——いやぁ、楽しかったねー。
よくわかんねーけど、ふーたんのスーパーアシストに甘え、先生と
いったい何やったんだ、もう一人のボク……と最初こそ尻込みしていた俺も、先生や翠蓮たちのやりとりから断片的な情報をつなぎ合わせると、
まぁ、字といってもおチビちゃんの字だし、形のバランスとかエラいことになってんのはご愛嬌だろう。
お、うまいじゃーん、と社交辞令的に褒め、ちょっと遊んでやったら、いつの間にか肩車までせがまれていた。なんでだよ。タッパのせい?
帰り際には俺の袖を掴み、なかなか離してくれなかったほどだ。
そんな別れ際、俺に対し白い目をむけていたのが我らが先生で、
「……お前の毒牙にこの
いや、んなこと言われたらさぁ。俺も、
「もぉ〜構ってもらえなかったからって、こんな小さいコに焼かないでくださいよ——」
……マジで帰り道、記憶が飛ぶくらいボコられたんですけど。
くっそーあんなに殴ったり蹴らなくてもいいでしょうに。いくら先生でも許——しちゃうけどさぁ。
とはいえ、やられっぱなしってのも癪なので、「お返しだぁ」つって、地面に山となっていた桜の花吹雪を先生にぶっかけたら、なんか押し黙っちゃったんだけど、なにあれ。無言、めっちゃ怖かったわ。
……まぁとにかく……いつまでも暴力と言う名の愛のムチ(間違いにあらず)を先生から受けられるかわかんねーし、な。それにきっとふーたんなら、うまいこと先生とやってけるだろうさ。
と、なんやかんやで、方壺行ったりもしつつ羅浮へ戻り、
相も変わらず、応星は朱明で引き続き鍛冶場へ籠もりっきりだ。あの調子だと放っておけば、眠らず飯まで抜いてぶっ倒れかねない。一応、周りの職人たちにもサポートお願いしますとは頼んどいたけど、はたして聞くのかどうかだな。誰に似たのか知らんけど、マジで人の話は聞いた方がいいよ?
ともあれ、オタク君見てるー? これから
えー訂正が入りました。凸ではなく、騰驍将軍からのお呼び出しでした。
もーなんなのォー、俺、別に天パでも糖尿病でもねーし、便利屋、是印ちゃんじゃねーんだけどォ??
なのに先生を連れ戻しに行くわ、応星の手伝いをするわだの、完全にその路線入っちゃってるでしょ……、
いや待て、忙しくあちこち駆けずり回って忘れてたけど、よくよく考えたら俺そもそも全然飯係として出勤してなくね?
……っべー、
ま、まずいですよ、これはひょっとして、っつーかお説教の可能性濃厚なのでわ……いいや、そうなったら応星と景元のせいにしよ。
などと考えているうちについちゃった。
「ども。お疲れ様っしたー」
お礼を伝えると、案内してくれた若い雲騎兵は一礼して下がっていった。さて、と戸を叩こうとして、手が止まる。
「……あん?」
別にはっきり聞こえたわけじゃない。ただ扉の向こう側で、
——将軍が何か喋ってるっぽい。
誰かと会議中か? ちっとそこら辺で待つか?
人呼んどいてなんだよって……ん?
もう一度、耳を澄ました時には、もう静かになっていた。
誰か出てくるのかと思って身構えるが、一向にその様子がない。
ためらいつつも、俺はひとまず戸を叩く。
「……将ぐーん、あのぅー是印でーす。お呼びと聞いて参りましたけどもー」
「——ん、ああ、どうぞ。入っておいで」
戸を開けると、丁度窓を閉めたばかりの将軍は首をめぐらし、背伸びをしていた。
「あの」
「ん? どうしたんだい?」
「——今、誰かと話してなかったすか?」
室内には、将軍が話していた相手は見当たらなかった。
「ん? ああ、ちょっと通信で知恵を拝借していたんだ。ところが、これがなかなか食えない相手でねぇ」
ああ、なーる、通信か。そりゃ待ってても誰も出てこねーわけだ。ならとっととノックしときゃよかった。にしても、
「えー将軍がそれ言うんすか?」
「はは。だから、話が合うのかもしれないよ」
否定しないんかい。
将軍は楽しそうに笑うと、椅子を勧めてきた。
「まあ、とりあえず座って」
どっかと椅子に腰を下ろすと、将軍は俺の分まで茶を用意してくれた。ざっすと礼を言ってから遠慮なくすする。
……ま、将軍のお仕事にいちいち口を挟むのもアレか。
向かいへ座った将軍が、まずは、と口を開く。
「景元ちゃんからある程度、報告は受けているけど。改めて、鏡流ちゃんの件はありがとう。それに応星ちゃんの仕事にも付き合ってくれてるそうじゃないか」
「え、あー、手伝ってると言えるかは微妙すけど、はい。あいつ、作りたいもんがあるらしくて」
「今も朱明で寸暇を惜しんで励んでいるそうじゃないか。あちらなら材料も職人も揃っている。きっといいものを作ってくれるだろう」
まぁ応星の腕に加えて、あんだけ自主的にブラック稼働してるしなぁ、そこに関しては俺も同感だわ。
……っとと、それはいいとして、怒られねーうちに、自分から言っといた方がいいか。
「わ、わァ……、あっ、あの、その、エト、あちこち行ってたもんで、最近、炊事場の方に全然顔を出せてなくてですね……」
俺が、なんか小さくてかわいそうなやつを装いつつ、仕方なかったんです全部応星と景元が悪いんですってつなげようとしかけた矢先、
「うん? 何か困りごとかい?」
「えっと、飯係としてどうなんだ的な……」
「いいんじゃないの? 毎日君が鍋の前に立っていたら、せっかく
——ぜんむ、こもん?
……ナニソレ? また未体験ワードなんすけど。
「それに今は他の飯係に任せて大丈夫だよ。是印ちゃんはたまに味を見たり、新しい献立を考えたりしてくれれば。そういう話だったでしょう?」
どゆこと。
「……あー、はいはいはい。そういう話でしたね。うんうん」
知らない話ですね。
なにそれ……なんか俺、偉くなってる……ってコト!? 飯係から顧問って、だいぶ出世してない? 学校だったら調理実習で鍋焦がしてる生徒から家庭科の先生ぐらい飛んでるでしょ。
「君が教えてくれた料理、
カレーじゃん。絶対カレーじゃん。
「大鍋で作る時の分量まで文書として残してくれたから、助かってるってさ。君一人で我らが仙舟同盟全員の食事は作れないけど、作り方を覚えた者が増えれば、それだけ美味しいものを食べられる兵も増える。立派な働きだよ」
「……や、へへ。そいつぁどうもでげす……」
やべぇ、身に覚えがないのに褒められると反応しづれぇ……。
「戦の手柄は応星ちゃんに譲っても、こっちまで遠慮しなくていいさ」
「それは、まあ……あいつに料理の手柄まで押しつけたら、鍋で武器作り始めそうですしね」
「ははは。それで、あの家はどうだい? 不便はないかな?」
「え? ああ、ないっすよ。すっげー快適です」
「よかった。宿舎より気兼ねなく暮らせるだろうと思ってね。君の献立で喜んでいる兵の数を考えたら、あれくらいの褒賞は出さなきゃねぇ」
あ……あれ、そういうことだったのかよ、あの家。どうりで宿舎からステップアップしてると思ったわ。
……凄くない俺、武功だけじゃなくてそっちでも功を立てて昇進してんじゃん。流れで鉄鍋のゼィン始まっちゃうよオイ。
なにはともあれ、どうやら欠勤のお説教ではないらしい。
にしても膳務顧問、か。
顧問っつーくらいだから、ほぼ名誉職みたいなもんなのかもしれん。最高すぎる。俺は将来なりたいお仕事に書くくらい、名誉職になるのが長年の夢だったんだ。ふんふん、よくやっているじゃないか。これからも精進しなさい。って適当な言葉をかけながら闊歩するだけの簡単なお仕事につきたかったんだ。
ひとりで感慨深い思いにひたっていると、騰驍将軍は急に、
「——ただ、今日の話は、厠へ逃げられちゃ困るんだ」
おい、それはイジらないでほしいんですけど。傷ついて泣いてるコもいるんですよ?? 茶碗を置いた将軍が、手をすべらせると、星図が宙空に展開される。
「……えーっと。新しい献立のご相談、とかでは?」
「うーん魅力的な提案だが、そっちはまた今度だねぇ」
星図には、航路を結ぶ線と、赤や青の印が書き込まれている。将軍は茶器一式を端へ寄せ、星図を操作し、俺が見やすいように向きを整えてくれる。
「景元ちゃんから、敵の動きが変わってきているという話は聞いたかな」
「え、はい……だから先生にも戻ってきてほしいとかって」
「うん。その後も、哨戒に出した部隊から報告が届いていてね」
将軍の指が、離れた所にあるいくつかの赤い印を辿る。その先では、別々の線がひとつの範囲へ集まっていた。
「散らばっていた敵の船が、集まり始めている。物資を運ぶ船の動きも、それに合わせて変わってきた」
俺は目を凝らし、
「……向こうも、次の戦の準備をしてるってことすか」
「そう考えて、こちらも備えているよ。今日はその話と、君に頼みたいことがあるんだ」
はいーきちゃったよ本題。ほんと憂鬱だわ。俺この調子でいつ帰れるんですかね。
「……で、今度はどいつらなんすか。集まってきてるってのは」
「今、特に動きが目立つのは歩離人の船団だ」
将軍が星図の端へ指をスワイプすると、赤い印の幾つかに、船を捉えた映像と観測した日時が並んだ。
別々の場所で撮られた船の群れ。それが、日付を進めるにつれて同じ宙域へ近づいていく。
「先の戦で慧駿族や造翼者の戦線を崩しても、豊穣の忌み物どもがいなくなったわけじゃない。しばしの沈黙の間に、向こうも態勢を立て直していたということだろう」
将軍は映像を止め、
「是印ちゃん。君にひとつ、覚えておいてほしい名がある」
ぞくりと背筋に何かを感じるほど、将軍のまわりの雰囲気が変わったことを悟り、俺も居住まいを正す。
「——
瞬間、グノモンが弱く長く2回——相談したいことありと震えた。
俺は胸を掻くフリをして、そっと叩き返す。将軍はそのまま話を続け、
「豊穣の
豊穣の使令……か。どうりでグノモン選手が反応するわ。それに、つーこたぁ、
「そいつ、——敵の親玉ですか」
「うん。その認識でいい。……過去にも大軍を率いて我が同盟を攻めてきた。おじさんも戦ったことがある」
「……将軍が?」
「うん。斬り伏せればそれで終わりとはいかなくてね。
いつもの間延びした口調とは全く違った、たとえるならそう——怨念の、こもった声だった。特に最後の言葉は。
そして、星図ではない虚空を濁った目で見つめる様は、安易な言葉を許さない雰囲気をまとっていた。
ためらいつつも、
「今回も……その倏忽ってのが来るかもって?」
そこで将軍は肩をすくめ、
「まだ、そこまでは分からない。けれど、現れないものとして備えるわけにもいかないんだ。……だがいずれ、彼奴は必ずまた来る」
そう言って、将軍は敵船団の映像を星図へ戻した。
「……その船団がウチらのどこを襲うつもりかまで分かってるんすか?」
「そこまでは、まだだ。だから哨戒を増やしている。物資を運ぶ星槎の護衛もね。敵を探す方ばかりに人を出して、こちらの補給を断ち切られては困るからね」
赤い印から少し離れた航路に、今度は青い印が灯る。いくつもの星槎が、互いの受け持つ範囲を繋ぐように配置されていた。
「玉殿の
「あー……あの占い」
竟天将軍もタラサ前に俺をなんちゃらな変数だとか言ってた、爻光の師匠ね。
あの時は飯係なのになんで潜入班に入れられてんの、と抗議したんだっけか。今も飯係なのになんで軍事機密みたいな話を聞いてんの、とは思っているけどね。……違うわ、俺は膳務顧問であるぞ!!! 頭が高ぇんだよ。
「各部隊の人員と武具も、まだ充足しているとはいえない。景元ちゃんには、その調達で同盟内も外も走り回ってもらってるよ。だから……ひょっとしたら懐かしい顔にも会えるかもしれないね」
思わせぶりな言い方に片眉を上げつつ、俺は考える。
鍛冶場に並んでいた炉も、応星が寝る間を惜しんで振るっている槌も、要するにここで説明されている戦に繋がっているってことか。先生でも景元でも丹楓でも、武器というのはどうあれ、戦うためにあるんだから。
「まだあるんだ。もうひとつ。君にも知っておいてほしい報告がある」
将軍が手を払うと星図が脇へ退き、代わりに記録の画面が浮かんだ。
どうやら荒れ地を撮ったらしい映像だった。岩陰に焚き火の跡がいくつかあり、その近くに、布を被せられたものが横たわっている。
……それを見た瞬間、察するところがあり、俺は顔をしかめざるを得なかった。騰驍将軍は俺の顔を横目で窺いつつ、淡々と、
「敵が引き払った陣の跡から、うちの兵が見つかった。以前の忌み物どもとの戦闘で消息を絶っていた者でね。どうやら捕虜となっていたらしい」
そこで目をつむり、
「彼は——残念ながら。身体を、刃物で二つに断たれていた」
将軍はその先の画像を開かず、医士の検分結果だけを示してくる。
「ただ、斬られる前に——
「……まおん?」
「魔陰の身だ。聞いたことは?」
「いや……わかんねっす。何かの病気っすか?」
将軍は少し考えてから、口を開いた。
「長く生きた果てに、自分が自分でいられなくなる。身体が変容し、そばにいる者が誰なのかも分からず、襲いかかることさえある。仙舟人にとっては——いずれ向き合わなければならない問題だよ」
「……なんすか、それ」
将軍は、検分の記録を脇へ寄せると、
「是印ちゃんは、どうして我々がこれほど長く生きるのか、聞いたことはあるかな」
そう言われると、言葉に詰まった。
「いや……そういう種族なんだとばっかり」
「そうじゃないのさ。仙舟の祖先は、もともと短命種で、不死の薬を求めて旅に出た人々なんだ。果てしなく長い航海の末に出会ったのが——『薬師』だった」
「え。豊穣って……今、敵が拝んでるんじゃ?」
「うん。
知らなかった。
ってことはアレか。仙舟人も豊穣の民も、元を辿れば、同じ
「だが——身体が生き続けるからといって、心まで保つとは限らない」
将軍は、机の上で両手を組んだ。
「医士たちは、あまりにも長い年月の中で、次第に心が鈍重になることが原因の一つではと考えている。人は生きるほどに次第に心が動きにくくなっていく。かつて嬉しかったことにも慣れ、日々の記憶は薄れていく。その一方で、強い苦痛や後悔というのは……いつまでも残ってしまう」
「要するに……嫌なことばっか、覚えてるってことすか」
皮肉げに将軍は笑って、
「人間らしいだろう。そういった負の情感に心が占められ、人としての自我を保てなくなるんだ。そしてそれこそが——魔陰の始まりだとね」
長生きを願って、叶えてもらって。
その行き着いた先が、家族や友達にまで襲いかかる化け物だってのか。
「……それ、祝福っつーより、呪いじゃないすか」
「まったくもって正解だよ。授かった側からすれば、呪いだ。死を恐れ遠ざけたはずが、かえって恐ろしい死を招いてしまったのさ。実に面白くない
声を荒げるでもなく、将軍は肩をすくめてそう答えた。
「最初こそ不老長寿を得たと歓喜に沸いた仙舟も、次第に
ようやく合点がいった。何故、仙舟同盟が豊穣の加護を得ながらも決別し、巡狩の派閥となるに至ったのか。
言ってしまえば、最初、信仰しようとしていた神様に詐欺られ、大ピンチに陥ってる時に助けの手を差し伸べてくれた新たな神様に鞍替えしたわけだ。
「……だから、今は其に従ってるんすね」
「ああ。今おじさんや是印ちゃんがこうして喋っている間も、其は豊穣を根絶やしにすべく広大な銀河を
そう言って、ケンタウロスのような半人半馬の姿をした嵐が千手観音のような姿をした薬師に対して矢を放っている——壁にかけられた巨大な絵を将軍は手で示す。
「ただし、建木を断ち、封印したといえども、我々の身体に宿った加護まで消えたわけじゃない。魔陰に堕ちる危険もそのまま残っているんだ」
俺は壁の絵から宙に浮く星図へと視線を戻す。
そこにはいくつもの航路が表示されていて、将軍たちがその先で何と闘い、何を食い止めようとしているのか。ようやく少し分かった気がした。
しっかしなぁ……魔陰の身とは……長命種って……そういうこともあんのかよ。
俺はてっきりウン百年でも好きなことをして、時間なんかいくらでもありますしお寿司って顔で暮らせるのだと、どこかで思っていた。
なのに、嬉しかったこと楽しかったことから薄れて、忘れたいことほど残り続けるなんて。なんともまぁ邪悪だ。
「待ってくださいよ……じゃあ、話を戻すと、その兵士は敵に捕まってる間にその魔陰の身に?」
「何があったのかは、まだ調査中なんだ。戦場で受ける苦痛や、大切な者を失うことが、発症のきっかけになる場合もある。ただ、この者に何が起きたかは、今ある報告だけでは判断できない」
俺は布に覆われた遺体を、もう一度確かめた。
捕まる前は兵士として、仲間と肩を並べて戦っていたはずだ。それが味方の顔まで分からなくなって、最後、敵に斬られたのかもしれない。
「ちなみになんすけど……将軍、治せないんすか、それ」
「今のところ、確実に治す方法は見つかっていない。だから、兆候があれば早く気づいて、対処しなければならないんだ」
そこで——アホな俺はようやく気づいた。
待てよ。俺の知り合い、どいつもこいつも長生きする連中ばっかじゃねーか。
「待ってください。それじゃ、ふーたんとか、白珠とかも——」
「落ち着いて。あの二人まで、今の話と一緒に考えなくていいよ」
将軍が片手で宥める。
「丹楓ちゃんたち持明族は、脱鱗して生まれ変わる。白珠ちゃんら狐族には、短命種よりは遥かに長いが我々に比べればずっと短い寿命がある。同じ長命種でも、仙舟人と同じように歳を重ねるわけじゃないんだ」
そうなのか。えっと応星はそもそも短命種だしな……いや、でも。
「じゃあ先生と景元は?」
思ったより強い声が出た。
将軍は、すぐに頷いてくれた。
「景元ちゃんはまだ若い。鏡流ちゃんにも、今のところ兆候はないよ」
「本当に?」
「うん。今すぐ二人に何か起こると、そんなに怯えなくて大丈夫だ」
椅子から浮きかけていた腰を戻す。
先生は……春寧に俺を成敗するとか言って、翠蓮たちと話して、帰りには俺を散々ぶん殴って。
でも、方壺での小さな旅のなかで、たしかに笑っていた瞬間は何度もあった。だというのに、
そういった日が、全部、薄れていくのか。
……そんなのは、嫌、だな。
「気になることがあれば、抱え込まずに話しておいで。そもそも是印ちゃんは知らなかったかもしれないが、魔陰の身というのは、我々にとっては共存せざるを得ない、至極当たり前の疾患だからね」
「……はい」
将軍が記録を閉じる。俺たちの間には、再び星図だけが残った。
「戦に出す側も、兵の消耗を放っておくわけにはいかない。敵を倒して終わりじゃないんだ。帰ってくる者が、帰ってからも暮らしていけるようにしなければね」
その指が、味方の船を示す青い印に触れた。
「是印ちゃん。今度出陣する時は、君には救援に回ってもらいたい」
「救援?」
「孤立した隊を助けたり、負傷した者が退ける道を開いたり。最初からひとつの持ち場へ縛らず、必要になった所へ動いてほしいんだ。遊軍——いや、あえてこう言おうか、是印ちゃん。君は、最終兵器だ」
し〜〜〜〜〜〜〜〜んと室内が冷えていた。
——いや、あのそれでボクが喜ぶとお思いなんですか? 子供じゃないんすよ、どんだけシンプルなんすか頭。
「お任せ下さい。この最終兵器めに」
「うん期待してるよ」
宙に浮く印のひとつが、味方の列から離れた。その周囲へ赤い印が回り込み、戻る道を塞ぐ。
将軍は別の青い印を動かして、その間へ割り込ませた。
……なるほど。今動かしたやつが、最終兵器である俺ってことね。
「部隊の配置や全体の采配は、こちらで行う。君は景元ちゃんと連絡を取りながら、現場で救援に当たってほしい。詳しい手筈は、彼と詰めてもらうつもりだ」
話は分かった。結局、便利屋が戦場の便利屋になっただけだ。とはいえ、腑に落ちない部分も残っていて、
「どうして俺なんすかね……また、あの変数ってやつを当てにしてます?」
「それも、判断のひとつではあるねぇ」
否定はしなかった。
「君が我々と肩を並べて戦うようになり、君が忌み物共を屠り、そして君が助けてきた者たちが両手じゃ足りないことを、おじさんは知っているよ。だけど——何よりも、予定していた通りに事が進まなくても、その場で考えて、手を伸ばせる。そこを頼みにしているんだ」
その言葉で頭によみがえったのは、タラサで引いた、小さな手だった。
あの時だって、考えていた通りにいったことばかりじゃない。むしろ、どうしてこうなったって場面ばかりだった気がするわ。
それでも、助かった奴はいたのだとすりゃあ……それはいいことなんかな。買いかぶりな気もすっけど。あと結果として今度武術大会のご褒美とかなんとかの件で、丸一日、誰かさんに付き合わされることになってんですけど。
「どうしたんだい浮かない顔をして」
「飯係兼便利屋から膳務顧問兼最終兵器に成り上がった自分に震えてるだけっすよ」
「それだけ買ってるってことさ。それよりどうだい、引き受けてくれるかな?」
将軍は鼻で笑ったがはたして皮肉で言ったの伝わってるんだろうか。
いつのまにか星図の中では、道を塞がれていた青い印が、味方の列へ戻っている。
まぁでも
思わずため息が漏れ、
「はぁ……了解でーす。景元にも、どんな支度がいるか聞いておきます」
「そう言ってくれるとわかっていたよ。ありがとう」
「うぃす頑張りまーす。他なんかあります? もう帰ってもいいすか」
「うん、以上だ。下がってくれていいよ」
一礼してから退室する直前で、ふと気になったことを俺は尋ねる、
「——そういや将軍、」
「どうしたのかな?」
「将軍は大丈夫なんすか? 魔陰」
「ふふなんだい是印ちゃん。おじさんの好感度稼ぎかい? ——ああ、大丈夫さ。心配してくれてありがとう」
元通りのおどけた口調に、ったくせっかく人が心配してやったってのによぉ。ま、いいや。
「そういうわけじゃないすけど……まぁ……なら、よかったっす。お邪魔しました」
もう一度頭を下げ、俺は執務室を後にした。
我が家……いいえ違います。
「おーし待たせたなグノモン選手。昼の将軍の件だ」
椅子へ腰を下ろし、蓋を開ける。内側に淡い光が灯った。
「あんとき、
『——肯定:未収集の観測対象に該当する可能性があります。豊穣の使令による力の行使は、ワタシたちがまだ記録していない種類の現象です』
「だよなぁ……。一応再確認だけどさぁ、今どこまで進んでんの?」
『前回報告時と変わらず。観測ミッション進捗——71.4パーセント』
都合よくもう完了しましたーなんてオチは待ってなかった。
俺もこいつも、すっ飛ばされた十年の記録は持ってない。周りからいくら昔の活躍を聞かされても、それで観測が進むわけじゃねぇってのは分かる。分かるけどさぁ。
「こう、将軍にお願いして、もう一回神君サマを出してもらうだけじゃ駄目なのかよ? あれ凄かったじゃんか」
『被験者ゼインの貧弱なメモリに対する回答:同じ種類の力を再び観測しても、進捗への寄与はごく僅かです。以前にも説明した通り、未収集の記録を埋める必要があります』
「へぇへぇ、そうでしたそうでした……」
どうどうとグノモンに向かって両手を差し出す。コイツマジで一言余計すぎる。
『繰り返しますが、神君以外の使令級存在の顕現、
「……つまり
『現状では、その認識で相違ありません』
改めて考えてみても、命いくつあっても足りねーよとぼやいて、卓へ頬杖をつく。
はぁ……本当帰れんのか。こっちはもうカフカニウムがとっくに枯渇していてまともに息もできないってのによ。わーん助けてカフカすわーん! あなたのポチがわんわん鳴いてまーす!
つーか問題は
なんとか使令なら来るかもしれないと、今日ようやく具体的な名前と可能性を聞けたわけだけどさ。
ただし敵。しかも、あの将軍が仕留められなかった奴。
「……
『観測前の段階で、そこまでは断定できません。どのような力が行使され、どこまで記録できるかによります』
「だよなぁー、そんな甘くねぇか」
少し期待しちまったじゃねーか。まぁでも進めるためにもやるしかねぇか。
椅子の背へ体重を預ける。天井を仰いでも、どこかに帰り道が開くわけじゃなかった。
昼間、倏忽の名を口にした将軍の声を思い出す。
——死んでも死にきれない。
あのおっさんにあそこまで言わせるだけのことを、そいつはやったんだろう。次も同じことをするつもりで来るかもしれない。
俺にとっては、帰るための手掛かりで。
だが同時に、
——先生や景元たちにとっては、命を懸けて迎え撃つ敵だ。
だから、
「……来て、……ほしくねぇなぁ」
つい口をついた言葉に、はっと気づき、グノモンへ向き直る。
「あ、いや、今のナシ。帰りたくねぇってことじゃなくてさ」
『理解しています』
「……え、あ、うん」
また遠慮なしの毒舌がくると思った。
けど、グノモンはそれ以上何も言わなかった。
倏忽が来なければ、応星や先生や白珠、景元や丹楓や爻光や薩蘭——みんながそいつと戦わずに済む。じゃあ来なかったら困るのかって、自分に聞いてみるのが嫌だった。
俺は帰らないといけない。当たり前だ。俺こっちの人間じゃないし。向こうにはカフカさんがいて、
だからって、なんだかんだ一緒に過ごしてきた仲間であるあいつらが、ひどい目に遭えばいいなんて思えるわけもねぇ。
……くっそ。考えてるだけで、なんか悪いことしてる気分になるな。
『警告:倏忽が現れた場合に備え、くれぐれもワタシを携帯してください。観測のために単独で接近することは推奨しません』
「誰がするか。いつも一緒だろうが。将軍が倒せなかった奴に、俺一人でこんちはーって? 死ぬわ」
『被験者ゼインの貧弱なメモリに存在しないかもしれませんが、アナタは、推奨しない接近をことごとく繰り返してきました』
「おい。今その話する?」
返す言葉がなくなっちゃうので、やめていただきたい。
俺は椅子を引き寄せ、卓へ肘を戻した。
「……まぁ、俺が来いって言ったから来る相手でもねぇしな。ひとまず、歩離人たちとの戦が始まったら将軍に頼まれた仕事をするか。景元の指示に従って動きつつ、救援活動。それでいいんだろ」
『賞賛:たいへんよくできました』
「ぶん投げられたいの?? ぶん投げられたいんだよね??」
あー結局ここでいくら考えたところで向こう次第だし、敵が来る日も、帰れる日も決めらんねーわなぁ。
まずはお忙しい参軍様である景元に連絡か。段取り決めとかなきゃ現場で迷子になるわ。俺が救援要請する羽目になったら笑えねぇもん。
そこまで考えて、ふと、まだ聞いていなかったことに気づく。
「なあ、グノモン。仮にさ、そこで必要なデータ全部揃ったとして、帰るのって——」
戸を叩く音がした。
言葉を止めると、グノモンの光も消えた。
……こんな時間に、一体誰だ?
急速に冷えた頭。
もう一度、控えめに戸が鳴る。
一瞬居留守を使おうかと思ったが、たぶんこれ部屋の灯りとか外に漏れてるだろうし、厳しいか。
「——また後でな」
グノモンの蓋を閉じ、懐へ戻す。
ひょっとして景元か? 連絡しようと思った矢先に来るとか、察しがよすぎんだろ。ないな。
あるいは先生かしらん? 俺の作った晩飯を嗅ぎつけて——いや、もう食っちゃったんですけどぉ。
いや待て……最悪なパターンはあの二人のどちらか、あるいは両方だったときだな。もう面倒だから、まとめちまうけど、もしサラコーコンビが薄着で立ってたら速攻もっかい戸締まりして無視を決め込もう。
まぁいいや、なんにせよ確かめたほうが早
「ほーい、どちらさ——」
戸を開けた俺は、言葉の途中で口をつぐむ。そこに立っていたのは、
——白珠だった。
▼おまけ▼
騰驍(厠の是印に料理当番してほしくないってクレームがあったとは言えないよねぇ……)