遠吠えが聞こえた気がした。
暗い。
どこの星ともつかぬ荒れ地に、火が三つ、低く
そこは陣と呼べるほどの形はなかった。ただ、輪の真ん中にひとつだけ場違いなものが据えられている。
香炉である。
青銅製、片耳の欠けた小さな炉だ。土くれの只中で、それだけが不気味に鎮座している。
そして、
香炉の前には、男がひとり繋がれていた。
仙舟の軍装。肩章は前線の一般兵のものだ。幾日も引き回されたのか頬はこけているが、眼にはまだ火が残っており、縄を軋ませては、囲む影たちを鬼の形相で睨み返している。
影のひとつが、炉に火を入れた。
たちまち漏れ出てきた煙は、紫。
甘いような、焦げたような匂いが、風のない夜へゆっくりと広がり、男の顔にかかる。男は顔を背けた。息を止めた。だが、いつまでも止めているワケにもいかない。耐えきれず、男は呼吸を再開する。
変化は、静かに来た。
睨んでいた眼が、ふ、と焦点を失う。それから、目玉が飛び出るかのように見開かれる。男は誰もいない闇に向かって何ごとかを叫ぶ。名前なのだろうか。叫び。それから詫びる。詫びて、叫び、また笑う。と思えば叫ぶ。
それが延々と繰り返されるうち、声は
囲む影たちは何もしない。手も出さず、声もかけず、眠りもせず、ただそれを見ている。
ひときわ大きな影が、火の明かりの届かない岩の上にあった。伏せた獣のような輪郭のまま、身じろぎひとつしない。
流れる煙の行方だけを、眼で追っている。その岩の下には、香を届けてきた者らしい旅装の細い気配がひとつ控えていたが——夜のいつからか、消えていた。
——朝が来た。
男は、まだそこにいる。
縄はすでに解かれていた。もう必要ないとばかりに、側でとぐろを巻いてほったらかしになっている。なのに、
男は膝を抱えて座り、濁った眼で地面を見ていた。影から戯れに呼びかけられても応えない。
ただ時折、喉の奥で、獣によく似た音を立てた。瞬間、
男は四つん這いのまま、およそ人とは思えぬ速度で岩を駆け上り、一際大きな影に迫ろうとして——
あっけなく振り下ろされた太刀によって、真っ二つとなった。
大きな影が吠える。
それに続く形で影たちも一斉に吠え始める。
やがてそれが朝日に溶け出す頃には、荷をまとめ、火を蹴り消して、動き出す。
その荷には——封を切っていない包みが、幾つも、大事そうに積まれていた。
* * *
鋼の噛み合う音で、朝が始まった。
場所は朱明。
長らく空けていたが懐炎将軍の計らいにより維持はされていた応星の家の、庭先である。
——鏡流による鉄拳制裁を食らった是印が綺麗にドリル回転しながら星になった後、遅れて白珠とともに酒場に来た応星は鏡流と再会するに至った。
その際に、見違えるほど立派な成人男子となったその姿を目の当たりにし、ほおと口端を上げる鏡流へ応星はこう伝えた。
「お久しぶりです。旅立ったあの日の約束を——果たさせてください」
そして、
どうにかこうにかブエナキャリオンから鏡流と、ついでに『ジャックにもぶたれたことないのにほっぺが痛いよー痛いよー』とわめき続けてまた殴られていた是印を連れ帰って、幾日か経っている。
行き帰り送り届けてくれた白珠は借り物の星槎の返却と、新たなる自分用の星槎の調整があるとのことで曜青に戻っていった。
さて、その庭では——
鏡流と、是印が、打ち合っている。
白と、赤橙。目を引く二色の髪が、朝の光の中で交わっては離れる。
踏み固められた庭土にはふたりぶんの足跡が幾重にも重なっており、稽古といえどその激しさを物語っている。
応星は二人用の冷茶を載せた盆を縁側に置き、腰を下ろした。
止める気などない。
今の二人の"手"を知りたいがために、真剣によるこの組み手を頼み込んだのは、応星自身なのだ。
膝の上で、例の帳面を開く。
仙舟の外を巡る旅の十年を綴じた、あの分厚い設計帳だ。
鏡流に関する頁は、めくってもめくっても、書き込みすぎてもはや黒に近い頁が続く。十年ぶんの線と数字——腕の長さ、握りの型、踏み込みの寸。そんなものは序の口で、仙舟を離れている間の便りと噂と記憶に加え、何より旅で得てきたあらゆる経験と知識を継ぎ足してきた、まさに応星の全てが詰め込んであるといっていい。
だが、
——兄に関する頁には、決まったものがまだ何ひとつない。書いては消しを繰り返した跡ばかりが幾重にも残って、応星の苦心が伝わってくる。
気づかれぬように細く息を吐き、帳面から顔を上げる。
——なんて速さだと応星は思う。
だが、感嘆するのは速さに留まらない。
——それにしても、
鏡流の剣だ。
十年前も余人の届かぬ高みにいる技量だったが、今はそれすらも遙かに上回る次元にいると応星は舌を巻く。
およそどの界隈でも達人の
流麗。
そんな陳腐な言葉もまた応星の脳に浮かぶ。
一の太刀の軌道から、半瞬遅れて、二の太刀が寸分違わずなぞる。受ける側の剣には、同じ点へ、同じ角度で、二度目の負荷が乗る。本来、鋼にとって一番むごい入力だ。
一撃目で入った目に見えない歪みの真上に、二撃目が正確に重なる。並の鋼なら、二度目で耐えきれず折れるだろう。
折れずに受けている兄の剣も大概だが、本題はそこではない。同じ軌道を誤差なく完璧に二度なぞる制御が、機械でなく人間の腕で成立している——そのことのほうだ。
まだある、当て方も異様だ。
鏡流の刃は、当たる瞬間に全く力んでいない。ただ重力に従っているだけとでもいったような自然さ。究極の脱力。
触れる深さ、力を流す先、止める位置。どれもこれも接触より前に、全部決めてある。いや既にそうあるよう定まっていたとでも言わんばかりだ。
すなわち、この
——だからだろう。剣に、負荷が残っていない。
振れば振るほど、斬れば斬るほど消耗するのが刃というものだ。受ける側に乗せたのと同じだけの力が、本来は振った側の刃にも返る。
仮に武器の耐久が目盛りで見えるなら、是印なら振るうたびに削って、終わる頃にはずいぶん減っているだろう。対する鏡流は、いくら振ってもほとんど減っていない。次も、その次も、そのまま使える。
鍛冶師の眼が、鏡流の剣から離れない。
——探していた条件が、揃っていた。
応星は、鏡流向けの剣の構想案を記していた頁の終わりに、それだけ書いた。
——かつて
応星はあの決して忘れることの出来ない破断を、十年、頭の中でひたすら反芻および検分し続けてきた。
悪夢としてうなされ、飛び起きたことも幾度となくある。
その都度、構想図を引き直し、構造条件を変えて、また引き直して、時には到底朱明には及ばない設備のもとでも試作をしてきた。
そして、その検分の答えが確信に変わった。
これほどの使い手でなければ——そもそも、渡せない代物なのだ。
眼前で繰り広げられている打ち込みは、更に加速し、重くなっていく。
「ちょちょちょ!!!???」
是印が受けるたび、次はその半歩内側へ。
「——っブなッ!! 待っ、先生、いま頬かすめかけた! ぜってー狙ったでしょ今の!!」
「狙ってなどいない……チッ」
「舌打ちしてるじゃん! ううぅ、先生にぶたれた頬の古傷が、あーまた痛くなってきたよー、痛いよー」
兄が空いた手で頬を押さえ、庭中に響く声で主張し始める。鏡流は瞬間的に額に
「どうやら、やはり拳では足りなかったようだな」
「いやもう足り過ぎなくらいっすけど、……はぁ、頬に愛を込めた
「…………ッ!」
口を尖らせてぶーたれる是印に、鏡流の返答はなく、
その足元へ、すでに次を踏み込んでいた。
そして——ここからが、この朝いちばんの検分対象になった。
——速い。さっきよりも数段。
返答の代わりに来た一太刀は、それまでより半歩深く、次までの間が笑えるほど短い。是印も泡を食いつつ、どうにか受けるが、受けたその剣の上へ、二本目が落ちる。三本目。四本目。減らず口を挟む隙を潰すように、打ち込みが密になっていく。
怒っているのだろう、多分。だが手元は少しも荒れていない。速くなっただけだ。速くなって——それでいて、寸分の狂いも生じていない。
是印の顔から、汗が伝い落ちる。受けるだけで、手一杯。
打ち込みは、もはや雨だった。
速くなるほど、隠しようのないものが出る。刃の癖も、持ち手の癖も。——応星の眼が、細くなる。
そんな雨の中、鏡流がふいに口を開いた。
「——是印、我がいない間に鍛錬をさぼったか? 少し手ぬるくなっているぞ」
「サボっ……!?」
是印の眉が撥ね上がった。ついでに口をぱくぱくさせ、出てきたのは妙に歯切れの悪い抗議である。
「いやいや人聞き悪いっすねッ! そ、そんなことは……ないもん! やってた、はず! 多分!」
「なんだ、その答えは!」
「やめてーッ! 怒りのゲージ次第でますます速くなってる!!」
あーこれサボってたのかな——と、応星は胸の内で繰り返す。
十年前の兄を知る目からすれば、いま庭で起きていることは、それだけで十分に化け物じみている。なにせあの兄が、鏡流の剣を受け続けているのだ。
ただ——確かに、どこか違和感がないこともない。
受けの構えは昔の喧嘩腰のまま。かと思えば時折、鏡流のような足運びが混じることもある。
整った剣と、粗い剣。ひとつの身体の中で、たとえるならふたりの剣士が交替で出てくるような不揃いさだった。
そして鏡流の小言は、決まって、粗いほうの瞬間に飛ぶ。
整ったほうが出て当たり前——そういう前提の、叱り方だ。
圧が、さらに一段深くなる。
詰め将棋は、もう詰めが近い。後のない是印へ、鏡流は畳みかける——のではなく、むしろ焚きつけるように言った。
「どうした。いつものように馬鹿丸出しで空臨斬と吠えないのか」
「————はい?」
是印の剣と足が、同時に止まった。
打ち合いの最中とは思えない、隙を丸出しにして目が点である。鏡流は追撃しない。刃も下げないまま、ただ待っている。
「——え、なんて?」
是印の目が、超高速で泳いだ。宙を見て、鏡流を見て、また宙を見て——やがて、何かの勘定が合ったのか、合わせにいったのか、遠い目のまま口が動く。
「く、う……ぇ、あ? ……あー? あーあー? はいはい、ま、その、まぁ、たまにはもったいぶらせてくださいよォ〜、クーリン? ザン? クーリンザン」
片手をどうどうどうと落ち着かせるように突き出し、
そして何回か棒読みのままブツブツつぶやきながら、フーッフーッっと自らを落ち着かせる、あるいは気合いを入れるように呼吸をすると、徐々に是印は構えをとり——剣を、鏡流とは明後日のほうである庭の隅へ向けて、軽く振った。
「これでしょ、これだよね。お願いく、クーリンザーーーーーーン!!!!!」
ヤケクソのように叫びながらとった動き自体は、応星も見覚えのあるものだった。咬骸との一騎打ちの際にも見た、斬撃を飛ばす例のあれである。
刃が宙空を駆け、その延長線の遥か先——庭の生垣の上端が、斜めにずれて、落ちた。
応星は反射的に距離を測る。切っ先から生垣まで、少なくとも五間。あの頃より、届く距離が伸びている。出も速い。溜めが、ほとんど消えている。……まあ、十年も振り続ければ、技は磨かれるのかもしれないと応星は思う。
「ふざけるのも大概にしろ——的が違う」
向き直った是印へ、すかさず鏡流の声が飛ぶ。彼女は剣を提げたまま、構えすらしていない。
「——我に向けて振れ」
「はあ!? 先生に向けて!? 当たったらどうすんすか!!」
「二度は言わん」
「……あーもう! 知らねっすからねッ!?」
もう一度。今度は真っ向から振り抜いた。
それに対し、
鏡流は——躱しも、受けもしなかった。
身に襲いかかる刹那。
半歩、斜め前へ。
大きく振ることさえない。切っ先が、ほんの一寸だけ走る。
白い針のような斬線が、迫る見えない一線の——ただ一点へ、横から刺さり、
空臨斬は、そこでふっと膨らみ、風になった。
庭土の砂と、生垣の葉だけが、遅れて左右へなびいていく。
応星は、腰を浮かせていた。
——鳴らなかった。
空臨斬は、ただ力を投げつける技ではない。斬る力を、前へ進む力へ結びつけて飛ばす技だ。ならば、その二つを束ねる一点が必ずある。
鏡流が断ったのは、斬撃ではない。
斬撃を、斬撃の形に留めていた一点だけだ。
束ねた薪を止めるために、一本ずつ折る必要はあるだろうか。括った縄を一本切れば、それで済む。
言葉にすれば、それだけ。
ただし、その縄は見えず、髪より細く、斬撃とともに飛んでくる。少しでも外せば、空臨斬がそのまま身を割る。
兄の振り出しだけでその一点を読み、寸分違わず刃を置いた。
同じ点へ、同じ太刀を二度通せる——あの腕で。
神業としか言えない。
受けていないのだ。だから、鳴らない。
剣に負荷を残さないあの振り方が、ここでも鮮やかに再現された。
「——ん。剣のほうは、及第だ」
「……アッハイ、あの、あれ……一応、俺の必殺わ……ざ……なんですけど。……つーか」
あっけなく雲散霧消となった必殺技に口を引きつらせつつ、是印は剣を下ろし、生垣の切り口を横目に、ぼそりと呟いた。
「……クーリンザン、て。く、空、臨、斬……? ……採用です……俺が考えたことにしよう、じゃねーわ、俺が考えました」
なにやら聞こえないほど小さな声でぶつくさ言っている兄を差し置いて、応星は帳面を閉じる。
「——よし」
鏡流のあの腕があれば、必ず、扱えるはずだ。
「——鏡流さん、兄さん。もう十分だ。ありがとう!」
縁側から声を張ると、庭のふたりがこちらを向いた。
フンと鼻を鳴らし、鏡流が剣を引く。呼吸もほとんど乱れていなかった。
是印のほうは、糸が切れたように庭土へ大の字に倒れて、ごろごろと転がる。
「お、終わった……なんかボク、脳が疲れちゃったな……はっ、大変ですッ先生、宇宙一かわいい弟子がお疲れ&自信消失でーす。これはもう愛をそそいでくれなきゃイダダダケツに切っ先刺した今!!!??」
「喜ばぬか。愛で
「ちっがうし、一文字抜けてっし、大違いだし!」
——まったく。ほんとうになぁ……。
応星はまぁ通常運転だと苦笑し、冷茶の盆を持って、庭へ降りた。椀のひとつを鏡流へ。もうひとつは、ジタバタしていたくせにスッと地面から伸びてきた手のひらへ載せてやる。
「うう、生き返る〜〜……」
渡しながら、自分の指の付け根が疼いているのに気づく。見たものを早く図に起こして、鋼の厚みと配合の当たりを付けたい。この疼き方は、ずいぶん久しぶりだった。
背中で、炉が低く鳴っている。
朝いちばんに入れた火は、まだ落としていない。
一息ついたふたりを、応星は炉端へ招いた。
母屋の脇の、小さな鍛冶場である。
旅立つ前と同じ配置のまま、あれから宇宙各所で集めてきた素材や道具だけが随分と増えた。そんなだいぶ雑然とした光景の中で、朝一番に入れた火が、炭の奥で低く息をしている。
鏡流に
鏡流の愛剣。十年前、応星自身が打ち、鏡流に収めた一品だった。
頷きつつそれを受け取って、少しだけ抜く。
さすがに刃には研ぎの跡がいくつかある。欠けを直した痕もある。だが、曲がりはないし、歪みもない。無論——折れても、いない。
十年。あの豊穣の加護を相手に振られ続けてなお、この鋼は保った。それはもはや自分の未熟だった腕を補って余りあった鏡流の腕によるものだろう。とはいえ、
「……よく保ってくれた。お疲れさん」
そんな労いの言葉をかけつつ刃を鞘へ戻し、鏡流へ両手で返す。
それで、問うべきことはひとつだけになった。
「改めて、教えてくれ、鏡流さん。
あんたは、——どんな剣を、望む」
炉の火が、ふたりの間で揺れるまでもなく、
「豊穣の加護だろうが——何であろうが、
——切り捨てられる、剣を」
即答だった。
それに対し、
フッと表情を崩した応星は、
「——そう言うと思ってたよ。任せてくれ」
炭の赤を見つめながら続ける。
「兄さんが
十年の歳月を込めて、応星は口にする。
「あれを、偶然で終わらせない。再現できるものを——今なら、作ってみせる」
一拍間が空いて、
「——ただし」
応星は、かたわらの炉を顎で示す。
「ここでやれることは限りがある。この炉じゃ小さすぎる。火力も足りないし、人手も足りない。本番は——師匠の鍛冶場を借りなきゃならない。そこが朱明でいちばんの炉だ」
「アテはあるのか」
「明日、懐炎師匠に頭を下げに行くよ。地べたにこすりつけてでも、何がなんでも許しを得るさ」
鍛冶師の覚悟に、鏡流はそれ以上を訊かなかった。代わりに、わずかに口の端を上げて、
「我に協力できることがあれば何でも言え」
であれば、と応星の頭は先へ進む。
打つ前に、どうせなら確かめておきたいことがある。治る肉の中で、刃がどう振る舞うか。……手近な心当たりが、ひとつだけある。
応星は、兄を見た。
「よし、それなら兄さん。鏡流さんに斬られてみてくれないか」
「ほぉ、いいだろう、そんなことでよければいくらでも協力してやる」
「馬鹿かオメーはよ!」
「冗談だよ」
「命いくらあっても足んねーっつーの!」と叫ぶ兄に笑って言葉を引っ込めた——その応星の向かいで、
鏡流は何か言いたげな顔をしていた。開きかけた唇も、すぐに結ばれ、その眼が、是印をちらと見る。
兄は、「たくよぉ、応星まで先生に似てきちゃってよぉ。俺の扱いどうなってんの、さすがの下僕サンプルもおこだよ。厠に引きこもろうかな」とまだぶつくさ言っていて、気づいていない。
応星だけが、その視線を見ていた。
——心までは読めない。
何を言いかけたのか。なぜ呑み込んだのか。なぜ、兄を見たのか。刃筋ならいくらでも読める。負荷ならいくらでも逆算できる。
——だが、これは完璧には読めない。
おそらくは。
十年ぶんの、応星の知らない何かが、この二人の間にだけあるのだろう。
「あ、つーかさ」
そんな空気を割ったのは、当の兄だった。
「その新しい剣の一本で、どうにかなるもんなのか?」
素朴で、いちばん急所の質問だった。
応星が答えるより速く、鏡流が椀を置いて、
「全く……弟分の覚悟に対して兄貴分がこれでは。お前の苦労も察するに余りあるな。応星」
「まぁ、慣れたさ」
肩をすくめる応星に、鏡流は立ち上がると、
「頼むぞ、工造司殿」
頭を下げる。
「御意に。剣首殿」
応星もまた拱手を返す。
「……置いてけぼりなんすけど……ボク……」
蚊帳の外にされた是印はいじけ始めており、見かねたように鏡流は、
「どうにかなるに決まっている——あの頃とは違う。我の腕も。応星の剣もな、それに——」
言うか言うまいか、一瞬の
「——お前もいるだろう」
その言葉ははたして是印の位置からは聞こえるか聞こえないか、絶妙な音量で。
案の定、馬鹿な兄は『え、なんて? すんませーん、もっかいお願いしまーす。凄い重要そうだったのでークッキリハッキリ大きい声で!』と正気なのかという反応を返して、顔を赤くした鏡流に拳ではなく蹴りを、尋常じゃない数入れられていた。
そのやりとりを横目に、「ほぉ……?」と何やら顎を撫でながら、応星が火の調子を確かめると、
ぱち、と炭が爆ぜた。
* * *
同日夜のことである。
朱明——工造司の本拠、その奥。懐炎将軍の直轄する鍛冶場のうち、いちばん古く、いちばん炉の大きい一棟に、灯りが入っていた。
懐炎が脂ののりきっていた頃に主に使用していた場所だったが、長らく使われていなかった。そんな炉に、工造司の職人たちが取りついている。
その真ん中を、羅浮から来た男が、ゆっくりと歩いていた。
「炉は三日以内に使えるようにしてくれ。炭は上物を。鋼は——彼が持ち込む。こちらで揃えるのは、火と、手だけでいい」
「承知いたしました、参軍殿」
工造司の職人頭が頭を下げる。傍らで随行の属官が筆を走らせ、それから、少し言いにくそうに口を開いた。
「——しかし参軍。ここは朱明で、懐炎将軍の鍛冶場です。羅浮の参軍が采配を振るというのは、その」
「筋が通らない、か」
景元は至極ごもっともだと首肯し、
「懐炎将軍には、昼のうちに話を通してある。頼んだのはこちらだ——次の戦に向けて、敵将・
「なるほど。ですが応星殿からの願い出は、まだ……」
「問題ない。明日にでも、懐炎将軍のところへ頭を下げに行くだろう」
冷えた炉の縁に、景元は手を置いた。そして
「——まったく騰驍将軍も人使いが荒い。次は、何が始まるというのだろうな」
属官も、どう答えればよいのか分からない顔をせざるを得ない。
「……いや、独り言だ。ご苦労だった。先に休んでくれ。羅浮へ、先触れだけ頼む」
「はっ」
属官が下がると、鍛冶場には職人たちの手の音と、鞴の息だけが残った。
景元は、炉の縁から手を離さなかった。
冷たい。長く火を入れていない炉の、冷たさだ。
「参軍殿」
若い職人見習いが、遠慮がちに寄ってきた。
「この炉は、
景元は、少しだけ笑った。
「もちろんさ。何故なら私はここで打たれた剣を握り、その典礼の舞台に立ったことがある」
冷えた火床の縁を、指でなぞる。
「典礼……では、参軍殿も薩蘭殿とおなじ舞台に?」
「いいや、もっと以前のだよ」
それきり、景元は口を閉じた。
古い話だ、と言おうとして——やめた。
だが、そう言って畳めるほど、古くはない。
夜が明ける前に、組み直した火床を乾かすための最初の火が入った。
炎が火床を舐め、闇に沈んでいた梁を、順に照らし上げていく。
その光の中に、景元は、久しく思い出さずにいたものを見ていた。
あの日の、演武台を揺るがすほどの声援を。
執筆時BGM:「道標」SUPER BEAVER
▼おまけ▼
>内心
(なに……クーリンザンて……クーリングオフの親戚? 青タイツの従兄弟? 心当たりがなさすぎるんですけど!!)