ルキンフォー・エム   作:來馬らんぶ

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#61 "SAKEnoSEKI vol.1"

 

 

 

 

 

 その酒は、思いがけず白珠の手に転がり込んできた。

 

 

 

 

 白珠が曜青の市をひやかして歩いていたときのことだ。

 

 軒を連ねる露店から立ちのぼる香の煙、干した薬草の匂い、呼び込みの声。

 

 生まれ育った仙舟の喧騒は、幼少期より年を重ねても少しも変わらず、白珠の前に広がる。

 

 鼻歌交じりに通りをゆけば、そこかしこから声がかかり、白珠は挨拶と共に笑顔を返していく。すると店主達が自然と売り物を彼女に投げていくのだ。果物に野菜、肉串、歩を進めれば進めるほどに、白珠の両手は埋まっていく。

 

 

 そんな折、

 

 

 想うのはたったひとりの顔だ。

 

 

 ——はぁこんなときに是印さんが隣にいてくれたら、二人で仲良く食べ歩きをし、わざとらしく疲れたフリをかましておぶってもらったりして、そしてそれを皆さんに目撃してもらって、ややっ白珠ちゃんを背に闊歩するあの好漢は何奴かと騒ぎが生まれ、皆さーん、聞いてくださーい、白珠幸せになりまーすと喧伝して回るのに乙女回路をフル稼働させていると、

 

 馴染みの酒商である老爺が「白珠ちゃん、とびきりのが入ったよ」と袖を引いた。

 

 乙女回路を一時停止させ、白珠は両腕に抱えた貢ぎ物の山ごと、ぐるりと老爺へ向き直った。

 

「とびきり? いま、とびきりと言いましたか! 醴泉(れいせん)のお爺ちゃん」

 

「言ったとも。今朝がた届いたばかりの、とっておきさね」

 

 帳場の奥から後生大事に運ばれてきたのは、年季の入った小ぶりの古甕がひとつ。

 

 老爺が封をゆるめた途端、ふくよかな香りがふわりと鼻先まで届いて、白珠の眉尻はだらしなく垂れ下がった。

 

 果実を思わせる甘さの奥に、すっと通る冷たさ。これは、いい。

 

 理屈ではなく、わかる。

 

 

 

 ——美味い、酒だ。

 

 

 

 気づけば、すでに財布の紐をゆるめながら、

「こちら、おいくらですか」

 

 だが、ぴしゃりと、

「ばかをお言い。白珠ちゃんからびた一文、取れるものかね」

 

「そ、そんな。ただでいただくわけには……」

 

 口ではそう言いながら、白珠の腕はすでに、果物と肉串の隙間へ甕を迎え入れる態勢に入っている。

 

「お前さんがちんまかったころ、迷子のたんびにうちの軒先で半べそかいては、甘酒を一杯もらって泣き止んどったろう。あのちんまいのが、こんなに立派になって……今さら銭なんぞ、取れるものかね。それにな」

 

 老爺は目尻の皺を深くさせ、

 

「白珠ちゃんの笑った顔は、どんな上等な酒よりも、この市をうまくしてくれるんだよ」

 

 胸の奥が、ぽっと火を入れたようにあたたかくなる。

 

「醴泉お爺ちゃん、ありがとうございます!!」

 

 白珠は荷物の山の上から器用に首と腰を折って、老爺へ深々と頭を下げた。

 

 

 

 

 さて。満ち足りた気持ちで老爺と別れたら、次に頭をもたげるのは、この一甕を誰と分かちあうか、である。

 

 

 ——是印さんと、差し向かいで。

 

 

 即座にそう思いついて、即座に却下した。だめだめ、それでは芸がない。せっかくのとびきりなのだから、もっと派手に、もっと賑やかでなくては。

 

 

 それに、

 

 

 酒の力を借りて、仮に万一もしもそういうことになったとしても、それは何か違う、それで得られた幸せはたしかに幸せかもしれないが、きっと長続きしない類いの幸せだと白珠は思う。

 

 

 ゆえに、

 

 

 頭のなかで、面々の顔が次々とめくられていく。

 

 縁がつながったばかりで、まだ氷を張ったようによそよそしい丹楓。

 

 遠慮ばかりが先に立って、いつも輪のいちばん端にいたがる応星。

 

 剣首として険しい顔が常、本当は笑うとかわいいのだからたまには肩の力を抜いてもいいはずの鏡流。

 

 口を閉じ、素直になりさえすれば存外に可愛げのある景元。

 

 そうして指折り数えていって――やっぱり最後は、是印の顔でにへへ~と止まってしまうのだから、白珠の乙女回路も大概である。

 

 せっかく同じ釜の飯を食ったことのある仲になったというのに、こうして膝を突き合わせて酒を酌み交わしたことは、まだ一度もない。

 

 

 ——なら、今夜こそ。大好きな六人みんなで。

 

 

 今宵は天気が良ければ月もさぞかし綺麗だろう。羅浮の水辺の、あの楼閣を会場の候補に思い浮かべながら、白珠は両腕いっぱいの荷物を抱え直し、足取りも軽く、皆のもとへ駆けていった。

 

 

 

 

 ところがである。

 

 

 

 

 いそいそと羅浮へ渡った白珠を待っていたのは、思いがけない留守だった。

 

 鏡流と景元は、騰驍将軍じきじきの言いつけで、遠方から招いたという客人の出迎えに発ったきり、まだ戻らないという。

 

 誰を迎えに行ったのかと尋ねても、機密に値するのか要領を得る答えは返ってこない。

 

 

 ——あの二人は、戻ってきてからとして。

 

 

 まずは、四人でも楽しむとしましょう。

 

 

 少しばかり目算は狂ったけれど、白珠の足取りはちっとも重くならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空の月と、水の月。羅浮の夜は、その狭間に楼閣をひとつ、そっと浮かべている。

 

 欄干の下を黒い水がゆるりと巡り、めぐるたびに水面の月を砕いては、また寄せ集める。昼のうち甲板を埋めていた喧騒もこの刻限には遠くへ退いて、あとに残るのは水の音と、炉で脂のはぜる音ばかり。

 

 

 その合間を縫って、(あぶ)られた(さかな)の匂いが夜気(やき)にたゆたっていた。

 

 

「さあ、今宵は無礼講ですよ! 丹楓様の歓迎と――それから、みんなの親睦のために乾杯!」

「乾杯!」「乾杯」「乾杯」

 

 

 白珠が酒杯を高く掲げると、炉端の是印が、串を返す手は止めぬまま、同じようにかたわらの杯を手に取り掲げる。

 

 

 

「おっしゃー、タダ酒だァ! 酒が飲める、酒が飲める、酒が飲めるぞ~♪」

 

 

 

 是印は掲げた杯をくいっと干すと、空になったそれを応星のほうへ差し出した。

 

 応星がすかさず酌をすれば、注がれたそばから、また一息。「応星、次」「はい、兄さん」――わんこそばみたいなそのやりとりが二度、三度、四度と重なるころには、是印の膝のまわりに、空の酒壺がころころ転がりはじめていた。

 

 

 なのに、頬のひとつ赤らまない。呂律(ろれつ)のひとつ乱れない。

 

 

「是印さん、お強いんですね。いったい何杯目ですか? 白珠、もう数えるのは諦めましたっ」

 

 とんだうわばみだったことに驚く白珠に、是印は空の酒壺を一本つまみ上げ、灯りに透かしてうへへと笑ってみせる。

 

 

 

「いい酒は水のごとしって言うだろ? 白珠様々だわ」

 

 

 

 その横顔は、いっそ涼しすぎた。

 

 運命的に出会い、徐々に日を重ねてきているが、白珠は是印の昔を、何ひとつ知らない。

 

 注がれた酒みたいに、するすると喉を通っていくくせに、あとには何も残らない――そんなもどかしさが、胸の隅をちりと掠めた。

 

 

 けれど、宴のぬくもりが、それをまたやわらかく押し流してしまう。

 

 

 と、是印はふいに焼き立ての串を三本ほどつまむと、欄干際でひとり杯を傾けていた丹楓のほうへ、ひょいと突き出した。

 

「ほい、ふーたん」

 

「…………」

 

「おい、シカトすんなよ、ふーたん」

 

「……その面妖(めんよう)な名は……まさかとは思うが、余のことを指しているのか」

 

「そうだよ? クールキャラ気取りだから名前だけでもぷりちーにしてバランスとってやろうかなって俺なりの配慮」

 

 是印の背後で笑っちゃ駄目だと白珠が口元を押さえていた。

 

「つかよ、お前さっきから飲んでばっかじゃん。ほら、これ食えって。脂が乗っててうまいぞ」

 

「……結構だ。余は」

 

「まあまあ、そう言うなって。一応、お前主賓(しゅひん)だし、せっかくの歓迎会なんだしさ。俺がわざわざ焼いてやってんだぞ、マスト10本な10本」

 

 丹楓は串と是印の顔をしばし見比べたのち、ふっと息を抜くようにして、それを受け取った。

 

「……そなたは、相も変わらず(せわ)しないな」

 

「あん? たしかに、ある意味セワシくんだけどな」

 

「……?」

 

「あ、や、こっちの話」

 

 その不器用なやりとりを、白珠はそっと目を細めて見守った。氷を張ったようだったあの横顔が、ほんのわずか、ゆるんだように見えたから。

 

 空杯となったのを見かねて、再び近寄ってきた応星に対し、是印は、

 

「まだ無理かもしんねーけど、いつか……お前ともこうして一杯やりてぇな。なあ、応星」

 

 是印が杯を軽く振ると、応星の足が、ふと止まった。

 

 そういえば、と白珠は気づく。

 

 先ほどから応星は、皿を並べる手をたびたび休めては、この酒席のひとりひとりを、まるで目に焼きつけるように見渡していた。

 

 是印を、丹楓を、白珠を――ひとりずつ、ゆっくりと。

 

「どした応星、腹でも痛ぇのか?」

 

「いいえ……あの……」

 

 口ごもっていた応星は、

 

 

 

「こんなに楽しいの、初めてで……」

 

 

 

 全員が言葉を一瞬失い、

 

 じゃあなぜ、とでも言いたげに眉を寄せた是印を、応星はまっすぐ見上げた。

 

「……兄さんが来てくれたからだと思います。……ありがとう、ございます」

「——なんだよ、応星キュンてば、俺を口説いてんのか? まだはえーよ」

 

 是印が照れ隠しのように応星の頭へ手を伸ばしかけて――その手が、止まった。

 

 応星が、かたわらの酒壺を両手で持っていたからだ。

 

「は、応星? おま、ちょ、その量は――」

 

「いつか、なんて」

 

 応星は、是印の言葉を待たずに壺へ口をつけた。

 

「待っていたら……僕には、間に合わないかもしれませんから」

 

 こくり、と喉が鳴る。一息、二息。慣れない酒が喉を灼いて、応星は激しくむせた。それでも、壺だけは離さなかった。

 

 白珠は、とっさに言葉が出てこなかった。

 

 仙舟という社会の中で、周りの長命種が軽々と口にする「いつか」という途方もない言葉が、短命種のこの子にとっては、どれほど遠く、あてにならないものなのか、いかに是印の発言だったといえど、決して確約されたものではないということが、どんなに——心細いことなのかを。

 

 むせてなお酒を口に運ぼうとする応星を、丹楓が、まぶしいものでも見るように眺めていた。

 

 

「……『いつか』、か」

 

 

 ぽつりと、その口元から言葉がこぼれる。

 

「小僧——応星の言う通りやもしれぬ。『いつか』を、悠長に待っていられる者ばかりでは、ないのだろうな」

 

 杯を置き、丹楓は欄干の向こうの夜へ目を投げた。その横顔に、また例の遠い色が差す。

 

 

「余がこの地へ招かれたのも、悠長を許さぬ何かが、近く動くということなのだろう。――近く、()物共(ものども)に対してこちらから打って出るのやもしれぬ」

 

 

 打って出る。

 

 それはすなわち——

 

 

 

 戦。

 

 

 

 場にいた全員の頭に浮かぶ言葉が、月見の席にすっと影を落とした。

 

 けれど、ほろりと(たが)のゆるんだ応星の中へ、その影がどんなふうに沈んでいったのか――このときの白珠は、まだ知らずにいた。

 

 

 異変は、ふいに兆した。

 

 

 応星の手のなかで、酒壺がぐらりと傾ぐ。こぼれる、と白珠が腰を浮かせるより早く、その口から、聞いたこともないほど低い声がこぼれ落ちた。

 

「……忌み物、共」

 

 月明かりの下、さっきまで幸福に上気していたはずの幼い頬から、すうっと血の気が引いていく。とろりと潤んでいた瞳は、今や底の見えない井戸のように(くら)い。

 

「丹楓さま。それは……歩離人(ほりじん)の、ことですか」

 

「……応星?」

 

 是印の呼びかけも、もう届いていないようだった。据わった双眸は、この席の誰のことも映していない。ここではないどこか――遠く焼け焦げた、記憶の底だけを見据えている。

 

「あいつらが」

 

 ひとつ、しゃくり上げるように喉が鳴った。

 

「あいつらが、僕の故郷を……ぜんぶ、奪っていったんです」

 

 ことり、と誰かの杯が置かれる音。それきり、宴のざわめきは凪いだ。

 

「人も、土地も、空気も……何もかも。兵器を(こしら)えるためだけの、牧場に変えて。父さんも、母さんも、隣のおばさんも……みんな、僕の見ている前で」

 

 その声に、涙はない。涙が涸れ果てた、ずっとあとの場所から響いてくる声だった。

 

「僕だけ、逃げたんです。手を引かれて、逃げろって突き飛ばされて。だから僕だけ、こうして……まだ、生きてる」

 

 白珠は、声をかけることも、手を伸ばすこともできなかった。

 

 つい今しがた「こんなに楽しいのは初めてだ」と笑ったのと同じ口が、同じ「僕」という声で、これを語っている。

 

 その落差が、白珠の喉を内側から塞いでいた。

 

「短命種だって、化外民だって、好きでなったんじゃない。なめられて、見下されて、それでも背筋を伸ばして……でも、いいんです。そんなのは、いい。ただ」

 

 据わっていた瞳に、ほのかな(ほむら)がともる。

 

「許せない。あいつらだけは。僕から何もかも奪って、のうのうと生きている、あの忌み物共だけは……僕は、ぜったいに――」

 

 言葉の続きは、酒に灼かれた喉の奥で、低く、けものじみた響きになって溶けた。

 

 

 やがて応星の表情が崩れ、自らの腕で顔を覆い、すすり泣く声が空間を埋めていく。

 

 

 

 目の置き場がわからず、白珠はすがるように是印を見ると、

 

 

 思わず息を呑んでしまう。

 

 

 茶化しもせず、慰めもせず、ただ静かに応星を見つめている。いつもへらへらと笑っているその横顔から、笑みだけがすっぽりと抜け落ちて――白珠は、是印のこんな顔を、初めて見た。

 

 

 是印は、ゆっくりと手を伸ばした。

 

 

 いつものように頭をくしゃりとやるのではなく、ただ、小刻みに震える小さな背へ、そっと掌を添える。かける言葉を、見つけあぐねているようだった。

 

 その沈黙を、思いがけぬ声が破った。

 

 

「……応星」

 

 

 それまで欄干にもたれて成り行きを眺めていた丹楓が、いつのまにか杯を置いている。

 

「憎むがいい。存分に、な」

 

 応星が、濡れた目をのろのろと上げる。

 

「憎しみの向かう先があるということを……余はいっそ、羨ましく思うぞ」

 

 月光の差すその横顔は、いつもの氷の冷たさのまま、けれど声音にだけ、ふと熱が滲んでいた。

 

「余の種族は、滅びゆく定めにある。子をなす術を持たぬゆえ、ただ緩やかに数を減らし、いずれは一人とて残ることなく、この世から消える。そして余も、寿命が尽きれば卵へ還り、別の赤子として生まれ変わる――が、前世の記憶は、何ひとつ残らぬ。今ここで杯を干しておるこの『余』は、そのとき、確かに死ぬ。記憶もろともに、な」

 

 

 誰ひとり、口を挟めなかった。

 

 

「そなたは、過去を奪われた。だが余もまた、本来種族として血を繋ぐという責務――与えるはずの未来すら、はじめから無い。憎む相手もまた、おらぬ。これは誰に奪われたのでもなく、ただ、そういう運命(さだめ)だというだけのことだ」

 

 杯の底に残った酒を、丹楓はゆるりと揺らす。映り込んだ月が、ひとつ、崩れた。

 

「だからこそ、余は海の底を出た。何も残せぬまま消えゆくくらいなら、せめて一度、この手の力で、誰かの明日を繋いでみたいと思った。……応星。そなたの(うち)で燃えるその焔は――憎しみも、無念も、生きる者にしか抱けぬものだ。消えゆくと定められし余には、ついぞ持てぬ」

 

 白珠は、ただ立ち尽くしていた。

 

 奪われた過去に灼かれて泣く子と、与える未来すら持たぬと静かに語る男。ふたりのあいだに横たわる隔たりは、あまりに深く、あまりに遠い。みんなで楽しく過ごそうと、この席を整えたはずの白珠に――かけてやれる言葉は、もう、何ひとつ残っていなかった。

 

 だけど、

 

 

「お前らさ――運命って憎むか?」

 

 

 また炉端に向かっていこうとする是印から声だけが届く。

 

 

「当たり前です! 僕は……こんな運命を憎みます……っ!」

 

 

 声高に即答する応星に対し、丹楓は、

 

 

「どうであろうな。余は……受け入れてしまったというのが正しい。ただし……受け入れる前であれば、到底、黙して受け入れるものでもなかったかもしれぬ。そしてそれは憎むと同義だ」

 

 

 今度は応星から、

 

「そういう兄さんは……どうなんですか」

 

 新たに串を並べ始めた背中は、だよなぁ、と笑ってから、

 

 

「——腹パン五発くらいかましてぇときもあるし、反対に抱きしめてやりてぇときもある。なんなんだろうな、運命って」

 

 

 その言葉はどこから来るのか知りたくて、

 

 

「——白珠は……」

 

 

 ようやく背中がこちらを向いてくれる。

 

「みんなのように確固たる言葉を持ち合わせてはいません。ですが、……そのどれもが正しいのではないでしょうか。誰かが間違っている答えを持っているとは到底……思えません」

 

 

 全員の視線が一身に集まるのを白珠は感じる。

 

 

「——おーおー、それが正解なんじゃねーの?」

 

 

 肩をすくめて、是印は、

 

 

「お前って、ほんっと、優しいっつーか、懐ふけーよな」

 

 

 瞬間、白珠の乙女回路は火花をあげて吹っ飛んだ。

 

 

「ぜ、是印さーんっ! はいっ、白珠の答えはもちろんはいですっー!」

 

「え、こわ……なに、こいつの脳内で俺は何を言ったことになってんの? 人生の墓場入り宣言でもかましたの?」

 

 腕を伸ばし抱きつこうとする白珠の頭を押さえ、是印はぎりぎり射程圏内から逃れる。お陰で抱きつけない白珠は目を><←こんな形にして、「わーん、遠いですーっ!」とか叫んでいた。

 

 そんな二人を見て、

 

「応星」

 

「はい……丹楓さま」

 

「丹楓でよい。まかり間違ってもふーたんなどと呼んでくれるな。——1本いるか? 存外イケるぞ」

 

「——いただきます」

 

 湿っぽい空気にしてしまったことを恥じつつ、応星は丹楓から串を受け取る。手の空いた丹楓は、

 

 

 

「――さて。もう、よかろう」

 

 

 楼閣の外の闇へ、すいと目をやった。

 

「いつまで、そこで夜風に吹かれているつもりだ。聞き耳とは、無粋な真似とは思わぬか」

 

 しばしの沈黙ののち、闇の濃いところから、苦笑まじりの声がにじみ出てきた。

 

 

「——すまぬ。無粋は承知の上だ」

 

 

 月明かりへ歩み出てきたのは、鏡流だった。その斜め後ろには、ばつの悪そうな景元も続いてくる。

 

 

「鏡流! それに景元! 戻ってきていたんですね……!」

 

 

 白珠が思わず腰を浮かせる。客人の出迎えに発ったきりだったはずの二人が、こんな刻限に揃って現れたものだから、驚くほかない。もっとも、嬉しい驚きだが。

 

「すまぬ、白珠。立ち戻ったはいいが、ちょうど――込み入った話の最中だったからな。出るに出られず、軒を借りておった」

 

 客人は無事に連れ帰った、と鏡流が短く言い添える。

 

「せんせーい! お帰りなさいっすー。わざわざのお迎え、お疲れさまでしたー」

 

 是印が、すっかり弟子の顔で、空の杯を掲げてみせる。

 

「たわけが。誰が酌を所望した。……まったく、少し目を離せば、このざまか」

 

 

 鏡流が宴の散らかりように眉をひそめ、是印を一蹴したところで――ふと、

 

 

「……あれ。肝心のお客人は、どこかにお通ししたんですか?」

 

 白珠が問うた瞬間、

 

 

 答えは、思わぬところから返ってきた。

 

 

 

 

「いやー、美味(うま)いじゃないかコレ」

 

 

 

 

 炉端からだった。

 

 見知らぬ長身の男が、いつの間にやらしゃがみこみ、焼き立ての串をハフハフ言いながら遠慮なく口へ運んでいる。一部黒もあるものの、ほとんど全身白づくめの服の埃も払わず、帽子も取らぬまま、まるで何年も通った馴染みの店のような(くつろ)ぎようで。

 

「ねえ、これ誰が焼いたの誰だい? 僕、こういう飾り気のないやつに目がなくてさ」

 

 その顔を見て、あっと声をあげたのは、応星だった。

 

「――ラマンチャ、さん……? いつぞや、朱明に立ち寄られた……」

 

「ん? ――ああ、思い出した。工造司の坊やじゃないか。あのときは世話になったねえ」

 

 ふむ、と男は空いている方の手であごに手を当てて、マジマジと応星を見つめる。

 

 

「少しはマシな顔になったじゃないか。こないだは今にも死にそうな顔をしてたから心配してたんだ。どうやら――仲間ができたかい?」

 

 

 あ……、という顔をして応星は、

 

 

「――はい」

 

「そうか。それなら重畳(ちょうじょう)だ。フラれた側も成仏できるってもんだ」

 

 ちょうどそのタイミングであのーと挙手している白珠に気づくと、ラマンチャはひょいと腰を上げ、気さくに片手を挙げてみせる。

 

 

「ああ、お嬢さんとは初めましてだね。僕はラマンチャ。星海をふらふら渡り歩く、巡海レンジャーってやつの、まとめ役みたいなことをしててさ」

 

 

 巡海レンジャー、と聞いて、白珠は思わず背筋を伸ばした。ナナシビトはまた別の、星々を巡っては、土地の人々のために義の剣を振るうという、あの名高い流れ者たち――その頭目が、こんな気の抜けた顔で串を頬張っているなんて。

 

 

 ふと見れば、その傍らで、景元が妙に大人しい。いつもの小生意気はどこへやら、そわそわと落ち着かなげに、ラマンチャの手元から目を離せずにいる。

 

 

「ラマンチャ殿は……道中、この景元に、それはもう質問攻めにされてな」

 

 鏡流が、こめかみを押さえて溜息をついた。

 

「巡海レンジャーの武勇伝はどうの、仲間たちはどうのと。師匠たる我を差し置いて、よくも飽きずに喋り続けたものよ」

 

「も、申し訳ありません……」

 

 あの景元が、と白珠は目を丸くする。大人顔負けの頭の回転の速さと常に背伸びし続けているあの少年が、こうも本来の年齢らしく目を輝かせて質問を浴びせる相手がいようとは。

 

 

 急に——そこへ割って入ったのはやはりコイツだった。

 

 

「ラマンチャだか、ナランチャだか知らねーけどよ、巡海レンジャーの頭だぁ!? つか、おい、てめロン毛、なに断りもなく勝手に人の串食ってんだよ!」

 

「おいおい、そんなに怒らないでくれよー。腹は空いてるけど、これでも客人なんだ。それに金がなくてね」

 

 詰め寄る是印に苦笑しつつ、それでも串をかじることはやめない。

 

「おめーの腹と懐事情なんて知らねーっつの」

「世知辛いなぁ。行き倒れたら責任取れるのかい?」

「んなん、行き倒れる方が悪ぃんだよ!!」

 

 完全に初対面時のことを棚にあげまくっているのを見た応星は小さく「兄さんそれは……」とツッコんでいる。

 

「つかな、おめーんとこの仲間にカウボーイいるか? いたら言っとけ、いつか指名手配犯見つけても、色んな事情があんだから、たまには空気読んでスルーしてやることも覚えろってな」

 

「んー? 悪いけど、おたくが何を言っているか僕にはわからないよ」

 

 けっ、と唇を突き出して威嚇(いかく)している是印に対して、そっとその背に忍び寄る影があり、

 

「――おい馬鹿弟子、我の分はどこだ」

 

「はいっ、もちろんそちら――あれれーない」

 

「ほんとにどれも美味いじゃないか、ハハッ、これだけでわざわざやってきた甲斐があるってもんだ」

 

 いつの間にかラマンチャの手にある空串の数が増えている。そして、鏡流が現れた瞬間に是印が皿に取り分けておいた串はなくなっていた。

 

 名探偵が導き出した答えは――、

 

「殺す。あ、でもその前に俺の方が先に死んじゃいそう」

 

「早く、焼け」

 

「すいません、ただいまァ!!」

 

 

 

 

 

 是印が泡を食って炉へ取って返し、新しい串が脂を滴らせるころには、宴は、ようやく本当の意味で温まり直していた。

 

 鏡流がようやくありついた串に目を細め、景元がラマンチャに武勇伝の続きをねだり、丹楓までもが、いつのまにか六本目になろうかという串に手を伸ばしている。

 

 重く沈んだはずの夜気は、もうどこにも残っていない。

 

 その光景を、白珠は酒杯を抱えてぼんやり眺めていた。なんて、いい夜だろう。みんなの過去も、運命も、痛みも、こうしてひとつの炉を囲めば、少しは軽くなる気がする。

 

 

 ――そこまで思って、ふと、引っかかった。

 

 みんなの。

 

 丹楓の運命。応星の故郷。景元の憧れ。ラマンチャの渡り歩いてきた星の数々。今夜、誰もが、自分のかけらをひとつずつ卓に置いていった。なのに。

 

 

「……是印さんっ、是印さんっ」

 

 白珠は、ぱっと顔を上げた。

 

「白珠、たった今、とんでもないことに気づいてしまいました」

 

「あん? なんだよ、改まって」

 

「白珠、是印さんのこと――ほとんど、何ひとつ知らないんです……!」

 

 炉端の赤い光に染まった手が、ぴたりと止まる。

 

「ねえ、みんなもそう思いませんか? 是印さん、人のことはあれこれ詮索するくせに、ご自分のことは、ちっとも話してくださらないんですよ! 故郷は? 生まれは? ご家族は? 好きな食べ物は!? 白珠、是印さんの過去が、知りたいですっ!」

 

 

 しん、と。それから、

 

 

「……たしかに」と、まず応星が乗った。「僕も、兄さんのこと、もっと知りたいです」

 

「ふむ」丹楓が顎を撫でる。「言われてみれば、そなたの素性、余も知らぬな」

 

「我もだ」鏡流が腕を組み、「——別に気になどしておらんがな」

 

「兄貴、ほんっと自分のことなんも言わないもんな」と景元。

 

「いいねえ、僕もぜひ聞きたい」と飛び入りゲストのラマンチャまで、面白がって身を乗り出す。

 

 

 六人ぶんの視線が、ぐるりと是印ひとりに注がれた。

 

 

「えー……いやいや、待てって。俺の昔話なんざ、聞いてもつまんねーから。ナナシビトだぜ? それでいいじゃんか」

 

 いつもの調子。けれど白珠は、今日ばかりは引き下がらなかった。

 

「じゃあ……じゃあ、ひとつだけ! ひとつだけで、いいですから!」

 

 膝でにじり寄り、胸の前で両手を合わせる。

 

「ね、是印さん。ひとつだけ、質問させてください」

 

 

 他の面々も逃げるなよと目で訴えてきている。どうにか無視しようとあがくものの、結局、

 

 

「か~~~……、ひとつだけな」

 

 観念したように、是印が串を返す手は止めぬまま頷く。

 

 白珠は、こくりと唾を呑んで――いちばん知りたかったことを、口にした。

 

「是印さんは……ご家族は、いらっしゃるんですか?」

 

 火の粉が、ぱちりと爆ぜた。

 

 

 

 

「――おー、いる」

 

 

 

 

 是印の声から、いつもの軽さが、ひとさじだけこぼれ落ちる。

 

 

「正確には、本当の家族じゃねーけどな。でも、家族みたいに、すっげー……大事な存在のヤツらがいるんだ」

 

 いったんそこで言葉を止めて、

 

 

 

 

「そいつらの為なら、――なんでもできるぜ」

 

 

 

 

 串を見つめるその目が、炉の火を映しながら、どこかずっと遠くを――この水辺にも、この羅浮にもない、もっと遠い場所を、見ていた。

 

 

「……その方たちは」

 

 

 白珠は、おそるおそる続ける。

 

 

「――今は、どちらに?」

 

 

「さぁなぁ」

 

 

 是印は、ふっと笑った。

 

 

「すっげー……会いたくても会えねぇような、遠いとこにいるよ」

 

 

 その寂しげな声、その横顔、あくまで具体を語らない、いや語りたくなさそうな姿勢に――白珠は、全てを理解してしまう。

 

 

 きっと。

 

 ああ、この人は。家族みたいに大切なひとたちを、もう、(うしな)ってしまっているのだ。どんなに会いたくても、二度と会えないところへその人達は旅立ってしまった。

 

 だから、過去を語らない。応星と同じく、語れば、その痛みに触れてしまうから。

 

 

 胸が、きゅう、と締めつけられる。気づけば白珠は、是印の袖を、そっとつまんでいた。

 

 

「是印さん……ごめんなさい。白珠、なんにも知らないで、あんなにしつこく……」

 

「あー? いや、別にお前が謝るようなことじゃ――」

 

「でも!」

 

 白珠は、(うる)んだ目で、まっすぐに是印を見上げた。

 

 

 

 

「でも、いつか。いつか白珠が、いえ、白珠だけではありません、ここにいるみんなが、是印さんにとって、その人たちみたいな存在に、なってみせますから。もう二度と――寂しい思いなんて、させませんからっ……!」

 

 

 

 

 しん、と、場が静まる。

 

 言ってしまってから、白珠は自分の口にした言葉の威力に、かあっと耳まで赤くなった。気づけば、白珠とて空けた酒壺の数はかぞえていない。が、この熱は酒のせいではきっとない。

 

 

「お――お?」

 

 

 最初に食いついたのは、ラマンチャだった。串だけに飽き足らず酒にもとっくのとうに口をつけており、場の機微になど頓着せず、にやにやと身を乗り出す。

 

「なんだなんだ、急に甘ったるい風が吹いてきたねえ。いいぞお嬢さん、その意気だ! ほれ、そこの朴念仁、なんとか言ってやりなって!」

 

「あ……っ、そ、そ、そうだ! 朴念仁兄貴、観念しろ!」

 

 無理やり空気を読んだらしい景元まで、ぎこちなく囃し立てる。

 

「……に、兄さん。これはもう、観念したほうが……」と、一瞬だけ暗い顔を見せた応星まですぐに加勢し、丹楓に至っては、何も言わずに串で是印をびしりと指した。

 

 そして、赤ら顔で目を据わらせたこのお方もいた。

 

「——白珠をォ幸せにしらかったら。わらしがお前をコろす……幸せにしてもやっぱりコろす……うう、やだぁ、白珠はわらしが幸せにするー!!」

 

「何これ。先生ってば一人称が変わるくらい酒回ってんじゃん! じゃねーわ、待て待てどいつもこいつも勝手に話を進めんな! おいラマンチャ、てめーマジで焚きつけてんじゃねぇッ!」

 

「いやー酒のアテが多いに越したことはないね。だけど、そろそろ新しい串が欲しいなぁ」

 

 わいのわいのと、わざとらしいほどの賑わいが、月見の席を包んでいく。

 

 

 

 

 その輪の真ん中で、是印は、やれやれと肩をすくめて串をひっくり返した。

 

 

 そうして、炉の火に向かって――誰にも聞こえないくらいの声で、ほんの少しだけ、苦笑して、

 

 

 

 

「みんな、ね……そうなっちまいそうだな。ほんと」

 

 

 

 

 水面の月が、また、ひとつ揺れる。

 

 

 今度のは、さっきよりずっと、明るい揺れ方だった。

 

 

 

 

 

 

 

 




執筆時BGM:「語り継ぐこと」元ちとせ

こちらはこの章のテーマソングその1みたいなもんでして、ハイ




最新のネタもタイミング合えば拾っていくスタイル。

そしてルキンフォー・エムはしっとり勘違いコメディです。
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