祖父はともかく、自分一人ならなんとでもなる。だが、ブランダバス博士はどうだろう。心配になったジェシカはブランダバスの元へ向かうが、ホテルのマネージャーはアポなしで深夜にホテルを訪れた少女を訝しく思い、ブランダバスへの取次ぎを拒否する。
埒が明かないと判断したジェシカは、直前に祖父に注意を受けたにもかかわらず能力を開放し、マネージャーに『干渉』するのだが……
帝都の人々は毎日人工的にセットされた一日の時間の流れに従って生活していた。マイケルの宿泊しているホテルがある区画は夜中であっても不夜城であり、街並みは昼間と変わらないような明るさだった。
ジェシカは その明るい街並みの中を必死で走り、マイケルのもとへと向かった。街並みの中は、たまに前後不覚でフラフラしながら歩いている酔客を除いてあまり人影は見えず、走っている彼女を誰何する者もいなかった。
ジェシカはマイケルが宿泊している帝国コンフォートホテルに、息を切らして到着すると、すぐにフロントへ行きフロントマネージャーに尋ねた。
「ねぇ、ブランダバス博士はいる?」
「あなたは?」とマネージャーはうさん臭そうにジェシカを見ながら問いかけた。
もう既に日付は新しくなっており、こんな夜中に宿泊客を訪ねてくるような人物は警戒されて当然だった。
ジェシカはそんなマネージャーの自分を見る目を全く気にする風もなく、「私は博士の知り合いよ」と短く答えた。
マネージャーは、「あなたが博士のお知り合いだと確認できるもののご提示がなければ、ご案内はできません。お引き取り下さい」、とにべもなく彼女の要求を拒絶した。
「何も持たずに家を出たから身分証はないわ。でも急ぎの要件なの! 私は社会科学者ハリ・セルダンの孫で、ジェシカ・セルダン。彼に伝えればわかるから取り次いでちょうだい!」とジェシカが声を強めた。
フロントのマネージャーは、驚く風でもなく右の人差指を口に当てて「お静かに願います。すでにご就寝されているお客様もございます。今夜のお取次ぎは出来かねます。ご用件は朝、改めてご本人様にお伝えください」と彼は言った。
それを聞いたジェシカは「それじゃ間に合わないから言ってるんだってばっ!」と大声を出した。
マネージャーは表情を引き締めジェシカに最終通告を行った。
「これ以上、当ホテルでお騒ぎになられますと治安警察隊に連絡せざるを得なくなりますが……」と言って、マネージャーはジェシカの目を見つめた。
彼は ジェシカの『アースアイ』を見て美しい色合いの目だと思った。そしてどこかでこの目を見たことがあるような気がすると思ったが、どうしても思い出すことができなかった。
とにかく見知らぬ人間を大切な顧客に接触させるわけにはいかないという強い信念を自らの視線に宿した。
それを見たジェシカは、もぅ、石頭ねっ! と心の中で腹を立てた。
ジェシカがホテルのフロントでマネージャーと不毛なやりとりをしている間、マイケルは2人組の黒スーツの来客者の対応をしていた。
スーツ姿の男たちは、自分たちを帝都内務省安全局の者たちであるとマイケルに知らせた。既に浅い眠りに入りかけていた彼は、部屋のドアを激しくたたく音に叩き起こされ少々不機嫌になっていた。
「それで、なぜ僕はあなた方に連行されなければならないんだ? 僕は『帝都市民』ではないけれど、帝国の法秩序に従う模範的な『帝国市民』の一人だぞ」
「連行ではありません。あくまでも博士の自由意志による任意同行のお願いです。ご協力をお願いします」
「明日以降にしてくれないか? 僕は明日の朝早いんだよ」
「ええ、わかっています。明日の数学者全体会議にご出席されるのですね?」
「そうだよ、よくわかってるじゃないか。だったら要件は会議終了後にお願いしたいっ!」
マイケルが非難する調子で強く言うと、安全局の男は憐れむような視線をマイケルに向けて言った。
「ブランダバス博士、残念ながら明日の数学者全体会議は延期となるでしょう」
それを聞いてマイケルはたいそう驚いた様子で「なんだって! どうして明日の全体会議が延期になるんだ?」と尋ねると、男は「今現在、博士だけでなく数学者全体会議に出席なさる方全てにご同行いただいてお話を伺っているからです」と言った。
「なんだ? いったい何を聞きたいんだ? どうなってるんだかさっぱりわからないぞ!」とマイケルが叫ぶと、男は「すべてはご同行いただいてからです。ぜひともご協力お願いします」ときっぱり言った。
マイケルはしばらく黙っていたが、眠りに入りかけたところをたたき起こされただけでなく、男の頑迷な様子を見てイヤミの一つでも言ってやろうと思い、口を開いた。
「先ほど、私の自由意志による任意同行と言ったね?」
「ええ、あくまでも博士の自由意志によるご同行です」
「なら私の自由意思により、君たちとの同行を拒否したとしたら?」そう言うと、彼は意地の悪そうな表情の顔を男に向けた。
男は少しも驚いた様子を見せず、マイケルの疑問に答えた。
「でしたら、博士のお気の変るまで粘り強くお願いするのみです。このままここでお願いを繰り返すことになるでしょう。場合によっては何時間、あるいは何日かかっても……」
そう言って、男は全く譲る様子を見せず断固たる意志を目に宿し、マイケルを見つめた。
チェッ、結局僕の意志で拒否できないじゃないか! 何が『任意同行』だ、とマイケルは心の中で舌打ちをした。
部屋の中にいる3人はしばらく誰も口を開かず、部屋は静寂に包まれた。
やれやれまったく、今日トランターに着いたばかりなのに本当にいろいろなことが起こるな、とマイケルは一つ大きなため息をつき、嫌々ながらも同行する旨を男たちに告げた。
マイケルが二人の男達と同行する意思を示した時と同じころ、無理強いして矛を通そうとするジェシカと、あらゆる攻撃を跳ね返すイージスの盾を持つフロントマネージャーの『戦い』はまだ続いていた。
ジェシカとマネージャーはそのまましばらくの間お互いに睨みあっていたが、どうあってもマネージャーは譲歩する様子を見せず、その上彼が右手でカウンターテーブルの下をまさぐっているのにジェシカは気付いた。たぶん緊急用の警報器のスイッチに違いない。彼女はすぐに決心した。
ジェシカは周囲に自分とマネージャーの二人しかいないことを素早く確認した後、精神を集中して強い意志を目に宿し、マネージャーの瞳を凝視した。
彼は一瞬、少女の『アースアイ』がかすかに淡い光を帯びて光ったように見えたが、そのまま彼の意識はブラックアウトした。ジェシカは素早く彼の『内側』に入り込んだ。
ジェシカの『干渉』能力は確かに強力な異能ではあるものの、その能力の行使が彼女にとって容易に行えるというわけではない。彼女は『干渉』を及ぼす相手の心の『内側』をえぐるように侵入するため、それが『干渉』した相手に根源的な恐怖を呼び起こし、相手の心が大きな抵抗を示すからだ。
人間は多くの部分で『動物』の立ち位置に立脚している生き物で、無理なことを強いたり心理的にためらいを生むものには本能的な抵抗力が働く。
しかしながら、ジェシカはこのフロントマネージャーには今日既に一度『干渉』を行っており、今夜二度目の『干渉』にはそれほど大きな努力を必要としなかった。
彼女が『干渉』した相手にはわずかに『痕跡』が残り、それがコンピュータでいうところの、ある種のキャッシュのような機能として働くためだ。一度彼女の『干渉』を許した脳は、それに対する抵抗力を極めて低下させるのだ。
ジェシカはフロントマネージャーの大脳の側頭葉にすばやくアクセスし、彼の認知機能をつかさどる部分に『干渉』しようとしたが、その時彼女の脳裏に、あるビジョンが一瞬だけひらめいてすぐに跡形もなく消え失せた。
それは彼女の祖父であるハリ・セルダンが、自分を悲しげに見つめているビジョンだった。それを幻視した彼女は極度の精神集中から急速に覚醒し、何も『干渉』せず、マネージャーの側頭葉へのアクセスを断った。
そのまま彼女は彼の『内側』から抜け出すと、極めて慎重に侵入の『痕跡』を消去したのを確認した後、『掴んでいた』彼の心を離した。
我に返ったマネージャーは、いつの間にか自分の視線が少女から外れているのに気付いたが、それと同時に自分がコンマ数秒単位のわずかな時間意識を失わされていたことには彼は気づかなかった。
彼は改めて少女を見ると、まだ少女は彼を怒ったように睨んでいた。チッ、ずっと居座るつもりか。彼は少し腹を立て、断固とした決意を少女に示そうと声をかけようとしたが、その時唐突にフロントの左横のエレベーターから小さな音が響いた。
それはエレベーターがこのホールに到着したことを知らせる音だった。マネージャーとジェシカはそろってエレベーターの方に顔を向けた。
エレベーターからは二人のスーツ姿の男たちとマイケルが出てきた。ジェシカはその光景を見て息をのんだ。おじーちゃんと同じだっ、スーツ姿の男達と一緒にいる!
「ブランダバス博士っ!」
唐突に声をかけられたマイケルは驚いて声の生じた方向を見るとそこにジェシカの姿があった。彼は反射的にジェシ……と言いかけたが慌てて声を飲み込み、彼女から視線をそらした。
なぜ帝都内務省安全局といった恐ろしげな名前の部局が自分に目をつけることになったのか、彼には見当もつかなかったが、少なくともジェシカを巻き添えにすることだけは避けたいと思った。
マネージャーは、ジェシカがマイケルに声をかけたにもかかわらず、彼がそれに答えなかったのを見て、ほーら見ろ、お前は博士の知り合いでも何でもないじゃないか、この嘘つき少女め、とあざけるような視線を彼女に向けた。そしてやはり自分の判断は間違っていなかったと誇らしげに少し胸をそらした。
同行していた安全局の男はマイケルに急に声をかけた少女を見ながら、彼に問いかけた。
「博士のお知合いですか?」
「いや、知らない子だ」とマイケルは即答したが、それを聞いた男はジェシカに厳しい視線を送ったままだったので、マイケルは慌てて言葉を添えた。
「僕は今日トランターに着いたんだよ? それにこんな夜中にふらふら出歩いている女の子と知り合いになるはずもないだろ?」
「……」
男はしばらく疑わしげな視線をジェシカに向けていたが、マイケルが「なあ、さっさと用件を済ませて帰りたいんだが……」というと、男はわかりましたと言ってマイケルと一緒にホテルの出口に向かって歩き出した。
マイケルら3人がジェシカの横を通り過ぎようとした時、マイケルは横目でジェシカを見た。ジェシカの『アースアイ』が彼を心配そうに見つめている。彼は一瞬小さくウィンクをした。
ジェシカはそのまま去っていくマイケルの後姿を見送っていたが、マネージャーに声をかけられ彼の方を振り返った。
マネージャーは親愛の情のかけらもない冷徹な表情で「お引き取りを」と告げた。
それを聞いたジェシカはキッと彼を睨み、「もういいよっ、ケチっ!」と悪態をついてホテルから出ていった。
あとに一人残されたマネージャーは思った。今日はいろいろと珍客があった。帝都内務省安全局の役人たち、ブランダバス博士の知り合いだという得体の知れない少女。
彼は帝国コンフォートホテルのフロントマネージャーで、宿泊客へのサービスの提供とプライバシーを堅守する業務を担っていたが、それと同時に彼は帝都市民でもあった。
乗客のプライバシーは最大限に守られなければならないと考えていたが、基本的には帝都の役人の要求には従わざるをえない。
それでも得体の知れない少女の要求はキッパリはねのけた。自分はプロの仕事をした、と彼は再び胸を少しそらした。