千変万化に負けない陰の実力者になりたくて! 作:kaneda,i9
リンドブルム――《聖教》の聖地の1つとして数えられているその場所は、女神ベアートリクスが降臨した地だとされている。
立派な大聖堂がそびえ、白を基調とした美しい街並みには船で移動できる水路が張り巡らされている。そして街の中心には『女神の試練』の会場となる円形競技場が存在感を放っていた。
しかし最も特徴的なのはその立地だろう。三方を切り立った崖に囲まれ、もう一方は巨大な湖を擁する人口の崖……ダムに塞がれている。例えるなら、フライパンのような形をしているのだ。
そしてこのリンドブルムのどこかに聖域――魔人ディアボロスの左腕を、英雄オリヴィエが封じた地――があるとされている。
そんなダムと崖に囲まれた市街地は今、観光客で賑わいを見せていた。一年に一度のイベント女神の試練を目当てに、腕自慢も遠方より集っている。だが、街の活気の陰で密かに動く者達もいた。《シャドウガーデン》である。
「――ありがとうございます……! 今度の新刊も絶体に買いますから!」
「これからも応援の程、よろしくお願いいたしますね」
街角の本屋の入り口に黒山の人だかり。そこで行われているのは新進気鋭の作家、ナツメ・カフカのサイン会だ。銀髪青目で泣き黒子がチャームポイントの
なりすましの変装? 違う。ナツメ・カフカはベータの表の顔だ。この名前でデビューしておよそ2年……彼女は多くの文学作品を発表してきた。『吾輩はドラゴンである。名前はまだない』『ロメオとジュリエッタ』『シンデレーラ』『紅ずきん』などなど。その多くは、シャドウが語った物語をベースにしている。
それはかつて、眠れぬ夜を過ごしていたベータを勇気づけた物語。命のやり取りに神経をすり減らしていた彼女に与えられた光明。空想の力に救われたベータが……情報収集のためとはいえ、作家の道を志すのは必然だったのかもしれない。
「ナツメ先生、お会いできて光栄です。その……サインの隣に私の名前も書いていただけませんか? 私は――」
「ご存じですよ、オリアナ国の王女様。あなたのような方にまで読んでいただけてるとは……こちらこそ光栄です。今回の女神の試練、私も来賓として招かれているので、一緒に楽しみましょう」
本隊と別れ、ナツメ・カフカとして会場に潜入する……それが今回の作戦におけるベータの役目である。作家としての名声さえも《ディアボロス教団》と戦うための手札の1つに過ぎない。サインを書きながらも、ベータの胸中にあるのは、打算。
(王女さえ魅了する物語……さすがシャドウ様。これはガーデンにとって好都合ですね)
心からの喜びを顔に出すローズに対し、ベータは作り笑いで彼女を見送る。彼女はナツメ・カフカである前に《シャドウガーデン》のベータなのだ。
ローズ王女が去った後もサイン会は続き……終了時刻が近づいた頃、ベータはとある参加者を前に目を細めた。それは黒髪の少女。《
「お、お願いします!」
(どうして彼女がここに……まさか
警戒心を強め、それとなく周囲を見回すベータ。《嘆きの亡霊》が来る可能性は低いと作戦前は判断していた。が……0とは言い切れない。しかしベータは嘆きの亡霊メンバーを誰も見つける事は出来なかった。万年筆を片手に今の状況を考え込む。
(彼女はソロハンター、1人で来ててもおかしくはないわね。単純に考えるなら『女神の試練』が目的なんでしょうけど……少し、探りを入れてみましょうか)
「……はい。応援ありがとうございます。ハンターのようですが、読書が好きなんですか? 珍しいですね」
「いえその……ここに来る途中、駅でたまたま買ったんです。暇つぶしのつもりだったんですけど、ものすごく面白くて……ファンになっちゃいました」
「楽しんでいただけたようで何より…………おや? 違ってたらすみません。もしかしてあなたは《
「!? え、はい! 私を知っているんですか?」
「よかった、正解でしたか。私、帝都で活躍するハンターの噂は逃さず覚えるようにしているんです。
「私……噂になっているんですか? ちょっと恥ずかしいです……」
ベータが自身の著作『チャーロック・ホームズ』めいた推察を披露すると、ティノの驚いた顔が照れ笑いへと変わる。それを見たベータは心の中でほくそ笑んだ。会話を続けながらサインを書き始める。
「あの嘆きの亡霊の弟子になり、厳しい試練を何度も課されている――と聞いています。いったいどんな試練なんでしょう? 聞いてみたいと思っていたんですよね」
「…………ひ、一言で説明はできません。ますたぁの試練はいつも予想外で、限界ギリギリを見極めた厳しさで……正直、恐ろしいとさえ思います」
(そう簡単には教えてくれませんか)
「ところでティノさんはどうしてここに? やっぱり女神の試練が目当てでしょうか」
「ええと……一応、そうです」
「……もしかして嘆きの亡霊の皆さんとご一緒だったりとか」
「いえ、友人のハンターと2人で来ました。ますたぁ達はその、事情があって来れなくて――」
「よし!」
「え?」
思わず歓喜の言葉が漏れていた。しかしすぐにベータは我に返り、急いで笑顔を作り直す。
「……嘆霊は前回の女神の試練に参加し、それが原因でトラブルになった。そうですね?」
「はい。それより今、よしって――」
「彼らの戦いを見られないのは残念ですが……ティノさん、女神の試練、頑張ってくださいね」
「はぁ……ありがとうございます」
サインを書いた本を突き返し、ベータは半ば強引にティノを見送った。ちゃんと誤魔化せただろうか?――なんて考えようとした瞬間、ベータはティノに近づく1人の少女に目を奪われた。
「ティノさん」
「ミリア、待たせてごめんなさい。さ、行きましょう」
(ティノ・シェイドと行動を共にする白髪のハンター……もしかしてガンマの言ってた――)
***
リンドブルム内にある《シャドウガーデン》の活動拠点にて。金髪碧眼の精霊人が眉をひそめていた。彼女はアルファ。盟主シャドウに代わり《シャドウガーデン》を取り仕切る、七陰の第1席である。
「アルファ様。何かあったのですか?」
「……貴方も見ればわかるわ」
七陰の第5席イプシロン――碧い髪を左右に纏めた精霊人に、アルファは1冊の本を手渡した。それはナツメ・カフカの処女作『The Eminence in Shadow』である。イプシロンが開いた内表紙にはナツメ・カフカのサイン――ではなく、ベータからの暗号文が記されていた。その文面を見てイプシロンも眉をひそめる。
『
ティノ・シェイドと遭遇。嘆霊は来ない。白髪の少女と行動を共にしていた。
しかしシャドウ様は発見できず。
』
「……こちらでもシャドウ様を発見できませんでした。少し残念ですが、いらっしゃらないのかもしれません。何か有事があったのか――」
「それとも私達に任せたか、ね。それならそれで構わないわ。でも……白髪の少女については確認する必要がありそうね」
「アルファ様……やはり、その少女は帝都でアルファ様が見た実験体なのでしょうか?」
「それを確かめるのよ」
そう口にし、市街を見渡すアルファの顔は険しい。その少女について知らされたのは帝都を出発する直前の事だった。
偽シャドウガーデン騒動の最中、盟主シャドウが1人のハンターを「悪魔憑き」とみなした――と。そのハンターの特徴が、アルファが倒したはずの実験体と同じだったのだ。
(もし治療の必要があるなら急がないと。悪魔憑きだと知られれば……面倒な事になる)
《シャドウガーデン》が打倒《ディアボロス教団》を掲げるのは人生を狂わされた悪魔憑きの救済のため。その理念から悪魔憑きの保護と治療も積極的に行っている。当然、件の少女も保護対象だ。接触を急ぐなら、このリンドブルムにいる内だろう。
しかし……その少女の隣にティノ・シェイドがいる。最悪のタイミングだ。
(千変万化は……この状況を想定していたというの? 私達がここにいて、彼女との接触を狙うであろう事を?)
アルファの脳裏をよぎるのはクライ・アンドリヒのとぼけた顔。ミリアを利用し、ティノを通じて《シャドウガーデン》の情報を手に入れる算段なのだろう。悪魔憑きを救うかシャドウガーデンの情報を守るか、そんな2択を迫っている。まさに神算鬼謀。
険しい顔を見せるアルファは、胸の内で驚愕……戸惑い……そして強い反感を抱いた。
「奴の思惑がどんな物でも……私達はそれを乗り越えなければならない」
「……アルファ様?」
「作戦で急いでいたとはいえ、帝都で実験体にされた子をを放置したのは私のミス。だから彼女の件は私に任せて、貴方は先に準備を進めなさい。夜までには戻るから」
言うが早いかアルファは、賑わう大通りへと繰り出す。普段より少しばかり速い足取りで。