ルキンフォー・エム   作:來馬らんぶ

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#63 "彼は、その手の温かさを知る"

 

 

 

 

 

 軍議の間を出ると、夜だった。

 

 回廊の灯籠(とうろう)が、等間隔にぽつ、ぽつ、と並んでいる。火のひとつひとつが小さすぎて、闇を払うっていうより、闇に間借りしてる感じだ。

 

 遠く、港のほうだけが眠っていない。艦列に積み込みの灯りが群がって、米粒みてーな人影がひっきりなしに行き交ってる。夜なのに、あっちだけ昼の続きをやっている。そう、

 

 

 ——出立の支度を。

 

 

 将軍の閉幕宣言が、まだ耳の奥に貼りついていた。

 

 

「はぁ……毎度のことだけど、えれぇことになったな……」

 

 

 人気の絶えた回廊で、懐のそいつが、ようやく口を開く。

 

 

『——被験者ゼイン』

 

 念のため周囲を確認して、

 

「おー、今ならいけそうだな。俺もちょうど話したかったとこだ」

 

 懐中時計を取り出して、蓋を開けた。磨かれた裏蓋に、灯籠の火と、俺のシケた面が映り込む。

 

 

『所感:——本機の観測対象が、この時代の占術に観測され返すとは』

 

 

 開口一番それかい。

 

 観測され返す、ね。言葉にされると、あらためて首筋がスースーするわ。

 

 高みの見物席のつもりで座ってた場所は、最初っから舞台の上だった。客席気分でポップコーン抱えてたら、実際はスポットライトがこっちに当たってた、ってわけだ。

 

 

「で。どうなんだよ、実際」

 

 

 俺は声を落とした。

 

「俺、まんまと表舞台に引っ張り出されちまったわけだけど。お前的には、あれだろ。記録係が筋書きに手ぇ突っ込むのは、ナシなんだろ」

 

『回答が、二つに割れます』

 

「割れんなよ。デリケートな機械だろがお前」

 

『マシンジョークです』

 

 やべっ、反射的にブン投げそうになっちゃった。

 

『警告:まず一つ目。潜入班としての参戦は、被験者ゼインがこの時代に行う干渉として、過去最大の規模になります。収束圧の上昇は——不可避です』

 

 ですよねー。

 

 ただでさえ基準値超えだの言われてる弾性ゴムを、こっちからべろんべろんに引っ張りに行くようなもんだ。わかってますって、わかってるから訊いてるんですぅ。

 

「二つ目は?」

 

『解説:観測進捗の問題です。——復習します。本機の収集対象は、星神(アイオーン)、および使令級の運命の力。その発現記録です。行人程度の力では、針はほとんど振れません』

 

「ああ、まぁこの時代はそれが景気よく暴れてた時代だから、わざわざ来たって話だろ。ヘルタ様の見立てで」

 

『はい。現代よりも、星神(アイオーン)の力が生のまま振るわれていた荒れた時代——観測地としては、鉱脈です』

 

「その理屈でいくと29パーは、あれだろ、最初白珠と豊穣の連中とやりあった時と丹楓んときにぐぐって溜まった感じか」

『概ね、その認識で、構いません』

「歯にモノ挟まってんなー、おい」

『本機に歯はありません』

「あっそ」

 

 歯ごたえのないやっちゃ。

 

『続けます。そして戦域は、その鉱脈の本坑です。豊穣の眷属の群れ。死なない戦首。骸を焚く炉に、器獣。——星神(アイオーン)の力の、坩堝(るつぼ)です。観測機会として、破格と言えるでしょう』

 

 ぱち、と裏蓋の中の俺と目が合った。

 

『換言:帰り道の材料は、危険の中にしか落ちていません』

 

 うわー、出たよ。わかりやすーい悪魔の取引。結局、安全に座ってりゃ帰りは遠のく、火に突っ込めば近道——そんなん、選択肢って言わねーんだわ。実質一択じゃねーかよ。

 

「お前はどっちがいいんだよ」

 

『本機は記録装置です。選択は被験者ゼインの権限です』

 

「権限ねぇ……」

 

 まぁ人任せ、じゃねーわ、機械任せにするわけにもいかねーか。

 

『……ですが、』

 

 一拍、間があった。機械のくせに、こいつはたまにこういう間を挟むのよなぁ。

 

『進捗が早まること自体に、本機は否定的ではありません。長居は、それだけ世界に影響を与える。短く、深く。それが理想形ではあります』

 

「……言うと思ったよ」

 

 ぱちん、と蓋を閉じる。覗き返してくる俺の顔も、それで見えなくなった。

 

 収束圧は上がる。観測は進む。差し引きでどっちが得かなんて、電卓を叩いたって出てこない。

 

 けど、まあ——どのみち俺はもう降りられないんだ。

 

 占いに釣り上げられて、将軍に「頼んだよ」とまで言われて、はいさよならができる立場じゃない。

 

 

 それに。

 

 

 ボリボリと頭を掻く。

 

 損得の電卓より先に、やることがある。デカい話は一旦棚上げだ。棚に上げた荷物は落ちてくるって相場が決まってるが、それでも今夜の優先順位は決まってる。

 

 

 ——世話のかかる弟だよ、ホント。

 

 

 駆け去ったあの足の向かう先なんて、考えるまでもない。

 

 たしかにあいつの目は泣いてたが、あの泣き方は、はいわかりましたと素直に受け入れる奴の泣き方じゃなかったと思う。

 

 俺は灯籠の列に背を向けて、港の明かりのほうへ歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実際立ち寄ってみると、たしかに港は夜を返上していた。

 

 桟橋に沿って艦影がずらりと並び、積み込みの灯りがその腹を照らしている。荷役の連中の掛け声、軋む滑車、木箱が船倉へ吸い込まれていく鈍い音。

 

 戦の前の晩ってのは、どこの世界でもこういう匂いがするんだろうか。構成要素は、鉄と、縄と、焦りの匂いだ。

 

 さて、この人混みからちっこいの一匹をどう捜したもんか——とは、ならなかった。

 

 考えるまでもねぇ。俺があいつなら、どこへ行くよ? 紛れ込むなら人の波じゃない、積み込み待ちの荷の山だ。それも、勝手知ったる朱明の納品箱。

 

 灯りと人手は艀と船倉に群がってて、積み終わった木箱の山のほうは、逆に暗くて人気がなかった。

 

 その谷間に——ほら、いた。

 

 朱明の焼印が入った武具箱の列に、ちょこんと挟まるようにして、あいつは立っていた。そして、足元には、布でくるんだ荷がひとつ。

 

 

 ……おいおい。荷物まで、もうまとめてんのかよ。

 

 

 応星は箱のひとつに手のひらを当てて、じっとしていた。拝んでるみたいにも、別れを言ってるみたいにも見えた。おそらく、あの中身はあいつが打った得物だ。

 

 

「——納品の確認か? 感心じゃねーか、こんな夜中に」

 

 

 肩が、びくんと跳ねた。

 

 振り向いたツラは、ひでぇもんだった。目の縁は腫れぼったく赤いまま

 

 ——ひとしきり泣き終わって、何かしら腹を決め終わった人間の目だった。

 

 

「兄さん……」

 

「んで?  確認ってのは、どの箱に潜り込むかの確認か?」

 

 

 図星らしい。唇を噛んで、足元の荷をどうにか隠そうとして、隠しきれてない。工造司のくせに、嘘の細工はからっきしだな。

 

 応星はしばらく俯いて——それから、顔を上げた。

 

 

「……黙っていて、ください」

 

 俺は返答代わりに片眉を上げる。

 

 

「僕は、行きます。誰に止められても、行きます」

 

 

 俺がこいつと出逢ってから、かつてないほどの強い口調だった。

 

 

「懐炎先生の言う通り、僕は工造司です。本来であれば戦に出る身じゃない。それは、わかってます。そんなことわかってるんです……」

 

 

 手のひらが、武具箱の焼印をなぞる。

 

 

「……軍議で倒れたこと。恥ずかしいって思ってます。……けど、あの名前……を聞いた瞬間、頭より先に、膝から力が抜けて……体が覚えてるんです。僕がいくら忘れた振りをしても、体のほうが忘れてくれない」

 

 応星は、一度ぎゅっと目をつぶった。

 

 次に開いたときには、観念したみたいに、言葉が続いた。

 

「兄さん。軍議で出た、あの名前、覚えてますか」

 

咬骸(ヤオハイ)っつったか」

 

 

「はい……僕、知ってたんです。ずっと前から。

 

 ——あの日、聞いたから」

 

 

 夜の港の喧騒が、急に遠くなった気がした。

 

 

「僕が故郷の星にいた最後の日——突然、空が欠けたんです。

 最初は山だと思いました。山が、村の向こうに、いつの間にか増えてるって。でも、違いました。

 ……動いたんです、その山が。首があって、顎があって。鉄の鎧を着た、見たこともない大きさの獣でした。

 一歩ごとに地面が跳ねて、関節の中で、何かが軋んで回る音がして。

 

 それが——器獣(きじゅう)。歩離人の兵器です

 

 

 応星の目は、もう俺を見ていなかった。今でもなく、ここでもないどこかの、ずっと遠くを見ていた。

 

 

「村の大人たちは、それでも戦いました。猟の弓で、鍬で、鉈で。お父さんも、隣のおじさんも。……鉄の鱗に、そんなものじゃ、傷ひとつつかなかった。あの顎が降りてくるたびに、何人もまとめて——畑の麦を、刈るみたいに……悲鳴が上がりました」

 

 そこで応星は、すう、と息を吸った。

 いちばん深いところへ潜る前の、息継ぎみたいに。

 

 

「歩離人たちの群れの先頭に、ひときわ大きい人狼がいました。そいつだけ、急いでなかった。悠然と逃げ惑うみんなを眺めて、喉を反らして、笑うんです。

 

 腹の底から、楽しくて仕方ないって。村の人たちの矢が、体に何本も刺さってるのに。刺さったまま、抜きもしないで、痛がりもしないで、ただ笑ってる。

 

 ——狼どもが、そいつを呼ぶんです。嬉しそうに、誇らしそうに、何度も。咬骸(ヤオハイ)咬骸(ヤオハイ)って。……名前なんて、知りたくなかった。なのに、あの哄笑(こうしょう)と一緒に、焼きついて……離れてくれない」

 

 

 声は震えてなかった。

 

 何千何万何億回と、言葉の通り、こいつの脳裏に焼き付いて離れないんだろう。

 

 あまりに繰り返した挙げ句がこの平坦な声だった。

 

 

「お母さんが、僕の手を引いて走って。炭焼きの窯の、灰の捨て穴に僕を押し込んで——『息を、止めてなさい』って。それだけ言って、戻ったんです。

 

 狼の目を、僕から引き剥がすために、」

 

 

 その結果は聞くまでもない。

 

 

「……それが最後でした。……灰の隙間から、見えたんです。みんな、みんな歩離人と器獣の牙で……」

 

 

 ああ——だから、か。

 

 

 こないだ酒の席で、こいつは「突き飛ばされて逃げた」とだけ言った。突き飛ばしたのが誰の手か、そこだけ綺麗に抜かしてた。

 

 

「あいつらが憎いっ……でもっ、僕は短命種です! あんな化物に、僕の短い命じゃ、届くわけがない。

 

 だから——せめて、僕の打った武具が、いつか、誰かの手で、あいつに届いてくれたらって。そう思って、(つち)を握ってきました。それでいいって、思ってたんです」

 

 

 

 でも、と。

 

 

 

「目の前に、現れたんです。タラサの海の底に、あいつが……咬骸(ヤオハイ)がいる。手を伸ばせば届くかもしれないところに、こんな、こんな千載一遇(せんざいいちぐう)の機会があるのに——僕だけ蚊帳(かや)の外で、武具だけ送り出して、待ってるなんて」

 

 

 応星の目に暗い火が点る。溢れる涙の向こうに。

 

 

「そんなの……そんなの、お母さんが繋いでくれた命だから、……短命種ごときが生意気だっていじめられたって、近寄るなって殴られたって、ご飯にツバを吐きかけられたって……、

 

 どんなに死にたくなるような毎日でも、たったひとりで、歯を食いしばって、生きてきた意味が、なくなっちゃうじゃないか……っ!!!

 

 

 

 言い切って、応星は俺を睨んだ。

 

 その腫れた目で、まっすぐに。

 

 

 

 

 ——あー。

 

 

 

 こりゃ、ダメだ。ダメっつーのは、止めるのがダメって意味だ。覚悟完了しちまってんもん。この目はもう、説教だの正論だので戻る目じゃねーわ。

 

 

 

 夜天を仰ぐ。

 

 

 

 

 

 ——黙って乗せる。

 

 

 

 

 一番簡単な話だ。

 

 それは、甘ったるい近道だ。楽だし、揉めない。

 

 俺が応星の立場だったら四の五の言わず密航してただろう。

 

 

 

 でも、こいつは俺じゃない。

 

 俺がこいつでもないように。

 

 

 

 それをやっちまったら、こいつのきっと人生いちばんの覚悟にケチがつく。

 

 

 

 

 

 

 それは——違うよな。

 

 

 

 

 

 

 

「……よし、わーった!」

 

 その言葉で、一瞬応星の目に光が戻り、

 

「兄さん……っ」

 

「おう! ダメだ!

 

 

 俺は信じられない顔をしてる応星の襟首を、むんずと掴んだ。

 

 

「ふえっ!?」

 

「——お前が行くべきとこはここじゃねぇ、だから行くぞ」

 

「い、行くって、ど、どこへ……」

 

「決まってんだろ。その覚悟ぶつけに、

 

 

 ——お前の師匠んとこだ」

 

 

 

 応星のツラから、すべての色が抜け落ちた。

 

 

 

「むっ、無理です無理です死にます! さっきの怒りよう見ましたよね!? 先生は、怒ると山が噴火したみたいになるんですよ!? 僕は何遍も食らってるんです、本当に煙が出てるみたいに見えるんです!!」

 

「噴火上等。そのうち温泉でも掘り当てるかもしんねーじゃんか」

 

「掘り当てませんよそんなもの!!」

 

 じたばた暴れるのを年上パワーで引きずって、俺は木箱の谷間を歩き出した。

 

 ——と、視界の隅で、何かがひゅっと木箱の陰に引っ込んだ気がした。白っぽい、ふわっとした何か。

 

 

 ……でけぇ狐でもいたかな。

 

 

 ま、いいや。あいにく今夜の俺は忙しい。これから噴火する山に、素手で登りに行くんだからさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朱明の武具庫は、港の喧騒から一枚壁を隔てた場所にあった。

 

 ま、朱明の武具庫——っつっても、ここは羅浮だ。

 

 ただ今は戦支度の真っ最中で、軍議もこっちでやった。

 

 武具と補給の元締めである朱明の連中は、しばらく羅浮に逗留して、港の倉のひと区画をまるごと借り受けてる——ってのは、道すがら応星に問いただしたことの受け売りだ。

 

 

 石化したまんまでも解説はしてくれるんだから、律儀なやつだよ。

 

 

 その借り倉のひとつ。扉の隙間から、灯りと——話し声が漏れていた。

 

 

「——して、鏡流殿。おぬしの弟子のことよ。あの是印とか申す男、潜入班に置くに足るのか。わしにはどうにも、得体が」

 

「素性なら、我も知りませぬ」

 

 

 

 げ。

 

 

 

 思いっきり俺の話だった。しかも声の片方、うちの鏡流先生じゃねーか。タイミング悪ぅ……入りづれぇ……。隣で応星も固まってる。

 

 出直すか、と踵が半分回ったところで、

 

 

「——立ち聞きとは、良い度胸だな。馬鹿弟子」

 

 

 壁越しに刺された。なんで分かんだよ。達人過ぎですって。

 

 

 観念して、敷居をまたぐ。

 

 

 長持の蓋が並べて開けられて、白刃が何十と、灯籠の火を映していた。

 

 その前に——懐炎将軍が腰を下ろして、一振りずつ刃を灯りに透かしている。傍らに、腕を組んだ鏡流先生。

 

 二人で明日の得物の検分がてら、是印とかいうヤツの品定めをしてたってとこか。

 

 

 将軍の目が、俺と、俺が掴んでる襟首と、襟首の先の弟子を、順繰りに見た。

 

 

「……応星。それに——軍議におった……是印、か」

 

「夜分にさーせん、将軍。お届けモノでーす」

 

 

 俺は襟首を、一歩前へ押し出した。

 

桟橋(さんばし)で拾ったんすけど。武具箱の谷間で、どの箱に潜り込んでやろうかとコソコソしてました」

 

「に、兄さん!?」

 

 裏切られた、みてーなツラすんな。隠しごとナシでぶつかりに来たんだろうが。

 

 

 将軍は、何も言わなかった。

 

 

 刃を一振り、鞘へ戻す。ちん、という音が、やけに響いた。それから懐炎将軍は、押し出された弟子へ、ゆっくりと目を据えた。

 

 

「——応星」

 

 

 低い声だった。怒鳴り声の百倍、圧がある。

 

 

「……何の用じゃ」

 

 

 応星の肩が、跳ねた。

 

 見ててよくわかる。膝が震えてる。

 

 

 軍議の間で浴びた怒声に限らないんだろう。職人の師匠だ、生ぬるい指導なんてあるわけねぇ。鉄拳制裁だけで済むならマシな方で、それを、こいつの体はもう刻んじまってる。

 

 

 咬骸の名前と同じだ。頭より先に、体がすくむ。

 

 

 半歩、後ろへ流れかけて——

 

 

 

 俺は、何もしなかった。襟首も、背中も、押さなかった。

 

 

 

 だってさ、

 

 

 

 ここで押したら、こいつの足じゃなくなるもんな。

 

 

 

 応星は、ぎゅっと拳を握った。

 一度目をつぶって、開けて——震える膝を、自分の手で一回、叩いた。

 

 

「……先生」

 

 

 踏みとどまり、戻った。自分の足で。

 

 

「軍議で出た、咬骸(ヤオハイ)という名前。あれは、僕の村を喰った人狼の名です。僕は、あの日からずっと知っていました。先生にも、言えませんでした。……言葉にしたら、あの日に戻ってしまう気がして」

 

 

 将軍は沈黙を保つ。

 

 そのせいで、部屋の空気ごと重くなる。

 

 

「先生は言いました。名前ひとつで膝を折る者を、海の底へはやれないと。……その通りです。僕の体は、たぶんまた、あの名前にすくむかもしれません」

 

 

 応星は息を吸った。

 

 

「でも——あの日、僕は灰の穴の中から、聞いてることしかできなかった。今度もまた遠い地から聞いてるだけなんて、嫌なんです。僕はもう隠れません。鎚を握ってきたのは、この日のためです。

 先生に教わった全部を、海の底へ持って行かせてください」

 

 

 言い切った。

 

 

 ちっこい体が、まっすぐ立ってる。桟橋で俺に吐き出した千万言(せんまんげん)を、こいつはたった今、()いで一本に仕立てた。

 

 

 長い沈黙のあと、将軍が口を開く。

 

 

「……覚悟は、わかった」

 

 

 お。

 

 

「だが、ならぬ」

 

 

 おお?

 

 

「戦場ですくむは、すなわち死ぬということだ。海の底では、お前一人の死では済まぬ。その時、累が及ぶは朋輩(ほうばい)だ。覚悟と体は、別の生き物よ。覚悟ばかり殊勝な若人が亡骸となるのを、わしは飽きるほど見てきた」

 

 

 正論だ。ぐうの音も出ねぇくらいの。老獪(ろうかい)な正論で、たぶん、師匠の本音はその裏に隠してある。

 

 

 失いたくねーんだ、この爺さんは。どれほど長く生きたって、大切なモノを失うのにだけは慣れてねぇんだ。

 

 

「お言葉なんすけど、将ぐ——」

 

「黙っておれ! 流れ者風情が、何を請け合う」

 

 

 ばっさりだった。

 

 

太卜(たいぼく)の見立てなら、軍議で聞いた。盤面を動かす変数——結構なことよ。だがな、()が告げるのは盤の行く末であって、貴様の(はら)ではない。腕も知らん。素性も知らん。わかっておるのは、鏡流殿の弟子で、卦に出た男」

 

 

 刃の並ぶ長持に、将軍は目を落とした。

 

 

「わしは——こやつの命をも、()の上には乗せん」

 

 

 

 至極ごもっとも。

 

 将軍サマからすりゃ、俺はどこの馬の骨とも知れねぇ野郎だ。実績ナシ、素性ナシ、保証人は食いしんぼな剣の師匠と、当たるも八卦の占い盤がひとつ。

 

 なんだそれ。俺が面接官でも落とすわな。

 

 

 

 沈黙が、落ちる。

 

 

 応星が泣きそうな顔で俺を見ようとして、耐えた。

 

 だが、うつむくことは我慢できなかった。

 

 

 鏡流先生は——何も言わない。腕を組んだまま、目だけ細めている。助け舟は、出さねぇってか。ですよねー、それでこそ鏡流先生。

 

 

 

 

 

 

 

 ったく。

 

 

 これだから年下は。

 

 

 

 

 

 

 

 ——舌打ちをひとつ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うっせぇジジイだなぁ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 応星が、ひゅっと喉を鳴らした。

 

 

 

 

 

 

「ちっとは、てめーの大事な弟子を信じろよ。あんたが仕込んだ腕だろうが。それでも頼りねぇってんなら、」

 

 

 

 

 

 息も、ひとつ。

 

 

 

 

 そして、弟の、

 

 その小さな頭を鷲掴みにして、正面を向かせる。

 

 

 

 

 

 

「——俺が、その分を埋めてやる」

 

 

 

 

 

 灯籠の火が、ぱちりと爆ぜた。

 

 

 

「俺がこいつを守る。万が一ありゃ——腹でも首でも、切ってやるよ。好きにしろ」

 

 

 

 空いてる手の親指で首を切ってみせ、い”ーっと歯を剥いてやる。

 

 

 

「……貴様」

 

 

 

「彼岸の果てまで、

 ()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「兄、さ、ん……」

 

 

 

 いやー、しっかし、このジジイビリビリくるわ。さっすが将軍。小柄だが、その圧倒的な存在感は(いわお)みてぇだ。

 

 

「吹いたな、小童(こわっぱ)が! 命を、軽々しく秤に乗せるでないわ!」

 

「るせぇクソジジイ。軽くねーから、乗せてんだよ」

 

 

 目は、逸らさなかった。逸らしたら、終わる気がした。

 

 

 一触即発の空気だが、——ま、それはそれとして。

 

 

 

「ただま、将軍。一個だけ言っとくと、俺ぁ、こう見えてしぶといんで。切るより焼くのがオススメかもよ?」

 

 

 それはもう立派な眉が、ぴくりと動いた。

 

 

 冗談に聞こえるだろう。だけど、ルアン姉ちゃん印のこの担保は、見た目より安かねーぞ——なんつったって肉壁にはうってつけの代物だかんな。

 

 

 

 懐炎将軍は、長いこと俺を見上げていた。

 

 

 

 値踏みなんて生易しいもんじゃない。刃を灯りに透かす、あの目だった。曇りがないか。刃こぼれがないか。

 

 

 明日、弟子の命を預けていい道具かどうか。

 

 

 やがて、将軍の目が、俺の後ろへ動いた。

 

 

「……鏡流殿。おぬしの弟子であろう。この(たわ)けの言、信ずるに足るか」

 

 

 先生は、すぐには答えなかった。

 

 

 答えの代わりに、こつ、こつ、と歩いてきて——俺の隣を、素通りして——白刃の並ぶ長持の前で、足を止めた。

 

 

「口の悪さは、死んでも直らぬと思います」

 

 

 さっすが、先生、俺のことよくわかってら。

 

 

「礼儀も知らぬ。素性も知れぬ。酒は強いが頭は弱い」

 

 

 最後のは関係なくない? 最近みんな俺のことディスりすぎじゃない?

 

 

「——ですが、この馬鹿弟子。我の前で吐いた言葉を呑んだことは、(しゃく)なことにただの一度もなし」

 

 

 先生は刃を一振り取り上げて、灯りに透かした。

 

 

「懐炎殿。刃の素性を、貴殿は問うか。問うまい。見るのは、ただ曇りの有無——ではありませぬか?」

 

 

 それを終止符とばかりに。

 

 白髯の間を縫うように、息が吐き出される。

 

 

 長い、長い息だった。山の噴火じゃなく、山を抜けてく夜風みたいな。

 

 

 それと一緒に、将軍の肩から、何かがひとつ降りた気がした。

 

 

「……応星」

 

「は、はいっ」

 

「夜明けと共に、ここへ来るのだ。貴様の身丈に合う胴鎧を、わしが選ぶ。——工造司の打った得物に、不出来な装具を合わせては、得物が泣くでな」

 

 

 応星のツラが、ぐしゃっとなった。泣くな。いや、泣け泣け。今は泣いとけ。

 

 

「それから——是印」

 

「うーす」

 

「戦の間、こやつの傍を一歩たりとも離れるな。離れたそのときは」

 

「わーってる。腹か首、でしょ」

 

「——両方じゃ。加えて、火皇でもって灰にしてくれるわ」

 

 

 うへぇ。よくばりセットかよ。がめついジジイなこった。

 

 でも、

 

 悪くない重さだった。約定ってのは、これくらい重いほうが、忘れなくていいんじゃねーの。

 

 

 

 さてと、——話は終わりだ。

 

 

 

 とっとと準備して寝ようぜと応星の頭をくしゃくしゃにしていると、

 

 立ち去ろうとする先生とすれ違った。

 

 

「まったく、世話の焼ける——馬鹿弟子が」

 

 

 灯籠の逆光で、その口元は、よく見えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 倉を出たとたん、応星がへにゃへにゃと崩れた。

 

「い……生きた心地が、しませんでした……」

 

「奇遇だなー俺もだわー寿命縮んだわー」

 

 夜気が、汗をかいた首筋に冷てぇ。

 

 港の喧騒が、壁一枚向こうから戻ってくる。さっきまで命のやり取りみてーな空気の中にいたせいか、荷役の怒鳴り声がやけに平和に聞こえた。

 

 

 応星はしばらく、膝に手をついたまま動かなかった。

 

 

 

「——兄さん」

 

 顔を上げた。

 

 

 あふれんばかりに、輝きが目の縁に溜まっていた。

 

 

「うれしかったです。先生にあんなふうに……僕のために、あそこまで言ってくれる人なんて、いままで……。それに、ひとりにしないって……言って、くれて——」

 

 

 よっぽどツラかったんだろう……、ひとりぼっちはキツいもんな。

 

 

 でもなんかもじもじして、抱きつきたそうにしてんのはやめろ。そういうのいいから。

 

 

「あー、わーった、わーった」

 

 ちっこい頭を、わしわし掻き混ぜてやる。

 

「礼なら仇討ちが済んでから、まとめて聞いてやるよ」

 

「……っ、はい。……はいっ」

 

 鼻をすすって、応星は袖でごしごしと顔を拭いた。拭き終わったツラは、もう泣いてなかった。

 

 代わりに、まっすぐこっちを見て——

 

 

「なら、僕も。……僕も、兄さんを、ひとりにしませんから」

 

 

 ……ほぉ?

 

 なんつー顔で、なんつーこと言うんだよ、お前は。

 

 

「はっ、そりゃ心づえーな」

 

 夜の港で、ちっこい弟分と、しょーもねぇ約束をひとつ交わすことになるとは。

 

 それはそうと、夜明けに装具合わせ。懐炎将軍のお墨付き。これで堂々と、表玄関から戦場へ行ける。

 

 

 ——が。

 

 

「さーてと、残る問題は……足か」

 

 

 配置は軍議で決まってる。潜入の星槎に乗るのは、白珠と、景元と、俺。応星の席は、まだない。

 

 

 んで、俺はついさっき、戦の間こいつの傍を一歩も離れねぇと、爺さんに首ごと預けたばっかりだ。つまり応星の席は、星槎ん中に作るしかねぇ。

 

 ……っつーことは、だ。

 

 頼む相手なんて、最初っから一人しかいねーんだよな。まぁ……明日の朝イチでいっか。頼みに——

 

 

 

「足は、ありませんが——」

 

 

 

 その声は、頭の上から降ってきた。

 

 

 

 積み上がった木箱のてっぺん。月を背負って、白いのがひとつ、ふわりと立ち上がった。尻尾が灯りを弾いて、ぼわっと膨らむ。

 

 

 

「——翼なら、ありますよ。是印さんっ!」

 

 

 

 とん、と桟橋に降り立ったのは、——案の定の狐だった。

 

 

 

「——白珠さん!?」

 

「やっぱお前か、さっきの、気配は」

 

「はひっ!? 是印さんがもう気配だけで白珠を認識できるほどまでに!?」

 

 嬉しいですーっと、あのー感動に打ち震えてるとこ悪いんだけど、

 

 

「つーか、いつからいた」

 

「……さ、最初から、です」

 

 

 耳が、ぺしょりと倒れた。

 

 

「桟橋で、応星を捜してて。そしたら是印さんが先に見つけて、その、声をかけそびれて、それで……ぜ、ぜんぶ、聞いちゃいました。倉の外で、ずっと。——盗み聞きして、ごめんなさいっ」

 

 深々と、頭まで下げやがった。律儀なこって。

 

 

 応星のツラが、みるみる赤くなる。そりゃそうだ。大好きなお姉さんに村のことも、灰の穴のことも、洗いざらいぶちまけたのを、ぜんぶ聞かれてたんだから。口をぱくぱくさせて、何か言おうとして——、

 

 

 その前に、白珠が応星の両手を、きゅっと包んだ。

 

 

「安心してください。応星は、白珠の星槎に乗せます」

 

「……え」

 

「曜青の飛行士が、責任をもって、海の底まで送り届けます。無論、帰りも、です」

 

 

 すっ、と。

 

 目つきが、変わった。乙女回路から切り替わったように、軍議の席で見た、あの飛行士の顔になる。

 

 

「乗せた人は、ひとり残らず連れて帰る。——それが、あたしの仕事なので」

 

 

 ……へぇ。

 

 翼、ね。なるほど、こりゃ確かに、足の上位互換だわ。

 

 

「ってわけで是印さんっ、白珠に、おまかせくださいっ!」

 

 戻っちゃった。回路。切り替え早いな尻尾。

 新番組「ハクジュにおまかせ!」始まるよー。

 

 

「おーおー、頼りにしてるわ」

 

「——っ!! はいっ!」

 

 尻尾がぶわっと膨らんで、それからくるんと一回転した。情緒どうなってんだ、その尻尾。

 

「あっ、——それと! 是印さんっ」

 

 と思ったら、今度はずいっと詰め寄ってきた。耳が立ってる。お、なんだ、怒りモードか。

 

「あんまり簡単に、言わないでくださいっ」

 

「何をだよ?」

 

「腹とか首とか切るって」

 

 白珠は、唇をわななかせ、

 

 

 

「簡単に死んではダメです、生きてさえいればなんとかなるはずだから」

 

 

 

 ……そのことか。

 

 

 

「……聞いてたんだもんな、そりゃ」

 

「是印さんは——」

 

 言葉が、そこで一回つっかえた。

 

「……是印さんは、聞いてるほうの身にも、なってください」

 

 最後のほうは、尻すぼみだった。思うところあったのか、どっかの応星キュンみたく目尻に光るものがある。

 

 

 おいおい……泣き虫勢揃いとか勘弁してくれよ……、

 

 

「あー……悪かったよ」

 

「はいっ、許しますっ!」

 

 いやそんな簡単に許しちゃっていいんかーい。って俺が言うのもおかしな話なんだけど。2コマで泣き止むのズルくない?

 

 ほんと、表情コロコロ変わるんだよな、こいつ。見てて飽きんというか。退屈しないというか……ん? あれ? つか、俺、何を考えてんだ。こわ……。

 

「あっ——それと、応星も! です!」

 

 

 矛先が、くるっと回った。

 

 

「武具箱に潜り込もうなんて、めっ! ですからね。星槎にはちゃんと席を作ります。特等席です。……荷物扱いで運ばれていい人なんて、ひとりも、いないんですから」

 

「……はい。ごめんなさい」

 

 しゅんとする密航未遂犯。けど、その口元はちょっと緩んでた。そりゃそうだ。荷物じゃなく客として乗ってけって言われたんだもんな。

 

 

 それから白珠は、ぴっと人差し指を立てて、

 

「応星、夜明けに装具合わせなんですよね? なら、もう寝ないとですっ。寝不足は操舵の敵、戦の敵ですっ!」

 

「は、はいっ。……兄さん、その、今日は——」

 

「だから何度も言わなくていっつの。続きは明日な」

 

 深々と頭を下げて、応星は宿舎のほうへ駆けてった。途中で一回振り返って、もっかい下げて、また駆けてく。どんだけ律儀なんだあいつは。

 

 

「白珠も、星槎の整備に戻りますねっ。席、増やしておかないとなのでっ」

「おう、ありがとな。頼むわ」

「はいっ! ——あ、あの、是印さんっ」

「あん?」

 

 

 白珠は口を開けて、閉じて、尻尾を一往復させて、

 

 

「…………や、やっぱり、なんでもないですっ! おやすみなさいっ! 良い夢を! できれば白珠の夢を見てくださいね〜!」

 

 

 余計な一言も二言も残して、宵闇に消えていった。

 

 

 なんだったんだ、いまの。

 

 

 ……ま、いっか。

 

 

 いよいよ桟橋に、俺ひとりが残された。

 

 積み込みの灯りは、まだ消えない。

 

 上等な夜だ。

 

 上等すぎて、ちょっとだけ嫌な予感がするくらいに。

 

 

『——被験者ゼイン』

 

 

 ほーら、きやがった。

 

 

『総括:被験者ゼイン——あなたは本日、無断で身体を担保に設定しました』

「はい、出た。お小言」

『理解不能:本機の管理する観測対象です。腹と首の処分権を、第三者に勝手に譲渡しないでください』

「うっせーな、しょうがねーだろあの流れは。……つーか、お前で三回目だぞ、それ怒んの」

 

 

 ジジイに怒鳴られ、狐に怒られ、機械になじられ。なんなの今夜。俺の腹と首、人気者すぎん?

 

 

『警告:あなたは自身の耐久性を過信する傾向があります。A.R.P.は万能ではありません』

「わーってるって」

 

 わかってる。わかってるけど、まあ——保険なら、もう一個あるしな。

 

 

「なあ、グノモン。収束圧の件。手立てが、あるんだったよな」

 

 

 懐ん中で、一拍、間があった。

 

 

『——肯定します』

 

「ずいぶん歯切れわりーじゃん」

 

『手立ては、あります。ですが——』

 

「ですが?」

『——条件と、順序の問題です。時が来れば、説明します』

 

 また、言わないことを決める間だった。

 

 どういうことだ、時がくれば? んじゃまだその時じゃないと?

 

 聞いてもやっぱ教えてくんねーんだろうな。

 

「……はぁわーったよ、あ”ー、なんか今日はどっと疲れたな。とっとと寝る——」

『警告:接近を——』

 

 

 台詞の途中で、声が、ぶつりと切れた。

 

 ……おい? どうした、グノモン選手? 充電切れたのか?

 

 時計は答えない。完全な沈黙。こいつがこういう黙り方をするのは、よっぽどの——

 

 

 うなじが、ちりっとした。

 

 

 振り向いて、心臓が一個飛んだ。

 

 

 桟橋の上、三歩ぶんも離れてねぇところに、白髪のちっこいのが立っていた。

 

 

 

 ——爻光(こうこう)

 

 

 

 足音も、気配も、何もなかった。積み込みの灯りが届くか届かないかの境目で、袖の長い装束が夜風にゆれてる。月が、白い髪のふちだけを光らせてた。

 

「…………いつから、いた」

 

 今夜二回目の台詞だった。一回目は笑えた。二回目は、まったく笑えねぇ。

 

 

「……さっき、から?」

 

 さっきって、どっからだよ。

 

 頭ん中で、大慌てで巻き戻す。

 

 つか俺、何を口に出してた? 収束圧。手立て。総括。担保の処分権。——どれひとつ取っても、聞かれていい単語がねぇ。しかも傍から見りゃ、懐に向かって喋るやベー奴だぞ、俺。

 

 

「……あー、その。俺、なんか言ってたか? 独り言、とか」

 

 

 探りの声が、我ながら裏返ってた。

 

 爻光は、こてん、と首を傾けて、

 

「言ってた。……ぶつぶつ」

「な、なんて?」

「……さあ。風が、うるさかったから」

 

 

 ……アウトか? セーフか? よよいのよ——じゃねーわ、判定が出ねぇ。

 

 嘘なのか本当なのか、その無表情なツラからは何ひとつ読み取れねぇ。読めねぇのはお互い様って、ことかよ。

 

「てか、どした、迷子か? な、んでこんな夜中に、こんなとこに」

 

「違う。潮を、視に来たの」

 

 何言ってんだ?

 

「潮ぉ? ……ここ、海ねーぞ」

 

「空にも、潮はあるわ。星の、満ち干き」

 

 爻光は、夜空を指した。袖が、長すぎて余ってる。

 

「タラサの空には、悪い月がいるの。悪魔の潮を起こす月。——お師匠様の腕を、持っていった月。あれの機嫌は、夜にしか視えないから」

 

 さらっと、寒いことを言うなよな。

 

「あっそ……んじゃ、その月の機嫌は」

 

「悪い。とびきり」

 

 おい。

 

「それ、どーにかなんねーの」

 

「ならないわ」

 

 即答だった。まばたきひとつなく。

 

「潮は来る。視えたものは、視えたとおりに起きる。——運命は、決まっているもの。わたしたちは、決まっているものを、先に読むだけ」

 

 すらすらと言う。教本でも読み上げるみたいに。たぶんこの幼女にとっちゃ、雨が上から下へ降るのと同じくらい当たり前のもんなんだろう。

 

 

 ……あー。

 

 

「やだやだ。そーゆーの、俺、一番嫌いなんだわ」

 

「……?」

 

「決まってるから、読むだけ?  ——可能性、ハナっから捨ててんじゃねーかよ」

 

 爻光の首が今度は逆側に、こてん、と傾いた。

 

「先が視えんなら、なおさらおいしーだろが。変えるための時間が、たんまり手に入るんだから。占いってのはよ、答え合わせのためにあるんじゃねぇの。カンペなんだよ——それも、書き換えていいほうのな」

 

 言ってて、我ながら思う。

 

 観測者失格のセリフだわ、こりゃ。懐ん中で、時計が無言のまま冷や汗かいてる気配がする。また次回もお説教コースかもしんね。

 

 

 爻光は、しばらく黙っていた。

 

「……変える?」

 

「おう」

 

「視えたものを? なぜ? 決まって、いるのに?」

 

 言葉が、噛み合ってない。翻訳のきかない異国語を聞いた、みたいな顔だった。

 

 決まってるから視える、視えるから決まってる——こいつの世界は、たぶんその輪っかで綺麗に閉じてる。輪の外の言葉は、まだ届かねぇのかもしれない。

 

 それでも爻光は、口の中で小さく転がして、

 

「……かのう、せい」

「そ。可能性」

「…………変なひと」

「よく言われるけど、通報すんなよ」

 

 会話はそこで一回切れて、爻光はまた、しばらく俺を視ていた。

 

 爻光は、まばたきもあんまりしねぇで、やがて——ぽつりと言った。

 

「……あなた、糸が細い」

「……は?」

「あなたと、どこか遠くを繋いでる、細い細い糸。視えそうで、視えない。ぼやけてる。——それ、切れたら、あなたどうなるの?」

 

 

 背筋を、冷たい指でなぞられた気がした。

 

 糸。

 

 それはひょっとして、収束圧が上がりきれば断たれる、俺と未来をつなぐもの——いや、待て、気取られんのはまずい。

 

 

「……さーね。切れたことねーから、わかんねーわ」

「そう。……わたしも、わからない。わからないものが、ふたつもある」

「ふたつ?」

「糸の先と——」

 

 爻光の目が、すっ、と下りた。

 

 俺の、懐へ。

 

「——あなた、()()()なのね」

 

 

 心臓が、口から出そうだった。

 

 

「……な、なんのことだか」

「……そう」

 

 

 追及はなかった。

 

 ただ、視線だけが懐から離れて、また俺のツラへ戻る。確信があるのか、ないのか、表情マジで読めねぇ。読めねぇのはお互い様とかそんなんいらねーよ。笑えばいいと思うよ。

 

 

 ふっと、目が元の位置に戻る。そして、

 

 

「——冗談」

 

 ちっとも面白くないトーンで告げた。

 

「…………いまの、また怒られる言い方だった?」

「……怒るっつーか、寿命が縮んだっつうの」

「そう。……難しい」

 

 

 ちょっとだけ、眉が下がった。初めて、年相応の顔をした。

 

 それから爻光は、自分の胸のあたりを、袖ごとぎゅっと押さえて、

 

 

「ねえ。ひとつ、訊いていい」

「ダメだ。良い子は帰って寝る時間だ。(けえ)(けえ)れ」

 

 

 しっしと手で払おうとして、向こうが口を開くのが先だった。

 

 

「あなたを視てると、このあたりが、へんになるの」

 

 

 

「は?」

 

 

 唐突過ぎて、音量がバグった。

 

 

「脈が乱れて、落ちつかなくて、目が離せない。卦を立てても、何も出ない。こんなの、はじめて。——これ、なんの病かしら」

 

 

 

 えーっとぉ……大真面目な顔で、患者から診察依頼が来たんですけども。

 

 

 

 ……ポクポクポクポク、チーンと例の効果音が脳内で鳴る。

 

 

 

 ——夜にロリと二人きりで今の台詞を吐かれている住所不定・自称飯係のボク是印。お医者さんごっこの容疑で牢屋行き。

 

 

 クソヤバすぎる。ヒッ、通報されるこれ。事案過ぎるッピ!

 

 

 俺は白目を剥きそうになりながら、本気なのか正気なのかわからん爻光に対し言葉を絞り出す。

 

「いや、知らんけど……悪い病気の可能性もあっから、竟天将軍に言って、薬でももらえば、いいんじゃねーの?」

 

 ——言って気づく。待て待て待てアホすぎるだろ俺。なにマジレスしてんだ。将軍にチクられたらいよいよ終了のお知らせじゃねーか!

 

 

 だが、爻光は、

 

 

「お師匠様には」

 

 

 即答だった。

 

 

「……言わない」

 

 

 あっぶねぇ……人生の瀬戸際だった。そして、神様ありがとうと自分を抱きしめている俺を一瞥(いちべつ)すると、

 

 

「…………なんとなく」

 

 

 ぷい、とそっぽを向きやがった。なんなんだよ。玉殿の連中はほんと、揃いも揃ってわけわかんねぇ。

 

「……視えないのって、こんな感じなのね。おもしろい。なんだか、ふわふわする」

 

「知らんがな」

 

 

 もうやだ。是印おうち帰る!!

 

 

「だーーーーもう!! いいからとっとと帰って寝ろ! いいか子供ってのはな、寝ねーと、大きくなれねーんだよ!」

 

 

 俺の張り上げた声も一顧だにせず——ゆっくりと歩き出した。

 

 

 すれ違いざま、足は止めずに、

 

 

「海の底から、ちゃんと戻って、ね」

 

 

 目元は一切笑わずに、自分の両手の人差し指で唇の端だけほんのちょっとだけ上げて、

 

 

 

「まだ、視終わってないから——お兄ちゃん

 

 

 

 

 不器用すぎる笑顔を作って、それだけ言い残すと、白いちっこい背中は灯りの境目の向こうに溶けて——消えた。

 

 

 

 足音は、最後まで聞こえなかった。

 

 

 

 さすがにしゃがみこむ。なにお兄ちゃんって意味不明なんだけどぉ……電波過ぎ……つれぇ……つれぇよぉ……。

 

 

 

 

『…………被験者ゼイン』

 

「説教はやめろ……いまHPほぼゼロだから……」

 

 

 では問題ないとばかりに、

 

 

 

 

 

 

『質問:あなたは妹属性と幼女趣味でもあったのですか?』

 

 

 

 

 ねぇほんとブン投げていい? コイツ。

 

 

 

 

 

 

 

 







執筆時BGM:『火種』キタニタツヤ







ちょっと男子~なんか教室が焦げくさいんだけど~
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