白状しよう。
あわよくば、と考えていなかったといえば、嘘になる。
だって、
だって、男が朝そういうことになるとは
そして、これも書画の類で読んで知った知識に他ならないが、男というのは一度臨戦態勢になってしまうと、アレが収まらない限りツラいらしい。
ならば……と生唾を飲み込む。
武芸百般の研鑽に
それでも……じゃあ、他の女に譲ればとか、適当な他の男で代替が効くのではないかというと、そんな愚問極まりない問いかけをしてくれるなと薩蘭は思う。
——他の男? あり得ない。
絶対に。
そうだ。もし男と女として、そういうことになるのだとしたら、
絶対に、お兄じゃなければイヤだ。
だからこそ、
「——あら?」
「——は?」
訪れたお兄の家の前にいた、見知った人影に、薩蘭の口から冷たい声が漏れた。
「ちょっと、
「占いでね、薩蘭。君がひとり先んじて功を
こんな早朝からこの幼馴染と鉢合わせすると思わなかった。それにしても、
——なにこれ、と薩蘭は眉を潜める。
ぐっ、この子もか——と薩蘭がジト目になる。
幼き日の捉えどころがなく、無表情で何を考えているのかまったくわからなかったこの幼馴染も、近頃じゃすっかり色香のにじみ出るようになってしまった。
まったくもって手強い好敵手のひとりである。
無論、それは当然ながら武における話な訳がなく、今この家でおそらくは寝息を立てているであろう人物をめぐっての話だ。
「ふん、なら話が早いわ。勝負よ!」
「ええ——」
ここで負けていられない。その先にはもっと手強い人がいるのだから。モノにして、勝ち抜いてこそ——
悲鳴。絶叫。
それがお兄の声だと気づくより先に足は駆けていた。隣には同じく即座に反応している爻光がいて、
「お兄!」
「お兄ちゃん!」
そこには、
「なっ、兄さん……っ!! なんだってんだ!! 兄弟の久し振りの再会じゃないか! 恥ずかしがる必要なんてない!」
「るせぇ!! 抱きついてくんな! 俺から離れろ、ずぅうぇってぇ〜〜〜信じねぇぞ!!
お前が応星?
——いやだぁあああッ、あのかわいかった応星キュンを返せ!!!」
寝床の上で大の男ふたりがくんずほぐれずしていた。
★ ★ ★
——もしもしポリスメン? 信じられますか。目が覚めたら、応星キュンが応星、キュン?……になっていたんですケド。
これは別に応星キュンの応星キュンがバキュンバキュンしてる〜みたいな下ネタを言っているわけじゃない。
な、何を言っているかわからねぇと思うが、俺が一番よくわかってない。なんでスヤ〜って目を閉じて起きたら、こんなことになってんの。
しかもなんで感涙にむせびながら抱きついてこようとするんだ。やめろ、わしはホモじゃない!!
まったく大体なんだ、キューティクルあふれる髪を伸ばしやがって、髪切れ、髪。
是印さんはなぁ、チャラチャラしたノリが嫌いだから。ロン毛はイケメンしか似合わないっていうけど、坊主頭もそうだからね。そこんとこよろしくね。
と、
俺が暑苦しい自称応星という変態を引き離そうと奮闘していると、
「……何してるの」
「……ふーん、さすがにこれは占いでも見抜けなかったかな」
「あん?」
声のする方に目を向けると扉を開けて——つか今気づいたけど、俺宿舎にいたはずなのに、見慣れた光景から変わってるんだけど。どこだよ、ここ。
じゃねーわ、こ——この感覚ッ!?
その時、是印に電流走る(セルフナレーション)。
扉を開けたとこに立っていたのは女が二人。
姉センサー、展開! サーチします。
——ムムムッ!! スポーティおねーさんとミステリアスおねーさんじゃねーか!! ゼイニャ、おねーさんがすき。
秘められし闇の力を解放して、俺は応星を跳ね飛ばし、お二人にバビューンと駆け寄る。跪き、そして右手でスポーティ、左手でミステリアスの手を取って、
その手の甲へ口づけを落とす。
「へ?」「え?」
「こんなところにお二人のような天使が、いや天女がいるなんて。俺は幸せ者だ——おはようございます。貴女と貴女の是印です」
キメ顔をしつつ、慈しむようにそれぞれの手を包めば、
「あ、あわわわ」「こ、こんな簡単に宿願成就せり……ああ……」
スポーティは何かのゲージが振り切れるように、首から頭上まで一気に朱に染まる。そんでもってグルグル目になり、耳から煙を出していた。
対し、ミステリアスは日射しにでもやられたのか、額に手の甲を当てて倒れそうになるのを咄嗟に支える。
「おっと、全く可憐なお姉さんだ。羽かと思った」
「ひゃっ……ひゃい……」
ミステリアスもまたガチガチになって、目を合わせてくれないと思ったらなんか覚悟決めたように目を閉じたけど、めっちゃ震えてるの大丈夫……?
しかし、お二人ともビューティフォー……いや、いいよーすごくいいよー。お互い何? なんか勝負賭けてる感じのチャイナドレスみてーな服でバッチグーでーす。肩出てるし、ボディラインも出まくってるし、すごい良い匂いするし、こ、これは誘ってるんじゃない、も、もしや……やったー! わぁい、俺生きてて良かったー! う、嬉しすぎる。こんなに嬉しいことはない……是印、いきまぁあー——
「——お、お兄ちゃん、なら……わ、私は……」
冷水をぶっかけられた。
え。
……え?
いや、違うでしょ。逆でしょ。逆。おねーさんでしょ君。そんな期待と違うこと言われても困るんだけど。もっと俺をたぶらかしてくれないと。お姉ちゃんは、俺が言う側だから。
「ま、待って! お兄! あ、あたしだって、その、成長してるんだから……」
復帰したらしいスポーティが俺の腕からミステリアスを奪い取り、上目遣いで恥じらいつつなんか言ってる。おい馬ッ鹿、なんか柔らかいの当たってますん。
え、いや君もちょっと解釈が……ちょっと、その……え???
ええ……??
なんでその……まるで、まるでそのぅ……薩蘭と爻光みたいに俺を呼ぶわけ??
な、なんだ……鳥肌が凄い……落ち着け、KOOLになるんだ是印。
生まれてこの方、女の色香に釣られたことなど一度たりとてない俺だが、念のためにくらんでいた目をこすり、お二人の特徴を改めて確認する。
スポーティ。しなやかだが、筋が所々浮き上がっている肢体は運動神経よさげ。特徴的なケモ耳からして狐族で……尻尾が……見当たらない。そして、俺をお兄と呼ぶ。
ミステリアス。透き通るように白い肌、吸い込まれそうになる虹色の瞳。意味深に微笑まれると、その裏側を知りたくなる表情……そして俺をお兄ちゃんと呼ぶ。
……
…………
……二人とも知らない人ですね……。
で、でもとりあえず距離を取っておこうかな……ちょ、二人とも手離せやコラ。ちから強……ッ。
や、ま、待とう、待とうよ。自称応星だけじゃなく、そ、そんなことありえるのか。ギルティが過ぎるぞ。
まるでヘキにブッ刺さるキャラを見つけ準備万端でティッシュをデッキからドローしたのに、そのキャラの名前が母親と同じだったみたいな感じじゃねーか。俺は自らを墓地に送り、ターンエンドだ!
え、こいつら、こんなに姉センサーに反応出てるのに、
「さ……薩蘭?」
「うん……お兄」
「こ……爻光?」
「ええ……お兄ちゃん」
やめ、やめれ。今すぐやめれ。
てか、なん……だと……。 リアルで? ガチで?
あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!(ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!ブツチチブブブチチチチブリリイリブブブブゥゥゥゥッッッ!!!!!!!)
ウ、ウソダドンドコドン!!
……ギギギ、あ、頭が千切れそうだ。思わず脳内で脱糞エフェクトが駆け巡ったぞ。
お、俺の姉センサーによる判定がお兄とお兄ちゃん呼称という相反する概念と衝突し、頭の中でピカ反応が起こっている……アバババ、許されない、こんなこと、あってはならない…………悲劇を繰り返してはならない……。
「——おい、お前たち。兄さんから離れろ」
マインドクラッシュを受け、もう生きる希望をなくしてしまった俺に駆け寄り、よく訓練されているかのような動きで自称応星は自認薩蘭と自認爻光を引き離す。
「な、何よ!」「……君は?」
「——はぁ……ったく、お前たちもわからないのか。応星だよ、応星」
やれやれと無駄にいい声で言うと、自称応星は肩をすくめて、
「悪いが帰ってくれ。積もる話があるんだ。それに兄さんに、見せたいものも——」
「お兄ちゃん!」「お兄!」
「——っておい、聞いてるかっ!?」
すぐさま、自認薩蘭と自認爻光が割って入って、むしろ詰め寄られる。
はいダメーっ、順番を守れ。そして今すぐ順番に出てってくれ……。
眉根を寄せた自称応星は
もうダメだった。
脳が処理しきれん。と、とりま、深呼吸だ。
すぅーはぁー。
おし、状況を整理しよう。
①目が覚めたら知らないイケメンが隣におり、強制わいせつされかけた。
②イケメンは応星を自称している。
③知らないおねーさん二名が俺を「お兄」「お兄ちゃん」と呼ぶ。なお自認は薩蘭と爻光。
④ここは俺の家らしいが俺は知らない。
いずれも記憶にございません。
……整理したはずなのに、なんも整理できてねー気がしてならない。
なんだこれ。どこからツッコめばいい。もう
……わーった、わかりましたよ。
こういう時はアレだ、まずはひとりになる必要がある。そして、相談しよう、そうしよう。
……とくれば、三十六計逃げるに如かず!
人類には、戦うか逃げるかの二択しかないと言うが、この場に俺の勝ち筋は一本もない。ならば取るべき道はひとつ。
「……あー、うん。よーしっ、いったん、みんな落ち着こう。な? 俺も落ち着くから。そのために、ほら、あれだ、茶でも飲もう。だから湯を沸かしてくっか」
「あ、じゃあ私が——」「俺が——」「あたしが——」
ダチョウしてる場合じゃねんだよ。
「いや俺が沸かすの! 沸かすったら沸かすの!! ——あっ、あんな所に俺の幼馴染が!!」
キレ気味に言って、立ち上がる。三人の視線が『また刺客か』と言わんばかりに俺の指差した方向へ視線をやるのと同時に、
「あ〜ばよ〜っ!」
俺は、玄関へ向かって、脱兎の如く駆け出した。
「「「あっ」」」
三重奏の「あっ」を背中で聞きながら全速で逃げる。
感謝するぜ、姫子——お前がいてくれてよかった。
朝の往来へ飛び出す。
当てはない。当てはないが、足は止めるワケにもいかない。
止めたら追いつかれる。追いつかれたら、また「お兄」と「お兄ちゃん」と「兄さん」の三重包囲だ。ひえーっ、冗談じゃねーっつの。
角を二つ折れて、大通りに出て——
足だけはどうにか動かし続けられたが、さすがに呆然とつぶやかずにはいられなかった。
「ええ…………なんだ、これ」
通りの向こう、見慣れた仙楼の並びの上に、見たことのない楼閣が生えていた。朝日を受けて、真新しい瑠璃瓦がピカピカ光ってる。
あんなもん、ありまして? いや、ない。断じてない。あそこは確か、しみったれた露店が三軒並んでてだな……。
視線を下ろせば、通りの屋台もおかしい。
俺の行きつけの包子屋のはずの場所で、知らないジジイがよくわからん練り物を揚げている。隣の茶屋は看板ごと消えて、代わりに何かの端末屋になってる。光幕の意匠も違う。往来を流れる音楽も、聞いたことのないメロディを奏でてる。
そう骨格は俺の知ってる、羅浮のままだ。
……なのだが、その上に塗られた肉が、どこか全部ずれてる。知ってる街の、知らない今日。
まるで本当に、久しぶりに地元に帰ってきたら、すっかり様変わりしていた時のような——
ぞわ、と首の裏が冷えた、その時だった。
「——お、是印さん。今日は早いねぇ」
揚げ物のジジイが、俺に向かって片手を挙げた。
……は?
「え、あ、え? い、いやー、どうも……」
「あいよ。いつもの、揚げとくかい」
いつもの。
いつもの、ってなに?
俺はあんたを知らねーぞ。あんたの店を知らねーし、あんたの揚げ物だって知らねーよ。
なのにあんたは俺を知っていて、俺の「いつもの」まで知ってんの? いやいやいやこわいこわいこわい。
「や、だ、大丈夫だ、今日は……ははっ」
渇いた笑いと会釈だけ返して、歩調を上げる。
すると、なんということでしょう。
歩けば歩くほど、知らない面々が俺に挨拶をしてくる。洗濯物を抱えたおばちゃんが「あら是印さん」と笑う。露店の兄ちゃんが「今日はツケ払ってってよ〜」と拝む。ツケ??? 俺いくら溜めてんの??? 角の子供たちまでが「ぜいんのあんちゃんだ!」と指を差してくる。
なんだこれ。映画ロッキーの撮影でも、どっかの公園前派出所のおまわりさんでもねーんだぞ。
人混みを縫って、縫って、縫って——ふと、懐で硬いものが跳ねる。
——頼むぞ、マジで、助けてグノえモン。
今この星、この時代で唯一、俺と同じ側にいるはずの、口の悪い懐中時計。聞きたいことが山とある。
お前、なんか知ってるか……そして、そうだ……意識が落ちる直前、なんで震えてた。
だが往来のど真ん中で、懐中時計と仲良くお話しする是印さんになるわけにはいかない。人目のない場所。誰にも邪魔されない場所。鍵のかかる場所。今すぐ。
ひたすらよさげな場所を探す俺の目に、天啓のように飛び込んでくる看板があった。
——
「……結局、かよ!」
安心安全な個室ではあるが……まぁ背に腹はかえられねぇわ。俺は吸い込まれるように駆け込んで、一番奥の個室に飛び込み、
狭い。薄暗い。ほんのり臭う……こういう時に限ってなんで前のヤツが流し忘れてんだよ。クソが。
だが、ネガポジで考えれば、悪臭結界により人が近寄らないだろう。内緒話にはおあつらえ向きな状況だ。
今一度、閂を確かめて、便座の蓋の上にどっかと腰を下ろす。
荒れた息をなだめていく。走ったせいか、朝からの騒ぎのせいか、こめかみの奥で二日酔いの残党みたいな感覚がまだ太鼓をドカドカ叩いてる。
懐から、銀色の懐中時計を引っ張り出した。
「……おい。起っきしろ、グノモン」
機械のくせに、寝起きみたいな間があり、
「おい、何がどうなってんだよ、たちけて。もう俺わけワカメなんだ」
『——再接続を、確認。被験者ゼイン——アナタの生体信号を、再取得しました』
へ?
『現在地の測位——完了。……公共厠・個室。観測環境として、推奨いたしません。被験者ゼインは、幼女趣味に加え食○趣味を開拓したのですか?』
「おめー今すぐここから流してやろうか」
ああ、この減らず口だわ。口には出さないがほっとする。なんならちょっと泣きそうになった。今朝がた目が覚めてからこっち、俺の知ってる顔してるヤツ、こいつが初めてなんだもん。
「ふえええ、助けてぇ〜グノえモォ〜ン、ジャイアンが俺をいじ」
『報告:
——内部時計と、羅浮の標準時報との差分を照合しました』
ガン無視された結果、銀の面の上に、小さな光の数字が浮かぶ。
『欠落は——およそ、十年です』
「…………え?」
じう、ねん? ナナフゥン、じゃなくて?
個室の中は、静かだった。換気窓から差し込む朝日が、埃をきらきら光らせて、どっかで水の流れる音がして。
口がからからに渇いている。
嘘だろ、とか、それ盛りすぎ~、とか、そういう言葉を口の形までは作ったが、出てこなかった。
だってもう、答え合わせは済んでる。
大人になった応星、薩蘭、爻光。建て替わった街。ジジイの「いつもの」に、勝手に出来ている「ツケ」という名の借金。
「……十年……って」
『はい』
「俺、寝てたの、一晩だぞ」
『ワタシの主観でも、同様です』
「……あ?」
『ワタシも、眠っていました』
懐中時計は、淡々と続けた。
『アナタの入眠と前後して、時空座標の同期が急速に喪失。抵抗を試みましたが、失敗。以後の観測記録は——ありません。十年分の、どこにも』
「…………待て。あの夜、お前が震えてたのって」
『抵抗によるものです』
あー……。
あの砂嵐の視界の隅で、ぶるぶる暴れてた懐中時計。何か伝えたいのかとは思ってたが、あれはこいつなりに、必死こいて呑まれまいと足掻いてた音だったのか。
『——ワタシは』
グノモンが、言った。
『謝罪:ワタシは、警告すべきでした』
「…………やめろやめろ。お前も寝てたんだろ。寝坊はお互い様だ」
『抗弁:ワタシは寝坊をしません。機能を停止した時間が被験者ゼインより微量長かっただけです』
「それを寝坊っつーんだよ」
ああ言えばこう言うやっちゃなほんと。少し優しくしてやったらすぐこれだ。
軽口でごまかしながらも、頭のほうは必死に状況を追いかけていた。
「……なぁ、グノモン。そもそもさ。なんで俺は十年もすっ飛ばされてんだ」
『出発前の説明を、参照します』
銀の面の上に、几帳面な光の文字が流れ出す。
『ルアン・メェイ氏、発言記録——「光円錐の記憶には、感情の濃い時期と薄い時期があります。感情の密度が薄い時期は座標が安定しないので、そこに留まれません。次の『記憶が濃い時期』に引き寄せられる——時間が飛ぶような形になります」』
続けて、
『ブラックスワン氏、発言記録——「あなたが向かうのは自由な過去じゃない。これは記憶に刻まれた道のようなもの。長く留まれる時期と、そうでない時期があるでしょう」』
「…………あー」
言ってた。
そういや、そんなようなこと言ってた気するわ。
なにせ、もうこっちの時代で漂泊者となって結構な時間が経っている。
おまけにあの日の俺ときたら、過去行きにビビるやら、ルアン姉ちゃんの説明が耳元で心地良すぎ+内容が難しすぎて入ってこないやらで、話の半分は右から左だったし。時間が飛ぶような形になります、ね。はいはい、言われてみりゃ確かに聞いた——
——ほんとに飛んでんじゃねええええええええええええええか。
いやさ、数十年、下手すりゃ百年——スケールのデカい話は、あの時、確かに聞かされてたかもしれないが、話でイメージするのと実際に食らうのは天と地の差がある。一晩寝たら十年だぞ十年。バズーカじゃねーんだぞ。小学生が大人にな——って、そういうこと、か。
あいつら……。
「つか……なんで、よりにもよって、十年なんだよ」
『その件について——ひとつ、仮説があります』
もう読めるわ。ロクでもない話だろ。
『前提を確認します。本航行は、光円錐に格納された記憶の時空座標を辿る方式です。すなわち滞在可能な時期は、光円錐の持ち主の記憶に依存します』
とりあえずウンウンと頷く。
『そして当初、その持ち主である「誰か」の候補は——いわば、この時代の、全人口でした』
「……まぁそうか。理屈で言やぁ、そこらの知らねぇジジイの思い出旅行に、俺が相乗りしてる可能性もあるってことだもんな」
『いいえ。その可能性は、既に消滅しています』
「どゆこと?」
『ルアン・メェイ氏の発言通り、アナタが安定して滞在できるのは、持ち主の記憶が濃い時期と場所に限られます。仮に持ち主が無関係の人物であれば、アナタはその人物の記憶の濃い場所へ引き寄せられていたはずです。——ですがアナタは、朱明、羅浮、タラサ、そして彼ら彼女らの傍らに、問題なく居続けられました』
それは、
『すなわち、持ち主の記憶はまさに「そこ」で濃かった。持ち主は、アナタの過ごした場面に居合わせていた、ごく限られた誰かです』
つまり——、
持ち主は、俺の周りにいた誰かってこと、になるのか? でも、誰だ……?
そんな俺の思考を読み取るように、グノモンは、
『ここまでが、絞り込みの限界でした。候補となる者たちとは、アナタはほぼ誰かしらと一緒にいたため、その中の誰の記憶かまでは、判別できませんでした』
「じゃあ、わからずじまいだったってことか……」
『ですが今回、決定的な材料が得られたと推察します。被験者ゼイン、アナタの再接続後の状況をワタシに入力してください』
入力ってか、普通にさっきの目が覚めたときの状況を語れば良いのか? とりあえず俺は地獄絵図を要約する。
「起きたら、知らん家にいて、白髪ロン毛イケメンの自称応星が隣で寝ててさ、そいつが抱きついてきたんだよ。んで『久し振り』とかワケわからんこと言われてさ。それプラス、自認薩蘭と自認爻光が大人になっていた。あとあと、なんか知らんジジイの屋台で『いつもの』が通じる常連になってたし、『ツケ』が溜まってる店もあった」
『了解しました。——確認:アナタの記憶にある、最後の夜は』
「……あいつの、送別の宴だよ。飲んで、騒いで、あいつと兄弟盃かわして一緒に寝たとこまでだな、お前も震えてたからわかんだろ」
『被験者ゼインの発言及び本機のログを照合……』
たぶん一生懸命考えているであろう待ち時間の後に、
『推測:今朝、被験者ゼインの隣には、旅から帰った応星氏が寝ていた。その場合、氏の帰還は昨夜。仮説が正しければ、空白は——アナタが眠っている間に、すでに終わっていたことになります』
……だとすりゃ、十年の空白ってやつは、あいつが帰ってきた瞬間に、もう終わっていて。
だからこそ、今朝がただの「翌朝」のツラして始まったわけだ。
継ぎ目を、いびきかいて寝ている間にスルーしてたってことなんだから。
不意にグノモンに二つの点が浮かぶ。
『この十年の欠落は——ある人物が仙舟を不在にしていた期間と、ほぼ重なると推定されます』
点と点の間に、すっと線が引かれた。
十年ぶんの、まっすぐな線。
ある人物。さすがの俺でもそこまで言われれば見当がつく。
『結論:——この光円錐の持ち主は、応星氏である可能性が、極めて高いでしょう』
案の定な、名前をグノモンが上げたが、末尾に俺は疑問を呈する。
「…………極めて高い? てかそもそも、お前……光円錐の中身見りゃ一発なんじゃねーのか? お前、同期してんだろ、そいつと」
『ワタシが同期しているのは、時空座標のみです。記憶の詳細内容は、膨大な情報量かつ権限がないため、閲覧対象外です』
「見れねーの?」
『仮に閲覧できたとしても、特定は困難と推定します。光円錐の記憶は、本来、持ち主の一人称で記録されます。——持ち主自身は、ほぼ映りません』
「……カメラマンは、写真に写らねぇ、ってか」
『驚愕:適切な要約です』
驚愕、じゃねーだろ……、
俺は個室の天井を仰いだ。染みの浮いた板を眺めながら、頭ん中を引っ掻き回す。
——
それが——お前のだってのか。応星。
お前の記憶の中で、俺は、ずっと過ごしてたってのか?
じゃあ、なんだ。この十年が飛んだのは——あいつが、この仙舟にいなかったからなのかよ。
ってちょい待ち、
「……なぁ、グノモン、十年ぶっ飛んだとして、だぞ」
『はい』
「その十年の、俺は……俺、どんなふうに生きてたんだ」
『…………』
長い沈黙ののちに、
『回答:——ワタシには、分かりません』
「…………だよなぁ」
お前も寝てたんだもんな。二人揃って、十年まるごと寝過ごした口だ。くっそ、終点のどえらい田舎駅に来ちまった感じだよ。
『ただし——アナタが「どう生きたか」ではなく、「なぜ、居続けられたか」であれば。もうひとつ、仮説があります』
「……教えてくれ」
『収束圧です。世界は、元の流れへ戻ろうとします。——では、考えてみてください。ナナシビトを名乗り、雲騎軍のもとで飯炊きに励み、将軍たちからの覚えもよく、関わる人の心にたやすく傷痕を残し、初恋ハンターである男が、ある夜を境に、忽然と十年間、姿を消したとしたら』
え待って、なんか色々変な形容詞がついてた気がする。俺は江戸川ゼイン、ただの星核ハンターだっちゅうの。
が、それをグッとこらえる。
『当たり前であったものがなくなる。それはもはや矛盾という名の穴です。そして修正力は、矛盾を許しません。
——仮説:アナタの主観が眠っていた十年、その穴を埋めたのは、収束圧そのもの。世界が——存在することを前提として「是印」を維持し続けた』
「…………」
『家があり、ツケがあり、街の人々がアナタの「いつもの」を知っている。アナタの報告にあった観測事実は、すべて、この仮説と整合します』
そうとグノモンは前置き、
『——光円錐が、アナタの十年を飛ばし。収束圧が、アナタの十年を生成し埋めた。以上が、ワタシの推定の全容です』
……おいおい。
俺が観てない間、
もはやスーパー
……ああ……ワケ分かんねぇ。頭から煙でそうだ。
が、少なくとも、大して持ってる情報が変わらんこの懐中時計に聞いても答えは出ねぇだろうし。作り上げられた過去の中身を知ってるのは——同じ時を過ごしたヤツらだけだ。
じゃあ——誰に聞きゃいいんだよ。俺の、十年。
足音。
とっさに唇に人差し指を立てて、グノモンに黙るようサインを送る。
足音は、止まらない。
ホラー映画よろしく奥の俺の個室まで近づいてくる。
こん、こん。
やがて俺のいる個室の戸が、鳴った。
いやいやいやいや、他も空いてんだろ、余所行け余所。
戸の向こうの気配は、動かなかった。
代わりに、声がする。
低い、落ち着いた、知らない大人の男の声だった。
「探したよ——兄貴。いるんだろ?」
執筆時BGM:「Hero's Come Back!!」nobodyknows+、「流れ星〜Shooting Star〜」HOME MADE 家族
▼おまけ▼ ※Xで書いたネタ
〜とある世界線での話〜
旅姫子「もっと遠くへ! 新しい夜明けに向かって!」
ヴェルト「より多くの世界を連結する!」
丹恒「希望は決して消えない」
なのか「邪魔者には容赦しないよ!」
サンデー「千里の道も一歩からです」
穹「俺たちの意志で、終末へたどり着く!」
○ギャラリー更新
・帝弓三天将+百冶のビフォーアフター(もろこし様)
【挿絵表示】
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