成り代わりチートたいき君。   作:あとば

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第十一話『俺は俺が嫌い』

「今日は走らない?」

 

 早朝──いつも通りに、鹿野千夏は猪股大喜に今日は走るか尋ねた。

 

 しかし返事はいつも通りではなかった。

 

「はい。シングルだからダブルスより体力使いますし、先輩も今日試合でしょ。さすがに……」

 

 千夏はそうだよね、と返して、でも意外だなと内心で思う。

 

 五月から雨の日以外はほとんど毎日走っていたし、日課を変えると不調になるとも彼は言っていた。試合当日だから? それは関係ないはず。昨日は走っていたからだ。

 

(……どうしたんだろ)

 

 何かあったのかと、千夏は尋ねようかと思った。

 

 いや”何か”が何なのかは、千夏にもわかった。

 昨日、ダブルスの試合で負けたと聞いている。十中八九それだろうと思った。

 

 でもそれで彼が日課を止めるのは、どこか違和感を感じる。だからその違和感を尋ねようかと迷って、でも。

 

「頑張ってくださいね。インターハイ、行ってください」

 

「うん、ありがと……大喜くんも」

 

 でも、聞けなかった。

 踏み込み過ぎだと思った。それに変な質問をするのは、今日シングルスの試合を控えている選手に対して取る行動として不適切だなと思う。傷口をほじくられるようなものだ。

 

 そして何より──

 

(弱音、聞きたくなかったからだ)

 

 どこか嫌な予感がして、彼からネガティブな言葉が出て来る気がして、聞けなかった。

 

 大喜は自室へ戻った。今日は走らないことを伝えるために、起きて来たのかなと千夏は思った。

 

(……切り替えよう)

 

 千夏も、同居人のことばかり気にする訳にもいかない。

 眠気覚ましに彼が沸かしてくれたポットのお湯でコーヒーを飲んで、精神集中をしようと思い、湯をコップの粉コーヒーに注いだ。

 

 それに、自分が気にする必要はないなと思う。

 

 シングルスならばきっと、彼はインターハイに行ける。チームプレイはそこまで得意ではないと以前聞いた気もする。ダブルスは苦手だったのだろう。

 

 だから心配する必要なんてない──千夏は本気でそう思った。

 

(試合終わったら、連絡しよう)

 

 インターハイ、行けたかどうか。

 

(でもそれを送るためには、私がさすがに勝ってないと、ダメだな)

 

 メンタル的にインターハイに行けなかったら、かなり落ち込むと思う。自分のことに手いっぱいになって、他者を気に出来なくなると思う。

 

 ──そうなったとしても”これ”だけは、渡したいな。

 

 千夏はそう思って、昨日渡そうとしてポケットに入れておいた”これ”を、落としてないかと確認した。

 

 

 県大会、初戦。

 

 原作通り、遊佐柊仁との、試合の直前。

 

 猪股大喜は柔軟運動だけ軽く行った後、何の不調も感じさせないような普通の歩き方で、試合場へ向かい出した。

 

「お前、怪我してるだろ」

 

 その背を、引き止める声がある。

 試合場まで向かう大喜の背に向けて、その人物は言い放った。

 

「匡……」

 

 振り返って、大喜がこぼした言葉は、名前──笠原匡。

 

「昨日の試合を見てた。メンタルのせいじゃないだろ。明らかに動きがいつもと違う」

「よく見てるな」

 

 平然と返す大喜を、匡は睨んだ。普段は飄々としている匡だが、今はどこか雰囲気から苛立ちを感じさせた。

 

「見たさ。友達だからな」

 

 面と向かって言われた言葉に、大喜は、はにかんだ。言われなれていない様子だった。

 

「……ありがとう。ほんと(お前)には、感謝してもしきれないよ」

「そんな話はいいんだ」

 

 匡はそう言ってさらに言葉を続けた。どこか怒りを孕んでいるように見える。

 

「試合棄権しろ。昨日だって途中までは針生先輩のおかげで勝ち進めたけど、ずっと動きがガタガタだった。そんな状態で試合しても無駄だ」

 

 普段の試合風景、練習風景から見ても、明らかな不調を匡は大喜の昨日のプレーから感じていた。

 そしてその原因は、決してインターハイが懸かっているが故の、メンタルの不調ではないと確信している。明らかな身体的な問題であると断じている。

 

「もっと自分大事にしろよ」

「無理だ」

 

 大喜は即答した。なんでと匡が聞く前に、大喜は諦めたような笑みを浮かべて、言った。

 

「匡、俺はな──俺が嫌いなんだ」

 

 ──そして何よりも誰よりも、大事な人がいる。

 

「何いって──」

「だから匡」

 

 大喜の顔に匡は驚いて、息を呑み、言葉が止められた。

 

「試合から逃げるのだけは、絶対しないよ」

「──っ」

 

 そう言い残して、大喜は試合場へ向かった。

 匡は言葉に詰まって何も返せなかった。

 

 止めきれなかった。

 

 その原因は、きっと初めてだったからだ。

 どこか頼りなくなった親友が、変わってしまった大喜が、明確で強固な”覚悟”を示したことが。

 

 しかし、と匡は思う。大喜の”大事な人”。

 

(……千夏先輩か)

 

 大喜は周りにそこそこ人がいたからか、少しぼかして言った。だが匡には伝わる言い方だった。

 

 そこまで先輩が大事なのかよと、匡は歯噛みする。

 

 友達だ。当然、友達の好きな人よりも、友達自身を大事にして欲しい。友達がつらそうなのは、ストレスだ。

 

 そして何より、俺は俺が嫌い?

 

 千夏先輩だって、自分をないがしろにする奴を好きにならないだろうに。なんだ『俺は俺が嫌い』って。

 ふざけているのかと悪態をつきたくなる。

 

 だがそれは、試合が終わってからだ。

 

(見届けてやろう)

 

 親友として、だ。親友の示した覚悟の結果を見てやらねばならない。

 

(でも大喜……)

 

 匡はなんとなくではあったが、大喜の行動の意味をわかっている。大喜の覚悟の理由も、察した。

 だが一つだけわからないままの事がある。

 

(なんで試合から逃げないことが、千夏先輩のためになるんだ)

 

 

 遊佐柊仁は、どこか楽し気な表情で初戦の相手を見た。

 

(いのまた、たいき)

 

 黒い、やや短めの髪。目は黒々。背丈は大体同じくらい。

 ややこっちの方が高いかと、相手を観察した。

 

 昨日先輩である兵藤先輩のペアと試合をしていたのを、観客席から見ていた。

 

 その時に思ったのだ。

 

 なんて、強烈なスマッシュを打てるんだろう、と。

 

 だが昨日のダブルスはショットは良いのに、フットワークがひどかった。ダブルスは守備範囲が狭まるからまだ目立っていなかったが、フットワークは明らかな弱点だろう。

 立ち上がりが遅いのかと思うが、試合の最初から最後までフットワークの調子は上がらなかった。それどころか落ちていった。だから多分弱点だ。

 

 何にせよ期待をする──もしかすれば兵藤先輩より強いスマッシュを放てるんじゃないかと思う彼に、まだ見ぬ楽しさを提供してもらえることを。

 

 試合が始まった。サーブ権は向こうに渡した。猪股大喜がアンダーでロングサーブを放つ。

 

 遊佐柊仁は、とりあえず体力を削る作戦を取ることにした。高く上がったシャトルの下に、ゆったりとした動作で入ってドロップを打つ。

 

「……?」

 

 それがまさか──あっさり、決まった。

 

(ただ前に落としただけなのに)

 

 地区予選の一回戦ならあり得るが、県大会でこれが決まることがあるのか。でも遊佐柊仁は、まあ立ち上がりが悪いんだろうと納得して、ラリーを続ける。

 

 だが、相手の調子はひどく悪いようだった。

 

(ダブルスではショットはすごい上手だったんだけどなあ)

 

 クリアやドロップ、ロブにヘアピン──スマッシュ。シングルスでしょっちゅう使うショットの精度が著しく悪い。

 

 ただ、ショットの精度を高めるには、ある程度の余裕が必要だ。

 

 だから打球がひどいのは、フットワークがひどいせいだ。コートの対角の位置に放てば、それだけで追いつけない。初心者のようにフットワークがひどい。

 

(でも動きは綺麗だな……不思議)

 

 綺麗なのに、遅い。動きが流れるようなのに、その流れが遅いように見えた。

 

(初心者? いやさすがに……手抜き? それもないな)

 

 手抜きとは思えない。汗の量、表情から、必死さは伝わってくる。本気なのは間違いないが、動きがもたついているというか、ゆったりだ。何かをかばっている?

 

(まあ、弱点ならつくか)

 

 ショートと見せかけてロングサーブを放った。相手を強制的に動かせる。フットワークが苦手ならば──ああ、浅いクリアが来た。容赦するのは失礼だから、思い切りスマッシュをする。

 

(でもやっぱり妙だな。何か、動きに違和感がある)

 

 昨日の試合と同じだ。試合開始からどんどんフットワークが悪くなっている。これだと、スマッシュも見られないかもしれない。まだ一度も打たれていなかった。

 

(受けてみたいんだよな、この人のスマッシュ)

 

 そう思って、試合を楽しむためにあえて甘いロブを上げてみた。相手が余裕を持ってシャトルの下に入る。これなら打ってくれると思うが──

 

(打つかな……なんだ、クリアか)

 

 打つ前からわかった。ラケットの面を見て打たれる前に動き出して、事前にシャトルの下に入った。そしてクロスにスマッシュを打つ。

 

(つまらない)

 

 今のがマッチポイントだった。当然相手は取れない。

 

 さらりと一ゲームを取って、遊佐柊仁はため息をついた。

 

 こんなつまらない試合はいつぶりだろう。体育のバドミントンとかだろうか。相手のやる気がないと、こっちのやる気も欠けて来る。

 

 チェンジコートをする。その時にふと、相手の顔を見た。

 

 その顔に、遊佐柊仁は大きな衝撃を受けた。

 

(……この人、なんでバドミントンやってるんだろう)

 

 遊佐柊仁がすれ違った時に見た、その顔は、思わずそう思うほどの顔付きだった。

 

 二ゲーム目が開始される。息は猪股大喜だけ上がっている。遊佐柊仁は室温、湿気から汗をかいているが、ほとんど疲れてはいなかった。

 

 ラリーが始まる。遊佐柊仁はシャトルを打った後に再度、相手の顔を見た。そしてまた思う。

 

(今まで見た、バドミントンをプレイする人の中で……一番、つらそうな顔だ)

 

 つらいなら止めればいいのに、なんでやるんだろう。

 

 そんなことを思いながら、遊佐柊仁は苛烈な攻撃を加えた。

 

 

 昨日、右足が終わった。

 

 俺は迫りくるスマッシュを何とか返しながら、試合とは全くかけ離れたことを考えていた。

 

 二度に渡る人外パワー発揮と、トラックのダブルパンチだ。どっちのせいかは、正直わからない。まあどっちでも正直あまり関係はない。どうせ怪我してるし。

 

 ああそう、普通にトラックに右足が当たっちゃったのだ。やはりひかれるのは痛い。たぶん骨とか折れてる気がする。

 

(でも、試合は待ってくれない)

 

 そう、そんな最悪な時のシングルスの初戦は──遊佐、柊仁。原作におけるラスボスと言っていい存在だ。大喜くんにとっての大きな大きな壁である。

 

 そしてまた失点した。スマッシュと見せかけてのドロップだ。さすがに上手いプレーをするなあと思う。

 

 対して俺は、フットワークも、ショットも今日はひどい。

 

 本当に、この場の俺の状態を察してる人間の誰もが、思ってるんだろうな。

 

 なんで試合に出る──?

 

(千夏先輩の、ため)

 

 いつだって俺はそうだ──それを再度認識しながら、右足を無理やり動かす。痛みが少し飛ぶ。

 

 先輩は、察しがいいのだ。

 急に俺がギプス巻いて、試合から逃げて帰ってきたら、察してしまう。あの時鈍い音だって鳴ってしまった。

 

 そして気づかれたら、先輩は自分のせいだって思ってしまうだろう。そんな訳ないのにだ。

 あれはただ、非常に運が悪かっただけだ。あれで千夏先輩を責める人など、この世のどこを探したっていない。

 

 だから、俺が絶対に勝てない試合に臨むのは──

 

(試合中に怪我をしたと、見せかけるため)

 

 試合に出て途中で棄権すれば、シングルスだから誰にも迷惑はかからない。

 

 試合に実際に出れば、ちゃんと言い訳できる。証人もできる。大喜は試合に出て怪我したから棄権をしたと、理由を説明できる。

 

 ギプスつけて猪股家へ帰って来ても──

 

『試合中に怪我しちゃいました、あははは』

 

 なんて馬鹿みたいな嘘を吐き散らしながら、何食わぬ顔で先輩を騙してみせる。

 

(心残りは、先輩の期待を裏切ることか)

 

『インターハイ出たら渡したいものがあります』

 

 勝つことを期待されてなきゃ、出ない言葉だ。それを裏切る結果になる。

 

(あと、針生先輩)

 

 ことごとくが結局は、原作通りに収束しそうではあるが、それでも昨日のダブルスは俺のせいで負けた同然。俺が万全だったら、きっと勝てたはずだった。

 

 途中までは針生先輩の力や、俺がスマッシュをかなり打ったから何とか勝てていたが、やはり兵藤先輩のペアは強いものだ。全然ロブを上げてこなかった。

 

 で、フットワークが壊滅的な俺を狙われて負けた。

 

 だから本当に申し訳な──

 

(ああくそ、取れない)

 

 遊佐くんがコートの対角の位置にドロップを落とした。取るため足を動かすが、道半ばでシャトルが地に堕ちた。

 

 運動能力は普段の半分以下だろう。痛みのせいでもあるが、痛み関係なく運動能力が低下している気がする。骨が折れるとやはり動けなくなるらしい。当然だったものが当然でなくなるという状態は、色々勉強になるものだ。

 

 フォームや動きは、怪我をしてない風に見せているつもりだが、果たしてどこまで騙せているか。とりあえず匡にはばれているし。

 

(でも……本当にひどいな)

 

 スマッシュを倒れ込みながら返して、浮いた球を叩き込まれる。

 

 ふつふつと、自分に(・・・)苛立ちが沸いて来た。

 

(チート野郎のくせに、怪我の一つでこんな弱くなるのか)

 

 チートと冠するのはやめた方がいいかもしれない。くそ雑魚野郎に改名するか。

 

 でも本当、なんで治せないのだろうと、またドロップを飛び込んで返して、思った。膝が床に擦れて、摩擦で火傷したかと思うくらい熱くなった。

 

 浮いた球は当然叩かれる。手を伸ばしても全く届かない場所に叩きつけられた。

 

(前は、切り傷とか、痣程度ならすぐに治ったのに)

 

 確かめた時に、確かに治ったのだ。常人よりははるかに速く治ったはずだ。骨折はチートに適用されないなんて、そんなおかしな例外はさすがにないだろう。

 

 またスマッシュが飛んで来る。腰を低くしてバック側の強烈なシャトルを取ろうとするが、足が動かなくなった。

 

 うつむく。

 

(潮時か……)

 

 棄権、するか。

 

 試合には出たのだ。後は足を痛めちゃいましたと、審判か監督に言えばいいだけ。そしたら、終わりだ。

 

 それでいいはずなのに、中々止め時が見つからない。

 

 あれだ、点を取った側がサーブするからだ。ペースを遊佐くんが握っているから、流れるように次のラリーが始まるせいだ。だから棄権しますと言い難いのだ。

 

 でも、さすがにもう、疲れた。痛いし。

 

 だから棄権しようと、俯くのはやめて、ぼうっと顔を上げる。

 

 そこで、見てしまった。

 

 観客に見られていたのを、見てしまった。

 

 観客──匡だ。西田先輩だ。針生先輩はいないけれど、部活のみんなだ。彼らが観客席で俺を見ていた。

 

「……」

 

 棄権はできなかった。またサーブが来る。ロングサーブだ。俺のフットワークがひどいから、これを打たれただけで遊佐くんはラリーを優位に始められる。

 

 歯を食いしばりながらそれをクリアして、思う。

 

(さっき、千夏先輩のためだけに、試合に出てるって、いった)

 

 ──嘘、ついた。

 

(負けたくないんだ、俺は)

 

 そりゃそうだ千夏先輩のためだけに、怪我無視して試合するなんて馬鹿なことやる訳ないだろ。

 

 怪我をしたという言い訳をするために出場するなら、ダブルスに出ただけで十分なんだ。今この場所に立つ必要なんてないんだ。

 

 シングルスだから、誰にも迷惑なんてかからない。自分の問題なのだ。でも出場するんだ。

 

 負けたくないんだ、本音なんだ。

 でも負けることを望んでいた俺が、負けそうな時に、負けたくないと思いながら試合に出てる。矛盾してるだろう。おかしいさ。自分でもわかってる。今更何をいってるんだって。

 

 でも、思ってしまった。

 

 昨日試合場まで行って、みんなと顔を見合わせて、針生先輩に勝つぞと強く背中を叩かれた時に、思ってしまったんだ。

 

 負けるってことは、インターハイに行けないっていうことは。

 

(色んな人の、期待を裏切ることになる)

 

 部活のみんな。期待されてる。嫌われてなかったさ。さすがに知ってる。嫌われてたら、もっと露骨な態度に出てる。なんでわからないけど、みんな俺に優しいんだ。

 

 監督。期待されてるのはわかる。一応部内で一番強い奴であったのだ。今日だって、後ろで俺を見てくれている。

 

 猪股家の人々。吉報を待ってるんだ。大喜くんが俺のような人間になったのに、変わらない態度で接してくれてるんだ。昨日だって、敗けたって言ったら、すごく悲しい顔をした。もうあんな顔みたくない。

 

 俺に敗けた人々。地区予選で、俺に敗けた人々。岸祥一郎。俺は冷酷に彼を折っただろう。その責任があるだろう。逃げるなんて、あり得ないだろ。試合する前に棄権なんて、ないよ。

 

 千夏、先輩。一番裏切りたくない。あの人と一緒に、インターハイに行きたい。何を渡されるのか、知りたい。あの人を悲しませたくない。

 

 だから、痛みなんて関係ないんだ。

 

 ──戦え。俺にできることは、俺が今できる唯一の行動は、そのただ一つだ。

 

 また失点して、サーブが遊佐くんに渡った。

 既にサーブを構えている。消化試合のように、速く終わらせようと思っているような顔に見えた。

 

 今から、少しだけ面白くなるかもしれないと、届かない声を送った。

 

「……」

 

 全神経を、集中する。それが放たれることに、全てをかける。

 さっきから、よく打っているそれだ。

 

 ロング、サーブ。

 

 来た。そりゃそうだ。俺の足が全然動いてないことを遊佐くんは知ってる。味をしめてロングサーブを散々打ってくれた。今回だって、同じだ。

 

 でも少しだけ違う。俺はそれに対応している。遊佐くんの目が開く。

 できるさ対応なら。読んでいたのだから。打たれたと同時に、打たれる前に後ろへ下がった。

 

 思い切り飛んで、ラケットを構える。

 

(勝ちたい──!)

 

 ガットに羽がかかる。ただひたすらに撃ち抜くだけ。恥も外聞もない、初めてのむき出しの”絶望”以外の感情を乗せたそれは、今までで一番速くなった。

 

 最後の力を振り絞ったスマッシュは、遊佐くんの股をすり抜けて地に堕ちていった。

 

「……すごい」

 

 遊佐くんが感嘆した。それが耳に届いた。

 

 俺は首を横に振る。意思が伝わったかどうかは、わからない。

 

 でも、そんな訳ないだろうと意味を込めた。俺のはただのチート。こんなものに価値なんてない。自分一人のために使うこの力など、くだらない。

 

 それでも、みんなが俺の勝利に期待してくれるのなら。

 

(全く価値がない訳じゃないのかもしれない)

 

 なんて思って、だから、その価値を証明するために──足を動かそう。

 もし負けるとしても、どうせなら全部出し切って、それで負けたい。棄権なんてしたくない。全力を振り絞って、敗北したい。それができたらまだ、みんなに申し訳ができる気がする。

 

 だから、痛みよ去ってくれ。アドレナリンを出してくれ。

 俺の場合生きてることが致命傷なんだから、死んだっていいだろ。痛みなんて無視して、足を動かせ。

 

(ああくそ、駄目だ)

 

 だが、もう足が動かない。

 

 シャトルがこっちのコートに渡されたのに、点を取った俺がサーブを全然開始しないから、審判や遊佐くんが訝しんでいる。

 

 でも体が意志に反していた。

 右足が棒のようになって、痛みだけしか感覚がない。さっきのが本当に最後の力だったようだ。

 

 終わってるな俺は。なんでこんな大事な時に、怪我だってするし、必要な時に必要なチートがないんだ。この前までは確かに、傷が速く治るチートがあったのに。

 

 本当に大嫌いだ。

 

(なんで、どうして、俺は、俺の体は、いうこと、聞いて、くれ……)

 

 ──あ。

 

(そういう、ことだ)

 

 悪寒と共に、ダムが決壊したように、ぶわっと最悪な解放感が溢れだして来た。

 

(わかった。わかった。わかった。わかった)

 

 なんで、なんで、自然治癒速度がチートじゃないのか。

 

 匡に言った、あれだ。

 

(俺が、俺のこと嫌いだからだ)

 

 だから、自分を治す力は、全くないんだ。

 

 この気づき。これは、自己嫌悪も含めてそう思ってる。でも、これに限った話じゃない。もう一つの大きな意味も含めて思った『俺は俺が嫌い』だ。

 

 根本に立ち返って、考えてみればわかる。"俺"が"俺"のことを嫌いなのだ。

 

(この体の元々の持ち主は──だれだ?)

 

 大喜くん、だ。

 

 俺は、大喜くんの体に嫌われている。だからチートで治せないのだ。

 

 考えてみれば当然だ。嫌いな奴の利益になるようなことをするか? できる限り邪魔をしようとするだろう。

 

 でも大喜くんは責められない。責めることなど出来るはずもない。

 

 前にも言った。

 

『何の前触れもなく体を奪い、猪股大喜として生活を送っている誰か。そいつが家族とも普通に話していて、千夏先輩との同居も体験し、バドミントンも上手くなっている。友人も何とか普通に接してくれている』

 

 こんな奴を、いかに大喜くんが良い人であっても、好きになるはずないだろ。

 

 だからなくなったんだ。消え失せたんだ。この体に大喜くんの何らかの要素が残っていて、それが俺を邪魔しようとしているんだ。

 

 それに加えて──俺に与えられている望まぬチート。

 

 これもまさか、俺に対する嫌悪の表れじゃないか。だって俺は、できることなら普通でありたいのだ。罪悪感ばかりだ。だからこそ、この体がそれをわかった上で、俺にチートを与えているとしたら──ああ。

 

(もう、無理だ)

 

 急速に熱が冷めていくのを感じた。

 

 もう負けたくないなんて、思えない。

 

 観客席を見る。変わらずそこにみんなはいた。でももう、心が燃えることはない。

 

 だって自己嫌悪が冷たすぎる。俺に期待している人が何万人いたって、俺自身が俺にこれっぽちも期待してないのだから、意味なんてない。

 

 何より、最も許してもらいたい、認めてもらいたい人に、嫌われている。

 

 ああ大喜くん。完璧に上手くいっているぜ。でも責めることなどできはしない。俺がそれをすることは、絶対に許されないのだ。

 

 加害者が被害者を責めるなんて、終わってるだろ?

 

 何にせよ、思う。

 

 俺の勝利に、やはり価値などない。一億人が俺の勝利を望んだって、俺にとっては無駄だ。だって、たった一人の”許し”を俺は一番に求めているから。

 

 がらんとラケットが落ちた。遊佐くんが驚きの表情を浮かべた。俺は無視して、主審の元へ近づく。

 

「主審、さん」

 

 たった今、完全に──

 

「棄権させてください」

 

 折れた。

 

 

 鹿野千夏はインターハイ行きを決めた直後に、大喜へメッセージを送った。

 

 内容は、勝ったかどうかの問い。

 

 ほとんど彼女の中で答えは決まっていた。昨日の敗北は、運が悪かったのかなと思っている。それほどまでに、大喜が敗北する姿を彼女は想像できなかった。

 

 でも、返信は。

 

「……?」

 

 負けました、だった。

 

(……おかしい)

 

 飛び込んで来た文字に頭を打たれて、少しの間呆然とした──だが。

 

 すぐに普段の大喜を想像した千夏は、やはり彼は最強だと再確認する。だから負ける姿が、本当に想像できない。

 

 ただ、たった一つ、気にしないようにしていた懸念があった。

 

 昨日、あの瞬間──トラックから助けてもらったとき。

 

 妙な音が、しなかったか。

 

(行こう)

 

 いても立ってもいられなくなり、鹿野千夏は猪股大喜を探して、試合会場へ向かう。どこで試合しているかは耳にしたことがあった。

 

 無鉄砲に家を飛び出し、でもまだ試合会場にいるのかなんて後悔して、だが結局会場まで行った。

 

 とりあえず知り合いを探す。大会がちょうど終わったタイミングなのか、ラケットケースを背中にかけた集団がまばらにいる。ぱらぱら見ていくと、知り合いを見つけた。

 

 どこかトゲトゲした雰囲気の、栄明のバドミントン部だった。

 

「あの、大喜くん、って」

 

 知り合い、針生健吾に尋ねる。

 なんでここにという会話もそこそこに、針生は本題をすぐに始めた。

 

「病院行ったよ」

 

 どくりと千夏の心臓が重く揺れた。

 

「あいつがいうには、試合中に怪我したらしい」

 

 骨折るような怪我をどうやって試合中にやるんだよって話だが──どこか見透かしたような物言いの、付け加えがあった。

 

「ま、昨日から動き変だったけどな」

 

 西田が言った。普段の元気溌剌さは試合の疲れのせいか、後輩の奇行のせいか、見られない。

 

「あの……」

「千夏先輩」

 

 千夏は匡に話しかける。そして集団から外れた。

 

 そして二人は自然と小声になった。千夏が匡に話しかけたのは、大喜からこの人物には同居のことを話したと聞いているからで、信頼のおける親友だと知っていた。

 

「大喜くんの怪我って、ほんとに、試合中?」

 

 単刀直入に、尋ねた。途切れ途切れになった。

 

 匡は──首を横に振った。

 

「なんで試合に出たの」

 

 明らかな問いをぶつけた。きっとわかりませんと、帰って来るだけだ。

 

「……わかりません」

 

 わかっていても、聞かざるを得なかった。千夏にとってそんな問いだった。

 

「でも」

 

 匡の脳裏に、試合前の大喜との会話がよぎる。

 

『何よりも誰よりも、大事な人がいる』

 

「大喜は多分、先輩のために」

 

「──」

 

 千夏は沈黙した。

 匡もまた沈黙する。匡も動揺していた。そこまでひどい怪我だと思っていなかったから、衝撃が強かった。そのせいで、いってはならないことを、言った。

 

「……怪我の、心当たりはありませんか?」

 

 そこで匡は自分の失言に気づいた。千夏の顔に、曖昧ではあるが、明らかな変化が見て取れたからだ。

 

 匡のその察知は的確だった。

 

「……!」

 

 最悪の想像が、衝撃音と共に千夏の頭をよぎった。

 

 やっぱり、あの時、あの音は──。

 

「ごめん、ありがとう。大喜くん、どこかわかる?」

「家じゃないんですか」

 

 千夏は頷いた。まだ帰って来ていない。

 

「病院に行った後は……」

 

 そこで匡の口は止まった。

 わからないのだと察した千夏が、踵を返して駆け出したからだ。

 

 後ろから引き止める声がしたが千夏には関係なかった。それほどに急ぎ、焦っていた。

 

 連絡をする。猪股家の人々に向かって。すれ違いを防ぐためだ。大喜くんは帰ってませんかと。また大喜本人にも、今どこにいるのか聞く。返ってくるかはわからない。

 

 しかし駆け出したはいいが、千夏はどこに向かうか、自分で定めなかった。無鉄砲で駆け出した。

 

 だが、走る最中で、どこへ向かうか自然と定まる。

 

 千夏から見て、猪股大喜という人間に紐づけられる情報は極端に少ない。せいぜい家か──いつもの場所くらい。

 

 だから必然的に向かう場所は一つに絞られることになった。

 

「はっ、はっ……」

 

 走る最中、思う。

 

(もしも、もしも私のせいで彼が怪我をしていたら)

 

 そんなことある訳ないと思いたい。でもそれは羽のように軽い慰めの思考だった。

 

(私、ほんとうに、彼の邪魔しかしない人になっちゃう)

 

 千夏の中には、四月からこの家で過ごしている中で出来ていた、不安がある。

 

 ──大喜くんの、邪魔になってるんじゃないか。

 

 日常から何となく察している。彼が自身を避けているのはわかる。彼が、千夏が猪股家へやってきたことで、日常を崩しているのではないかという懸念もあった。

 

(とにかく……見つけて、話を……!)

 

 決勝の疲れもあったが、千夏は心を急かして加速した。

 

 そして、辿りつく。

 

 学校──体育館、だった。

 

 校門を抜けて、また走る。もう目と鼻の距離。朝練で、部活で、いつもいつもいる場所。でも今日は日曜日で、部活も確か午後錬はなかったはず。

 

 だから大喜がいるはずなどない。それでも千夏はここへ来た。

 

 体育館前に行く。施錠はされているはずだが、されていなかった。また嫌な予感が加速した。

 

 そして、扉の前まで来て、異音が耳を刺激する。

 

 どたんと、何かが倒れる音がして、千夏の肩が揺れる。

 

 恐る恐る千夏は、誰もいないはずの体育館を、扉の隙間から覗く。

 

 いた。

 

 そこに、大喜はいてしまった。

 

 でも千夏にとっては大喜がそこにいたことは、重要ではなくなっていた。その姿を見てしまったからだ。

 

 大喜は松葉づえを傍において、尻もちをついていた。

 

 右足には──ギプス。

 

 その姿が千夏の瞳を突き破って網膜に焼き付いた時、彼女も、思わず後ろに倒れ込んだ。

 

 そして放心のまま、千夏はぽつりとこぼした。

 

「わたしのせいじゃん」

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