ラスト、と名乗ったその女性は……アンティリーネが休憩室でうなされているのを見て、『大丈夫かな?』と思って覗き込んでいたのだという。
タイミングよく、あるいは悪く、その瞬間に飛び起きてしまった彼女と目が合った結果……先ほどの、お互いに『キョトン』な場面になったというわけだった。
目覚めが最悪だったアンティリーネは、『大丈夫だから放っておいて』と、ややつっけんどんにラストを突き放した。まだしばらく、1人にしてほしい気分だった。
が、
「……いつまでそこにいるのよ。1人にしてって言ったと思うんだけど」
「うん、言われた。でも、なんか……今のあなた、1人にしちゃいけない気がする」
「は?」
しれっとそんなことを言ってくるラストに対し、『理解できない』という視線を向けるアンティリーネ。
実際、ラストが何を考えてそんなことを言ってくるのか、まるでわからない。名前以外、お互いに何も知らないはずの間柄なのに、一体自分の何をわかった気になって、一丁前に気にかけているのだろう。
先程言った通り、アンティリーネは寝覚めが悪かった。
ゆえに、望んだとおりにしてくれない彼女に対して……多少でもオブラートに包んだ対応をする余裕が、早々に消え失せてしまった。
「……私、今、機嫌が悪いの」
「うん、見ててなんとなくわかる。よっぽど夢見が悪かったみたいだしね……いや、逆か。機嫌が悪い精神状態で寝たから、ろくでもない夢見ちゃったのかな?」
「っ……わかるんなら、それを余計に逆なでするようなことはしてほしくないんだけどね……!?」
立ち去るどころかずかずかと踏み込んでくる――しかも微妙に鋭い――ラストに、苛立ちが募っていくアンティリーネ。
その怒りが、一気にメーターを吹っ切る言葉が、次の瞬間飛んできた。
「いやーごめんね? 自分でもちょっとおせっかいが過ぎるかなとは思うんだけど……なんか今のあなた危なっかしくて。そういう子供を何人も見て来たお母さんとしては、ちょっとほっとけなぁ―――っとぉ危ないなもう!」
今の彼女が一番聞きたくない『お母さん』という言葉が耳に届いた瞬間、アンティリーネは拳を握ってラストの顔面に突き出していた。
が、間一髪で『ぱしっ!』と手で受け止めるラスト。
多少痛かったのか、『いててて……』と手首をひらひら振っているが、アンティリーネからすれば……自分の拳をあっさり止められたことが驚きだった。そこらの亜人くらいなら、一撃で殺せる威力の拳であるにもかかわらず、この細身の女性には通じなかった。
(……いや、この女もあの『双子』みたいに、とんでもなく強いのか……さすがは神の庭園。こんなのがうじゃうじゃいるってことね……つくづく私って、『井の中の蛙』だったのね)
結果的に、自分の矮小さが再度身に染みるという結果になり、トーンダウンする。
ラストは『お、何か知らんけど落ち着いたっぽい』と、その変化を察し……やはり立ち去ることなく、また彼女に向き直った。
「……あなた、子供、いるの? 随分若く見えるけど……」
「まあ、自分で言うのも何だけど、見た目通りの年齢じゃないからね。結構いっぱいいるよ」
「あ、そ。にしても……赤の他人を子ども扱いの上、『ほっとけない』か……なるほど、随分といい『お母さん』みたいね、あなた」
今度はアンティリーネは、ラストを突き放すのではなく……しかし、代わりにやや卑屈になって憎まれ口のようなそれを叩いてきた。
案の定と言えばそうなのだが、ラストはそれを聞いても気分を害した様子は0。
代わりに、少々気まずそうな表情になって、
「ん~……どうだろうね? まあ、そうありたいとは思ってるけど……言っちゃなんだけど、色々と問題ありの母親だって自覚もあるからなあ。目下、いいお母さんを目指して精進してる最中、って感じだよ」
「……そう、自分で思えるだけで十分だと思うわよ。少なくとも、私はあなたより数百倍ろくでもない、母親とも呼べない母親を知ってるし」
「? そうなの?」
「ええ。世の中にはね……子供を愛せないどころか、自分の憎悪や怨恨のはけ口にするような子育てや教育しかできない母親もいるのよ。……まあ、そんな生まれ方しちゃった子供にも、原因があると言えばそうなんだけどね」
自重するように吐き捨てるアンティリーネに対し、ラストは、不思議そうに首をかしげて、
「……? 何言ってんの?」
「信じられない? けど、本当なのよ……望まなかった子だから、嫌いを通り越して殺してやりたいと思ってる相手の子だから……そんな生まれ方をしてしまった子に、母親らしくなんてできなかった。ただそれだけの話。生きているだけで迷惑だから、つらいことを思い出して苦しいから……それが害意と暴力に変わるの。そういう親子もね、世の中には……」
「いや違う、そうじゃなくてさ」
「きっとあなたの子は……あなたの子も、すごくいい子なんでしょうね。何も不安なく、母親がきちんと愛せるような……聞き分けがよくて、暗い過去もなくて、私みたいに穢れた血筋なんかとは縁もゆかりもない……優秀な、ちゃんと『愛せる』子なんでしょうね……!」
「もしもーし? 聞いてるー?」
「私だって……私だって、もっとまともな生まれ方をしていたら……っ! こんな、生まれた瞬間からもう終わってるのと同じような、最初から呪われて始まった人生なんかじゃなくて、もっと……もっと! 私自身の―――」
「聞け」
―――ピコォオォン!!
「じnほぎゃっ!?」
突如、アンティリーネの脳天を襲った衝撃。
せきを切ったように口からあふれ出して止まらなくなっていた、恨み言や泣き言を強制的に止めたのは……ラストがいつの間にか手に持っていた、巨大なピコピコハンマー(餅つきができそうなサイズ)による一撃だった。
「!? ……!?」
「やれやれ、想像以上にこじらせてんなこの白黒半分こ娘。全く、どこから指摘したもんか」
呆れたようにため息をつくラストが、持っていたピコハンを投げ捨てると、それは空気中にとけるように消えてしまった。どうやら、魔法で作り出したアイテムだったらしい。
そしてラストは、困惑+絶句している様子のアンティリーネに、1つ1つ話し始める。
「あのさあ、アンティリーネちゃん。卑屈になるのも限度があるって言うか……自分のことそんな風に言うのやめよう? 聞いてるこっちが痛々しくなってきちゃうから」
「(……私、名乗ったっけ?)そんな風に、って、何よ」
「人生始まった瞬間に終わってるとか、呪われてるとか、血筋が穢れてるとか言ってたじゃん」
「……本当のことじゃない。いや、あなたは知らないでしょうけど、本当のことなのよ……私は、私の人生は……生まれた時既に、いや生まれる前から……終わってたのよ」
奸計の末に強姦を繰り返してついた種から生まれたこと。
父親への憎悪をたぎらせた母親の元に生まれたこと。
人類至上主義の国家に、亜人との混血として生まれたこと。
どれか1つとっても、1人の人間の――人間ではないけれど――人生を、生まれた瞬間から悲惨なものになると決定づけるには十分すぎるものだった。
だから、自分の人生は、最初からろくでもないものになると決まっていたのだと、希望などないのだと……光の灯っていない目で、そう―――
「でも―――」
「―――そうなりたいわけじゃ、ないんでしょ? あなた自身は」
「…………え?」
気持ちを吐露するアンティリーネの独白に割り込んできたラスト。
ふとアンティリーネは顔を上げて、ラストの顔を、目を見る。
普通の、自然体の笑顔だった。何も特別な雰囲気もない……『今日、晩御飯何食べたい?』とでも聞いてきそうな、にっこりとした普通の笑顔だ。
しかしその笑顔の裏に、瞳の奥に、これ以上なく真剣なラストの思いがこもっているのを……なぜか、アンティリーネには感じ取れた。
その目から、目が離せない。吸い込まれるような『何か』を感じる。
あるいはこの時、アンティリーネは……この女性が、ラストが今から言うことを聞き逃してはいけないと、直感的に気づいていたのかもしれない。
今の自分に本当に必要なことを教えてくれるのが、目の前にいるこの女性だと。
「……先に言っておくね。今からちょっとだけ。私、無神経なことを言うかもしれない。あなたのお母さんのことや、あなたがどう育てられたのかとかを、ほとんど何一つ知らないから」
そんな前置きとともに、ラストの話は始まった。
「あなたはきっと、つらい幼少期を過ごしたんだと思う。一番にあなたを愛してくれるはずの母親から邪見にされ、優しくしてもらえず、きつく当たって……きっと、助けてほしいと願っても、一番近くでその手を取ってくれるはずの人が突き放してきて……本当につらかったと思う」
「………………」
「けどね、きっとそのお母さんにも、仕方がない理由があったんだと思うの。お母さんにもつらい過去があって、それと向き合いきれなくて、あなたを上手く愛することができなかった……。好き好んでひどいお母さんでいたわけじゃないと思うの。きっと、お母さんも……心のどこかで、あなたのことを大切に思っていたはずよ」
「………………」
アンティリーネの心に、ラストの言葉はしみ込んでこない。
それらは全部、聞いたことがあるものだった。
法国において、母親はアンティリーネの味方ではなかったが……それでも、何人か、彼女のことを哀れに思い、気にかけてくれた者はいた。
母の母……祖母をはじめ、子供に経験させるにはあまりに手ひどい『教育』を目にして心をいため、こっそりと手を差し伸べてくれた者が……数えるほどだけれど、確かにいた。
しかし彼女達もまた、今のラストと同じような……決まりきったお利口な、『罪を憎んで人を憎まず』『汝の敵を愛せよ』というようなことを言ってきた。
母親もつらかったんだ、わかってやれ。
悪いのは父親だ、母親は被害者だ、娘であるあなたが寄り添ってやれ。
そんな言葉は……アンティリーネの心にはついぞ響かず、上滑りしてどこかへ消えていった。
今のラストの言葉もそうだ。冬の湖面のように、凍てついて閉ざされてしまっている彼女の心には届かず、上滑りして、どこかへ消えていく―――
「だから、お母さんを恨まないであげて。あなたと、普通の親子になることができなかったお母さんもまた、被害者なんだから……あなたならそんな辛い思い出を乗り越えられる。お母さんが教えてくれるはずだった幸せだって、その先にきっとある。天国のお母さんがうらやましがるくらい、あなたの手で幸せな人生を、世界を作ってあげて―――」
「―――とかなんとか言ってくる奴らが多分今までいっぱいいたと思うけど、一旦それ全部忘れていいからね?」
「…………は?」
―――かと思ったらそんなことはなく。
凍っている表面を不意打ちでぶち抜いて頭の中にダイブして来た。
きょとんとするアンティリーネの前で、ふぅ、と息をついて……何やら考えをまとめているらしいラスト。
「……さて、アンティリーネちゃん。あれこれ言いながら色々考えてみたんだけどさ……控えめに言って君のお母さんクソだから、教育方針ごと全部今すぐ忘れなさい」
「は?」
先程の諭すような口調はどこに飛んでいったのだろう。
人格が変わったことを疑うアンティリーネに対し、頭が追いついてくるのを待たずに、ラストは矢継ぎ早に言葉を浴びせていく。
「そりゃまあ、今言った通り、お母さんも色々辛かったんだろうし、なんだったら望んで産んだ子じゃなかったのかもしれないよ? けど、それがアンティリーネちゃんにひどい扱いをする理由になるかって言われたら絶対んなことないから。自分を悪者にするのはやめなさいマジで。あなたが悪いことなんて0.1%くらいしかないから」
「何を言って……あ、0.1%は私、悪いの?」
「本音言えば0%って言いたいところなんだけど、お母さんにいわれるままに『自分が悪いです。あなたの言う通りにします』って言い続けて、お母さんの害悪教育を加速させちゃったことで、ほんのちょっとまあ……いやでも小さい子供にとって親って絶対だしな。逆らえとか自己主張しろって言っても無理あるか。うん、やっぱ今のなし。あなたは悪くない。0%」
「はあ……ありがとう」
「じゃ、話続けるね。私はあくまで今あなたの前にいる、あなたのじゃないただのお母さんだから……あなたが過去、お母さんとどんな風に過ごして、どんなつらい思いをしてきたか……そこにどうこう言うことはできない。その時そこにいなかった私が、あーだこーだ言っても仕方ないしね。昔のことについて、今更、赤の他人にあれこれ言われても、あなたも困るでしょうし」
でもね、と続ける。
「赤の他人でも、これは言える。アンティリーネちゃん……」
「今からでも遅くない。あなたの人生を……取り戻しなさい」
どくん、と。
アンティリーネは、自分の鼓動が、驚きや動揺で大きくなったのがわかった。
ちょうど、少し前まで見ていた『悪夢』の内容を……ラストにその自覚はなかったが、見事に言い当てられた形になって。
「月並みな言い方になるけど……過去は変えられない。あなたが過ごしてきた……ええと、何年間かわかんないけど、まあ人間の寿命だしせいぜい数十年かな……それだけの間、つらい思いをしてきた事実は、誰にも変えようがない。背負っていくしかない」
「……っ……」
「でもね、それにばかり目を向けて、押しつぶされるように生きる必要なんかない。背負ったままでいいから、忘れなさい、それ」
「あの、ちょっとよくわかんないっていうか……滅茶苦茶言ってない?」
「言ってる。ごめんねわかりにくくて。でも残念、他に言いようがないんだコレが」
開き直りも甚だしい物言いだが、ラストはいたって真面目である。
「過去を捨てることはできないから、頭の片隅にちょっと置いといて埃被るくらいの扱いにしておきなさい。そんで、それに全然目が向かなくなるくらいに……あなたが歩みたい理想の人生を、今この瞬間から追いかけて、いい思い出を作っていきなさい」
「……っ……それができたら、苦労はないわよ……! でもね、私にはもう……そんな、呪われた人生しかないの……! 普通の人間なら、人生の途中で、新しい人生を始められるのかもしれない……でも私は、この呪いから逃げることなんてできない! どこまでも追ってくるのよ……!」
「誰がそれ決めた? 毒親? 法国の偉い人? それとも、世界の調停者気取りのトカゲ?」
「え? それ何で知って……」
「よしわかった! アンティリーネちゃん、あんたうちの子になりなさい!」
「いきなり何!?」
短時間のうちにどれだけあっちこっちに自分の心やら感情やらを振り回すのだろうかこの狐は。
そろそろ、過去に紐づけされたシリアスを引きずるのも疲れてきたアンティリーネである。
「どうもアレね、アンティリーネちゃん、今自分が背負ってる過去やら何やらが重すぎて、今いる
まあよくあることなんだけどね、と、なんでもないことのように言うラスト。
「それができるかどうかはぶっちゃけ人によるし、マジで無理って子も珍しくないから、1人で無理にやれとは言えないけど……だったらその重荷、ちょっと分けてもらおうじゃない」
「分ける? ……あなたに?」
「私だけじゃなくて、私の他の子供達にも、かな。あなたの『新しい人生』、1人で歩むのが大変なら……新しい『家族』が一緒に歩んであげる。それならなんとかなるでしょ。……まあ、歩いてる途中で何個か荷物落っことしてなくしちゃうかもしれないけど、そのへんは許してね」
「いやダメでしょなくしちゃ!?」
「いいのよ、『いらないもの』『なくてもいいもの』なんだから」
「っ……!?」
ちょっと『あ、そっか。いやでも……』納得しかけたアンティリーネ。危ない。
それを悟るラスト。ちっ、惜しい。
「歩いてる途中でなくしたことに気づいて、でも『まあいいか』って思えるようなものなら、そのまま忘れちゃいなさい。あなたが新しい人生を、本当にあなたらしい人生を歩むうえで、邪魔でしかないから。この私が許す」
「許すって、あなた、何様よそれ……」
「お義母さま」
「誰が上手いこと言えと……いや別に上手くもないわね(っていうか発音に若干違和感が……?)」
「辛い過去なら忘れてもいいし、忘れないまま抱え続けてもいい。ただ、それに囚われるのは無駄だからやめなさい。どんな形でもいいから、区切りをつけて、開き直って……あなたの新しい人生を全力で歩き出しなさい。何も遅いことなんてない……今から、ゼロから歩き出せばいい」
「……っ……知ったような口を利かないでよ! 私が……私が生まれながらに、どれだけ厄介な、呪われた人生を歩むことを運命づけられたのかも知らないで! もしあなたの家族なんかになってみなさいよ……あなたに、あなた達に、どれだけの迷惑がかかるか、わかったもんじゃ―――」
「…………?」
「……あの……何、その『それが何か?』みたいな顔は……えっと、私の言ってることがわかっていらっしゃらない……?」
「まあ、100%理解できたとは確かに言えないかもだけど……そもそも気にするほどのことでもないな、とは思ったかも」
しれっとそんなことを言うラスト。
続けて、さも当然のように、
「親が子供に迷惑をかけられるなんて、当たり前のことでしょ?」
「……ぇ、っ……」
「右も左もわからない……どころか、言葉もわからない、ごはんも食べられない、トイレも1人でできない……そんなとこから一人前になるまで、数十年かけて育てていくのが『子育て』よ? や、まあ、乳母とか利用して多少楽したりもするけどさ……それでも、子供が立派に育つために、親がその過程で色々と苦労するのは、コーラ飲んだらげっぷが出るくらい当たり前のことじゃん」
コーラって何だろう、と頭の端っこにうかんだ小さな疑問を無視しつつ、アンティリーネは……ラストの言葉に聞き入っていた。
「もちろん、お母さんも1人の人間だから……いや人間じゃなかったわ……まあ種族に関わらず、子供に苦労させられたら、ムカついて怒鳴ることだってあるかもだし、喧嘩することもあるかもしれない。私もまあ、色々あったわよこれまで……ひっどい時なんか、第9とか第10位階の魔法が乱れ飛ぶ親子喧嘩に発展したこともあったし。まあ今となっては微笑ましいいい思い出だけど」
「何それ、神話の中の大戦か何か?」
「いや、ちょっと親子で狙ってる男がかぶっちゃって泥沼の取り合いに……」
「別方向にヤバい話ぶっこんでこないでもらえる!?」
「最終的にシェアする感じで解決したわ。生まれた子供がちょっと呼び方とか家系図の書き方に困る状況になっちゃったけど」
「びっくりするほど何の参考にもならない」
「まあそれは一旦置いといて」
「置いといていい話?」
「いいの。そんなわけだからまあ、喧嘩とか苦労なんて怖がってちゃ母親やってらんないってのよ。呪われてようが何だろうが一緒に背負ってあげるし、迷惑かけられるくらい全然受け止めてあげる、まあもちろん……心の底から嫌だって言うなら無理にとは言わないけど……」
ここまでのやり取りでバカ方向に話がぶっ飛んだ影響で、卑屈になっている余裕がなかったアンティリーネ。
結果的に、ラストの……ようやく真面目な雰囲気に戻った話が、すっと心の中に入ってきた。
テンションを元に戻すのがやや大変だったが、そうして改めて彼女の話を聞いてみると……胸の奥が、震えるような感覚が……確かにあった。
「……私の」
「?」
「私の、背負ってるもの、って……そこらの暗い過去とか、苦労話どころの話じゃないの。私の心の中だけの問題ですらない。知ってるみたいだったけど……よそからの干渉があって、すごく面倒……を通りこして、すごく危険なの」
「そうみたいね」
「国1つ、滅んじゃうかもしれない……そんな、そんな『呪い』に、生まれた時からがんじがらめにされてて……振りほどき方もわからなくて、ううん、振りほどくことを、この『呪い』から解放されることを、思い付きすらしなかった……!」
「……つらかったね。今まで、頑張ったね」
「撤回しないの!? 『そんなの背負えない』って……怖いと思わないの!? 私の『呪い』が、あなたの大切なものを奪っちゃうかも……しれない、のに……!?」
「そうだね……大変そうだね、一緒に背負うの。もしかしたら、私が今想像して、覚悟してる以上に、あなたの『お母さん』になるのは……苦労することなのかもしれないね」
「だったら……!」
「でもね」
「『お母さん』っていうのはね……それでもあきらめないの。どんなにつらくても、苦しくても……歯を食いしばって、子供の手を離さないで……最後まで一緒に歩いてあげるものなの。いずれその子が、自分を必要としなくなって……独り立ちできる、その日までね」
「……何それ。そんなの……私、知らない」
「じゃ、これから教えてあげなくちゃね」
「私、もう100歳くらいになるんだけど……全然、子供なんかじゃないんだけど」
「私、400歳ちょっとよ? 私の4分の1も生きてない小娘が、調子に乗るない」
「赤の他人なのに? 血も何も、つながってなんかいないのに?」
「あんまり気にしたことないなあ。形がどうあれ、私、家族が増えるの大好きなの」
「…………竜王」
「?」
「『竜王』に狙われるのよ? 私は……『六大神』と『八欲王』の血を引いてるから……あいつらにとっては目の敵だから……」
「『竜王』かあ……300年前と100年前にそれぞれ1体ずつぶっ殺したことあるけど……アレまた来るのか。そりゃ大変だ……色々準備しておかなきゃね」
「ハハッ、なにそれ、すごい……あなた、神様なの?」
「そうかもね」
「………………」
沈黙。
静寂。
「……本当に」
「?」
「本当に……私の『お母さん』に……なってくれるの? こんな、どうしようもなくバカな私に……私が知らないことを……教えてくれるの?」
「もちろん。というかねえ……」
「そんなぽろぽろ涙を流して、苦しそうに、助けてほしそうにしてる子を放っておくことなんて、お母さんにはできません。バカで上等! そんなガキんちょが吹っ掛けてくる『面倒』に押しつぶされるほどやわじゃないから安心おし! 1から100まで教えてやるから、存分に迷惑かけてみろってのよ!」
「このラストにゃんにゃん様に、どーんと全部任せなさい!」
直後、
ラストの豊かな胸元に……白黒ツートンカラーの頭が、勢い良く突っ込んできた。
割と全力で突っ込んできたのだろう。結構な衝撃だったため、ラストはちょっと『ぐふっ』と体勢を崩しかけたものの……母親としての意地でどうにか耐えた。
両腕を回して抱き着いてくるアンティリーネの体は……プルプルと震えていた。
「……っ……た……!」
「?」
「つらかった! 今までずっと……1人でつらかった!」
「痛かった! 苦しかった! 大丈夫なんかじゃなかった! 修行なんかやめたかった!」
「優しくしてほしかった! 話を聞いてほしかった……! 私を……私を見てほしかった! ……助けてほしかった……ッ!」
“ぽろぽろ”どころではない。滂沱のように流れ続ける涙が、顔を押し付けられているラストの胸元を濡らしていく。
心の底からのそれだとわかる叫びが、休憩室に場違いなほど大きく響き渡る。
「何が『生まれたことが罪』よ!? 何が『穢れた血筋』よ!? そんなの知らない! 私のせいじゃない! 償う罪なんて何もない! 好き放題殴って蹴って……許さないあの●●●! ●●●! ●●●! お前なんか……もう知らない! 母親じゃない!」
ひとしきり言いたいことを言いきったのだろう。洪水のように押し寄せていた言葉がふいに止まり……アンティリーネは、泣きはらした赤い目で、ラストを見上げた。
そして、縋るように口にする。
「こんなのが私の人生だなんて嫌……! 呪われた人生なんて……私らしく生きられない、ううん……『私らしさ』が何なのかも知らずに終わるような人生なんて、嫌……!」
「………………」
「お願いします、神様……私に、もう一度人生を、やり直させてください……! 私に……私の人生を……今度こそ……! 私の……私の……っ……!」
「私の、お母さんに、なってください……」
「任せなさい。これからよろしくね、アンティリーネ」
「ぅ、ぃ、ぅっ……うあああぁぁああああ! うわぁぁああぁあああんっ!」
覚醒した『神人』。
黒色聖典の、存在しない『番外席次』。
法国の誇る切り札。人呼んで『絶死絶命』。
仰々しい呼び名の数々で知られる、恐ろしい戦士は……そこにはもう、いなかった。
いるのは、生まれて初めて、親の愛に触れて……その温かさに、凍てついて自分でも自分のことがわからなくなった心を、ようやく解かすことができた……1人の小さな子供だけ。
「あぁあああぁあああっ! ひっぐ、えぐ……わあああぁぁあああ―――んっ!!」
「……よしよし」
優しく背中をさすってくれる、慈愛に満ちた母の胸で、アンティリーネ・ヘラン・フーシェは……生まれて初めて、胸の中にあった全ての思いを吐き出して……気絶するまで泣いた。
この日、1人の少女が……100年近くに及ぶ足踏みを終えて……ようやく、自分の人生を歩み出した。