「――――ッ~」
そっと息を吐く鏡流先生の手にある鋼板は、元の半分くらいの長さになっている。
折れた先は、台に敷いた布の上へ落ちて粉々になっていた。いやどういう技術よこれ。Nで
「ダメか……これじゃ」
応星はしゃがみ込むと、その粉を指先でつまみ、検分していた。俺だったら『ペロ! これは青○カリ!』ってやって先生にぶっ飛ばされる未来が視えるよ、エリオ。
改めて、しげしげと俺は眺める。
先生が持つそれ――は、まだ剣と呼べるものじゃない。掌より少し長い鋼板に試すための短い柄をつけただけのシロモンだ。もちろん刃も研がれちゃいない。
そう、——あれから鏡流先生のご要望にこたえるべく応星はにんじんしりし——じゃなく、Hey,支離の製作に入った。昼夜を問わずこの鍛冶場に泊まり込みで没頭した結果、早速出来上がった試作一号を、真っ先に鏡流先生のもとへ持っていったのだった。
が、その一号は持っていく途中で応星がくしゃみをした際に折れてしまったのだという。
そんな落語みたいなオチののちに、現在試作は十六号を数えていたが、その十六号くんもこうしてあえなく散ってしまった。こいつの好きだった自然や動物たちを俺はこれからも守っていく所存だ。南無。
高窓から入る光は、いつの間にか作業台の端まで移っていて、
「悪いもう一度だ。今の動きを見せてもらえないか」
「——こうだ」
鏡流先生は残った鋼板を構えた。ぷぷ、なんかお可愛いこと――え、なんで思っただけで殺気をこっちに飛ばせんのこの人?
職人頭の差し出す鉄棒へ斜めに当て、手首を返す。棒を外へ流し、そのまま突きへ移るはずだった。
のだが、先ほどは手首を返す途中で折れてしまったってわけだ。
「ここではまだ保たせろ」
先生が動きを止め、指摘する。
「砕くのは、この先だ。これでは斬り込む前に刃を失う」
「……了解」
応星は先生の指と鋼板の角度を見比べ、砕け残った刃の欠片を拾い上げた。
断面を明かりへ向ける。その隣へ、職人頭も顔を寄せた。
「ここから割れていますね。帳面のちょうどこの線に当たりますが」
「ああ。この位置では早すぎる。次はここを残すよう材質の配分を計算し直さないとな。細かく分けるのは、その先からにしよう」
「厚みはどうします」
「一度に変えるとどちらが効いたか分からなくなる。同じにしておこう」
職人頭が頷き、帳面を引き寄せた。
その向こうでは、見習いがすでに次の鋼を用意している。
……昔はぼっちで、自分ところの炉で朝早くから一生懸命頑張ってたのにな。おまけに、周りの大人たちにうとまれ、毎日のようにしょんぼりしながら家に帰ってくるようないじめられっ子だったわけで、それがいまやこうして、工造司の職人たちを指示する側に回ってる。
ワシが育てた……なんて偉そうに言うつもりはねーけどさ、変われば変わるものなのかもしれねーな。男子、三日会わざればってやつ。あ、十年でしたわ、たはっ!
俺は傍らに置いといた盆を持つ。その上には水の入った椀が四つ。だというのに、誰もこっちを見やしない。
「……あのー。ジャーマネが水を持って来てるんすけど」
応星は顔も上げずに、
「ああ、ありがとう。そこへ置いておいてくれ」
「ああ、ありがとう、じゃねっつの。お前、ここんとこずっとそう言って飯はおろか水分補給すらロクにしてねーだろ。こんなクソ暑いとこでさぁ、干物になんぞ」
「……わかったわかったって。飲む。今、飲むから」
差し出した盆から椀を取ると、応星は半分ほど一息で飲んだ。
その間も、相変わらず目は布の上の欠片と粉を見ている。
「それ、失敗なのか?」
頭と見習いにも椀を渡しに行きつつ、俺自身も少し喉を潤してから椀を盆に置き、また応星の元へ戻ってくる。
「砕ける剣とやらがちゃんと砕けてんじゃんかよ。大成功、とまではいかなくても半分くらい成功じゃねえの?」
「砕けてほしい時に砕けなきゃ、意味がないだろう。特にこいつがいずれ断たねばならない相手が相手だからな」
「めんどくせぇなぁ、一体誰がそんな――」
「なんだ? なにか文句があるのか――フン」
ギロッと睨みながら圧をかけてきた先生は盆の上から椀をかっさらい一息に煽り、
「あ、それ俺が口つけた」
「ぶフぉっ!?」
盛大に上へ吹き出した。め、恵みの雨じゃぁ!? どけや、ここで受け止めるんは、俺や!!
と、最低のショーシャンクを決行しようとした俺に、未曾有の衝撃が襲う!!! びっくりした……ダンプカーにはねられたかと思った。
……気づけば、壁に逆さまになってめり込んだ俺の視界の真ん中で、
フーッフーッと真っ赤な顔と対照的に、蹴り上げられたままの姿であらわとなっている先生の真っ白な太ももとその根元の薄布を心の瞳に焼き付ける。
「やはり……、やはり、今まで何度も好機はあったが、……我が選択を怨む。是印、お前を生かしておくべきではなかった——」
「予想に反し、いやこれはたった一つの正解。白!! あると思います!」
「は……?」
とうとう、というかやはり気が狂っていたかとでも言わんばかりの顔をした先生は、俺の熱い眼差しが己のどこの部位に注がれているのかを悟るに至り、
「——殺——滅——死——!!!」
大暴走しかけていた。やばいよ、物騒なワード並べるだけでお手軽に殺意を伝えてきてるよこれ。はわわ、オラ、ここまでみてぇだ、俺は純白のデルタゾーンを忘れない。ほな——
「……おいおい、痴話喧嘩ならよそでやってくれないか。ここは今、結構危ない材料が沢山転がってるんだぞ」
「な、何が痴話だ!!」
「先生、よそに移りましょう!」
ふふ、応星のフリにここは「「何が痴話だ!」」ってラブコメ初期っぽくハモると思っただろ。違いまーす。
いやー、にしても、なんか十年も経っちまったせいなのか知らんけど、だいぶ先生も丸くなったと思うわ。前ならもうこの時点でとっくに俺はなます切りになってるだろ。そんかわしと言ってはなんだけど、わりと肉体言語に頼るようになってるみてーだけど。マジで一発一発いてぇんだよな。普通に剣首じゃなくて拳首でもいけるレベル。なんか
「お前も否定せんか!! 馬鹿馬鹿馬鹿、バーカバーカ!!」
語彙消失しちゃってカリスマがかりちゅまになっちゃっている、けんちゅである鏡流先生の怒号が鍛冶場に響き渡り、
「——相も変わらず、そなたたちがいるとすぐにわかるな」
投じられた涼やかな声に、俺たちはそちらを見やる。すぐさま目に入るのはご立派な
「おー、ふーたんじゃんか。どした?」
「応星に呼ばれた。故に、こうして参った次第だ」
丹楓は俺の顔を見てから、応星の方へ顎をしゃくる。
「ああ、ありがとう。来てくれたか」
「使いの者から聞いたが。余の槍を見たいそうだな」
ああと応星は笑い、作業台の空いた側を示した。
「こっちへ頼む」
丹楓が台の上に槍を置いているうちに、俺もよっこらせ、と壁から抜け出す。
服についた埃を払っていると、先生が咳払いをした。
俺は速やかに応星の反対側へ回り込む。話し合いには机が必要ですよね。お互いに冷静になれるし、蹴りが飛んでくるまでに多少の猶予も生まれますしね。あと弟は兄の盾にならないとね。
丹楓は俺の動きを気にも留めず、穂先を覆っていた布を外す。そのまま端へ寄せようとしたところを、応星が止めた。
「普段持っているところを、そのまま押さえていてくれ」
「こうか」
「そのまま……少し、転がしてもいいか?」
丹楓が頷く。
応星は槍をゆっくり回し、柄へ目を近づけた。指が触れている辺りと、そこから少し離れた場所を、行ったり来たりしている。
「この辺りまで、よく使うのか?」
「突く時と、引く時では違う。構えによってもな」
「思ったより広いな。前に見せてもらった動きだけなら、もう少し狭い範囲で済むと思っていたけど」
そんなもんまで分かんのかよ。
俺も覗き込んでみるものの……なるほどわからん。強いて言うなら、よく握る辺りは艶が出てテカってる、くらいか? 他にも細かい傷やら何やらがついているところまで仔細に、応星は確かめていた。良い仕事してますねぇ。
「それで、丹楓」
応星が槍から手を離し、顔を上げた。
「お前は——どんな槍を望む?」
先生にも、景元にも訊いていた問いかけだった。
丹楓は腕を組み、瞑目する。
少し考えるような間。
だが、開かれた目と同時に放たれた声に迷いはなかった。
「——余の手を離れた後も、誰かを守れる槍を」
書き留めようとした応星の筆が止まる。
「離れた後も……って、次の持ち主のことまで、考えてるのか?」
「そなたが打つものなら、余が使う間だけ働けばよい、とは思わぬ」
淡々と言いつつ、袖から出た手がゆっくりと槍の柄に置かれる。
「余にしか扱えぬものにする必要はない。手にした者がそれを振るわねばならぬ時、心の頼みにできるものを、望む」
なんだか、ずいぶんと先のことまで考えた注文だった。
……いや正直だけど、鏡流先生も、景元も、ふーたんも、みんな高潔過ぎるだろ。俺なんか持ってるだけでおねーさんが近寄ってくるとか、年上を刈り
「……分かった」
応星がそんな丹楓のリクエストに頷く。
「だが、最初に使うお前にも、唯一無二のいいものだったと言わせたいな」
「無論だ。そこまでは譲らぬ」
「難しいことを言ってくれるよ」
口ではそう言いつつも、職人冥利に尽きると応星は笑っていた。
新しい頁の一番上へ何かを書きつける。その下に、細く一本、長い線が引かれた。
丹楓はしばらくそれを見ていたが、やがて顔を隣へ向けた。
「そういえば、鏡流」
「何だ」
「こちらの仕事が落ち着けば、いくらか暇は作れそうか」
先生が柳眉を動かす。
「……次の戦が近い。だから今はこちらを優先している。だがそうだな……用向き次第だが」
「であるならば、なおのこと
ほーん、桜とな??
と、脳裏をよぎった諸々を頭を振って、払い落とそうとしているところに、
「——是印を連れてな」
丹楓がさらりと爆弾を投げてきた。
「「……何?」」
俺と先生の声が、今度はほとんど同時に出る。
ふーたんは涼しい顔のまま、
「前に、もう一度見たいと申しておったであろう」
「だから……ッ、何の話だ」
「桜の話だと言っておろう」
先生の口がわななき、止まった。
あ、これ俺もよくやられるやつ。否定しようとして、何を否定すればいいのか分からなくなるやつね。
とくれば、思わず俺が先に、
「ちょ、ちょい待ち。ありがとう。そしてありがとう。じゃねーわ! や、あのその、なんで俺?」
「あれだけの美しい景色だ。鏡流も一人で行くより、そなたと行った方がよかろう」
絶句。
なんだよ、もう一度見たいって、し、知らねー……またこのパターンかよチキショー。けど、発言的にいたよね、俺確実にそこに。
や、どうすんの、これもぅマヂ無理存在しないはずの記憶ってゅうのゎ……ん? ちょい待て、たとえよくわからなくても、俺の選択肢次第でお花見デートが出来てしまうのでは……? もぅマヂ最高……。
「は、花見かぁ……」
「ああ、さぞかし酒もすすむであろうな」
酒……だと……。
な、なにこの、アシスト系リューソンは。ハグしてあげた方がいい?? それとも募金集めて
ジロと、先生が横目でこっちを窺う。
すぐさま俺はお口をチャック。やべ、また蹴られかねない。ヒヒーンじゃなくてぴえーん! いつでも避けられる構えをしておかねば。
「……お前は」
?をつけるか迷うレベルで、微妙な語尾上がりだった。
「えっと……?」
「……お前は、見たい、のか」
うぐ、やめてくれ、その聞き方は俺に効く……。
な、なに、なんなのよ、さっきからこれは、みんなで俺に寄ってたかってハニトラ仕掛けてんじゃないだろうな。
「鏡流先生……すごく……見たいです……っ!!」
バスケがしたいです……レベルで心の声が出てしまった。
「そう、か……ええと……丹楓、お前は……」
「今回は遠慮しておこう」
助けを求めるような先生に対して即レスで拒否かよ。ふーたん、お前は出来る子だと俺は知っていたよ。決めた、大通りに立って赤い龍共同募金にご協力くださーいって子供を横に並べて、みんなに訴えかけるわ俺。待ってろよ、石像。
「二人でゆっくり見てくればよい」
二人DE。
先生TO。
桜WO。
ムホホ、これはもう立派なおデー——
「で、あれば! べ、別に、今、ここで決めることではあるまい!」
が、先生はいったん持ち帰ることを選択した。そんなんあり??? もういけずやわ〜。
丹楓は首肯しつつ、
「無論急がせるつもりはない。ただ、花は待ってはくれぬからな」
「今、急がせたよね? ねえ、今のは普通に急かしたよね?」
ついツッコんじゃったよ。すげぇなグイグイいくなふーたん。たっつのうち! たっつのうち!
と俺が脳内コールを送り始めていると、応星の筆がいつの間にか止まっていた。それどころか
俺と先生を見て、それから丹楓へ目を向ける。
何だか、妙な顔をしていた。
「……方壺なら、白珠姉さんにも声をかけた方がいいんじゃないか?」
ゲェーーー!!! おま、こいつ何余計なコト言ってんだっつーの。なずぇそこで白珠を出すんです! 急に出してきた名前に、こっちの顔が思わずピキる。
「姉さんだって、そういうの好きそうだし。船のことも詳しいしな。せっかくなら、みんなで――」
「——なぜ、そこで白珠の名が出る」
俺が思った言葉を吐くより、ふーたんの方が早かった。
応星は至って真面目な顔で、
「俺は勝手に話を進めるなと言ってるんだ」
「話を持ってきたのは余だ。そして、余は今ここにいる二人に対して勧めている」
……あり?
なんだ……なんか穏やかじゃないムードになってきてるんだけど……最悪すぎる。なんでこう物事はスムーズにいかねんだかなぁ。
「ま、まぁまぁ、お前ら、ちょっと待てって、えーっと……応星、あのな、その方壺? の桜なんだけど、まぁちょっと色々あってさ。そこは先生と、も、もう一度、行きたいんだよ。白珠にはまた別の形で埋め合わせすっからさ、それにえーあれだ、今新しい星槎の調整で忙しいらしいしさ」
めちゃくちゃ手探りで反応を気にしつつ、俺はどうにかこうにか
微妙な沈黙が周囲に落ちると、やがて、
「…………まぁ兄さんの好きにすればいい。丹楓、悪かった。今のは俺が悪い」
「余も謝罪しよう。気にするな」
ふ、ふいー、なんとか、誰得の喧嘩は避けられた感じ? よかった……と胸をなで下ろせば、そこで先生と目が合った。
……あれ。
なんか、まだこっち見てる。
怒ってる、って感じでもない。かといって機嫌がいいのかと言われると、俺には判別しかねるお顔だった。
俺、今、何か余計なこと言ったっけ。言ったよな。色々あったとか。何も知らんのに。いや、あったのは間違いねーんだろうけど。
「……是印」
「は、はい」
思わず背筋が伸びる。
先生は一度、丹楓の方へ目をやった。それから俺へ向き直り、
「日取りは、後で相談する。それでよいな」
言った。
「え、あ、はい……?」
「行きたいと、言ったのはお前だろう」
「え、あ、はいっ、もちろん! 言いました。はい!」
「なら……そう何度も確かめるな」
先生がぷいと顔を背けた。
透き通る白髪の隙間からは赤くなった耳が覗いている。
……あ、ダメですこれ。俺ちょっと今、顔面の筋肉に責任持てんわ。
口を閉じようとしても端っこが上がるんですけど。何この不具合。直さなくていいです。一生このままでも構いませんですわよ。
「是印」
「はい!」
「その気色悪い顔をやめろ」
「でへへ〜いやぁ今そいつはちょっち難しいかもでして」
先生の手が動いたので、反射で頭を庇った。
が、何も飛んでこなかった。
そろそろと腕を下ろせば、先生は自分の頬へ手の甲を当てていた。
「……まったく。どうかしている」
いつもみたいに、呆れた声だった。
でも、その後には何も続くことはなかった。
「話はまとまったか?」
不意に飛び込んで来た応星の言葉に、俺は慌てて頷く。
「お、おう。なんか悪かったな」
「いや…………いいんだ、俺は俺の仕事をするだけだ」
まだ少し引っかかっていそうな顔だったが、応星はそれ以上何も言わなかった。
丹楓へ向き直り、台の上の槍を示す。
「こいつは、もう少し預かっていてもいいか。お前の望みは分かった。それをどう形にするか考えてみるよ」
「構わぬ。必要になれば、使いを寄越そう」
「了解だ」
応星が槍を台の奥へ移す。
その時、炉の方から職人頭に呼ばれた。次の鋼を入れる前に、確かめておきたいことがあるらしい。
「鏡流さんも、もう少し意見をもらいたいところがある。こっちへ来てくれ」
「ああ」
先生が応星の隣へ並ぶ。
まだほんのり赤かった横顔が、広げられた帳面を見た途端、いつもの剣首の顔へ戻っていった。
……かと思ったら。
一度だけ、こっちを振り返った。な、なんぞ……、なんか唇尖らせてっけど……、
そしてピッと目潰しピースされた。わかんねーけど、こっち見んなってことらしい。
先生と応星は、二人で炉の方へ歩いていった。
やれやれ、いくらかわいいおねーさんといえども、鏡流先生の女心は複雑怪奇です。
「よかったな」
隣から声がする。
見れば、しれっと、ふーたんが立っていて、
「……お前さぁ」
「何だ」
「いやもう、——何からお礼を言ったもんかね! 俺、危うくお前のこと好きになっちゃいそうだったわ」
「今までは、そうではなかったのか?」
——トゥンク! じゃねーわ、鳥肌立ったわ。
なんなんだコイツ、やめろメロい爆弾発言をぶっ込むことで黒髪好きの夢&腐女子ファンを増やそうという魂胆かもしれねーが、俺には効かないからね! あぶねーあぶねー、俺は左、右どっち側にも置かれる気はねーからな!!
「なになに、そういう返しどこで覚えたんだっつの」
「強いて言うのであれば、余の隣にいる者の
丹楓は愉快げに喉の奥で笑った。
ひ、ひえっ……いや、笑い事じゃねーだろ。急に、こんな頼れる親友キャラのアシストムーブするわ、実は隠しキャラとして攻略可能の余地をほのめかされたら、こっちだって戸惑うっつーの。
「——なんなんだよ、なんで急に」
声を少し落とし、俺は炉の方を窺った。
先生は帳面の一点を指し、応星と議論している。こっちは見ていない。
「……ああいうのって、お前、なんつうの? 面倒くせぇとかって感じてんのかと思ってたんだけど」
俺が先生に親しみを込めた態度を取っては怒らせるのがいつもで、そういう時、横から呆れた顔でたしなめてくる側だろ、ふーたんは。
それがどういうわけか、わざわざ煽るような真似までして、セッティングしようとしたのはどういう風の吹き回しなんだ。
——いったい今度は何があったってんだよ。その桜を見に行ったときのことが関係あんのか?
丹楓も、鏡流先生の方へ目を向け、
「鏡流が、もう一度見たいと言っておったからな」
「……桜を?」
「ああ」
頷く。
「そなたも見たいのであろう」
「……そりゃ、まあ」
「ならば、勧めてよかった」
それで話は終わりだと言わんばかりに丹楓は袖を直した。
いやそれで終わりかい。
だーわっかんねー! 十年という時間、マジで何があったんだよ。見逃し配信とかアーカイブとかサブスクで見れたりしないのかよ。
「そろそろ、余は戻る」
「え、あ!? あ、そ? 仕事あんのか?」
「片づけねばならぬものが、いくつかな」
丹楓は台に置かれた槍を一瞥し、応星へ帰る旨を告げた。
何かしらの粉と粉を調合していた応星も礼を返す。
そのまま戸口へ向かおうとする背中を、俺は呼び止めた。
「ふーたん」
振り返った顔へ、片手を上げる。
「土産いるか? 酒とかなんかうまいもんとか」
「気遣いは無用だ。二人で楽しんでくればよい」
「いやいや。お世話になりっぱなしってのもアレじゃん。それ持って、お前んとこ顔出すからさ」
丹楓が口を開きかけた。
いらぬとか遠慮の言葉が出てきそうだったので、先に続ける。
「花見の話も聞いてくれよ。せっかく行ってこいって言ってくれたんだからさ。俺らが帰ってきてそれっきりじゃ、お前だってつまんねーだろ」
今度は、返事がなかった。
「忙しいのか? や、別に長居はしねーけど。都合いい時でいいし」
「そういうことではない」
じっと俺を見つめてから、丹楓は首を横に振った。
それから、俺の背後へ目をやる。
つられて振り返ると、先生がこっちへ戻ってこようとしていた。
「丹楓」
先生の呼びかけに、なんだと丹楓が答え、
「桜の件、もしやと思ったが……あれから、
足を止めた丹楓が、頷いた。
「ああ。近頃は、余の袖を引いて菓子をねだるようになった」
「……お前にか?」
「初めは、顔を見せるだけで泣かれたものだがな。今では何も持たずに行くと叱られる」
ふ、と先生が笑った。
「そうか……よく、通っているのだな」
「しばらく顔を出さぬとな。どうしているか気になる」
——そ、ソウエンってどちらさん?
……あの飲月君が、お菓子の有無で対応変えられてるくらいだからヤバいやつ? でも生まれ変わりって言ってたよな、それって転生ってことか? うーんなんか他人事じゃねーんですが……あー、もしかしてあれか。
たしか……初めて鱗淵境行くときに白珠から教えてもらったんだ。体感でももう随分と昔に感じるわ……。
ふーたんたち
そこらへんの背景と今の先生たちのやりとりから察すると、そのソウエンってのは転生を果たす前の先生たちの知り合いってこと……なんかな?
「健やかに暮らしているなら何よりだ。次に訪ねる時には我にも声をかけてくれ」
「ああ。伝えておこう」
先生は頷き、続けて尋ねた。
「それと、
「来ておる。二人とも息災だ」
はい知らない名前二名様追加ね〜。もうええっちゅうねん。俺の頭が処理落ちしちゃうぞこの野郎。
「
「ふふっ、自分でか?」
「ああ。母の字より、ずっと大きくな」
先生の目が、少し丸くなった。
「……もう、字を書くのだな」
「時は止まらぬ。子供は瞬きの間に大人になるものよ」
「そうか……分かってはいるのだが」
先生は自分の手へ目を落とした。
人差し指を少しだけ曲げると、
「我の指を握るだけで、精一杯だったのにな」
丹楓も、その指先を見ていた。
「そなたは、寝ついてからも抱いておったな」
「当たり前だ……下ろせば、起こしてしまうだろう」
あんま見たことのないような、とびきり優しい顔をした先生がそこにはいた。
ほうと……思わず俺も見とれてしまうくらいには。
「その便り。我にも見せてもらえるか」
「後で届けさせよう。文中には翠蓮もそなたたちに会いたいとあった。方壺へ行くなら、顔を見せてやってくれ」
「そのつもりだ。家は、前のままか」
「ああ。変わっておらぬ」
先生が、こちらへ顔を向けた。
「是印。向こうへも何か持っていくぞ」
「え、あ、はい。……えっとぉ? 春、寧には、お菓子とかっすかね?」
「そうだな。それと……字を習っているなら、何か」
先生が作業台へ目をやった。
応星の帳面の脇に、筆と紙が置かれている。
「いや、使うものは翠蓮に聞いてからの方がよいか」
「んじゃ、適当に色々見繕って、向こうで一緒に選ぶとか。好きなの選んでいいぞー、とかって」
「……ああ。それがよい」
丹楓が賛成すると満足げに先生も頷く。
もうその子の元へ訪れる時のことへ想いを馳せているようだった。
まぁ……俺は知らないんだけどさ。
先生の指を握って、寝ついても下ろしてもらえなかった子、か。
ちょっと今の俺じゃその光景……想像つかねぇわ。
でも、目の前で微笑みながら俺の知らない思い出に関するやりとりを交わす丹楓と先生は、
——この時代の人間ではない俺よりかはよっぽど、
そう、よっぽど、お似合いな二人のように見えた。
執筆時BGM:『アンビバレント』Uru
ルキンフォー・エムは異世界中華ファンタジー少女ノベルなんだぜ?