ジェシカは落ち着かない様子であちこちに視線を這わせていたが、しばらくすると言いにくそうにしながら再び口を開いた。
「そ、それでね……えっと……そのぅ……」
「?」
「えっとね……」
そう言ったきり黙り込んで下を向いたままのジェシカの横顔を見て、セルダンはわずかに訝しんだものの、何やら思い当たることがあるらしく、それらしい予想される事について言ってみた。
「ブランダバス君なら元気だよ? ドルニック君と一緒に主要なメンバーの一員となって移住計画の実行に尽力している。もっとも、彼にはちょっと頑固なところがあって多少周囲と摩擦を起こしているようだが……でも、優秀な学者なのは間違いないよ」
「そう……」と、ジェシカは一言ささやくようにつぶやいたあと、軽く息を吐き出したが、顔には複雑な表情が浮かんでいた。
「彼の事が気になるかね?」
「えっ?」とジェシカは小さくつぶやいた。
驚いた様子で自分を見つめるジェシカを見ながらセルダンは再び口を開いた。
「おや? ブランダバス君のことじゃなかったかな?」
「まあ、もちろん彼のこと
セルダンはそんな彼女の様子を見た後コーヒーカップに視線を落とし、「気のない返事だね……彼が宿泊しているホテルに毎日通って彼の所在を確認していたのに?」と問いかけると、彼はコーヒーを一口すすった。
ジェシカは大層驚いて祖父の顔を見ながら「どうしてそれを!」と叫んだ。
彼がその事を知っていたのは、帝国コンフォートホテルのドアマン、ダニエル・グラディウスからの連絡によるものだった。ドアマンは突然の連絡と出過ぎた真似をしたことを丁重に詫びつつも、ブランダバス博士と出会えず気落ちしたジェシカの様子を気にかけてセルダンに連絡を取ったのだった。
グラディウスは無論、セルダンがその時<大学>にいることを知らなかったし当然彼の自宅も知らなかったが、知名度のある有名な科学者であることはメディアの情報で知っていたので、ダメもとで<大学>に連絡を取ってみたところ、たまたまセルダンと連絡がついたのだった。
セルダンはジェシカのその問いかけには答えず、再び口を開いた。
「そんなにブランダバス君の事が気になるなら、<大学>に会いに行ってみてはどうかね?」と彼女に水を向けたが、ジェシカは自分の気持ちに戸惑っているのか、あるいはいつもの彼女に似つかわしくなくすぐに行動できない自分に腹が立っているのか不明瞭な様子で、少し苛立たしげに祖父の問いかけに答えた。
「別に……私、マイケルに用事があるわけじゃないし……それに移住計画の準備で忙しいんでしょ? 彼……」とテーブルクロスを見つめたまま、すねた様子で答えた。
セルダンは、ジェシカがブランダバスをファーストネームで呼んだのに気が付いたが、それについては何も言わず、さらに彼女の背中を押してみた。
「用事なんてなんだっていいのさ。なければ作ったっていい」
それを聞いたジェシカは驚いた表情で祖父を見た後、すぐにふたたびテーブルクロスに視線を戻し、「用事を作る……っていったって……」とひどく困惑した表情でささやくように言った。
やれやれ誰に似たんだか知らんが不器用な孫だ、とセルダンは、一つ小さなため息をついた。そして孫娘の精神衛生の状態を整えるのも自分の役目だと思い、彼女が行動できるよう動機づけを与えてやることにした。
「例えばそうだな……<大学>にいる限り衣食住には不安はないが、収容されている人数を考えると万全なサービスとは程遠い。何と言っても<大学>には十万人を超える人々がいるんだからな。たまには『外』で違うものが食べたくなったりもするし、他の服を着たくもなるだろう」
セルダンはそういうと、しばらくジェシカを見つめて黙ったが、まもなく再び口を開いた。
「だが、<大学>は軍隊に取り巻かれていて、完全に自由に出入りするのは難しい。その上、ブランダバス君がそれらを望んでも、移住計画にかかりっきりで実行できない……と、なるとどうしても彼の身の回りの世話をする誰かの手が必要になる。そうは思わないかね? ジェス」
それを聞いたジェシカの表情は突然ぱっと明るくなり「そ、そうよね? 計画を実行する人がいるんだから、それをサポートする人が
セルダンは自分が提案した内容を少しだけ奇妙だと思った。自分はジェシカとブランダバスをくっつけようと画策しているのだろうか……いや、そんな大げさな話じゃない。
孫娘が家にこもりっきりなのは健康に悪い。気晴らしに外に出かける口実を与えてやった方がいい。自分は単にジェシカの元気を回復させたいだけさと割り切り、彼はさらなる提案を行った。
「まずは手料理を作って持っていったらどうかね? 彼は食事に気を使っている男ではなさそうだし」
「そうね、そうしてみようかしら……」
「ああ、そうしなさい」
祖父の提案に素直に喜んだジェシカだったが、彼女はふたたび表情を曇らせて彼に問いかけた。
「ねえ、おじーちゃん」
「ん?」
「いつも私の作ってるごはんってさ……」
「ああ」
「おじーちゃんは満足してるの?」
ジェシカは心配そうな表情で上目遣いに祖父を見つめながらそうたずねると、セルダンはすぐにその問いに答えた。
「お前の作った料理は帝国一……か、どうかはわからないが、トランターでも五本の指に入るほどうまい……と、ワシは思うよ。事実、お前が料理を作るようになってから3年も経つが、ワシはほとんど外食をしたことがない」
ジェシカは「そ、そっか……彼、喜んでくれるかな?」と不安そうに尋ねると、「たぶん喜ぶさ、心理歴史学的な『分析』では84.2±0.016%くらいの確率でな」とセルダンは一度ウィンクをした後、ニヤッと笑った。
当然 その数値はまるであてずっぽうであったし、そもそも心理歴史学は一個人に適用するための理論ではなかったが、彼はそれほど的外れの確率ではないだろうと考えていた。
それにジェシカも学者のはしくれだ。根性論で説いてもまるで説得力はないが、でたらめでも数値を示せばそれなりの思考の方向性を与えるものだ。確率を100%にしないのも学者としての良心を裏打ちすることになる。
ジェシカはそれを聞くと突然花開いたような笑顔を浮かべ、飛ぶように冷蔵庫へ向かうと、中の食材をあさり始め、料理の支度を始めた。明るい歌を小さく口ずさみながら食材を包丁で切りそろえていくジェシカは、細かく切りそろえられていく食材を見つめながら、後ろで椅子に座っている祖父に話しかけた。
「ねえ、おじーちゃん」
「ん?」
「私ね、16歳になったのよ? ……二日前にね」
それを聞いたセルダンは飲んでいたコーヒーを思わず吹き出し、咳き込むと慌てて弁明した。
「そ、それはすまなかった。だが、お前ももうすっかり大人の女性になったな」
「何言ってるのよ、おじーちゃん。私はずいぶん前から大人の女になってるのよ!」
「そうか……そうだな……」
そう言うと、二人とも口を閉じた。静かなキッチンにジェシカの包丁の音だけが心地よく響く。セルダンは彼女の後姿を眺めながら、ジェシカがやっと女性らしい雰囲気をまとい始めたと一安心した。
美しい容姿に恵まれているにもかかわらず、美容やファッションなどにまるで気を遣わず、自身の能力の開発と数学などの学問にのめりこみすぎなジェシカの普段の様子を気にかけていたからだった。
だが、それと同時に一つの大きな不安材料が浮かび上がってくるのをセルダンは感じ取っていた。
ジェシカが自分の恋人あるいは伴侶としてどのような男を選んだとしてもそれは一向に構わない。ジェシカが幸せに暮らしていけるのならば……
だが、その相手がブランダバスではだめだ。ジェシカの相手として彼に不足があるわけではないし、ブランダバスとジェシカは一まわり半ほども年が離れているが、それは大した問題ではない。
セルダンが感じ取った不安材料とは、ブランダバスは『テルミナスへ行かなければならない』し、ジェシカは『トランターに残らなければならない』という変え難い事実だった。
若い二人を割く気は毛頭ないが、二人の心が近づけば近づくほど残酷な事実が二人の心を切り裂くことになる。セルダンは孫娘の成長をうれしく思うと同時に、この事がジェシカにとって悲劇の火種になる可能性を危惧した。
だが、その一方で、二人の間に子供ができたとしたら、その子供はジェシカの『能力』を受け継ぐだろうか、という純粋に科学者としての興味もある。
特異な形質(生物の持つ特徴。特に外見的なものを指すことが多い)というものはたいていの場合、レオポンやライガーのように生殖能力に問題がある場合が多い。
『干渉』能力は生物学的な形質ではないように思えるが、とにかく今はその異能が生物学的な遺伝フォーマットに当てはまらないのを祈るしかない。また、それとは別に将来的には後天的に獲得できる形質となるよう、能力の開発技術を急いで確立する必要がある。
二人が親密な関係を築く前に彼らの未来はいずれ違う道をたどるのだ、という事についてはジェシカに注意を喚起しておくべきだが、目の前でブランダバスのために料理を作っているジェシカの嬉しそうな様子を見ると、今の彼女の喜びに水を差すのも決まりが悪く、強制的では無いものの彼女の青春を制限せざるを得なかった彼にはとても言い出せなかった。
あるいはもしかすると彼自身の思い込みに過ぎず、二人ともお互いにそんな感情は全くなく、自分の勇み足である可能性もある。結局、彼はひとまず様子を見るという事で態度を保留することにした。
一通り、ブランダバスのための料理ができた後、ジェシカはセルダンの前に料理の一つをもってきて言った。
「ねえ、おじーちゃん、味見してみて」
それを聞いたセルダンは少し笑いながら「なんだ、ワシは毒見役かね?」と不平を言ったが、一つ口に入れてかみしめながら飲み込むと、うまい、全く問題ない! とジェシカに伝えるのだった。
ジェシカが料理を包んでランチボックスに詰め込み始めると、セルダンは少女の背後に声をかけた。
「ジェス。ブランダバス君と会ってからでいい……『組織』に接触して『クレア』を呼び出してほしい。明日の午後2時、例のところで待っていると……」そう言って彼は口をつぐんだ。
ジェシカは作業をしながら背後を振り返り祖父の顔を見た。悲しみや怒りあるいは謝罪の気持ちなど様々な成分が入り混じった複雑な表情だった。
「クレアって……クレア・デュランダルさんのこと?」
「ああ……」
「そう……彼女の名前が出てくるってことは、本当に移住計画が実行されるんだね。なんだか今でも現実離れしてて夢の中にいるみたい」
「まあ、ワシらは残るし、移住計画の実行に関与してないからね。だが、<大学>にいる科学者とその世帯の人たちにとってはリアルそのものだ……クレアにとってもな」
「わかった……」ジェシカはそう一言だけ添えて黙った。
結局、その日の二人の会話はそれで終了した。セルダンはこれ以上ジェシカにかける言葉はなかったし、彼女も祖父のいつもと違う様子を察知していたからだった。
ジェシカが行ってきますと独り言をつぶやくように彼に声をかけて部屋を出ていくと、セルダンは背もたれに身を預け天井を見上げた。
「方程式は何度も見直したし、コンピュータと心理歴史学のチームに検算と方程式の解が及ぼす効果についてブレインストーミングを何度も行わせ、ありとあらゆる起こりうる未来を気が遠くなるほどの回数検証させた。打てる手はすべて打った……あとは推移を見守るだけだ」
そうつぶやくと、彼は静かに目を閉じた。