「ここは余に任せよ! 鏡流、是印、そなたらは先に行け!」
水が、
目をやらずとも、鏡流の耳には届いてくる。
地揺れめいた進軍の律動が、水音の向こうで散華していく。
丹楓ほどの龍尊が、いや男が、任せよと言ったのだ。ならば、——仲間を信じる他あるまい。
鏡流は前だけを見て、崖沿いの
「ふーたん、お前それ完璧フラグだからな! 勝手に回収しやがったら承知しねーぞ、あとあの約束、破んなよッ!!」
相も変わらずワケのわからぬ言葉を叫びながら、長身の影が半歩遅れてついてくる。
——事の起こりは、タラサに
残った群れを率い、勝負を預けるなどと吠えて星の海へ退いた歩離人の
だが、あの海の星で、歩離人の巣がひとつ
そこへ流れ込んだのが、
星ほどもあるといわれた
その後、造翼者は傭兵に、海賊にと身を落とし、武具は歩離人から奪うか買うかの借り物で
その空へ、地の側から手を伸ばし、結んだのが、同じく"豊穣"の眷属、半人半馬である
地を埋める慧駿、空を覆う造翼者。
二つの忌み物の連合は、瞬く間に辺境を食い荒らし、徐々に仙舟とその同盟星へと侵略を始めるに至る。
嘲笑と共に塵民の灯火が消え、農星が焼け、輸送や補給の船団が地と空から挟み撃ちにされる。
仙舟とてそれを黙して見過ごすわけにはいかず、討伐の軍を起こしたのであった。
白珠、鏡流、景元、丹楓、応星が揃って
星から星へ、数珠つなぎの
『上空から見た限りだと、敵方の本陣まで、右の崖沿いが一本通ってますッ——二人とも、そのまま真っ直ぐ!』
『こちら本営。左翼は片付いた! 連合は所詮、寄り合い所帯だ——頭さえ落とせば、勝手に散る。読みの答え合わせを頼む。無論、存分に暴れて構わない。ただし敵の旗は残してくれ。奴らはどうも大層、旗を誇りとしているらしい。最後は投降に使えるだろう』
耳元の通信に、白珠と景元の声が続く。
見上げれば、薄雲の下で白珠の星槎が翼の群れと
追いすがる造翼者たちの放つ砲撃を木の葉落としで躱しきり、尋常じゃない角度で旋回——他方で造翼者の降下は速い。が、それは直線的な速度の話であり、とどのつまり曲がり切れなかった。
故に落ちる先へ白珠が
撃ち漏らした一群は空高くへ釣り上げ、丘へ降りかけた影をことごとく引き剥がしていく。駆ける二人の頭上に敵の影が差さないのは、あの操縦と砲のおかげだ。
——まったく、翼持ちどもの本領である空で、よくもああまで臆さず飛ぶものだと鏡流は思う。
隣に並んだ是印を、鏡流は横目で一瞥する。
……冗談のように
そんな鏡流の内心など露知らずとばかりに、
「おーし、どっちが大将首を先に獲るかで勝負します? 鏡流先生」
「抜かせ——誰に物を申しているッ!」
馬鹿弟子が言い切るより早く、鏡流は更に加速した。
——此度も、激しい戦だった。だがそれも、この丘で終わる。タラサの二の轍は踏まない。
すぐに
丘の上の空が、
翼だ。数えるのも馬鹿らしい数の翼が、敵の旗の上で渦を巻いている。
歩離人流の武具に、正真の翼。奴らの誇る急降下は矢よりも速く、まともに受ければ盾ごと兵が消し飛ぶことは想像に難くない。
その渦の芯が、突如、
割れた。
ひときわ大きい影がひとつ、四枚の翼を打ち鳴らして旗の前に降り立つ。手にした
——敵の首魁か。
「——俺は、
「てめーに名乗る名はねぇと言いてぇところだが、
——『
なんだそれは。
朗々と言い切った馬鹿弟子に、鏡流はこめかみを押さえたくなるのをただ堪える。先の戦では確か、愛だの真実だのと世迷い言を並べていたし、聞くたびに違う口上を性懲りもなく繰り出すのはなんなのだ。腐った性根に汚泥がこびりついてでもいるのかと鏡流は思う。
「——応、星」
名を舌の上で転がすように、
「聞いた名だ。豊穣を脅かす仙舟の狂鬼——だが噂の男は、口上が毎度違うそうだが。お前は、はたして本物か?」
「……ドーモ、はじめまして
ぬけぬけとカタコトで言う馬鹿弟子が、長剣を肩に担ぎ直し、
「てめーのその
世も末だと言わんばかりの表情が一瞬浮かんでしまった鏡流はそれを振り払うと同時、
『——二人ともッ、地面! 崖の向こうから、手強そうなのが来ますッ!!』
白珠の警告が言い終わるより早く、地が呻った。
丘の裏の斜面から、岩を蹴り砕く音を連ねて、影がもうひとつ頂へ躍り上がる。
他の慧駿族より二回りは大きい。隆々たる馬の四肢の上に人の上半身が据えられた半人半馬——慧駿の将。
得物らしい得物は提げていない。岩を割ってきたその
「——いいだろう。地は
挟撃。
積荷と船団を食ってきた連合の型が、いま二人に向けて組まれた。
背中に、背中が当たる。
「あちゃー、どっちがどっちやります、先生」
「無論——翼は我がもらう」
「はいはい。んじゃ、積年のハズれ馬券の恨みを、かわいい弟子が晴らさせてもらいますわ」
軽口が終わらぬうちに、空が墜ち、地が隆起した。
丘の下は丘の下で、戦の只中である。頂を見上げる暇のある者など、敵にも味方にもいない。
故に、この戦いは、彼らだけのものだった。
雑兵とは全く違う
地に触れる寸前で四枚の翼が別々にうねり、槍じみた一撃が横薙ぎへ化ける。鏡流は仰け反りざま穂先を受け流した。頬の横で火花。背後の岩が縦に裂ける。
——面白い。
口の端が、勝手に上がった。
視界の端では、
が、心配などしてやるつもりは毛頭ない。それくらいでくたばるようなら、馬鹿弟子ですらない、ただの馬鹿だ。
潮目は、思ったより早く来た。
以前、飛行する鷹を落とせるかと景元に言われたことがある。その時も返答はなくこうした。
白い一線が、奔る。
半瞬遅れて、同じ軌道にもう一本。
二つの閃がひとつに重なり、四枚の翼をまとめて刈り取った。
羽根の雪。落ちる巨躯。貰った——
次の瞬間、翼が、生えていた。
骨が伸び、羽根が編まれ、刈ったはずの四枚が、落下の途中で元の形へ戻っていく。着地した裂嘴は埃を払うでもなく、新しい翼をゆっくりと広げてみせた。
「
嘴の奥で、嗤う音がした。
「幾度でも、生える。それが豊穣の加護だ!」
斬れる。届く。だが——殺し切れぬ。
舌打ち。
胴を割った。塞がった。翼を落とした。生えた。こちらの息が上がる速さと、あちらの治る速さ。帳尻が合わない。
ならば、どう殺す。どう——
烈風が、交差する。
「どわったぁッ!?」
砕蹄の突進に、馬鹿弟子が真正面から吹き飛ばされた——ように、見えた。
違う。
弾かれた者の体勢ではない。蹄の一撃を刃の腹で受け、殺さずに斜めへ流し、その勢いごと宙へ跳んだのだ。
「ってェな、いくぜ、お返しだ!
先生仕込みの――
頭上では是印が不安定な体勢のまま身を捻り、勝手に名付けたらしい技名を叫び、
振り抜いた。
見えぬ斬撃が、視界の端から端までを薙ぐ。
眼下には、勢いを持て余して曲がれぬ砕蹄。その延長線上に、新しい翼を広げた裂嘴。——一つの太刀筋の上に、二つの的が並んでいる。
曲がれぬ突進の背を、まず太刀筋が捉えた。砕蹄の巨躯が血煙を噴いて、たたらを踏む。深手だ。
他方で、裂嘴は——避けた。
幾度斬られても嗤っていた化物が、嗤いを捨てて退がったのだ。四枚の翼が悲鳴じみた風切りを上げ、それでも逃げ切れなかった斬撃の端が、生えたばかりの翼の付け根を浅く裂く。
余波の、掠り傷である。
あれほどの大技を振るって、裂嘴に付いたのは
だが、
裂嘴の動きが、静止した。見開いた瞳に映るのは、
掠り傷。されど、
血が一筋落ちて、落ち続けて——塞がらない、傷。
どの戦で塩梅の違いはあれど幾度も豊穣の加護で塞がる傷を見てきた。その目が、塞がる気配のない傷を捉えて、離れなかった。
その光景を目の当たりにし、鏡流の胸の奥で既視感が疼いた。
丹楓の放った水龍は、是印により奇怪な
それは、剣のおかげだと笑う是印の後ろで、棚に上げたまま忘れていた小さな棘。
眼前で見舞われた一撃は、あれと、同じに、見えた。
「……なに?」
そして誰より
「先生ッ!」
馬鹿弟子の声が飛ぶ。振り向きもせず、砕蹄の蹄を捌きながら。
「――鳥刺しとか好きすか?」
どうしてか。口端が上がってしまった。
そして、何故、と問うのは、後だ。
鏡流は身を低くし、地を蹴り、飛び上がる。
狼狽した翼に、曲がる降下はもう打てない。
一歩で懐、二歩で刃圏。裂嘴の大戟が遅れて回る——遅い。
「——嫌い、ではない」
陣刀が、鳴いた。
かつて本物の応星によって打たれた刃が、千翼の首を、今度こそ落とした。
どう、と地響き。倒れる巨躯が旗竿を巻き込み、へし折れた連合の旗が骸の上へ被さる。
返す視線の先でも、砕蹄が止まっていた。
首魁の骸と、折れた旗と、こちらの刃とを順に見て——それでも、蒸気を噴く。
巨躯は既に傷だらけだった。空臨斬とやらに割られた胴の深手。馬鹿弟子と更に削り合ったのであろう、四肢の無数の裂き傷。そのどれもが——閉じていない。
豊穣の眷属が、血を流したまま立っている。
それでも、前へ出た。
一歩。蹄が丘を掴む。二歩。傷口という傷口が開き、流れるものが脚を伝う。三歩目——踏み出した前脚が、深く沈んだ。
沈んで、なお、立て直す。
——最後の一撃を。
鏡流は陣刀を返し、正面から迎えるべく構え直した。手負いであろうと、退かぬ者を背で受ける法はない。
だが、砕蹄の不退転の決意に応じるよう、一歩踏み出しかけた鏡流の前で、
巨躯が、崩れた。
膝から、胴から、順に丘へ折り重なっていく。走るために生まれた四肢が、最後は走った形のまま横たわった。
名乗らなかった将は、終いまで一言も持たぬまま、静かに丘へ沈んだ。
頂に、風の音が戻ってくる。
頭を失った連合は、読みの通りに崩れ始めていた。地の軍列が退き、空の翼は散り散りに高度を捨てていく。
沈黙を破ったのは、通信の向こうの、長い長いため息で、
『……はぁ……旗は、残してくれとお願いしたはずですが』
視線を戻せば、無残にへし折れ、大穴のあいた連合の旗が、首魁の骸の下敷きになっている。
鏡流は剣を収めつつ、嘆息し、
「……やれやれ、まったく、本当に仕様のないやつだ。もっと上手くやれぬのか、お前は——」
そいつの方へ顔を向けた。当然、
「い"え"え"え"え"ッ、俺ェッ!? いやいや何、自然になすりつけてんすか、そっちやったの先生でしょ!」
「うるさい馬鹿者が! 弟子ならば師匠をかばうのが筋であろう!」
「え、エグ、パワハラじゃん……せめてセクハラにしてください!」
『はぁ……』
『ふっ』
『ふ、ふふっ……あはははっ!』
通信の向こうで景元の長い息が落ち、無事に死線を越えたらしい丹楓と白珠が堪えきれずに吹き出す。
『だが……これで、雲騎軍の常勝不敗伝説は続くことになる、か』
『それなんか最近よく聞きますねぇ。それよりもっ、今晩のお酒が楽しみですーっ!』
『まったく気が早いよ、白珠さんは』
『あーっ! 景元、だから白珠でいいですって!』
戦勝の解放感による浮ついたやりとりを聞いていたが、労いの言葉を最後に通信が打ち切られると鏡流は、
「——おい馬鹿弟子」
「へい?」
先ほど頭をかすめた疑問を問おうとして、そのいつものとぼけた顔を見ていたら、
「……いや、」
なぜだろうか。喉につっかえた。
「……先ほどの賭けだ。忘れてはないだろうな。どちらが首を先に獲るか」
「あー……はい」
「お前から持ちかけたのだ。責任を取れ」
「何をすか?」
察しの悪い馬鹿弟子に、もう一度ため息をこれ見よがしにしてみせて、
「——鳥刺しを作れ」
日が落ちようとする頃、勝利に
どこで都合したのか、羽根をむしられた鳥が一羽。馬鹿弟子は鼻歌まじりに包丁を握って——その左腕の布が、目に入った。
自分で巻いたのだろう。ひどい巻き方だった。
「貸せ」
「え、なに、手伝ってくれるんすか」
「腕だ、馬鹿者」
岩に座らせ、布を解く。
手が、止まった。
革ごと裂かれた傷のはずだ。砕蹄の蹄の勢いを腕一本で払った、あの時に負傷していたのを昼に見ている。
その傷がなかった。
それはつまり、
幾度も見た。胴を割られては塞がる翼の首魁を。腕の肉を編み直した、あの狼の獣王を。
——同じ、治り方だ。
布が、手から落ちた。
次の瞬間、陣刀の切っ先は、是印の喉元にあった。
「動くな」
包丁を握ったまま、弟子が固まる。
「ちょっ……先生!?」
「その治りは、なんだ」
声が、自分でも驚くほどに冷え切っている。
「豊穣の加護を宿す者は、忌み物。忌み物は、斬る。それが仙舟の理——剣首の責務だ」
切っ先を、半寸も揺らさずに。
「答えろ。……それ次第では、斬る」
夕日が、二人の影を長く引いていた。
弟子は、ゆっくりと包丁を俎板へ置いた。両の手のひらを、こちらへ開いてみせる。逃げも誤魔化しもしない目だった。
「……あー。やっぱ、どっかでそうなりますよね」
観念したように、ツバを飲み込み、
「えっとぉ……この身体は——特殊な事情がありまして。名前は言えねーんすけど、あるすっげぇ天才クラブのおねーさまに、魔改造された結果がコレなんすよ。大怪我しても、飯食えば治ったり、老けにくかったりする、大変エコなボディでして……」
目が、まっすぐこちらを見た。
「俺は、豊穣のヤツら側じゃないです。他はともかく、これだけは信じてください」
いつもふざけたことを抜かす口調とは違っていた。
「……忌み物と同じ力を有する者の、何を信じろと言う。いつか裏切る算段でないと何故言えるッ!」
沈黙。
眉を潜め、適当な返しが見つからなかったのだろう。
代わりといわんばかりに。
是印は己に突きつけられた喉元の剣先を握った。刃が掌に食い込み、つつと赤い線が垂れていく。
「————ッ」
「なら約束します。俺がこの力を使うのは、みんなを守るときや助けるときにしか使いません。
だから、俺がちょっとでも裏切る素振りを見せたら、そん時は——先生が
夕日だけが、燃えていた。
誓いなど、いくらでも破れる。言葉では軽い。
刃を握る掌から目を離すことが出来ない。
「先生なら、出来ますよ。他はどうか知らねぇけど。信じてる。きっと——あなたの剣なら、俺の首だって獲れる」
何を、言う。
他人事のように、
お互いの揺るぎない視線が交差し、やがて、
「…………離せ」
ゆっくりと、陣刀を降ろした。
是印の指が離れ、赤い線の走る手のひらが、所在なげに開いたままになる。
「その時は——師である我が、この手で斬る」
言い切って、鞘に納めた。
「ゆえに、事情とやらは問わずにおいてやる。その約束が生きているうちは、な」
「…………ざっす」
是印は、安堵とも覚悟ともつかない息をようやく吐き出し、
「おーこわかった……でもま、りょーかいっす」
引きつった笑みを浮かべる顔は、いつもの馬鹿弟子のそれに戻っていた。
「手を出せ」
「え?」
「動くな。二度言わせるな」
落ちていた布を拾い、開いたままの掌を取る。赤い線に沿って、きつく巻いた。
「いやあのすぐ治——」
「うるさい。馬鹿弟子め」
頭をはたき、それでも、巻く。
結び目を締めると、弟子はくすぐったそうに指を曲げた。
「どもです。……で、先生。そろそろ包丁いいすか。鳥がぬるくなるっつーか……その、言おうか迷ったんすけど実は結構ってか、かなり……鳥刺しリスキーかもしんないっすよ。調理法変えません?」
「……お前が持ちかけておきながら約束を
「いやいやいや、命が惜しいんで正直に言ったんすよ! 下手するとお腹ピーピーエイドになりますよ! 剣首が
物凄い勢いで睨まれ、かつ、への字に結ばれた口にご機嫌が急転直下したことを悟った是印は、
「わ、わーりましたって、代わりのヤツなら何でも作りますから」
腕を組み、茜色の空を見上げてから、鏡流はぽつりと、
「…………
言葉を読み計らったようにかぶせてきた馬鹿弟子に手刀を叩き込む。
悶絶していた男は、やがて懲りないように、にんまりと笑って、
「——だと思いました」
頬のあたりが妙に熱いのは、夕日のせいである。そういうことにする。
「いいから作れ。——炒飯を、だ!」
「アイアイマム! パンパカパーン、こんなこともあろうかと
* * *
勝ち戦の後など、相場が決まっている。
盛大な宴である。
大鍋がいくつも急ごしらえの
他の調理兵に交じり、歯茎を剥き出しで鉄鍋を振るう弟子の掌に、もう布はなかった。晒された手に傷の名残もまた、ない。
鏡流の器も、秒で空になった。
二杯目をよそうべく笑顔で迫ってきた給仕係から逃れるように、彼女はそっと輪を抜けた。白珠も、丹楓も、景元も、それぞれが別の輪の中にいて、誰にも咎められはしない。
丘の裏手、
——完璧な、戦だった。
昼の丘を、指が勝手になぞり返す。
大将首は、獲った。
だが、
獲れたのは——我が身一人だけではなかったからではないのか。
その力は単純な理屈で、比肩するものがなくなっていくほど強大になる。
昼間の造翼者も慧駿族も、そして——あの歩離人の王も。
仙舟において、それらに
取り逃した、と思ってきた。いや、本当にそうなのか。そう、思いたかったのではないのか。己では
疑念が鎌首をもたげていく。
そして、経緯がどうあれ、応星と共に
——この先、我より、むしろ。
声が蘇る。
——先生なら、出来ますよ。他はどうか知らねぇけど。信じてる。きっと——あなたの剣なら、俺の首だって獲れる。
「
喉の奥で、乾いた笑いが鳴った。
故郷である
何もかもがみな剣の周りに実ったものだ。
それが剣首。
それが鏡流。
では、そんな者から——剣を取り上げたら、何が残るだろうか。
何も、ない。
白珠のことを、思う。
出逢ったときからどこぞの馬鹿の馴れ馴れしさとは違う、親しみやすさでもって、気づけば友と呼べる関係に収まっていた。
操縦桿を握る手で、針も持てば、竈の前にも立つ。誰かの破れた袖を、笑いながら繕ってやるのを幾度も見た。そして何よりも、情が深い奴だ。およそ女に求められるものを、全て持っている。
炊事も、洗濯も、縫い物も——女の手習いは何ひとつとして、この手は覚えていない。
求められなかったからだ、と言えば聞こえはいい。求められるより先に、この手は剣で埋まっていたのだから。
剣を抜けば千の敵を斬れるこの手は、剣を置けば、ただの
なれば……いっそのこと。
剣首の座を、あれに預けて。
預けて、身軽になって、あの首を追う旅に——出て、どうする。
一人では獲り切れないかもしれない首を、一人で追うのか。
それは旅ではない。逃げ、という。
自嘲の形に、口の端が動いた。そのときだった。
「あるェ〜? 見ーーっけ! いやーさーがしましたよぉ、先生」
振り向くと、今一番会いたくなかった顔が篝火を背にして立っていた。片手には振る舞い酒から分けたと思しき小ぶりな甕が麻縄でつるされている。
どうやら調理係ともあろう者が、火の前から抜けてきたらしかった。
「……お前か」
「どしたんすか、こんなとこでひとりたそがれちゃって」
「何でもない。宴に戻れ」
「いやいや、何もないはずないでしょ」
「うるさい」
立ち上がりざま、追い払うように手を振るが、馬鹿弟子は一向にこの場を去ろうとしなかった。
押し問答が沸点を超えかけた——その寸前、
「あ、ちょいタンマで」
是印が手を叩く。
「こんなことしてる場合じゃなくて——行きましょう!」
「な——おい!」
手首を、掴まれた。
昼、刃を握った方の掌だった。
答えを待つ気など、
引かれるまま、とうとう丘をひとつ越えてしまった。
窪地一面が、ほのかに光っていた。
遅れて気づく。
花だ。
昼には誰も目をくれなかった、なんの変哲もない草地。その一本一本が月光を受けて、白く輝く花を開いている。風が渡るたび、花の海がゆっくりと明滅した。
頭上には、ジュコンの月。
欠けのない、大きな月だった。
「これは……」
「すっげぇ……ツキミソウ、ってやつなんですかね?」
是印は確信はないのか語尾を上げながら言って、提げてきた
「昼間、偵察やら食材調達やらで通りかかったときに蕾を見つけて。——ほい、先生」
座って座ってと適当な布を敷いた上に座らせられ、杯を握らされる。なみなみと注がれた酒の面に、月が落ちて揺れた。
「乾杯〜」
勢いに押されるまま、杯を鳴らすと是印は隣にどかりと座り、自分の杯にも月を注いで——それきり、黙った。
どれほど、そうしていたかはわからない。
白銀に輝く月の下で阿呆みたいに二人して杯だけを持っていた。
やがて、是印は杯を掲げ、月をひと揺らしさせて、一息に干した。そして、
ぽつりとこぼす。
「まぁこの花の正体と一緒に、なんか豆知識に詳しい
この花は、一晩で散るのだという。夕に開いて、朝には萎れる。それだけの命で、これだけの野を光らせている。
「一晩で終わりなんすよ、こいつら」
是印が、花の海へ顎をしゃくった。
「で、先生は長命種でしょ。俺も——ほら、エコなボディなんで。長いと、途中でいろいろ飽きるじゃないすか。でも」
月を、仰ぐ。
「一晩でこれだけ本気で咲くやつらがいて、それを見れる夜がある。どうすか、こんな綺麗な風景見れんなら——人生ってそう捨てたもんじゃなくないすか?」
答えは、持たなかった。
代わりに、杯を口へ運んだ。
月ごと、一息に。
喉を落ちていく熱の向こうで、確かに——酒ではない何かの味がした。
空の杯を眺めていると、隣で弟子が手酌の二杯目を注ぎながら、
「……先生、憧れの人とかいます?」
なにを、急に。と思った。
「俺は、いますよ。そんでその人は——名前が、まあ、エム……いやケーさんとしときますけど、
——その人に生きる意味を教わったんです」
まただ。
その瞳は、ここではないどこかを見ている。
不思議と、いつぞやの酒の席で是印が口にしていた『本当の家族じゃないが、家族みたいなもの』と、『会いたくても会えない場所にいる』と言っていた存在をさしているのだとわかった。
杯に浮かぶ月は、ゆらりと揺れ、輪郭を崩す。
「別に誰からも認めてもらいたいわけじゃない。生きる意味なんてそんなの、人それぞれで、俺には俺のゆずれねーもんがあって、他人には他人の何かがある。だから、謝ります。
——すんませんでした」
すぐ、口をついた。
「……何故、謝る」
「俺は、先生にとっての生きる意味——"剣"の重さを理解しきれてなかったんだと思います。前に、他にも素晴らしいものがあるって言ったけど……事実今でもそう思ってるけど、……
言って、深く頭を下げる。
「……軽んじたのは、お前ではない」
その様を見て、言葉はまたしてもすぐに口を突いた。
「今宵、この剣を最も軽んじていたのは、
——他ならぬ、我だ」
へ? と間の抜けた声とともに、間抜け面が上がる。
「剣を取り上げられれば何も残らぬと、空の手だと、価値を秤にかけていたのは我の方だ」
「えっと……?」
ワケがわからないよという顔が面白い。だけど、親切に説明してやる気もまた起きなかった。
——生きる意味は、人それぞれ、か。
「まったく——本当にお前は馬鹿弟子だ」
ならば、剣を胸に置いたまま、今この瞬間に眼前に広がるような壮麗な世界、そんな素晴らしい物を拾ってもよいのかもしれない。
空の手、と思ってきた。
でもそれはむしろ——空いている、とも言えるのかもしれない。
剣しかないのではない。剣には、まだ入る余地があるのだ。
だとするのならば、
「——それほど素晴らしいものは、この世に多くは存在しない、か」
この月下の花を知らなかった昨日の剣と、知ってしまった明日の剣は、もう同じ剣ではない。守るものの輪郭がひとつ増えれば、断つべきものの影も、ひとつ濃くなる。
生きて、世界を知ることは——剣を、
天の星を切り落とすまで振るい続けると誓った剣ならば。空の美しさも知らずに、どうして星へ届く。
殺し切る力が余所にあるなら、それでよい。己は、届く剣をなお高くへ研ぐまでのこと。あの歩離人の王とて——天の星の、途中にあるひとつに過ぎない。
口が、動いていた。
「謝罪は受け取らぬ。代わりに——示せ」
「……あ、はい?」
「剣を軽んじぬまま、なお素晴らしいと言い張るものが、もっとこの世にあるなら。これから先、
——教えてくれ」
弟子は目を丸くして——それから、月より明るい顔で笑った。
「押忍っ! 承りました。約束します、うまいもんも綺麗なもんも、片っ端から教えてさしあげましょう!」
「言ったな——言葉での謝罪より、そちらの方がよほど骨が折れるぞ」
「いやーそれは宇宙一かわいい弟子にお任せあれってやつですって。こんなに師匠想いの弟子いねーっすよ」
その根拠のない物言いも、いや、その物言いこそが、
「そうか」
「——あり? いや違うでしょそこは」
「——とでも言うかと思ったか。馬鹿弟子が」
何故だか無性に頬が緩む。
「ん? お、きたきた
丘の下から、灯がひとつ上ってきた。
「あーっ!! いたっ、いましたよ二人とも!!」
夜気を突き抜けるような、白珠の声。
「勝ち戦の主役が二人して雲隠れとは。宴の座が持たないだろう……、まったく」
「……ほう、これはやはり、——美しいな」
景元のぼやきに、丹楓の低い声が続く。丹楓は丘に上がりきったところで足を止め、月見草の野を一度だけ、静かに見渡した。一晩で散る花の海を。そして、ある人物もまた。
「やーさすがロマンチストなふーたん! 死亡フラグも回収しなかったし、えらいぞ! またなんかの権利あげちゃう!」
「……その呼び方をやめよと、何度言えばわかる」
「えっ、なになに、フラグとか権利って何のお話ですかっ?」
白珠が花を掻き分けて駆けてくる。片手に提灯、もう片方に——宴の飯から何品か見繕ってきた鍋を、ちゃっかり持って。
「お花畑にお月さまにお酒! これはもう、宴のつづきをここでやるしかないやつですっ!」
言うが早いか、腰を下ろす場所を探して、くるりとこちらを見た。
鏡流は、是印との間をあけようと、黙って半身ぶん腰をずらそうとして——止まり——逆に詰める。
「ちょ……」
「えへへ、では逆に是印さんのお隣いただきましたーっ」
白珠が反対側の隣に収まり、
「あ、おいっ」
「ハハッ、気を抜いていたな、兄貴」
景元が是印の手から杯を分捕り、丹楓が甕を検分して、
「ふむ、悪くない酒だ」と頷く。
「——ったく、お前らせめーよ……なんなんだよ!」
月見草の野に、五つの影が輪になって座っている。
昼、戦場で睨み合っていた地と空の代わりに、いまは花と月が、その輪を囲んでいた。
その様を見て、鏡流の唇が動く。
——この世にこれほど素晴らしいものが、剣の他にも、
——確かにある、のだな。
欠けのない月が、それを黙って聞いている。
いつまでも続けばと思うほど、
そんな美しい光景であった。
執筆時BGM:
「月がわたし」alan
「語り継ぐこと2012」元ちとせ
「最高の片想い」タイナカサチ(応星 -青年篇- テーマソング)
えらく難産だったが、テーマソングをようやく開示できてうれちい。