————なん、で、それを。
そう口にするよりも、是印の耳に飛び込んでくる音の方がずっと早かった。
「――白珠、今なにか」
「はい、あたしにも聞こえました」
瞬時に表情を改めた二人が睨む先——沢の奥から低い音が
岩を削るような、重い、腹の底に伝わる響き。
しばらくするとやみ、間を置いて、がらがらと何かが崩れる音に変わる。
あまりにも、自然が生み出す音とは思えなかった。
さっと口を引き結ぶと、是印は白珠の隣をすり抜け、沢の曲がり角へ近づこうとして、
背後から袖を引かれる。
「――待って。まだ、顔を出さないで」
耳元で吐息とささやき声。
気づけば肌が触れるほどの近さで隣にいた白珠の体温が伝わってくる。
そんな、至近の距離。
それは生きている者の証であり、それは信頼の証でもあり、そして、想いの証でもあるとするのならば——と、是印は口に出すことを躊躇してしまう。
頭の中で渦巻いている問い返したいことはいくらでもあって、
——なんで、胸の刺青を知っている。
——何を、どこまで知っている。
——お前は——、
だが、それらは言の葉となってこの世に生まれ落ちることはついぞなく、また白珠も白珠でそれ以上、語ることはなかった。
二人の沈黙を埋めるように、また、音がした。二度、三度。
今度はその合間に声が混じっていた。ようやく言葉を発するとっかかりとなり、
「……誰かいるな」
「ですね……少し上から確かめましょう」
白珠が指で示したのは、沢の右岸に続く岩棚だった。
先ほど越えてきた崖道ほど狭くはない。二人はうなずき合うと、手をついて斜面を上がっていく。
登り切ると、岩棚の端に腹をつける。
曲がり角の向こうで、沢は大きく開けていた。
両側の岩壁が頭上へせり出し、その下に、削り取られた山肌が見える。岩の奥へ大きな機械が突き立てられ、先端が回るたび、赤茶けた粉塵を吐き出していた。
砕いた石は鉄の桶で受けられ、荷台へ落とされる。先ほどから聞こえてきたのは、その一連の流れの音だったらしい。思わず、
「おいおい、先客かよ、聞いてねーぞ…………って……?」
ぼやいているうちに、機械の陰から、荷台を押す影が出てきた。
長い四肢。前へ突き出した顎。毛に覆われた首に無造作に引っかけられた金属の首飾り。
続いて後ろから現れた者も、腰へ大ぶりの刃を提げていた。
その特徴に見覚えがあるかと問われれば、某タラサで嫌というほど見た、
「——歩離、人」
信じられないと白珠がこぼす。
あんなにぐるぐる回っていた、採集しようとしている石のことも、様子のおかしかった白珠との会話も、胸の刺青のことも、何もかもが瞬く間に頭の隅へ追いやられた。
岩棚から覗ける範囲だけでも、十数人はいる。
採掘機を動かしている者。運ばれてきた石を箱へ詰める者。作業には加わらず、沢の先をうろついている者もいた。
さらにそのまた奥、岩壁の途絶えた所には、腹を開いた輸送船——獣艦が一隻、着陸していた。
その獣艦の内部へ歩離人たちは機械と手作業を交えながら、採掘したばかりの鉱石を船腹へせっせと送り込んでいる様は一目で、
「……あいつらも、ここの石を採りに来てんのか」
「みたいですね。おそらく、補給のひとつなのかと」
白珠は端末を取り出し、明るさを落としてから、岩の縁へそっと差し出した。
撮った映像を手元で拡大する。獣艦の外装甲にはいくつも補修の跡があり、大口を開けている船腹の中で積み込まれた箱が並んでいることが窺える。
星槎で上を通った時には気づかなかったのも、ここまで来てみて初めてわかった。
採掘場の大半は張り出した岩の下に隠れている。輸送船も沢の奥へ入り込み、二人が降りてきた側からでは、ちょうど山の陰に収まっていたのだ。それにしても、
「なんつうか……こんな大当たりはいらねぇ……」
「……すぐに仙舟へ
どうあれ敵は敵だ。発見した以上、白珠も同盟へ報告する義務がある。白珠の指が動き、記録した映像に加え現在地の銀河座標を添え、
その間も下では、歩離人たちによる積み込み作業が続いていた。
歯がみする是印の頭の中で、
あそこで表示されていた星図の上ではせいぜいが赤い印でかわいらしいものだったが、今、目の前にあるのは、現実感を伴った光景だ。
鉱石の正確な使い道までは分からないが、歩離人たちはあの石を持ち帰って一体何を作るつもりなのか。応星は武器を作るために自分たちをここへ寄越した。仮にあいつらも同じだとしたら——今積み込まれている石が、いずれ先生たちへ向けられる刃になるのかもしれないと是印は思う。だが、
「……白珠」
ことここに至ってしまえば、呑気に採石活動に励むわけにもいかない。応星とて、この状況を伝えればまさか命よりそちらを優先しろとはよもや言わないだろう。
船内へ次々に消えていく箱を目で追いながら、是印は白珠に撤退を促そうとして、
「バレねぇうちに帰ろ――」
「——できません」
「は???」
絶句する是印の横で、白珠は船から目を離さず、口だけを動かす。
「……あの船を、このまま行かせるわけにはいきません」
「いや、報せは送ったんだろ? あとは将軍や景元たちに任せりゃ——」
「それだと部隊が来る前に出てしまいます。あの様子だと積み込みも、もう終わりそうですし」
是印の視線が白珠と輸送船とを交互に往復する。
この目の前の狐娘が次に何を言おうとしているのかは誠に遺憾なことに察してしまった。だが、ヤブヘビを避けたいのはやまやまだというのに、
「……まさか、お前と俺でどうにかしようって?」
「はい。飛べなくしてしまえば、あの補給を遅らせることは可能です」
「いやいやいや待て待て待てステイステイ。俺ら今日、石拾いに来たんだよね? ついでに敵いたらブッ飛ばしちゃうヤンキーマインドなの?」
顔の前で超高速で腕を左右に振りながら是印は小声で叫ぶという器用な芸当をする。
「でも……見つけてしまいましたから」
白珠の指が端末の映像を動かした。
「あの荷が次の戦に使われるなら、今止めることで、助かる人もきっといるはずです」
船尾の部分を拡大する。大きな噴射口が二つ並び、その間に、少し小さなものがあった。
「……すみません。是印さんは、急にこんなことを言われても困りますよね」
そこで白珠はようやく是印に向き直り、
「でも、あたしは曜青の飛行士です。敵が戦の支度をしているのを、止められるかもしれないのに、そのまま見送るのは……嫌なんです」
白珠は端末を下ろし、是印の返事を待った。
——ヤだよ。帰りたいよー。ものすごく帰りたいよー。
是印はつい返しかけた言葉をどうにか呑み込む。
あまりにも多勢に無勢だ。正気ではなく、狂気の沙汰だ。アタオカここに極まっている。
だが、白珠の言っていることも分かる。いつもは物わかりいいくせに、一度決めたら、頑なところがあるのも分かっている。分かるからこそ、困るのだ。
そして何より——白珠を置いていくわけにも行かない。どのみち鸞遥以外、他に帰れる手段などないのだから。
——どうするいやでもどうしよだめでしょないでしょしかしいくつ命あってもたんねーってないないいくら俺でもないない——、
「…………はー…………ったく、これだから……」
これ見よがしなため息と共に、ウガーッと頭を掻きながら、
「——勝算は?」
まじまじと是印を見つめ返すと、白珠はえへへと本当に嬉しそうに笑い、端末を二人の間へ寄せた。
「いくら獣艦といえど、基本的な構造自体は星槎と大差はありません。船内へ入らなくても、後部にあるはずの推進器を壊せれば、すぐには飛べませんっ」
「後ろまで回れりゃの話だろそれ……」
「はい。だから、あたしが火薬を仕込んだ矢をこちらから撃ち、あいつらをおびき寄せます」
指差したのは、沢を挟んだ反対の岸だった。
岩がいくつも重なり、その間を縫って、細い足場が上へ続いている。沢を少し戻れば、見張りの前を通らずに渡れそうだった。
「あたしの方へ動いたら、その隙に是印さんはこの岸を伝って船の後ろへ。箱の陰を上手く使えば、途中まで隠れて進めますので、推進器の破壊を」
映像に道筋をなぞる指を追い、是印も下を窺った。
たしかにそれならば作業場を正面から突っ切るパワープレイの必要はない。二人のいる岩棚の下から、輸送船の脇まで、空箱と掘り出した石が積まれている。
その陰をなぞるように抜けるなら、たしかに行けなくはなさそうだった。だが、簡単とは一言も言ってないし、
「でも、お前ひとりであいつらを引き受けることになんだぞ。わかってんのかよ……」
「はい、信じてください」
根拠など大してないだろうに。何を持ってそこまで胸を張って言えるのかがわからなかった。
「あたしは撃ったら場所を変え続けます。何人で来ているのか分からなければ、向こうも簡単には詰めてこられません、し、それに」
「それに?」
「いざとなったら——護ってください!」
ビシッと突きつけた白珠の指の先では、口元を引きつらせている是印がいる。
「
よく言うぜまったくと、口を開けばいくらでも出てくるぼやきの中で——そういや、そんな言い方をされるのは初めてじゃなかったな、とどこぞの赤髪の幼馴染の顔が胸をかすめる。
ぼりぼりと頬を掻いていると、
「大丈夫です、あたしは——是印さんを信じてるので」
言いたいことは言ったとばかりに、白珠はもう一度、対岸の岩場を端末で拡大し、確かめ始める。
どこに身を隠し、撃った後はどこへ移るかを口にしながら、よどみない動きで指が辿っていく。
——こいつほんと、スイッチ入ると、いつもの「はひはひっ」言ってる時とギャップあるよなぁ……とその横顔を見ながら是印は思う。
やがて説明を終えると、端末を抱き寄せ、是印の返事が一向にないことに急に自信がなくなったのか上目遣いで、
「あの、是印さん……手を貸していただけませんか」
是印は黙って、鼻から長く息を吐いた。
「……船を飛べなくする。それだけだな?」
白珠が頷く。
「はい。それを終えたらすぐに退きましょう」
「奥から想定以上にぞろぞろ出てきたら、その時点で中止。もし向こうの船が動き始めても追わねぇぞ。いいな?」
「はいっ!」
是印は顎に手を当て、
「退く時も決めとこうぜ。合流地点はどうする?」
「そうですね、さっき手を洗った湧き水の所で合流しましょう。是印さんは、この岸を来た方へ戻ってください」
白珠は映像を地形図へ切り替え、対岸の岩場から、二人が通ってきた沢まで指で辿った。
「あたしも撃つ場所を移しながら、こちらへ下がります。途中で沢を渡って、同じ所へ」
「わかった、合図は俺の方の端末で知らせる」
「了解です。それを合図に、あたしも退きます。中止する時も同様で」
「万が一、連絡がつかなかったら?」
「その時は合流地点を
「よし……あ、無茶すんなよ。何があってもお前の命最優先だからな」
不意を突かれたのか白珠は、
「あぅ……はい。是印さんも、危ないと思ったらすぐに逃げてください」
「俺の心配はいいって。はっ、——帰りたさなら、今この星で一番だと思うわ」
言って、今の今まで続いていた会話の応酬の速度で返答が来ると身構えていたのに、急に止まる。是印が首を傾げると、
「こんなことになっちゃいましたけど……あたしは、……とっても楽しかったです。帰りたく、ないくらい」
途中までは、先ほどのやりとりなどをまるで二人とも忘れてしまったようなやりとりだったのに。たった一瞬でここまで気まずくなるもんかと思う。
「……あ、や、そういうワケじゃ……」
言葉選びをしくったと是印はまごつき、続く言葉がとっさに思い浮かばない。苦し紛れに、
「……えっと、とりあえず、船の後ろまで行く道、もう一回見せてくれ」
白珠は小さく頷き、地形図を閉じた。端末を撮影に切り替え、岩棚の縁からそっと差し出すと、画面に採掘場が映る。
是印も隣から覗き込み、箱の陰を辿ろうとした。
——ちょうどその時だった。
画面内で、荷台から石を移している歩離人が、大きな塊を取り落とす。破片が足下に散乱し、そして、
割れた石の断面にあるのは、隣り合う——白い部分と黒い部分。
「…………ん?」
是印が白珠の手元を軽く叩く。彼女も気づき、すぐにその石を拡大した。
応星から渡された画像と並べる。
灰色の石に埋まった、白と黒。
「……これ、じゃありませんか? 応星の言ってた」
「……だよな……」
思わず二人で顔を見合わせる。
落としたことに悪態でもついているような素振りをしつつ、歩離人は割れた破片を箱へ戻す。
そして、同じ物が詰められている箱の列に加えた。そこはちょうど船の背後へ向かう途中、すぐそばを通る場所だった。
瞑目し腕を組み、リスクとリターンを天秤にかけた是印は、
「……おし、こうなりゃもう一挙両得を狙おう。どうせあそこ通るんだ。あいつらから、くすねよう」
「是印さん、でも——」
「わーってるって、ただでさえ危ねぇ橋なんだ。無理はしねーよ」
「もぉ……持ちすぎて、走れなくならないでくださいよ。それじゃ——始めましょう。あたしは、船の方にいる見張りを先に引きつけます」
作戦会議終了とばかりに、二人は岩棚の縁から下がった。
荷物から必要なものを取り出し、是印は持ち帰る石の分だけ袋を空ける。白珠は弓を取り、これから渡る対岸の足場を確かめていた。
その背へ、声をかける。
「白珠」
「はい」
振り返った彼女に、是印は少しだけ言い淀んだ。
「……戻ったら、さっきの話の続きをしよう」
白珠は一度、目を瞬かせた。
それから、弓を握り直す。
「——はい」
そう答えて沢へ下りていく彼女を見送り、是印も剣の位置を確かめた。
——速戦即決。推進器ぶっ壊し、石を持って、星槎まで戻る。
そう自分へ言い聞かせながら、採掘音が大きく響くタイミングに合わせて、岩棚の下へ目がけて一歩踏み出す。
岩の斜面を、半ば尻を削り落とす勢いで滑り下りる。
靴底が砂を噛む。膝を曲げて勢いを殺し、そのまま積まれた空箱の後ろへ身を伏せると、乾いた木の臭いに、機械から流れてくる油の臭いが混じった。
生憎と、この角度からでは船の様子はほとんどわからない。
箱と箱の隙間を、歩離人たちの毛むくじゃらの脚が行き来している。荷台の車輪が軋むたび、ひょっとしたら獣の本能か何かで気配を察知してこちらへ近づいてくるような最悪のケースが脳裏をよぎる。
気づけばそっと伸びていた剣の柄から是印は手を離す。掌には汗によって砂利がついていた。服で拭いたかったが、その程度の動きですらも危ない橋のように思えてくる。
端末が震えて、
『着きました。そちらは』
表示された文字へ、親指で短く返す。
『はえーよ、こっちも準備完了。頼む』
送ってから端末をしまい、箱の上へ出かけていた頭を引っ込める。
そっと息を吐き出し、丹田のあたりに力を込めて白珠が起こす次なる展開に備え——
対岸から飛んだ矢が、荷を吊る機械の足元へ突き立った。
ボッと小さな火が膨らむ。
次の瞬間、爆音と爆風が空箱を跳ね上げた。荷台を押していた歩離人が腕で顔を庇い、その後ろの者まで巻き込んで倒れる。
「て、敵襲だァァァッ!」
「敵襲ゥ!!! 戦闘態勢に入れッ!!!」
作業場の何か所かで一斉に白刃が光る。船の脇にいた見張り二人が、荷台を回り込んで矢の放たれた沢へと駆けていく。
その背中が箱の列を次々と通り過ぎたところで、是印も動いた。
腰を低くし、最初の二箱を越える。積み上げた鉱石の裏へ回り、そこで動きを止める。
——少し先で、銃を抱えた歩離人が振り返りかけていた。
その横を、空気を切り裂くような音と共に次の矢が抜けた。
船の積み込み口に近い地面で炸裂する。たたらを踏んだ歩離人はすぐに怒号を上げながら、矢が来た方へ闇雲に銃口を向け引き金を引こうとして、気づく。——何かが銃口に刺さっている、これはなん
炸裂し、胸から上が吹き飛んだ歩離人の
——か、軽々しく神業披露しやがって、マジで怪我とかすんなよ、白珠。
それを尻目に是印はその間に、身を低くし次の荷台まで走った。
ここまで来ればようやく、作業場の大半が視界に入る。対岸へ撃ち返す者、散った荷の陰へ潜り込む者、何かを怒鳴りながら岩場を上ろうとする者。
——四本目の矢は、前の三本よりも下流側から飛んできた。
手はず通りに撃ちながら、移動を続けてはいるらしい。
というか少なくとも、あの矢による支援が続いている限りは、白珠のことを心配するよりは自分の心配をしたほうがいいか。
是印は頭を切り替え、ぽつんと放置されている鉱石の箱へ一息で近づく。
蓋は開いたままで、その縁に赤茶けた粉が積もっていた。
周囲を窺いつつも手を突っ込む。手応え。
「……おし、あった」
白と黒。
前腕ほどもある塊を取り上げると、想像以上の重さがある。これだとそう何個も持って帰れねぇぞと思いつつ、是印はそれを片腕で抱え、もう片方の手で小さいものを探す。同じ断面の欠片がいくつかあったので、適当に引っ掴む。
ただ今この一瞬の光景だけを切り取って見せたのなら、箱丸ごと持って帰ってきてくれよと応星なら言いそうだが、残念ながら鉱石ごときに執着した結果、抱え落ちになることは
手早く気休め程度の布で包み、袋へ押し込んでいく。小さめのならもう二、三は入りそうだと、手をもう一度箱の中へ伸ばそうとして、——気配。
伸ばしかけた手を引き、とっさに袋を胸へ抱く。そのまま箱の陰へ身を沈めたのとほとんど同時に、是印の反対側で声がする。口ぶりからして船の方から戻ってきた歩離人らしかった。
是印は心臓を押さえながら、息を殺す。
——ッブねぇ〜〜〜、しっしっ、クソが、あっち行けっつの。棒なら投げてやるから取ってこい。
しかし、そんな願いも虚しく、是印の視線の先で、
最初に足先が出て、次に膝が出る。やがて、前へ突き出た顎と牙が下を向き、こちらを覗き込むような格好になる。
目が合った。
「あ、あららー……やっはろー」
「!? 貴様——」
舌打ちと共に、是印は剣を引き抜くことを躊躇なく選択。顎下から突き上げ——
再び空気を切り裂く音と共に、目の前の歩離人の側頭部に矢が突き刺さる。
勢いそのままに傾いて、受け身も取らず倒れた。交戦するまでもなく目の前で絶命した歩離人に、是印は呆気に取られる。
——も、もう全部、白珠さんでいいんじゃないすかね。
はたして伝わるのかわからなかったが、とりあえず対岸へ親指だけ立てて、足元の袋を拾い上げる。もう一つだけ鉱石を箱から引っ掴んで乱暴に突っ込み、袋の口を固く締めて背負い直すと、倒れた歩離人の脇を抜け、そのまま船の裏手へ向かって走り出した。
輸送船である獣艦の脇には、船体と岩壁に挟まれた細い通路があった。
積み込み口こそ沢の方を向いているが、目当ての推進器は船体の裏側にある。これでは対岸から狙ったところで、いくら腕のいい射手でも船体が邪魔になること請けあいだ。是印がわざわざここまで来なければならなかった理由も、もう全部白珠さんに任せるわけにもいかないのも実物を前にするとよくわかる。
外板の出っ張りを避けながら、身体を横向きにして隙間を抜ける。そうして船尾へ出たところで、目当てのものが姿を現した。
大きな噴射口が二つ。その間に、小さなものが一つ。
幸い、まだ動いていないらしい。熱を持たない噴射口の内側は暗く、縁には何度も焼かれた跡が残っていた。
是印は少し離れた場所で足を止め、二基の推進器を見比べた。
大きい方を、二つともだな。
腰の剣を抜き放つ。
——やるっきゃねぇか。
一歩下がって足元を確かめ、腰を落とす。
まずは、左の推進器と船体をつなぐ付け根だ。イメージするべきは、グッと溜めて、パッと解放する——
「せーのっ、空・臨・斬!!」
十分に狙いを定めてから、是印は刃を斜めに振り抜いた。
出力された斬撃はあっさりと外板を裂き、その奥にある部品をまとめて断ち切る。噴射口がぐらりと傾き、辛うじて繋がっていた管が引き伸ばされた。
一本、また一本と千切れていく。
やがて支えを失った金属の塊が砂の上へ落下し、その重みで生じた振動が、離れて立つ是印の足裏にまで伝わってきた。
直後、船内では、けたたましい警報が鳴り始める。
これでなおさらモタモタしているわけにはいかなくなった。是印はもう片方の推進器へ向き直り、今度は距離を詰め、振り上げた剣を真下へ叩き込む。噴射口の上縁から外装が割れ、勢いのまま食い込んだ刃が、内側に収まっていた部品まで砕いた。
剣を引き抜き、まだ繋がっていた下側を思い切り蹴りつける。
裂け目が広がった。
大きな噴射口が内側へ折れ込み、潰れた部品の隙間から煙が噴き出す。積み込み口の方では、騒ぎに気づいた歩離人が何やら喚き始めていた。
「おーっし、ザマァーっと」
是印は剣を引き寄せ、来た側とは反対へ急ぐ。
まだ、積み込み口にいる連中が船尾へ回り込んでくる前に、少しでも距離を稼いでおきたい。
船腹に沿って駆け抜け、ある程度距離を稼ぐと、荷を吊る機械の台座へ身を滑り込ませる。そこでようやく端末を取り出し、白珠へ電文を送った。
『推進器は壊した。石もある。退くぞ』
送信を終えても、背後ではけたたましく警報が鳴り続けている。
作業場の向こうでは、誰かが船尾を指さして騒いでおり、その動きにつられて何人かの歩離人が右往左往している。
是印は端末の画面と、近づいてくる歩離人たちを交互に確かめる。
——おい、大丈夫だよな。白珠。
願いが通じたのか、画面に新しい文字が並んだ。
『了解です。湧き水のとこで』
ほっとした。是印は端末を胸元へしまい、自嘲気味に鼻で笑うと、もはや離脱あるのみとばかりに全力疾走を開始する。
倒れた荷台を避け、鉱石の山を回り込む。
箱の列は、その先までずっと続いており、来る時には身を隠すのに重宝したものが、今となっては邪魔で仕方がない。是印は肩をぶつけて箱を押し退け、低いものは飛び越えながら、ひたすら岩棚を目指した。
——もう一息だ。あと少しで、元の場所へ戻れる。
そう思った矢先、進行方向に二人の歩離人が姿を現した。
片方はすでに抜き身を持っており、もう片方も、走ってくる是印に気づいて腰へ手をやった。
——抜かせる前に駆け抜け、すれ違いざまに切り捨てる。
そう決めて剣を握り直した時、不意に二人が左右へ退いた。
——なんだ、囲まれる?? 連携か??
咄嗟にそう考えて足を緩めたが、どういうわけか、相手は一向に斬りかかってこない。それどころか片方は、抜きかけていた刃をわざわざ鞘へ戻している。
妙だと思い、そこでようやく気づいた。
二人とも、是印を見ていない。
その背後を見ている。
肩越しに振り返ると、輸送船の積み込み口から、ちょうど一人の獣人が下りてくるところだった。そのガタイは他の歩離人と比べるまでもなく二回りは大きい。
船の入口をくぐるために窮屈そうにかがんでいた頭が、ゆっくりと持ち上がる。
その姿を認めるや否や、周囲にいた歩離人たちは一斉に場所を空け始めた。荷を運んでいた者まで、その場へ荷物を放り出して道を譲り、跪く。
——まるで、王の
だが、その獣人はそんな周囲の様子など気にも留めず、船尾から立ち上る煙をしばらく眺めていた。
怒鳴ることもなく、悠然と辺りを見回しながら、一歩、また一歩と進んでいく。
行く手を塞いでいた荷台へ片手をかけ、そのまま横へ押しやった。
車輪が砂を掘り、傾いた荷台から鉱石がばらばらと零れ落ちる。他の歩離人たちが二人がかりでようやく運んでいたものが、まるで空の木箱でも扱うように、片手でたやすく道の外へ退かされていった。
それを見ているうちに、是印の背中を冷たい汗が伝った。そして、鎌首をもたげてくる怖気がある。
——ああ、これ。この感覚。
あの獣人の持つ圧倒的なまでの覇気に似たようなモノを知っている。這い寄る恐怖をもたらす、それを味わったのは、そうタラサの底——
目の前に箱があった。
「——ッ!?」
辛うじて身をひねって回避できたのは、ここまでくぐってきた修羅場の経験がもたらしてくれた奇跡といってよかった。
背後で絨毯爆撃でもされたような音がする。恐る恐る振り返れば、鉱石を詰めたままの木箱だったものが木っ端微塵になっていた。
「——どうやら、鼠が紛れ込んだと思ったが」
あの獣人が、鉱石を片手で弄びながら、近づいてくる。
ほんの少し前まで、輸送船の積み込み口にいたはずなのに、既に全力で踏み込めば攻撃可能な距離にまで接近を許していた。
「ほう、あれを避けるか。いいだろう、貴様、名乗るがいい」
口を動かしつつ、是印の横の歩離人を邪魔だ、どけと言わんばかりにあごをしゃくる。それを受け、二人の歩離人は素直に距離を取った。
「……人に名前を尋ねるときはまず自分からって義務教育で教わらなかったかよ——」
脳内は赤信号で埋まる。対峙すればするほどにわかる、こいつはそこらの雑魚共とはワケが違う。別格だ。そして今のように歩離人の一般兵を容易に従わせる上下関係からして恐らくは
タラサの記憶、鏡流の因縁、騰驍将軍の情報、そして歩離人の親玉、それらが結びつき、
一つの結論となる。
「——てめーが
牙を剥き出しにし、愉快そうに、
「——名乗る必要はなかったようだがな」