今日もデンジは喫茶店「二道」のドアの前に立っていた。
ドアを開ければすぐに見知った顔が目に入る。
カウンター内で新聞を読む二道のマスター、窓際の席に座って勉強をするレゼ、そして…
「おっ、猿先生じゃん。今日も絵ェ描いてるんスか?」
「おーっ、デンジ君やん。今日もレゼちゃんが目当てで来たんだろボクゥ?」
「い、いやメシ食いに来ただけっスよ」
猿沢の言葉に目が泳ぐデンジ。明らかに図星なのだが、猿沢はそれ以上からかうことはしなかった。そのまま席に座ったデンジに今度はレゼが声をかける。
「毎日来るほど美味しい?ここ」
「旨いよ」
「美味しいよ…」
レゼのからかいに答えるデンジと抗議の声を上げるマスター。
デンジはメニューを開き次々と注文する。
「えーっと…カレーに…チャーハンだろ…宮沢家特製スペシャルライスに…あとアイス!」
「はいよ」
デンジの注文を聞いてマスターは冷蔵庫から材料を取り出し調理に取り掛かる。久しぶりの新しい客、多くの注文に手を動かすその様子はどこか嬉しそうでもある。
「しかしびっくりしたのォ、デンジ君がワシの同業者やったなんて。その歳でデビルハンター、しかも公安所属と聞いたときは流石にビックリしましたよ」
「そうそう、16歳で学校行かずにデビルハンターなんて珍種だよ珍種」
「そういうレゼだって学校行かずにこんな所で働いてるだろー、しかもバイト中に勉強してるし」
「あっ、言ったなー。それじゃあ一緒に勉強しますかー」
レゼはそう言うと自然な様子でデンジのすぐ隣に座った。
開かれた教科書やノートをを見ながらデンジは呟く。
「勉強かあ、漢字は読めるようになりてーな」
「えー、デンジ君漢字読めないの?」
デンジの言葉に驚くレゼ。この場にいる人間は知る由もないがデンジは哀しき過去…のために義務教育というものを受けたことがない。だから、同年代の人間が持ち合わせている常識や一般知識は生憎持ち合わせていないのだった。
そんなデンジにレゼはノートに何か書くとデンジに見せる。そこにはでかでかと『金玉』と書かれていた。
「それじゃあ問題!この漢字は何と読むでしょう?」
「『きんたま』だろ?」
「漢字読めるじゃん」
「唯一金玉だけ読めるんだよ…そういやなんかここに来る途中手を使わずに金玉を動かす芸で女ナンパしようとしてた奴がいたな…すぐ警察にお縄になってたけど」
「アハハ!なんじゃそりゃ!」
ゲラゲラ笑うレゼ。そんな彼女をデンジは改めて可愛い…と思ってしまう。
俺の心はマキマさんだけのもののはずなのに…
デンジは明確にこの目の前の美少女に惹かれていることを自覚していた。そのことが恥ずかしく思ったのか、あるいはマキマというすでに心に決めている人がいながら別の女性に惹かれていることへの罪悪感か、デンジは話題を逸らそうと話を振った。
「そーだなー…漢字読めるようになりてえし…猿先生みたいに絵もうまくなりてえなあ」
「おっ、デンジも絵に興味あるのん?」
話を振られた猿沢が嬉しそうな様子を見せた。
あの日で会って以来、デンジは猿沢のことを猿先生と呼ぶくらい、親密な関係になっていた。
様々な絵が描かれた猿沢のノートを見ながらデンジは言う。
「俺、絵のことはよく分かんないけど…猿先生の絵見てると本当に上手いなーって思うんスよ…なんていうか、ただの絵じゃないっていうか、まるで生きてるみたいっていうか…」
「ムフフ、そう言ってもらえると嬉しいのん。まあ俺より絵上手いやつ知ってるけどね!」
「ていうかなんでそんなに絵上手いんスか?」
「もちろんデッサン、極限までデッサン」
猿沢は相変わらずノートの上にペンを走らせながら言う。手を動かすたびに紙面に無数の線が引かれ、それらは面となり、やがて一つの作品となっていく。
「どの世界にも通じることやが…地道な練習や経験の積み重ねが技術の向上につながっていく!ひたすら練習を繰り返し場数を踏むことで上手くなっていくんだ、技術が深まるんだ」
そう言いながら出来上がったのは微笑を浮かべる女性の絵。世界的に有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」だ。
「あっそれ俺も知ってる!確か世界一有名な奴だろ?えーっと、えーっ…」
「モナリザ、だよデンジ君」
「そうそうモナリザモナリザ!俺もそれぐらい上手くなれっかなー」
「はい!一生懸命練習すれば私よりうまくなれますよ!」
画力の高さに改めて感嘆するデンジとレゼ、ニコニコと笑う猿沢。
「さっきも言ったように練習や経験の積み重ねが技術の上達や強さにつながるんや。絵も…デビルとしての強さも…そしても男女の恋もね。と、いうわけで…」
猿沢はノートをぱたんと閉じると二人に提案をする。
「どうや、折角やから明日三人で美術館にでも行ってみんか?もちろんお代はめちゃくちゃワシが持つ。経験の積み重ねってやつや。こんな可愛い女の子と知り合いになれたんや、デートしたいやろ?」
「で、で、デート?」
「えーっ、こんなおじさんと一緒じゃデートとは言えないし楽しくないですよー、忌憚の無い意見ってやつです」
突然の提案にデンジは驚き慌て、レゼは頬を膨らませる。が、レゼの方はすぐに意味ありげにデンジの方に笑顔を向けた。
「あっ、でもデンジ君みたいな面白い人と一緒ならやっぱり楽しいかな?美術館なんて初めてだし…どうする~デンジ君?」
「…行く」
答えるデンジ。デンジの中ではかなり葛藤していたつもりだったが、外部から見ればレゼに聞かれて答えるまでの時間はかなり短かったことは言うまでもない。
「あのう、肛門見せましょうか?」「あのうオチンチン見せましょうか?」
「オチンチン見せて」
「オマタちょっと触るだけだから…お…お小遣いあげるしねっ…ねっ」
「男もいけるしな(ヌッ)」「やめろオオ」
東京都内のとある公園。
自らの肛門や性器を見せようとする異常者、男児や幼女を狙う異常性愛者、男を今まさに掘ろうとする総合不良…
悪魔がいなければこのように、各々がそれぞれ己の営み、日常を送っているのが都内の風景だ。
今日も東京は穏やかで平穏であった。
その公園のベンチに三人…正確には二人と一体が居座っていた。
「⋯もうこんな時間だ。早くパトロールに行くぞ」
そのうちの一人、公安所属のデビルハンター早川アキは、目の前のベンチに座りは気怠そうにアイスを食べている人間にそう言った。
⋯いや、人間ではない。その事は彼の姿を見れば一目瞭然だった。女と見紛うような美しい容貌、背中には巨大な翼を生やし、頭上には光りの輪が浮かんでいる。気怠そうな様子が彼の美しさをさらに際立たせているような気がした。初めて見る者ならば間違いなく天使と思うだろう。だが、生憎実際にはそのような慈愛あふれる存在ではない。彼は人間ではないが、見た目通りの天使でもない。
天使の悪魔。
早川アキの新たなバディである。
「⋯今日はもうどこにも行きたくないなぁ⋯もう疲れっちゃたよ。ちなみに食べるのにも体力使うらしいよ」
天使の悪魔はアイスを舐めながら、アキを見ることなく言う。
「⋯もう三つも食べただろう」
呆れたようにため息をつくアキ。
「銃の悪魔の討伐遠征が近い。それに参加するために、もっと悪魔を倒して成果をあげる必要がある⋯そのためにもお前に働いてもらう必要がある」
「うーん⋯もう一個アイス食べて考えるってのはどう?」
アイスを舐めるのをやめ、提案する天使。
そんな彼にアキは片足をドサリとベンチの上に置き、天使の眼前に迫る。
「⋯立て。お前が使えないことを上に報告すれば、お前も悪魔として処分されるぞ」
「処分かあ、そういえばそういう話だったね。どうせならさっさとそうして欲しいよ⋯あーあ、早く死にたいなあ」
若干ドスを効かせ、半ば脅すような様子のアキ。しかし天使は脅えるどころか全く態度を変えることはなかった。
「アキノ言ウ通リヤンケ、サッサト働ケヤンケ、セメテアイス三個分ハ働ケヤンケシバクヤンケ」
そこへ明らかに場違いな、機械音が響く。
見れば二人の直ぐ側に一体のロボットが立っていた。
比喩などではなく本当にロボットだ。
頭部の単眼のカメラ、金属の骨組み、各所から覗いて見えるケーブル⋯
ロボットの名はトダー。もう一人の、アキの新たなるバディだ。
「働カザル者食ウベカラズヤンケ」
トダーの声を聞くアキの脳裏には、初めてトダーと天使を紹介された先日の出来事が思い浮かんでいた。
〜数日前〜
「4課で岸辺隊長の次に強いのは彼だよ。怠け癖が無ければの話だけどね」
庁舎の庭に立つアキとマキマ。
二人の視線の先には、庁舎内で何か会話をしている同居人である血の魔人パワーと天使の悪魔、そしてトダーの姿があった。
「彼、元いた村の住人を全員殺してしまったの。正確には寿命を吸い取った。吸い取った寿命を武器に変えるのが彼の能力⋯そうして生み出された武器には幽霊や見えないものを斬ることが出来たり、色々な力が宿っている。早川君が持っている刀も天使君の能力で出来たものだよ」
淡々と天使の悪魔の説明をするマキマ。
その彼がバディとなるわけだが、元来(多くのデビルハンターがそうだが)悪魔に対し憎悪を抱くアキは釈然としない。
「⋯悪魔とうまくやっていく自信がありません。それに⋯」
アキは視線をトダーの方へ移す。パワーの言葉に何やら困惑するような、引いているような様子の天使に対し、トダーは首を傾げていた。庁舎内なので何を言ってるかは分からないが⋯
「あのロボットは、一体⋯何なんですか?」
アキの至極真っ当な意見。
それはそうである。悪魔との戦いで多くの悍ましいもの、この世ならざるものは見てきたが、デビルハンターにロボットというのは明らかに場違いな光景である。しかもそいつは人型で喋る上に、明らかに高性能だ。そんな代物にアキは戸惑いを隠せずにいた。
「彼⋯と言うべきなのかな。名前はトダー。米軍が開発した対悪魔用ロボットです」
アキとは対照的に驚いた様子も無く静かに説明するマキマ。
彼女によれば、デビルハンターの死傷率の高さに頭を悩ませた米国が最先端の科学技術を結集して作成したロボットだという。悪魔と十分タメを張れる性能を持つ、米軍御自慢の最先端兵器らしいが⋯
「実地試験や戦闘データの収集の為に、在日米軍から、ここに派遣されることになったの。圧力があったのか、逆に上が要望したのか分からないけれど⋯」
「一応の事は分かりましたが⋯どうして自分の所に?」
「早川君なら上手く彼の事を使いこなせるかなって。デンジ君やパワーちゃんとバディを組んで上手くやってるでしょ?それならロボットもいけるかもしれないと思って」
「上手くやってませんよ。今朝も殴り合いの喧嘩してました」
アキは三人から視線を外し、僅かに下を向く。
「⋯とにかく、上手くやっていく自信がありません。悪魔とも⋯あの妙ちきりんなロボットとも」
「別に本当に仲良くする必要はないよ」
未だ釈然としないアキにマキマは再び口を開く。
「フリでも良いから仲良くしてみなよ。お互いの利益になるように振る舞えば⋯銃の悪魔の討伐に参加したいんでしょ?」
そう言ってマキマはアキに微笑むのだった。
「ホラ、早ク立ツヤンケ、三ツモアイス食ッタンヤシ食後ノ運動スルヤンケ」
回想を終え、改めて眼前の光景に目を向ければトダーが天使の手を掴み引っ張り上げている。
「痛た⋯はぁ、分かったよ⋯全く、これだからロボットは⋯」
天使は溜息をつくと、アイスのコーンをゴミ箱に投げ捨てて気怠そうに立ち上がった。
三人がパトロールに向かって歩き出す中、アキは天を仰いだ。
マキマさんはああ言ったが、やっぱり上手くやっていく自信がない。
憂鬱なアキや、天使にロボットなど知ったことかと空には雲がたなびき、街は平穏を保っていた。