ルキンフォー・エム   作:來馬らんぶ

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#62 "軍議は踊る"

 

 

 

 

 

 乾物庫の空気は、いつも乾いている。

 

 なんてったって湿気は乾物の敵だ。棚に積まれた干し椎茸も、束ねた湯葉も、(かめ)に詰めた干し貝柱も、みんなカラカラに水気を抜かれて、薄暗がりでじっと縮こまっている。

 

 俺は木箱の前にしゃがんで、椎茸を選り分けていた。

 

 傘のでかいのと小ぶりなのを分けて、虫の食ったやつは脇へ。乾いた傘は、指で弾くとかさかさと軽い音を返す。傘だけにね。

 

 こんなミイラたちも、水にでも戻してやれば元のかたちに戻るんだから、不思議なもんだよな。ぷっくり開いて、息を吹き返して。——なんて柄でもねーわ。ただの仕分けだってのに。

 

「貝柱は奥の(かめ)、湯葉はこっち……へぇへぇ、丁寧に扱えって言うんだろ、おばちゃん」

 

 もちろん返事はない。ただの独り言だ。

 

 ここにいるのは俺ひとりで、おばちゃんっつーのは、面倒見はいいがすぐ説教垂れてくる同じ飯係のおばちゃんのことで、今ごろは調理場の方で大鍋でもかき回してんだろう。腰痛持ちらしいから、腰を大事にしてほしい。

 

 

 

 誰もいないのを好都合とばかりに、懐のそいつが、声を発した。

 

 

 

『被験者ゼイン、イマジナリーおばちゃんとの会話はいよいよ末期です。驚愕:年上趣味もそこまで来たのですね』

「やめーや。ひとりごとに勝手に反応して、本気で心配すんな」

 

 ほんとにこのグノモン選手はよぉ……どんどん口が達者になってねーか? いったい誰に似たんだか。ヘルタ様かなぁ?

 

『本題:——観測進捗、報告します』

 

 

 俺は椎茸から手を離さず、首だけ傾けた。

 

 

「あー、それな。どんくらいなんだよ今」

『現在、29パーセント』

 

 思わず手が止まる。

 

「……にじうきう?」

『はい』

「マジかよ……思ったより、進んでねえな」

 

 こっちの時代へ来て、もうどんくらい経ったよ? 早速野垂れ死にかけて、白珠と応星に会いーの、ヒモになりけりー、将軍とこに仕事求めにきて、生意気な景元と一緒に、ふーたんとやり合って、鏡流先生の弟子になりー、飯係もこなし——こんだけ濃いめに過ごして、まだ三割かよ。結構先なげーぞ。はぁ、見てるだけで幸せホルモンがドバドバ出てくる、カフカさんのボンッキュッボンが恋しいわ……。

 

 

 うなだれるしかなかった。

 

 

『進捗の話は、以上です。——警告:』

 

 剣呑なワードに俺は顔を上げ、

 

「……んだよ、いきなり」

 

『本機が声をかけた主目的はこのためです。被験者ゼイン——収束圧が、基準値を上回りました』

 

 

 てん・てん・てん。

 

 と言われてもだ、前から言ってたけどそれって結局どういうことよ? って問い返すほかない。

 

 

『被験者ゼインにも理解出来るよう改めて、かみ砕きます。解説:過去に干渉するたび、本来あるべき流れからズレが生まれます。収束圧とは、世界がそのズレを嫌い、元の形へ戻ろうとする。その、戻ろうとする力——ゴムやバネで言う弾性です』

 

 干渉ね……まぁ自覚がないわけじゃない。手にしてた椎茸を箱へ落として、俺は腕を組むと、

 

「んで。そいつが上がると、どうなる」

 

『小さなズレであれば、世界が勝手にズレを修正します。ですが、その修正できるレベルにも限界があります』

 

「……それで?」

 

『幸いにも、まだ致命的なレベルには至っていないようです。ですが、戻りきらないズレは、いずれ、あなたと未来を繋ぐ糸をも断ち切ることになります』

 

 

 それはつまり、

 

 

 

 ——帰れなくなる。

 

 

 

 要するに、そういうことだ。

 

 目だけが、手元の箱に落ちる。選り分けそこねた椎茸が一つ、薄暗がりで縮こまっていた。

 

 俺は声だけは、いつもの調子を崩さないように。

 

「——じゃあ、収束圧がいくとこまで行っちまったら、終わりって……コトか?」

 

 

 YES。

 

 返答はそうだと思った。が、しかし、

 

 

『——いいえ。被験者ゼイン。手立てがないわけではありません』

 

 

 予想を裏切られ、即座に問い返す。

 

 

「——え、マジ? それは?」

『本機、眠くなってきました』

「お前、ヘタすぎるよ。ごまかすの。肝心すぎるんだけどそこが」

 

 返事の代わりに、グノモン選手は黙り込んじまった。ふざけんなマジで。壁に叩きつけて、強制起動かけたろか。

 

『本機が壊れた場合、被験者ゼインはこちらの時代に——』

「わーってるよ。全部言わんでいいっつの!」

 

 さすがの俺でも本気でやらねーって。

 

 つーか、思うけど、収束圧つったって、何もしねーわけにもいかねーし、無理ゲーだろ。被験者是印は石ころでも貝でもねーんだぞ。知ってる? 立派に生きてるんだぞ? ちゃんと毎日働くようになったし。

 

 

 

 ——しかし、

 

 

 

 手立てがある、か。なくはないってだけで、だいぶデカいぞこれ。

 

 それだけ分かってれば、まあ、いいか。詳しいことは必要になったとき、グノモン選手に土下座すりゃいい。

 

 そうして仕分けに戻ろうとした矢先——

 

 

 不意に、倉庫の戸が、外から軋んだ。

 

 

 軋んだ戸の隙間から、ひょいと顔を出したのは景元だった。

 

「こんなとこにいた。探したよ、兄貴」

 

 見てこれ。すっかり兄貴呼びなんだけど。景元キュンてばなんかのスイッチが入ったのか、最近はわりと素直になってきつつある。

 

「あん? 腹でも減って、なんかつまみ食いしに来たのか。しゃーねーなー、これやるよ」

 

 俺は褒美とばかりに、形の悪い椎茸を選んでかさを手裏剣のようにして景元に投げる。

 

 いとも容易くそれを避けると、

 

「うわっ、何すんだよ!」

「好き嫌いしてると大きくなれないぞハハハ」

 

 露骨にため息をついて、

 

「ほんといつもその調子だよな……いいから、騰驍将軍がお呼びなんだ。駄弁ってないで軍議の間まで来てよ」

「——は?」

 

 なんか、選ばれた連中と将軍様方が、なにやら物々しい話をやってるってのは、噂好きの例のおばちゃんが言ってたから知ってはいる。

 

 だが、知ってはいるだけだ。

 

 立場でいやあ、それこそ騰驍将軍や剣首である鏡流先生とか、雲の上のずっと上の人たちの話で、みんなのご飯係の俺なんぞには縁のない話のハズだと思ってたんだが、

 

「……俺を? なんで? つかお前も参加してたのか?」

 

「うん。こっちに言われても困るよ。名指しだったんだ、"是印ちゃんを呼んできてくれるかい"って」

 

 怪訝なツラを隠しもしない俺に、景元は肩をすくめた。

 

「んだよ、茶でも淹れろってか? はぁ人使い荒ぇな、今度はお茶汲みかよ……」

 

 嘆息して、俺は整理した乾物をまとめ、急いでと俺をせかす景元の後ろに続いて倉庫を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 軍議の間は、乾いた倉庫とは別世界だった。

 

 磨き上げられた広間の中央に、ぼうっと浮かんでいるのは——星の海を映した、淡く光るホログラム。点々と散る光のひとつひとつが、船やら星やらなんだろう。

 

 その星図を囲んで、ずらりと並ぶ、見知ったのもいるが……半数は見慣れない顔ぶれ。

 

 長命種を主とする仙舟の連中だ。見た目で歳なんざ分かりゃしない。

 

 この場でちゃんと老けてるのは、ただひとり——岩山みたいな白ヒゲの爺さん、応星の師匠であり『朱明』の燭淵(しょくえん)将軍・懐炎(かいえん)。その一歩下がった位置に、応星がきちんと膝をそろえて、しかし居心地悪そうに控えている。

 

 卓の主は、相変わらずくたびれた羽織で頬杖をついた羅浮の泰山(たいざん)将軍・騰驍(とうぎょう)将軍だ。背後では鏡流先生が眉間にシワを寄せている。

 

 それから、ふーたん——丹楓も、龍尊としてか、少し離れた上座に座っている。

 

 俺に対してご機嫌斜めを隠さないものの、やはり鏡流先生は美しいわ、ここは重たい印(ほんめい)を打っておきましょう。

 

 さっき俺を呼びに来たはずの景元は、もういっちょまえに末席へ滑り込んでいた。

 

 そこら辺は見知った顔で、それ以外は——

 

 まず、見覚えのない女がひとり。

 

 おっとり微笑む、将軍というより世話焼きの姉さんみたいな人だ。その手前から、白珠がぱっと顔を上げて、俺を見つけて——あ、目が合っちまった。嬉しそうに手を振りかけて、慌てて空気を読んで引っ込めてる。

 

 来る前に景元から最低限のレクチャーがあったが、あれがたぶん白珠の上官、「曜青」の……名前なんつったっけな……ああそうそう、霽月将軍(せいげつしょうぐん)月御(げつぎょ)ってとこなんかな。

 

 月御さん……いいべ……とくに何がって、薄着なのがいいべ……凹凸(おうとつ)がはっきり……これは対抗として要チェック……。違う、白珠。熱い眼差しで見ているのはお前の方じゃねー、頬を押さえてやんやんするな。

 

 そんでもって、その隣には、知らない顔の二人組。眼鏡をかけ、卜者めいた装束の男は「玉殿」の望気将軍(ぼうきしょうぐん)竟天(けいてん)

 

 目を引くのは——片腕が、手首から先、精巧な義手になっている。景元が、吉凶を占う太卜司(たいぼくし)の元締めだとかなんとか言ってた気がする。

 

 その竟天(けいてん)とも目が合った。ふわりと、穏やかな笑みが返ってくる。微笑みの貴公子ってキャッチコピーをつけてもいいぐらいに、人のよさそうな顔だ。

 

 ——なのに、背中のあたりが、すぅっと寒くなる。眼鏡の奥が、こっちの中身まで覗き込んでる気がして、長くは目を合わせていられねぇ。俺にそちらのケはないんです。

 

 隣に控える白髪ロリが、爻光とか言うんだったかな。竟天将軍に対し、ロリのほうは口を引き結んで、こっちをガン見してきてる。うーん、無理。ちっこすぎ、姉オーラの欠片もねぇわ……成長性Sでもない限り、ここは素直に消しでいいでしょう。

 

 

 と、そこまで視線を順繰りにずらしていったところで、卓には不自然にふたつの空席があった。

 

 

 たぶんだけど、本来「方壺(ほうこ)」の伏波将軍(ふくはしょうぐん)玄全(げんぜん)ってのと「虚稜」の塵冥将軍(じんめいしょうぐん)有無(ゆうむ)がいるらしいが、二人とも別件にて動いていて欠席らしいのでそいつらの席なんだろう。

 

 以上。

 

 と言いたいところだが、最後に、もうひとりいた。

 

 誰の側にもつかず、壁にもたれて腕を組んで笑っているのは——ラマンチャ。キザったらしく「やっ、大将」と人差し指と中指を眼前で切って挨拶してくる。

 

 

 仙舟同盟を構成する複数の旗艦。そのうちの四船の傑物たちが勢揃いってわけだ。

 

 

 ……で。その選りすぐりの端っこに、なんでお茶汲みの俺が突っ立ってんですかー、騰驍将軍? ってかもう皆の前に当然のように茶は置かれてるし。

 

 やってきたはいいが、どこに身を置くか計りかね、しょうがなしに、ラマンチャの近くでいっかと思った矢先、

 

 

 騰驍将軍がようやく頬杖を外した。

 

 

「揃ったかな。じゃ、再開しようか」

 

 

 気の抜けた声。なのに、場の空気が、すっと締まる。

 

 

此度(こたび)、諸賢に集まってもらったのは、他でもない」

 

 

 騰驍将軍の指が、宙の星図へ伸びる。

 

 触れた一点が応えるように、ぐうっと手前へせり出して——ひとつの星を、大きく映し出した。

 

 

 

 同時に。

 

 ひどく、端的に。

 

 

 

 

「タラサを、奪還する」

 

 

 

 降って湧いた緊張感の中で、各自が様々な反応を示す一方、俺は、

 

 

 

 ——どこ、そこ。

 

 

 

 シリアスフェイスを保つので精一杯だった。みんなが星図に視線を注ぐなかで、俺はラマンチャににじり寄っていき小声で尋ねる。

 

「おい、……おいっ、ラマンチャ。タラサってなに、たらことジャガイモのあれ?」

「んーそれはタラモだな」

 

 大真面目に返してから、ラマンチャはさすがに気の毒になったのか、声をひそめて、

 

「タラサ。海しかない星さ、大将。陸地なんてほとんどない、まるごと青い水の玉だよ」

 

 

 ……水の玉。なるほど分からん。

 

 

「タラサは我々にとって——ただの同盟星じゃない」

 

 

 騰驍将軍の声が、俺たちの内緒話を縫って届いた。指先が、星図のタラサを、とん、と弾く。

 

 青い玉が緩やかに回って、その海の底に、沈んだ何かの影が、うっすら透けて見えた。船の、形だ。

 

()の星の、海の底には、"岱輿(たいよ)" が眠っている」

 

 タイヨ。聞いたことのない名だ。すかさずラマンチャの袖を引く。

 

「おい、タイヨってのは? なんか貸してくれるヤツ?」

 

「大昔に墜ちた、かつての仙舟の旗艦のひとつさ」

 

 いよいよ訂正もせず。ラマンチャが囁き返す。

 

「海の星に、巨大な船が一隻まるごと沈んでるんだ。そして、タラサの民はその船の骸を、家にして、墓にして、神さまにして——文明を築いたんだ。岱輿は、タラサの住民にとっての始まりなんだよ」

 

 ほへー、海の星の底に、でっかい船の墓。その墓を拝んで暮らす連中がいる、と。

 

「誠に遺憾なんだが——」

 

 騰驍将軍が続ける。

 

「忌み物の狼どもが、岱輿の眠りを、掘り返し、噛み砕こうとしている」

 

 星図の青が、ぬめる赤紫に侵されていく。沈んだ船の影に、虫がたかるみたいに、びっしりと。

 

 

「狼たち——歩離人は、どうやら死んだ仙舟が大好物みたいでね」

 

 

 ラマンチャは自分のあごをなで、

 

「骸を喰って、自分たちの獣の艦を産む。岱輿の骨を炉にくべて、海を血の池に変えて——怨敵である仙舟を喰う獣を、あそこで(かえ)そうとしてる」

 

 墓を暴いて、死んだ船の骨で、武器を作る。そんでもってそれを、死んだ船の仲間にぶつけてくる。

 

 ……ぞっとしねえ、なんてもんじゃねえ。

 

「おじさんはね」

 

 騰驍将軍の気の抜けた笑みが、すっと消えている。

 

 

「墓荒らしが、嫌いなんだ」

 

 

 空気が、底のほうで凍りつく。

 

 ふと、妙な動きが気になって目をやれば——斜め前の応星が、固まっていた。

 

 "歩離人"の一語に縫い留められたみたいに、膝の上で拳が白くなるほど握られている。

 

 ……俺は星図の青を眺めたまま、わざと軽く、口を開く。

 

 

「——つまり、海底の墓荒らし退治、ってことね」

 

 

 目? 笑ってない自覚くらいはある。ついでにいらんこと言うなとばかりに鏡流先生から怒気を超えて殺気が放たれている。草超えて森ってレベルじゃないっての。

 

 騰驍将軍が、一瞬鼻で笑い——だが何も言わず、星図へ指を戻す。

 

斥候(せっこう)からの(しらせ)によれば敵は二手に布陣しているようだ。海から攻め上がる本隊を率いるのが、歩離人の王格——呼雷(フーレイ)

 

 星図の海上に、鯨とも狼ともつかない巨影が、いくつも灯った。

 

「そして海の底で、岱輿の骸を炉にくべている戦首が——咬骸(ヤオハイ)

 

 その名が、間に落ちた。

 

 

 ——がたん。

 

 

 応星の体が、傾ぐ。顔から血の気がすっと失せて、冗談みたいにひどいデキのソフビ人形みたいになっていた。

 

 たまらず卓についた手が、支えきれずに宙を掻いて——

 

 気づいたら、俺は床を蹴っていた。

 

「応星ッ!」

 

 崩れかけた体を、横から抱き留めた。腕の中が、軽い。軽くて、冷たくて、こまかく震えてる。

 

「おいしっかりしろ。大丈夫か! どした!」

「……兄、さん」

 

 ゆっくりと床に降ろしてやる。

 

 焦点の合わない目が、それでも俺を探して、すがるように袖をつかんでくる。その指の力のなさに、胸の奥がぎゅっとなる。

 

 軍議の最中に知らんやつが飛び出したんだ、視線くらい全身に突き刺さってるんだろう。険しい顔をしている懐炎の爺さんの手も、応星の寸前で止まっている。

 

 けど、知るかよ。今は応星が優先だ。

 

 背中をさすっていると、応星の目に、ゆっくり色が戻ってきた。

 

 自分が今どこで、誰の前で倒れかけたのか、思い出したんだろう。みるみる耳まで赤くして、

 

「す、すみませんっ……、皆様の前で、こんな……」

「いいって、しょうがねーだろ。楽な姿勢でいとけ」

 

 慌てて身を起こそうとするのを制する。まだ震えが止まっていないってのに。

 

「無理すんなって」

 

「平気です。……大丈夫。続けて、ください。お願いします」

 

 懇願されたら無理強いもできねぇ——ったく、強情なやつだ。

 

 俺は応星の肩を支えたまま、騰驍将軍たちへ軽く頭を下げた。

 

「すんませんした。続けてください」

 

 騰驍将軍は、ふっと目元をゆるめて、星図へ向き直る。

 

「タラサの海はただの海じゃない。歩離人たちの、檻でね」

 

「檻?」

 

 小声でつぶやいた途端、ラマンチャは肩をすくめ、

 

「僕らと同じく、水ん中じゃ生きられない連中なのさ」ラマンチャも声を落とす。

 

「海の上は獣の艦で蓋、海ん中は肉の管で行き来、空気の残った海底の区画に人質を詰め込んでる。——海をまるごと、檻と盾と苗床に仕立ててるのさ」

 

 待った。捨て置けない単語があった。

 

「人質ってのは、どういう……」

 

 訊くと、ラマンチャの軽口が、そこで一拍、途切れた。

帽子のつばを指でなぞって、

 

「タラサの海の民だ。同盟の星に暮らす、ただの住人だよ。墜ちた神さまの墓を守って生きてきた連中が、その墓ごと、獣の檻に放り込まれてる」

 

 それだけじゃない、と続ける。

 

「色んな星々から集めた狐族もいる。攫われて、奴隷にされて——歩離人ってのは、狐の血を搾って薬を煮るのが、昔から好きなようでね。女、子どもだろうが、容赦はしない」

 

 苗床、って言葉の意味が、遅れて腹に落ちた。死なせもせず、生かしもせず。血と肉を、搾り続けるための畑。

 

 ラマンチャの指が、つばを離れる。

 

「報酬は、まあ、もらうさ。僕も(かすみ)じゃ腹はふくれないからな」

 

 片方の肩をすくめて、けど目の奥は、つられて笑っちゃいない。

 

「——でもね、大将。命を畑にする手合いだけは、僕は素通りできない性分なんだ。海を渡って、悪さを潰して、また次の海へ。それが僕ら巡海(じゅんかい)レンジャーの、たった一本の(スジ)でね」

 

 なんだ、ただの飄々(ひょうひょう)とした野郎じゃねーんだ。仮面の奥には魂ってもんがあんじゃねーかよ。

 

「……わり、お前のこと見くびってたわ」

「ははっ、よくあることだ。侮られるのは世を忍ぶ仮の姿ってやつさ」

 

 ……カッチョいいこといいやがって。

 

 しかし、タラサ。想像以上に、……最悪な水族館の裏側みたいな絵が浮かぶ。

 

 殴れば人質が死に、固めれば敵が潜って逃げる。観測ついでに、ずいぶん厄介な戦になりそうだ。

 

「此度の奪還は、雲騎元帥(うんきげんすい)華様(ファさま)裁可(さいか)を得ている。仙舟同盟、四船総出の——正式な軍命だ」

 

 元帥ってことは、この将軍達の更に上に位置する人がいるのか。

 

「海の上では、呼雷(フーレイ)の獣艦と、雲騎の本隊が正面からぶつかる。空は曜青の飛行士が抑え、武具と補給は朱明が、海と空の潮を読むのは玉殿が引き受ける」

「忌み物どもに曜青の恐ろしさを存分に味わっていただかないと。——ねっ? 白珠」

「はいっ! 曜青の飛行士の皆は伊達(ダテ)ではありませんっ」

 

 ふわりと添えられた声。月御(げつぎょ)さんだ。柔らかな笑みのまま、けど飛行士を束ねる将としての格を感じさせた。

 

「だが、それだけじゃ」

 

 騰驍将軍の指が、すうっと海の底へ沈む。

 

「無論、海の底に巣食う咬骸(ヤオハイ)には、届かない。——だから、三手に、矛を分ける」

 

 星図の青が、海の上・中・底、三つの層に光った。

 

「正面で本隊——呼雷(フーレイ)を仕留めるのは、鏡流ちゃん。君の役目だ」

 

 鏡流先生が、目を伏せて腰の剣に手を置く。それだけで、場の温度が一度下がった。

 

「海を御して、人質区画と脱出路を支えるのは、丹楓殿が」

 

 ふーたんが、静かに星図の海へ凪いだ目を向け、

 

「成程。そのための余、というわけか」

「いやいや、それだけじゃないんだけどね。期待してますよ、龍尊殿」

 

 嘘くさい笑みを浮かべたまま騰驍将軍は続ける。

 

「海の底へ潜るのは——白珠ちゃん、景元ちゃん」

 

 言い換えれば、飛行士と、少年兵。思わず眉が寄った。海の底の、化物の戦首が居座る骸炉のど真ん中へ、その二人で行かせるってのか?

 

 顔に出てたんだろう。騰驍将軍が、先回りするみたいに続けた。

 

「正面から殴り込めば、人質が死ぬ。本隊で固めれば、狼どもは肉の管を潰して、人質ごと底へ逃げる。——あそこだけは、力じゃ獲れそうになくてね」

 

 だから、と将軍は指を一本立てる。

 

「数を絞った、速くて静かな手が要る。肉の管を縫って潜り込み、人質を抱えて、骸炉の芯を断つ。——殴り込みじゃない。盗みに行くんだよ」

 

「とはいえ、だ」

 

 壁にもたれていたラマンチャが、ひょいと身を起こした。

 

「龍尊が海を割っても、道は道でしかない。脈打つ肉の管の隙間を、星槎で実際に縫える腕がなけりゃ——絵に描いた水路さ」

 

 それから、くるりと白珠のほうへ。

 

「星槎を、水の裂け目に通せるかい? お嬢さん」

 

 白珠が、ぱちりと瞬いた。それから、ふっと笑って、

 

 

「通すだけで、よろしいんですか?」

 

 

 背筋が、すっと伸びた。

 

「甘く見ないでください——行きも、帰りも。乗せた人はひとり残らず、あたしが連れて帰ります」

 

 凜とした姿のまま、言い切った。

 

 さっきまでの乙女回路はどこへやら、曜青の飛行士の顔になっている。

 

 あぶね……ちょっとだけ、見惚れたわ。ちょっとだけだけどね!!

 

「まるっと——あたしに、お任せくださいっ」

 

 ラマンチャは肩をすくめ、苦笑すると、

 

「悪かったよ、ただ確認したかったのさ」

 

 そのやりとりを前にして騰驍将軍は、

 

「曜青は頼もしいな」

「当然です」

 

 月御さんが鼻高々とばかりに胸を張る。うーん、胸も高々で眼福。

 

「うちの景元ちゃんは、見ての通りまだ経験は浅いけどね」

 

 騰驍が末席へ目をやる。

 

「狭くて、速くて、頭のいる仕事だ。鈍重な大鉈より、小刀の早さのほうがよく効く。——だろ?」

 

「はい。お任せください」

 

 景元が口の端を上げた。生意気な、けど一片の迷いもない顔で。

 

 

 骸炉の芯さえ断てば、死なねぇ化物の足場そのものを崩してやれるんだろう。海は丹楓が御して、綻びはラマンチャが埋める。

 

 ……なるほど。無茶に見えて、ちゃんと理屈の通った人選だ。

 

 だが、二名。

 

 その先を、騰驍は言わなかった。

 

 この場に呼ばれている以上、どこかしらに配置する想定だったのだろうが……先ほどの反応で、応星の名を、あえて外したんだろう。もっとも、あいつは工造司であって、戦に出る雲騎兵の立場じゃない。

 

 だが。

 

 はたしてそれで納得できるのか——

 

「……わ、私も」

 

 声が、震えてる。それでも。

 

「私も、連れて行ってください。——何卒! 我が一族に対する仕打ちの報いを、歩離人共に受けさせたく。お願いしますッ!」

 

 深く、頭を下げた。

 

「ならぬ」

 

 声がした。山が、鳴ったみたいだった。

 

 懐炎。あの穏やかな爺さんの、見たこともない怒気だ。

 

「お前は朱明の工造司。戦に出る身ではない。咬骸(ヤオハイ)の名ひとつで膝を折る者を、どうして海の底へやれる。——許さん」

 

 応星が唇を噛んで俯く。けど、引かない。引けないんだ、こいつは。

 

「で、ですが、……懐炎様、といえど、……聞けませんっ!!」

「何度も言わせるでないわ。応星……ッ!!」

 

 応星の肩が、びくりと跳ねた。

 

 俯いた顔の、あご先から、ぼたり、と何かが床に落ちる。一粒。二粒。

 

 

 ——あ。

 

 

 止める間もなかった。

 

 応星は弾かれたように身を翻し、誰とも目を合わせないまま、広間の出口へ駆けていく。

 

 小さな背中が、扉の向こうへ消えた。

 

 追いかけようと、腰が浮く。——けど。

 

 

 アイツにも今は心を整える時間が必要なはずだ。

 

 

 浮かせた腰を、そっと戻す。……くそ。あとで、ぜってぇ捕まえる。

 

 懐炎の爺さんも、追わなかった。怒鳴ったばかりの口を引き結んで、応星の消えた扉を、ただ見ている。怒気の引いたその横顔は、ひどく、年老いて見えた。

 

 そんな師弟によって張りつめた空気を、ぱん、と手の音が割った。

 

「——さ。続きを話そうか」

 

 騰驍将軍だった。応星の件は、あえて宙に置いたまま話を進行する。

 

「……騰驍将軍、よろしいでしょうか」と、景元が発言の許可を求め、許されると、

 

「タラサということは……悪魔の潮の時刻はいつになるのですか」

 

 悪魔の潮? タ・ラ・サの塩! じゃなくて? すかさずラマンチャを小突く。

 

「タラサの、馬鹿でかい潮のことさ」

 ラマンチャが囁く。

「衛星の引力で、海がまるごと荒れ狂う。来れば船も人も、ひとたまりもない。どうやら歩離人は、その潮を読んで動いてるようでね」

 

 海そのものが、時計じかけの罠ってことか。ま、聞いたことあるな。ある特定の時刻にしか見えない海辺の観光名所的なやつ。

 

 義手の指が、こつ、と卓を叩く。眼鏡の奥で穏やかに笑ったまま竟天は、

 

悔悟慙羞(かいござんしゅう)。あの海は、人の都合なんて聞いてはくれない。——私はかつて、他でもないあのタラサで、この腕を置いてきたんだ」

 

 義手を、軽く持ち上げてみせる。

 

「読み違えれば、次に海へ預けるのは……腕だけでは済まないだろう」

 

 穏やかな声のまま、いちばん寒いことを言う。

 

 ……笑った顔のまま背筋を凍らせてくる男って、いちばん苦手だ。鬼畜眼鏡(キチメガ)感あるよコイツ。

 

「猶予は、竟天の見立てで一刻ほど」

 

 騰驍が引き取る。

 

「ラマンチャちゃん——キミは独立遊撃。本隊にも潜入にも縛られず、崩れたところを埋めてくれ」

 

「了解だ。せいぜい報酬に期待させてもらおうか」

 

 ラマンチャも帽子を深くかぶりなおす。

 

 配置が、ぱたぱたと埋まっていく。鏡流先生に、ふーたん、白珠、景元、ラマンチャ、……なるほど、勝ち筋の見える布陣だ。

 

 俺はといえば、応星の消えた扉を気にしながら——と、その時。

 

「——ああ、それと」

 

 騰驍将軍が、思い出したみたいに、こっちへ指を差すと。

 

「あらためて諸賢らに紹介しよう。彼は是印ちゃんといって、今回、潜入班に加わってもらう」

 

 

 ん?

 

 ん?

 

 んんんんんんんん?????

 

 

 

「……え?」

 

 間の抜けた声が、口から落ちた。

 

「いやいや、待ってくださいよ将軍。俺、飯炊きっすよ?

 みんなの無事を祈りながら、せっせとお料理作らないといけないんすけど。潜入だの骸炉だの、いっちばん縁のねぇ職種なんですけど」

 

 騰驍将軍は、戻しかけた頬杖をそのままに、にこにこと、

 

「潜入も長丁場でねぇ。腹が減ってちゃ、戦はできぬっていうじゃないか。実際、飯の質は士気に大きく関わる。そこで、飯番がひとり要るのさ」

 

 なんか理屈薄ィー……。

 

「えー……海の底でメシ炊けってんすか。わけワカメご飯??」

 

 思わず素が出る。どこの世界に、深海で出汁を引く飯炊きがいるってんだ。

 

 将軍はくつくつ笑うだけで、答えになっちゃいない。——わざとだ。遊んでやがる。

 

 俺は軽口成分を抜いて、

 

 

「……冗談はナシで。ほんとは、なんでなんです」

 

 

 騰驍将軍が、こちらへ目をくれた。笑みはあくまで貼りついたまま。なのに、笑っちゃいないように感じる。

 

 

 将軍が、ちらと斜め——竟天のほうへ、目をやった。

 

 義手の指が再び、こつ、と卓に落ちる。眼鏡の奥が、穏やかにこちらを捉えた。

 

見微知著(けんびちちょ)。——この戦は、長い」

 

 また背中が薄ら寒くなってきた。

 

「豊穣の忌み物共と二度目の大戦。攻めては退き、退いては攻め、幾星霜を経たことか。盤面は、とうに凍りついている。私の——大衍窮観(たいえんきゅうかん)の陣が弾き出したのは、その凍った盤を動かしうる、ただひとつの変数の来訪だ。どこの誰とも知れぬ、けれど確かに在る、異物のかたち」

 

 義手が、ゆるりと持ち上がって、その先が、俺を指した。

 

 

 ——い”?

 

 

 言葉を止めた竟天の後を継ぐようにして、

 

「そんな折にね。ふらりと現れたのさ。ナナシビトという肩書きを持ち、『あんたの下で働かせてくれ』なんて言う、おかしな男が」

 

 

 え、待って。むり。心のJKが叫ぶ。

 

 

 待て待て待て。

 

 

「あの……まさか、それが」

 

「そう。——是印ちゃん、君のことだよ」

 

 

 無情にも宣告された。

 

 

「じゃなきゃ、おじさんもねぇ。どこの馬の骨とも知れない自称ナナシビトを、メシ当番で拾ったりしないって」

 

 

 裏切られた。

 

 有り余るポテンシャルとやる気で即採用とばかり思ってたのに——や、たしかに、嘘みたいにあっさりした即採用だったけど。あれは、

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ぞわ、と首筋が粟立つ。

 

 観測者を気取って、色んな場所からせっせと世界を眺めてるつもりだった。

 

 なのにこの時代の占い盤は、とっくにこっちを盤上の駒として数えてやがってたってこと……か?

 

「安心するといい」

 

 竟天は、義手をそっと下ろし、

 

「陣は、君が何者かまでは映さない。ただ『来る』とだけ。——占えぬ者を、無理に占わぬのが、太卜司の作法でね」

 

 穏やかな声のまま、いちばん落ち着かねーことを言う。読めないものへ、笑顔のまま手を伸ばしてくる。やっぱりこの眼鏡、苦手だよー。

 

 と、思っていたら。

 

 竟天の側、ずっと唇を引き結んでいた白髪ロリ——爻光が、初めて口を開いた。

 

「……ずっと、視てたけど」

 

 子どものナリして、ガキの目つきじゃなかった。

 

「あなたは数のない不思議な存在。先がぼやけて、読めないわ。稀薄なのに重厚で、心地よいのに気持ち悪くて——だから、目を離せなかった」

「こら、爻光。言葉を選ぶよう」

「……ごめんなさい、お師匠様」

 

 え、なに、要するにキモいってこと? ガン見の理由、それかよ。姉オーラがどうとか値踏みしてた数分前の自分を、引っぱたきたくなる。眼鏡義手もロリも、どいつもこいつも人のデリケートゾーンを覗いてきやがる。玉殿の連中、まとめて苦手だわ。共演NG待ったなし。

 

 そんな視界の端で、鏡流先生が、すっと睫毛(まつげ)を伏せていた。

 

 何か言いかけて——けれど結局、唇は開かれない。その横顔が何を噛み殺したのか、俺には読めなかった。

 

「ま、難しい顔しなさんな」

 

 騰驍将軍は、ぽんと話を畳む。くたびれた羽織の、いつもの将軍に戻って。

 

 ——いやいや、畳むなって。占いで名指しされて、はいそうですかと海の底に潜れるかってんだ。俺は最後の抵抗に出た。

 

「いや、占いは占いっしょ。それだけで、俺みたいなド素人を、敵将の巣に放り込むんすか」

「占いだけじゃ、人は動かせないさ」

 

 今度こそ頬杖をやめて、

 

「是印ちゃん。君は今、鏡流ちゃんの弟子だろう。剣首が正面を抑える以上、あの太刀筋を底まで届かせる手が、もう一枚要る。——筋は悪くないと、聞いてるよ。なあ、鏡流ちゃん」

 

 鏡流先生は、答えない。ただ、伏せていた目を、ほんの少しだけ俺へ寄越して、すぐ戻した。否定だけは、しなかった。

 

「それに、だ」

 

 星図の海の底を、将軍の指がなぞる。

 

「あの底でなにが待ってるかは、誰にも読めない。読めない場所にこそ、型どおりの駒より——型に嵌まらない一枚のほうが、よっぽど化けるのさ」

 

 占いの変数ってのは、そういう使い道かよ。理屈としては、通ってる。通ってるんだけど。

 

 ……いやいや、納得しかけんなよ、俺。

 

 顔の筋肉がうまく働かない俺に対して、とびきりの笑顔を向けて、

 

 

「何よりも、もうキミはおじさんの部下なんだ。また頼んだよ。——是印ちゃん」

 

 

 

 言うべきことは言ったとばかりに、

 

 

 

「以上だ。——さ。各々、出立の支度を」

 

 

 

 

 

 騰驍将軍は軍議の終わりを告げた。

 

 

 

 

 

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