だが、彼女が起こした不思議な現象については、自分たちの仲間になることが確定しない限りその理由を話すことができない、とジェシカは歯切れの悪い返事をする。
一方、自宅に戻ったジェシカは、セルダンと今日一日の出来事を話しながら夕食を楽しむが、ジェシカのある発言によってせっかくの楽しい食事風景が暗いものとなっていくのだった。食事風景を暗くさせたジェシカの発言の内容とは……
4人が食事するにはやや狭いキッチンがあった。キッチンには木材でできた4人用のテーブルが置かれており、そこには質素ではあるものの、ボリュームのある料理がいくつか並んでいる。テーブルには老人と、ポニーテールの少女がはす向かいに座り食事をしていた。
老人は現在の帝国の首都トランターで知らぬ者のいない社会科学者ハリ・セルダン博士。ポニーテールの少女は彼の孫娘であるジェシカ・セルダンだった。
少女は若者にふさわしい健啖さで目の前に置かれた食事を盛んに口に運びながら、祖父との会話を楽しんでいた。
老人が少女に話しかける。
「今日はいろいろと大変だったろう」
「そうね、でも刺激的な一日だったわ」
それを聞いた老人は片方の眉を少しだけ上げ彼女を見つめたまま、少女にくぎを刺した。
「ジェス、危ないことはしないでくれよ? お前がいなくなったら私が困る」
ジェシカは口の中の食べ物を飲み込んでコーヒーを一口すすった後、小さな胸をそらしながらそのあとを続けた。
「そりゃあ、おじーちゃんは困るでしょうね。なんたって私は『ちょー重要人物』だもんねっ!」と、胸を少しそらした。
「ああ、その通り! お前は『ちょー重要人物』だ」と老人もまじめくさって答えた。
そのまま二人は目の前の料理を見つめたまましばらく黙った後、お互いに顔を見合わせて噴き出すように笑った。
老人にとっては、この孫娘との食事の時間はほとんど唯一の安心できる時間だった。そして、それと同時にこの幸福な時間がいつまで続くだろうか、と彼は漠然とした不安を感じた。
セルダンが現在の帝国の衰退しつつある状況を帝国臣民に知らしめるべく、メディアで繰り返し訴えるようになってからというもの、彼が生活しているビルの周りを得体の知れないパパラッチ(他人の後をつけ回し、プライベート写真を無断で撮るカメラマン)やガラの悪い連中がうろつくようになったからだ。
今度はジェシカから口を開く。
「彼ね、悪い人ではないと思うのよ」
「ん?」と老人は少女に続けるよう先を促した。
「あ、えっと……ブランダバス博士。マイケル・ブランダバス博士の事」
「ああ、なるほど……それで、ブランダバス博士に対する君の見立てはどうかね、
老人は、ブランダバスの宿泊しているホテルで、自分の名前を騙った少女に小さくウィンクをしながらそう尋ねた。
「もぉー、皮肉を言わないでっ、おじーちゃん!」とジェシカはむくれたが、すぐに微笑みながらそれに答えた。
「だからね、彼が良い人かどうかはわからないけど、少なくとも悪い人ではないと思うのよ……私」
それを聞いた老人は、口につけていたコーヒーカップをテーブルの上に静かにおいて、幾分表情を改めた後、顔を少女の方へ向けた。
「彼の人柄について聞いているわけじゃない、彼の学者としての資質だよ。お前のライフワークになっている数学について話しあったんじゃないのかい?」
老人の話し方に少しだけ真剣さが含まれたのを敏感に少女は感じ取り、彼女は少しだけ表情を引き締めて自分の小さなコーヒーカップの中の揺らめく黒い表面を見つめながら老人の疑問に答えた。
「んーん、数学については話さなかったよ? そもそも彼とは話がまともにできるような状態じゃなかったし……」
「そうか、だが、その原因の一端はおまえにあるんじゃないのかね?」
それを聞いた少女は少し困った表情をし、「だから私が悪かったってばっ! ごめんなさいーっ」と言った。老人はそれを見て軽く微笑んだ。
ジェシカは表情を改めて再び話し始めた。
「でもさ……」
「ん?」と老人。
「私、確かにおじーちゃんに数学や社会科学の手ほどきは受けたけど、彼の学者としての資質を測るのは私の仕事じゃなくない?」
そう言うと少女は少し不満げな表情で老人の顔を上目づかいで見上げた。
彼は 少女のその美しいきらめくような『アースアイ』を見つめた。瞳の中に一つの惑星を閉じ込めたかのように見える『アースアイ』、母親譲りの美しい瞳だ。きっとこの子もとびきりの美人になるだろうなと彼は思った。
それと同時に、この子は私に残った最後の強力な切り札の内の一つだ。どんなことがあってもこの子を失うわけにはいかない。
ああ、言っても仕方がないことだが、この子の母親が生きていたら……そうすれば今以上に『計画』に対する信頼性が増すのだが、と彼は残念に思った。
ジェシカは自分の目を見つめたまま返事をせずに黙ってしまった祖父の顔を不思議そうにのぞき込み、老人に尋ねた。
「ねぇ、おじーちゃん、聞いてるのっ?」
「ん?」
「ん? じゃないわよっ、だからおじーちゃんが呼んだ人たちの、学者としての資質を測るのは私の仕事じゃないわよね、って言ってるの!」
「あ、ああ……そうだな」
「でしょう? もう、おじーちゃんは私にあれこれ求めすぎっ!」とふくれっ面をしてそっぽを向いた。
少女の頭の動きに合わせて彼女のやや暗めのサンシャインイエローのポニーテールが空中で小さく飛び跳ねる。そこから淡いジャスミンに似たかすかな芳香があたりに散った。
人の目や耳の感覚は年を取ってだんだんと鈍くなることが多い。だが、どういうわけか嗅覚は鋭くなる傾向がある。そして嗅覚は記憶と密接に結びついている。
老人は少女の横顔に亡くなった彼女の母親の面影を重ねていた。少女のポニーテールから漂う人を安心させるそのジャスミンに似た香りを鼻の奥に感じながら再び老人が口を開く。
「ジェス、お前は今日ブランダバス博士と会ったわけだが、それは偶然かね?」
ジェシカは小首をかしげて少しの間考えた後、彼の後に言葉をつなげた。
「うん、私今日いつものように展望台のエレベーター乗り場に行ったのよ」
「ほぅ、だがなぜエレベーター乗り場なんだ?」
「だって、
「まあ、そう言えばそうだな」と、老人は顎のあたりを指で揉みながら言った。
「で、たいていは戻ってきたときにはみんな、期待外れだったという顔をしてるのよね」
「そうさな、支払った料金に見合うかどうかは微妙なところだな」
ジェシカはそれを聞いて、ふふふと笑った。
「おじーちゃんからもらった学者の人たちのリストはマイクロ電子ビューワーに入ってるから、どんな人が来るのかなぁって、私見に行ってるのよ」
「それで、たまたまブランダバス博士を見つけた、と?」
「そう、本当に偶然。だけど、他の学者の人達とおんなじで、やっぱりマークがついてた」
「何者なんだ?」
「わからない……たぶん政府の機関の人。何の特徴もない男の人たち。でもマニュアル通りの尾行の仕方だった。少なくとも素人じゃないと思う……」
それを聞いた老人は、少し険しい表情で「くどいようだが、あまり危険な真似は……」と言いかけると、少女は「おじーちゃん、わかってるってば!」と答えた。
本当にわかっているのだろうか、と彼はわずかに訝しげな表情をしたが、それ以上はさらに釘をさすようなことはせず、話をつづけた。
「それで、なぜブランダバス君と知り合うことになったんだね? 彼はワシみたいに特別に男前というほどの男性ではないように見えるが」と老人が笑った。
ジェシカはからかうように「そーよねー、おじーちゃんはトランター一の伊達男だもんねっ」と軽口をたたくと、老人は目を閉じて自身の禿げ上がった頭をすっと軽くなでた。
「実際の話、なんでなのか私にもよくわかんない。彼はさえない中年男性で、ハンサムかっていうと微妙だし。でも……」
「でも?」
「でも、なんでだろ? ほっとけないのよね、彼……あわてん坊みたいだし、集中すると目の前のものしか見えなくなるし……まるで、おじーちゃんを見てるみたい」
「ワシはそれほどあわてん坊かね?」
「そーょ! その年になってもいまだに家具に足の指先をぶつけて、あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛とか言ってるのはおじーちゃんくらいのものよ」とジェシカはあきれた様子で言った。
老人は照れながら苦笑した後、幾分表情を改めて再びジェシカに話しかけた。
「ところで、ブランダバス君をつけていた連中だが……」そう言って、老人はテーブルの上を見つめた。
「うん……」
料理は大方片付いており、二人のコーヒーカップはだいぶ前から空になっていた。
「彼らに……【干渉】してはいないだろうね? ジェシカ」
老人はテーブルの上を見つめながら少女にそう尋ねた。冗談の入る余地がないほど真剣な声音だった。
少女は老人の方を見ず、前を向いて少しだけ顔を伏せると目を閉じて「ええ……」と一言答えた。
それを聞いて老人は少しほっとしたように表情を和らげ、再び尋ねた。
「じゃあ、今日は誰にも『干渉』しなかったんだね?」と少女に念押ししたが、少女はそれに答えなかった。
「ジェシカ?」
質問に答えようとしない少女に老人は再び問いかけた。
「いいえ……」と少女が短く答えると、老人は驚いた様子で少女を見つめ、声を強めて尋ねた。
「何っ? 誰だっ、誰に『干渉』したんだ?」
少女はしばらく黙り込んだが、しばらくすると言いにくそうに話し出した。
「私と同じくらいの歳の観光客の女の子と、ブランダバス博士の宿泊しているホテルのフロントマネージャー、そして……」
そう言って、そのまま黙り込んで続きを話さない少女を見つめながら、老人は頭をわずかにかしげながら少し上下に動かし、少女の発言を促した。
少女は言うべきか言わずにおくべきか、ほんの少しの間ためらった後、言いにくそうに小さくつぶやいた。
「ブランダバス……博士」
二人はそのまま黙り込んだ。少女はテーブルの上にある空になったコーヒーカップを見つめ、老人は険しい表情で少女の横顔を見つめていた。
老人は一つため息をついた後、少女に静かに語りかけた。
「ジェシカ、わしは『そっちの方』に関してはもはやノータッチだ。だから、お前が必要だと思ったり、お前の所属している例の『組織』のルールや、亡くなったお前のママの遺言に従ってお前が行動することには
少女はうつむいたまま老人の言葉に耳を傾けていた。
「お前の能力を磨くために実地での訓練が必要だというならやればいいさ。だがな……」
そういうと、老人は一呼吸おいてから言葉をつないだ。
「なぜ、
老人の詰問にジェシカは下を向いたまま何かを堪えるように小さく体を震わせた。彼はそんな彼女の様子を見て心が痛んだが、ここが正念場とばかりにさらに畳みかけるように少女を叱った。
「お前の『干渉』で彼らの能力に影響が出る可能性を考慮しなかったのか、ジェシカっ!」
雷鳴のような底から響くような声だった。先ほどまでの部屋の中の明るい様子はすべて吹き飛び、今はただただ涙を堪えて下を向く少女と、少女を叱責する老人がいるだけになった。
いつもの明るい部屋が今日はなんだか暗く見えた。