ニューコロロ空中庭園にあるエリアの1つ『練武郭』。
その一角にある地下迷宮型の訓練場にて。
1人の女軽戦士が、息を切らして、必死になってその通路を疾走していた。
「無理無理無理無理無理無理! 死ぬ! 死ぬ死ぬ死ぬって!」
その女戦士……クレマンティーヌは、一瞬だけちらっと後ろに視線をやる。
まだ追ってきている。迷宮の通路を埋め尽くすほどに巨大なダンゴムシのようなモンスターが、その多足をわしゃわしゃと動かしながらこちらに向かってきていた。
体の前面にいくつもついている複眼は、怒りを表す赤に染まり。暗闇の中で光っている。
(ちくしょぉおおぉっ! 何でよりにもよって落とし穴に、しかも下の階層に落ちる系の奴に引っかかったんだ私のバカぁ! ここ明らかに私が来ていい階層じゃねーよ! てか何で虫なのにあんな足速い……私これでもスピード自慢なんだけど!? 結構全力で走ってるんだけどぉ!?)
クレマンティーヌは、元は法国の特殊部隊『漆黒聖典』に所属していた戦士であり、その実力は……レベルにして40近くになり、『英雄の領域』に足を踏み入れた強さを持っていた。
この世界においては、『神人』などの一部の例外を除けば、人間としては最強クラスであると言って差し支えない存在だった。
その事実に加えて、生来の嗜虐趣味的な性格、さらに、自分以上に優秀な兄と比べられ続けた結果として、傲慢不遜で自信過剰、それでいて残虐な性質を持った、一種の『狂人』になっていた。
しかしそれも……
「だぁぁあああぁぁっ!」
走り続けてさすがに息が切れてしまったが、今ここで止まれば、後ろから来る巨虫にひき潰される未来しかない。絶叫しながら足を動かし続けたクレマンティーヌは……幸運にも、前方の壁に、小さな横道が開いていることに気づくことができた。
最後の力を振り絞って加速し……そこに差し掛かると同時に、直角に跳んで横道に飛び込む。
間一髪、後ろから迫っていた巨虫が入って来れない、狭い通路に飛び込み……難を逃れることができた。
少しの間警戒していたが、どうやらそのまま走ってどこかに行ってしまったようだ。通路の外で待ち伏せしているような気配も、特にない。
気配から『もう大丈夫だ』と判断し、安心したクレマンティーヌが、ほっとして息をついた……その瞬間、
―――どすっ
「……は……?」
彼女の胸を……背中から、人間の腕ほどもある巨大な、棘のような何かが貫いた。
自分の胸のちょうど谷間から、赤い血にまみれた巨大な尖った何かが生えているのを、どこか他人事のように、きょとんとして見ていたクレマンティーヌ。
貫かれて『痛い』より先に、『熱い』と、肺を潰されて息ができず『苦しい』が襲ってきている中……口からガボッ、と水音を立てて、血があふれて胸をさらに赤く汚した。
たっぷり3秒ほど経って、『熱い』が『痛い』に変わったか変わらないかというところで……クレマンティーヌの意識は、暗闇に沈んだ。
彼女は、死亡した。
―――ぱきん!
そして、蘇生した。
「―――ぅえっ、ほ……げほっ!? ごほっ!? ぅあ……あー、死んだ……!? 死んだ私!? 何で!?」
胸に空いた大穴は、何もなかったかのように塞がっている。
体だけでなく、身に着けていた防具すら――一緒に貫かれて大穴が開いていたのだが――修繕されて元通りになっている。
しかし、息苦しさと、口の中に残った血の味は消えていなかった。
むせかえりながら、クレマンティーヌが周囲を見回してみると……
「なん、この……サソリ?」
逃げ込んだ狭い通路の先に、さっきまではいなかったはずの、人間ほどもある大きさの……蠍のような魔物がいた。
その特徴的な……巨大な針がついた尻尾は、血に濡れている。クレマンティーヌの血だ。
それを見てクレマンティーヌは、自分は今、こいつに殺されたのだろうと悟った。
同時に、おそらく透明になるか気配を消すかして隠れていたせいで、その存在に気づけなかったのだろうと。
気付けていたとしても、勝てたとは思えないが。
認識できるようになったからか、クレマンティーヌには、そのサソリの魔物が、先ほどの巨虫よりもさらに危険度の高い存在だということが感じ取れていた。今の自分では、奇跡が起こったとしても勝てる相手ではない。
「ひょっとしてこの抜け道自体が罠だった……!? 意地悪すぎでしょ……誰だよこんなトラップ考えて、こんなとんでもない魔物配置したの……」
『はいそこ文句言ってないで、さっさと帰って来なさい脱落者。一回死んだんだからリタイアだよ』
どこからかそんな声が聞こえて来て、クレマンティーヌはふと、自分の頭の上を見上げる。
そこには、自分の頭と同じくらい大きな、棺桶の形のアイコンが浮かんでいた。
続けて、右手を見る。人差し指に、飾り気のない鉄色の指輪がはまっている。
そこには、ごく小さな宝石か何かをはめ込めそうなくぼみがあったが……そこには何もはまっていない。よくよく見ると、砂粒のように小さい、破片のようなものが残っているだけだ。
「わかりましたー、退出します……でもちょっと休んでからでいいですか?」
『いいよ、お疲れ様ー。モンスターに襲われることはないけど、気を付けてね』
今クレマンティーヌがいるここは、『練武郭』の一角にある、訓練用の地下迷宮である。
『練武郭』の入り口付近にある、40レベル以下の、低レベル用の訓練区画を卒業した者が入れるようになる施設であり、地下深くの階層に行くほど敵が手強くなり、また罠も危険なものになっていく、という特徴がある。
クレマンティーヌは、先日からここに入る資格を得て利用しているのだが、単独ではまだ地下1階を進むのがやっとである。今日も、本来ならば地下1階で何度か戦って終わりにする予定だったのだが……戦っている最中に、落とし穴型の転移トラップが発動してしまい、より地下深くの階層に落とされてしまった。
そしてそこは――この階層、地下7階なわけだが――彼女ではそこらの雑魚モンスターが相手でも、逆立ちしても勝てるような場所ではなかったのである。
何せこの迷宮、階層1つ下に行くごとに、適正レベルがおよそ『3』ずつ上がっていく。クレマンティーヌは今、自分の適正レベルよりも20近く上の階層にいることになる。
必死で逃げ回る羽目になり、どうにか逃れたと思ったところで……先ほど、隠密を見破れなかった『サソリ』に貫かれ、死亡した……というのがここまでの経緯である。
そして、死亡したクレマンティーヌが何事もなかったかのように蘇生したのは、今見ていた『指輪』のおかげである。
装備者が死亡した瞬間に発動し、レベルダウンなどのペナルティも特になしで完全な状態に蘇生させてくれるアイテムだ。
ただし、レベル制限があり、70レベル未満の者しか装備できない仕様になっている。
こういった『訓練用迷宮』に挑む際は、クレマンティーヌに限らず、挑戦者全員に支給され、装備を義務付けられている。
そして、これによって蘇生すると、以降は迷宮内のモンスターの攻撃対象にならなくなり、罠も反応しなくなる。
同時に、頭の上に某RPGを彷彿させる『棺桶アイコン』が現れ、『この人は死にました』とわかりやすく示すようになっている。こうなったら挑戦はそこで終了。さっさと歩いて出てきなさい、ということになる。
(法国でさえ、大規模な儀式を使って、代償も用意して発動できる蘇生魔法を、こんな指輪1つで……しかも、代償も生命力の喪失もなしで即座に復活可能? 実際にお世話になってみるとわかるけど、とんでもない秘宝だわ……しかも、こんなもんを消耗品扱いでポンポン支給して使わせるなんて……やっぱり『
クレマンティーヌがこの『空中庭園』に来たのは、今から数か月前。
エ・ランテルで起こった『死の螺旋』の一件の時に戦い、手も足も出なかった冒険者の少年に敗れて連れてこられたからである。
もっともそのすぐ後に、その少年が実は、新たにこの世界に降臨していた神に仕える『従属神』であり、自分が連れてこられた場所が、神が隠れて暮らしていた庭園だと知らされ、愕然とすることになったのだが。
しかし、彼女にとっての驚愕はまだまだそこからだった。
決して勝てない、逆らっていい相手ではないと悟ったクレマンティーヌは、尋問を担当したカリンからの質問に全て正直に答え――同時にアイテムによって真贋判定をしていたため、嘘は言っていないと確認されていた――それらの情報の対価として、また『これからは自分達に従い、勝手なことはしない』という条件の元、『仮に』この空中庭園の所属として迎え、生きることを許された。
ただし、そうなるならば無駄飯ぐらいでいることは許されない。
この集落のために戦う軍の一員として――もっともそうそう出番はないらしいが――務めるもよし、それ以外の仕事……農作業や商業の仕事に就くもよし。あるいは極端な話……色街に行って体を売るもよし、だと。
その頃はまだ自分の力には……神々のような規格外相手でなければ、自信があったクレマンティーヌは、迷わず『戦う』道を選んだ。
しかし、そこでもまず現実を突き付けられることから始まった。
『戦うのはいいけど、今のままじゃお前まだまだ弱いから』と通されたのは……仮にも『英雄の領域』に足を踏み入れている自分に迫る、あるいは上回るレベルの猛者達がゴロゴロいる訓練場。しかもそこは『低レベル用』の区画だという。
そこでしばらく訓練した。幸い、戦闘技能については十分通用したし、『れべりんぐ』なる鍛練法によって短期間でさらに力を挙げることもできた。
しかしそれでも、これまで、同じ『漆黒聖典』や、あの『番外席次』以外にはほぼ負け知らずだったクレマンティーヌが、己の増長を木っ端みじんに砕かれる程度には、勝ちもすれば負けもする、油断できない過酷な修行の日々だった。
そして、『現地民の中では最高クラスに筋がいい』という称賛を受けつつ、次のレベルの訓練場に歩みを進めて……『私神々の園でも通じるんじゃね?』と中途半端に得かけていた自信が、再度木っ端みじんになった。
強くなった自分よりもさらに強い……それこそ、あの『漆黒聖典』の精鋭達ですら全く相手にならないであろう強者達。そんな者達が集う修練場や、連携やダンジョン探索の技能を磨くための、この『地下迷宮』。
かつての自分にあった、狂気じみた部分……敗北を認められない強迫観念や、気に入らない者を一人残らず苦しめて殺したいという嗜虐的な精神……それらは、今のクレマンティーヌの中には、ほとんど残っていない。
なくなったわけではないが、前までのような……言ってみれば『ブレーキがぶっ壊れた状態』ではなくなっていた。
そんなのが許されたのは、それが通用した『外の世界』だけであり、神々の領域やそれにせまりつつある者達が力と技を磨いているここで、そんなものは邪魔にしかならない。
窮屈さがないわけではないが、きちんと適度に我慢していた方が、確実に強くもなれるし、評価もされる。
気付けば、まだ見習いかそこらだった頃のように、ただただ鍛えて上を目指しつつ、時折、併設されている歓楽街で適度に息抜きをするというここでの日々を、クレマンティーヌは苦に思わなくなってきていた。
苦に思っている暇も最早ない、と言った方が正しいのかもしれないが。
休憩しつつ、そんなことを思い出していたクレマンティーヌ。
そろそろ体力も回復してきたので、戻ろうかと思って……ふと気づく。
「……いや、ここから私、歩いて地上まで帰るの無理くね……?」
何せ、トラップで転移してこの『地下7階』に落とされたのだ。ここから地上に戻るための道筋などわからない。
頭上に『棺桶アイコン』がある自分は、ここのモンスターに襲われることはないし、トラップも発動しないが……だからと言って無敵になるわけではない。例えば、他の挑戦者の戦闘に巻き込まれでもしたら、普通に攻撃は当たるし、死ぬ。
なんなら、さっきの巨大ダンゴムシのような大きさのモンスターなら、ただ通っただけでクレマンティーヌをひき潰してしまうだろうから、そういう形で『事故死』することもあるだろう。
そもそもこの地下迷宮型訓練施設はかなり広大なので、7階層も上を目指すのにどれだけかかるのだろうか……
血の気が引いたクレマンティーヌは、右手人差し指の、自分を蘇生させて役目を果たした『指輪』に指をあてて、念じるように話しかける。
「あのっ……ここから帰る方法、わからないんですが……? 転移トラップで飛ばされてしまったので……徒歩で地上までとなると、私のレベルだと、その……」
『あー、それは確かにね……よしわかった、そのままそこで待ってて。迎えに行ってくれる人誰かいないか、手配できないか探すから』
「お願いします……ええと」
『あ、私、小林。よろしくね』
「よろしくお願いします、コバヤシさん……」
指輪の機能の1つでオペレーターの『コバヤシ』に助けを求めたクレマンティーヌは、通信の向こうとの接続が切れたのを悟った後、再度石の床に座り込んだ。
こうして、助け出されるのを待っているしかない状況は、まだまだ『弱っちかった頃』、鍛えてくれた師匠や……もっと幼い頃、手を引いてくれた親……そういった『自分より強い者』に世話になっていた頃を思い出させた。
しかし、そんな『弱み』を見せれば白い目で見られるか、あるいは『クインティアの片割れ』と蔑まれたあの頃のような、屈辱的で鼻持ちならない気分には、不思議とならない。
それは、先ほども言った通り、そんな気持ちを持つ暇もない日々だというのもあるが……
『何をそんなに卑下することがある? 別に、最初から強くて使えるだなんて、ボク達も期待してはいないさ。今弱くても、修業を積み重ねて少しずつでも強くなっていけばそれでいい』
『そういうこった。その過程で誰にどんな風に迷惑が掛かろうが、別に気にゃしねえよ。みーんな通る道だ。新入りなんてのは何度でもつまずいて転んで、そのたびに立ちあがって、少しずつ強くなっていくもんだ』
『君にそのための意思があるうちは、我々は見捨てることはない。安心して何度でも無様をさらしてこい。最後の最後に強さを手にして、君が納得できる君になれればそれで何も問題はない』
「あんな風に言ってくれる奴、本国にはもちろん、家にもいなかったしなあ……ヤマト様もミルコ様もゼルエル様も、あんなに強いのに、まるで私のこと『家族』みたいに扱ってくれる……。調子狂うけど……悪い気分じゃなかったな」
思い出すと、不思議と笑みが浮かぶ。
その笑みは、戦いに臨む時に彼女が浮かべる、三日月のように口もとをゆがめる狂気じみたそれではなく……幼い頃、どこかに置いてきてしまったような、穏やかな『笑顔』だった。
……が、そのまま不意に上を見た瞬間に、さっき自分を殺した『サソリ』が視界に入ってしまい……その目に優しくない光景に、スンッ……と諸々引っ込んでしまった。
(襲われないってわかってても、コレと一緒の空間にいるのヤだわ……救助の人早く来てー……)
その数分後、救助として現れたのが……軍の同輩や先輩でもなく、『神人』でも『従属神』でもなく……
曰く、『ちょうど暇だったし、どんな調子かちょっと見たくなったから来た』とのこと。軽い。
しかもその際、『棺桶アイコン』がない者を察知したことで、部屋にいたサソリが襲い掛かったのだが……クレマンティーヌが『危ない!』と声を発するより早く、ラストがデコピン一発でサソリをぶっ飛ばして壁にたたきつけ、さらにその蠍が、壁に激突した瞬間に全身が炎上して燃えつき、灰になって散っていたのを見て……『あー、やっぱ比べて悔しがるだけ無駄だわ』と悟って脱力するクレマンティーヌであった。
そんな彼女を見てラストは、『そんなに疲れた? 今日はゆっくり休んでね』と心配そうに言ってくる。
それを聞いてクレマンティーヌは重ねて脱力しつつ、ラストが開いてくれた『