3.72%の少女   作:六位漱石斎正重

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 全感覚を消失するほどの集中力で『コンタクト』を行っていたジェシカは、突然マイケルに身体を揺さぶられて無理やり現実に引き戻された。
 その結果、彼女の心臓ははちきれんばかりに脈動し、その顔には恐怖と驚愕の表情が浮かぶ。そんなジェシカの様子を全く知らないマイケルは、なんとか『女神様』のご機嫌を取ろうとするのだが…



第二十話 マイケルとジェシカ

 同じテーブルの席に着いたマイケルは恐る恐る「大丈夫かい、ジェシカ? ずいぶん汗をかいているようだけど体調が悪いのか?」とジェシカに尋ねた。

 

 ジェシカの呼吸はもう落ち着きを取り戻していたが、極度の精神集中から強制的に覚醒させられ、驚きと恐怖の感情に包まれたジェシカは、ええ、あなたが私の身体を揺らすまでは元気だったわ、と皮肉の一つでも言ってやろうと思ったものの、結局彼女の口からは「ええ、大丈夫」と力のこもらない声が出てきただけだった。

 

「そうか、君が眠っていて悪夢にうなされているように見えたんでね。無遠慮に君の身体を揺すって悪かったよ」

「もう、いいわよ……」とジェシカは答えたが、不機嫌そうな表情は顔に張り付いたままだった。

 

 気まずい感情を抱いたマイケルは話題を変えた。

 

「ところで、ジェシカはなんで<大学>に来たんだ? セルダン博士は自宅に戻ったんだろ?」

 

 そう尋ねたマイケルは至極当然の疑問を投げかけたつもりだったが、それを聞いたとたんジェシカは激しい怒りの表情を浮かべてマイケルを睨みつけながら叫んだ。

 

「私は用がなければ<大学>に来ちゃいけないわけっ? あなたがトランターに来る前から私はしょっちゅう<大学>に来てたのよっ!」

 

 急に大声を出した彼女に周囲の客たちの視線が集まる。マイケルはきょろきょろと周りをうかがった後、声を潜め困った表情でジェシカをなだめるように話かけた。

 

「そ、そんなこと誰も言ってないだろ? 何をそんなに怒っているんだ、ジェシカ?」

「別に怒ってなんかないわよっ!」ジェシカはそう言ったものの、不機嫌さを隠すそぶりもなくプイっと横を向いた。

 

 せっかく会ったんだ、どうせ女の子と話すなら楽しく話をしたい。何故ジェシカが怒っているのか見当もつかないが、なんとか彼女の怒りを鎮めなければならない、そうマイケルは思った。

 

 頭の中で他の話題を考えていると、ふと彼はテーブルに置かれた小さな包みに気づいて彼女に尋ねた。

 

「ジェシカ、それは?」

 

 ジェシカはマイケルの視線がランチボックスに注がれているのに気付いて、「こ、これは……べ、別に何でもないの」というと、慌ててランチボックスを自分の手元に引き寄せた。彼女の顔は真っ赤になっていた。

 

 マイケルには、ジェシカのそのしぐさが小動物がエサを隠すような行動に見えたようで、「別に僕は盗ったりしないよ」と言って笑った。

 

 マイケルのために作ったランチのはずなのに、自分がどうしてそのような行動をとったのか彼女にはわからなかった。

 

 しばらく無言の時間が過ぎると、ジェシカはさすがに自分の行動が子供じみていると反省したのか、なんとか怒りの成分を声の調子から取り除いてマイケルに話しかけた。

 

「あなたはなぜここに?」

 

 ジェシカから話しかけられたマイケルは、待ってましたとばかりに答えた。

 

「僕? 僕は、食事はだいたいこの店で取ることにしているんだよ」

「えっ? 毎日?」

「まあ、毎日というほどでもないけどボリュームもたっぷりで味も悪くないし、それにそこそこリーズナブルだしね」

「そう……」ジェシカはそう言って再び黙り込んだ。

 

 マイケルは、せっかく女神さまのお怒りが解けそうなチャンスだ。これを逃すわけにはいかないと思い、話を続けた。

 

「僕は特に食事にこだわる方じゃないし……」

「でもいつも同じ店だと飽きない?」と、ジェシカ。

「まあ、飽きるか飽きないか……というと飽きるんだけど、そこはメニューのローテーションでなんとかするのさ」そう言うと彼は笑った。

 

 マイケルが続ける。

 

「実を言うと、本当は僕たち移住組の生活費は『セルダン財団』から出ていてね、生活するのに自分達の持ち出しはないんだ。でも移住する人達はおよそ十万人もいるし、各々が贅沢するほど財政に余裕があるわけじゃないからね。僕は食事をする店がいつも同じ店でもちっともかまわないよ」

 

 ジェシカは、財団の資金で彼の生活が賄われていて、なるべく安く食事を済まそうという彼なりの気遣いを知ってかすかに驚いた。

 というのも、彼女と出会ったばかりのマイケルはそういったことに気が回るような男性ではなかったはずで、ここ数日の間にいきなり人間としての器が大きくなったというわけでもないだろうが、彼の視野が広がったことは確かだと彼女は気づいたからだった。

 

 それと同時に、自分が家で引きこもっている間にマイケルは人間的な成長をしており、彼と関わった名も知らない人々にジェシカはかすかな嫉妬心を抱いた。

 自分が知らない間に相手の印象が変化して、自分が置きざりにされたような感情を抱いたのかもしれない。彼女のそんな複雑な感情に気づくはずもなく、マイケルは再びジェシカに話しかけた。

 

「なあ、ジェシカ、ランチがまだだったら一緒に食わないか?」

 

 彼女は無論その誘いに応じた。

 

 従業員にいくつかの料理を注文し、再び席に着いた二人はこれまでに起こった出来事をお互いに話し始めた。

 

 マイケルは、収監されてどのような取り調べがあったのか、いつどのようにして開放されたのか。ジェシカは祖父の事、その間のジェシカ自身の事など、二人はお互いに初めて知ったことについては驚き、そのほかの話題については興味深げにお互いの話に耳を傾けていた。

 

 和やかにランチの時間は過ぎていき、二人の親密さが増し始めた頃、唐突にマイケルの持っている電子機器からランチの終了時刻を告げる小さなアラーム音が鳴り始めた。アラームを止めた後、マイケルは椅子から立ち上がってジェシカに言った。

 

「ジェシカ、僕はもう行かなきゃ。今日は君と会えてよかったよ。君が<大学>に来た理由が僕に会いに来た、という事だったらもっとうれしかったんだがな。まあ、何かのついででも偶然でも僕はちっともかまわないよ」そう言って彼はジェシカにウィンクをした。

 

 それを聞いてジェシカは、じゃあ私も、と言って席を立とうとしたが、「いいよ、君はそのまま食事を続けてくれ」と言ってマイケルは彼女を制止した。ジェシカは話に夢中になりすぎて目の前の料理が半分以上残っていたためだ。

 

 マイケルの言葉を聞いたジェシカは再び椅子に腰を下ろすと、少し拗ねたようにマイケルを上目遣いで見上げた。

 

「じゃあ、ジェシカまたな」そう言って席を立って去っていくマイケルの後姿を見送りながら、ジェシカは自分自身に腹を立てた。

 

 何やってるの私は! このランチボックスどうするのよ。このまま彼に渡さないで家に持ち帰って自分で食べるつもり? ……そんなの……そんなのあまりにみじめすぎる。

 

 そう思いマイケルに声をかけようと口を開いた瞬間、マイケルはこちらを振り返った。その瞬間があまりにタイムリーだったため、もしかするとマイケルが自分の思念に反応したのではないかと彼女は誤解した。

 

「ジェシカ、言い忘れていたが……僕は女の子のファッションとかは全く分からないんだけど、今日の君の姿はなんだか……なんだかとってもチャーミングに見えるよ」そう言ってマイケルは微笑んだ。

 

 何よ、今頃……そういうことは最初に会った時に言うものでしょ? とジェシカはあきれたが、その言葉を聞いて自分の身体の中にこもった余計な力が抜けていき、心が軽くなっていくのを彼女は自覚した。

 

 ジェシカは今日のコーデを決めるため、ああでもないこうでもないと2時間近くも悩みぬいたのだった。普段ははかないスカートも今日ははいた。それが今のマイケルのたった一言ですべてが報われたと感じたのだった。

 

「それじゃ」と言って再び背を向けて去っていくマイケルにジェシカが声をかけた。

「ま、待って!」

 

 マイケルは少し驚いた様子でジェシカの方を振り返ったが、ジェシカが何も話そうとせずただ黙って自分を見ているのを訝しく思い、彼は再びテーブルまで戻った。彼はジェシカの言葉を待ったが、もじもじして下を向き何も話そうとしないジェシカの様子を見て、わずかに首を傾げた。

 

 ランチが終わったら急いで仕事に戻らなければならないわけではなかったが、移住計画に多少の遅延が出ており持ち時間が潤沢とはいえない状況下にあったため、無駄な時間はなるべく避けたいというのが本音だった。

 それでも彼はジェシカが何か大切なことを話そうとしているくらいの様子を察知する感覚は持ち合わせていたため、辛抱強く待ち続けた。

 

 席に座ってうつむいている少女を前に中年男が立ちつくしたまま、ただ黙って見つめている。その姿はカノッサの屈辱を思わせるものがあったが、マイケルは何も言わず黙って待ち続けた。そんな二人の姿を周囲の客たちが興味深そうに眺めている。

 

 しばらくそうして無言の世界を作ったジェシカはふと顔を起こしマイケルを見上げた。マイケルとジェシカの視線がまともにぶつかり、ジェシカの頬は真っ赤に染まった。

 

 ジェシカはマイケルの視線を避けるかのように体ごと横を向くと、左手でおずおずとランチボックスの包みをマイケルの方に押し出すようにして、彼に言った。

 

「あ、あの、これ……」ジェシカはそう言うと再び下を向いて黙り込んだ。

「えっ? 僕に?」とマイケルはひどく驚いた。

 

 先ほどこの包みのことを話題にしたときに、慌てて腕で囲い込んで包みを隠した彼女の姿を見ていたので、まさか自分あてのものだとは彼には想像がつかなかったからだった。

 

「ありがとう、なんだろう?」

「ランチボックスよ。お弁当……」

「君が作ったのかい?」

「ええ……まあ……」

「女性に飯を作ってもらうなんて僕は初めてだよ! うれしいな」と、マイケルは心底嬉しそうな表情でそう言った。

 

 マイケルの言葉が想像以上に大きかったのか周囲の視線が増々集まってくるのをジェシカは敏感に感じ取り、慌ててマイケルに言った。

 

「ちょっと! 声が大きいわ……あの、その……私はそのつもりはなかったんだけど、ブランダバス博士が食事とかに不自由しているんじゃないかって、おじーちゃんが言うから……それで……」

 

 そう言って再び下を向いたジェシカにマイケルは話しかけた。

 

「ありがとう。これは夜食にする。一つ一つ味わいながらいただくよ」

「うん……」

「じゃあ、僕は行くよ。まだまだやることがあるんだ。ジェシカまたな」そう言ってマイケルは店の出口に向かって歩き出した。

 

 その後姿にジェシカが声をかける。

 

「お仕事がんばって! マ……マイケル」ジェシカは思い切ってブランダバスをファーストネームで呼んだ。

 

 マイケルは一瞬立ち止ったがジェシカの方を振り返らず、右手を軽く上げてそのまま立ち去って行った。

 

 なんとか今日の用件は全て終えた、ジェシカはそう思った。そしてほんのしばらくのあいだ下を向いてジェシカは余韻に浸っていたが、ふと顔を上げると周囲の視線がまだ自分に集まっているのに彼女は気づいた。

 

 見世物を見るのはいいが、自分が見世物になるのはまっぴらだ。ジェシカは再び頬を赤く染め慌てて店を後にした。

 

 自宅に戻ったジェシカは今日の出来事を祖父に報告した。クレアに落ち合う場所を伝えたこと、マイケルにランチボックスを渡したこと。ジェシカは近年まれにみるほどの上機嫌だった。

 セルダンはジェシカに提案したことが良い効果を及ぼしたことに一安心した。そして、その夜のディナーは最近めったにないほど豪華なものとなった。

 

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