3.72%の少女   作:六位漱石斎正重

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 数学者マイケル・ブランダバスは帝都トランターの宇宙港に到着するが、宇宙港のあまりの広大さに目を白黒させる。
 その宇宙港の広大さに応じて、当然入港手続きも煩雑となり、いつまでたっても入港手続きの進捗が見られないことに、ブランダバスはいら立ちを覚えるのだが……


第二話 入都手続き

 そこは巨大な宇宙港のロビーだった。天井ははるか高みにあるのか、それらしいものはまるで見えない。また、あまりに広大すぎて遠方が霞んで見えるほどの広さだ。もしかすると、6キロメートル四方ほどの広さがあるのではないかと、マイケルは見積もった。

 

 彼の体は、一辺3メートルほどの細い一つの赤色のグリッド(格子)に囲まれていた。彼の周りのグリッドもすべて赤色で、みな入国手続きのために順番を待っているのだった。

 

 マイケルは客船を降りて、この列に並んでから他にやることもないので、それまでに何度も試みたことを再び試してみた。

 

 彼は自分の体の周りを取り巻いているグリッドにそっと手のひらで触れてみたが、今まで試したときと同じく、自分の手をグリッドの外に出すことはできなかった。目には見えないが何か硬いものを触っている感触がある。

 

 列に並んでからもう2時間もグリッドの移動とともに前に進んでは止まるということを繰り返していた。ようはゲージだ。まるで動物の扱いだな、と彼は内心憤慨した。

 しかもこのグリッド内では電子機器が一切使用できない。テロ対策だか何だか知らないが、度が過ぎているように彼には思われた。

 

 しばらくすると、彼の視線の少し上方の中空に『先に進め』という文字列がきらびやかなネオンサインのように瞬いた。彼はグリッドの移動とともに前方に進むと、グリッドは黄色へと変化し、彼の前面のグリッドの一部が消失した。

 

 彼の前には厳しい表情をした入国係官が、ストゥール(背の高い、ひじ掛けや背もたれのない椅子)に座って彼を凝視していた。係官は愛想のかけらもなく「入国許可証」、とぶっきらぼうに言った。

 

 彼はこの係官の心証を悪くすると、難癖をつけられて入国手続きが伸びるのではないかと恐れ、慣れない愛想笑いをしながら入国許可証を係官に差し出した。

 

 係官は入国許可証を検査機に通して問題がないことを確認したが、すぐに彼に許可証を返却せず、今度は入国許可証を光にすかしてみたり、裏表をひっくり返したりして、隅から隅まで入念にチェックし始めた。

 

 検査機を通して正規のものであることを確認したにもかかわらず、それはまるで、この入国許可証は偽造したものに違いないという確信をもっているかのような念の入れようだった。

 マイケルはその光景を見て、何度見たって本物だよ、無駄なチェックはやめて早くここから解放してくれと心の中で言った。

 

 入国許可証を十分な時間をかけてチェックした後、係官は面倒くさそうに「帝都への入都目的は?」と尋ねた。

 マイケルは「数学者全体会議に参加するためです」と短く答えたが、係官は何も言わず彼を見つめていたので、『善意』でもう少し細かく説明することにした。

 

「私は地方の数学者で、専門は『サロゲートカオス理論』です。サロゲートカオス理論というのは、データの特徴を調べる統計学の一分野で……」とマイケルは説明を始めたが、係官はあからさまに迷惑そうな表情を浮かべ彼を遮り、「危険物や、非合法な麻薬及び向精神薬、あるいは商品としての人間の持ち込みはありませんな?」と念押しした。

 

「『商品としての人間の持ち込み』ですって? とんでもない!」と彼は答えた。

 

 それを聞いた係官はもう彼には興味はなくなったかのように、「行ってよろしい」と短く答え、入国許可証を彼に返した。それと同時にマイケルを取り囲んでいた黄色いグリッドは跡形もなく消失した。

 

 彼は「どうも」と短く答えてその場を離れようとしたが、そこで電池が切れたかのようにその場に佇んだ。

 

 係官はそれを見て、訝しげに「どうしたね? もう行ってよろしい」と言ったが、彼がその場を動こうとしないのを見て明らかにイライラしはじめた。

 

「何だね、後ろがつかえているんだから早く行きなさい!」と大声を出した。

 

 係官の大声を耳にした周りの人々の視線が、マイケルに集まったが、彼はそんな状況に気づいた風もなく、戸惑いながら「すみません、どこへ行けばよろしいのでしょうか」と恥ずかしそうに係官に尋ねた。

 

 それを聞いた係官は最初は少し驚いた表情を浮かべたが、次第にそこにさげすむような成分が加わっていった。マイケルは係官が軽く舌打ちしたのを耳にしたが、聞こえないふりをして係官の指示を待った。

 

 係官はやれやれといった風で自分の右側の方向を指して言った。

 

「向こうにエアタクシー乗り場がある。そこでドライバーに今日宿泊予定のホテルの名前を告げなさい。タクシー乗り場までの道筋は、今君が持っているチケットの右上にあるタクシーのアイコンに触れれば、乗り場までの道筋が輝く緑色のラインとなって地面に現れる。そのとおりに進めばどんな方向音痴でも乗り場までたどり着くよ」

 

 マイケルは「ありがとうございます」と短く答えてその場を後にした。

 

 彼はチケットの右上のタクシーのアイコンに触れ、乗り場までの緑色のラインを床に表示させたあと、それに沿って歩き出した。途中何度か他の人達に体をぶつけ、失礼とつぶやきながら黙々と床に描かれた輝く緑色のラインをたどっていった。

 

 タクシー乗り場にたどり着いたマイケルはその場の光景に息を呑んだ。重力制御された数百台ものエアタクシーが天空から飛来して音もなく空港の床すれすれについたかと思うと、すぐに乗客を乗せて上空へと飛び去った。

 

 彼にはその仕組がどうなっているのか皆目見当がつかなかったが、乗り場付近に設置された大型モニターが、帝都のエアタクシーとドライバーの品質は銀河一で、人為的に引き起こされた事故を除いて安全に利用できることを盛んに強調していた。

 

 その『人為的に引き起こされた事故を除いて……』という文言に彼はかすかに怯えた。

 

 マイケルはエアタクシーに乗り込み、「帝国コンフォートホテルへ」とドライバーに告げると、エアタクシーは彼を乗せたまま、音も大きな衝撃もなく空高く上昇していった。

 

 その光景を車内から見たマイケルは恐怖のあまり、爪で穴が開きそうなほど強く助手席の背後のシートにしがみついた。

 

 それを見てエアタクシーのドライバーは「お客さん、そんなに怖がらなくても大丈夫ですよ。例え運転中に私が突然死しても、車両は勝手に地表に無事に到着します。保証しますよ」と笑った。

 

 マイケルは、本当にそうだといいんだが、と疑わし気な目でドライバーを見つめたが、車体が思ったより揺れないので少し緊張がほぐれ、助手席のシートから手を離した。

 

 ドライバーは「お客さん、帝都にはどんな用事で来られたね?」と彼に尋ねた。ひどい訛りだった。人のことは言えないが恐らく自分と同様、地方の星系の出身だろう、と彼は思った。

 

 そもそもトランターの構成人口は、ほとんど他星系出身の人々で、純粋なトランター生まれトランター育ちの帝都市民が一体、どれほどいるだろうかと彼は疑問に思った。

 

「トランターのある著名な社会科学者に招待を受けたんだよ」とマイケルは短く答えた。

 

 マイケルには不思議極まりないことだったが、どうやら世間一般の人々にとって数学とはそれほど関心のある対象では無いらしい、と薄々感づくくらいの感覚は持ち合わせていたため、先程の係官以上に学問に興味のなさそうなこのドライバーに数学のことをごちゃごちゃ話す意味はないと考えたのだった。

 

 ドライバーは少し考え込むように首を傾げたが、そのうち「トランターの著名な社会科学者? ……()()()()のことかな?」とつぶやいた。

 

 マイケルはホテルに着くまで少し眠りたかったが、ドライバーの聞き慣れない言葉を耳にして、興味が湧いたのかこう尋ねてみた。

 

「いや、その人のことは知らないよ、僕が会いに来たのは『ハリ・セルダン博士』の方だよ」

 

 ドライバーはルームミラー越しにマイケルを見つめて、「うんにゃ、そのセルダン博士のことを巷ではレイブンって呼んでるんでさぁ」といってにやりと笑った。

 

 レイブンとは悪や不吉を伝える神話上の大鴉(オオガラス)のことを指す。

 

 マイケルは「レイブン……一体なんだって、セルダン博士にレイブンなんてそんな不吉なあだ名が……」と、彼はルームミラーに写ったドライバーに向かって問いかけた。

 

「実際、セルダン博士は不吉なことを予言しているからね。あんな恐ろしいことばかりメディアで発言していたら、そのうち帝国に対する不敬罪で逮捕されるんじゃないんですかね」と、ドライバーは答えた。

 

 マイケルが、「不吉なことって?」と水を向けると、ドライバーは待ってましたとばかりに反応したが、表情は少し固く困惑気味に「この帝国が滅びるそうですぜ、そう遠くない未来に……」と、答えた。

 

「なんだって!?」と、マイケルは小さく叫んだが、そのまま何かを考え込むかのようにうつむいた。

 

 ドライバーは話を続けようとしたが、マイケルは「すまない、ちょっと考え事をしたいんだ。黙っていてくれないか」と、答えた。

 

 ドライバーは少し残念な表情を見せたものの、本来の業務を思い出したらしく黙って運転を続けた。

 

 マイケルは大きく目を見開き前方の助手席のシートの背後に視線の定まらない顔を向けて、小さくつぶやいた。

 

「滅びる? ……この帝国が?」

 

 それは今日彼が耳にした中で、最も彼を驚愕させた情報のうちの一つだった。

 

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