千変万化に負けない陰の実力者になりたくて! 作:kaneda,i9
『――英雄の子よ、我と共に歩む覚悟はあるか?』
『――貴方がそれを望むなら、私はこの命を懸けましょう』
あの日、差し伸べられた手を取って、少女は立ち上がった。
(……これは夢ね。私は彼と出会って――)
廃村に匿われた元悪魔憑きの少女たち。自分達を救った少年から知恵を授かり……木の香りに包まれた家で、共同生活を送った。
(あの頃は、みんなと家族のように過ごして……家族……かぞく――)
ベータは、まだ泣き虫だった。
ガンマは、まだ剣と魔法を諦めていなかった。
デルタは、まだ自分勝手だった。
イプシロンは、まだ努力の方向に悩んでいた。
、。
イータは、まだ他人への興味が薄かった。
(あのしあわせなひびを……もういちどおくるために……私は)
***
カーテンが開く音、瞼越しの日光……まどろみの中にいたアルファは、ゆっくりと瞼を開いた。
「ん…………んん……」
「ボスとぉ……温泉……ドラゴン……」
声がしたのは隣のベットから。そちらを向くと、ワガママだが仲間思いなデルタがぐっすり眠っていた。……寝相が悪い。
「おはようございますアルファ様。ぐっすりお休みでしたね」
声がしたのは窓の方から。そちらを向くと、もう泣き虫じゃないベータが笑みを浮かべている。
「ベー……タ?」
「はい。…………? 如何なさいましたかアルファ様?」
「えっと……懐かしい、夢を見たの。それと今の貴方が重なって……ふふっ」
「あっ、なんで笑うんですか?」
「ごめんなさい。ただ……貴方はもう泣き虫じゃないんだって。そう思ってしまったの」
「あ……ひどい、私を泣き虫だと思ってたんですか。まあ、その通りでしたけど……ふふっ」
どちらともなく声をあげて笑う。やがて、ベッドから降りたアルファは、ゆっくりと体を伸ばした。そしてベータに笑顔を向ける。
「ベータ、昨日はありがとう。体の……それ以上に心が軽くなって、今は清々しい気分」
「それはよかったです。シャドウ様の言う通りでしたね」
「彼の?」
「はい。デルタからの又聞きですが……シャドウ様にも悩みが尽きない時期があり、それを変えたのが温泉だったとか」
「そう……また彼に助けられてしまったのね」
アルファは一瞬だけ自嘲の笑みを浮かべ深呼吸、自分の頬を軽く叩いた。
「顔を洗って……シャワーも浴びるわ。着替えたらイータに会いに行きましょう。みんなでね」
「……はい! シャドウ様がこの地に来た理由を解き明かし、私達だけで解決しましょう!」
肩の力が抜けたアルファと、気合十分なベータ。しかしふと、アルファの中に疑問が生じる。
(あの夢……何か、欠けていたような……)
しかし慌ただしく部屋に駆け込んで来たイプシロンを見て、2人は緊張の面持ちを作る。
「アルファ様、大変です! 賊が温泉ランドに侵入。それも……ディアボロス教団の手の者だと思われます」
「教団が……!? 何があったのイプシロン?」
「私、イータの実験室に様子を見に行こうとしたんです。でも警備の子が来て……かなりの人数がこのホテル館に集まっているとの事です」
「教団の侵入を許すなんて……何をやっているのよ……!」
「落ち着いてベータ。ミツゴシとガーデンの繋がりを隠すために、本気が出せなかった。そう考えるべきね」
【ミツゴシ商会】の正従業員は《シャドウガーデン》の構成員でもある。元悪魔憑きの高い身体能力、戦闘訓練とスライム装備……実力を発揮できれば《ディアボロス教団》の雑兵に後れを取るはずが無い。
アルファの言葉を聞き、ベータはその意味をすぐに理解する。
「つまり……侵入を許してしまうほどの規模、という事ですか……!」
「おそらくイータの防犯システムも人海戦術で……目的はわからないけど、手をこまねいていても仕方がないわ。デルタを起こして、イータとも合流。作戦はそれから考えましょう」
「了解です」「了解しました」
アルファ達は焦らず戦闘準備を整える。この先に待ち受けるのが恐るべき試練だと知らずに――
***
同じ頃……《
「気のせいかしら……なんだか静かすぎない?」
「兄さんがいませんからね。まったくもう、温泉ランドで行方不明になるなんて……夜風をどこまで浴びに行ったんだか」
「そうじゃなくて、外よ外」
その日、ホテルはとても静かだった。廊下を従業員が歩く気配や、他の部屋から聞こえるであろう僅かな音が無い。何か異変が起きている……そう思わせる説得力があった。むしろもう異変は起きていると言える。クライが昨夜から戻らないのだ。ところが……
「放っておいても大丈夫でしょ。それよりチャンスじゃない? ミツゴシの従業員が強いかどうか……いちど見て見たかったんだよね~」
「リィズもそう思ってたか。帝都のデパートの話だけどよ、ミツゴシの連中……道場の兄弟子たちと同じくらいに見えたんだよな」
「バカなこと言ってないで、兄さんを探しに……行っても無駄か」
「クライさんの事ですし、思いもよらない場所にいるでしょうね」
「うむ」
「クライはともかく、シドは大丈夫かしら……」
誰もクライの心配をしていないのである。……結局、暇を持て余したリィズとルークが敵を探すと言い出し、渋々ながらルシアも同行する事になった。いざという時2人を止めるためである。
「ルシア、早く行こうぜ!」
「2人ともいいですか? リーダーが戦闘禁止を言い出した以上――」
「手を出すのは最後でしょ? わかってるって。ちゃんと守らないとクライちゃんに怒られちゃうもんね~」
3人が廊下に出てしばらく歩くと……1人の従業員を見つけた。営業スマイルの男性従業員だ。
「おはようございます、お客さ――」
「おらぁっ!」
「グワーッ!?」
有無を言わせぬルークの早業、木剣がその男を切り裂いた。倒れる男の手から、隠し持っていた短剣がこぼれ落ちる。
「なんだコイツ? 殺気を隠せてねえし……何がしたかったんだ?」
「もうルークちゃん、斬ってから聞いても遅いって! 聞いてから斬らなきゃ」
「おっと悪い。斬る前に話をした方がカッコいいってクライも言ってたけど……難しいぜ」
「はあ……ホントにいましたね、敵」
ルシアのその言葉に反応した……というわけではないが、廊下に次々と黒づくめの男達が押し寄せる。リィズとルークは目を輝かせるが、ルシアはうんざりした表情を変えなかった。
「よし、今度は間違えないぞ……お前ら! 俺に斬られに来たんだな!」
「「「!?」」」
「そんなわけないじゃん。リィズちゃんに蹴られに来たんだよね?」
「「「ッ!!?」」」
「2人は黙ってて! ……あなた達は何者ですか? 何が目的なんですか?」
賊はルークとリィズの言葉に面食らっていたが、やがて1人が代表してルシア達に呼びかける。
「嘆きの亡霊、我々について来てもらおう。こちらには人質がいる」
「え~またぁ?」
「またとはなんだ!?」
そして連れてこられたのは、本物のミツゴシ従業員。首に刃を当てられ……賊と《嘆きの亡霊》の3人を交互に見ている。怯えるどころか、苦笑いを浮かべて。
「人質の命が惜しかったら、武器を捨てて――」
「なあ、もう斬っていいか?」
「ッ!? 話を聞いていたのか!? こっちには人質が――」
「好きにすれば? 無理だと思うけどね~」
人質を見せても余裕の態度を見せる《嘆きの亡霊》に、賊は困惑するばかりだ。
***
(なんで? なんで助けてくれないの!? もしかして……ミツゴシが《シャドウガーデン》ってバレてる!?)
人質にされている従業員――《シャドウガーデン》の206番――は、混迷する状況に頭がどうにかなりそうだった。
ほんの些細な油断から身を隠せず、捕まってしまったのは彼女の落ち度だが……《嘆きの亡霊》への矢面に立たされている現状については、運が悪かったとしか言いようがない。
(このままじゃ斬られる? スライムスーツ出せば助かるかもだけど……そしたら
いっそ本当に斬られて……やだ! せっかく悪魔憑きじゃなくなったのに、こんなところで死にたくない!)
シャドウガーデンのために死ぬか、シャドウガーデンを裏切ってでも生き残るか――206番は人知れず、究極の2択を突き付けられていた。唯一の希望は……密かに魔力を操るルシアの存在だ。
(! 万象自在が何かしようとしてる……お願い、私を助けて~!)
だが……賊は不敵な笑みを浮かべ、彼が次に発した言葉で状況は一変する。
「1ついい事を教えてやろう。千変万化は死んだぞ」
(……え? 死んだって……っ!? この魔力は!?)
言葉の意味を考えるどころではなかった。206番の目にはハッキリと見えてしまった。《万象自在》ルシア・ロジェ――彼女の魔力が爆発的に膨れ上がっていくのが。
「俺達の目の前で情けない悲鳴をあげなが……ら……」
急激に下がる室温、凍り付く廊下、壁、天井……魔力に鈍い賊も、ようやく気付いたらしい。自分が……言ってはいけないことを口にしたと。彼女の纏う殺気を感じ取り、206番は震える。
(まさかそんな……嘆きの亡霊は人を殺したりなんて……しない……よね?)
「あーらら」
「おーおっかねえ」
リィズとルークは眉1つ動かさず、つまらなそうに顔を背けた。どこか諦めているようにも見える。そして渦中のルシアが口を開いた。
「悲鳴をあげて、兄さんはどうなったんですか? 続きを言いなさい」
それは、凍えるような冷たい声。魔力が乗っているのか、声を聞いただけで寒気がする。睨まれた賊は恐怖で目を見開き、すっかり震えていた。
「あ……あ……」
「言え!」
「穴に……落ちていった。工事中の……深い穴に……」
「わかりました。探しに行きましょう。どこの誰にも邪魔はさせません」
ルシアは一切表情を変えない。その顔に《嘆きの亡霊》のシンボル……嗤う髑髏の仮面を被り、広範囲に魔力を展開する。
そして通路を……フロアを……いや、ミツゴシ温泉ランド全体を魔法の範囲に捉えた。大規模魔法の発動を前に、賊が恐怖に染まった顔で叫ぶ。
「止めろ! 誰か、誰かあの女を――」
だがもう遅い。
「『
***
「っ!? 今の魔力は……何!?」
不意に感じた強大な魔力、アルファは咄嗟に身構えるが……何も起こらない。
ここはイータの研究室。アルファ達はイータを探しているのだが、いっこうに見つからない。しかし奥を探していたベータが、慌てて戻って来る。
「アルファ様! 今のは……」
「貴方も感じたようね。イータがいれば詳しくわかったんでしょうけど――」
「な、なによこれぇ!?」
アルファの言葉を遮ったのは廊下からの悲鳴……イプシロンの悲鳴だ。アルファとベータは何も言わず、急いで廊下へと飛び出す。
「イプシロン、何があったの!?」
「アルファ様……わた、私の目の前で、カイと、オメガが……!」
力なく座り込むイプシロン。怯えた表情で、震える手で指さす先には2匹の蛙――
「けろけろけろ! げこ、げこげこ、けろけろ~!」
慌てて跳び跳ねる隻眼の金の蛙と――
「げこ……げこげこ」
ため息をつく金銀オッドアイの黒蛙がいた。2匹の蛙を前にアルファとベータは息を呑む。
「まさか……カイとオメガ……なの?」
「「げこ」~!」
同時に頷く2匹の蛙。目の前の光景が現実だと認めるしかなかった。予想だにしない事態にアルファは困惑する。
「いったいどうして……っ! さっきの魔力!」
「まさか……魔法?」
さらに、慌ただしい足音が近づいて来る。
「アルファ様~! 蛙が、蛙がいっぱいなのです!」
鼻でイータを追っていたデルタが戻ってきた。両手に複数の蛙を抱えながら。
「しかも知ってるニオイの蛙がこんなにいて、ビックリしたのです!」
「知ってるニオイ……本当なのデルタ!?」
「間違いないのです。ラムダに頼まれて『かくれんぼ』した時、追いかけたのハッキリ覚えてるのです!」
《シャドウガーデン》の戦闘訓練の中には、隠密行動に関するモノもある。デルタは時折、その臨時教官を務める事があり……かくれんぼとは、その時の話だろう。
つまりデルタの抱える蛙は……カイとオメガのように、シャドウガーデンの仲間が変わり果てた姿だ。――自身で導いたその結論を、アルファは信じられなかった。
「みんな……蛙になってしまったの……?」
(私達と彼のシャドウガーデンが……そんな……こんな簡単に……)
アルファの顔が絶望に染まる。彼女にとって《シャドウガーデン》は『家』だ。命を捧げたシャドウ、そして七陰という家族との繋がりだ。組織の中心人物としての責任感だけでなく……精神的支柱の崩壊に、アルファは絶望の縁に立たされた。
「どうして……」
「……? アルファ様?」
「どうして、こうなってしまったの?」
俯きながら、静かに呟くように問いかけるアルファ。その問いかけに……デルタがいつもの調子で答える。
「う~……いったい誰がやったのですか! 犯人を見つけたら……デルタが狩ってやるのです」
「誰……犯人……?」
「? 人が蛙になるなんてありえないのです! 誰かがやったに決まってるのです!」
犯人がいる。そう聞いてアルファの脳裏をよぎったのは、なぜか……クライ・アンドリヒのぼんやりとした笑み――
「千変万化……!」
――アルファの中で何かが切れた。抑えきれない怒り、アルファの体から青い魔力が迸る。
「アルファ様!?」
ベータもデルタもイプシロンも怯み、無数の蛙が恐れをなして逃げ惑った。そして……魔力の光が揺らめく中で、鬼気迫る表情でアルファは叫ぶ。
「これはあの男の……千変万化の仕業よ。そうとしか思えない……!」
「落ち着いてくださいアルファ様! まだ証拠も何もありません。犯人を特定するのは――」
「もし、これが誰かの仕業だとして――」
宥めようとするベータ、しかしその言葉をイプシロンが遮った。
「イプシロン……あなたまさか……!?」
「――魔法でやったとしたら、できるのはただ1人。嘆きの亡霊の
「た、確かにそう考えると……教団がこんな事するとも思えないし……」
それは同じ魔導師としてのプライドか。イプシロンは拳を強く握りしめ、己の悔しさを嘆いた。彼女の叫びにベータも反論の術が無い。そしてアルファは、イプシロンの話で確信を得た。覚悟を決めた表情で、作戦を宣言する。
「私たち七陰は……仲間を元に戻すため、千変万化と戦う。戦わなくてはならない……!」
「よくわかんないけど……
「カイ、オメガ、しばらくそこで待ってなさい。絶対に戻してあげるから……!」
強敵との勝負に闘志を滾らせるデルタ。仲間のため危険な戦いに臨もうとするイプシロン。そしてベータもまた……覚悟の表情でアルファを正面から見つめる。
「わかりましたアルファ様。ですが2つ確認させてください。教団の連中が蛙になってなかった場合はどうしますか?」
「もちろん斃すわ。でも最優先は千変万化……仲間を取り戻す」
「……もしシド様やクレア様が奴らのそばにいた場合は?」
「それは……その時はベータ、貴方に任せる。私は……冷静でいられる自信がないから」
アルファの目で青い魔力が炎のように揺らめいていた。強い怒りを示すかのように。