悪魔は蔓延るクソみたいなこの世界だが、別に終末もののようにバケモノが至る場所あちこちに蔓延り、人類の住む場所が無くなっているわけではない。
悪魔がいる事を除けば、人間達は都市を築き、己の仕事に打ち込み、家事をし、趣味を楽しみ…普通に生活を営んでいた。その普通の生活の中に潜む危険の一つとして悪魔がいる、というだけだ。
それはここ東京でも変わらない。
「私は憂いています、この国の未来を、この地球の将来を」
「ああーっ、シャブをくれぇ、何でもするから…俺はシャブ無しでは生きていけないんだあっ」
「俺なんて手を動かさずに金玉を動かす芸を見せてやるよ」
「どけハウエル、まず俺が頂く。ククク有り難く思いな、その薄汚えプッシーに俺のご機嫌なコックをぶち込んでやるぜ」
人々が街を行き交う中街頭演説をするカルト宗教のトップ、クスリを求める死んだように生きるクズ、手を動かさずに金玉を動かす芸でナンパしようとする男、レイプッを働く警官…
悪魔がいることなど嘘かのように人々は己の生業に励んでいる。
取り敢えず今日も東京はいつも通り平穏であった。
そんな平穏な日の昼下がり、一人の少年が街中を歩いていた。
少年の名はデンジ。
公安のデビルハンターである彼は、日常を送る人々を余所に一人歩いていたが、やがて都内の一角にある小さな喫茶店『二道』のドアの前で立ち止まる。
コーヒーを嗜む趣味があるわけでも、二道に何か思い入れや有名なものがあるわけでもない。彼がこの喫茶店に来たのは、つい先日電話ボックスの中で偶然出会った少女レゼからのお礼が目当てだった。
…そう、あくまでお礼が目当てだ。別にレゼのことが気になったとかではない。彼の心は上司であり恩人であり、そして想い人である女性マキマだけのものだと決めている。だから、これはレゼに惹かれたからではなくお礼が目的なのだ…そう言い聞かせながらデンジは二道のドアを開けた。
チリン、と響くドアの鈴音と共に店内を見渡す。思った通り小さな店内に並ぶ椅子とテーブル、カウンターとそこに居座るマスター、空調機…何の変哲もない普通の喫茶店だ。だからなのか、その一角に座る一人の中年男性が目に入った時、何故だかデンジは彼の事が少し気になったというか、印象的だった。
5、60歳程に見える外見、鼻の下の口ひげ…見た感じは温厚そうな普通の中年男性だ。敢えて言うなら累計1000万部の格闘漫画を描いていそうなその男は既に空のコーヒーカップ傍らにノートに何かを描いている様子だった。男は鈴音にペンを持つ手を止め、デンジの方を向いた。
「おーっ、お客様が来とるやん。こんな時間に珍しいのぅ」
「あ、ども…」
軽く会釈をして窓際の席に座るデンジ。
小さな目立たないこの店だ。正直言って、デンジのような少年が来るのは負釣り合いと言うか、珍しい事だ。だからなのか男はデンジに興味ありげに話し掛ける。
「ボクゥ?あんまり見かけない子やね?喫茶店巡りが趣味なのん?」
「あー…別にそういうわけじゃなくて、お礼貰いに来ただけで」
「お礼?」
男が首を傾げるとドアを開ける音と共に、店の奥から一人の少女がエプロンの紐を結びながら出てきた。翠眼が特徴的なこの美少女の名はレゼ。最近二道に雇われた、この店の看板娘でありつい先日デンジが偶然出会った少女。あの時、電話ボックスで渡した花を嬉しそうに手にした時の彼女笑顔がデンジの脳裏に浮かんだ。
遅れてやって来たのであろうレゼに、マスターはコップに水を注ぎながら口を開く。
「遅刻した分給料から引いとくからね」
「ケチ〜」
「4番テーブルにお水ね」
「ケチケチケチケチ…って、早〜!?え〜!?私より早く来てたでしょ!」
随分可愛らしい声で文句を言いながら振り向いたレゼとデンジの視線が合い、レゼが驚きの声を上げる。
「まぁ、お礼貰いに来ただけだし」
「ん〜?一緒に飲みますか〜。へいへいマスター!私と彼に冷コ二つ!」
「…店員でしょアンタ…」
意味深に笑いながらデンジの隣に座ったレゼは、図々しくマスターに注文をする。当然の反応を返すマスター。
「えー、良いじゃないですか〜。どうせモーニングの時と猿沢さん以外にお客来ないんだから。ね、良いでしょ猿沢さん」
「ったく、しょうがねえなプライベートで飲んでる時に…何でもいいですよ。店員が飲んじゃいけないっていうルールはないしな(ヌッ」
「も〜」
唇を尖らせて抗議するレゼと、それに巻き込まれて苦笑する隣席の中年男性、不承不承コーヒーを淹れるマスター。レゼの一つ一つの動作にデンジは思わず可愛い…と思ってしまう。ついでにデンジはこの中年男性が猿沢という名であることも知った。様子からして常連なのかもしれない。
そうこうしているうちにデンジの前に冷コ…アイスコーヒーが置かれた。
「お礼はコーヒーでした〜。コーヒー好き?」
「飲む。…うぇ…」
ストローで一口含み、舌を出して顔を顰めるデンジ。お気に召さなかったのは明らかだ。ブラックの味は彼にはまだ早かったようだ。それともマスターの腕前がチンカスだったのか…
悲しそうにするマスターの目の前で不味そうにするデンジの様子がそんなに可笑しいのか、レゼは面白そうに笑う。
「アハハ、何その顔〜?」
「だってよォ~超苦いじゃん?ドブ味を超えたドブ味だよ!」
「コーヒーって苦いでしょ?人生の味よね」
隣席の猿沢もゲラゲラ笑いながら会話に加わる。
「いやぁ、若い男女が仲良くしてるのは青春って感じでエエのぅ…もしかしてこの看板娘が目当てで来たタイプ?だとしたらワシ…めっちゃ応援するでっ」
「えっ、そうなの?もしかしてあの時花をくれたのもナンパのつもりだったタイプ?だとしたら結構キザな奴だな君は~」
「え!?ち、ちげーよ、あれはただ、あの時なんか…」
「あっ反応があった、やっぱり本当の事言われたら恥ずかしいんだな〜」
猿沢の言葉を受けてデンジをからかうレゼと、慌てるデンジ。まさに青春の一幕と言うべきか。それにしてもさっきからレゼは出会ったばかりのデンジと随分物理的にも精神的にも距離が近いように感じる。元々そういう性格で人懐っこいだけなのか、それとも…
「私の名前、レゼ。キミは?」
「…デンジ」
「デンジ…デンジ君」
そういえば二人はあの時の電話ボックスではまだお互いに名乗っていなかった。互いの名を知ったレゼは少年の名を繰り返し、笑みを浮かべた。
「デンジ君みたいな面白い人、はじめて」
「…ふ〜ん」
デンジは内心焦り始めていた。
デンジは自分のことを好きな人が好きだ。そして目の前のレゼは多分…いや、確定でデンジのことが好きだ。俺には心に決めた人がいるのに、俺の心はその人のものなのに…
——助けて、マキマさん
デンジは心の内で想い人に助けを求めていた。
——俺、この子好きになっちまう
デンジは自覚が無いだけで恐らく…いや、間違いなく恋に落ちていた。
その事が分からず、戸惑うデンジは助けを求めるように視線を隣席に移していた。
視線を向けられた猿沢もデンジに向かってからかうように笑った。
「おっワシのこと見てどうしたんや、オッサンの顔なんか見ても何も楽しくないで」
「あ、この人は猿沢さん。ここの常連さんなの」
「ブヘヘどうも猿沢哲一です。民間デビルハンターやってます」
なるほど、デンジの同業者だったのか。
デンジはふと猿沢の手元に目線を落とした。
手にはペンが握られ、ノートには絵が描かれていた。その絵を見てデンジは思わず声を上げた。
「上手っ、でも…うめーよ」
そこには様々なポーズを取る人間や動物、この喫茶店のマスターやレゼの顔等々が描かれていたのだが…それらは非常に高いクオリティで描かれていた。高い写実性、生きているかのような躍動感、迫力…諸事情あって無学なデンジでも猿沢の持つ画力が凄まじいものであることは直ぐに分かった。もし知っている者が猿沢の絵を見たら「うあああ、某漫画家のような高クオリティで練り描かれているっ」「ウアアアーッ、モンキー・クオリティイラストダーッ、助ケテクレーッ」と廊下を練り歩いただろう。
「でしょ?猿沢さんはね、趣味で絵を描いてるんだけどすっごく上手いんだー」
「ウム…絵描きなら誰にも負けない自信があるんだなァ。恐らく最も画力の高いデビルハンターとしてお墨付きを頂きたい。よし、それじゃ企画変更して君たち二人の絵を描こう…無料(タダ)でね」
「え、マジで!?」
「仲睦まじく青春する男女なんて久しぶりに見たからね!是非とも描きたくなったのさ!ムフフフ、デビルハンターとして動くのはお外で、ここでは漫画家に変身するの」
ペンをグッと握り二人の向き直る猿沢。
暫くの間、二道の店内はペンを動かす音や語らう三人の声が響き久々に賑やかになった。
◇何が始まる…?