっき「勘だけはある」と是印を評されたときのほうが、ずっと悔しかった。なぜだろう。才がない、と直接言われたのに、今はただ、胸が熱い。

 

 

 

「二人まとめて、面倒を見てやる。ただし」

 

 

 

 鏡流の目が、すっと細くなった。剣首の目に戻る。

 

 

「我の稽古は、甘くない。泣き言は聞かん。怨みたければ己を怨むがいい」

 

 それだけ言うと、もう用は済んだとばかりに、鏡流は木剣を手放してしまう。

 

 

「おーしじゃ、決まりだな」

 

 

 その隙に、是印がにやりと口の端を上げた。何やら良からぬことを思いついた顔だった。

 

 

「景元。一個だけハッキリさせとくぞ。俺のほうが、先に弟子入りした。つまり俺が兄弟子(あにでし)で、お前が弟弟子(おとうとでし)。これは動かねえから。上下関係覚えとけよ、弟弟子」

 

「な、なんでだよ、ふざけるな!」

 

 景元は思わず食ってかかった。

 

「覚えた型も、理屈も、剣を振ってきた数も、何もかも俺のほうが多いんだぞ!  それを、ちょっと先に弟子入りしたってだけで、兄弟子面するつもりか!」

 

「うるせえなあ。順番は順番だろ。世の中そういうもんなの。年上が偉いの」

 

「そんな横暴な——! し、師匠、こいつが勝手なことを!」

 

 助けを求めて剣首を見上げる。だが鏡流は、もう完全に関心を失った顔で、

 

「くだらん、好きにしろ。兄も弟も、お前らで決めればよい。我の知ったことではない」

 

「そんな!」

 

「ほれ見ろ。先生公認。兄弟子の言うことは聞けよー、弟弟子ー」

 

 是印が、わざとらしく胸を張る。

 

 ……理不尽が過ぎた。

 

 剣の腕は、まだ及ばないかもしれない。才も、ないと言われた。だが、剣にまつわる何もかもを、自分のほうが多く積んできたはずだ。それを、あの馬鹿が兄弟子で、自分が弟弟子だという。

 

 

 ――もっとも。

 

 

 そもそも、剣首に頭を下げてくれたのは、どちらだったか。それを思えば、文句を言えた義理ではないということも、頭の回る景元はしっかりと認めている。

 

 

 理不尽だ。理不尽なのに――。

 

 

 なんでか。

 

 

 悪い気は、しないなんて思っている自分もまた、いた。

 

 

 兄弟子と、弟弟子。……ひとりでいるのが当たり前で、それでいいと思っていた。

 

 仲間なんてものは、自分には縁がないと。そう決めつけていたものが、こんな場末の、木杭が数本立つだけの土の上に転がっていたなんて。

 

 馴れ馴れしく肩を組んできた男の横顔を見上げながら、景元は泣き笑いのような顔になっていることにまだ気づいていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日が傾く頃、稽古はお開きになった。剣首は、来たときと同じように、いつのまにか靄の向こうへ消えていた。

 

 去り際、「明日、いや毎日何か昼餉(ひるげ)を師匠のために持ってこい。あと……今日のは悪くなかった」とだけ、是印に言い残して。

 

 その背を見送ったところで、応星がずいと景元の前に出た。

 

 さっきから何か言いたげに口をとがらせていたのが、とうとう我慢できなくなったらしい。

 

 

「言っておきますけど。兄さんの一番は、私ですからね」

 

「え?」

 

「弟子入りの順がどうとか、関係ありません。私は兄さんと、あなたより前から一緒なんです。兄さんの武器を任されてるのも私。剣の手入れも、握りの癖も、全部わかってます。にわか弟弟子とは、年季が違うんですよ」

 

 胸を張る応星の、どこか勝ち誇った顔。大した差でもないというのに先輩風を吹かせているのが(かん)に障り、

 

「……はっ」

 

 景元は眉を吊り上げた。

 

「剣首様直々の弟弟子だぞ、俺は。武の筋でこの人に連なってるんだ。お前みたいな、木剣のささくれ削ってる雑用係と一緒にするな」

 

「雑用係!? 工造司ですけど!?  だいたい、その木剣を削ってるのは誰のためだと――」

 

「うるさい。とにかく、俺のほうが上だ。兄弟子の不始末を連帯で背負う覚悟まで決めてるんだぞ、こっちは」

 

「重いだけじゃないですか、そんなの! 私は兄さんに迷惑なんてかけません!」

 

「かけてるだろ、今まさに! やかましいって意味で!」

 

 是印が、二人のあいだで盛大にため息をついた。

 

「……あのなあ。お前ら、俺をダシにして喧嘩すんのやめろよ。おねーさんなら大歓迎だけど、オスガキ二人の言い争いの(さかな)にされてる俺の気持ち考えたことあんのか」

 

 

 

「「黙ってて!」」

 

 

 

 見事に声が重なって、応星と景元は、はっと互いを睨んだ。是印はうんざりした顔をしながら「どいつもこいつも勝手ばかりしやがって」と手鏡があれば即刻渡してやった方が良いことをこぼしている。

 

 応星はしばらくぷりぷりしていたが、やがて工具を背負い直した。

 

「……明日は新しい木剣を削ってきます。今日のは、ひびが入っちゃいましたから。兄さんと、それから――景元のぶんも」

 

 言い残して、それから、「次こそは刃引きを打たせてくださいね。木剣なんかより、ずっといいのを」と未練がましく付け足し、最後に少し迷って、「……兄さんのには、僕の自信作を」と、小さく言い添えて。景元のぶん、と言ったときだけ、ほんの少し、不服そうだった。

 

 

 

 応星もまた去り、

 

 広場には、最初と同じく是印と景元が残った。

 

 そしてどういうわけだかちらちらと周囲を警戒している景元に是印は、

 

「最後もう一本、やるか。兄弟子として、胸を貸してやろうか?」

 

 

 誰もいないことを確認して、ようやく景元は口を開く。

 

 

「……ああ、頼むよ。——兄貴

 

 

 語尾は笑えるほど小さかった。

 

 

「あん? なんだそれ? ——きもっ」

 

「ッ! いいだろ別に!! あんたはもう俺の兄弟子なんだから!! 兄貴だろ!」

 

 

 言葉を最後まで言い切るより早く、景元は是印の間合いへと飛び込んでいた。

 

 偽物の風が、頬を撫でていく。それでも、頬を打つ感触だけは、やはり本物くさかった。

 

 木剣がぶつかる音。影は二つ。

 

 明日には、三つになるはずだ。いやひょっとしたらもっと増えるかもしれない。

 

 

 いつもひとりで立っていた土の広場は、もう、ひとりのものではなかった。

 

 

 

 だって、

 

 

 

 

 

 

「……ストーーーップ!!! やっべ晩飯準備しねーと!!!! クビになる!!」

 

 

 

 

 

 

 

 とびきりバカな兄弟子ができたから。

 

 

 

 

 

 




執筆時BGM:「かさなる影」HEARTS GROW











よかったね、また家族が増えて(その目は優しかった)





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