DARK SOULS Trilogy Collection   作:神父三号

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血統の末、呪い、選択・3(DS3:双王子、最初の賢者)

 私に与えられた私室は、今はもう"牢屋"ではなくなっていた。

 

 ルカティエル様が、乳母のエンマの目を盗んでいつも来てくれるからだ。

 夕食を終えた後だって、眠たくなるまで傍にいてくれるからだ。

 文字の読み書き、魔法の使い方、そして世界の様々なことを、毎日教えてくれるからだ。

 

 "鏡"というものを持ってきて、私自身の顔すら見せてくれた。

 やはり病で萎びて痩せこけた顔だったが、それでもそれは確かに、私の顔だった。

 "鏡"を渡されたその日はずっと、寝台に腰かけて自分の顔を見つめていた。

 その傍らで師は何も言わずに、ただ寄り添ってくれた。

 

 ルカティエル様は私にとって密かな師であり、父のような存在だった。

 

「やった! ついに出来ました!」

「やるじゃないか。魔法はスクロールを読んだり読み聞かせられたりで覚えるのが基本なんだが……俺の口伝だけでそこまで簡単に出来るようになるなんてな。大したもんだ」

 

 いつものように閉じた窓の熔鉄の格子の隙間が、ルカティエル様によって開けられた昼間。

 私が掌の上に浮かべた光を見せると、師はいつものように頭を乱暴に撫でてくれた。

 

 "照らす光"。

 

 古い国ウーラシールの、黄金の魔術の精粋であるという。

 確かに、ルカティエル様が自ら的になってくれた"ソウルの槍"や"追尾するソウルの塊"よりも遥かに難しい術だった。

 術理を説かれ、手本を何度も見せられても、中々に光を生み出せなかった。

 ここ数日ひたすら練習し、ようやくそれが出来た。

 

「あ……ですが私の"照らす光"は、ルカティエル様のものと色が違いますね。貴方の光はまさに黄金でしたが、私の光は純白です。……鍛錬が足りないからでしょうか?」

「いいや。魔術の多くは自身のソウルで生み出すものだ。だから同じ魔術を使っても、内なるソウルの影響でその性質は異なることがある。最初に講義したがその"照らす光"は単純ながらも魔術の奥義の一つで、個人の資質による振れ幅が特に大きい。建国者のロスリック兄妹のうち、妹の方もお前と同じ純白の"照らす光"を生じさせていた」

「……そう、なのですか」

 

 そう言われると、私はどこか沈んだ気分になって俯いた。

 これがこの国で続けられてきた"血の営み"の成果だと、見せつけられている気がしたからだ。

 

「あぅ」

「あくまで個人の資質だって言っただろ。兄の方は結局最後まで使えなかったし、そもそも純白の光を出してた奴なんて俺はこの国と無関係に百人以上知ってるわ。どれだけの魔術師がこの術に挑戦してきたと思ってる。触媒も無しに数日で出来るようになっといて落ち込むな、バカヤロー」

「ば、ばかやろー?」

 

 額を指で弾かれ、今日もまたよく分からない言葉を投げかけられた。

 乱暴ながら思いやりを感じる師のよく分からない言葉の数々が、私は嬉しかった。

 まだまだ知るべきことがあるのだと、実感できるからだ。

 

「さて、今日も何か聞きたいことはあるか?」

 

 種々の講義が終わればいつも、ルカティエル様は何でも聞いてよい時間を設けてくれた。

 私はその日の講義で疑問に思ったことを、しばしば聞いた。

 師の回答はいつも明晰かつ私が言葉にしきれないような細かな意図すら汲み取っており、やはり賢者なのだと感じられるものだった。

 

 しかし、ルカティエル様が師となってから、私はまだ本当に聞きたいことをいくつか聞いていなかった。

 

「……今日の質問は、以上です。ありがとうございました、ルカティエル様」

「本当か?」

「えっ……」

「何でも聞いていいと、俺は言ったはずだぞ」

 

 ルカティエル様が私の机から離れ、寝台に腰かけて、そう言った。

 いつもの形容しがたい色の瞳が、椅子に座っている私を見つめてくる。

 やはり賢者だ。私の師だ。

 心の中に抱いているものを、見抜かれている。

 

「……では、お聞きします」

「ああ、来い」

「この国へと戻ってこられた時、高壁の向こうで貴方は大いなる魔法を使っておられました。それでこの城は、何度も揺れました。……何故ですか? ただ"薪の王の"の資格者たる私に会いに来るだけならば、あのような行為は必要なかったのでは? 高壁の下には、この国から捨てられた不死たちの街があるのでしょう?」

「ロンドールの軍勢が、不死街に潜んで俺を待ち構えていた」

「ロンドール?」

「世界蛇の娘である三姉妹が興した、亡者の国だ」

 

 世界蛇。その言葉に、私は聞き覚えがあった。

 エンマから聞いた話を、記憶の中から掘り起こす。

 

「世界蛇とは、大王グウィンの朋友フラムトのことですか? 最初の火継ぎを導いた者だと聞いております。その娘たちが何故……?」

「フラムトは確かにグウィンの友だったそうだな。この国にもいくつか彫像があったし、火継ぎを神聖視する他の国でも崇められてるのを見た。……だが、フラムトは世界蛇では例外だ」

「…………」

「世界蛇とは本来、時代の移り変わりを導く存在だったそうだ。今はもう死に絶えたようだが……特に蛇の筆頭たるカアス。奴はグウィンとフラムトが作った、火継ぎを続ける今の世界の仕組みを欺瞞だと考え、人が支配する闇の時代の到来を強く導こうとしたらしい。"薪の王"の資格者達や繁栄した人の国に対して、幾度も闇への誘いがあったという。……詳しくはまたいずれ話すが、闇への誘いは蛇によるものだけではなかった。様々な誘惑が試みられ、結果的に滅んだ国も数多い。俺はその実例を、旅の中でいくつも見てきた。……古の国ウーラシールも、その一つだと聞いている」

 

 私は額を伝う汗を拭った。

 この話もおそらく、知ってはならないことだろう。

 世界の仕組みの根幹に触れる、禁忌だ。

 

「ルカティエル様。闇への誘いとは、具体的にどういうことですか?」

「人は闇に生まれ、光の王によって"火の封"を施されて仮初の姿を得た……俺が最初に訪れた時にしたその話は覚えてるか?」

「……はい」

「力ある不死が……いや、正確には亡者がはじまりの火を簒奪し、人が本来持つ闇の力に変えて"火の封"を……神の枷を完全に外すこと。仮初の姿を完全に捨て去ること。それが、繰り返されてきた闇への誘いであり、亡者の国ロンドールの悲願だ」

 

 私は強い衝撃を受けた。

 はじまりの火を継ぐか継がないかではなく、簒奪するだと。

 そんなこと、考えたこともなかった。

 

「……それは決して、許されざることではないのですか?」

「いいや、選択肢の一つではある」

「!?」

「人が闇の存在であることは、確かな事実だ。歴史の中で多くの探究が為され、ほぼ証明されている。人の本来の姿は、亡者のそれなんだ。ならば仮初の姿など捨て去るべきだと考えるのは、別に間違ってはいない。……お前は亡者を見たことがあるか?」

「……いえ。ですが理性を失って白痴となり、容貌も骨と皮のみの醜い姿となって、ただソウルのみを求めて襲いかかると聞いています」

「おおよその亡者はそうだな。不死の呪いが現れ、そこから死に続けるか長い時の中で心折れて、理性や記憶を失う。……しかし、醜い姿となり果てても理性も記憶も失わずに、しっかりと踏みとどまる亡者も多いんだ。特にこの、あまりにも永く火継ぎが続けられ、それによってはじまりの火そのものがひどく矮小になって、"火の封"が大きく綻び始めた時代ではな」

 

 私の師は、最初の賢者は、火の簒奪を否定しなかった。

 選択肢の一つだと言った。

 それはつまり、亡者の国ロンドールの悲願を否定していないということだ。

 

「……貴方はそんな選択肢を認めていらっしゃるのに、何故ロンドールに襲われたのですか?」

「俺は不死だが、色々なことをしてきて……決して亡者にならなくなっている。この世の因果から、少し外れてしまった存在だ」

「え……!?」

「まあ死ぬことは死ぬんだが、何度死んでも即時かつ即座に蘇り、その上でなお亡者にはならない。それは亡者の国ロンドールから見れば、人の本質に背いた絶対に許せない存在なんだとよ。……三姉妹の長女と、かつて戦ってな。聞いてもいないロンドールの事情をべらべらと吐いて、俺個人への恨みつらみや何やら抱え込んでいたものを色々ぶちまけて、何度も俺に殺され続けて……やがてどこかへ逃げ去った」

「では、その時からひたすらロンドールに付き纏われているのですか?」

「そうだ。本当に面倒くさい奴らだ。ロンドールにとって特にこの国の高壁の下の不死街は、待ち伏せと亡者の補充にピッタリだったんだろうよ。ひたすらに、物量攻めをくらった。あの長女は何故かいなかったが、次女と三女が何度も死にながら激しく攻めたててきた。……お前の兄のローリアンが騎士を連れて加勢に来てくれなかったら、ここまで来れずに退くしかなかったろうな」

「兄上がルカティエル様に加勢を?」

「ああ。戦自体は一日で亡者の軍勢を片っ端から縛るか動かなくなるまで殺すかして、姉妹も退けて終わったんだが……後始末の中でロスリックを世界の聖地として訪ねてくる蓋かぶりの巡礼者の集団に、ロンドールの間諜が少数混ざっていることが分かった。そしたらローリアンがロンドールの侵入を拒みたいと言い出して、二人がかりで巡礼の大橋をぶっ壊して……それでだいぶ時間がかかっちまったし、この城も揺れまくったみたいだな」

 

 まあそんな感じだと言って、ルカティエル様は腰かけていた寝台に仰向けになった。

 沈黙が、二人きりの部屋に流れた。

 空が一際、赤く染まっている。

 もうじき、エンマが夕食を運んでやってくる。

 

「……流石は兄上ですね。ルカティエル様と、肩を並べて共に戦えるなんて」

「ああ。強いな、ローリアンは。まだ成人してさほど経っていないだろうに武力のみならず、高潔で、心優しく、臣下に強く慕われている。王子の鑑であり、騎士の鑑でもあるような男だ」

 

 私の師が仰向けのまま言葉を尽くして、兄上を褒め称えた。

 私は、思わず唇を噛んだ。

 

「……ルカティエル様」

「何だ?」

「ならば兄上が火を継ぐべきではないですか? 私のような病弱者よりもよっぽどよく燃えることで……」

 

 吐き出しきる寸前で、私は咄嗟に口を抑えた。

 最低の言葉だ。

 師の前で、父のような人の前で、吐くべきではない言葉だ。

 血を分けた優秀な兄を妬み、宿命を押し付けようとする身勝手。

 ずっと思っていても、今まで一度たりとて口に出したことはなかった、最低の想いだ。

 

「っ……大変申し訳ありません。私は」

「謝る必要なんて無い。その気持ちをきっと、ずっと抱え込んできたんだろ? 俺の前でくらい、吐き出したっていい」

「……!!」

 

 ルカティエル様が寝台から身を起こした。

 傍らに置いていた翁の仮面を取り、身に着ける。

 

「……俺にこの仮面と帽子と大剣をくれた友がかつて、亡者となって全てを忘れる直前に、俺を見つめて言った。『私とお前、一体何が違う?』と」

「本物の"ルカティエル"様ですか?」

「そうとも。俺はルカティエルの問いに、答えられなかった。言葉にしようと思えばできたかもしれない。『生来の器だ』『定められた運命だ』……そう答えられたかもしれない。何故お前が資格者でローリアンがそうでないのかも、無理やり言葉にしようとすればそうなるのかもな」

「っ……」

「だが」

 

 師が直剣を抜き、熔鉄の扉へ向けた。

 凄まじいソウルが室内に充満し、そして青白い光の奔流となった。

 

 ズゴォッ。

 

 扉が消し飛び、大穴が開いた。

 城を完全に貫通したようで、何枚もの壁を隔てて、向こう側の空が見えている。

 室外からざわめきが、途端に聞こえ出した。

 

「な、何を……!?」

「器も、運命も、世の理も、因果も、そんなものは所詮ただの言い訳でしかない。自分の在り方は自分で選択するのが、人間だ。"俺達"はそうしてきた。資格とやらが無くても弱い火にしかならなくても、たとえそれが罪滅ぼしであっても……それでもあくまで自分の意思で火を継いだ"薪の王"だっていた」

「ロスリック様っ!! 一体何が……ぅぁっ!?」

 

 駆け込んできたエンマが、翁の仮面を着けたルカティエル様を見て慄いた。

 

「よう。初めましてだな、祭儀長? 魔法はおろか文字の読み書きも教えないとは、それでも王子の乳母か?」

「ミ、ミラのルカティエル……!!」

「どうも。ミラのルカティエルです」

 

 エンマがおぞましい形相で握った触媒から"雷の槍"を発し、ルカティエル様へ投げつけた。

 直撃──する前に"雷の槍"は勝手に爆ぜ散った。

 ルカティエル様は、微動だにしていないのに。

 

「え……」

「祭儀長なだけはある博識っぷりだな。"ミラのルカティエル"としてこの翁の仮面を知ってる奴は、久しぶりに見た。大書庫にも数冊しか残してなかったはずだが……」

「……ぅ、っ」

「こいつの面倒は俺が見るから、あんたは内政だけやってろよ。先王があんなことになってたら、国を回していくだけでも大変だろ? どうせ、大書庫の賢者達も掌握出来てないだろうしな」

「だ、黙れっ!! おぞましい"亡者狩り"め……!」

「"亡者狩り"の文句はしつこく付き纏ってくるロンドールに言ってくれ。なあ、ローリアン」

 

 立ちすくむエンマの横に、黒い真鍮の鎧を纏った大男がやってきた。

 

「ルカティエル様。ついにやってしまいましたか」

 

 ローリアン。いつも窓から眺めていた兄上の肉声を、私は初めて聞いた。

 穏やかで優しく、しかし力強い響きで、どこかルカティエル様の声に似ていた。

 

「すまん。その場の勢いで、つい」

「そうですか、勢いですか。勢いならば仕方ありませんね。……ロスリック。初めまして、だな。お前の兄のローリアンだ」

「あ、その……ぞ、存じております、兄上……初めまして」

 

 兄上は、声をあげて朗らかに笑った。

 

「な、何をなさっているのですかローリアン様!! あ奴は国賊でございますぞ! 早く成敗を! ロスリック様をお救いください!!」

「確かに王家の悲願を鑑みれば、国賊の類かもな。だが、私の弟の恩人でもある。ならばそれは当然、私の恩人でもあるということだ。騎士は、大恩ある方に向ける刃を持たない」

「ぁ、ぐ……っ!」

「エンマよ。これまで大儀であった。資格者の乳母としての厳しい務めを、よくぞ果たし抜いた。……ルカティエル様のことは、決して他言するな。祭儀長ならば血統の末の資格者たる聖王"ロスリック"の人生に泥を塗るなど、どれほどの禁忌か分かっていよう?」

「ど、泥を塗っているのは、そのミラのルカティエルでございますぞ!?」

「もうよい。下がれ、エンマ。祭儀長の平時の務めを、これまで通り果たすように」

 

 炎が燻る熔鉄の大剣を床に勢いよく突き刺し、兄上が低い声で冷たく言い放った。

 祭儀長エンマはこれ以上無いというほどに皺だらけの顔を歪ませ、去っていった。

 

「……ああ、しまった。面倒を見ると言ったが、俺は料理があまり得意じゃない。ローリアン、信用のおける誰かはいないか?」

「私の乳母にやらせます。少々無礼な偏屈者ですが、エンマよりはマシなものを作るでしょう」

「おお、じゃあそうしようか」

 

 兄上がぽっかりと空いた大穴から、私の部屋に入ってきた。

 そして、炎を模した兜を脱ぐ。

 病で萎びていない、精悍な顔だ。

 しかしそれでも"鏡"で見た私の顔に、どこか似ていた。

 

「本当は"血の営み"によって呪われたこの名でお前を呼びたくはないが……ロスリック。これまでずっと、辛い思いをさせたな。私は兄だというのに、この"牢獄"に囚われたお前に……何もしてやれなかった。本当に、すまない」

 

 私の手を優しく握り、兄上はそう言った。

 兄上は笑顔を保てなくなったのか、顔をしかめて歯を食いしばり、大粒の涙を溢れさせた。

 私の目からも、涙が溢れた。

 

「謝るべきは、私です。窓の格子の隙間から、いつも兄上を見ていました。兄上が英雄として持て囃されるのを、見ていました。羨ましいと、妬ましいと……兄上が火を継げばいいのにと、ずっと心の中で呪っていました。本当に、本当に……申し訳ありません……!!」

「よい。立場が逆なら、私だってひたすらに妬み、呪ったことだろう。だから、よいのだ。ロスリックよ、我が弟よ」

 

 兄上の大きな腕が、私を抱き包む。

 黒い真鍮の鎧は、だが僅かにソウルの熱を帯びていて、あたたかった。

 それは間違いなく、兄のローリアンのあたたかさだった。

 私も兄上の大きな身体を、抱きしめ返した。

 

 火は陰り、もうじき選択の時がやってくる。

 

 だけど、今ばかりはそんなことはどうでもよかった。

 

 師であり、父のような人。

 血を分けた、兄である人。

 

 私はもう、決して独りではない。

 愛してくれる人たちが、傍にいる。

 私は生まれて初めて、生まれてきたことを幸せだと思った。

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

 私は入口に大穴が空いた生来の部屋から、別の部屋へと移った。

 今はどこかに姿をくらました、母上の私室だという。

 飾りつけは絢爛で、しかし華美に過ぎず、窓もきちんとした硝子で作られていて、居心地が良かった。

 

 兄上もルカティエル様も毎日やってきて話をしてくれて、文字の読み書きや様々な魔法を教えてくれた。

 窓から景色が見たいと言えば窓際まで連れていってくれて、見せてくれた。

 

 しかし、国が荒れていくのが、部屋の窓から見ているだけでも分かった。

 火が陰っていくせいか、高壁の上を茫然と歩いたり蹲っている者たちの姿が、日増しに増えている。

 私という"薪の王"の資格者を遂に授かったこの国はもう、火の陰りと共に、徐々に無気力に陥っているように見えた。

 仕方が無いことかもしれない。

 国として永く掲げてきた大目標が、達成されようとしているのだ。

 父のオスロエスは"血の営み"に発狂し、末子オセロットと僅かな臣下を連れて城の地下庭園に引き篭もったという。

 母もまた、オセロットを出産した後は行方不明とのことだ。

 だからもうこの国は、終わりつつある。

 それでも兄上が練兵場で軍を鍛えている間だけは、少しだけ活気があった。

 

 

 そうして、あっという間に一年が経った。

 

 

「今日も美味しかったぞ。ありがとう」

「はいはい、どうも。こんな婆の手料理ですみませんねえ。もっと若いおなごの手料理が食べたいでしょうにねぇ」

「毎回からかわないでくれ」

 

 はいはい、と気怠そうに応じて、老婆が空の食器を下げて退室する。

 兄上の乳母の老婆は確かに無礼で、偏屈だった。

 とはいえ、それは気安く心地良い無礼さだった。

 こういう人を乳母として兄上が育ったのかと思うと、何とも不思議な気分になる。

 

「まったく……現役の"黒い手"がしっかりといるじゃないか。王が三柱に対抗するための仕組みだったはずなのに、祭儀長の命で動いているだと? まだ二代目だと? どうしてそんなことになったんだか……」

 

 ぶつぶつと呟きながら、光の柱と共に翁の仮面を着けたルカティエル様が現れた。

 白装束の女性を連れている。

 私とよく似た顔立ちをした、しかし目を閉じた女性だ。

 

 

「……あなたがルカティエル様や兄上のおっしゃっていた、私の姉上ですか?」

 

 

 女性は微笑んで頷き、寝台に座る私の前まで来て、手元の紙に字を書いた。

 目を閉じて書いているのに、見惚れてしまうような美しい筆致だった。

 この一年間、ルカティエル様と兄上が交互に読み書きを教え続けてくれたおかげで、もうその内容がしっかりと読める。

 

『初めまして。私の弟ロスリック。私はゲルトルード。会えて嬉しいです。あなたが解放されたとルカティエル様には聞いていたのに、祈りに熱中して、会いに来るのがとても遅くなってしまいました。申し訳ありません』、

「いえ、そのようなことは。私もお会いできて嬉しいです、姉上」

『ロスリック、あなたはとても綺麗な声をしていますね』

「……これは病でかすれた声ですよ、姉上」

 

 姉上は微笑んだまま首を横に振り、また字を書き始める。

 

『音の響きではありません。声とは、心の在り方そのものなのです』

「難しいですね……よく分かりません」

『天使様に見えた私には、分かります。貴方は、美しい。ローリアンとも、よく似ています』

「……ありがとうございます、姉上」

 

 姉上は、女神のような慈愛の笑顔を返してくれた。

 

 "天使"。

 ルカティエル様から、既にその言葉については聞かされている。

 私の姉上、ゲルトルードは幼少期より母上に聖女として仕え、だがある時"天使"という存在に見えて、光と声を失った代償に大量の純白の羽根と膨大な物語を授かったという。

 "天使"の物語について記された書付の山は、賢者たるルカティエル様をもってすら解読が至難なほどに破綻しており、当時国の三柱のいずれもが公認せず、姉上は大書庫の天井牢に幽閉された。

 しかし、物語は破棄されずに大書庫に保存されて、一部の騎士たちに読まれ、密かな天使信仰を生み出すまでに至ったらしい。

 

 ルカティエル様の行使する光の柱で移動する奇跡は、その物語のごく一部を解読して編み出したものだと聞かされていた。

 

『私の弟ロスリック。貴方に会えてよかった。貴方も、貴方の物語を見つけてくださいね』

「私の……物語……」

『それでは、私は牢屋に戻ります』

「えっ……何故ですか? せっかくルカティエル様が、連れ出してくださったのに」

『あの牢屋が最も天使様に近い気がするのです。だからあの場所が、私の魂の居場所です。ルカティエル様にお願いして、天使様の羽根を半分ほど、貴方に送ります。自由に使ってください。どうか、お元気で』

 

 姉上は一度私を優しく抱きしめ、またルカティエル様と一緒に光の中に消えていった。

 少しして、ルカティエル様だけが大きな籠を抱えて戻ってきた。

 

「姉上は、本当にそんな在り方でよいのでしょうか……」

「誰を害するでもなく純粋に祈りを捧げるだけの信仰に、良いも悪いも無い。ゲルトルードは残したいものをしっかりと残し、あとは己の信仰のみに殉じる道を選んだ。それも一つの、人の在り方だ」

「……はい。何となく分かります」

「おう。よいしょっと」

 

 私の寝台の前に置かれた籠には、ぎっしりと"天使"の羽根が入っていた。

 そして、数本のスクロール。

 

「奇跡とは物語を学ぶこと……教えの基本は覚えているな?」

「はい」

「ゲルトルードが"天使"から直接授かったという膨大な物語は、書付を一見するに確かに酷く破綻していたが、俺が深く読み解くとその実極めて高度な内容だった。ただし、そこにはある種の強い狂気が潜んでいた」

「狂気、ですか」

「まあ、国教であれ異端であれ純粋な信仰はそういう側面をよく持つものだ。結局、あの娘の語る"天使"が具体的にどういう存在かは物語を読み終えた俺にもよく分からなかったが……その物語のうち、有用な一部を理解しやすく整理してスクロールにまとめた。これを読めば、狂うことなく"天使"の奇跡が使える」

「"天使"の奇跡が……ということは、私もルカティエル様のように光の柱で移動ができるのですか!?」

「ああ。もっとも、移動する時は俺かローリアンと一緒だ。いいな?」

 

 返事をするのも忘れて、私はスクロールを手に取って広げた。

 読み書きはもう、かなり出来るようになっている。

 物語が口伝でなく、自分で読める。

 

「まあ、熱心なのはいいことだ」

 

 ルカティエル様は苦笑して、椅子に座って私が物語を読む様を眺めていた。

 この一年しっかりと読み書きを習ったが、それでも難解な個所は多くあった。

 どうにも疲れて、一度スクロールから顔を上げて汗を拭った。

 

「何だ、休憩か?」

「はい。一応、色々とご報告をお聞きしなければと思いまして」

 

 父母の失踪に加えて、兄上と一度仲違いした祭儀長エンマが騎士たちの支持を失ったことで、内政の仕事のいくらかは私と兄上とでこなさなければならなくなった。

 エンマはまだ一応祭儀長として大方の政務をこなしてはいるが、時折当てつけのように大量の決裁を投げてくるのだ。

 そしてもう一つ、私と兄上はルカティエル様にも言われていた。

 

 これから、さらに火は陰る。

 不死が増え、呪いは強まり、亡者になる者も増えていく。

 だからお前達がどういう選択をするにしろ、先を見据えて動くようにしろ、と。

 

「そうだな……確かに、お前達両方にしておくべき報告がある。ローリアンも呼ぶか。……おい、婆さん!!」

 

 ルカティエル様は部屋の壁に向かって、人面の古木を投げつけた。

 

『助けてくれ~!』

 

 壁に当たった古木が、そう叫んだ。

 少しして兄上の乳母が、欠伸をしながら入ってきた。

 

「ローリアンを呼んでくれ、婆さん」

「あんた、それがこの老い先短い健気な婆にモノを頼む態度かい」

「ローリアン様をお呼びください。お願いいたします」

 

 ルカティエル様は、綺麗な土下座を決めた。

 兄上の乳母は満足そうに笑いながら出ていき、しばらくすると兜だけを脱いだ甲冑姿の兄上が部屋に入ってきた。

 

「乳母に呼ばれましたが、何でしょうか? ルカティエル様」

「この国の人材についての話だ。最近こそこそと見て回ってきたが三人、めぼしい奴がいる」

 

 母上が使っていたであろう大きめの丸机を、私と兄上とルカティエル様とで囲んだ。

 

「三人、ですか?」

「そう。一人目は、"黒い手"だ」

「"黒い手"……そういえば姉上をお連れになった時に現役である二代目の"黒い手"の話が出ておりましたが、私と兄上もその人物を使えそうなのですか?」

「いや、あのゴットヒルトという男は、おそらく無理だと私は思った」

 

 兄上が腕を組み、真剣な表情で語る。

 

「ああ。ローリアンの言う通り、無理だな。俺を狙ってきたところを捕らえたが、下級騎士から祭儀長エンマが懐刀として自ら取り立てた不死の男のようだ。王家ではなく、エンマ個人に忠誠している。……"黒い手"はそういう性質の仕組みではなかったはずなんだがな」

「説得は難しいでしょうか?」

「難しい。私がじっくりと腰を据えて話しても、無駄だった。ルカティエル様がおっしゃるように王の"黒い手"としては間違った在り方だが、あの忠誠心自体は本物だ。それがエンマだけに向いているのならば、抱え込むことはできぬ」

「では、城から去らせますか」

「俺はそれがいいと思う。不死だからな。殺しても仕方が無いし、亡者になるまで殺し続けても、ああいう男は限界の限界まで心折れないものだ。あの忠義がお前達の方に向いてさえいればな……」

「私もそう思います。誠に惜しい……」

 

 そこまでの男だったのか。

 互いに顔を見合わせて勿体無さそうに語る師と兄上を見ながら、私は考え込む。

 

「エンマへの処罰は? ルカティエル様を狙ったのでしょう?」

「処罰も何も、咎が無い。俺がお前達の師であることは、この国では公になってないんだ。"ルカティエル"は不死街で突如大量発生した亡者を相手に散々暴れ倒し、その場の流れで兄王子ローリアン率いる騎士達と共闘し、戦いの余波で巡礼の大橋を破壊して、どこかへ去った。そういうことになってる。……そうだな、ローリアン」

「その通りです。騎士達の中にはルカティエル様の武勇に感銘を受けた者も多数おりましたが、もうこの国を去ったという認識を持たせています。ロスリックの"牢獄"を破壊したのも、あくまで私の行動だとしてありますからね。そもそも、祭儀長はこの国の三柱の一つとして必要な存在です。最悪の場合は私の乳母にやらせますが、まあ……あの通りの偏屈なので」

「しかし、それでもルカティエル様を狙うなどと……」

「俺は別に気にしていない。延々とロンドールに付き纏われているからな。ああいう正々堂々とした刺客は、むしろ出会いとして歓迎だ。……まあ、この国の現状は三柱の一つである祭儀長のエンマがお前の扱いを巡って兄王子ローリアンと仲違いして、騎士達の支持も失って半ば孤立しているだけでしかない。そのエンマを裁く理由は無い」

「……はい」

 

 ルカティエル様も兄上も、私情を挟まずに今の祭儀長エンマという存在を見ていた。

 それは確かに、正しいことなのかもしれない。

 エンマは私をあの"牢屋"に幽閉していたが、そうしたのはあくまで私が王家の悲願の子であり、継承されてきた資格者の制約を忠実に守らせようとした上でのことなのだ。

 だから兄上はあれ以来、エンマに対しては別に強く当たったり冷遇したりはしていないし任せるべき政務は任せているし、ルカティエル様も冷ややかながら悪態などは最小限にしていた。

 それでもエンマの方は"薪の王"の乳母である祭儀長としての矜持が酷く傷つけられたせいか、やはりどこか仕事が投げやりになってしまったし、懐刀の"黒い手"を使ってまでルカティエル様の抹殺を目論んだようだが。

 

「で、その"黒い手"だが……不死街で面白い男を一人見つけた。遥か東の地からの流れ者らしいが、中々に腕が立ち、律儀で寡黙な刀と弓使いの男だ」

「流れ者……名前は何と言いますか?」

「カムイ。そう名乗ってたな。身のこなしからしておそらく奴隷騎士のような身分だったんだろうが……俺好みの良い目をしていた。お前達兄弟に仕える、三代目の"黒い手"にできるかもしれん」

「なるほど。ならばルカティエル様、その男への取り次ぎをお頼みしてもよろしいでしょうか? 私の目で、武力の方も見極めておきたい」

「分かった。ただ、お前達兄弟二人揃って対面してもらうぞ。"黒い手"はまさしく王の手そのものだ。信頼が置けない手も、勝手に動く手も、自分の首を絞める手も、特定の言葉にしか反応しない手も、あってはならないからな」

 

 私と兄上が頷くと、ルカティエル様は続けて国内の若くてめぼしい人材を二人挙げた。

 

 一人は、下級騎士である青年アルバート。

 もう一人は、大書庫の導師である"結晶の古老"の愛弟子の少女クリエムヒルト。

 

 アルバートはまだまだ未熟だが確かな素質が感じられ、不死街でのロンドール相手の戦いで中々に奮戦していた上、ルカティエル様の戦いに憧れて、騎士の俸給をはたいて同じ戦神ファーナムの鎧をわざわざ拵えたらしい。

 最近の兄上直々の練兵でも向上心と成長を見せており、今後が期待できそうとのことだ。

 また、熱心な下級騎士の抜擢は本人の忠誠心を高め、他の騎士たちにも良い刺激になって、悲願を半ば達成したこの国の無気力さを払拭させられるかもしれないという。

 

 クリエムヒルトは大書庫の賢者たちの導師に認められるだけあり、非凡な結晶魔術の素質を持ち、一方で導師からの格別の寵愛のせいで賢者たちからは疎まれているようだ。

 何やら数奇な生まれもあってか導師の目が届かない場所での迫害もあるらしく、導師に断った上で一度大書庫から離して育てた方が良いと、ルカティエル様は言った。

 

 兄上もルカティエル様の格好を真似るアルバートの存在は認識していたが、その才覚には気づいていなかったらしい。

 大書庫のクリエムヒルトについては、兄弟揃って初耳だった。

 人を見る目はやはり、私も兄上もこの密かな師にはまだ遠く及ばないようだ。

 

「とにかくお前達は、まだ若い。ローリアンは騎士をよくまとめているが、大書庫の賢者にはほとんど関わってないだろう?」

「……おっしゃる通りです」

「祭儀長エンマもそうだったようだしな。大書庫は今、独自の探究がなされ、天使信仰や白竜信仰といったものも多く混在している。クリエムヒルトを足掛かりにして、最低でも導師と繋がりは持っておいた方がいい。いずれ制御が利かなくなる可能性がある。……今日の話はこれだけだ」

「いつもありがとうございます。ルカティエル様」

 

 話し終えたルカティエル様が翁の仮面を外して息を吐き、人面の古木を壁に投げつけて、兄上の乳母をまた呼んだ。

 そして飲み物がほしいと言うと、乳母は無礼にも言い返し、何故かまたルカティエル様が土下座することになった。

 私と兄上の分まで含めて、あたたかい飲み物が運ばれてきた。

 

「ごくっ、ごくっ。お前達、何か聞きたいことは?」

「クリエムヒルトの件も含めて大書庫の導師と、私が直接話をしたく思います。近衛騎士を連れますが、あまり大人数で押しかけて刺激したくはない。明日、近衛に混じってご同行いただけますか?」

「ああ、分かった。お前は?」

「……では私は、姉上の"天使"のスクロールの難解な個所をいくつか」

 

 ルカティエル様はいつものように、私の質問に明晰に応じてくれた。

 

「ルカティエル様と兄上のおかげで、これほど難しい物語もおおよそは読めるようになりました。本当にありがとうございます」

「何を言ってる。お前の頭が良いんだよ。読み書きを覚え始めて一年ちょっとでこんなスクロールを読むなんて、普通は出来ない。大したもんだよ、お前は」

「まったくだ。私もしょっちゅうあの無礼な乳母に、物覚えが悪いだの字が汚いだのと好き勝手に言われたものだ」

 

 私は師と兄上の称賛に笑みながら、しかし、とても後ろめたかった。

 

 

「……それなのにあの約束の手紙はまだ読まないのかと、お聞きにならないのですね」

 

 

 約束の手紙。

 ルカティエル様を師として物事を教わり始めたその日、建国者のロスリック兄妹の片割れである、妹のロスリックからだと私に寄越されたものだ。

 

 

『"薪の王"の資格者が王家に生まれ、"ロスリック"の火継ぎが迫るまさにその時、これを資格者に読ませる』

 

 

 古い友とのそういう約束を果たすために、あの手紙を私に読ませるために、ルカティエル様はこの国に帰ってきたのだ。

 

「分かってるさ。読みたくないんだろ?」

「……はい。読みたくありません。あれを読んで、私が二つの道のどちらかを選択すればもう、貴方は約束を果たしたとして、この国を去ってしまうでしょうから」

「ロスリック……」

 

 王家の悲願を果たすために、"薪の王"として火を継ぐか。

 それとも。

 

「道は二つ……もう読まずとも分かっています。あの手紙がおそらく、裏切りを唆すような内容であることも」

「違う」

「え?」

 

 ルカティエル様が、私の目を正面から見つめた。

 初めてあの手紙を渡された時と、同じ瞳だ。

 瞳の中に、ルカティエル様以外の者たちが大勢いる。

 ルカティエル様が時折言う、"俺達"が。

 

「火を継ぐか、火を継がないか。今、お前はその二つしかないと思っているな?」

「違うのですか?」

「亡者の国ロンドールの、火の簒奪の企みの話を覚えているか」

「……はい。それも選択肢の一つだと、貴方は確かにおっしゃいました。ですが、私にはとてもそんな恐ろしいことは……」

「そうかもしれないな。ならば王家の悲願の通りに火を継いだら、お前はどうする?」

「どうするも何も……"薪の王"としてこの身のソウルが燃え尽きるまで燃え続けるだけでは? 火を継いだ後のことは……その……兄上にお任せします」

「お前自身が燃え尽きた後のことは、何も考えていないのか?」

「は……?」

 

 私自身が燃え尽きた後のこと? 

 火に焚べられた"薪"として燃え尽きた後に、何かがあるのか? 

 

「じゃあ逆に火を継がなかったら、お前はその後どうする?」

「え……」

「火を継がない。その選択をした時点で、お前の物語は終わりか? その先どうするか、考えないのか?」

「っ!」

 

 貴方も、貴方の物語を見つけてくださいね。

 女神のような微笑みと共に贈られた姉上の想いが、思い起こされた。

 

 

「火を継いでも、そこでお前の全てが完全に終わるわけではない。火を継がなくても、当然そうだ。進むべき定められた道など、人の前にはありはしない。道が無い以上、道の果てもありはしない。人は結局、前に進むか、立ち止まるかだ。"俺達"は、前に進み続ける。お前達は、どうするんだ?」

 

 

 最初の賢者が、問いかけてきた。

 私と兄上は唖然として、顔を見合わせる。

 

 師から、ソウルが滲み出ている。

 一人の人間が溜め込める量だとは到底思えない、極大のソウルが。

 

 不意に、ある疑問が浮かんだ。

 今まで何故か浮かばなかった、単純な疑問が。

 兄上も、それに思い至ったようだ。

 おそらく私たちは今、兄弟揃って同じ表情をしている。

 鏡写しのように。

 

「……ルカティエル様」

「なんだ」

「ルカティエル様はかつて……"薪の王"の資格者だったのではありませんか?」

「そうだ。同時に、火の簒奪の資格者でもあった。ソウルの根源に限りなく近づき、玉座の前で火か闇かの選択を迫られた」

「どちらを、お選びになったのですか?」

「王の玉座にも、火と闇のせめぎ合いにも、興味なんて無かった。ただ友との誓いを果たすためだけに、玉座に背を向けた。道が無くとも、誓いのために前に進んできた」

「誓い……」

「そうだ。俺と友の名を未来永劫に残すという、"俺達"の最初の誓いだ」

「"絶望を焚べる者"……」

 

 兄上が聞き慣れない言葉をポツリと呟き、そして師の本当の名を口にした。

 師はそれを聞いて、力強く笑った。

 

 

「前に進むうちに気づけば友は増え、誓いや想いや約束は増え、俺はより多くの"俺達"になっていった。それでも"俺達"は前に進み続ける。火継ぎが終わろうとも、世界が終わろうとも……やがて再び始まろうとも。いつまでも、前に進み続ける」

 

 

 机に置いていた翁の仮面を、師は持ち上げて、左右に振った。

 

 

「お前達は、どうするんだ?」

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

 時が流れ、成人の儀が終わった、その夜。

 私と兄上は、師から渡された約束の手紙を、ついに読んだ。

 手紙の内容は、予想していた裏切りの唆しではなかった。

 

 しかし。

 

 建国者たる、ロスリック兄妹。"血の営み"の始まり。

 その片割れの想いが、兄の妃となった妹の人生の全てが、手紙にはひたすらに綴られていた。

 

 

 過去。絶望。

 邂逅。旅路。

 幸福。希望。

 発見。野心。

 拒絶。禁忌。

 憎悪。告発。

 懺悔。諦観。

 追憶。郷愁。

 約束。呪い。

 呪い。呪い。

 

 

 私と兄上は、母上の私室で一晩中、何度も何度も、その手紙を読み返した。

 何度も何度も、涙を流した。

 

 そして、二人で決めた。

 

 この永く続いてきた呪いを、私たちで終わらせようと。

 王家の呪いも、火継ぎの呪いも、人の呪いも、終わらせるべき全ての呪いを、私たちの代で終わらせてしまおうと。

 

 迷いは無かった。

 もう私たちは、私たちだけではないのだから。

 

 師である人が、父のような人が、"私たち"として、前に進み続けてくれるのだから。

 たとえこの身が"薪"とされようとも、そこで私たちの全てが終わるわけではないと、教えてくれたのだから。

 

 想いは託した。

 師は去った。

 

 私たちはこの国の始まりの兄妹のように、二人で一つの呪いとなった。

 そしてこの城を、その呪いを終わらせる場所だと決めた。

 

 

 たちまち、数年が経った。

 私の宿痾はより篤く、重くなっていった。

 しかし、はじまりの火もまた、もうじき消える。

 

 

 かつて、師は言った。

 火が消えても、それは決して全ての終わりではない。

 だが、それでも終わるものは、確かにある。

 そして、そこから始まるものだって、きっとあるのだと。

 

 師が去り際に予言した通り、鐘の音が響き渡った。

 

 古い"薪の王"たちが、目覚め始める。

 そして"火の無い灰"とやらも、おそらくは。

 

 来るなら、来い。

 

 私たちはもう、恐れはしない。

 戦うことも、死ぬことも、焚べられることも、何も恐れはしない。

 

 何故なら私たちは。

 

 "私たち"として、いつまでも、前に進み続けるのだから。

 

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