DARK SOULS Trilogy Collection   作:神父三号

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ダークソウル2の魔女ジャーリーと放浪騎士アルバの物語です。
二人については方々で色々な考察がなされています。
このお話はそれを踏まえつつ、独自に膨らませたお話です。



生きることの意味を知った魔女(DS2:魔女ジャーリー、放浪騎士アルバ)

 夜が嫌いだった。

 

 太陽の沈んだ暗い世界に横たわる自分の中で、闇が囁き出すからだ。

 

 

『王たらんとする者を、探し求めよ』

『火の封より、人の闇を解き放て』

『闇の欠片の、使命を果たせ』

 

 

「……うるさい」

 

 内なる闇の囁きに意味も無く耳を塞ぎ、ジャーリーは枯れ葉の上で身体を丸めた。

 

 

『使命を果たせ。闇の欠片の、使命を果たせ』

『使命を果たせ。闇の欠片の、使命を果たせ』

『使命を果たせ。闇の欠片の、使命を果たせ』

 

 

「うるさいっ!!」

 

 内なる闇は──「父」の残滓は決して、囁きをやめない。

 昼間ならば無視できる程度のそれは、夜になると途端に激しく、騒々しくなる。

 

 

 だからジャーリーは、騒々しい夜が大嫌いだった。

 

 

 何になるというのだ。

 自身の闇を解き放ち、深淵の主となった「父」は結局、敗れて滅んだ。

 光の王にすら届きえたであろう、「父」の莫大な闇の力は結局、砕け散った。

 

 何をしろというのだ。

 自分達のような闇の欠片がこそこそと這い回り、力ある者を追い求めて。

 すがれというのか。奴隷のように。

 媚びろというのか。娼婦のように。

 寄り添えというのか。妻のように。

 

「くくっ、ははは……」

 

 自嘲の笑いが、漏れ出る。

 一筋の涙が、頬を伝った。

 

 ジャーリーは、夜が嫌いだった。

 いや、夜だけではない。

 人も、闇も、「父」も、そして自分自身さえも、何もかもが大嫌いだった。

 

 闇の果てに、道などありはしない。

「父」が既にそれを、自ら証明したではないか。

 だから無意味なのだ。何もかも。

 自分がこうして、生きることさえも。

 

 

「諦観」の使徒、魔女ジャーリー。

 

 

 深淵の主の滅びと共に生まれた、闇の落とし子である。

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

 あてどなく、魔女ジャーリーは独りで長々と旅を続けていた。

 人の集まりに混ざろうとしたことも、かつてはあった。

 しかし、蔑むような視線が、妬むような視線が、あるいは全身を舐め回すような視線が、いつしか耐えられなくなった。

 

 そうして、とある小高い丘に立った時のことだった。

 

「……戦、か」

 

 眼下の少し離れた街の傍で、数百の軍勢同士がぶつかっていた。

 果敢な雄叫びや武器のぶつかり合う音、魔術や呪術の炸裂する音が、ジャーリーが佇む丘にまで届いてくる。

 何の感慨もなく見物していると、一人だけ、ただ一人だけ明らかに図抜けた動きをしている者が、ジャーリーの目に留まった。

 見たこともない幅広の大曲剣を両手で振るう、赤い軽装鎧の騎士だ。

 かなり大型のクロスボウを、背に担いでいる。

 その騎士は刃を薙ぎ払う度に数人をまとめて打ち倒し、放たれた多数のソウルの矢を巧みに躱して、敵陣深くへと独りで突出するように斬り込んでいく。

 

「死にたがりの馬鹿か」

 

 ジャーリーは鼻で笑い、暇潰しに無謀な赤い騎士の死に様を見てやろうと丘に膝を折って、頬杖を突いた。

 だが、その騎士はいっこうに死ななかった。

 まるで周囲に敵などいないかのように湾曲した異形の刃が何度も軽々と振り回され、その度に血飛沫が舞う。

 やがて、相手の軍勢は大きく崩れ始めた。

 武器すら捨てて、方々に兵士が逃げ出していく。

 馬に乗った将と思しき男が何やら必死に喚いていたが、赤い騎士が間近に迫ってきたのを見て、すぐに馬首を返した。

 

 もう遅い。

 

 ジャーリーがそう感じると同時に、将の背中を鉄のボルトが貫いた。

 赤い騎士が、片手でクロスボウを撃ったのだ。

 勝鬨が上がり、戦が決着した。

 

 

『王たらんとする者を、探し求めよ』

 

 

 ジャーリーの中で、闇が小さく囁いた。

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

 その夜。

 

「昼間の戦を拝見しておりましたわ。とてもお強いんですのね」

 

 ベールを被ったジャーリーは街の酒場で、赤い軽装鎧の騎士に猫撫で声で話しかけた。

 騎士は兜を脱ぎ、杯を手にしている。

 こちらに向けられた顔は精悍で、しかしどこか悲壮さがあった。

 

「お隣、よろしいでしょうか?」

「ああ、構わない」

 

 そう言って騎士は視線を外して、杯を一息で煽り、追加の酒を注文した。

 まったく酔っていない。

 そして、こちらの顔を眺めもしない。

 薄布で作られた紫のベールの下には、今まで数えきれぬほどの下衆に言い寄られた、煩わしい美貌があるというのに。

 この騎士にだって、確実に透けて見えているはずだ。

 王たらんとする者すら誘惑できるように「父」よりわざわざ押しつけられた、絶世の美貌が。

 それにもかかわらず。

 

「何も頼まないのか?」

「え、ぁ……そ、そうでしたわね」

 

 ジャーリーも酒を注文し、出された杯を傾けた。

 ただの、味のついた水だ。

 闇の落とし子にとっては、それ以上のものではない。

 

「わたくしは、旅の魔術師ですわ。名は……ジュリアと申します。故郷はメルヴィアですが、見聞を広め、魔術の深奥を究めるために旅をしておりますの」

「……アルバだ」

「アルバ様ですね。とても雄々しくて、素敵なお名前ですわ。貴方は、この街で騎士をしていらっしゃるのですか?」

「いいや、ここへは旅の途中で立ち寄っただけだ。戦には、路銀を得るために出たんだ」

「まあ。ということは傭兵をなさっておいで? あれほどのご活躍をなさるのですから、さぞかし名の通った方なのでしょうね。うふふ……」

「……君はメルヴィアの出身なのに、俺の名を知らないのか?」

 

 アルバに顔を寄せようとしたジャーリーは、その言葉に思わず固まった。

 適当に挙げた国と、深い関わりがある男だったか。

 それとも世に広く知られた、高名な放浪騎士だったか。

 どうする。取り繕うか。

 いや、そもそもそこまでしてこの男に執着する理由など、何も無い。

 ただの気まぐれで、からかってやろうとしただけだ。

 内なる闇がいつものように、くだらない囁きをしただけだ。

 別にもう──

 

「人慣れしていないのに、無理な演技はしない方がいい。簡単な揺さぶりで、すぐにボロを出してしまう」

「っ!」

「異端の身ならば、見知らぬ者には下手に関わらないようにすべきだ」

 

 アルバがジャーリーの瞳をベール越しにしっかりと見つめて、忠告してくる。

 その眼差しは、今まで見たことのない色をしていた。

 深い悲哀とささやかな同情、そして奥には決して揺るがぬものが、確かにあった。

 

「……っっ!!」

 

 ジャーリーの中で、猛烈に何かが暴れ出した。

 渇望ではない。憤怒ではない。孤独ではない。恐怖ではない。

 当然、諦観でもない。

 闇の落とし子としての、何かではない。

 暴れているのはもっと別な、何かだった。

 

「な、何をおっしゃっているのかしら……? わた、わたくしはただ……た、ただ貴方の活躍ぶりをこの目で見て、それで、それでっ……!」

「カリムの騎士は、生涯を一人の聖女に仕える。俺は彼女に……シレルタに、その病を治癒する術を必ず見つけて帰ると、確かに約束した」

「っ……」

「君は何か、手がかりを知らないだろうか?」

 

 暴れていた何かが、さらに暴れ狂った。

 ジャーリーは握りしめていた杯をそのまま砕き割った。

 

「……知らない、そんなものは。私は、お前の救い主ではない」

「そうか。すまないな。いきなり難しいことを聞いてしまった」

 

 アルバは落胆した様子もなく、ジャーリーから視線を切って、酒を呷った。

 店主が何かを咎めるように言ってきている。

 酒場中の視線が、こちらに向いている。

 だが、そんなことはどうだってよかった。

 

 

「覚えておけ、アルバ。私はお前を、絶対に忘れない」

 

 

 ジャーリーは吐き捨てるように言って、酒場を飛び出した。

 街を出て、戦を見物した丘まで全力で走り、そこで蹲った。

 

 顔が熱い。胸が熱い。全身が熱い。

 何故だ。何故こんなに熱い。

 取るに足りない、短いやりとりをしただけなのに。

 

 騎士だと。聖女だと。

 生涯を、一人の聖女に仕えるだと。

 聖女の病を、治す旅だと。

 聖女ならば、"治癒の祈り"の奇跡くらい使えるだろうが。

 聖女を大勢抱えるような国ならば、"大回復"の奇跡とて使える者はいるだろうが。

 それで治せないならば、それは決して治らない病なのだ。

 馬鹿げている。

 あの馬鹿な男は、全く無駄な旅をしている。

 

 無駄な旅をしている癖に、私を慮った。

 あの馬鹿な男は。

 

 

「……アルバ。シレルタ」

 

 

 ジャーリーは丘の草を握りしめて、夜空の月を睨みつけた。

 

 静かだった。

 内なる闇が、囁いてこない。

 

 ジャーリーは生まれて初めて、静かな夜を体験した。

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

「ぐ、ぅ……ひ、人の皮を被った、化物め……」

 

 倒れ伏したまま捨て台詞を吐いた賊の頭領を、魔女ジャーリーは奪い取った大剣で貫いた。

 そして、懐に隠し持っていた鍵を得て、制圧した砦の宝物庫を開いた。

 

「ふん。一介の匪賊が、よくもこれだけ溜め込んだものだ」

 

 金、銀、珍品、奇品。

 ジャーリーは大量の財宝を一つずつ、改める。

 中には、極めて希少なスクロールや、一国の秘宝と呼べるような品すらあった。

 ただ、放浪騎士アルバの探し求めるような大いなる治癒の術は無い。

 

 無法地帯となったかつての大国フォローザの一帯で、最も幅を利かせていた賊徒達である。

 確かに、ただの野盗とは思えないような武芸やスペルの使い手も何人か見受けられた。

 しかしそれでも、闇の落とし子であるジャーリーの敵ではなかった。

 生まれ持ったソウルの格が、違うのだ。

 

「喜べ、醜い屑共。ただ一夜とて、輝くように美しい者へと生まれ変わらせてやる」

 

 ジャーリーは酷薄な笑みを浮かべて、己の闇を大きく解放した。

 生命の抜け落ちた賊徒達の死骸。

 それに闇を注ぎ込み、仮初の意思を持たせて、姿形を作り変えるのだ。

 

「父」の創造した、古く強大な闇術である"追憶"。

 それに"死者の活性"を重ね合わせた、生命を愚弄し尽くす、あまりにも冒涜的な業。

 ジャーリーがアルバを陥れるためだけに練り上げた、闇術の深奥である。

 

 砦中に散乱した賊徒達の死骸が、起き上がった。

 類稀なる美貌と豊満な肢体を兼ね備えた、艶やかに微笑む女戦士達として。

 ジャーリーは生まれ変わった女戦士達に、砦の中に飛び散っている血や木片を全て片づけるように命じて、動かし始めた。

 砦のあちこちへ灯りをともすようにも、仕向けた。

 

「ぅぐ、はぁっ、はぁっ……! ふふふ……さて、もうじきアルバがやってくる頃かな」

 

 大幅に消耗してその場に膝を突きながら、ジャーリーは砦の窓から薄暮の空を見た。

 ここから南方の、アルバが立ち寄るであろう街に先回りし、詐術を使って噂を流しておいた。

 

 

 かつてのフォローザ一帯で最大の勢力を為す賊徒達が、どんな病も治して死者すらひと時の間蘇らせる、古き偉大な奇跡のスクロールを手に入れた──という噂を。

 

 

 何がカリムの騎士、だ。

 何が生涯を一人の聖女に仕える、だ。

 何がシレルタと約束をした、だ。

 

 そんなもの、これほどの肉欲と財宝の誘惑の前には、どうしようもあるまい。

 薄っぺらな忠義を、信仰を、愛を、全て引き剥がして、醜い本性を曝け出させてやる。

 そして、それを嗤ってやる。

 

「アルバ……早く来い」

 

 ジャーリーは闇を身に纏い、姿を隠して、砦の前で待った。

 そうして、夜になった。

 

 ──来た。

 

 月光に照らされた赤い軽装鎧に、大曲剣と大型のクロスボウ。

 放浪騎士アルバで、間違いない。

 あの夜に酒場で私を慮った、あの馬鹿な男だ。

 

 ただ、一人ではなかった。

 二人、連れがいる。

 重たそうな石の鎧を纏い、大鎚を担いだ巨漢。

 大弓を携えた、軽装の男。

 

 三人で砦へと、近づいてくる。

 ジャーリーは、少し対応を変えることにした。

 

『止まれ! こんな夜に、あたしらの砦へ何の用だい!!』

 

 砦の上階の窓から、死骸の女戦士達に弓を構えさせ、その内の一人に大きく声を張らせた。

 死骸の意思は、あくまで仮初だ。

 吐く言葉は全て、ジャーリーが考えなければならない。

 だがもう、以前のようなボロは出さない。

 騙しきってみせる。

 必ずアルバを、肉欲と財宝に溺れさせてやる。

 

 大弓を構えようとした軽装の男を止めて、アルバが一歩前に出た。

 

「俺はカリムの騎士、アルバ! こちらは君達と戦うつもりはない! 別に討伐を請け負ったわけではないからな! ……ただ、君達が偉大な奇跡のスクロールを入手したと聞く! それについて、君達の頭領と話がしたい!!」

『……ふん! アルバとかって言ったね! 砦の前まで来て、そのツラを見せな!! ……他の二人はそこを動くんじゃないよ!!』

 

 石の鎧を纏った巨漢が、進み出ようとするアルバの肩を抑えた。

 大弓の男もアルバの行く手を遮り、何やら声を低めている。

 二人の連れは、アルバの無謀を何とか制止しようと話しているようだ。

 

 一人で放浪していると思っていたが、心配してくれるような仲間がいたのか。

 それとも今回だけアルバに雇われていて、雇い主を守ろうとしているのか。

 いずれにせよ、二人の連れはお人好しの類らしい。アルバのように。

 僅かに聞こえてくる会話の節々から、それが伝わってくる。

 

 だが結局、アルバは巨漢の手を優しくどけ、言われた通りに砦の前までやってきて──ジャーリーの前までやってきて、兜を脱いだ。

 

 同じだ。

 あの夜に酒場で見た、アルバだ。

 ジャーリーはしばし、その精悍な顔に見入った。

 

『あっははは! 中々の色男じゃないか! いいだろう、お頭に話をしてきてやる!!』

 

 少し時間を置くことにした。

 その間、ジャーリーはじっと、アルバの顔を見つめていた。

 

 

 

 闇に姿を隠した私の存在に、全く気付いていない。

 腕が立つと言っても、人の範疇を超えない程度だ。

 ソウルの量だって、図抜けているわけではない。

 王たらんとする者では、決してない。

 初めて丘で見た時の闇の小さな囁きは、ただいつものことでしかなかった。

 いや、そんなことはどうでもいい。

 

 やはりアルバの瞳の中には悲哀と、決して揺るがぬものがあった。

 最初はとびきりの美女に仕立てた、賊の頭領の死骸に誘惑させるつもりだった。

 だが私の前で、賊の死骸なんかに、この男を。

 

 

 

 ジャーリーは唇を噛み、姿と気配を隠したまま、静かに砦の中へと入った。

 

『……待たせたね! アルバさんよ、砦の上に上がってきな! お頭が特別に、相手してくれるってさ! ……ただ、武器は持ってきてもいいってよ! 優しいお頭に感謝しな!!』

 

 死骸の女戦士達が武器を構える砦の中を、アルバが上がってくる。

 ジャーリーは、容貌を変えて煽情的な衣装を纏う詐術を使った。

 かつて砂漠を旅した時に襲いかかってきた、砂の魔術師達が使っていた業だ。

 簡単に真似できて、しかしほぼ確実に人目を欺くことができる。

 

「カリムの騎士、アルバと言う」

「……頭領のジャーリーだよ。へぇ、見張り連中が言ってた通りの色男じゃないか」

 

 変装したジャーリーは少し顔を熱くしながら、対面したアルバに本当の名前を名乗った。

 どうせ、これで終わりだ。

 名前くらいは、明かしてもいい。

 

「あなたが偉大な奇跡のスクロールを手に入れたと、ここより南の街で聞いた」

「偉大な奇跡……あー、あったかねぇ、そんなの。生憎、あたしはスペルの類はからっきしでね。ただ、手下に腕の立つ元聖職者がいるからね。多分、そいつが街へ出てった時に言いふらしたんだろうよ。あはは……最近繁盛して、色々モノが増えてきてねぇ。あたしも、宝物庫の中身をいちいち把握してないんだよね」

「良ければ、改めさせてくれないだろうか。そして、そのスクロールが本当にあるならば、何かの取引で譲っていただきたい」

 

 アルバが大曲剣とクロスボウを手放して、床に転がした。

 ジャーリーの胸が、高鳴り始める。

 詐術の上からでも、にやけが止まらない。

 身体が、火照ってきた。

 

「……あんた、アルバって言ったかい? あたしらが商人じゃないってのは、分かってるよね?」

「ああ、分かっている。そもそもあなたが商人だとしても、俺は偉大な奇跡のスクロールを買い取れるほどの大金を、今は持っていない。交換できるような貴重な品も、持っていない」

「へぇ、そう。じゃあ、どうするのさ? 取引ってのはテキトーな建前で、あたしらを皆殺しにして、かっさらうって?」

「……最悪の場合は、そうするつもりだ。だが最初に言ったが、俺はあなた達の討伐を誰かから請け負ったわけではない。聖女に仕えるカリムの騎士として、相手が賊徒だからといって一方的に略奪を為すようなことは、出来るだけしたくない」

 

 聖女。

 聖女とは、シレルタという女のことだ。

 アルバが病を治す術を見つけると約束した、生涯仕える相手だ。

 ジャーリーの心が、ざわついた。

 それでも必死にへらついた作り笑いを維持しながら、ジャーリーは会話を続けた。

 

「ははっ……いいねぇ、気に入ったよアルバさん。あたしはあんたみたいな真面目でお堅い男が、結構好みでね……けど、最近とんと見かけなかった。だからさぁ……」

 

 ジャーリーはただでさえ煽情的な衣装をはだけさせ、アルバの胸にしなだれかかった。

 

 

「一晩相手してくれたら、お宝を何でも一つやるよ。……どうだい? 悪い話じゃないだろ?」

 

 

 甘く囁いた声に、アルバは何も反応を返さない。

 ただじっと、容貌を変えたジャーリーの作り笑いを見つめている。

 ジャーリーは沸騰しそうになる頭を必死に抑えながら、言葉を続けた。

 

「ふふふ……あたしをモノにしたい男なんて、この辺りじゃいくらでもいるんだよ? どいつもこいつも、人のカラダを視線でじろじろと舐め回してきてさ。だからあたしは一つ得をして、あんたは二つ得をする。美味しい話だろ? ねえ、アルバ……」

「すまない、ジャーリー」

 

 アルバはそれなりの力を込めて、胸元のジャーリーを引き剥がした。

 

「先ほども言ったが、俺は聖女に仕える騎士だ。生涯ただ一人の聖女に仕える、騎士だ。……あなたの申し出は決して受けられない。申し訳ないが、他の条件にしてほしい。他のことならば、どんなことでも成し遂げてみせる。竜の首を持ってこいと言われても、必ず」

「っ」

 

 ジャーリーは顔をしかめつつも、どこか安心していた。

 薄布のベール越しに自前の美貌を間近に寄せても、靡かなかった男なのだ。

 詐術での誘惑に靡いたら、それはそれで複雑な気分になったことだろう。

 だが、これで負けたわけではない。

 絶対に、堕落させてやる。

 

「……ふぅ。やれやれ、本当にお堅い騎士サマだねぇ。でもまあ、そこまで一本気なところ見せられると、逆に感心しちまったよ。……いいよ。お宝を何でも一つ、くれてあげる。ついてきな」

「っ! ありがとう。恩に着る、ジャーリー殿。本当に……ありがとうございます」

 

 アルバは畏まって、その場にひれ伏した。

 れっきとした国の騎士が塵芥のような匪賊に、ひれ伏すのか。

 そこまで、シレルタとかいう女が大事なのか。

 ジャーリーは歯を食いしばりながら、砦の中の宝物庫へとアルバを連れていった。

 アルバが財宝の山をかき分けて、目当ての品を探し出す。

 

「ふふふ……無かったら無かったで、別のお宝を持っていってもいいよ? あたしはあんたを気に入ったからね。お金に替えるなり、旅の役に立てるなりしな」

 

 肉の誘惑には惑わされなくても、財宝を譲ってもらえるとなれば、つい甘えてしまうだろう。

 賊の財宝でも、財宝は財宝だ。

 人の世などどうでもいいジャーリーの目から見ても、貴重で有用な品がいくつもある。

 アルバだってそれを手に取って、目を輝かせて笑うに違いない。

 そうしたら、正体を明かしてやる。

 そして、欲望に溺れたことを嗤ってやる。

 

 アルバは黙って、財宝をかき分け続ける。

 そして。

 

「……すまない、ジャーリー殿。目当ての物は、無かった。それでもあなたの厚意に、重ねて礼を言う。ありがとうございます」

 

 アルバは悲しそうに深く頭を下げ、宝物庫から出ていこうとした。

 

「ちょ、ちょっと待ちなよ! 別の宝でも良いって言っただろ!? 何で手ぶらで帰ろうとするのさ!?」

「ここにある宝は、あなた達が賊をして手に入れた物だろう? この亡国の荒れ果てた無法の土地で生きていくために、溜め込んだ宝だろう? 女達で集まって必死に生きてきた、戦いの証なのだろう? 俺は勝手な正義感でそれを悪だと断じるつもりはないし、目当ての物が無い以上、賊をして手に入れた物を譲ってもらうつもりもない」

「っ……! でも、偉大な奇跡のスクロールとやらがあれば持っていっただろ!? それとこの宝の山と、何が違うってのさ!?」

「違う。俺が欲しいのは仕える聖女を救う術だ。もしこの中に偉大な奇跡のスクロールが本当にあったとしても、大国の秘宝があったとしても、それが聖女を……シレルタを救うことができないならば、興味は無い」

 

 ジャーリーは断言して去るアルバに、何も言い返せなかった。

 そのまま、アルバは二人の連れと一緒に、夜の暗闇の中へと消えていった。

 

 宝物庫の前で呆然と立ちすくむジャーリーの周囲で闇術が解け、美しい女戦士達は醜い賊の死骸に戻った。

 

 夜は今日も、静かだった。

 アルバを想う夜はいつも、内なる闇は囁かなかった。

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

 魔女ジャーリーは、諦めなかった。

 手を変え品を変え姿を変え、放浪騎士アルバに纏わりつき、騙し、堕落させようと試みた。

 アルバを騙すのは、容易かった。

 だが、アルバは決して堕落しなかった。

 カリムの騎士として、生涯仕える聖女のために、その病を治癒する術を見つけるために、真摯に放浪の旅を続けた。

 

 しかし、やがてジャーリーの中で内なる闇が、アルバを想っていても、強く囁き始めた。

 

 

『王たらんとする者を、探し求めよ』

『火の封より、人の闇を解き放て』

『闇の欠片の、使命を果たせ』

 

『使命を果たせ。闇の欠片の、使命を果たせ』

『使命を果たせ。闇の欠片の、使命を果たせ』

『使命を果たせ。闇の欠片の、使命を果たせ』

 

 

 独りで過ごす夜の暗さと深さに、とうとう闇の落とし子は耐えられなくなった。

 だから、ある夜。

 

 

「おい」

 

 

 川辺で焚火をしていた騎士に、魔女は声をかけた。

 いつもの赤い軽装鎧を全て脱いで、くつろいだ姿で焼き魚をかじろうとしていた男がそのまま、振り返る。

 

「……メルヴィアのジュリアじゃないか。久しぶりだな」

「覚えていたのか」

「何故こんな夜に、目隠しの仮面を着けているんだ?」

「そっちこそ何故、目隠しをしていても私だと分かった? 薄布のベール越しでしか、顔を合わせなかったのに。たった一度だけの、出会いだったのに」

 

 アルバが少し、横にずれた。

 ジャーリーは、その隣に素直に座った。

 焚火の熱が、温かい。

 

「声で分かった」

「声?」

「『覚えておけ、アルバ』……君は、そう言っただろう。だから、覚えていた」

 

 ジャーリーは呆れて、何も言えなかった。

 今まで散々この男がどういう者かを見てきたというのに、それでも、呆れてしまった。

 

「そんな律儀な生き方をしていて、肩が凝らないのか?」

「律儀というわけでもないさ。放浪の中で、路銀のために多くの命を奪ってきた。窮して、汚い仕事を引き受けたこともある」

「知っている。ずっと、見てきたから」

「……何だって?」

 

 ジャーリーは焚火に木の枝を差し入れて、そっぽを向いた。

 

「ジャーリーだ。私の本当の名前は」

「っ……! 宝物庫を見せてくれた、フォローザの賊の頭領の?」

「ああ。ただ、別に私の正体は賊の頭領ではない。あの時は砦に初めからいた賊を皆殺しにして、死骸の姿を変えて操って、自分も変装して、お前を誘惑しただけだ」

「そうだったのか……」

「騙されていることに一切気づいていなかったな、あの時のお前は。ふふっ……お前が『無理な演技はしない方がいい』などと私に言ったからだぞ? だから、無理な演技にならないように練習した。……お前を騙すためだけに」

 

 アルバが焚火で焼けた魚の串を一本くれた。

 ジャーリーはそれにかじりついた。

 闇の落とし子なのだ。

 何も食べなくても、生きていける。

 それでも、魚は美味しかった。

 ただ焼いただけなのに。

 アルバがくれた魚は、美味しかった。

 

「私はずっと、お前に纏わりついていた。くだらない噂を流したり、変装したり、他者を操ったり……あらゆる手段を使って、お前を騙し続けていた。不可解な出来事が、何度もあっただろう? おかしな厚意を押しつけられることや、不意に宝が転がり込んでくることや、見知らぬ女に誘惑されることが」

「……何故そんなことを?」

「別に、特別な理由があるわけじゃない。ただお前が堕落するところが、見たかった。騎士として聖女へ捧げた忠義、信仰……愛。そういったものをお前が投げ捨てて堕落するところが……シレルタという女を裏切るところが、見たかった。ただそれだけのことだ」

 

 ジャーリーはかじり終えた魚を串ごと、焚火の中に投げ入れた。

 

「闇の欠片なんだ、私は。世の理が継がれ始めるよりも昔……自身の闇を解き放ち、深淵の主とまでなった人がいた。そんな人を『父』とする、闇の落とし子なんだ」

「…………」

「だから、性根が腐りきっているんだ。暗く、醜く、淀んでいるんだ。お前のような真っ直ぐな人を見ると……そして、そんな男に一途に愛されている女がいると思うと……悔しくて、妬ましくて、たまらなくなる」

 

 ジャーリーは荒く息を吸って、吐いた。

 そして膝を抱え込み、顔を伏せた。

 

 

「……アルバ。今までずっと、すまなかった。私はお前の旅を、手前勝手な悪意で邪魔し続けてきた。今さら謝っても、許されることでないのは分かっている。……殺してくれ。償いは、それしかない。どうか私を、殺してくれ」

 

 

 ジャーリーはアルバに死を乞い願いながら、それでも内なる闇に苛まれていた。

 闇が、ずっと囁いてくる。

 

 

『無駄だ』

『闇の落とし子は、決して死なない』

『いつかどこか、深淵の縁に現れる』

『だから、諦めろ』

『お前は深淵の主の、"諦観"から生じたのだから』

『無駄だ。無意味だ』

『生きることも、死ぬことも、全てが無意味なのだ』

『諦めろ。諦めろ』

『それがお前の──』

 

 

「……ジャーリー。仮面の意味が無くなっているな」

「え……?」

「涙が隙間から、漏れている。そんな無意味な仮面、外してしまおう」

 

 アルバはジャーリーの仮面を、優しく外した。

 涙が一気に溢れて、ただでさえ濡れていた頬が、ぐしょぐしょになった。

 

「君は腐ってなどいない。暗く醜く、淀んでなどいない。悔しさや妬ましさなんて、人ならば誰しもが持っている。俺だって、故郷で年下の少年に剣で打ち負かされて、悔しくて泣いたことがある。この旅の中で仲睦まじい夫婦を見かけて、妬ましく思ったことがある。そう感じたのは、俺の中に闇があるからか?」

「……それは」

「人の内側の闇なんて、あって当然だ。大きいか、小さいか。激しいか、大人しいか。それだけの違いでしかない。俺はそう思う」

「……違う。お前の語っている闇とは、後ろ暗い感情の話でしかない。私の中にあるのは、そういう闇じゃない。もっと人の本質に……」

「ならばその人の本質の闇とやらが、君に『アルバを妬め』『シレルタを妬め』と囁いたのか?」

「っ!」

 

 アルバの優しい笑顔が、焚火の光に照らされている。

 眼差しの中にいつもあった深い悲哀が、今は少しだけ和らいでいた。

 

「……どうやら違うようだな。だったら君の悔しさも妬ましさも、俺に纏わりついていたことも騙し続けていたことも、人の本質の闇なんて関係無い。ただ、君が一人の人間である証なだけだ」

「私が、人間……」

「そうだ。君は闇の落とし子としてじゃなく、一人の人間として俺に意地悪をしていただけだ」

「……だ、だとしても、一線を越えたことばかりをしてきた! 謝罪しても仕方の無い、取り返しのつかないことだってたくさんしてきた! だからもう、私がお前に出来る償いは……!」

「ならば、隣で俺を支えてくれ。共に旅をしよう。俺がシレルタを救う術を探すのを、手助けしてほしい。それを償いにすればいい」

 

 涙が、再び溢れ出た。

 

「ふ、ぐすっ、ふふっ……お前、自分の言っている言葉の意味が分かっているのか? 私は、アルバという男に想われているシレルタという女が、妬ましいのだぞ? そんな私に、シレルタを救う旅の手助けをしろだと? 最低な男だな、お前は」

「ああ。俺は女に対して酷いことを言っている、最低な男だ。俺の旅は、シレルタを救うための旅だ。それは君にとって、きっと辛い旅になる。それでも償いをしたいというのならば、共に来てほしい。あの夜『覚えておけ』と言ったのは、君だ。『忘れない』と言ったのも、君だ。だから、ジャーリー。俺達はお互いを決して忘れないように、一緒に行こう」

「お互いを、忘れないように……」

「そうだ。俺はいつまでも、君を覚えていよう。君も俺を忘れないように、生きてくれ」

 

 騎士の手が、魔女の手を包み込んだ。

 火の温かさとは違う、人の温かさ。

 

 ジャーリーは生まれて初めて、その温かさを知った。

 その温かさの、安らぎを知った。

 

 内なる闇の囁きが、遠ざかっていく。

 それはいずれまた、近づいてくるかもしれない。

 

 それでも、今この時は。

 この男と、共にいる時だけは。

 

 涙目で見上げた夜空は、無数の星と満月が輝いていて、とても美しかった。

 

 あんなに大嫌いだった夜が、今はこんなにも愛おしい。

 それはきっと、生きているからだ。

 生きていることを、実感できているからだ。

 生きることは決して無意味ではないのだと、この男が教えてくれたからだ。

 

 

「ありがとう、アルバ。私に……生きる意味をくれて」

 

 

 誰からも愛されず、誰も愛さなかった魔女は。

 不遇の果て、生きることの意味を知った。

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