千変万化に負けない陰の実力者になりたくて! 作:kaneda,i9
七陰が《
見た目は地味だが、堅牢な作りの馬車だ。側面には《ミツゴシ商会》の紋が描かれている。そんな時、温泉ランドに現れた局所的な嵐。御者台に座る若い女性は、それに気づき目を細めた。
「あれは……」
御者の女性は車内と会話を交わし……温泉ランドへ向かう速度を上げた。
***
その嵐は《嘆きの亡霊》の
「きゃっ……なんなのいったい!?」
「これは……万象自在の魔法!?」
ベータの横でイプシロンも驚き、足を止めてしまった。彼女はかつてこの魔法を経験した事がある。1年前の《蛇》との一件で。
しかし氷の嵐は、あの時よりも段違いに強烈だ。スライムスーツに裂傷が次々と生じている。だがイプシロンが驚いたのは威力にではない。
(こんな威力の魔法に、仲間を巻き込むなんて……!)
仲間への誤射……イプシロンも経験が無いとは言わないが、人として恥ずべき事だと認識していた。もし平気で仲間を巻き込める魔導師がいるなら……それは《ディアボロス教団》のような悪魔だろうと、彼女は思っていた。
ならルシアが放ったこの魔法はどういう事なのか? ――その答えを、イプシロンは嘲笑という形で思い知る事になる。
「足が止まってんだよ!」
「しまっ……きゃぁっ!?」
「このっ……くっ、動けない……!?」
リィズの空中2段蹴りに防御が間に合わなかった。蹴り飛ばされイプシロンの足が地面から離れてしまう。フォローに入ったベータも、嵐のせいか動きが硬い。2人を置き去りにしてリィズは跳んだ。イプシロンが着地した瞬間、リィズは上から踵を振り下ろす。
「ぐっ……ぐぁっ……!?」
イプシロンの無防備な腹に、リィズの拳が突き刺さった。
――踵落としを見たイプシロンは剣を上に構えた。だが踵は空を切り、リィズはイプシロンの眼前に着地。踵落としはフェイントだったのだ――
よろめくイプシロンを、嗤う髑髏がじっと見つめていた。そして嘲笑う声が、仮面の奥から聞こえてくる。
「あれぇ~? 隙だらけじゃん。もしかして……嵐の中で戦ったこと無いのぉ?」
「な……なんですって……!?」
顔を上げたイプシロンはリィズを睨み返すが、その目は驚愕に見開かれていた。リィズの言葉は……絶望的な事実を突きつけていた。
(今の口ぶり……彼女達にとって、これが当たり前なの……? 魔法の嵐の中で戦うことが!?)
リィズの戦いぶりは嵐の前とさほど変わっていない。平然と氷を躱している。状況を鑑みれば……言われるまでもなく答えは明白だろう。
七陰が立てた作戦は――例え《嘆きの亡霊》だろうと誤射を恐れている――その前提で考えた作戦は、最初から破綻していたのだ。
「っ……だからって! 諦めるもんですか!」
気迫を込めたイプシロンの剣は、空しくも空を切った。体を大きく反らしたリィズは、ブリッジめいた体勢に……そこに間髪入れずベータが迫る。イプシロンと挟み撃ちの状況を作った。
「もらったわ! ……えっ!?」
「後ろよ!」
「! このっ!」
「はっ! 半端な剣士だなテメエらは!」
ベータの剣も躱された。リィズはブリッジ姿勢のまま跳躍。ベータを飛び越え空中で身を捻り、2本の足で着地した。ベータが振り向きざまに放った一撃も、後退され躱されてしまう。
ところが次の瞬間にはもう、リィズはベータの目の前まで来ていた。ベータの防御は間に合いそうもない。だがイプシロンは詠唱を間に合わせた。
「『
「ちっ!」
イプシロンの魔法によって、地面から鋭利な岩が何本も出現。その全てを躱して、リィズは2人から距離をとっている。痛手は与えられなかったが……態勢を整える隙は作れた。2人は岩の物陰で肩を寄せ合う。
「ありがとうイプシロン、まだ行ける?」
「ええ。ちょっとキツイけどね……」
いつもなら強がりを言うが、その余裕すらイプシロンには無かった。状況は悪い。時間をかければかけるほど不利になっていく。
そもそもベータとイプシロンは、リィズの速さに完全な対応ができないのだ。それができるのはアルファかデルタ、あるいは……シャドウのみ。
「絶影は私達を狙ってきたし、万象自在は味方がいてもお構いなし……作戦がメチャクチャね。どうするベータ。撤退をアルファ様に進言してみる?」
「冗談を言わないで。シャドウ様が見ているのよ。逆に聞くけど……情けない姿、あなたは見せられるの?」
「そうよね……見てるはずよね……!」
シャドウ。イプシロンにとっては命の恩人であり、戦う術と生きる術を教えてくれた師でもあり、敬愛する男性だ。恋敵にその名前を出されたら、イプシロンも弱気になってなどいられない。
(嘆きの亡霊に勝つためには……もっと、本気の連携をベータとしなくちゃダメよね、きっと)
イプシロンは僅かな逡巡の後、ベータに不敵な笑みを見せた。彼女に自分が本気だと分かってもらう必要がある。そのためにイプシロンは……プライドを捨てる。
「ベータ、この戦いが終わったら……2人でシャドウ様に褒めてもらいましょ。一緒に……ね」
「い、イプシロン……!?」
ベータが面食らうのも無理はない。1人の男性を巡る恋敵にこんな提案をされたら、驚くに決まっている。
……いや、ベータの様子がおかしい。ただ戸惑っているわけではなさそうだ。青ざめた顔で口を震わせている。
「こ……『この戦いが終わったら』……!? それは陰の叡智『死亡フラグ』よ!? 死ぬ気なのイプシロン!?」
「……はぁ? ちょっ……いったい何の話よ……?」
怪訝な顔を浮かべるイプシロンだったが……彼女達は気づいていなかった。嵐が収まりつつある今、頭上高くにポーション瓶が浮かんでいるのを。
***
一方でアルファはルークの使う奇抜な技に苦戦……それ以上に疲弊していた。傷だらけなのはルークだが、表情に余裕が無いのはアルファだ。
(この男……耐久力もずば抜けてる。これなら一撃でやられかねない私の方が不利ね……)
予想不能な技に対応するための長時間の集中、そして氷の嵐への対応も相まって、アルファの精神的疲弊は重い。だがルークは容赦なくアルファに襲い掛かる。
「『飛翔斬』! おらぁっ!」
「また、わけのわからない技を!」
素早く長い踏み込みで放たれた技が、直前までアルファのいた地面を抉った。足場が崩れていけば、場所を問わないルークの剣技が有利になる。……彼がそこまで考えているかはさておき。
「『爪牙竜尾剣』! うおおおおおおぉぉっ!」
(2つに見える高速剣。本命は……どちらでもない!)
2段斬りを布石に放たれた横薙ぎの一閃、それをアルファは跳んで躱した。すかさず空中からスライムソードを投擲する。剣に回転を加えて放つ『漆黒旋・擲式』……狙うはもちろんルークだ。
「そこっ!」
「『昇破――うおっ!?」
「やっぱり対空の技! 読めてる!」
ルークが弾いたスライムソードは、当たり前のようにアルファの手に戻った。魔力で形成されるスライムソードは、手から離れてもコントロールできる。
そしてアルファは落下する勢いを乗せ、ルークの胸を深く切り裂いた。並の人間なら致命傷だろう。だがルークはすぐに反撃、予期していたアルファは距離をとって躱した。
「俺の『昇破斬』を破るとは……やるなアルファ!」
「……馴れ馴れしくしないで」
嫌悪感を露わにアルファは構え直し……不意に、硝子の割れる音を聞いた。不可解な音にアルファは目を細める。
(近い……何が割れたの?)
気にはなってもルークから視線を外せないアルファ。しかし、その視界に異変が起きる。スライム製の仮面が溶け、視界を塞ぎ始めたのだ。
「っ!? これは……!?」
狭まる視界の中でアルファは見た。スライムソードが溶けていくのを。スライムスーツも、肩や腕周りから溶ける感触がある。
「なんだよシトリーか? 余計なことしやがって……」
ルークのつまらなそうな声を聞きながらアルファは焦った。いくら魔力を送っても、スライムを操作できる気配は無い。そして気づく。顔を濡らす霧の存在に。
***
「ううぅぅぅ……んん? なんか変なのです」
「む……」
異変はデルタにも起こった。アンセムと睨み合う中……溶けだすツメのスライムソードを見て、デルタは首を傾げる。気にせず顔を上げた時、アンセムは距離を取っていた。
「あ! 逃がさないのですデカ鎧!」
「むん!」
「ふぎゃっ!?」
アンセムに飛びかかろうとしたデルタは、彼の展開した結界に顔をぶつけてしまった。デルタの仮面だったスライムが周囲に飛び散り、彼女の顔を汚す。
「うう~何するですかデカ鎧! デルタと戦うのです!」
まるで乱暴なノックのように、デルタは結界を叩き始めた。しかしアンセムは帝都で一二を争う
結界を叩いている間にも、デルタのスライムスーツは穴だらけになっていく。彼女がイプシロンの悲鳴を聞いたのはそんな時だった。
「い、いやぁぁぁぁぁっ!!?」
「……いったいなんなのです?」
怪訝な表情を浮かべながらもデルタは振り向いた。早く獲物を追いかけたいと思っていても、仲間の悲鳴を無視するわけにもいかない。デルタの目に映ったのは……リィズに足蹴にされるイプシロンの姿だった。