「へえ、体育祭。懐かしいわねえ」
千夏先輩との同居があったり、部内戦やら雛と話したり、とにかく色々あって、入学からひと月が経過した。
そして今週は体育祭だ。
食卓を囲む中で、家族と自然にそんな話題になった。
「二人は何の種目に出るんだい?」
父親だ。眼鏡をかけている。
「私は借り物競争とバトンリレーです」
「ひゃくえむとバトンリレー」
種目はけっこう原作と違う。百メートルは体力テストの五十メートル走で決まった。先輩の種目も、まあ玉入れ以外もやるだろう普通。
「じゃあ千夏ちゃんと最後同じ? 大喜足引っ張っちゃだめよ」
「がんばるよ」
あと、リレーは同じだ。
体育祭の組分けは単純なもの。俺と千夏先輩はどちらもB組だ。だから学年関係なく同じ青組になる。母は栄明出身だから組分けのやり方を知っていたのだろう。
「大喜くん足早いですよ。だからアンカー任せられてて」
原作体育祭だと三年の女子が走っていたが、今年は違うらしい。男女混合ではあるが、割と組ごとでどういう順番で男女を走らせるか自由に決めて良い。
体育祭も同じ青組だ。だからリレーの練習を放課後にやっている。
「へぇ、大喜はそんなに足速かったか」
「高校になってから伸びたよ」
祖父が言った。
まあ、嘘ではない。伸びたというかチートだけど。
「あ、あと私大喜くんにバトン渡すんですけど、受け取り方がすごい上手で。陸上やってたりしたんですか?」
「やってない……よね?」
「なんで疑問形なんだ」
大喜くんの幼少期の描写はあまりなかったと思うが、多分やってないだろう。してたらそういう描写があるだろうし。
「まあ、リレーは結構好きですから。好きだと、頑張れるでしょ」
「……そっか」
そうだ。好きこそものの上手なれという奴だ。
俺は、何を隠そうリレーの練習をするのはけっこう好きなのだ。
何故か。部活に行く時間が減るからだ。
正直、嫌われていることがわかっている以上、できる限り部活に行く時間を減らしたいのだ。朝練は何だかんだ習慣になって続けているが、部員が大勢いる所にいたくない。
あと原作通りダブルスも針生先輩と組むことにもなった。これも苦しい。俺は試合で勝つことはできるが、上手ではない。戦いのセオリーが全くないのだ。だから時々迷惑をかけたりする。
そういう訳で、リレーの練習は放課後にあって、そこまで気合を入れずにできるし、プレッシャーもないので、けっこう好きなのだ。
「がんばろうね。大喜くん」
「はい」
そして、当たり障りのない会話をして、食事は終わった。
*
五月、某日。
冬の残りか、春の終わりか。どこか肌寒く、日差しがやや強い日。
体育祭が、始まった。
青いハチマキを頭に巻いた──B組の一から三年の生徒は、気合を入れるために一か所に集まっている。
「……勝つぞ」
そんな群衆の、先頭に立つ、見たことのない三年の先輩らしき人がそう言った。場がざわめく。しかしまだ、誰も吠えない。まだ言葉が続くことをみんな察したからだ。
「必ず──スペシャルチョコチップメロンパンを皆で食べるために!」
そこで初めて、うおおおお! と雄たけびが上がる。
「……」
「……」
熱気が押し寄せた。俺はさすがにこのノリについていける気がしないので、匡と一緒に木陰にいた。別にこういうノリが嫌いとかではないが……やはり合う合わないがあるものだ。棲み分け、大事。
どうでもいいが商品は原作と違う。メロンパンだ。
そして、選手宣誓やら、校長の挨拶やら形式的なものが終わり、いよいよ競技が始まる。
栄明の体育祭は、全校生徒を学年関係なくクラス別に六組に分けて、この六組で点数を競い合う。
順番は手元の予定表に載っている。
玉入れ、二人三脚、百メートル走、借り物競争……飛んで最後の最後に、組対抗リレー。
俺は百メートルを走り終えたらかなり暇になるだろう。まあ時間の潰し方は結構ある。トイレに籠るとか。
さて、まずは玉入れだ。一年B組からは──。
「さてと……行ってくるわ」
蝶野雛が出る。その他数人の女子。運動が得意でないもので構成されたメンバーだ。
「がんばれよー」
「頑張れ」
匡と一緒に適当に声援を送った。メラメラ燃えているし、焚きつける必要はない。
そして玉入れが始まった。次々に色とりどりの玉が飛び交う。
俺たちが属する青組を見る。雛が小さな体躯を精一杯伸ばして玉を投げ入れている。小動物を見ている気分になった。
しかし一個も入っていない。下手くそだ。
「……やっぱ蝶野さんかわいいな」
後ろでそう呟く声がした。そして友達らしき人物から茶化す声が上がる。
……たぶんこの声は、原作で雛のことが好きで夏祭りの時、花火一緒に見ないかと誘った奴だ。
原作だと歯牙にもかけられずという感じで終わったが、この世界ではどうなるだろう。俺が大喜くんではない以上、可能性は残っていると思うが。
などと考えていたら玉入れが終わった。体育祭実行委員が玉を一個一個取り出して数えている。全組で一個一個同時に投げていって、一番多い組が最後に残るアレだ。
青組は三位だった。十数人で投げ入れる競技だし、雛の下手くそ加減は関係ないだろう。
次は二人三脚。匡が出場する。前の競技が終わる前に準備するので、匡は既にいない。
「いっこも入んなかった……」
雛が戻って来た。お疲れと言った。
「ありがと。大喜もそろそろ用意しに行ったら? 匡くんの応援はしとくから」
百メートル走は二人三脚の次だ。
「そうだな。じゃあ行ってくる」
「うん。行ってらっしゃい……もしも負けたらどうなるか……わかってるでしょうね」
怖い。俺は逃げるように集合場所へ向かった。
規定の集合場所にはもう人がそこそこ集まっている。百メートル走であるし、集まる人々は皆速そうだ。
俺は軽くとーんとーんと飛んで準備運動をする。体の調子は何の問題もない。一応チートだし。成り代わってから風邪ひいたことはないから、体調がずっと良好みたいなチートがあるのかもしれない。
少し経ち、二人三脚の最後の組がゴールした。匡は二位だったようだ。
まだ二つの競技しか終えていないが、青組は総合三位。一位は果たして取れるだろうか。
「……」
係員に先導され、いよいよ百メートル走が始まる。緊張感が多分にある。ふう、と息を吐き出して整えた。
そして周囲を見渡して見る。落ち着くためだ。
すると、千夏先輩を発見した。見てはならないとすぐ目を逸らそうとしたが、千夏先輩は既に俺を見ていた。
千夏先輩と目と目が合う。ここで逸らすのはさすがに感じが悪いだろう。適当に会釈でもしよう。
だがその判断を下す前に、千夏先輩がアクションを起こした。
ぱくぱくと、口を動かす。
口パク、だった。ゆっくりで、言葉をいうように、動かした。
意味は、わかった。チートで視力はマサイ族並に良いのだ。それとついでに暇つぶしで勉強した読唇術のおかげだ。
”がんばって”
そんな口の動かし方だった。
「……」
……まあ、なら、頑張ろうと思う。大喜くんのためだ。千夏先輩が望むことをするのは、彼のためになるだろう。
そして走る時が来た。一年生だから最初に走る。誘導され、なんかスタートダッシュを切るための器具のある位置へ。スターディングブロックというらしい。スタブロだ。
隣を走る五名に眼をやる。全部で六組。赤、青、黄、緑、白、黒。それぞれハチマキを巻いて、真剣な表情をしていた。
見た目的に速そうな人たちばかりだ。陸上部っぽい脚の人もいる。
でもやはり、部活とは全然違う。この緊張感は体育館とは比べ物にならない。
だってこいつらは”本気”じゃ、ないのだ。
位置について、の声がかかる。
クラウチングスタートの構えを、取った。
ぎしりと、膝と器具に体重をかける。力は入れない。脱力しなければ爆発力が生まれない。
待ちわびるは、銃声。しかし優しい銃声だ。誰も殺すことはない。ただ、戦いを告げる銃声だ。その点ではきっと厳しいのだと思う。
そして。
パァンと、高鳴って。
──思い切りぶちかました。
一瞬の風。前髪が風圧で逆立つ。自分の一切合切を後ろに落ちていくように走る。
十秒そこらの全力の時間。でも体感時間は、それよりずっと長い。
集中することで、人間は時間を遅くできる生物だ。時間操作という奴だ。そういう意味で人間はきっと、時間を超越しているのだろう。
そういう訳で。
一着だ。
タイムは十秒前半。さすがに十秒切りはしない。変に目立って良いことはない。
「……ふう」
駆け抜けが終わり、徐々に減速して、歩いて、止まった。そこで漸く一息をついた。
まあ、チートだからね。仕方ない。周りが誰であろうと勝ってしまうのだ。
それでも、チートで勝ったけれど、俺の精神は今日は気楽だ。
どうしてか。
「……」
ぶっちゃけ、たかが体育祭に本気になる奴はいないからだ。全力でやる奴はいるだろうけど。
一位賞品のメロンパンを求めている奴は、全力で取り組みはするだろう。だが本気ではないはずだ。
「……」
俺と同時に走った奴を見ればわかる。少し悔しそうな顔をして、終わり。感情的になる奴はいない。
敗けて泣くことがない。
悔しいとは思うだろう。でも泣くことはない。
三年最後の大会で負けたら、悔しかったら、本気でやってた人は泣きたくなるだろう。でもこの、”体育祭”の百メートル走で一位でなくとも、泣くやつはいない。
だから、気楽だ。遊びなのだ、やはり。
遊びに全力を出す奴はいるけど、遊びに本気になる奴はいない。そもそも遊びで本気になったらそれは遊びじゃない。
全員が走り終え、一着なので名前が読み上げられ、なんか拍手が起こって、俺は青組の元に戻る。
ある程度青組の集団は学年別に分かれている。
その、二年B組の集まり。千夏先輩がいた。また目と目が合う。
「……す」
会釈と同時に「うっす」の”す”だけ言う。遠くだしこのくらいでいい。
当然のことだが同居のことは匡以外に伝えていない。匡に言ったことは千夏先輩にも伝えている。
だから表立って会話はできないし、しない。
そのため、だろう。また先輩は口をぱくぱくとさせた。
群衆の陰から、少し身を乗り出すように背伸びをして、多分こう言った。
”お疲れ様”
確かに、先輩はそんな風に口を動かした。
走った後だからか。心臓の主張が嫌というほど激しい。
俺もとりあえず口パクだけ返して、匡と雛の所に戻った。
言葉は、込める余裕がなかった。
*
百メートル走が終わった。大喜は既に戻ってきて、匡くんと話している。
「雛、猪股くん早かったね。陸上部とかいたのに」
「にいなちゃん……うん、びっくりするくらい」
ちょっと前に、体力テストの五十メートル走で一位を取ったという話は聞いたけど、まさか陸上部やサッカー部がいる激戦の一組で一位を取れるほどとは思わなかった。
「ちょっとお手洗い行こ」
誘われてついて行く。公立だと屋外のトイレは汚いけど、私立だからきれいで気に入っている。
道中、にいなちゃんと話しながら、また噂を耳にする。
「さっきの青組の百メートルの子すごいね」
「陸上部だっけ?」
「話しかけてみよっか」
「……」
大喜は気づいてない感じがするが、やはりモテ始めている。
別に、友達としては喜ばしいことだ。だがやけに胸騒ぎがする。まあそこそこ長い付き合いだし、その、なんていうか、娘はやらんと言う父親、というか。
表面的な大喜を見て好きになったかもしれない人が、何だか気に入らなかったりする。
「いま借り物競争か。うちのクラスからは誰が出るんだっけ」
にいなちゃんの声ではっとして、会話に戻る。
そして、だらだらと会話を続け、お手洗いを済ませ青組が集まる所へ戻った。百メートル走が終わったので、今は借り物競争だ。この競技は比較的時間がかかるので、まだ一組目の途中だった。
走者が首を回しながら、お題に合った人を探している。どうでもいいけど、借り
先生を連れて行ったり、友達を連れて行ったりして、なんだかんだ皆一分程度でゴールした。
次の走者が準備をする。青組の第一走者はクラスメイトだったが、第二走者は誰だろう。
青組の第二走者は……千夏、先輩。
有名な人だ。女バスのエースで、雑誌とかにも取り上げられると聞く。あと男子からモテる。
(あんな人に好かれたら男子は皆気持ちに応えるだろうなあ)
ちょっと劣等感を感じてもやもやする。まあ、私は別に好きな人とかいないから、関係ないけど。
ぱんと鉄砲が打たれて、第二走者が一斉に走り出す。そしてお題の元へたどり着き、それぞれ紙を手に取った。
正直けっこう運ゲーだよねと思う。さっきの走者の一人は『マスクに落書きしてる人』という、とんでもなく厄介なお題で大変そうだった。今はきっといない。
先輩は楽なお題だといいなあ、と思って見る。先輩はきょろきょろして誰かを探しているようだった。
(……あれ)
千夏先輩が、こっちに来てる。まあでもそっか。ここは青組が全学年固まっているし。それに青組以外の人に頼むのはちょっと違うか。さて、どんなお題なのだろう。
『お団子ヘアー』とかだったら私だ。でも走るの苦手だから迷惑かけたくないな……って。
千夏先輩の視線の先には──
「大喜くん、こっちっ」
「……!」
大喜がいた。そして、先輩は大喜の腕を掴んだ。
大喜の表情は全くと言っていいほど動いていない。平然としているように見える。驚いていない?
実際、千夏先輩に腕を掴まれたのに平常心。さすがに大喜でもおかしくないだろうか。
これ……そういうこと?
「あの二人仲良かったの?」
「二人でいるとこ見たことないけど」
「あいつ運動も勉強もできて恋愛までかよ」
クラスメイトもざわめく。私の思ったことを全部代弁してくれた。
大喜と、千夏先輩って関わりあったの?
二人は一緒に駆け出す。速い。独走状態だ。二人ともリレーに選ばれてるしさすがだ。
そして今、ゴールイン。
「……」
なんだろう、この感じ。
何故かわからないけど。わかりたくないけど。
羨ましいな。
嬉しそうにする千夏先輩と、ほんの少しだけ口角が上がっている風に見える大喜を見て、私はそう思ってしまった。
*
非常に、びっくりした。
借り物競争が終わり、俺と千夏先輩と青組が集中している所へ戻る。
しかし、本当に心臓に悪い。
余りにもびっくりし過ぎて、驚く余裕もなかった。現実を理解できなかったのだ。
何とか一着でゴールしたが、百メートル走よりも気分的には疲れた。
「ごめんね、急に」
「いえ。お題、なんだったんですか?」
驚きすぎたのと色々と騒がしくてまだお題を聞けていない。
尋ねると千夏先輩はひらりとお題紙を見せて来た。
『苗字に動物の名前が入ってる人』
「……ああ、
「そうそう。いたかなあと思って……あっ、て」
なるほど、納得した。お題が『根暗な奴』とかじゃなくて良かった。
まあ一応同居しているし、真っ先に浮かんだ同じ組の人間が俺だったということだろう。
それだけだ。何の問題もない。勘違いをするまでもない。
「それじゃ、また後で。リレーがんばろ」
「はい。頑張りましょう」
そうして別れる。千夏先輩は青組の二年の塊へ先に入った。そしてすぐに同級生の女子たちに囲まれている。お祝い的なやつだろう。
「……?」
何故か二年B組の男たちが俺を見ている。何だろうか。何か怒らせるようなことをしただろうか?
(……いやあ、してないだろう)
さすがに。
というか今日は青組に貢献しかしてないはずだ。百メートルでも一着だったし、借り物競争でも協力した。文句をいわれることはさすがにしてないはずだ。
よし、大丈夫だと切り替える。
さて、昼休憩を挟んで、いくつか競技が終われば、後は組対抗リレーだけ。
何事も起こらず平穏に終わりますようにと祈って、俺は匡の所へ向かった。