彼が思索にふけっているさなかに、部屋のドアがノックされるが、その主はジェシカではなく、スーツ姿の二人組の男達だった。
彼らは自分たちを帝都内務省安全局の者だと名乗り、セルダンに同行を求めるのだった。そんなさなかにジェシカが帰宅する。見知らぬ男たちは少女の突然の出現に驚くのだが……
セルダン宅のドアを挟んで、セルダンとスーツ姿の男達が緊張した面持ちでお互いを見つめていた。その緊迫した空気を振り払うかのように二人の男たちの背後から突然少女の声がかかった。
「おじーちゃん? 誰? この人達」
スーツ姿の二人組の男達の体の横の隙間から部屋の中をのぞき込むように、ジェシカが訝しげな表情でセルダンを見つめている。
「この女の子は誰ですか、博士?」と男が尋ねる。
「ワシの孫だ。彼女は無関係だ」
「いえ、お孫さんにもお話を伺いたいので博士と一緒にご同行願います」と言って、別のもう一人のスーツ姿の男がジェシカの右手首を無遠慮につかんだ。
孫娘の身柄を確保すれば、この頑迷な老人を同行させるのはたやすいと判断したためだったが、その判断が間違っていたことを彼はすぐに思い知ることになった。
セルダンが「孫娘にかまうなっ!」と叫び終える前にジェシカは既に
ジェシカは自分のつかまれた手首を中心に『転換』(足さばきと体の移動によって相手の背後に入る技術)で彼女の手首をつかんでいる男と背中合わせになり、体を外にひねると自分の右腕に体重を乗せた。そのとたん、男の体勢がガクンと下に崩れた。
ジェシカは男の体制が崩れたその瞬間を逃さず、つかまれた腕を内側に抱え込んで左腕で男が掴んでいる手首を上から握りこんでひねりあげた。
男は抑え込まれて左ひざをつき、彼の左腕は肘と手首で完全にロックがかかっていた。自分が動きを封じられたことを知って彼は驚くと同時に、年端のいかない少女に抑え込まれたことに彼はカッとなった。
彼はロックを外そうと力で無理やり起き上がろうとしたが、容易に起き上がることはできなかった。
だが、しょせんは子供、しかも少女の力だ。大人の男が本気を出せば、状況はすぐに一変する。ジェシカは自分の体が浮き上がりそうになることを察知すると、男の手首は握ったまま男の左腕にかけていた自分の体重を取り除いた。
男はすぐさま立ち上がろうとしたが、男の膝が完全に伸び切る直前にジェシカは『転身』(相手と自分の体の位置を入れ替える技術)して再び男の体勢を大きく崩すと今度は男の方に体を向けながら男の左手首を外側にひねった。
男の体は宙に浮き半回転した後、床にぶつかり、どぅ、と大きな音を立ててうつ伏せに倒れた。
相手を抑え込んだ状態から、起き上がるところまでの一連の流れを完全に読み切った『ツイスト』の技法の一つである。
連れの男があっさり投げられたのを見て、セルダンに話しかけていた男は驚愕し、「このガキ」と叫んで男の手首をロックしたままのジェシカにつかみかかろうとした。
その瞬間、セルダンが「やめろ! 孫娘に手を出すな!」と鋭い一喝で男を静止させると、彼はジェシカの方を向いて優しく言った。
「ジェシカ、彼の手を離せ」
「でも……」
「いいから、離してやるんだ」
ジェシカはしぶしぶ男の手首を開放して後ろに下がった。彼女の手首をつかんでいた男は彼女を睨みつけながら自分の左手首をさすった。
「ねえ、おじーちゃん、どうなってるの?」とジェシカはセルダンに尋ねた。
彼はそれには答えず、スーツ姿の男に向かって「少し時間をもらおう、いいかね?」と声をかけた。男はうなずいた。
「ジェシカ、入りなさい」
セルダンはわずかに首を振って彼女を部屋に入れるとドアを閉めた。やれやれ全くもって多事多難だな。彼は一つ小さなため息をついた
セルダンはジェシカをドアから遠ざけると、彼女に話しかけた。
「やれやれ今日はいろいろなことが起こる日だな」そう言って彼は笑った。
ジェシカは彼を見上げながら「あの人たち誰? 何しに来たの?」と不安げに尋ねた。泣きはらしてまだ赤いままの目が痛々しい。
「いや、よくはわからん。だが、どうやらワシは帝国にとって危険人物と見られているらしい」
「そんなこと! どうして?」
「何の嫌疑だか見当もつかんな。まあ、とにかく疑いがかかっているならそれを晴らした方がいいだろう。放置すれば『計画』をあからさまに妨害してくるかもしれないしな。それからお前は例の『組織』とはしばらく接触するな」
「おじーちゃん……」
「もしワシが帰らなんだら……そうだな、ワシが招聘した科学者達を頼れ。『計画』推進の科学者たちのメインメンバーの一人は『ガール・ドルニック』だ、彼を頼るがいい。今日、会見した限りでは優秀な男だとの印象を受けた」
「あるいは……おおそうだ、お前はブランダバス君と知己を得たな? 彼を頼ってもいいだろう。そうさな、お前の言う通り彼は根は良さそうな男だとワシも思う。彼も一人の少女の身くらいなんとか守れるだろう。もっとも今少し頼りなさそうではあるが……」
そう言ってセルダンはジェシカにウィンクをした。
それを聞いたジェシカは彼の言外の意味を悟って彼の腕の中に飛び込んで叫んだ。
「ヤダっ、行っちゃイヤだ! 行かないでっ!」
そう言って自分にしがみつく少女を見て彼は彼女をそっと抱きしめた。
「なーに、大丈夫さ。まさかいきなり死刑にもしないだろう。すぐ戻って来るよ。心配しないでいい」
「本当?」そう言って再び涙を流し始めたジェシカは彼を見つめた。再びあふれ出しそうな涙できらめく『アースアイ』が彼を見つめている。
「ああ、すぐ戻るよ」そう言って彼はジェシカの目にたまった涙をぬぐってやると、彼女の額に優しくキスをした。
ジェシカはしばらく祖父の目を見つめていたが、涙を拭いて尋ねた。
「おじーちゃん、タバコ臭い……吸ったの?」
「ああ、一本の半分だけな」
「5年も禁煙してたのに! ……私のせい?」とジェシカは心配そうに尋ねたが、老人は目を閉じて自嘲気味に「いや、単にワシの心が弱いだけさ」と面目なさげに答えた。
そのまま二人はしばらく黙ってお互いの目を見ていたが、しばらくしてジェシカが老人に声をかけた。
「ねえ……」
「ん?」
「さっき、私がおじーちゃんやママの事嫌いだって、言ったのは嘘だょ?」
「ああ、わかっているさ」
祖父のその言葉を聞いてジェシカは安どの表情を浮かべた。そして、しばらくしてからジェシカは再び口を開いた。
「おじーちゃん……私の事愛してる?」
「ああ、もちろん愛しているとも」彼は即答した
それを聞いたジェシカはかすかに微笑んで、再び彼に尋ねた。
「例の『計画』よりも?」そう言って祖父の目を真剣な表情で見つめた。
「……ああ」
「ちょっと、おじーちゃん! 今の『間』は何?」と言ってジェシカは少しむくれた。それを見てセルダンは微笑した。
「まあ、とにかく行ってくるよ。今日はしっかり戸締りをして寝なさい。今夜は誰が来てもドアを開けてはいけない。わかったね? ジェシカ」
「うん……」
ジェシカの返事を聞くとセルダンは少女の体から離れて部屋のドアを開けた。
部屋の外で待っていたスーツ姿の男が「博士、ご出立の準備はよろしいですか?」と確認すると、セルダンは「ワシはいつ家に戻ることができるのかね?」と尋ねた。
「それは博士のご説明の内容次第です」
「……」
「それでは参りましょう」
「ああ……」
去っていく祖父の後姿が次第に遠ざかって見えなくなると、ジェシカはドアを閉め鍵をかけた、彼女はキッチンの椅子に座って現在の自分達の状況を冷静に考え始めた。
おじーちゃんのメディアでの露出が多くなってきたころからなんとなく不穏な視線を感じていたけど、こんなに早く連中が直接行動をとってくるとは思わなかったわ。それだけ彼らも余裕がなくなってきたってことね。
でも、余裕が無いのは私達の方も同じ。今は例の『組織』に身を寄せることはできない。もう既に私にもマークがついているかもしれない。
でも、どうしよう? おじーちゃんはガールなんとかって人を頼れって言ってたけど、その人が今どこのホテルに泊まっているのかわからない。
それにあの様子じゃ、たぶんおじーちゃんは今夜は戻れないと思う。そしたらまず間違いなく明日の数学者全体会議は延期になるはず……
だったらもうその人と接触するのは無理なんじゃないの? どうしよう……どうすればいいの……。
彼女はそのまましばらく考え込んでいたが、しばらくすると彼女は突然席を立った。
「そうだっ、ブランダバス博士がいた! 彼を危険にさらすのは本意じゃないけど、彼の様子も心配だし今から見に行ってみよう」
彼女はそういうと、部屋の外へ通じるドアへと歩き出したが途中で歩みを止めた。彼女はほんのわずかの間そうやって立っていたが、しばらくするとテーブルの方へ振り返り小さくつぶやいた。
「おじーちゃん、約束破ってごめんね。私、今日は戸締りして眠る約束だったけど……でもこんなんじゃとても眠れないよ。すぐ戻るから許してね」
そういうと、ジェシカは部屋を飛び出し暗闇の中に消えていった。