潮騒のバラード 作:にちにち
数日後。美琴との練習を終え、誰もいなくなった事務所で帰宅の準備をしていたにちかは、ロッカーに忘れ物を取りに戻ったところで、奥にある社長室のドアの隙間から、わずかな光と、話し声が漏れていることに気づいた。すぐに、聞き慣れた、しかし今は聞くことができないはずのプロデューサーの声だと分かった。にちかは、息を殺して、社長室のドアに耳を押し当てた。
「……それが、私が謹慎中に夜を徹して見つけ出した、唯一の道筋です」
プロデューサーの声は、いつになく真剣で、重みが帯びていた。
「この番組、『The Revival Stare』は、ネット配信の公開型の実力審査リアリティショーです。番組の規模とシーズの知名度を考えれば、本来なら彼女たちが出ることはない、極めて小規模な番組です。ディレクターと知り合いでしたので、出演できないか聞いてみたところ、シーズの出演を許可してくれました。番組側もシーズというスキャンダルを背負ったユニットの参戦は、視聴率の話題性になると踏んでいるようです。ですが、彼女たちには、どんな舞台でもいいから表に出られる機会が、今、緊急に必要なんです。」
「リアリティショーか……」社長の唸るような声が聞こえた。社長の声には、疲労の色だけでなく、藁にもすがるような切実さが滲んでいた。
「はい。こんな状況ですが、これまで見てきたシーズの魅力が、この状況を打開できると信じています。美琴のパフォーマンスは、彼女のキャリアの中でも異様な極限状態にあります。日常生活でも常に研ぎ澄まされていて、今の彼女に匹敵する人間は芸能界を見わたしても一握りに思えます。美琴の、その極限のパフォーマンスと、にちかの人をひきつける情動が合わされば、世間の批判を塗り替えられるます。」
プロデューサーは続けた。「美琴の光は、スキャンダルという影を吹き飛ばすほど強いはずです。ですが、その完璧すぎる光が、かえって人間的な共感を欠かせる。世間には、『恋愛をしたのに反省がない』と、その完璧さを傲慢と捉えられてしまうかもしれない。にちかが、その孤高な光と世間を繋ぐ。彼女の魅力は、根源的な情動です。彼女は本質的に人間的で、感情の揺らぎがそのまま表に出てしまう切実さを持っている。美琴の完璧な光とにちかの人間らしい葛藤や焦燥とがあわさって、シーズの魅力になる。二人が表に出さえすれば、あの冷たい世間の壁を、打ち破れるはずです。」
プロデューサーの言葉は、にちかの心を激しく揺さぶった。彼は、自分の劣等感であり、同時に唯一のもちうるものであった「情動」という魅力を、シーズを救うための鋭い武器として評価していたのだ。彼の言葉は、世間のすべてが自分たちを否定する中で、唯一の、肯定の言葉だった。
プロデューサーの言葉は続いた。「これは、ただのリアリティショーではありません。禊です。最初は、スキャンダルを起こしたアイドルとしか見られないでしょう。それでも、究極の実力を提示する。シーズにはそれができます」
「私は、シーズの実力なら、この状況を打開できると信じています。彼女らのパフォーマンスは、スキャンダルというレッテルを、本物の実力で塗り替えられる」
社長が、静かに息を吸い込む音がした。「……分かった。このオファーだけは、君から彼女たちに伝えてほしい。君の言葉で、シーズに、このチャンスに懸ける覚悟を持たせてほしい。」
にちかは全身の力が抜け、ロッカーにもたれかかった。美琴のスキャンダルを乗り越えるための、具体的な道筋と、自分たちの実力への、プロデューサーの揺るぎない信頼。美琴の究極のパフォーマンスを、このまま闇に埋もれさせてはいけない。そのために、自分は動かなければならない。プロデューサーへの失恋の痛みは未だに疼くが、今この瞬間、彼女の胸を突き動かしているのは、ユニットと相方への責任、そしてアイドルとしての執念だった。この盗み聞きが、にちかにとって、行動を起こすための確かな足がかりとなった。彼女は、この日から、美琴の光を届けるための自分の役割を、必死に果たしていった。