千変万化に負けない陰の実力者になりたくて! 作:kaneda,i9
沈む太陽が夜の訪れを告げようとする黄昏時。
片手にイータ製の魔道具を持ちながら、何も無い空中を指でなぞる。ここは【ゼブルディア魔術学院】帝都最大の研究機関の本棟だ。
「ん。ここがいいね」
ゼータはそう呟くと、
(イプシロンなら、もっとうまくやるんだろうな)
仲間の顔を思い浮かべた自分に対し、自嘲気味にゼータは笑う。これからその仲間達を裏切ろうとしているのだ。彼女達なら絶対に選ばない危険な手段を使って……
やがて、ゼータの手を中心に空間に亀裂が走る。小さなヒビが少しずつ……少しずつ、大きくなっていく。それはさながら蜘蛛の巣のように、放射状に無数のヒビが広がった。
ゼータはおもむろに両手を亀裂の中心へと差し込んでいく。そして魔力を込め、亀裂を強引に引き裂いた。ガラスが割れるように、ゼータの周囲の世界が音を立てて崩れ去っていく。
「ん……コツは掴んだ」
痺れる両手を軽く振って、ゼータは「向こう側」へと落ちていく。彼女の目的は《ディアボロス教団》が秘匿する遺跡……『聖域』だ。
《シャドウガーデン》はこれまでの調査で『聖域』に魔人ディアボロスの力が封印されている事を知った。教団がその封印を解こうとしている事も。
『永遠の命』を求めるゼータは魔人の力を欲していた。他の七陰に気づかれないように密かに調査を続け……『聖域』の1つが帝都にある事をつきとめたのだ。
かつて教団が支配していた【ミドガル王国】の士官学校に『聖域』への入り口があった事を。【ゼブルディア魔術学院】が建つこの場所が、その士官学校の跡地である事を。
そして教団の注意がオークションに向いている今を狙い、ゼータは『聖域』へと足を踏み入れる……はずだった。
「ここが聖域……?」
ゼータがたどり着いたのは、先程までいた教室だった。しかし様子が違う。埃っぽい空気、乱暴に倒れ……あるいは壊されている机、そして窓の向こうには夕焼け空では無く、どこまでも闇が広がっている。
彼女は間違いなく異界へと来ていた。
(表の世界を再現するようになってる? 手の込んだ仕掛け)
そっと息を吐き、ゼータは周囲の気配を探る。《シャドウガーデン》の諜報活動を一手に引き受ける彼女は、隠密活動にマナ・マテリアルの恩恵を傾けていた。目を閉じ、音に集中する。
5秒……10秒……1分経っても、ゼータは物音ひとつ聞く事は無かった。異界の学院は静寂に支配されている。
「……おかしい」
ゼータは訝しんだ。この異界に来てから視線を感じる。にも関わらず、待っても何の動きも感じない。念のため気配察知の魔法を使うが、そちらも反応は無い。
不審に思いながらも、彼女は行動を始めた。ここで立ち止まっていても事態は変わらない。軋むドアを開けて、廊下を見渡す。扉と窓の配置を見るに、建物の構造は表の世界と同じに見える。
(学院の構造は覚えてる。でもどこまで同じ?)
警備がいないならと、堂々とゼータは廊下を進む。もちろん周囲への警戒は怠らない。彼女がまず向かったのは上り階段。学院の様子を外側から確かめる事だった。
「これは酷いね」
屋根上に昇ったゼータは仏頂面で呟く。
異界の学院は2つの建築物が融合した、いびつな形になっていた。外観、建築様式、違う時代の建築物が重なって混ざり合っている。
特に西側がいびつだ。東側は混ざり合ってこそいないが……しかし見覚えの無い講堂がすぐそばに建っている。
「学院じゃない方が、ミドガル時代の士官学校……かな」
なぜ2つの校舎が融合しているのか……それはゼータにとってどうでもいい事だった。重要なのは魔人の力が眠る場所だ。
聖域が生まれた時代の、士官学校に眠っている可能性が高い――彼女は西側に向かおうと考え……不意に呼び止められる。
「どこに行くの、お姉ちゃん?」
「っ!? バカな……」
振り向いたゼータが見たのは、黒髪の少女だった。学院の制服を着た白い肌の少女は、両目の部分がぽっかりと穴になっていた。血の涙を流しながら、不気味な笑みを口元に浮かべている。
ゼータは躊躇いなくスライムソードを握り、恐ろしい姿の少女へ向けて振り下ろした。少女の胸を切り裂き、血飛沫が溢れる。
「!? いたッ……何するのお姉ちゃん!?」
「お前、どこに隠れていた? この距離まで私が気づけないなんて……」
少女は困惑していた。返り血を浴びながら、冷酷な目で少女を見下ろすゼータの姿に。
「わ……私が怖くないの?」
「怖いわけないだろ」
端的に言い放つと、ゼータは少女の首をはねた。だが、少女の体は霧となって消える。ゼータは手ごたえを感じなかった。
「……逃げられた」
呟きと共に気を取り直し、ゼータはスライムボディースーツを纏う。もし不意打ちされていたら――彼女は足元をすくわれたような気分だった。
警戒心を強め、西側へと向かう。そして魔術学院と士官学校への境目にたどり着いた時、彼女の足を何かが掴んだ。屋根から生えた無数の白い手が、底なしの黒い穴へとゼータを引きずり込もうとしている。
しかしゼータが軽く力を入れると、いとも簡単に脱出できてしまった。着地し振り向いた時にはもう、白い手も穴も跡形もなく消えている。
(さっきの女の子も、今のも……現れるまで全く気配を感じなかった。それがここのルール?)
この異界全体に作用する力がある――ゼータはそう考えた。珍しい話ではない。ハンターに制約を強制する宝物殿の噂は有名だ。
教団なら、似たような仕掛けを作っていても不思議ではない。ゼータは気配察知という強みを奪われてしまったのだ。
それでも彼女は歩みを止めない。歩きながら士官学校側を見渡し……西の果てに、霧に包まれている一帯を発見した。
地上に降りたゼータは、霧の中心地に向かって走る。
(何かある)
それは直感だった。この異界に来た時からあった違和感、その答えが霧の中にある。確信めいた直感にゼータは突き動かされていた。
しかし、霧の中で彼女は脚を止める。通り過ぎようとした建物から、何やら物音が聞こえたからだ。一瞬迷い、彼女は中の様子を伺う事を決断をする。
(気配は感じない……でも気配は当てにならない)
校舎の本棟から1本の廊下で繋がるその建物は、他にも出入り口があった。ゼータはその扉に近づき……腐臭に顔をしかめる。
扉の窓から中を覗くと、中にはいくつも机が並んでいる。奥にはカウンターとキッチン……ここは食堂のようだ。テーブルの上を赤黒いシミと人骨の山が彩っている。
「……悪趣味だね」
その呟きは、背後に突然現れた気配に対してだった。ゼータが振り向くと、そこにいたのはでっぷり太った大男。血に濡れた斧を右手に持ち、左手には無数の生首を繋いだ鎖を握っている。爛々と輝く目がゼータを見下ろし、分厚い唇が笑みを作る。
「お前も……オデの……獲物……」
たどたどしく喋った大男は、巨大な斧を振り下ろした。横跳びに躱したゼータの代わりに、扉が粉々に砕け散る。その威力を見てもゼータは涼しい顔を崩さない。
大男に向かって跳びかかり、そのまま頭に向かって漆黒の剣を突き出す。しかし剣は空振り、ゼータは音も無く着地した。既に大男の姿は無い。
「また逃げられた」
そう呟き、再び霧の中心へとゼータは走り出す。
増える足音を、耳元のささやきを無視し、ゼータがたどり着いたのは、小さな教会の廃墟だった。扉や柱に『聖教』の意匠が確認できる。彼女は迷いなく扉を開く。
中も荒れていた。しかしゼータの目を引いたのは正面奥……割れたステンドグラスの下にいる、先ほどの少女だ。台座に腰掛け、ゼータを見下ろしている。
「待っていたよ。リリムお姉ちゃん」
少女の冷たい声に、ゼータの顔から一切の感情が消えた。彼女はスライムソードを
「!? いきなり何を――」
抗議しようと口を開いた少女、その目前に既にゼータはいた。新たなスライムソードを少女に向かって突き出す。それは寸分たがわず少女の心臓を貫いた。もし少女が人間ならばの話だが。
「アガッ……!?」
「私はゼータだ」
「酷いよ、リリムお姉ちゃん」
串刺しになった少女が嗤い、ドロドロに溶けて消え去る。ゼータはやはり手ごたえを感じていなかった。残心し周囲を警戒する。
(私がリリムだった事を話したのは主だけ……どうして知ってる?)
「悪魔憑き」となり迫害され、かばってくれた父も母も死に、目の前で教団に弟を殺された。独りぼっちの子猫リリムは……拾われた先でゼータと名付けられた。
同じように拾われた仲間……「七陰」にもリリムの名前は伝えてはいない。知っているとすれば、その理由は1つ。
「私の記憶を視た?」
「やっぱり驚かないのね」
少女の声が耳元で聞こえた。すかさず剣を振るうが、そこには何もいない。今度は背後から声が聞こえる。
「眉一つ動かせなかったって、モンスター・ディギーはすっかり自信を無くしてしまったわ」
「記憶を視たならわかるでしょ? 私はもっと危険な怪物と戦ってきた」
「この世界どうなってるの? お姉ちゃんみたいな人はお呼びじゃないんだけど」
「……ならどうして殺さない?」
その問いかけに少女は答えなかった。この異界に来てからの違和感と怪現象、そして少女の口ぶり……彼女達は恐怖を与えることを目的としている――そうゼータは結論付けた。そしてその答えは、ここがもはや聖域では無い事を意味する。
「……私は魔人の聖域に用がある。邪魔するな」
「くすくす……似たような事を教団の人達も言っていたわ。みんな死んじゃったけどね」
廃教会の入口に現れた少女が、愉快そうな口ぶりで話す。やはり教団では無かった。今、聖域を支配しているのはもっと得体のしれない何かだ。
「私は怖がらないし、邪魔されたくない。これ以上は互いに時間の無駄」
「これを見ても同じことが言えるかしら?」
そう言って少女は両腕を高く掲げた。すると黒い霧が少女の前に生じる。周囲の白い霧の合間を縫うように、黒い霧が少女の元に集まっていく。
(これ……は……マナ・マテリアル!?)
元「悪魔憑き」のゼータはマナ・マテリアルの気配に敏感だ。黒い霧から濃厚な気配を感じ取った。同時に嫌な予感が膨れ上がる。
「やっぱり……ここは宝物殿、お前は
「そうよ。もうお姉ちゃんが何を怖がっているのかわかったもの。お姉ちゃんはここで、恐怖と苦痛にもだえ苦しみなさい。それが……ちょ、ちょっと待って!?」
少女の強気は一瞬しか続かなかった。少女が黒い霧から逃げるように後ずさる。
「なんでまだ集まって来るの……? お姉ちゃん! いったい何を怖がっているのよ!?」
少女の悲鳴が小さな教会に響いた。少女もゼータも教会から離れる。だが黒い霧の膨張は終わらない。やがて黒い霧は教会を飲み込み……1人の人間へと姿を変える。
漆黒のロングコートを纏い、フードで顔を隠す幼い少年が、屋根の上からゼータを見下ろす。それは紛れもなく《シャドウガーデン》の盟主シャドウと同じ姿をしていた。
「主……だって? 私が、主を……怖がっている?」
震える声でゼータは呟いた。一瞬だが見せた、少女の強気……あの黒い霧は切り札なのだろう。だとすればあのシャドウは……ゼータの記憶を読み取り、最も恐れる物を具現化した事になる。
(でも、確かに恐ろしい……主に剣を向けられるなんて)
「……上等だね」
強がりの言葉と共に、ゼータは鼻を鳴らした。静かに漆黒の剣を偽シャドウに向けて構える。
ここで立ち止まるわけにはいかない。本物の主のために。