千変万化に負けない陰の実力者になりたくて! 作:kaneda,i9
3階、南通路の壁にはいくつか収納スペースがある。スタッフが掃除用具や書類などを一時保管するための物だ。クローゼットほどの大きさがあり、小柄な女性なら何とか入れるだろう。
そんな収納スペースの1つに、こっそり隠れている少女がいた。暗闇の中でじっと息を潜め……扉の隙間から外の様子を窺っている。
「そろそろ……大丈夫かな……?」
シェリー・バーネットは扉に耳をあて、外の音に意識を集中する。どうやらシンと静まり返っているようだ。今なら多分大丈夫だろう。
扉を開け、キョロキョロと左右を見回し……通路を東側へと駆け出した。ローファーがコツコツと足音を立てる。
「待っててシド君、なんとかして外に伝えるから」
シドとローズの助けで脱出したシェリーはその後、じっと隠れていたのだ。彼女が目指すのは東階段。そばにあるオープンテラスから、外に連絡しようと考えている。
しかし……彼女の足音を聞きつけた者がいる。シェリー捜索に動いていたレックスだ。
「こいつは……足音! そっちか!」
レックスは飢えた獣のような笑みを浮かべる。チルドレンを引き連れ、気だるそうに階段を昇っていたが一転、戦闘態勢で走り出した。
ネームドチルドレンの身体能力は、レベル2
「テメエがシェリー・バーネットだな!」
「っ……!? いや、こないで!」
後ろを振り返り、シェリーは恐怖で顔をこわばらせた。必死に逃げる。緩やかに曲がる通路を走り抜け……角を曲がろうとしたところで、背中を斬られた。
「あっ!? うぅっ……」
「ハッ! 手間取らせやがって……」
壁にドンとぶつかり、そのままズルズルと座り込んでしまうシェリー。レックスは鼻を鳴らして攻撃的に笑う。動けないシェリーに近づき、剣をゆっくりと頭上へ持ち上げた。
「アーティファクトは、オマエを殺してから探させてもらうぜ」
「シド君……助けて……」
消え入りそうな、小さな声でシェリーは助けを求めた……その時、彼女は聞いた。ヒュンと、何かが風を切り裂く音を。
「グアァッ!?」
続いて男の悲鳴を。
「テメエは骨がありそうだな。あぁっ!」
「オマエは……まさか《絶影》か!?」
「な、何……?」
涙をこらえながら振り向くと、シェリーの目にピンクブロンドの髪を揺らす
「うわ、酷いなぁ……シトリー、治せる?」
「任せてください。これくらいすぐです」
「シトリー先輩……マスター……」
駆け寄ったシトリーがポーション瓶を取り出し、中身をシェリーの背中にバシャバシャとかけた。見る見るうちに傷が塞がり、痛みも引いていく。
「あ、ありがとうございます先輩。あの――」
「クライさん、彼女をお願いします」
「うん。任せるよ」
シェリーは礼を言う暇もなく、クライに手を引っ張られた。シトリーとリィズからどんどん離れていく。
「えっと、あの……マスター?」
「2人に任せれば大丈夫だよ」
「でも……」
気になって振り返ったシェリーは、笑顔でポーション瓶を握るシトリーを見た。瓶の中は、禍々しい色の薬液で満ちている。
***
リィズのさらなる一撃でレックスは通路を転がされ、不敵な笑みですかさず起き上がる。しかし内心では焦りと恐怖が渦巻いていた。
「どうしたの、その程度ぉ? そんな実力で私ら挑発するなんて……テメエらモグリか?」
「ハッ! やるじゃねえか……だが不意打ちで倒せなかった事を後悔させてやるぜ」
(……速すぎる。あのブーツ、宝具か? あれで加速してる……?)
先の不意打ちはかろうじて見えた。だが防御が間に合わず、重い一撃を受けてしまった。胸の痛みから考えるに、アバラが何本か折れている。リィズの人間技とは思えない速さ……それに対応しなければ勝てないだろう。
レックスは冷静に作戦を組み立てる。彼は数々の修羅場を潜り抜け、ネームドチルドレンにまで上り詰めた。戦闘能力だけではなく、状況判断能力にも優れているのだ。
(宝具の
「悪いが容赦はしねえ。……行け!」
引き連れていたチルドレンに、攻撃指示を出すレックス。彼らを囮にリィズを攻撃する……それが一番確実だとレックスは判断した。
(さあ攻撃しろ。その隙にテメエの首を――)
その時、彼はガラス瓶の割れる音を聞いた。一瞬の後……突如としてめまいや吐き気に襲われる。ふらつく足元、倒れるチルドレン達……何が起きたのか? レックスは瞬時に理解した。
(毒……ポイズンポーションか!?)
「グッ……ガハッ、ゴホッ!?」
咳き込み、剣を取り落とし、壁に手をついてしまう。体の震えが止まらない。しかし……目の前のリィズは平然としていた。後ろを振り返り、悠然と歩いて来る錬金術師、シトリーに向かって叫んでいる。
「おいシト! 私の獲物を横取るんじゃねえよ!」
「別にいいでしょ。毒を客席で使わけにもいかないし……少しくらい私にも譲ってよ」
「せっかく戦い甲斐がありそうなやつが来たのに……もうくたばってるじゃねえか!」
充満する毒の中で、リィズはシトリーと口論していた。レックスは自分が震えている理由が、毒か恐怖かわからなくなっていく。
(俺だって……毒耐性は鍛えてるはず、だ……のに……なんだ、こいつらは?)
《ディアボロス教団》の訓練カリキュラムには、当然ながら耐性強化も含まれている。その耐性を超える並外れな毒を、仲間を巻き込んで使い、しかも平然としている。それは《嘆きの亡霊》にとってはよくある光景でしかない。しかし、レックスの目には……異常に映る。
「バ……バケモノ……」
「あぁ~くそっ! この程度の毒でくたばってんじゃねぇ!」
リィズの八つ当たりの言葉を最後に聞きながら、レックスの意識は闇へと沈んでいく。
***
「クライちゃ~ん、終わったよ」
「うん、お疲れ様……どうしたのそれ?」
3階東階段すぐそばのオープンテラスで、クライは怪訝な目をリィズに向けた。彼女が引きずってきたのは、先ほどシェリーに剣を向けていた賊だ。口から泡を吹いている。
「これ? たぶん偽物の隊長。コイツ縛っただけじゃ抜け出しそうだし……クライちゃんにどうするか決めてもらおうと思ったの!」
「僕に……?」
「どうするぅ? 腕とか脚とか折る? いっそトドメさしちゃう?」
「いやいや、折るのはダメだし、トドメはもっとダメだよ!」
慌てて否定し、クライは考え込む。彼は物騒な手段を嫌っているようだ。するとそこに、会場の周囲を見回していたシェリーが戻ってきた。クライにおずおずと声をかける。
「あの……マスター。騎士団がこの会場を囲んでいます。どうにかしてこっちの状況を伝えられないでしょうか?」
「騎士団が? それなら……手紙か何か送れたらいいんだけど」
「手紙ねぇ…………あ、そうだ」
クライの言葉にリィズは何か思いついたようだ。レックスをじっと見ている。毒の後始末をしていたシトリーも、ちょうど戻ってきた。
「クライさん、お待たせしました」
「シト。外に状況伝える手紙、書いて」
「……急に何? お姉ちゃん」
「クライちゃんが、外の騎士団に伝えたいんだってさ」
「本当ですかクライさん?」
「うん、この会場の周りにいるみたいだよ」
「わかりました。クライさんの名前を借りますね。シェリーちゃんも話を聞かせて?」
「は、はい」
「あ、でもクライさん。『本物』についてはどうしましょうか?」
「えーっと……当たり障りの無い感じで頼むよ」
――そして、完成した「手紙」の胸ぐらをリィズが掴みあげる。
***
オークション会場の占拠、その騒ぎを聞きつけた帝国第3騎士団は会場を包囲し……それ以上動けずにいた。
参加者を人質に取られ、会場前広場から入口の賊と睨み合う事しかできない……そんな膠着状態を揺るがす、一石が投じられる。
陣形を崩し騒ぐ騎士達に、団長のアイリス・ミドガルが駆け寄った。状況を確認すべく、近くで考え込むアレクシアに話しかける。
「アレクシア、いったい何事ですか?」
「アイリス姉様。それが……あの男が落ちて来たんです」
「落ちて来た……? いったいどこから」
「……会場から、としか考えられません。この辺りで高い建物はアレだけです」
崩れた陣形の中心には、黒づくめの男が横たわっている。それは偶然なのか……会場を占拠した賊と似た格好だ。あからさまに怪しい男が、青ざめた顔で痙攣を繰り返している。
彼に対するアイリスの視線は険しい。そのまま近くの部下に指示を出す。
「……彼に回復魔法を、ただし拘束した後でです。賊の一味かもしれません」
「はっ!」
そして、騎士達が男を運ぼうとした時……アレクシアが、それに気づいた。
「これは……手紙? ……っ!? アイリス姉様! 背中に……千変万化からのメッセージが貼り付けてありました!」
「なんですって!?」
(さすがと言うかなんと言うか……こんなデタラメな方法で連絡してくるなんて)
アレクシアが見つけた手紙には、賊がシャドウガーデンを名乗った事、貴賓席を占拠されている事、その貴賓席を解放する準備をしている事、その3つが書かれていた。読み終えたアイリスは怒りの眼差しを男へと向ける。
「シャドウガーデン……お前達の目的は何なのですか……!?」
先日の帝都襲撃に引き続き、大事件に関わる謎の組織《シャドウガーデン》。帝都の治安を任された身として、アイリスは義憤に駆られていた。