3.72%の少女   作:六位漱石斎正重

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 祖父とブランダバス博士の帰りを待つために、自宅とブランダバスの宿泊しているホテルを往復する生活を送るジェシカだったが、ホテルのドアマンからブランダバスが唐突にホテルを引き払ったことを知らされ彼女はひどく驚く。
 一方セルダンが自宅に戻ってくる気配はなく、ジェシカは不安な日々を送るのだった。そして、祖父が自宅から出ていってから10日ほどたったころ、セルダンは前触れもなく唐突に自宅に戻ってきた。ジェシカはその10日間に祖父の身に起こった出来事を尋ねるのだが……



第十七話 祖父の帰宅

 自宅を出てから5日ほどたって、ようやくセルダンは帝都内務省安全局から解放されたものの自宅に戻ることを許可されず、彼が『計画』のために招聘した科学者たちとともにしばらく<大学>で過ごしていた。セルダン自身は移住計画そのものには口をさしはさまず、ただ計画の推移を見守っていた。

 

 <大学>では、生活拠点をここに移している二万世帯約十万人が、彼らが移住する惑星に向けて出立の準備を二年半前から行っており、後は細部調整をして六か月後の移住の実行を待つだけとなっている。

 

 また、<大学>の周辺では移住計画を守護するという建前で、小規模な軍隊が移住予定者の行動を監視していた。<大学>への出入りには彼らの厳しいチェックが入り、例え移住計画の関係者といえどもそれは容易なことではなかった。

 

 しかしながら、移住計画はもはやセルダンの手を完全に離れていたし、計画の実施者であるガール・ドルニックら主要メンバーが万事、卒なく移住計画を遂行していっている。それにセルダンとジェシカは彼ら移住組の名簿には載っていない。そういったこともあってセルダンはようやく帰宅することを許可されたのだった。

 

 夜半、自宅に戻ったセルダンは、ジェシカがキッチンテーブルに突っ伏して寝息を立てているのを見つけた。彼は自分の着ていたジャケットを脱いで少女の背中にかぶせ、コーヒーを淹れた後、なるべく音をたてないように静かに椅子に座ってコーヒーをすすった。

 

 ジェシカの口からは、かすかによだれが糸を引いていてテーブルに小さな水たまりを作っている。かわいらしい顔に似つかわしくなく、少し険しい表情だ。無理もない、わけもわからず10日以上も一人きりで過ごすことを強いられたのだから。

 

 少女の寝顔を見ながらセルダンはジェシカの小さい頃のことを思い出していた。よく眠る子供だった。まるで起きていることを拒否するかのような深い眠り方だった。とにかくひさしぶりに無事な孫娘の姿を見ることができて彼は一安心した。

 

 セルダンが帰宅してしばらく経った頃、ジェシカは部屋に人の気配があることに気づいて目を覚ますと、穏やかな表情を浮かべた祖父の顔を視野にとらえた。

 

 ジェシカは半分寝ぼけた表情で起き上がり「おかえひなひゃい、おひーひゃん……」と言葉になっていないつぶやきをしたが、口からよだれが垂れているのに気付いて恥ずかしそうにあわててよだれを手で拭き取ろうとした。

 

 ジェシカのそんな姿を見たセルダンは、苦笑交じりに自分のハンカチを差し出し、「これを使いなさい」と言われると、少女は素直にありがとうと一言添えて、ハンカチで後始末をした。

 

 ジェシカは目をこすって改めて祖父に向きなおると、「やっと戻ったのね?」とセルダンに話しかけた。

 

 彼は、ジェシカの右の頬についたテーブルクロスの跡を見つめながら、「ああ、やっとな……」と答えた。

 

 彼女はそれを聞いてかすかに微笑んだ。セルダンは、自分と孫娘のためにコーヒーを淹れなおすと、二人とも一口すすった。ジェシカが再び口を開く。

 

「ねえ、どこにいたの? 今まで」

「帝都内務省安全局に尋問を受けた後、貴族どもが構成している<公安委員会>主催の『お招き』にあずかり、世間には非公開の簡易裁判を受けることになった」

「裁判!? 裁判ね……」と、ジェシカは考え込むようにつぶやいた。

 

「裁判がどうかしたかね?」

「うん、どこかで聞いたような気がするのよ。おじーちゃんみたいに裁判にかけられて処刑されそうになった科学者の話。たしか、自分の住んでいる惑星が太陽の周りをまわっていると主張して……誰だったかな?」

「地動説……というやつだったかな?」と、セルダンも考え込んだ。

 

 その内、その科学者に心当たりがあったのか、ジェシカが小さくつぶやくようにその名前を告げた。

 

「ガリ……? とかなんとかいう感じの名前じゃなかったかなぁ?」

「そうだ、ガリレオ・ガリレイだ! まだ世界に神が生きていた頃の時代の太古の科学者だ。Galaxy!(なんてこった!)」

 

 セルダンは少し興奮した様子でそう答えた。

 

「神……か……でもさ、おじーちゃん……」

「ん?」

「確か、ガリレオは自説を撤回して処刑を免れたんじゃなかったかしら? だけど、私にはおじーちゃんが自説を撤回するとは到底思えない……いったい、どうやって処刑を免れたの?」

 

 そう言って、ジェシカはニヤニヤ笑った。

 

「そうさな……ガリレオが生き残るには自説を撤回するしかなかった。彼が生きた時代は限られた数の神官が『世界』の全権力を握っていた時代で、宗教という一種の社会システムが強大な力を持っていた上に、彼らは神の代弁者を騙っていた。つまり神官に対する反論は神に対する反論で、当時それは死を意味していた」

 

 それを聞いた後、ジェシカは何か思うところがあったのか黙り込んだが、しばらくして口を開いた。

 

「でも……今の時代も似たような連中が()(皇帝)の代理人を騙って好き勝手にやってるわよね」と、ジェシカは腹立たしげに言った。

 

「まあな、だが当時とは違うのは、今は『神』は死んで貴族どもが作った傀儡の幼皇帝が神の真似事をさせられているところだな。それに、今の社会には公に開かれた通信網が整備され、情報がありとあらゆるところに行きかっている。もっともその情報というやつは、帝国にとって都合がいいように制限やバイアスがかかっているがな」

 

 セルダンはそう言うとかすかに歪んだ笑みを浮かべた。一度コーヒーをすすると、彼は再び話を続けた。

 

「また、幸いなことに現在の帝国では教育福祉が成熟していて、教育の成果が市民の蒙を啓いている。そういった大衆の持っている力は貴族どもにとっても侮れないものがある。いかな皇帝の威光があるとはいえ、一帝都市民を好き勝手に処断できる時代じゃあないのさ。その上ワシはそこそこ知名度があるらしいしな……さらに言えば、ワシはガリレオと違ってもう一つ切り札を持っていた」

 

 セルダンがそこまで話してニヤリとすると、ジェシカは右腕を持ち上げ人差指を軽く立てると、彼の話に割り込んだ。

 

「待って! ……おじーちゃんの切り札っていうのは、『計画』に関与する人たちが例の惑星、つまり『テルミナス』へ追放される事でしょ? それで我々は処刑されるのを回避できるし、貴族達にとっても一定の落としどころになる」

「ほう、そこまではわかるかね?」と、セルダンは軽い笑みを浮かべた。

 

「そりゃあ、私は『ハリ・セルダン』の孫だもの。そのくらいは()()()わよ?」と少し誇らしげにジェシカが応じる。だが、すぐに彼女は気難しげな表情を浮かべてつぶやくようにささやいた。

 

「でもどうしてもわかんないのは、追放先をテルミナスに選ばせる方法なのよね」

 

 セルダンは考え込むジェシカを横目で見ながら少しの間黙ったが、再び口を開いて話を続けた。

 

「まあ、こればっかりはワシの力でもどうにもならんな……と、言いたいところだが、まあ、先々を見すえていろんな手は事前に打ってあるのさ」と、セルダンはおどけた様子で口をへの字に曲げた。

 

 ジェシカは黙ったまま何かを考え込むかのように小首をかしげていた。こういうときはほんの少しばかり『スパイス』を利かすのが『料理』をおいしくするときのコツなのだとばかりに、セルダンはほんの少しだけ助け舟を出した。

 

「例えばだがな……相手に要求を通すときにはこちらから要望を伝えてはダメなんだ。たくみに言葉を操り相手の選択肢を狭めていく。心理歴史学を持ち出すまでもなく、これは一般的な心理学の基本だ。そこでな……」とそこまでセルダンが話すと、ジェシカは再び彼の言葉を遮った。

 

「待って! 少しひらめいたことがあるの。これは宿題にさせて! いいでしょ? おじーちゃん」とジェシカはすがるような目で祖父に頼んだ。

 

「もちろん、いいとも」と軽い調子でセルダンは答えたが、そんな孫娘の様子を見て彼は内心非常に喜んだ。

 

 この子はめったに答えを『ねだる』ことはしない。何よりも自分自身の考えを重視する。その一方、自分の考えに固執するほど頑迷ではなく、人の意見を取り入れ、自分の考えを修正する度量がある。

 

 最近のこの子は頭の回転が速くなる一方だ。学者の基盤となる能力の一つに、得られた知識の組み合わせで複数の洞察を得る能力、というものがある。

 

 この子にはそれが十二分に備わっている。思えば、数学や社会心理学に関しても生来の素養があった。このまままっすぐに育っていけば、必ずや人類にとって有望な科学者の内の一人として生きていけるだろう。彼女にとってはその方が幸せな人生なのは間違いないのだ。

 

 だが、自分はそんな希望に満ちた明るい将来像をジェシカに選ばせてやることができない。『干渉』といった特殊な異能を持つがゆえに……

 

 他の人間には決してできない使命を彼女に強いる自分は、自らの死に際に穏やかな心でいられるだろうか、そう考えたセルダンの表情はわずかに歪んだ。

 

 そんな彼の内心の葛藤に気づいた様子もなく、ジェシカが尋ねる。

 

「それからどうしたの?」

「どうしたって、何が?」

「何がって……いや、だから裁判の後はどうしてたのかってことよっ! もー、しっかりしてよねっ、おじーちゃん! 最近ちょっと頭の回転が鈍くなったんじゃないの?」

 

 セルダンは面目なさげに頭をかいたあと、ジェシカの後を続けた。

 

「ああ……そのあとはずっと<大学>に『軟禁』されていた。<大学>の周りを取り巻いていた軍隊は最初の2・3日こそ<大学>への出入りに関してガチガチに身元チェックしていたが、<大学>には十万人もの人間がいる。彼らは<大学>内の人々の動向にだけ注力するわけにはいかない。彼らの生活を維持するために必要な生活インフラを維持する業者の出入りが絶対に必要となる、それも莫大な人数がな。次第に身元チェックも形式だけのものとなっていった。仰々しく<大学>を取り巻いている軍隊も実質上張子の虎と化しているのさ」

 

 それを聞いたジェシカは腹を立てて大きな声を出した。

 

「だったら、いったん帰ってくればよかったでしょっ? すっごく心配したんだから! 連絡一つよこさないなんて、全くっ!」

 

 ジェシカのその言葉を聞いてセルダンは慌てて弁明を始めた。

 

「すまん、もうすでにワシがいてもいなくても移住計画は万事問題なく実行に移されているが、ただでさえ忙しすぎて時間の取れない計画の実施者たちに対してお別れの演説をして帰宅することはできないし、それとは逆に突然いなくなったりしたら科学者たちや、<大学>を取り巻いている軍隊の士官達が動揺する。なんといってもワシは移住計画の首謀者だからな。だから、しばらくほとぼりが冷めるまで待ってたんだ。『崩壊の兆し』が現れない限り、もう、ワシは<大学>へは戻らない」

 

「本当? これからずっと一緒に暮らせるの?」とジェシカは明るい声を出して尋ねた。

「ああ、ずっとここにいるよ」

 

 それを聞いたジェシカは「そう……よかった」と、祖父の穏やかな目を見て心底安心した表情で答えた。ようやく平穏な日々が送れると知って、ジェシカの表情は和らいだ。

 

 しばらくすると、彼女は祖父とテーブルの表面を交互に見て、もじもじしはじめた。どうやら彼女にはもう一つ心配事があるようだった。そして今の彼女にとってはそちらの方が本命のようだった。

 

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