本来は変哲もないいつもの穏やかな夕食になるはずだったが、ジェシカが『干渉』した人間がいることを知って彼は激しく動揺し、少女を叱責する。彼女の持つ特殊な能力である『干渉』とは……
使い古されたディナーテーブルに少女と老人が席についている。老人の名前は『ハリ・セルダン』、少女の方は『ジェシカ・セルダン』、彼の孫娘である。
いつもなら、取るに足らない話題と笑いで二人だけの寂しい食事を素晴らしいディナーに変えていて、事実直前まではそうだった。
だが、さっきまでの明るく楽しげな食事風景が、今ではすっかり殺風景なものに変わってしまった。少女は今にも泣きだしそうな様子で涙を堪えており、そんな少女を老人は厳しい表情で見つめていた。
老人は、一つ大きなため息をついたあと、声の調子を幾分和らげて少女に言い聞かせるかのように語り掛けた。
「人の感情の中でとりわけエネルギーが大きく、力を生み出すポテンシャルが高いのは『恐怖』と『嫉妬心』だ。一般的にそれらはとかくネガティブにとらえられやすいものの、恐怖は身を守るための本能に基づいた重要な感情で、これがあるからこそ人類は生き残ってきた。また、嫉妬心は自身の内部に強大なエネルギーを蓄える源泉となりうる」
そこまで言うと、老人は再び少女の横顔を見つめた。彼女はもう体を震わせてはいなかったが、目を閉じてうつむいたままだった。
少女が自分の話を理解して聞いているのか彼には確信が持てなかったが、言わなければならない時に言うべきことを言うのが彼女の祖父としての務めだ。彼は再び少女に語り掛けた。
「今言ったように『恐怖』と『嫉妬心』は現在置かれている状況を大幅に改善させる可能性を秘めているが、それと同時にいずれも他者への攻撃へと変化しやすい側面を持っている」
「世の中には周りの人より勘の鋭い人間が存在するのは確かだ。だが、それはたいてい自分の意志で能動的に使用することはできず、あくまでも偶然発揮されたり、あるいは受動的に発動する程度にしか過ぎない」
少女は身動き一つせず彫像のように固まったままだ。老人は子供にも分かるように丁寧に説明して言い聞かせようとするが、長年積み重ねてきた学者気質が表現のあいまいさを許さず、どうしても子供にとって難解な説明となってしまう感は否めなかった。
彼は少女が話の内容を理解してくれているといいのだが、と願いつつ話をつづけた。
「ジェシカ、お前の持っている能力は極めて強力なもので、人類という種にとってほぼ最後に獲得する可能性がほんのわずかに見えている特殊なものだ。しかし残念なことにそれはほとんど先天的なものでもあるようだ……お前のママのようにな」
老人がそう言うと、ジェシカはハッとして顔を上げ老人の顔を見上げた。老人も少女の能力の証でもある美しい『アースアイ』を見つめた。
しばらくすると、彼は少女から視線を外し虚空に顔を向け目を閉じた後、言葉をつなげた。
「人は目標に向かって努力し続ける生き物だ。また、だからこそ不幸に満ちたこの世の中をなんとか生きていくことができる……だが、もし自分がどうあってもその目標に到達できないと知ったとしたら? どんなに金を積んでもそれが手に入らないとわかったとしたら? そんなとき人の心の中をフラストレーションが満たし、そこから嫉妬心が生まれる」
「この場合は、怒りの感情も同時に生じることが多いようだな。多くの人々はその感情をうまく制御できず、すぐに他者への攻撃に変化させる。恐怖という感情も遅かれ早かれそれと似たような道をたどる」
「たかがわずかな金くらいの事で他人を殺すことができる、それが人という生き物なんだよ? ジェシカ……」老人はそう語りかけると、改めて少女を見つめた。
少女は老人から目を離し、テーブルの上のカラになったコーヒーカップを見つめてこう言った。
「……わかってるわ、おじいちゃん」
「いや、お前はわかっていない!」
老人の思ったより激しい口調に少女は驚いて、再び老人の顔を見た。
「残念ながら、我々の住んでいる世界はお前のような特殊な能力を持つ者の存在を決して許容しない。特に他人の感情に『干渉』して変化を起こさせるなどと言った驚異的な能力といったものはな」
「お前はこの社会の悪意というものを甘く見すぎている。お前が安易に能力を行使して『痕跡』をわずかにでも残そうものなら、『彼ら』はたちどころにお前の存在を突き止めるぞ。そうなったらどうなるかお前は考えたことがあるのか?」
「『彼ら』は捉えたお前の体や頭の中をいじくりまわし、お前の能力の根源を必ず見つけ出そうとするだろう。それを病院の診察程度だと考えていると後悔することになるぞ! 恐らく、いやほぼ間違いなく『彼ら』はその目的のためにあらゆる手段を使うに違いない」
「お前は『彼ら』につかまった瞬間から、人権を含めすべての権利を剥奪されるんだ。人間の残忍さ、非道さをこれでもかと思い知ることになるだろう。だが、その時悟っても遅いんだ。もう二度と外の世界に戻ることはできまい……人の知性や感情を甘く見るな、ジェシカ!」
少女は再びテーブルの上を見つめ、まったく感情のこもらない声を出した。彼女はもう震えてはいなかった。
「あえてそんなことを私に聞かせるのは……」
「……」
「私がつかまったら『計画』に無視できない誤差が出るからでしょ?」とつぶやいた。
それを聞いた老人は表情を険しくさせて「何だと?」と答えた。少女は突然席を立って立ち上がり、老人を上から見下ろした。感情のこもらない昆虫のような目だった。
「だから、私が排除されたら『計画』が狂うからでしょ、って言ってるのよ『セルダン博士』!」
「ジェシカ、お前っ!」老人は体ごと少女の方へ向き直った。
そうして二人はしばらくお互いに睨みあっていたが、それは長い間続かなかった。
しばらくすると少女は突然体を震わせるとその表情はみるみる歪んでいき、目に涙をため始めた。
「おじいちゃん! 私はどうしてこんな能力を持って生まれてきたの? 私、こんな能力が欲しいなんて頼んでないっ!」
「どうして私はみんなと一緒に学校に通えないの? 私だって同じ年頃の女の子たちとおしゃべりしたり、街中を並んで歩いたりしたい! 素敵な男の子と腕を組んだり、二人でベンチに座りながらトランターの夜景を見てみたいよ」
「……よその女の子たちは自分達の青春を楽しんでいるのに、私にあるのは、例の『組織』で望んでもいない高等教育と、『能力』を使わなくても自分で緊急に対処できるようにするための都市型サバイバル技術を教わるだけ。街中に出るのもすべて『能力』の訓練のため……これが普通の女の子の生活なの? 私はずっとこのままなの?」
ジェシカはそう一気に言葉を吐き出すと顔をゆがませ、大粒の涙をその美しい『アースアイ』からぼろぼろとこぼした。
老人は、涙で顔をくしゃくしゃにしながらしゃっくりを繰り返し、泣いている少女の姿を見てひどく心を痛めた。
彼には「ジェシカ……」とかすれた声を出すのが精いっぱいだった。
少女はしばらく体を震わせて泣いていたが、突然泣くのをやめて老人の顔をキッっと睨んだ。
「私はおじいちゃんの『計画』の駒なんかじゃない! おじいちゃんなんか嫌いだっ! こんな私を産んだママも嫌いだっ!」そう叫んで、ジェシカは家を飛び出していった。
「ジェシカっ!」老人は飛び出していく少女の背中に声をかけたが、走ってもとうてい追いつくことができないとわかっていたので、そのまま椅子に座り続けた。
そしてだれもいなくなったキッチンでわずかに表情をゆがませ、ため息をついた。
「なあ、パット……やはりワシには女の子の子育ては無理だよ。女の子には母親が必要なんだ。言っても詮無いことだが、お前が生きていたらなあ……。本来、女の子の子育てはお前一人で済んでいたんだ……」
老人はそう言って下を向いて目を閉じた。しばらくすると、老人は彼の話を聞く者もいないキッチンで再び語り始めた。
「我々の『計画』は巨大になりすぎて、もはやワシの一存で取りやめることはできない。極めて大多数の人間が関与するプロジェクトにはある種の力学的な慣性が働くからだ。もはやワシがいようがいまいが、『計画』は進行していく。方程式が導き出した解が許容する閾値の範囲内でな……」
そう言って彼はしばらく黙った。再び口を開いた老人の目は優しいただの一人の祖父の目になっていた。
「しかしな、ワシは本当は帝国の事など……あの子が……ジェシカが幸せになってくれればそれで……」
そこまで言うと老人は再び黙ったが、すぐに頭を振って
「……まあ、いまさらそういうわけにはいかんわな」と言って席を立った。
「よし、まずはテーブルの上を片付けるとするか……」
そうつぶやいて老人は立ち上がると、テーブルの上の食器を片付け始めた。本来、それはジェシカの仕事だった。