3.72%の少女   作:六位漱石斎正重

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 マイケルのためにランチを作ったジェシカは<大学>へと急ぐ、だが<大学>は多くの人々であふれ、その上マイケルの連絡先も知らない彼女は途方に暮れる。ジェシカはやむを得ず、まずクレアと連絡を取ろうとするのだが……


第十九話 コンタクト

「何が面白いんだか知らないけど、みんな暇ねー」

 

 <大学>の周りを取り巻いている軍隊や野次馬の人々を見て、うんざりした様子でジェシカはそうつぶやいた。

 

 <大学>の出入り口付近には人だかりができていて、その人々の塊の後方でジェシカはぴょんぴょんジャンプしたり、人々の体の横の隙間から<大学>の中の様子を探ろうとしたが、まったく内部を窺い知ることはできなかった。

 

 埒が明かないと思ったジェシカは意を決して、人ごみをかき分け<大学>への入り口である門を目指してしゃにむに突き進んだ。小柄なジェシカは周囲の人々にもみくちゃにされながらもマイケルのために作ったランチボックスを必死の思いで守り、やっとのことで門の前にたどり着いた。

 

 だが、その時の彼女の姿は惨憺たるありさまで、かぶっているカモフラのキャップは頭から脱げかかっていたし、上から羽織っていた暗めのモスグリーンのニットカーディガンからは左肩が露出していて破れかかっている上に、シルクホワイトのリブキャミソールもマットブラックのショートプリーツスカートも皺くちゃになっているという散々な状態だった。

 

 人ごみから離れるとジェシカは手早く身なりを整え、門の前に離れて立っている二人の守衛ににこやかに笑いかけた後、近い方の守衛に体を向けた。

 

 守衛は銃器や危険物の持ち込みがないかすばやく少女の全身を一瞥したあと、彼女の発言を促すように首をわずかに傾けた。

 

 その時になって初めてジェシカはかすかに困った表情を浮かべた。マイケルの知り合いだと名乗ると余計な注意をひきかねない。彼らは当然ジェシカとマイケルがどんな関係かを探ろうとするだろう。

 

 実際に帝国コンフォートホテルのマネージャーとこういった件でトラブルになった苦い過去がある。また、その確認のために無駄な時間を割かれ、この場に釘づけになることになるのは当然予測できる事態、というか必然に違いなかった。

 

 ジェシカはどのように声かけをするかほんのわずかな時間迷ったが、意を決して守衛に話しかけた。

 

「ランチデリバリーサービス・ヘスティーアです。ご注文の品をお届けに上がりました」

 

 ジェシカはそれだけ伝えるとにこやかに守衛に笑いかけた。守衛はそんな名前の飲食店があるかどうかなどわからなかったし、それを確認しなければならない特別な理由はなかったが、念のためにランチボックスの中身を見せるように指示した。

 

 ジェシカは素直にその指示に従いランチボックスの中身を守衛に見せたが、守衛はランチボックスの中身には目もくれず、彼女の体をなめるように凝視した。

 

 二呼吸程のわずかな時間が過ぎたあと、ジェシカは守衛の下卑た視線を察知しニットカーディガンを内側に寄せて肌の露出を少なくした後、「ンっ」と咳払いした。

 彼女の身体を凝視していた守衛は気まずくなったのか慌てて、中にはいってよろしいと入校の許可を出した。

 

 <大学>の中に入ったジェシカは茫然とその場の光景に息をのんだ。人、人、人の渦だ。無論、ジェシカはそれまでに祖父に連れられて何度も<大学>を訪れたことがあったし、<大学>の施設を利用したりしたこともある。

 だが、二万世帯約十万人の人々の規模がこれほどのものとは思わず、彼女は驚愕したのだった。そして、いったい、どうやってこの中からマイケルを見つければいいんだろうと、彼女は不安になった。

 

 まさか大声を出してマイケルの名前を叫ぶわけにもいかない。叫んだところで到底見つかるはずもないし、向こうも自分を見つけることはできないだろう。こんなことならさっきの守衛にマイケルの知り合いだと告げた方が良かったかもしれない、と彼女はため息をついた。

 

 ジェシカは<大学>構内のカフェに入って飲み物を受け取った後、席に着いた。騒がしい広場で立ち尽くしていてもマイケルを探し当てるいいアイデアが浮かばないと考えたからだった。

飲み物をのどに流し込みつつしばらく考え込んでいたジェシカだったが、すべてを解決する名案がそう簡単に浮かぶはずもなく、漠然と時間だけが過ぎていった。

 

「私……こんなところで何してるんだろう……」

 

 マイケルのために持ってきたランチボックスを見つめながらジェシカは自嘲気味にそうつぶいやいた。しかたがない、もう一つの用事を済ませよう。そう彼女は決心した。

 

 もう一つの用事とは祖父から依頼されたもので『クレア・デュランダル』に接触し、彼女に祖父との待ち合わせ場所を伝える事だった。

 ジェシカには、この十万人の人々の中からマイケル一人を探し当てることはできないが、()()()()()()()()()()()()ことはできる。だからこそ、セルダンはジェシカにこのことを頼んだのだった。

 

 ジェシカは肘をテーブルにつき両手を組むとその上に自身のひたいを乗せ目を閉じた。間もなくカフェの中の喧騒が次第に彼女の意識から遠のいていった。そして頭の中が完全に『無音』になると、彼女はクレアを『探し』始めた。

 

 このジェシカの驚異的な集中力こそ彼女の能力の源泉でもあった。TO(訓練担当官)は、ジェシカが能力を行使している際に採取した脳波のデータを見ながら彼女に言った。

 

「私はもう40年近く人間の脳波の研究を生業としているが、こんな波形は未だかつて一度たりとも見たことがない。ジェシカ、お前の集中力は尋常じゃない。一般的な人間のそれをはるかに凌駕している。お前のママも強力な異能者だったが、彼女の脳波とはまた違ったパターンだな」

 

 TOが脳波を採取しその波形を分析している間、退屈を持て余し頬杖を突きながらあくびばかりしていたジェシカだったが、彼女の母の話がTOから出てきたことに興味を示した。

 

「ママのこと知ってるの?」

「ああ、もちろん」

「どんな人だった? 詳しくお話して」とジェシカ。

「ああ……また今度な」とTOは歯切れの悪い言い方をした。

 

 その初老のTOは、ジェシカから視線を外し、再びジェシカから採取した脳波のグラフを眺めると、信じられないといった様子で再び口を開いた。

 

「人はよく安易に『悟りを開いた』などと言ってのけるが、普通の人間はどんなに集中しても完全に雑念が消えることなどありえない。もしかするとお前は生身のままニルヴァーナに至っているのかもしれないな……」

 

「ニルヴァーナって、何?」と、ジェシカ。

「ニルヴァーナとはすでに死滅した古い言葉でな、涅槃(ねはん)つまり悟りの境地を言う。人が到達するべき理想の境地で、普通は死んで初めてそれが可能になるとも言われている」

 

「ふーん……よくわかんないけど、それってほめてるの?」とジェシカは訝しげな表情で尋ねた。

「ああ、もちろん」そうTOはかしこまって答えた。

 

 それを聞いてジェシカは笑みを浮かべた。それはアルカイックスマイル(仏像の笑み)のような柔らかい笑みだった。

 

 ジェシカがクレアを『探し』始めると、反応は即座に起こった。『向こうも気づいた』ジェシカにはそのことが分かった。クレアも能力者で『組織』の一員だからだ。

 

 ただ、彼女たちの『コンタクト』は言語を介する方法ではない。言葉で表現するにするには難しいが、感情や意志が色や形、場合によっては匂いとなって伝わるといったほうがより実態に近いだろうか。

 しかしながら、一般的な人たちにとって、色や形でのコミュニケーションではまるで意味が伝わらないし、ここでは便宜上言葉を使った通信方法に変換して記述することにする。内容に関してはこうだ。

 

「ジェシカ、久しぶりね。元気だった?」

「ええ、まあ元気にしてたけど、私はともかくおじーちゃんは騒動に巻き込まれて大変だったわ」

「セルダン博士がこっちにいた時、彼に直接聞いて私も知ったけど、数学者全体会議は延期になるし彼自身も軟禁されるし、で散々な様子だったみたいね」

「そうね、確かに貴族連中が直接行動に出た時期が思ったより早かったのには驚いたけど、私は特におじーちゃんのことは心配してなかったわ」

「ええ、わかってるわ。ただ『あの人』は、はるか遠くのことを見通せる人知を超えた才能を持っているくせに、自分自身の事や身近なことにはまるで気がまわらない。私は以前からそのことが気がかりなの」

「まあ、それがおじーちゃんらしいと言えばおじーちゃんらしいんだけどね」ジェシカは気楽にそう言ったが、クレアはそれを聞いてしばらく黙り込んだ。

 

 クレアが祖父のことを『あの人』と呼んだ時の感情には複雑なものがあった。ジェシカはクレアと『コンタクト』しているとき、祖父のことが会話の話題に上るときにはいつも、今のような複雑な感情がさざなみのようにクレアから伝わるのだった。

 

 その成分は好意・関心・悲しみ・あきらめなどが複雑にまじりあったものだった。ジェシカはその感情について何度もクレアに尋ねてみたかったが、ついに今までそれができなかった。女同士という事や、年齢差が関係しているのかもしれない。

 

 ただ、はっきりとわかっているのは、興味本位で他人の心に立ち入るべきではないという漠然とした畏れの感情がいつも沸き起こる事だった。クレアはしばらく黙っていたが、ジェシカに要件を伝えるよう促した。

 

「えっと……おじーちゃんが会いたいって」

「そう……今頃何かしら? <大学>にいた時に話せばよかったのに」

「話の内容については私にはわからないわ」

「で、私はどこに行けばいいのかしら」クレアはそう尋ねると、ジェシカは『ここ』と一言答えると、待ち合わせの場所のイメージをクレアに()()()

 

 クレアはしばらく黙った後、「わかったわ」と短く答えて、再びジェシカに語り掛けた。

 

「ねえ、ジェシカ。あなたは……」

 

 クレアがそう話しかけた途端、ジェシカから驚愕と恐怖の感情が津波のようにクレアに押し寄せてきた。そして唐突にジェシカとの『コンタクト』は途絶えた。いきなり『コンタクト』が途絶えたことにクレアは驚いたが、特段ジェシカのことを心配はしていなかった。

 

 ジェシカなら大丈夫だろう。強力な能力者だし、急なトラブルの対処方法も訓練はしている。それに私の能力はほぼ『受信』のみで、極めて弱い『発信』力を持つに過ぎない。現在私が打てる手立ては何もない。そう考えると、クレアはジェシカの無事を祈った。

 

 ジェ……ジェシ……遠くから何がか聞こえる……何? 私を呼んでいるの? 私を呼ぶのは誰? 身体が……私の身体が揺れている……何? 何なの?

 

 ジェシカはいきなり現実に引き戻され、ハッと我に返った。顔に驚愕と恐怖の表情が張り付いている。彼女の心臓は張り裂けんばかりに激しく鼓動を打っていた。それはまるで直前に全力疾走を続けたかのような激しさだった。

 

 それと同時に、ジェシカは自分の身体が揺れていることに気づいた。誰かが私の身体を揺さぶっている。彼女は大きく息を切らして首を回すのも一苦労と言った態で、彼女の体を揺さぶっている者に目を向けた。

 

「ジェシカ! こんなところで何してる?」そう言ったのはマイケルだった。ジェシカは弱々しく力のこもらない様子で、ブランダ……バス……博……士?と尋ねた。

「そうだよ、僕だ。マイケルだよ。いったいこんなところで何してるんだ、ジェシカ」

 

 それを聞いたジェシカは少しいらだった様子で、自分の肩に手をかけているマイケルの手を振り払って言った。

 

「ちょ、ちょっと、私の体をゆすらないでっ!」

 ジェシカの剣幕に押されマイケルは驚き、「す、すまない」と言って彼女から離れた。

 

 ジェシカは自分の身体に何が起きたのかを理解した。極度の精神集中をしている最中に自分の肉体に無視できない刺激が加えられたため、唐突に精神集中が途切れ無理やり覚醒させられたのだった。

 

 突発的な身体への刺激に対応するべく交感神経がフル稼働しはじめた。それがこの激しい心臓の動悸の原因に違いない。これは電子機器を使用している最中に正規の終了手続きを行わずにコンセントをいきなり引き抜いたのに等しい。

 

 だが、これはどう考えてもジェシカに非がある。『干渉』のようにほぼ瞬時に完了する作用とは異なり、『コンタクト』では場合によっては長時間の精神集中が必要だ。カフェの中という自分の肉体に何かが干渉してくる可能性を失念していたジェシカの自業自得といってよく、マイケルを非難するというのは筋違いというものだろう。

 

 ただ、これはジェシカにとって身をもって知った大きな教訓となった。今後彼女は他人が自分の肉体に関与する可能性のある場所では決して他の能力者と『コンタクト』することはないだろう。

 

 ジェシカの呼吸が治まり始めた頃、マイケルはジェシカの様子をうかがうようにしながら恐る恐る、「座ってもいいかい?」とジェシカに尋ねた。

 

 ジェシカは、ええ……どうぞ、と言ったが横を向いたままだった。大層不機嫌そうな表情だった。

 

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