千変万化に負けない陰の実力者になりたくて! 作:kaneda,i9
「ボスぅぅぅぅぅっ!!」
……そう叫ぶデルタに抱き着かれたのは、スルスの山を降りてすぐの事だった。どこをどう通って来たのか、彼女の黒い髪の毛と尻尾に葉っぱや枝がたくさんついている。
「ボス! 会いたかったのです!」
「うん、久しぶりだねデルタ。とりあえず下りようか」
顔に抱き着かれて前が見えない。……結局デルタは下りてくれそうも無くて、肩車で妥協してもらう事になった。尻尾をブンブン振っているのが見えなくてもわかる。
「デルタはどうしてここにいるの?」
「ボスと温泉に入りたいのです!」
「……誰かと一緒だったりしない?」
「アルファ様たちと温泉ランドに行ったのです!」
アルファか。リンドブルムからの帰りに、温泉ランドに立ち寄った……って事かな。リンドブルムにも温泉はあったと思うけど……温泉巡りにでも目覚めたのかな。
「ボスは何してたですか?」
「僕? 温泉ドラゴンを探してたんだ」
「っ!? 温泉……ドラゴン!!?」
……しまった、デルタが興奮で体を揺らしている。温泉と狩りが好きなデルタにとって温泉ドラゴンの名前は……まるでカツカレーじゃないか。
「ボス!! デルタの分は残ってるですか!?」
「……ダメだよデルタ。僕は温泉ドラゴンと友達になったんだ。狩り禁止」
「ええぇぇぇっ!? 狩りたい狩りたい! ドラゴンの丸焼き食べたい!」
デルタは加減を知らないからな……昔、どこかのドラゴンを絶滅させたとか自慢してきたし、今度は温泉ドラゴンを絶滅させかねない。それが巡り巡って、スルスの温泉に入れなくなったら僕が困る。……話を逸らすか。
「ところでデルタ、他に用事とかは無いの?」
「用事……? あ、そうだ! 大変なのですボス! 温泉ランドに
「嘆霊……?」
クライ達が温泉ランドに? ……なんで?
***
「シドちゃーん! おはよー!」
……そう叫ぶリィズに見つかったのは、早朝の温泉ランドでだった。『一緒にいる所を見られたらマズい』と、デルタを先行させたのは正解だった……かな? とにかく、リィズが大きく手を振りながら、こっちに駆け寄って来る。
「やっぱりシドちゃんだ……おはよ! でもなんで温泉ランドに来てるの? あ、私達はバカンスしに来たの!」
「おはようリィズ、僕は友達からチケット貰ったんだ。それでリィズは……散歩中?」
「そう。いつもなら訓練してるんだけど……クライちゃんがバカンス中は訓練禁止だって。それ忘れて、いつもの時間に起きちゃった」
「やっぱりクライも一緒なんだ」
「シドちゃんが来たって知ったら、みんな喜ぶよ! クレアちゃんなんか泣いて喜びそう!」
「……みんな? 姉さんも来てるの?」
「そだよ。ルークちゃんなんか、シドちゃんと斬り合いたいって言ってた!」
ルークも? って事は……【
それはちょっと嬉しいかも。けどアルファ達が見たらなんて言うだろうか? ……考え込んでいると、リィズが僕の手を掴んで引っ張り始めた。
「行くよシドちゃん! そろそろみんな起きる頃だし!」
「え、うん。えーっと……リィズがいちばん早起きなの?」
「だいたいそう! 昔シドちゃんに教えてもらった『おまじない』のおかげ!」
あれ今でも使っているんだ……前世知識で編み出した瞑想呼吸法。つい口から出た変な質問だけど、予想外に嬉しい答えだ。……なんて考えてる場合じゃない。アルファ達は《
***
「シド!? アンタ……帝都にいないと思ったら、こんな所にいたのね」
「やあ姉さん……その目どうしたの?」
「……クライのせいでこうなったの。アイツの変な宝具のせいで」
姉さんはなぜか目が赤くなっていた。あと、少し雰囲気も変わってる。それも宝具のせい?
「きるきる」
「みゃあ」
「キルキル君と……ノミモノだっけ? 連れて来たんだ」
「はい。ずっとクランハウスの中だと、ストレスが溜まってしまうので」
凶悪な見た目の魔法生物も、シトリーにとってはペット同然か……さすが
「シド……元気だったか?」
「うん、元気元気。アンセムは……見違えたね」
「うむ」
噂には聞いてたけど、アンセムは随分とデカい。マナ・マテリアルは人間の体格も変えるとは聞くけど……こんなに?
「うーん……」
「ルシア……? なんでじろじろ見てるの?」
「先生がシド君の魔力を気にしてたの……今ならわかる気がします」
……リィズだけじゃなくてルシアにも要注意かも。実力バレしないように、魔力をもっと丁寧に抑えないと。
「シド! リィズから聞いたぞ。お前には才能があるって! 俺と斬り合わないか?」
「えーっと……僕も聞いたよ。ルークは木剣で敵を斬るって。どうやるの?」
「ああ、簡単だ。斬れるようになるまで使い続けるんだよ。そうすりゃマナ・マテリアルがいい感じにやってくれる」
ルークはあまり変わってないように見えたけど……纏う雰囲気はまるで別人、実力者ならではの気配がする。それにしても、こっちもマナ・マテリアルか……
「奇遇だねシド君。君もバカンス?」
「いや、バカンスだけじゃなくて……さっき宝物殿から帰って来たばかりなんだ。クライは……楽しそうな格好をしてるね」
「これかい? 実はこのシャツは宝具なんだ。僕のとっておきさ」
……そう言われても、ただのアロハシャツにしか見えない。クライの宝具コレクションには、まだまだ驚かされそうだ。
……まあ、そんなわけで。僕は今、流れるプールを漂っていた。さすがイータだ……僕が少し話しただけの流れるプールやウォータースライダーを完璧に再現してる。彼女の事、少し見直した。
「ねえシド」
向こうの方では、クライが大きな浮き輪の上に寝そべっている。……ん? あれって僕がオークションで出品した宝具の浮き輪じゃないか。さっきのシャツもだけど、クライはちゃんと使うタイプの宝具コレクターなんだね。
「ちょっとシド」
ウォータースライダーの出口からルークとリィズが出て来た。と思ったら、また入口に向かっている。2人ともスライダーが気に入ったみたいだね。
「こっちを見なさい」
「ぐえーっ!? 首がっ……や、やめてよ姉さん」
「無視するアンタが悪いのよ」
なんで姉さんは僕のそばから動かないのだろうか? 仕方ない、言われた通りにしよう。向き直ると、まずオレンジ色の花柄ビキニが目に入った。同じ柄のリボンで髪を纏めている。下はデニムのホットパンツ風だ。それで姉さんは、照れくさそうに頬を指でかいている。
「どう? 似合ってる……かしら?」
「うん、似合ってるよ。じゃ、そういう事で」
「ちょっ……待ちなさいシド! ちゃんと見なさい!」
「僕は例え姉さんでも、人の水着姿をジロジロ見たりなんてしないよ!」
潜ったり走ったり……姉さんとの追いかけっこが始まってしまった。気配を消して逃げる事もできるけど、やるならリィズ達に見られないところで。でないと実力バレするかもしれない。……まったく、なんで姉さんは僕に構いたがるんだ?
***
フードコートで休んでいたアンセムは、クレアとシド……はしゃぐ2人の様子をじっと眺めていた。隣に来たシトリーが兄の視線を追いかけ……微笑ましく笑う。
「クレアちゃんとシド君、相変わらず仲がいいね。お兄ちゃんもそう思う?」
「うむ……」
シトリーの気楽な問いかけに、しかしアンセムは押し黙ってしまった。表情も真剣そのものだ。
「どうしたの? シド君の方じっと見て……」
「随分……鍛えられた体だ」
「……言われてみれば」
水着姿の今なら一目瞭然……シドは体形こそ普通だが、筋肉のつき方はルークやアンセムと比較しても遜色が無い。前衛の実力者の体をしている。
――レベル1ハンターのシドが? シトリーは訝しんだ。
「お姉ちゃんが話を盛ってるのかと思ってたけど……才能あるってホントなのかも」
「うむ。楽しみが増えた」
小さく見える木の大ジョッキを片手に、アンセムも笑みを浮かべる。期待の眼差しをシドへと向けて。
***
「シドの帰還」「しかし《嘆きの亡霊》と合流」
吉報と凶報が耳に届き、七陰内では不穏な空気が流れ始めていた。寝室から戻ってきたベータに、イプシロンは問いかける。
「アルファ様は?」
「……気分が優れないから休むと、そう言ったわ」
「そう……」
俯きがちに答えたベータを見て、イプシロンも言葉を詰まらせてしまう。いつも気丈に振る舞い《シャドウガーデン》の中心にいたアルファが、ここまで弱った姿を見せるのは……盟主シャドウがすぐ近くにいるのに、とても遠くに感じるのは……どちらも初めての事だ。
(アルファ様に休んでもらおうと思ったのに……これじゃあ、まるっきり逆効果じゃないの!)
イプシロンはぶつけようのない苛立ちを覚える。……イプシロンから見て、最近のアルファは様子がおかしかった。
《千変万化》クライ・アンドリヒに対する異様なまでの警戒、何もかもがクライの策略ではないかという疑心暗鬼……その上で《嘆きの亡霊》との遭遇、調子を崩すのも無理はない。
「
「シャドウ様の事、きっと他にも考えがあるはず……でもアルファ様は、これも千変万化の企みだと考えているみたいね」
「それって……ありえないわ。もしそうなら千変万化は……っ」
続く言葉をイプシロンは口にできなかった。――シャドウの正体がシド・カゲノーだと気づいている――と。それは七陰にとって、最悪の中の最悪だ。……軽い眩暈に襲われ、イプシロンは眉根を押さえる。
「大丈夫イプシロン?」
「……平気よ、これくらい。……とにかく、アルファ様があの調子だと、私達で調査を進めるしか無さそうね」
「そうね。私達で――……?」
急に口を閉ざすベータ。神妙な表情を浮かべ、考え込んでいる様子だが……
「もしかして……シャドウ様は……」
「急に黙って、どうしたのよベータ?」
「イプシロン、これはシャドウ様からの試練なのかも。私達だけで異変を見つけろ……と」
「私達への試練……? だから来てくれない?」
ベータの推測を聞き、イプシロンも考え込む。――ベータの言う通りなら、少なくともクライの企みであるよりはずっとマシだ。しかし――イプシロンは妙な違和感を抱いた。
(試練……ってなんだか聞いたばかりのような……たしかここに来る途中で――)
「デルタ、どこに行くの?」
「? 何を言ってるんですか? 温泉に決まってるです」
ふと聞こえたベータの声に、イプシロンは振り向いた。そこにはタオルを肩にかけるデルタの姿。シャドウの捜索に向かっていたはずだが……シャドウは既にホテルに戻っているし、デルタの戻ってきた瞬間をイプシロンは見ていない。
「デルタ、あなたいつ帰って来たの?」
「えーっと……お日様が出る前です。ボスが先に行けって……それでお前らはこんな所で何してるですか? 温泉ランドに来たんだから、温泉に入らないのは変です!」
「変って……こっちはそれどころじゃ……」
しかしデルタの得意気な堂々とした振る舞いに、強く反論する事は出来なかった。
「それにボスは言ってたのです! 昔たっくさん悩んでた時、温泉で頭を空っぽにして、それでいいこと思いついたって! だからお前らも、悩んでたら温泉に入るのです!」
「! 主様も悩む事が……」
イプシロンとベータは顔を見合わせる。デルタを通じて届いたシャドウの言葉が……今のアルファに必要な言葉のように聞こえたからだ。2人は頷き合い、イプシロンが寝室への扉を叩く。
「アルファ様。……一緒に温泉、入りませんか?」