ルキンフォー・エム   作:來馬らんぶ

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#69 "ショットガンみたいな恋をした"

 

 

 

 

 

 日が差し込み、照り返す海面がまぶしい。

 

 たまらず視線を上げれば、彼方で黒煙を上げる雲騎軍の船があり、上げずに見渡せば、俺とヘルタ様による初めての共同作業プラス応星で、綺麗にお掃除したった器獣の破片の数々に……背中しか見えないまま、微動だにしない雲騎兵や歩離人だったはずの何かが漂っている。

 

 

 波のうねりに持ち上げられて、落とされて、また持ち上げられて。

 

 

 その度に、腕ん中の応星がずるずる沈みかけるので、俺は抱え直す。

 

「すみま、せん……力が、もう……」

 

「おいしっかりしろ。そこは、顔が濡れて力が出ません〜って言うとこだろが」

 

 

 ——ほんと、無茶しやがったな。お互い。

 

 

 だがまぁ、……一応、今回の戦としては終わったと判断していいみたいだった。いやいいよね、これ、終わったって判断していいよね。もう高難度あるあるの延々続く敵のおかわりはいらねーぞ。

 

 

 頭上で、風防の開く音。

 

 

「——お二人ともっ、今、これ投げますから、動かないでくださいっ……!」

 

 

 身を乗り出した白珠の顔は、……ぐしゃぐしゃだった。

 

 もはや泣いてんのか笑ってんのか本人にも分かってねーだろってツラで、それでも投げて寄越す(さく)だけは、寸分違わず俺の眼前に落ちてきた。

 

 すご、狙った獲物は外さない的な。……あれなんか鳥肌立ったんだけど……やだ……風邪かな……。

 

 さておき、索を頼りにしつつ、まずは応星を先に翼の付け根へ押し上げる。それから俺もよじ登り、ゴンと頭をぶつけながら仰向けに転がった。

 

 星槎の装甲は冷たくて、硬い。改めて飛行中にぶら下がるもんじゃねーわ。ホント。

 

 操縦席から翼に移ってきた白珠に俺は、

 

「はひぇ……白珠ー」

 

「はいっ、あなたの白珠ですっ」

 

 

 そこは、華麗にスルーして、言ってやった。

 

 

 

「お前の方もなんとかなったし——こっちも、生きて、なんとかしてやったぜ。これで文句は、ねぇだろ?」

 

 

 

 自分の過去の発言を思い出したのか、白珠の顔が一気に朱に染まり、同時に涙ぐんだ声で、

 

「そ、それはそうですけどぉ……なんとかじゃ、ありませんっ……二人とも、ボッロボロですっ……! 是印さんなんか、血だらけで、左腕だけ半袖ですしっ! 抱きつきたいけど、心配が勝ちますぅ〜〜〜っ」

 

 やめろ、改めて指摘すな。ちょっと恥ずかしくなっちゃうでしょ。今年のトレンドってことにならないすかそうですか。アシメスリーブみたいな感じで……時代の最先端としてこう……。

 

「犬に噛まれたんだよマジで。持ってかれたわ〜ってうぉ!?

 

 突如、波を撫でるみたいに鸞影(らんえい)がゆっくり滑り出す。

 

 海のうねりがそっくり、本隊の方へ流れていた。なにこの斬新な流れるプール、って、誰の仕業かなんて、考えるまでもねぇか。ほんとしょーがねぇなーもー、角磨(つのみが)くときはワックスもかけてやろう。

 

 と、白珠の手元で腕珂(わんか)が鳴った。

 

 機体のどこかがカチリと切り替わって、潮騒(しおさい)の上に、聞き覚えのある声が乗る。

 

 

『——全軍、聞こえているかな。騰驍(とうぎょう)だ』

 

 

 将軍様の声だった。

 

『敵将・呼雷(フーレイ)は、追い込んだものの取り逃がした。悔しいねぇ。おじさん今夜は枕を濡らすかもしれない。——けれど』

 

 声が、一段締まる。

 

『群れは海を捨て、星の外へ尻尾を巻いた。(とら)われていたタラサの民たちは、取り戻した。海の底の炉は、もう二度と動かない。故に——諸君』

 

 

 ひと呼吸。

 

 

 

『我々の、勝利だ』

 

 

 

 波の向こうで、音が生まれた。

 

 最初はひとつ。それから、数えきれなくなった。太鼓。銅鑼(どら)。人の声。遠い艦隊の上で弾けた勝鬨(かちどき)が、海面を渡って、ここまで届く。

 

『この勝利は諸君らの粉骨砕身によるものだ。羅浮だけでなく此度の戦に参加してくれた曜青、玉殿、朱明、すべての兵に、代表して深く感謝する。——とまぁ、(ねぎら)いの言葉はこれくらいにして、諸君等も目にしただろうが、溢れかえった器獣たちの掃討に対する、第一のお手柄は』

 

 えちょ、しんみり聞いてたのに、この流れまずくない? いやっ、らめぇ! 乱暴しないで! このままだと表彰状を贈られちゃう!

 

 

 

『あの威光を見せてくださった、神君のご加護だ。みんな、しっかり感謝するように』

 

 

 

 ……ヒョ?

 

 ヒョ?

 

 ヒョヒョヒョ?

 

 

 息が、腹の底から抜けた。

 

 

 本隊の方からここまで歓声が響いてくる。

 

 

 神君の、お手柄。そういうことになった? いや、むしろそういう形にした……のか?

 

 あの空一面のド派手な落書きは、桁違いにでけぇ雷の筆で、上から綺麗さっぱり塗り潰された。歴史サマのガン見は、まばゆい神様の方へと逸れてった……ってコト!?

 

「YEAHHHHH!!!」

「ぜ、是印さん……? 白珠、その、さっきの銃の一撃について聞き」

「し・ん・くん!!!

 し・ん・くん!!!

 し・ん・くん!!!」

 

 

 拳を突き上げ、バカデカコールして便乗しておく。空気、こういう空気が大事。なんか白珠が言いかけてたけど知らなーい。

 

 神君様、マジ神、いわゆるひとつのゴッド。神っつーか、てか威霊(いれい)? ま、どっちでもいいや、今度からふーたんとセットで毎朝拝んじゃう。

 

 いやーもう、俺ってば、ほんとラッキーマン。チュリ男とカジノ出禁になっちゃうかも。(はかど)るゥ〜。と、そこに、

 

 

 視線。

 

 

 ——応星だった。何か言いたそうに口を半開きにして、こちらを見つめていたので、

 

 俺は片眉を上げて、唇の前に人差し指を立てて、声を出さずに唇を動かす。

 

 

 ——そういうことにしといてくれ。

 

 

 応星は何か言いかけて——結局、飲み込んで、こくりと頷いた。

 

 

「う”ぃ〜……しんどいわ毎度……」

 

 

 俺はもう一度、翼の上で大の字になった。

 

 空はどこまでも高くて、もう、影ひとつない。そこに、

 

 

 

「——ここ、は?」

 

 

 

 勝鬨や太鼓の音で、目を覚ましたらしい凝梨(ぎょうり)が後部席から身を起こし、何が何やらわかっていない様子で——それでも、暗い海の底ではなく、見上げた空は、とにかく綺麗で、

 

 

 わんわん泣き始めてしまう。

 

 

 泡を食ってなぐさめようとしている応星と白珠に、苦笑しつつ、俺は、

 

 

「終わった……帰るべ」 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「是印、蒸し上がったら次、粥! 火ぃ落とすんじゃないよ! 終わったら皿回収して、洗って、拭いて、明日の芋も剥いといて!」

「はいよろこんでーッ!!」

 

 炊事場のおばちゃんの声は、戦場の号令より通る。逆らうという選択肢は、この世にないんだなぁ〜、これが。

 

 ええ、そうです。タラサから帰還した俺氏ですが、なんとびっくりしっかり働かされまくっておりましたとさ。

 

 というかさ、思うんだけど、俺、行く先行く先でコキ使われすぎじゃない? "酷使"とか"労働"の運命の行人説出てきてるよねこれ。ヒモからの振れ幅デカすぎるんよ、もうちょいこう適度な感じ、マインスイーパーかソリティアやって一日が終わる感じの仕事レベルにしてほしいのよ。

 

「ふぅわはがァ……」

 

 つーか寝みーよ。そりゃあくびも漏れるって。

 

 夜明け前から(かまど)に火種を移して、火吹き竹でほっぺたパンパンにすんのも俺。

 天秤棒(てんびんぼう)で水を担いで(かめ)を満たして、山ほどの米を研いで、樽みてぇな大釜を櫂サイズのヘラでかき回すのも俺。

 昼、蒸籠(せいろ)を塔みてぇに積み上げて、医士サマのお達しどおり硬さを変えた粥を、タラサから連れ帰った人質たちの椀に盛るのも俺。

 夕方、山と積まれた汚ねぇ椀だの皿だのを洗って拭いて片すのも、夜、明日の芋を延々剥いて包丁を研ぎ直す仕込みも、ぜーんぶ俺。

 

 寝床に入る頃には日付が変わってて、変わった日付の夜明け前には、もう竈の前。誰だよ、英雄は戦のあと休めるっつった奴、出てこ……まぁ英雄じゃないんですけどぉ……。

 

 鍋の火加減を見る合間に、目を閉じて休んでいると、

 

「兄貴、また呼ばれてるよ」

「まーたかよぉ……しちめんどくせーな」

 

 景元経由で、軍功方(ぐんこうがた)からお呼びがかかる。いわゆる、今回の潜入班の戦功に対する聞き取り、というやつだ。

 

 

 

「——では、応星が骸炉の破壊をした際、あなたは何を」

 

「すいません、ビビってウンチ漏らしてました。なので功績は全部、応星と景元と、白珠のもんです」

 

「……あの、海上での戦闘については」

「すいません、ウンチ漏らして、以降記憶にございません。なので功績は全部、応星と景元と、白珠のもんです」

 

「…………当時、あなたの左腕の袖が」

「すいませんウンチ漏らしたので……拭くために」

「あっ……」

 

 俺の答えもうコピペ返答にしてほしいんだけど。どうせ同じ事しか繰り返す気ねーし。俺なんもしてねーし。別にこの時代の戦功とかいらねーしぃ。

 

 

「……あの、是印殿。仮にも軍功方が上へ挙げる書き付けでして。その、ウ……そちらの単語は、記載しかねると申しますか」

「残念ながら……事実です。俺は漏らした。いい歳こいて漏らした。タラサは水の星であるが、これは水に流せぬ事態で、気を引き締める前に彼は肛門を引き締めるべきであったと、歴史に正しく残してください」

「残せるかァッ!!」

 

 叫んでから担当官はハッとして、

 

「うっ……で、では『体調の急変により、戦闘への寄与は軽微』と」

「甘い甘い。軽微じゃなくてゼロ、むしろマイナスですよこれは。雲騎軍(うんきぐん)最終兵器(さいしゅうへいき)のはずがフタを開けてみれば、ウンコくんの最臭兵器(さいしゅうへいき)でした。すんませんでした」

「書けるかァッ!!!」

 

 

 筆の先が、ぷるぷる震えてた。

 

 

「そ、そもそもですな……! 同様の聞き取りは、応星殿、景元殿、白珠殿にも行っておるのです。お三方の証言と、あなたの申告——まるで、食い違っておりまして」

「お聞かせください」

「応星殿は『兄さ、是印さんがいなければ、僕は五回は死んでいました』。景元殿は『作戦への寄与、極めて重大。詳細は別紙のとおり』……別紙、七枚。白珠殿に至っては『是印さんのすごかったところを、時系列で全部お話ししますねっ』から始まり、聞き取りが刻限を超過しました」

「あーなるほど。——全部嘘ですね」

「は?」

「はい。その三人、あの激戦の直後で、極度の疲労と興奮状態にあったわけっすよね」

「ま、まぁ……」

「見間違い、聞き間違い、記憶の混濁、なんぼでもありますよ。対してこっちは、自分自身の話をしてる。自白に勝る証拠はない。宇宙で一番俺に詳しい俺が、俺は漏らしてただけだっつってんです。——どう考えても、本人の申告が優先でしょう! 俺の腹の弱さをなめないでいただきたいッ! いいんだな!? 今……! ここで!」

「やめろォ——ッ!!!」

 

 頭を抱えて絶叫していた軍功方の担当官は、これ以上は時間の無駄かと嘆息して、俺の発言を採用してくれたらしい。戦士として最後まで責任を果たすまでもなかったわ。

 

 

 

 どうにかこうにか、放免されて炊事場に戻ると、ちょうど昼の列が伸びる時分だった。

 

 同僚のおばちゃんにドヤされる前に、俺は厨衣(ちゅうい)をひっかぶって、厨房という戦列に加わる。

 

 炊き出しの列も、今日も今日とて元気で、

 

 

「なぁ、おい。あの晩の空、見たか」

「見たも何も。天が真っ白よ。夜がまるごと消えたかと思ったわ」

「神君様の御業(みわざ)ってなァ、ああいうのを言うんだろうなぁ……」

 

 

 はいはい、おかわりもあるよー。お残しは許しまへんでーと叫びながら、そんな会話が漏れ聞こえてきていた。

 

 ちなみにこの話、三日前は「空が光った」だった。昨日は「天が割れた」になって、今日はとうとう夜が消えてるわ。尾鰭(おひれ)がつく速度やばすぎる。来月あたり創世神話になってんじゃねーかな。楽しみだわ。

 

 そんなあっという間に過ぎ去っていく日々のかたわらで、白珠は——いつも通りだった。

 

 相も変わらず暇を見つけては曜青からわざわざ羅浮までやってきて、是印さんっ是印さんっと尻尾フリフリしながら突撃してくる。もはやそれを軽くいなすことに慣れつつある自分が若干恐いんだが……まぁ考えるのはやめておこう。

 

 二人きりになる機会があるたびに、ノイちゃんの件でなんか聞かれるかも、と身構えていたが——何も、聞かれなかった。

 

 

 

 

 

 嵐のような昼時を乗り切り、ちょこっと休憩がてら仮眠を取ってから、再び厨房に立っていれば、すーぐ夕方だ。

 

 この時間、俺には新たな日課ができていた。

 

 それが……鍋を()げて、回生院(かいせいいん)(もう)でである。

 

 炊事場を出ると、洞天の空はもう茜色に暮れかけてる。人工の空のくせに、夕焼けだけは毎日律儀に色を変えるんだから、作った誰かさんの仕事は芸が細かいわ。

 

 ところで、

 

 この道すがら——本来なら懐から、バイブレーションか俺へのディスを交えたマシンジョークのひとつや二つが入るところなんだが、

 

 それが、ここ数日、うんともすんとも言わない。

 

 はいそうなんです、うちのグノモン選手、絶賛おかんむりなうなのだ。

 

 曰く、タラサでの俺の勝手が、まとめて気に食わなかったんだそうで。警告をことごとく聞き流したこと。応星の前での予期せぬA.R.Pの披露。挙句の果てに、あの馬鹿でかいノイちゃんの一発というか百発というか千発? ……いや並べてみると、うん。俺がグノモン側でも怒るわ。

 

 以来、業務連絡以外は完全黙秘を貫かれてしまっている。あ、でもおはようとおやすみは返してくれるな……。

 

 しゃーなし。頃合いを見計らって土下座るかと、鍋の重みを右手から左手に持ち替えつつ、坂をひとつ下れば、白壁の院が見えてくる。

 

 丹鼎司(たんていし)医士(いし)たちが詰めてる、療治のための院だ。

 

 タラサから運んだ怪我人と病人で、目下どの房も満員御礼。廊下まで薬湯(やくとう)の匂いが染みついてて、なんなら通るだけで健康になれそうな気がする。

 

 目当ての房は、突き当たりの、ちっこい二人部屋。

 

 戸口の手前で、いったん足を止める。

 

 耳を澄ませば、中から、ぼそぼそと小さい話し声。「……よ、よんでみようかな」というおそらく薩蘭(さらん)の声に、それよりずっと細い、消え入りそうな相槌がひとつ。

 

 ——ん。今日も出てるな、声。

 

 おし、と俺は戸を叩いて、努めてデカい声で入場する。

 

「おら、差し入れの時間じゃー。本日のお品書きは、白身魚のほぐし粥と、芋の柔らか煮ぞ?」

 

 二人とももはやおなじみになっているので、大した驚きもせずに、

 

「……魚の、おかゆ?」

 

 寝台の上の凝梨が、小首を傾げた。

 

「お、言えたな凝梨。そーだ、魚のおかゆだ。大正解なので、おかわり権を進呈してやる」

「あ、ずるい! あたしもそれほしい!」

「お前は毎日椀三杯いってるだろが。これ以上どこにおかわりの入る隙間があんだよ」

「育ち盛りだから、空いてるの!」

「言うようになったなオイ」

 

 椅子ごと寝台にくっついていた薩蘭が、ふふん、とない胸を張る。こっちを見上げていた。狐耳が二対揃って、ぴこんと立っていて……()()()を見れば、姉妹のように見えなくもない。

 

 配膳しながら、思う。

 

 最初に応星と一緒に見舞いに来た日、凝梨のやつは、椀を前にしたまま固まってた。湯気の立つ飯ってもんを、どう扱っていいか思い出せないとでも言わんばかりの固まり方だった。

 

 見かねた応星が一口すくって、さしだした匙からそれを飲み込むまでに、たっぷり茶が一杯淹れられるくらいかかったものだ。

 

 それが三日前は半分。おとといは八割。昨日は、なんと初めて椀の底が見えた。

 

 で、今日に至ってはついに——俺が匙を渡すより先に、手が出た。

 

 食欲ってのは、つくづく正直なパラメータだ。生きる気の残量が、椀の減り方にそのまんま出る。

 

 声も、飯と一緒に戻ってきてる。最初は息。それが単語になって、昨日あたりから、短い文になった。

 

 そんで、今日は鍋の他に、もういっちょタマがある。

 

 例の「ある準備」——懐から布包みを出して、寝台の上へ。二対の狐耳が、包みの動きに合わせて、くいっと傾いた。ほんと分かりやすいなお前らの耳。

 

 開けば、——命の月餅。二人ぶん。

 

「食後のお楽しみだ。粥が先、甘味は後。ちゃんと順番守れよな」

 

 守れなかった。

 

 凝梨がおそるおそる手に取って、ちっこい前歯でかじって——二口目で、ぼろっと涙。

 

 それでも、手は止まらない。ひとくちずつ、ちゃんと噛んで、飲み込んで、また泣いて、またかじる。薩蘭が黙って、その背中に手のひらを添えてる。

 

 窓から入る茜色が、二人まとめて薄く染めていた。

 

 まぁ……そういう日もある。そういうことにしたい日だって、ある。

 

 

 

 

 凝梨が泣きやんで、俺が持ってきた水筒で喉を潤した頃合い。ふいに、袖を小さく引かれた。

 

「……今日は、応星くん、こない……?」

 

 お、ほーん……ふーん……へぇ……はーん。

 

「あー、わりぃな。あいつはあいつで、聞き取りだの、工造司の仕事だので引っ張りだこみたいでさ。……なんだ、応星のほうがよかったか?」

 

 こくり、とも、ふるふる、とも取れる微妙な角度で首が動いた。

 

「ま、明日あたりは連れてきてやるよ。凝梨が会いたがってたって話しゃ、あいつも来るさ」

 

 赤面して、ちっこい拳が、きゅっと握られた。……分っかりやすいなぁ、ほんと。しかし、応星キュンもなかなか隅に置けないじゃないか。白珠とどちらを選ぶのか、私、気になりますっ!

 

 ごまかすように、凝梨が月餅の残りと格闘しはじめたのに苦笑して、俺は薩蘭のほうへ膝を向けた。

 

「薩蘭は、傷の調子は、どうなんだ」

「平気。……もう、痛みはない」

 

 言いながら、ちょっとだけ座り直す。尻尾の付け根——包帯は、日に日に薄くなってる。最初はぐるぐる巻きで提灯かってくらいだったのが、今じゃ、あるんだかないんだか。

 

 と、開けっ放しの戸から、白衣がひょいと顔を覗かせた。回診帰りらしい医士(いし)のおねーさんだった。

 

「あらぁ、是印さん、今日もご苦労さま。——そうそう、薩蘭ちゃんねぇ、経過が良すぎるくらいなのよ。焼いた傷なのに、ほんと若いって素晴らしいわぁ」

「素晴らしいですね。うふふ。そういえば若いと言えばですね。俺も若いのですが」

「面白いくらい早いから、経過はぜーんぶ書き付けてるの。うちの丹方より、あなたのお粥のほうが効いてるんじゃないかしら? ふふ。それじゃあねー」

 

 俺の流し目は華麗にスルーされた。ちっ。医療系のおねーさんの需要は大いにあります。

 

 言うだけ言って、次の房へ行っちまった。相変わらず忙しそうだわな。しかし——と、

 

 ……治りが、早い。

 

 結構なことだ。だが、それは俺が応星にツッコまれたように、そして何より、歩離人たちのあの"豊穣"由来の高速治癒を彷彿とさせる。どっからどう見ても狐族ではあるが……囚われていた際にヤツらに何かされたのか、それとも生来の何かなのか……。

 

 尋ねてみたい気もするが、少なくともタイミングは記憶の浅い今じゃないし、俺も俺でつつかれたらヘビを噴射してしまうガバガバの実のヤブヘビ人間だ。正直、厳しいかもしれん。

 

 つーことで、まぁ結局、これ以上考えても詮無いことではあるんだけど、さ。

 

 凝梨は月餅を食い切ると、糸が切れたみたいに、ことんと眠っちまった。まぁせいぜい食っちゃ寝して回復に努めてくれりゃいい。

 

 同じように最後のひとかけらを頬張った薩蘭も寝台から降りて、掛け布をそっと直す。その手つきが、なんつーか、もう堂に入ったもんで、

 

 ——布の端を握ったまま、こっちへ向き直った。

 

「……ねぇ」

 

「あん?」

 

「あたし、強くなりたい」

 

 真剣な眼差しと共にそんな言葉を口にする。

 

「あのとき——あたしは手も声も、届かなかった。この子が連れていかれるのを、見てるだけしか、できなかった」

 

 膝の横で、小さい拳が固まる。

 

「もう、あんなのは、いや。次は守れるように。……だから、強くなる。あなたみたいに」

 

 なるほど、ね。

 

 俺は床に膝をついて、目の高さを合わせた。

 

「ひとつだけ、訂正しとくわ」

 

「……?」

 

「届かなかった、っつったな。

 ——届いてんだよ、ちゃんと

 

 細い肩が、ぴくりと跳ねる。

 

「俺らがあの炉の底まで走ったのは、お前の『助けて』が届いたからだ。満身創痍で、一番でけぇ仕事をしたのは、お前だよ。凝梨はな——お前の声が、救ったんだ」

 

 薩蘭の目が、みるみる潤んでいく。それでも、逸らさなかった。俺からも、自分の言葉からも。やがて力強く涙をぬぐって、それでもまだ涙声で、

 

「……お願いが、あるの」

 

 意を決したように、

 

 

 

「あたしを——弟子に、し」

「ヤだ」

 

 

 

 食い気味に返したら、耳がへにょっと倒れた。

 

 いやもちろん、わりぃとは思う。けど、こういうのは早いほうがむしろ親切だろ、お互いに。

 

「あんなぁ、俺はこれでも弟子の身分なの。うちの先生、あんなにかわいい顔してめちゃんこおっかねーんだぞ? 弟子が勝手に孫弟子こさえたなんて知れてみろ、俺の首と胴が今生のお別れをすることになっちゃうだろ」

 

「……じゃ、じゃあ、どうしたら」

 

「焦んなって。腕っぷしの世界は広いし、今は時代が時代だ。お前が強くなりたいってんなら、師匠のアテにゃ困らねーさ。——まずは飯を食って、寝て、ちゃんと傷を治せ。強くなるってのは、ぜんぶそっからの話だ」

 

 じゃ、また明日な——と鍋を提げて房を出ると、薩蘭が「送る」と言って、ぱたぱたついてきた。

 

 廊下の突き当たり、茜色の差し込む角のところで、裾を、ちょんとつままれる。

 

「あ、……ありがとう。……全部おいしかった」

「おう。うめーだろ。そうだそうだ感謝しとけ」

「うん。……あの、それと」

「あん? まだなんかあんの?」

 

 薩蘭は一回、口をつぐんだ。耳が忙しなく、ぴこぴこと前後する。息を吸って、吐いて、もっかい吸って——

 

 

「ま、またすぐ来てね。

 ————お(にい)っ!」

 

 

 

 言い逃げだった。

 

 

 

 こっちが「は?」と返す隙もなく、身を翻して、房までの廊下を全力疾走。戸口で一瞬だけ振り返って、すぐ引っ込む。ちらっと見えた顔が耳まで赤かったけど、アレなに。なにアレ。つか、

 

 お……お兄、ときたか。

 

 え、兄さんに、兄貴に、お兄ちゃんに、お兄? どゆこと? この時代に来てから、周りに年下が増える一方なんですけど。どうなってんだ、俺は12人の妹の兄じゃねーんだぞ。逆、逆、12人の姉を持つ弟くんになりたいです。サンタさん、お願いします。

 

 なんて、くだらねーことを考えながら歩いてると——懐で、ぼそっと。

 

『……警告。前方に——』

 

 ぶつっ。

 

 切れた。

 

 ……おい、途中で切れんな。ようやく話しかけてきたかと思えば、これで、しかも言い切らずに落ちるって、どういう了見だっつの。

 

 ……つーか、この流れ。ちょっと前にも、どっかで覚えがあんぞ。

 

 俺は観念して、角の向こうへ、そーっと首を伸ばした。

 

 角の先には——茜色が広がっている。

 

 袖の長い装束。まばたきしない目。足音も気配も、当然のようにゼロ。

 

 

 外へ抜ける戸口のど真ん中、夕日を背負って立つのは、爻光(こうこう)だった。

 

 あーね。はいはい、そういうことね。早速のフラグ回収ね。ご本人様登場ですよ。

 

 

「…………その気配消して、ここ通るの知ってましたムーブやめね?」

 

 心臓に悪いのよ。俺、一回絶滅大君系メカクレおねーさんに貫かれちゃってるからさ。

 

「…………」

「おーい、聞いて——」

 

 言い終わる前に、爻光がすっと寄ってきた。三歩の距離が二歩になり、一歩になり、俺の真ん前で止まる。で、顔だけこっちへ向けて、その透き通った瞳が俺を射抜く。

 

 ……なんだよ、その圧。

 

 

 

「……ほんとに帰ってくるって、思わなかった」

 

 

 

「おい」

 

 開口一番それかい。もうちょいあんだろ。『待て、しかして希望せよ』って名台詞知らねーのかよ。

 

「あの夜から、何回も何回も、陣を書いて卦を立てたの」

 

 爻光は、俺の胸のあたりを見たまま言う。

 

「なんども。……なにも、出ない。ずっと、まっしろだった」

 

「……は、はぁ……んで?」

 

「未来が決まってるものは、視える。視えないなら、決まってない。だから、決まってないなら、わたしには、わからない。特に糸の細い、あなたが帰るのか、帰らないのか。わからなくて……」

 

 そこでただでさえ、たどたどしかった言葉が途切れた。長い袖の先が、きゅ、と丸まる。

 

 

「……こわかった、の」

 

 

 前は「おもしろい」とか「ふわふわする」とかほざいてやがったのにな。

 

「んじゃよかったじゃんか、どうだ、ピンピンしてるぜ。あ、大丈夫かなこの表現、だからねじゃないからね」

 

「……うん。あなたは、帰ってきた。視えなかったのに、帰ってきた」

 

 視線が、俺のツラまで上がってくる。

 

「……これが」

 

 そして、

 

「——可能、性?」

 

「おう、ソレソレ。よく覚えてたな」

 

 俺は空いてる方の手をひらひらさせる。

 

「言っとくけど、タネも仕掛けもねーぞ。……つーか、お前こそ忘れてんのか? 自分で言ったんだろが。ちゃんと戻ってね、って」

 

 こくんと頷かれる。

 

「あれも、卦に出てたから言ったのか?」

 

 ふるふる、と白い頭が横に振れた。

 

「じゃ、あれはお前が書き足したってことじゃんか」

 

「……書き足した?」

 

「カンペに対して都合良く書き足した、一文。まっしろな紙に、お前がそうあってほしいって勝手に書いた。で、俺はその通りに帰ってきた。結果オーライ。あとな、覚えとけ、どんなに細くたって、糸なんてたぐり寄せてなんぼだっつの」

 

 爻光は、言葉がない様子でただおろおろしていた。次第に、気まずい空気が辺りに漂い始める。

 

 あーこれだから年下は。

 

「ま、アレだ。とにかく不器用すぎるなりに心配してくれてたんだろ。それについてはありがとな」

 

 俺は手を伸ばして——片手で、ほっぺたをむにっと挟んでやった。

 

「…………んん?」

 

 アッチョンブリケの完成。むにむに上下に動かすと、無表情のツラが大変愉快なことになった。

 

「無表情系ロリのお前にいいこと教えといてやる」

 

 むにっと、口の端を持ち上げる。あの時みたく本人の指じゃなく、俺の手で。

 

「笑う門には福来たる。

 せいぜいここの筋肉、鍛えとけ。

 したら——いつか意味深に微笑んだだけで男どもを骨抜きにするような、そんな神秘的なおねーさんになれるかもしんねーぜ?

 そんときは、博打(ばくち)の楽しみ方、喜んで教えてやるよ」

 

 手を離す。

 

 爻光は、挟まれた形のまんま二秒ほど固まって、それから、自分の手をそーっと頬に当てた。

 

「…………」

 

 まばたき、一回。二回。無表情の奥で、なんかがショートした音が聞こえた気がした。

 

 やがて、ぽつりと、

 

「……また、へんになってる。ここ」

 

 袖ごと、胸のあたりをぎゅっと押さえる。

 

「うう……前より、強い。脈が、ばらばら。……この病、わるくなってる」

 

 真顔で不整脈の実況すな。普通にそれは心配だから医士に見てもらえって。ちょうどそこにいっぱいいるから。

 

「んで? わざわざこんなとこまでどした。また潮とやらでも視に来たのか?」

 

「あ、違う。……忘れてた」

 

「おい」

 

「あなたに言伝。お師匠様から」

 

 その透き通って染み入るような声を真面目なトーンに戻し、

 

「——騰驍将軍(とうぎょうしょうぐん)が、お呼びだから。いますぐ、将軍府へ来て」

 

「…………うへぇ」

 

 心当たりがありすぎるけど、とうとう偉い人からのお呼び出しかよ。

 

 イヤすぎるという感情を隠しもしない俺をよそに、爻光は言伝を済ませたと、くるりと背を向けて——すぐ、止まった。

 

 

 振り向く。夕日で、白い髪のふちが燃えてた。

 

 両手は、袖の中のままで、口の端だけが、ひくっ、と——ほんの数ミリ程度、自力で上がった。

 

 

「……練習、しとく。——お兄ちゃん」

 

 

 ちっこい背中が、茜色の向こうへ溶けてく。まぁ、まだまだ道のりは長そうだけど、最初の一歩としては頑張った方なんじゃねーかな、アレ。

 

 

「……さて、と」

 

 将軍府、か。

 

 

 はたして、どう転ぶのかと憂鬱な足取りのまま、俺は来た道をたどり始めた。

 

 

 とりあえず鍋は厨房に置いてかねーとなぁ。

 

 

 

 

 







ママみて〜、あれ、幻のシックソマンだよ!
シッミチャダメ




▼おまけ▼

「お客さ〜ん、おかゆい所ございませんかァ〜〜?」
「後ろから忍び寄ってきて……是印、なにをしている」
「こないだのお礼に角磨いてやってんだろうが」
「やめよ。不要だ」
「清潔感大事だぞ、飲月君なのに清潔感……あれ、なんか音似てる……」
「あのままタラサの底に残しておくべきだったか……」
「おめー、なんつうこと言うんだよ。縁起でもねぇな。これでもお前に感謝してんだからさぁ」
「…………」
「あれ黙っちった。まぁこれからも頼りにしてるからな、ふーたん〜」
「ふーたんはやめよ」
「じゃ、たんたんにする?」
「たんたんもやめよ」
「注文多いしお堅いやっちゃな……ま、そういうとこだから、信頼できんだけどさ。なんかあったら頼むぜ」
「……なんかとはなんだ」
「そりゃ……まぁ、なんか俺に万が一があったりとか?」
「異な事を申すな。貴様は殺しても死なぬようなしぶとい男だろう」
「まぁ否定はしねーけど。そいじゃあ……俺の大切なものに危機が迫った時、とか?」
「…………」
「もち、タダとは言わねーよ。べべべべっべべー、いい酒ェ! 戦勝の馬鹿騒ぎに紛れてくすねてきたヤツ〜。一緒に共犯者になろうず」
「…………はぁ……貴様というヤツは……」
「そう言いながら手を差し出してるんだからもー。
 ——んで? 返答は? ほれ、まずは一献」



「——考えておいてやろう」





執筆時BGM:『まぼろし』『君と生きていく』can/goo
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